青の月の一日⑤~かまど巡り~
2018.2/26 更新分 1/1 ・2018.2/27 誤字を修正 ・2018.3/24 文章を修正
2018.4/16 タイトルおよび文章を修正
常と異なる雰囲気を漂わせていたジバ婆さんの存在に後ろ髪を引かれつつ、俺とアイ=ファは祝宴の場に戻った。
まだ自分たちの料理しか口にしていないので、俺もアイ=ファも胃袋は満たされていない。まずは恒例の、かまど巡りであった。
最初のかまどに到着すると、その付近に準備された敷物からガハハという高笑いが聞こえてくる。たくさんの笑い声に満ちた広場でも、俺がその声を聞き間違えることはなかった。
「ダン=ルティムはこちらだったのですね。先日はどうもお世話になりました」
「うむ? 何も世話をした覚えはないぞ! しかし、アスタもアイ=ファも息災そうで何よりだ!」
そこには、ルティム本家の人々が集結していた。
ただし、身重のアマ・ミン=ルティムと老齢のラー=ルティムは、姿がない。その代わりに、ひさびさの里帰りを果たしたモルン=ルティムが、にこやかに微笑んでいた。彼女は昨晩の内にルティムの集落に戻り、今日は昼から祝宴の準備を手伝っていたのだ。
そしてそのかたわらには、ドム本家の家長ディック=ドムも座している。
モルン=ルティムとの間には適切なる距離が置かれていたものの、彼女が内なる思いを皆に打ち明けて以来、この両名の姿がそろっているのを見るのは初めてのことだった。
「おひさしぶりです、ディック=ドム。祝宴をご一緒するのは、これが初めてのこととなりますね」
ディック=ドムは、静かに「ああ」とうなずくばかりであった。
相変わらず、俺やアイ=ファと同世代とは思えないほどの貫禄と迫力である。ギバの頭骨をかぶっている上に、ドンダ=ルウをも上回る巨躯の持ち主であるのだ。
「レム=ドムはいないのですね。俺もまだ祝宴が始まってからは姿を見ていないのですが」
「……さきほどスフィラ=ザザが現れて、レムを連れていった。あいつらは、他に縁を結んだ人間も多いのだろう」
あの両名はかまど番の手ほどきを受けるために、かつてルウの集落に逗留していたのだ。特にスフィラ=ザザは、レム=ドムの家出騒ぎが終息するまで逗留を延長していたので、かなりの長きをこの場所で過ごしていたはずだった。
「モルン=ルティムも、ひさしぶりだね。元気そうで何よりだよ」
「はい。毎日をすこやかに過ごしています」
モルン=ルティムは、はにかむように微笑んでいる。想い人であるディック=ドムと並んで座っているのが、ちょっぴり気恥ずかしいのだろうか。
もちろん、それを冷やかすような人の悪さは持ち合わせていなかったので、俺は「そっか」と笑いかけてみせる。
それにしても、ディック=ドムがダン=ルティムやガズラン=ルティムとともに料理を囲んでいる光景というのは、なかなかの目新しさであった。
なおかつその場には、本家の家人であるツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティムも同席している。かつては親筋と眷族の間柄であった彼女たちとディック=ドムが、いったいどのような心情でいるのか、外から推し量ることは難しかった。
「アスタよ、さきほどの料理は愉快だったぞ! ただ、あまりに量が物足りなかったがな!」
と、ダン=ルティムがまた大声で呼びかけてくる。
「ガズランも、アマ・ミンに食べさせてやりたかったと、しきりに騒いでおったわ! アマ・ミンが無事に子を生んだあかつきには、作り方を教えてやってくれ!」
「はい。私からも是非お願いします、アスタ」
リィ=スドラからふた月ほど遅れて妊娠が発覚したアマ・ミン=ルティムも、そろそろ出産の時が近づいてきているはずであった。
