宿場町の交流会④~ヴァイラスの広場~
2018.3/15 更新分 1/1
ウィンドウショッピングに半刻ばかりを費やしたのち、俺たちはようやくヴァイラスの広場に到着することになった。
「さ、ここがヴァイラスの広場だよ。他の連中は、すっかり待ちくたびれてる頃かもね」
そこは、なかなかの広さを持つ広場であった。あの、肉の市が開かれるマドゥアルの広場にも負けない広さであろう。
足もとは石張りで、ところどころにベンチのような椅子が設置されている。老人がひなたぼっこをしていたり、幼子が駆け回っていたり、きわめて牧歌的な情景である。無法者の多い宿場町においても、ずいぶん治安のよい区域であるように感じられた。
「この辺りは、けっこう衛兵も巡回してるからね。ほら、あんな具合にさ」
目をやると、広場の中心に置かれた日時計のかたわらに、2名の衛兵の姿があった。
その内の片方がこちらを見やり、ぎょっとしたように身体を震わせてから、ずかずかと近づいてくる。
「おい、これは何の騒ぎなのだ? いちおう言っておくが、この場で商売をすることはジェノスの法で禁じられているからな」
「あれ? マルスでしたか。こんなところでお会いするとは、奇遇ですね」
それはジェノスの衛兵の中で唯一、俺が名前を知っている、マルスに他ならなかった。
兜のひさしの下で顔をしかめつつ、マルスはその場に集まった森辺の民をじろじろと見回してくる。
「いいから、質問に答えろ。商売のできないヴァイラスの広場に、いったいどのような用事でやってきたのだ?」
「えーと、用事というか、単に遊びに来ただけなのですよね。今日は、宿場町の民と森辺の民の交流会なのです」
「なに? 森辺の民が、ただ遊ぶためだけに、このような場所を訪れたというのか?」
びっくりまなこのマルスに、ユーミが「ふふん」と笑いかける。
「森辺の民だってジェノスの民なんだから、どこで遊ぼうと自由でしょ? あたしらジェノスの法なんて、なーんにも犯してないよ?」
「……お前は《西風亭》の娘だな。森辺の民に、悪い遊びなど教えるのではないぞ?」
「へん。そんなことしたら、森辺のみんなは怒って帰っちゃうでしょ。余計な心配してないで、自分のおつとめを果たしたら?」
マルスは深々と溜息をついてから、再び俺のことをにらみつけてきた。
「お前たちも、あまり羽目を外すのではないぞ? ジェノスの法を犯したら、遠慮なく引っ立ててやるからな」
「はい、もちろん。それを一番に心がけています」
マルスは肩をすくめてから、同僚のほうに戻っていった。
ユーミはその背中に、べーっと舌を出している。
「ったく、小うるさい連中だね。それにしても、アスタが衛兵とまで仲良くしてるとは思わなかったよ」
「うん。あの人は非番のたんびに顔を出してくれる、屋台の常連さんなんだよ」
「なるほどねー。だから、森辺の民のことを心配してるってわけだ。お優しくて、けっこうなことだね」
ユーミは悪戯小僧のように笑ってから、また先頭を切って歩き始めた。
「それじゃあ、気を取りなおして出発だ。衛兵なんかが近づいてきたから、あいつらもひやひやしてただろうね」
そんなユーミの言葉を聞きながら歩を進めていくと、奥のほうに集まっていた一団が「おーい!」と手を振ってきた。
そして、あちこちに散っていた人々も集結すると、20名以上の人数にふくれあがってしまう。いずれも13歳から20歳ぐらいの若い男女であった。
「なんだ、ずいぶん集まったね。あんたたち、家の手伝いは大丈夫なの?」
「ユーミに言われたかないよ! でもまあ、日が暮れる前には帰らなきゃいけないやつも多いんじゃないのかな」
