宿場町の交流会①~新たな試み~
2018.3/12 更新分 1/1 ・2018.4/16 文章を修正
・今回の更新は全7話です。
ルウ家で行われた親睦の祝宴の後も、俺たちは平和な日々を過ごすことができていた。
この期間、ファの家の近在の氏族は、休息の期間にあったのだ。前回の休息の期間には、遠方に住まう氏族に血抜きや調理の手ほどきをするために、男衆も女衆ものきなみ慌ただしく日々を過ごすことになっていたものであるが、このたびは、思うぞんぶん家族との情愛を育むことがかなったのである。
特にスドラの家などでは、双子の赤ん坊たちのおかげで毎日が幸福でたまらないという話を、俺はユン=スドラごしに聞くことができていた。
なおかつ、チム=スドラはイーア・フォウ=スドラを嫁に迎えたばかりであるし、さらに、婚儀の約定を交わしているフォウの男衆とランの女衆も足しげくスドラの家に通っており、スドラの家はかつてないほど華やいでいるのだというもっぱらの評判であった。
いっぽう、ファの家には赤き民のティアという闖入者がまぎれ込んでいたものの、この頃には彼女もすっかりファの家の生活に溶け込むことができていた。
トトスのギルル、猟犬のブレイブ、番犬のジルベ、そしてティアを加えた6名の、騒がしくも平和な日々である。
宿場町での商売を終えてファの家に戻ると、アイ=ファたちが総出で出迎えてくれる。それだけで、俺は常と異なる幸福感にひたることができた。
アイ=ファが家に残っているので、この時期はティアもルウ家には預けられず、ずっとファの家で過ごしている。アイ=ファが鍛錬に励んだり、ブレイブやジルベとたわむれるさまを、ずっと楽しげに眺めているのだそうだ。時にはティアも両腕と左足だけで木によじ登ったりして、身体がなまらぬように心がけているようであるが、やっぱり右足の骨が繋がるまでは、安静にするのが一番の薬である。アイ=ファが行っていた狩人の鍛錬に比べれば、実にささやかなリハビリであるという話であった。
「しかし、やはり赤き民というのは、凄まじい力を有しているようだ。町の人間から見れば、同じ人間とは思えぬほどであろう」
アイ=ファは、そのように述べていた。
まあ、片足だけで自分の身長よりも高い位置までジャンプできるような身体能力であるのだから、それももっともな話であった。
それにティアは、弓の腕も巧みであったのだ。
アイ=ファの許しを得て、自分のための弓をこしらえたティアは、ひまさえあればそれで的当てを行っていた。そして、その力量はアイ=ファと互角かそれ以上のものであったのだった。
「今日はアイ=ファよりも、たくさん的に当てることができたぞ。アイ=ファのように優れた弓使いを負かすことができて、ティアはとても誇らしい」
とある日にはそのような発言をして、アイ=ファの闘争心に油を注いでいたティアであった。
だけどまあ、アイ=ファにとってはよい刺激になった部分もあるのだろう。何かと言い合いになる場面も多い両者ではあるが、俺から見ればそれも微笑ましい光景であった。
ちなみに、ジバ婆さんが祝宴の夜に語っていた話については、翌日ドンダ=ルウにも告げられていた。
あの、森辺の民の祖である『白き女王の一族』というのは、赤き民の血族なのではないかという、驚くべき考察である。
しかし、そのような話を告げられても、ドンダ=ルウはまったく心を乱してはいなかったと、俺たちは人伝てに聞かされていた。
「何も証のある話ではないし、証があったところで、今の森辺の民にとっては関係のない話だ」
ドンダ=ルウは、果断にそう言いきっていたらしい。
もちろん、俺とアイ=ファも同じ心情である。たとえ森辺の民のルーツが赤き民と同一であったとしても、それはもう何百年も昔の話だ。シムの領土から流れてきたガゼの一族を受け入れて、名もなき大神への信仰を捨てた時点で、すでに道は分かたれている。現在の森辺の民は、モルガの森を母として、西方神セルヴァを父とする、れっきとした西の王国の民であるのだった。
その後、ジバ婆さんの考察はティアにも伝えられることになったが、そちらでも、俺たちの決意を揺るがすような発言はなかった。やっぱり赤き民たるティアにとっても、大神ではなく西方神セルヴァを父とした森辺の民は、同胞として迎えることのできない存在である、という話であったのだ。
「でも、ジバ=ルウの考えは正しいのかもしれない。ティアは最初から、森辺の民は赤き民に似ていると思っていたのだ」
ティアは、そのように語っていたものである。
「だけどやっぱり、森辺の民は外界の民だ。大神ならぬ神を崇めて、鉄の道具を使っている。たとえ以前は同胞であったとしても、赤き民の族長たちが今の森辺の民を同胞として迎え入れることはないだろう」