俺は精一杯の思いを込めて、「はい」とうなずいてみせる。
「アスタたちは、またかまどを巡っておるのか? その後は、もちろん俺たちのもとに留まってくれるのであろうな?」
「あ、はい。ちょうどこれからかまどを巡るところであったのです」
「ならば、まずはそのかまどで配られている料理を口にするがいい! これもなかなかの素晴らしい味わいであったぞ!」
「わかりました。では、さっそく」
そうして足を向けてみると、そのかまどで指揮を取っていたのは、レイナ=ルウであった。
俺とアイ=ファがかまどの前に立つと、朗らかな笑みが向けられてくる。
「ああ、アスタにアイ=ファ。シャスカの料理は、ふた品ともいただきました。もう、目の覚めるような美味しさだったです」
「うん、ありがとう。この料理もすごく美味しそうだね」
「はい。またこの数日で色々と手を加えましたので、アスタの感想を聞きたいと願っていました」
レイナ=ルウが配膳していたのは、汁物料理であった。
見た目は、鮮やかなオレンジ色である。これは、『ギバ・バーガー』で使用しているネェノンのソースから発展させた、新たなシチューであったのだった。
ネェノンはニンジンによく似た野菜であるが、ニンジンほどクセがなくて、甘みが強い。そこにアリアやミャームーといった香味野菜や果実酒などを組み合わせて、レイナ=ルウはシーラ=ルウとともに新たなソースを開発したわけであるが、それをさらに別なる料理として昇華せしめたのである。
この料理は、ルウ家の勉強会でも何度か味見を頼まれていた。そのときは、ミャームーの代わりにシムの香草を使い、さらに、ミケル直伝のキミュスの骨ガラを使って、かなり上質のシチューに仕上げられていた。
そこに今度はどのような手を加えたのか、俺は大いに期待しながら、アイ=ファとともに木皿を受け取った。
具材は、ギバのバラ肉と肩肉、それにアリアとチャッチ、ナナールとマ・プラ、さらにはオンダまで使われていた。
タマネギ、ジャガイモ、ホウレンソウ、パプリカ、モヤシ、と考えれば、まあそれほどおかしな組み合わせではない。マ・プラとオンダを除けば、クリームシチューでもお馴染みの野菜たちだ。
それらの具材を木皿ですくいあげ、火傷をしないように慎重にすすってみると――確かに、以前とは異なる風味が感じられた。
以前よりも、甘さとコクが増しているように感じられる。それに、辛みのある香草はかなり分量を減らしたようで、口あたりがずいぶんマイルドになっていた。
「うん、美味しいね。もしかしたら、カロンの乳を加えたのかな?」
「はい。それに、果実酒も赤と白の両方を使ってみました」
それはなかなか、大胆な試みである。ワインに似た果実酒の赤と白を両方使うというのは、あまり俺の知識にない使い方であった。
だが、そういう既成概念にとらわれないことで、新しい味を生み出せるのだろう。俺ひとりの知識を鵜呑みにしていたら、これは作りあげることのできない料理であるはずだった。
「それに、香草は少し減らしたのかな? 以前はもっと辛みを強調した味付けだったように思ったけど」
「はい。この料理は辛みよりも甘みを前に出すべきだと思いましたので……それでカロンの乳まで使ってしまうと、くりーむしちゅーに似てしまうかな、とも思ったのですが……」
「いや、クリームシチューに似ているとは思わないよ。かなり独自性のある料理なんじゃないのかな」
レイナ=ルウは「本当ですか?」と嬉しそうに微笑んだ。
そこに、ふたつの人影が近づいてくる。
俺が振り返ると、ロイが「よお」と声をかけてきた。
「ようやく見つけたぜ。シャスカ料理のふた品目も、見事な出来栄えだったな。俺たちが今日のことを報告したら、ヴァルカスはさぞかしやきもきするだろうぜ」