けっこうな人数であったものの、俺にとってその大半は見知った顔であった。こちらも大体は、屋台の常連客であったのだ。
ユーミは満足そうに笑いながら、俺たちを振り返ってくる。
「これだけの人数だと、名乗りをあげたって覚えられないよね。適当に遊んで、仲良くなったやつ同士で名乗りをあげてよ」
「うん。それでいったい、何をして遊ぶのかな?」
「そいつもみんなの好きずきだね。ジョウ=ランは、また横笛の練習かな?」
「はい。もうすぐ『ヴァイラスの宴』を習得できそうなので」
ジョウ=ランが笑顔で答えると、レビが「よし」と進み出た。
「それじゃあ、横笛のやつはこっちだな。『ヴァイラスの宴』なら、また俺が教えてやるよ」
どうやらジョウ=ランとフォウの次兄は、レビから横笛を習っていたらしい。それ以外にも、フォウとランの女衆に、テリア=マスも一緒になって、まずは輪から外れていった。宿場町のメンバーも、数名ばかりがそれを追いかけていく。
「ふむ。ジョウ=ランたちは、あの木でできた笛などを修練していたのか。あれは確かに、心地好い音色だったな」
と、交流会には初の参加となるディンの長兄が、穏やかに笑いながらそう述べていた。そのかたわらでは、トゥール=ディンが物珍しそうに広場を見回している。
「しかし、このような場所で笛を吹き鳴らしたら、誰かの迷惑にはならないのか? あれは草笛よりも大きな音色を奏でられるものだろう?」
「うん。筒のところに詰め物をするから、大丈夫だよ。そんなに騒がしくしたら、さすがに衛兵どもが黙ってないからさ」
そう言って、ユーミがディンの長兄を振り返った。
「あんたはどうする? 横笛に興味がなかったら、盤上遊戯とか?」
「ばんじょーゆーぎとは、何だ?」
「口で説明するより、見たほうが早いだろうね。チム=スドラなんかは、けっこう筋がいいようだったよ」
そのチム=スドラは、すでにカーゴの誘導で広場の片隅に引っ込んでいた。イーア・フォウ=スドラと、宿場町の若衆もそれに追従している。
とりあえず、初参加の森辺の民は、みんなそちらから見学させてもらうことにした。
「普段は銅貨を賭けたりしてるんだけどさ。森辺の民は銅貨を無駄にできないって話だったから、勝ち負けだけを楽しんでもらってるよ」
ユーミの言葉を聞きながら、俺はカーゴとチム=スドラの間に置かれたものを興味深く観察させていただいた。
30センチ四方の木の板に、こまかくマス目が記されている。その上に、10円玉ぐらいの大きさをした丸い駒が、いくつも置かれていた。
丸い駒は、片方が黒く、片方が赤く、塗料で塗られており、それぞれ15枚ずつ準備されているようだった。
「これは、賽の目遊びだね。賽を振って、出た目の数だけ駒を進められるんだよ。で、相手よりも早く、自分の駒を自分の陣地に全部入れることができたら勝ちってわけだね」
俺にはあまり馴染みがなかったが、それはバックギャモンという盤上ゲームに似たルールであるようだった。
とりあえず、このジェノスでサイコロというものを目にしたのは初めてのことだ。それは普通に六面体であり、それぞれの面に点で数が記されているのも、俺の知るサイコロと同一であった。
何にせよ、サイコロを使うゲームであるので、勝ち負けは運に左右されるようだ。
が、やっぱりそこにはいくばくかのテクニックというのも必要であるようで、初心者であるチム=スドラがカーゴと互角の勝負をすると、ギャラリーからは歓声があがった。
「ふむ。よくわからんな。どのように頭をひねっても、その賽というものの目で勝負が決まるのなら、あまり競い甲斐がないように思えてしまうのだが」
ディンの長兄がそのように述べると、そのそばにいたベンが笑顔で振り返った。