ティアがそのように言いきってくれたのは、ある意味では幸いなのかもしれなかった。
俺やアイ=ファやドンダ=ルウやジバ婆さんは、今の生活こそが正しいのだと信ずることができたものの、すべての氏族の人間がそのように考えるかどうかはわからない。町の人々との交流が薄ければ薄いほど、赤き民のありようというのは、魅力的に思えるはずであるのだ。
(もしも一年以上前に、アイ=ファやドンダ=ルウやジバ婆さんが、ティアと出会ってしまっていたら……その生活を、羨ましいと感じてしまったんじゃないだろうか)
その上で、赤き民に拒絶されてしまっていたら、それはもう悲劇である。
どうして愚劣なる貴族を君主とし、自分たちを蛮族と蔑む町の人間を同胞として扱わなければならないのか――かつてのザッツ=スンさながらに、そんな思いにとらわれて、果てしのない煩悶と葛藤を抱え込んでいたかもしれない。何せ当時はサイクレウスが領主の代理人をつとめており、町の人々との関係性も最悪な状態であったのだから、そのように考えるのが当然であるようにすら思えてしまった。
だけど今の森辺の民は、サイクレウスとの悪縁を断ち切って、貴族とも、町の人々とも、正常な関係性を構築しつつある。まだそれを実感できてきているのは一部の氏族だけであるものの、時間さえかければ、すべての氏族が同じ思いに至ってくれるはずだと、俺たちはそのように信じているのだった。
◇
そうして平和に時間は過ぎ去っていき――青の月の4日のことである。
親睦の祝宴から3日が過ぎて、その日にはちょっとしたイベントが開催されることになっていた。
今度は森辺の若い衆が、宿場町に招待されることになったのだ。
とはいえ、それほど大がかりな話ではない。さしあたって、そのイベントに参加する森辺の民は、荷車一台の定員である6名のみと定められていた。
特筆するべきは、その中に俺が含まれていない、という点であろうか。
そのイベントは、祝宴の夜にジョウ=ランとユーミの対話の中から生まれることになったのだった。
「……そろそろジョウ=ランたちが、宿場町に下りてくる頃ですね」
隣の屋台で『ギバ肉とナナールのカルボナーラ』を受け持っていたユン=スドラが、溜息混じりにそうつぶやいていた。
「本当に、おかしな騒ぎになったりはしないでしょうか? わたしは、いささか心配になってしまいます」
「うん、まあ、大丈夫じゃないかなあ。復活祭のときにだって、森辺の民は町の人たちと楽しく過ごすことができていたからさ」
「でも、あのときはアスタやルウ家の人々が、間を取り持ってくれていたでしょう? それほど町の人間と交流のないジョウ=ランたちだけで、無事に過ごすことができるのかどうか……やっぱりわたしは、不安です」
「大丈夫だよ。そこのところは、きっとユーミたちが上手く取り持ってくれるさ」
俺がそのように答えると、ユン=スドラは何とも言えない面持ちで眉尻を下げてしまった。
「わたしもユーミのことは好いていますし、信頼もしています。でも……ユーミというのは、時としてジェノスの法を犯すこともあるのでしょう? 祝宴のときに、ベンたちがそう言っていたはずです」
「ああ、ユーミがしょっちゅう衛兵にしょっぴかれてたって話ね。でもそれは、きっと無法者を返り討ちにしたとか、そういう話なんじゃないのかな。ユーミの働く《西風亭》には、無法者がわんさか集まるっていう話だったし」
少なくとも、ユーミが自分の欲得のために罪を犯したりすることはない。それだけは、俺も信ずることができた。
「森辺の狩人がそばにいたら、そうそう無法者が近づいてきたりもしないはずだからね。仮に近づいてきたとしても、ジョウ=ランたちだったら相手に手傷を負わせることなく、取り押さえることもできるだろうしさ」
もちろん俺も手放しで安心しているわけではなかったものの、それ以上に、このたびの出来事を喜ばしく感じていた。森辺の民と宿場町の民が、俺の存在を抜きにして、このような交流のイベントを開催することになったのである。これもまた、森辺の民にとっては大きな一歩であるはずだった。
「やあ、アスタ! ジョウ=ランたちは、まだ来てないのかな?」
噂をすれば何とやらで、ユーミがひょこりと現れた。
ユン=スドラは慌てて口をつぐみ、俺は「やあ」と笑い返してみせる。
「そろそろ下りの一の刻かな? 約束の時間までには、来るはずだよ」
「そっか。それじゃあ、ここで待たせてもらうね!」
ユーミの背後には、このイベントに参加する若者たちがずらりと立ち並んでいた。