「ありがとうございます。ロイにそんな風に言ってもらえたら、心強いですね」
「だってあれは、あの形のシャスカでしか作れない味だろう。さっきは言葉が出てこなかったけど、もう観念するしかねえよ。きっと城下町では、お前の作り方を真似する料理人も山ほど増えるだろうさ」
ロイのかたわらで、シリィ=ロウはきゅっと唇を引き結んでいる。とりあえずは、ヴァルカスを失望させずに済みそうだった。
「ボズルも、おんなじように言ってたぜ。これで確実に、シャスカはシムから定期的に買いつけることになるだろう。糸みたいに仕上げるシャスカだって十分評判になるだろうから、ひょっとしたら城下町ではちょっとしたシャスカの流行が巻き起こるかもな」
「あはは。あまりシャスカが流行になってしまうと、フワノの売れ行きが心配になってしまいますね」
「シャスカの代わりにフワノをシムに送りつけるんだろうから、問題はねえだろ。あっちじゃあ逆に、フワノ料理が珍しいんだろうからな」
そこで会話が途切れると、レイナ=ルウが「あの」と声をあげた。
「おふたりは、すでにこちらの料理を口にしましたか? よければ、お召し上がりください」
「ん? この汁物料理は、食べた覚えがねえな。それじゃあ、いただくよ」
レイナ=ルウはひとつうなずくと、ふたり分のシチューを木皿によそった。
何気なく受け取ったシリィ=ロウが、目を光らせてその木皿に鼻を近づける。
「ネェノンを主体にしているのですか。それに、シムの香草をいくつかと、カロンの乳……あとは、ママリア酒も使っているようですね」
レイナ=ルウは、いくぶん挑むような眼差しで「はい」と応じていた。
ロイとシリィ=ロウは目と鼻でぞんぶんに検分してから、ようやく木匙を口に運ぶ。
とたんに、ロイはぎょっとしたように目を剥いた。
「こいつは、いい出来だ。あっちの汁物料理も大したもんだったけど……こいつは、お前が作ったのか?」
「はい。味を決めたのは、わたしとシーラ=ルウです」
すると、シリィ=ロウも目の光を強めながら、レイナ=ルウを見返した。
「キミュスの骨を出汁に使っているのですね。これは、ミケルの手ほどきなのでしょうか?」
「ええ。わたしたちはもうずいぶん長きにわたって、ミケルから出汁の取り方の手ほどきを受けていますので」
シリィ=ロウは、いよいよ思いつめたような眼差しになっている。
その隣で、ロイはふっと息をついていた。
「森辺の民は、アスタとミケルの両方に手ほどきを受けることができるんだもんな。そりゃあ数ヵ月で見違えるぐらい腕を上げても、おかしくはねえや」
「……ええ。すべては、アスタとミケルのおかげなのでしょう」
「いや、手ほどきを受けるほうがボンクラだったら、どんな師匠についたって成果は出せねえよ」
そう言って、ロイはネェノンのシチューをたいらげていった。
「まったく今日は、驚かされるばっかりだ。俺たちをたびたび祝宴に招いてくれて、心からありがたく思ってるよ」
「はい? それは、どういう意味でしょう?」
「今日も大いに刺激を受けたってことさ。たぶん、お前たちが城下町に招かれるときと同じような心情なんじゃねえかな」
そこでロイは、いかにも愉快げに口もとをほころばせた。
頑固で皮肉屋な彼には、いささか珍しい表情である。レイナ=ルウは、かなりびっくりした様子で目を丸くしていた。
「そ、そうですか。なんだかちょっと、意外に思います」
「そうか? ま、ヴァルカスの下についちまうと、城下町では他の料理人に刺激を受ける機会もなくなっちまうからな。どこを探したって、ヴァルカスほどの凄腕なんていやしねえからよ」
「でも、城下町にはヴァルカスと並び立つ料理人がひとりだけ存在すると聞きました。たしか、名前はダイアとか……」