「だったら、別の遊戯で勝負してみるかい? 合戦遊びだったら、運のつけいる隙はなくなるぜ?」
「ふむ。それはどのような勝負であるのだろうか?」
ギャラリーの半分が、ベンたちとともに移動することになった。ユン=スドラとイーア・フォウ=スドラはチム=スドラのもとに留まり、残りの森辺のメンバーはそちらを見物させてもらうことにする。
「こいつは駒の追いかけっこじゃなく、駒で合戦をするんだよ。相手の兵士をなぎ倒して、大将首を取ったほうが勝ちってことだな」
ベンの説明を聞く限り、そちらは将棋やチェスに似たゲームであるようだった。
駒には、剣兵、槍兵、騎兵、副将、将軍の5種類があり、それぞれ一手で動ける範囲が異なっている。強い駒ほど数が少なく、それぞれ1枚ずつ所有している将軍の駒を取ったほうが勝利、というルールである。
俺が知る将棋やチェスと異なるのは、最初の配置に定型がなく、自陣であれば好きな位置に駒を置けることであった。
とはいえ、自陣の範囲はせまいので、そこまで自由度が高いわけではない。将軍はなるべく敵陣から遠ざけて、数の多い剣兵は前面に配置するのがセオリーであるのだろう。
「なるほど。少なくとも、運に左右されることはなさそうだな」
「でも、慣れるまではなかなか難しい遊びなんだよ。初心者を相手にするときは、騎兵や副将を抜いて戦うのが普通だな」
「そのような手加減をされては、勝負をする意味がない。できれば五分の条件で挑ませてもらおう」
その気概は立派なものであったが、この手のゲームで初心者が勝つのは非常に難しいことなのだろう。最初の勝負は、キミュスの卵を茹でるよりも早く終結してしまった。
「ふむ。確かにこれは、修練が必要なようだ」
ディンの長兄は、めげずに同じ条件で再勝負を挑んでいた。
今度は少し粘ったが、やはり結果は変わらない。三度、四度、と勝負を続けても、それは同じことだった。
「ううむ。いささか頭が痛くなってきたぞ。俺はこの遊びに向いていないのだろうか」
「いや、だから、五分の条件ってのが無謀なんだって。何なら、森辺の民同士でやりあってみたらどうだい?」
「おお、そうか。では、アイ=ファにお願いしたい」
アイ=ファはあまり気乗りしていない様子であったが、これといって反論はせずに、ベンの空けた場所に座った。
四回の勝負を観戦していたので、もうルールは頭に入っているのだろう。無言のまま、自陣に駒を配置していく。
「そういえば、森辺の女衆が合戦遊びをするのは初めてだな。前に来た3人も、こいつには手をつけようとしなかったんだよ」
観客側に回ったベンがそう言うと、俺の隣にいたフェイ=ベイムがそちらを振り返った。
「森辺の女衆は、力比べをする習わしがありません。アイ=ファは狩人なので、勝負を受けることにしたのでしょう」
「ふうん? だけど、こんなのお遊びだぜ? 実際に剣を取って戦うわけじゃねえんだしさ。よかったら、あんたも遊んでみたらどうだい?」
「いえ。遊びとはいえ、戦に興じる気持ちにはなれません」
そのように述べてから、フェイ=ベイムはちらりと向こうの人垣に目をやった。
「どちらかといえば……あちらの賽の目遊びというものに心を引かれます」
「だったら、やってみなよ。盤も駒も余ってるからさ。ルイア、お前が相手をしてやったらどうだ?」
「うん、いいよ」
以前はけっこうおどおどしていたルイアが、フェイ=ベイムににっこりと微笑みかけていた。復活祭を経て、森辺の民に対する耐性もずいぶん身についてきたのだろう。
(そういえば、この娘さんもシン=ルウに心を引かれたりしてたんだよな)