祝宴にも参加していた、ベンとレビとカーゴ、復活祭でユーミの屋台を手伝っていた、ルイア。それに、名前は知らないが顔はよく見知っている、同じ年頃の女の子だ。彼らは全員ユーミの友人であり、そして、俺たちにとっては屋台の常連客であった。
「他にも参加したいってやつはたくさんいたんだけどさ。あんまり大勢で屋台に押しかけたら迷惑になると思って、そいつらは後で合流することにしたんだよ」
そのように述べてから、ユーミはにっと笑いかけてきた。
「森辺の民とお近づきになれるって聞いて、みんな大喜びしているよ。次の集まりでは、アスタもちゃんと参加してよね?」
「うん、もちろん。俺も楽しみにしているよ」
当初、このイベントには俺も勧誘されていたのである。
しかし、俺はこれでも、なかなか忙しい身であるのだ。下りの二の刻までは屋台の商売であるし、その後は翌日のための下ごしらえという仕事が待ちかまえている。ついこの間も収穫祭や勉強会の影響で、臨時に休業したり、料理の数を減らしたりしていたので、今期の5日間はきっちり仕事をこなしたいと考えていた。また、宿屋に料理を卸す仕事も、今期はファの家が受け持つ周期であったので、なおさら前日の下ごしらえを休むわけにもいかなかった。
で、休業日の前日であれば、屋台の商売の後に時間を作ることも可能であるのだが、次の休業日は青の月の8日であったのだ。それではあまりに期間が空きすぎるということで、まずは俺抜きでこのイベントは敢行されることに決定されたのだった。
今日という日を無事に過ごすことができれば、青の月の7日に、第2回目の交流会が開かれることになっている。休息の期間は半月ほどしかなかったので、その間に遊べるだけ遊んでやろうという、つまりはそういう目論見であるようだった。
「あの、ユーミ、今日は本当に、くれぐれもよろしくお願いします。ジョウ=ランたちは、みんな宿場町の流儀というものをあまりわきまえていないはずですので……」
こらえかねたようにユン=スドラが発言すると、ユーミは「んー?」と首を傾げていた。
「ずいぶん心配そうなお顔だね。どうしてユン=スドラがそんな風に心配してるの?」
「それは、あの……今日、ユーミたちに招かれたのは、みんなスドラの血族でありますので……」
「あー、そっかそっか! ランやフォウっていうのは、スドラの血族なんだったね! 大丈夫だよ、絶対に衛兵を呼ばれるような真似はしないから!」
そのとき、ユーミの後ろにいたベンが「お」と声をあげた。
「来たみたいだぜ。やっぱり森辺の民ってのは、遠くからでも目立つよな」
俺も目をやると、確かに森辺の民の一団が南の方角から近づいてきていた。
先頭を歩いているのは、まぎれもなくジョウ=ランだ。ジョウ=ランは、のどかな笑みを浮かべながら、こちらに手を振っていた。
「お待たせしました。少し遅れてしまったでしょうか?」
「いいよいいよ! トトスと荷車は、きちんと預けられたんだね」
「はい。アスタに教えてもらった宿屋に預けてきました」
それはもちろん、《キミュスの尻尾亭》のことであった。宿場町でトトスと荷車を預けるとしたら、宿屋かトトス屋を利用するしかないのだ。
「うちで預かってもよかったんだけど、たまーに倉庫に忍び込もうとする馬鹿がいるからさ。大通りにある《キミュスの尻尾亭》だったら、安心だからね!」
「はい。宿屋にはテリア=マスがいて、ユーミによろしくと言っていました」
「ああ、次の集まりでは、テリア=マスも呼ぶつもりだよ! 他の連中は別の場所で待ってるから、まずはこの顔ぶれでよろしくね!」
そうして、おたがいの自己紹介である。森辺陣営は、すべてフォウの血族で固められていた。
俺が名前を知っているのは、ジョウ=ランとチム=スドラと、そしてイーア・フォウ=スドラだ。残りの3名は、フォウの本家の次兄と、フォウの分家の女衆、そして、ランの本家の女衆であった。
「この前の祝宴にいたのは、ジョウ=ランとチム=スドラだけだって話だよね。こっちはみんなあたしの仲間だから、仲良くしてやってよ」
初対面の相手にも、ユーミは屈託なく笑いかけている。それと相対する森辺の若き女衆は、みんなつつましやかにお辞儀をしていた。
「それじゃあ、まずは腹ごしらえからだね! みんな、銅貨はもらってきた?」
「はい。バードゥ=フォウから預かってきました」
このイベントは、俺たちの屋台で軽食を買うところから始まり、《西風亭》で晩餐を取ったところで終了する予定であった。森辺の民が宿場町で銅貨を出して食事をする、というのは習わしにない行いであったが、親筋の家長たるバードゥ=フォウから「交際費」として認められることになったのだ。
「アスタやユン=スドラたちから銅貨で料理を買うというのは、何だかすごく奇妙な心地ですね。……でも、楽しくも感じます」