「そいつは、ジェノス城の料理長だ。貴族でもなけりゃあジェノス城に招かれることもないから、ダイアの料理を口にする機会なんてありゃしねえんだよ」
そうしてロイは、空になった木皿を卓の上に置いた。
「またこういう機会があったら、できるだけ声をかけてくれよ。……それにいつかは、俺の料理も食べてもらいたいもんだな」
「……はい。わたしもそのときを楽しみにしています」
レイナ=ルウは、ちょっとおずおずと微笑んだ。
すると、押し黙っていたシリィ=ロウが、ロイの袖口を引っ張った。
「では、次のかまどに参りましょう。そのために、わざわざ腰を上げたのですからね」
「ん? ああ、そうだな。……いや、さっきまでまたミケルのところにいたんだけどよ。お前たちは森辺の民と親交を深めるために来たのだろうがって、追い出されちまったんだよ。ボズルだけは、上手いこと言って居残ってたけどな」
それは確かに、ミケルの言っているほうが正しいだろう。
そして、その甲斐あって、ロイとレイナ=ルウの親交はいくぶん深まったように感ぜられる。
ロイとシリィ=ロウが立ち去ると、レイナ=ルウはいくぶん疲れ気味に息をついた。
「あのロイという御方にああいう素直な口をきかれると、なんだか調子が狂ってしまいますね。……ああ、アスタたちも、祝宴をお楽しみください」
「うん。それじゃあ、また後で」
思わぬ長居になってしまったが、俺とアイ=ファのかまど巡りはまだ始まったばかりであったのだ。
ルティム家の面々にも挨拶をしておこうと敷物にほうに戻ってみると、そこにはいつの間にかザッシュマの姿が増えていた。
「ああ、アスタ。このルティムの親子と酒を酌み交わそうって目論見が、ようやく果たせたよ」
ダン=ルティムもガズラン=ルティムも、それぞれ楽しげに笑っている。そういえば、ザッシュマはダン=ルティムともガズラン=ルティムとも、それぞれ別の時期に親交を結んでいたのだった。
みんなの笑顔に幸福な気分を誘発されながら、俺は「またのちほど」と挨拶してみせる。
今日の仕事はすでに完了しているので、腹を満たした後はぞんぶんに彼らとも言葉を交わせるはずであった。
「縁の深まった相手が増えれば増えるほど、ひとりずつと会話をする時間が減っちゃうのが悩ましいところだな。ラウ=レイやギラン=リリンなんかも来てるはずだけど、まだ一言も喋ってないよ」
「……すべては森の思し召しだ」
アイ=ファは、なんとなく普段以上に寡黙であるように感じられた。
もしかしたら、ジバ婆さんのことが気にかかっているのだろうかと思い、尋ねてみると、「気にするな」という言葉が返ってきた。
「その前に、まずは腹ごしらえだ。ジバ婆も、何か気落ちしているわけではないのだろうから、後でゆっくり語らえばいい」
「うん、そうだよな。ただ、アイ=ファがちゃんと祝宴を楽しめているかどうか、心配になっちゃってさ」
「案ずることはない。十分に楽しんでいる」
そう言って、アイ=ファはやわらかく微笑んだ。
「私たちは、もはやルウ家の収穫祭には立ち入らぬと約定を交わした身であるからな。それでもこうして機会あるごとにルウ家の祝宴に招いてもらえるのは、私にとっても大きな喜びだ」
「そっか。それなら、よかったよ」
俺はほっと息をつきながら、アイ=ファに笑顔を返してみせた。
その間に、次のかまどが近づいてくる。
次のかまどには、さきほど以上の人々が群がっていた。
何だろうと思って覗き込んでみると、かまどではなく大きな卓だけが並べられている。そしてそこには、できたての石窯料理が並べられていたのだった。
「そっか。こいつもあったんだった。せっかくだから、俺たちもいただいていこう」
石窯用の大きな耐熱皿から、熱々のグラタンが取り分けられているさなかである。その人垣の外周に加わると、ひとりだけ色の違う背中をさらしていた娘さんが振り返ってきた。