ともあれ、フェイ=ベイムとルイアによる勝負も同時進行で始められて、ギャラリーはまた二分されることになった。
俺とトゥール=ディンは家人がからんでいるので、アイ=ファと長兄の勝負を見物させていただく。盤上の駒は、すでに敵味方がぞんぶんに入り乱れていた。
(あれ? ずいぶんアイ=ファが優勢みたいだな)
ちょっと目を離した隙に、アイ=ファの副将が敵陣の奥深くにまで切り込んでいた。
そして、敵方の副将はすでに討ち取られて、騎兵も槍兵も1名ずつ奪われてしまっている。素人目から見ても、ディンの長兄はすでに崖っぷちであった。
(こんな短い時間で、よくもここまで蹂躙できるもんだ。というか、副将だって1枚しかないのに、そいつを特攻させてるのか)
その大胆な策が功を奏したらしく、アイ=ファは早々に勝利を収めてしまっていた。
ディンの長兄は、「なるほど」と大きくうなずいている。
「アイ=ファのおかげで、戦い方がわかった気がするぞ。よければ、もうひと勝負、願いたい」
次の勝負では、ディンの長兄もぐいぐいと副将を進めていた。
が、騎兵の挟撃にあって、それは撃沈してしまう。その間に、アイ=ファの副将はまたも敵の将軍に迫っていた。
「……この副将というやつは、自分の駒として盤に戻すことはできぬのだったな?」
アイ=ファの問いに、ベンが「ああ」とうなずく。
「自分たちで取り決めをいじくることもあるけど、基本の取り決めではそうなってるよ」
「そうか」と応じつつ、アイ=ファは敵から奪った剣兵を盤に指した。
ディンの長兄はさんざん悩んだ末に、将軍を移動させる。アイ=ファは再び、特攻隊長である副将で敵将を追い詰めていった。
間に立ちはだかる騎兵や槍兵も、アイ=ファの副将によって次々と討ち取られてしまう。狩人の力比べで猛威をふるうアイ=ファの強靭さが、盤上で体現されたかのようだ。
そうして敵将が逃げまどった先には、さきほどアイ=ファが打った剣兵がちょこんと待ち受けていた。
なおかつ、その剣兵を討ち取れば、次の手で槍兵が飛んでくる。かといって、動かなければ副将に追いつかれてしまうし――要するに、これは詰みだった。
「駄目だあ! やはり俺は、この勝負に向いていないのだろう!」
ディンの長兄ががっくりとうなだれてしまい、トゥール=ディンはあわあわとなってしまう。その隣から盤上を覗き込んでいたベンは、「いや」と下顎を掻いていた。
「今のは、アイ=ファが上手かったよ。先に剣兵と槍兵の罠を仕掛けてから、そこに敵将を追い込んだのか?」
「……これは、そういう勝負なのであろう?」
「ふむ。初心者とは思えないやり口だな。ちょっと俺が五分の条件で挑ませてもらおうか」
傷心の長兄に代わって、ベンがアイ=ファの前に座った。
アイ=ファは楽しんでいるのかいないのか、無表情に駒を並べている。三回連続で、駒の配置は同一であるようだ。
「副将攻めってのも、ひとつの立派な手なんだよ。ただ、初心者が打つような手じゃねえんだよな。一歩間違えれば大事な副将を失っちまうから、そいつは難しい手になるんだ」
「そうか」と応じつつ、アイ=ファはまたも副将を突撃させた。
ベンはがっちりと守りを固めつつ、騎兵を左右から進める作戦のようである。
が、最終的に勝利を収めたのは、アイ=ファであった。
何枚かの駒は取られてしまったものの、ほとんど危なげなく勝利を収めたように見える。宿場町の若い男女は、みんな感嘆の声をあげていた。
「ああ、こいつは本物だな。よし、俺も本気で挑ませてもらおう」
ベンは腕まくりをして、今度はさきほどと異なる陣形を取った。
しかしやっぱり、アイ=ファの戦法は変わらない。ただ今回は、2名の騎兵を左右に従えて、副将が特攻をかけることになった。