ジョウ=ランはにこやかに笑いながら、そのように述べていた。
その隣からは、チム=スドラが興味深そうに屋台を覗き込んでいる。
「しかし、どれも美味そうだ。何を買っていいものか、悩んでしまうな」
「だったら、ひと通りの料理を少しずつ買えばいいんじゃないのかな。それをみんなで分け合えば、すべての料理を楽しむことができるよ」
取り分け用の皿さえ準備すれば、家族でなくとも同じ皿の料理を食べることは許される。俺の提案はすみやかに受け入れられて、6つの屋台から12名分の料理が買われることになった。
「昼からこのように立派な料理を口にするというのも、普段ではないことです。つい食べすぎてしまいそうですね」
「晩餐までには時間もあるから、好きなだけ食べちゃえばいいよ! 夜には、あたしが腕をふるうからさ!」
やはり、宿場町のメンバーを取り仕切るのはユーミで、森辺のメンバーを取り仕切るのはジョウ=ランとなるようだった。祝宴で親交を結んだ両名は、とても打ち解けた様子で笑みを交わしている。
そうして賑やかな一団がたくさんの料理を抱えて青空食堂のほうに立ち去っていくと、またユン=スドラが深々と溜息をついた。
「本当に大丈夫なのでしょうか。わたしはどうしても、不安をぬぐいきれません」
「そうかい? 俺はそこまで心配にはならないけど……やっぱりユン=スドラは、ジョウ=ランのことをあまり信用できないのかな?」
ユン=スドラはジョウ=ランの森辺の民らしからぬ行いに悩まされたひとりであるので、その点が気にかかっているのかもしれない。
俺はそんな風に考えたが、ユン=スドラは「いえ」と首を振っていた。
「ジョウ=ランが無用の騒ぎを起こすと考えているわけではないのですが……どうしても、気にかかることがあるのです」
「へえ? 俺でよかったら、話を聞くけど」
ユン=スドラはしばし逡巡してから、俺の耳に口を寄せてきた。
「では、どうか内密にお願いします。……あ、アイ=ファに秘密を作ることはできないでしょうから、それはかまいませんけれど」
「お気づかいありがとう。それで、何がそんなに気にかかっているのかな?」
「実は……さきほどのフォウとランの女衆は、どちらもジョウ=ランに心を寄せていたようなのです」
俺は、目をぱちくりとさせることになった。
「ジョウ=ランは、未婚の女衆に人気があるんだよね。でも、それでどうしてユン=スドラが心配になってしまうのかな?」
「それは、彼女たちの心情を慮っているゆえです」
それでも俺には、ユン=スドラが何を言おうとしているのかがわからなかった。
ユン=スドラは溜息を噛み殺しつつ、また口を寄せてくる。
「おわかりになりませんか? 彼女たちは、ジョウ=ランとユーミの間に恋心が芽生えてしまうことを懸念しているのだと思います。だから、このたびの集まりに名乗りをあげることになったのでしょう」
「ええ? ジョウ=ランとユーミが? だってふたりは、この前の祝宴で初めて言葉を交わしたていどの仲なんだよ?」
「だけどユーミは、以前から森辺に嫁入りしたいと言っていたでしょう? それでジョウ=ランがあのように打ち解けた姿を見せているので、あの女衆たちも心配になってしまったのだと思います」
しかし、彼女たちは親睦の祝宴に参加していないのだから、ジョウ=ランとユーミが交流を結んでいる姿など目にしていないはずだ。
俺がそのように告げてみせると、ユン=スドラは何度目かの溜息を振りしぼった。
「ジョウ=ランは、親睦の祝宴でいかにユーミたちと絆を深めることができたか、ランの家で嬉々として語っていたそうです。それでユーミとこのような集まりの話まで取りつけることになったのですから、彼女たちが心配してしまうのもしかたのないことなのでしょう」
「でも……ジョウ=ランがユーミに恋心を抱くことなんてありうるのかなあ? 相手は、宿場町の民なんだよ?」
「……わたしには、ジョウ=ランがどのような気持ちを抱くかなんて、想像することさえ難しいです。ジョウ=ランはあまりにも、森辺の民らしからぬ性根をしていますので……」
それは、俺も同じことだった。
しかしジョウ=ランは、いまだにアイ=ファへの想いを断ち切ることができず、思い悩んでいた身であるのだ。その悩みを打ち明けることで、ユーミと縁を深めることになったのであろうが――今度はそのユーミに恋心を抱く、などということがありうるのだろうか?
(……うん、まあ確かに、ジョウ=ランがどんな風に気持ちを動かすかなんて、俺にも想像はつかないな)
とりあえず、各人の気持ちがどのように動いたとしても、どうか丸く収まりますように――俺としては、そんな風に祈ることしかできなかった。