「ああ、アスタ。アスタもこちらの料理を?」
「はい。テリア=マスは、ユーミと別行動ですか?」
「はい。ユーミは向こうで、ベンたちと語らっています」
前回の祝宴ぐらいから、テリア=マスはユーミ抜きでも動けるようになったのだ。
しかしさすがにひとりきりではないだろうと思って視線を巡らせると、斜め前にいた男女が見知った相手であった。
「ああ、アスタも仕事を終えたのですね。シャスカの料理はまたとなく美味でした。ねえ、ダルム?」
ダルム=ルウは、「まあな」と言葉少なく答えていた。
つまりは、ダルム=ルウとシーラ=ルウの若き夫妻である。《キミュスの尻尾亭》に昔から顔を出していた関係から、シーラ=ルウとテリア=マスは親しくしていたのだった。
どちらもつつましやかな気性であるので、相性もいいのだろう。そんなふたりと行動をともにしているダルム=ルウの姿が、俺にとってはちょっと新鮮であった。
そうしてテリア=マスたちと会話をしている間に、俺たちの順番が回ってくる。小皿に取り分けられたグラタンは白い湯気をたてており、ギャマの乾酪の香りが芳しかった。
「石窯料理というのも宿場町では味わえないので、とても楽しみにしていました。これは乾酪もたっぷり使っていて、贅沢ですよね」
ジバ婆さんの生誕の祝いでも、テリア=マスはこの料理を口にしているのだ。木匙を口に運んでは無邪気そうに微笑むテリア=マスが、とても可愛らしかった。
そうしてテリア=マスたちとグラタンの味を楽しんでいると、人影の向こうに巨大な頭部が浮かびあがる。たいていの人々よりも頭半分からひとつ分は大きな巨体を誇る、ミダ=ルウである。
「なんだ、美味そうなのを食ってるな。もう広場は一周したはずなのに、そんな料理は見かけなかったぞ?」
これはもちろんミダ=ルウではなく、それと一緒に姿を現した若者の言葉であった。
その声の主を見て、テリア=マスは「あら」と目を丸くする。
「レビ。それに、カーゴも……ユーミたちと一緒だったのではないのですか?」
「ああ、あっちはあいつらにまかせてきたよ。何だかしばらくは動かなそうな雰囲気だったからな」
レビとカーゴは、どちらも果実酒で頬を染めていた。それで森辺の祝宴の熱気に対する気後れもなくなったのか、とても陽気に笑っている。
そうして俺も挨拶しようとすると、「おお、アスタではないか!」という声が聞こえてきた。ミダ=ルウの巨体の影から現れたのは、ラウ=レイとヤミル=レイである。
「ああ、ようやく会えたね。ラウ=レイたちは、ミダ=ルウと一緒だったのか」
「うむ! ミダ=ルウが町で起こした騒ぎというものを、町の客人たちから聞いていたのだ!」
ラウ=レイは楽しげに笑っていたが、ミダ=ルウは所在なさげに頬を震わせていた。それはミダ=ルウにとっては、あまり触れられたくはないエピソードであろう。唯一の救いは、かつてミダ=ルウに脅かされていたレビやカーゴたちも楽しげに笑っていることだ。
「本当に人が悪いわね。ミダ=ルウをいじめて、そんなに楽しいのかしら?」
ヤミル=レイが冷ややかな目つきでねめつけると、ラウ=レイは「うむ?」と首を傾げていた。
「何もミダ=ルウをいじめているつもりなどはないぞ。ミダ=ルウはすでにその罪を贖っているのだから、べつだん気に病む必要もなかろうが?」
「だったら、何のためにそのような話を聞きほじっているのよ?」
「聞いているだけで、楽しいではないか! 俺もミダ=ルウが屋台を持ち上げる姿というのを、見てみたかったものだ!」
ラウ=レイも、ぞんぶんに酔っ払っているのだろう。見た目は中性的な美男子であるのに、豪放さではダン=ルティムにも負けていない若き家長であるのだ。
そんなラウ=レイを横目に、レビとカーゴも笑っている。