その猛攻をかわしつつ、ベンも騎兵で攻めたてる。が、意外にアイ=ファは守りも固く、初期配置からほとんど動かずして、ベンの攻撃を弾き返していた。
その間に、アイ=ファの副将はずんずんと進撃していく。気づくと、ベンの将軍はまたも這う這うの体で退却を余儀なくされていた。
俺は将棋もチェスもほとんど未経験の身であったが、そんな風に要の駒があちこち逃げ回らなくてはならないというのは、きっと末期的な状態であるのだろう。最終的に、ベンの将軍はアイ=ファの配置した剣兵と槍兵の囲みの中に追いやられて、再び討ち取られることになった。
「何だよ、べらぼうに強いじゃねえか! お前、本当に初心者なのか?」
「うむ。このような遊戯は、森辺に存在しない」
「俺じゃあ相手になんねえよ! カーゴ、そっちが終わったら、アイ=ファの相手をしてやってくれ!」
どうやら合戦遊びをもっとも得意とするのは、カーゴであるらしい。そして、カーゴはすでに自分の勝負を終えていたらしく、「んー?」と首をひねりながら近づいてきた。
「そっちは合戦遊びだろ? 五分の条件で負けちまったのか?」
「ああ。俺じゃあ、手も足も出なかったよ。すっげえ強引なくせに、守りも固えんだ」
「へえ、そいつは楽しみだ」
カーゴはのんびり笑いながら、アイ=ファの前に腰を下ろした。
その手が駒をつまむ前に、ベンが「待った」と声をあげる。
「なあ、森辺の民は賭け事を好まないって話だけど、周りの俺たちが賭ける分にはかまわねえのかな?」
「うむ? 私とこの者の勝負に、銅貨を賭けるということか?」
「ああ。俺たちは普段、そうやって遊んでるんだよ」
「……それは、ジェノスの法に触れるような行いではないのだな?」
「どうして賭け事が罪になるんだよ。宿場町には、あちこちに賭場があるぐらいなんだぜ? 衛兵たちだって、休みの日には賭けをして遊んでるはずさ」
アイ=ファは腕を組み、しばし黙考した。
それから、俺のほうを振り返ってくる。
「アスタよ。たしかシン=ルウやゲオル=ザザの招かれたジェノスの闘技会においても、町の民たちは銅貨を賭けていたはずだな?」
「ああ。ザッシュマなんかはシン=ルウに賭けて、けっこうな銅貨を稼いだみたいだよ」
「そうか。それが町の習わしであるならば、我らが文句をつける筋合いはあるまい」
アイ=ファがそのように答えると、ベンは「よーし!」と大きな声をあげた。
「おおい、こっちでアイ=ファとカーゴが合戦遊びで勝負をするぞ! 銅貨を賭けたいやつは、集まりな!」
他の盤上遊戯や横笛の練習に励んでいた人々の、半分ぐらいがこちらに集まってきた。
「銅貨を賭けるって、五分の勝負をするつもりなの? カーゴなんて賭場で稼げるぐらいの腕なんだから、勝負になるわけないじゃん」
ユーミがそのように声をあげると、ベンは「いーや」と首を振った。
「アイ=ファは俺をたった五十手で負かしたんだぜ? それに、カーゴは気合が乗るのに時間がかかるからな。この一発目の勝負は、どっちに転ぶかわからねえよ」
「ふーん。だったら、あんたはアイ=ファに賭けるんだろうね?」
「当たり前だろ。そのために、人数を集めたんだからよ」
周囲の人々は、ざわめきをあげながら目を見交わすことになった。
その間に、ベンはふたつの草籠を持ち出して、それを対局盤のかたわらに置く。
「俺はアイ=ファに赤銅貨5枚だ。さ、賭けたいやつは、銅貨を出しな」
俺の感覚で言うと、赤銅貨5枚は1000円ぐらいの価値である。遊びの賭け事でつかうには、なかなかの高額であるようだ。
宿場町の若衆は大いに頭を悩ませながら、それぞれ銅貨を草籠に放り込んだ。ベンに釣られてアイ=ファに投じる人間も少なくはなかったが、それでもやっぱり配当には倍ぐらいの開きが出たようだった。
「ふむ。俺ではカーゴにかなわなかったが、アイ=ファではどうだろうな」
と、いつの間にか俺のかたわらに立っていたチム=スドラも、興味深そうにその光景を眺めていた。伴侶たるイーア・フォウ=スドラは、そのすぐそばでにこにこと微笑んでいる。
「チム=スドラもカーゴと勝負してたんだね。カーゴって、そんなに強いのかい?」
「うむ。カーゴが副将を抜いて、ようやく五分の勝負だったな」
すると、草籠にたまっていく銅貨を満足そうに見やっていたベンが、こちらを振り返ってきた。
「副将抜きでカーゴと互角って、それはつまり俺とも互角って意味だからな。初心者でそれだけ強ければ、十分以上だよ」
「うむ。この合戦遊びというのは、どこか狩人の力比べに通ずるものがあるようなのだ。とっさの判断力や、先を見通す力などは、狩人にとっても大事であるからな」
その言葉に、まだちょっとしょげた顔をしていたディンの長兄が反応する。
「では、俺は狩人としての力が足りないために、この勝負で勝てないのだろうか? アイ=ファやチム=スドラは勇者であるのだから、俺よりも強い力を持っているのも当然の話だが……」
「いや、すべての狩人がこの勝負で力を発揮できるわけではないのだと思う。なんとなく、俺やアイ=ファのように小さな身体をした狩人のほうが、この勝負は得手であるように思うのだ」
それはつまり、筋力以外の部分を磨かざるを得なかった狩人が、という意味なのだろうか。
何にせよ、このような場所でもアイ=ファが思わぬ実力で注目されるというのは、俺にとって誇らしいことであった。
「よし、銅貨は出そろったな。それじゃあ、始めてくれ!」
アイ=ファは無表情に、カーゴはすました表情で、それぞれ自陣に駒を並べていく。これだけのギャラリーに囲まれながら、どちらもプレッシャーとは無縁であるようだ。
先手となったカーゴは、無難に剣兵を進めていく。素人目には、とりたててベンとの違いは感じられない。アイ=ファも同じように考えたのか、最初からぐいぐいと副将を進めていく様子だった。
「なるほど、副将攻めか」
アイ=ファの侵攻を迎えながら、カーゴはほとんどノータイムで反撃していた。
アイ=ファに駒を取られたら、自分も負けずに駒を取り返す。一進一退の攻防である。
おたがいに取った駒をまた配置するので、なかなか戦況は傾かない。これが実際の戦いであれば、血みどろの大激戦という様相であった。
その間に、ギャラリーはどんどんふくれあがっていく。しまいには、横笛の練習に熱心であったジョウ=ランやレビたちもやってきて、総勢40名強のほとんどがこの場に集まってしまったようだった。
「いいぞいいぞ、そのまま押しきっちまえ!」
昂揚した面持ちで、ベンがそのように述べている。
俺の目から見ても、じょじょに戦況はアイ=ファに傾いているように思えた。カーゴは相変わらずノータイムで打っていたものの、かなり守勢に回されている様子である。
が――カーゴが何気なく打った手で、アイ=ファの動きが止まった。
いったい何を悩んでいるのか。俺の目には、相変わらずアイ=ファが優勢であるように思える。
「どうした? 悩むような手じゃねえだろ?」
ベンも不思議そうにアイ=ファをせきたてている。
しかし、アイ=ファは動かない。
そうしてアイ=ファは30秒近くも沈黙を守ったのち、深々と溜息をついたのだった。
「どうやら私は、敗北してしまったようだ。まさか、そのような罠を張り巡らせていたとは思わなかった」
「ええ? 何を言ってるんだよ? まだまだいくらでも打てるだろ!?」