「俺たちも、色々と楽しい話を聞かされたよ。まさか、そっちの姐さんとこのミダ=ルウが、もともとは姉弟だったなんてなあ」
「ああ。それに、ミダ=ルウのほうが弟だってのも驚きだ!」
ヤミル=レイは毎日ファの家の屋台を手伝ってくれているので、レビやカーゴにとってはもちろん見知った相手であった。かつて宿場町を脅かしていたミダ=ルウがその弟であったというのは、確かに驚くべき事実であるのかもしれない。
「で、そっちのラウ=レイは姐さんと婚儀をあげる予定だってんだろ? 案外、森辺の世間ってのもせまいもんなんだな!」
「……だから、それはこの家長が勝手に言っているだけだと説明したでしょう?」
「いいじゃねえか。美男美女で、お似合いだよ!」
ラウ=レイはラウ=レイで、護衛役や復活祭などで宿場町に下りる機会が多かったので、やはりレビたちにとっては見知った相手であった。こうして点と点がつながっていくのも、親交を深めていく上で大きな醍醐味であろう。
すると、静かにそのさまを見守っていたシーラ=ルウが、会話の隙間にそっと言葉を差し込んだ。
「実はそのミダ=ルウは、わたしの弟の家の家人であるのです。屋台の商売をしている人間の半分はルウの血族であるので、そういった繋がりも目につきやすいのでしょうね」
「へえ、そうなのか! あんたの弟って、さっきテリア=マスたちと一緒に歩いてた男前だよな? あいつも何度かは見かけたことがあるよ」
「ええ。シンもラウ=レイと同じように、護衛役を担うことが多かったので」
「じゃあ、そっちのあんたは? やっぱりなんか、繋がりがあんのかな?」
カーゴが呼びかけているのは、ダルム=ルウであった。
口の重たい本人に代わって、シーラ=ルウが頬を染めつつ、にこりと微笑む。
「ダルムは、レイナ=ルウたちの兄にあたります。そして今では、わたしの伴侶ですね」
「へえ! あの4姉妹の兄弟と婚儀をあげたって話は聞いてたけど、そのお人がそうだったのか!」
「お似合いじゃねえか。遅くなっちまったけど、祝福させてくれよ」
レビとカーゴは笑いながら、果実酒の土瓶を持ち上げる。
ダルム=ルウはいくぶん困惑気味に眉をひそめつつ、「ああ」と気持ちばかり土瓶を持ち上げた。
「あ、そういえば、この料理についてでしたね。これは石窯で作る料理で、今さっき仕上がったところなのです。あちらの卓で配っていますよ」
「そっか。それじゃあ、いただこうぜ!」
賑やかなる一団は、わいわいと騒ぎながら卓のほうに寄っていった。
それを見送ってから、シーラ=ルウは伴侶に微笑みかける。
「せっかくですし、彼らともう少し言葉を交わしておきましょうか。ラウ=レイやミダ=ルウもいれば、ダルムも多少は喋りやすいでしょう?」
「……ミダ=ルウはともかく、酒の入ったラウ=レイはやかましいぞ」
「祝宴なのですから、騒がしくするのも悪いことではないでしょう? きっと町の民たちも、ダルムと言葉を交わすことを望んでいると思います」
気づかい屋であるシーラ=ルウは、自分が森辺の民と町の民を橋渡しするべきだと考えているのだろう。以前の祝宴でも、シーラ=ルウはシリィ=ロウに何かと心を砕いている印象であった。
「それじゃあ、俺たちはまたのちほど。まずは広場を一周してきますので」
次なるかまどに向かいながら、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。
「確かにルウの血族っていうのは人数が多いから、色んなところに繋がりが隠されてるよな。ふたりきりのファの家では、そういうわけにもいかないけど」
「……それが何か、不満であるのか?」
「いや、全然?」
俺が心からそう答えてみせると、アイ=ファも「そうか」と微笑んだ。