ベンは驚きの声をあげたが、アイ=ファは「いや」と首を振る。
「どのようにあがいても、私の勝つ道は残されていない。すべての道は、さきほどの一手で閉ざされてしまったのだ」
「それがわかるなら、いっぱしの指し手だよ。……ちなみに、あがけるだけあがいたら、あと何手ぐらいかかると思う?」
カーゴがそのように問いかけると、アイ=ファは鋭い眼差しで盤上をねめつけた。
「二十五手……であろうかな。それ以上は、あがきようもないと思う」
「正解だ。あんた、すげえな、アイ=ファ!」
カーゴは満面の笑みを浮かべ、アイ=ファはうろんげに眉を寄せる。
「何がすごいのだ? 私は敗北した身ではないか」
「いや、初めて駒にさわったとは思えない力だよ。たぶんこの中でアイ=ファとまともに勝負できるのは、俺かレビぐらいだと思うぜ?」
アイ=ファは周囲の人々を見回してから、「そうか」と息をついた。
「しかし、敗北したことを口惜しく思う。ディンの長兄よ、お前の無念を理解することができたぞ」
「……いや、俺とアイ=ファの口惜しさは、まったく異なるものであるように思えるなあ」
ディンの長兄は苦笑を浮かべつつ、ジョウ=ランを振り返った。
「つくづく俺はこの遊びに向いていないようだ。ジョウ=ランよ、俺もお前とともに横笛というものを習うことにしよう」
「はい。それではまず、自分の横笛を作らねばなりませんね。レビ、まだ木の筒は余っていますか?」
「ああ。それじゃあ俺たちは、あっちに戻るか」
10名ばかりの人々が、もとの場所に戻っていった。テリア=マスやフォウとランの女衆も、そちらを追いかけるようだ。
そんな中、アイ=ファが強い眼差しでカーゴを見つめた。
「すまぬが、もうひと勝負、受けてもらえぬだろうか? 私も今の勝負で、少しは力をつけることができたように思うのだ」
「ああ、もちろん。五分の勝負でこんなに楽しめたのは、ひさびさだからなあ」
「ちょっと待ってくれ! その前に、銅貨を分けちまうからよ。……アイ=ファ、俺は次も、お前に賭けるからな!」
草籠の銅貨が、賭け金に応じて分けられていく。それを横目に、ユン=スドラが俺にこっそり呼びかけてきた。
「アイ=ファもこの集まりを楽しめているようですね。祝宴のときよりも、町の民との絆も深まるのではないでしょうか?」
「うん、確かにそうかもしれないね」
こうして勝負に没頭するのも、ひとつの楽しみ方であろう。またそれは、いかにもアイ=ファらしい楽しみ方であるように思えてならなかった。
「よーし、銅貨は分配できたな。俺はまた、アイ=ファに赤銅貨5枚を賭けさせてもらうぜ!」
「ちょっとベン、ここで銅貨をつかい果たしたら、あんただけ晩餐は抜きになるからね?」
陽気に笑いながら、ユーミは輪から外れていった。その目指す先は、ジョウ=ランを含む横笛のグループである。
レビの指導で、ディンの長兄は横笛の作製に取りかかっている。そのかたわらで、ジョウ=ランは横笛を吹いており、テリア=マスと森辺の女衆は楽しそうに語らっていた。フォウとランの女衆に、今はトゥール=ディンも加わっている。
ユーミがそこに加わっても、場が乱れる様子はなかった。
何を話しているのかは聞こえないが、フォウとランの女衆も笑顔でユーミを見上げている。少なくとも、ジョウ=ランをはさんで水面下の戦いが行われているようには思えない。
「……とりあえず、心配はいらないようですね」
と、ユン=スドラがこっそりそのように囁きかけてきたので、俺は笑顔で「うん」と応じてみせる。
そうしてゆっくりと日が傾いていく中、アイ=ファとカーゴの第2戦目は粛々と開始されたのだった。