そこでばったりと、新たな一団に出くわしてしまう。その人々は、かまどとかまどの間の空間で、立ち話に興じていたようだった。
「やあ、ルド=ルウ。カミュアたちと一緒だったんだね」
「あー、アスタとアイ=ファか。腹ごなしで、ちっと休憩してたんだよ」
ルド=ルウとリミ=ルウとターラ、それにカミュア=ヨシュとレイトの5名連れである。カミュア=ヨシュは果実酒の土瓶をぶら下げていたが、その面に酔いの兆候はまったく見られなかった。
「やあ、アイ=ファ。なかなか言葉をかける機会がなかったけれど、実に美しい姿だねえ。森辺の女衆はみんな美しいけれど、やはりアイ=ファの美しさは群を抜いているようだ」
「……女衆の外見を褒めそやすのは、森辺の習わしにそぐわぬ行いだ」
「ああ、そういえばそうだったね。では、心の中に留めておくことにしよう」
カミュア=ヨシュもレイトも、にこにこと微笑んでいる。が、ふたりはいつもこんな感じの笑顔なので、あまり普段との差異は感じられなかった。
「カミュアもきちんと、宴を楽しんでおられますか?」
「もちろんだよ! どこを眺めても誰と話しても、楽しくてたまらないね。たった一晩でこの楽しさを味わいつくすことはできないに違いないよ」
「そうですか。それなら、よかったです」
だけど何だかカミュア=ヨシュは、こんな際でも一歩下がった位置から祝宴を観察しているように見えてしまった。
森辺の民や他の客人たちのように、浮かれた姿を見せないためなのだろう。これはもう、持って生まれたカミュア=ヨシュの気質なのだろうか。
「ねえねえ、踊りの時間はまだなのかなあ? 今日も、みんなで踊るんでしょ?」
と、リミ=ルウと手をつないだターラが、そのように声をあげてくる。
こちらはもう、幸福な気持ちのあふれかえった表情である。隣のリミ=ルウも同様であるので、微笑ましさも2乗の効果だ。
「うん。ひと通りの料理を楽しんだ頃合いでお菓子を出して、その後に踊りの時間を作るって話だったよ。今から、楽しみだね」
「あ、そーなの? お菓子だったら、もう出てるよ! 今、ちっちゃな子たちにそれを届けてきたところなんだもん!」
菓子の担当は、こちらの側がトゥール=ディンとリッドの女衆、ルウ家の側がリミ=ルウを指揮官とする班なのである。俺とアイ=ファがのんびりしている間に、祝宴も中盤に差し掛かっていたようだった。
「それじゃあ、俺たちもいただいてこようかな。みなさん、またのちほど」
トゥール=ディンに声をかけておきたかったので、俺とアイ=ファはいくつかのかまどを素通りして、菓子の卓を捜索することにした。
その途中で、見覚えのある男女の背中を発見する。
「やあ、シン=ルウにララ=ルウ。もしかしたら、菓子を取りに行くのかな?」
振り返ったララ=ルウが、笑顔で「うん」とうなずく。ポニーテールをほどいて真っ赤な髪を垂らしたララ=ルウは普段よりも大人びており、宴衣装もとても似合っていた。
「さっきリミたちがお菓子を出したって聞いたからさ。たぶん、あそこの人だかりだと思うんだけど」
「ああ、そうみたいだね。お邪魔じゃなければ、一緒に行こうか」
「な、なんで邪魔になったりするのさ!」
ララ=ルウは過敏に反応して、顔を赤くした。
シン=ルウはいつも通りの沈着な面持ちで、鼻の頭を指先でかいている。もう少し明るければ、そちらの顔色の変化も人目にさらされていたのかもしれない。
「そういえば、ユーミたちは一緒じゃなかったんだね。てっきりララ=ルウたちと一緒なのかと思ったよ」
「ユーミともうひとりの男衆は、あっちで誰かと喋ってたよ。えーと、ランとスドラの男衆、だったかな?」
さすがにこれだけの客人が招かれていては、いっぺんに名前を覚えることは難しいのだろう。
それにしても、ユーミとベンのペアに対してジョウ=ランにチム=スドラという組み合わせは、なかなかに面白かった。
(ジョウ=ランには、町の人間と交流を結んでみたらいいってアドバイスしたもんな。ユーミやベンだったら、おたがい気軽に話せそうだ)
そうして人の集まっている場所に到着すると、やはりそこが菓子の卓だった。トゥール=ディンとリッドの女衆、それにタリ=ルウと年配の女衆がそれぞれの菓子を配っている。
だが、それよりも先に目についたのは、トゥール=ディンの背後に立ち並んでいる人々であった。ザザの姉弟に、本日はレム=ドムまでもが加わっていたのだ。
「あら、アイ=ファ。素敵な宴衣装じゃない」
腕を組んで立ちはだかっていたレム=ドムが、艶めいた笑みをアイ=ファに差し向ける。アイ=ファはうろんげに目を細めつつ、「何をやっているのだ?」と問うた。
「わたしはスフィラ=ザザやトゥール=ディンと一緒に広場を回っていたのだけれど、トゥール=ディンの仕事が始まってしまったので、終わるのを待っているのよ。そうしたら、ゲオル=ザザまで現れちゃったのよね」
「……今日の目的は、町の民と親交を深めることではなかったのか?」
「あら、それじゃあアイ=ファは、町の人間と親交を深めたの?」
思わぬカウンターをくらってしまい、アイ=ファは口をつぐむことになった。
「まあ、いいんじゃないのかな。レム=ドムにとっては、血族のトゥール=ディンと絆を深める、貴重な機会なわけだし」
俺が取りなすと、レム=ドムは発育のいい胸をそらしながら「そうよ」と言い放った。
で、ザザ姉弟のほうは3日前にもトゥール=ディンに密着していたはずであるが、本日も同じ目的でそのように控えているのだろうか。
(まあ、仕事を終えたトゥール=ディンが案内を再開すれば、問題はないか。ゲオル=ザザたちにとっても、トゥール=ディンと親交を深める貴重な機会なんだしな)
ということで、俺たちも菓子を頂戴することにした。
トゥール=ディンらが配っているのはガトーショコラとロールケーキであり、タリ=ルウらが配っているのはチャッチ餅と蒸しプリンであった。
「お疲れさま、トゥール=ディン。何か手伝うことはないかな?」
「はい。菓子を切り分けるだけですので、ふたりもいれば十分です」
確かに、その作業もすでに終盤に差し掛かっているようだった。切り分けてしまえば、あとは好きに持っていってもらうだけであるのだ。
タリ=ルウたちのほうは、大皿で作った蒸しプリンとチャッチ餅を木皿に取り分けたのちに、カラメルや黒蜜やきなこなどをまぶしている。こちらは若干の手間ではあったが、それでも順調に作業をこなしているようだった。
「おや、シンにララ=ルウ。菓子を取りに来たのかい? トゥール=ディンたちの出している菓子も、とても美味だったよ」
「うん、あたしは前に味見させてもらったよ! その黒いやつ、すっごく甘いんだよねー!」
シン=ルウ家と家族ぐるみで仲良くしているララ=ルウは、タリ=ルウに対しても明朗そのものであった。いずれララ=ルウがシン=ルウに嫁げば、義理の母子となる間柄であるのだ。
「チャッチもちも、美味しそー! ちっちゃい子供たちにも届けてあげたんでしょ?」
「ああ、さっきリミ=ルウたちが持っていってくれたよ。幼子たちは、喜ぶだろうねえ」
それは以前の祝宴で、ユーミの提案から成立した習わしであるという話であった。5歳未満の幼子は祝宴に参席することができないが、菓子ぐらいは届けるべきではないかとユーミが提案してくれたのだそうだ。
(そういえば、そのユーミたちはどこに行ったんだろう。菓子が出されたことには気づいてるのかな)
まずは優しい味をした蒸しプリンを受け取ってから、俺は視線を巡らせた。
そこに、ユーミならぬ人物の姿を発見する。それは、サンジュラとジザ=ルウに左右をはさまれた、リフレイアの姿であった。