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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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④決意の夜

2014.9/11 更新分 2/2

2015.1/17 誤字修正

 そうして心安らぐ晩餐は、無事終了した。

 いつも通りに食器をかたし、燭台の蓋をひとつ閉めたら、さあ、厄介事と向き合うお時間だ。


「……最初に言っておくが、アスタ」


 と、両手をあげて金褐色の髪をほどきながら、アイ=ファが静かに言う。


「さきほどのガズラン=ルティムらの言葉は、すべてお前に向けられたものだ。もちろん私も家長として意見を述べ、助言を与えるが、最後に決断を下すのは、お前だ」


「ああ。わかってる」


「そして、さらに言うならば……この件に関して、ファの家の立場などは、考慮しなくてもよい」


「え?」


「これは、正当な取り引きだ。お前が失敗したところで誰が罰を受けるわけではないし、お前が成功したところでファとルティムの縁が深くなるわけでもない。代価の他には得るものも失うものも存在しないのだ」


 ほどけた髪が、薄闇にふわりと舞う。

 未婚の女は原則として髪を切らないので、アイ=ファの髪はとても長い。


「……それじゃあ、あのおふたりはどうなるのかな? 俺が失敗をしたら――どうなる?」


「どうにもならん。眷族の信頼を失い、嘲笑をあびるだけであろう。ルティムの後継ぎはみずからの婚儀を台無しにして、愚にもつかないお遊び事に狩人の誇りを投じようとした痴れ者だ、とな」


「おお。こういうときは、ズバズバ言ってくれるお前の性格が本当にありがたいよ。……あー! 本当にどうすっかなー!」


「大きな声を出すな。……何を悩んでいるのだ、お前は? 私には、負ける心配もない安全な勝負事だとしか思えないのだが」


 と、壁にもたれたアイ=ファが小首を傾げる。


「ガズラン=ルティムらが求めているのは、お前がこれまでに作りあげてきた料理なのだ。何も奇をてらう必要はない。すてーきと、はんばーぐと、すーぷと、焼いたポイタン……それだけで、宴に集まった人間のほとんどは驚き、衝撃を受けるだろう」


「それはそうかもしれないけど……でも本来、宴では鍋に色々な野菜をぶちこんで贅をつくすものなんだろ? 昨日、ミーア・レイのおっかさんがそう言ってたじゃないか? だから俺は、ぶっつけ本番でティノやらプラやらを使ってもらう決断を下したんだし」


 またアイ=ファが髪を揺らす。

 獣脂蝋燭の燃えが悪いのか、何だかいつも以上に表情が見えにくい。


「だからさ、どんなに今まで見たことがないような料理が出てきても、本来使われるべき色とりどりの野菜がほとんど使われていなかったら、そこに不満を感じたり、違和感を持ったり、怒りだす人たちもいるかもしれないじゃないか? その上、俺の料理が口に合わなかったりしたら――その人にとっては、せっかくの宴が台無しになっちまうだろう?」


「…………」


「しかも今回は本番の結婚式だ。頭の固いじーさまだとか、ドンダ=ルウ以上に偏屈な親父さんだとか、そういう人間にとっては今まで通りの、ポイタンを煮込んだ鍋のほうがいい、って可能性もある。100人いれば100人の好みがある。そんな当たり前のことを忘れていたばっかりに、俺はドンダ=ルウひとりにけなされまくっただけで料理人としての誇りを傷つけられちまったんだ。もうそんな、誰もが無条件に俺の料理を受け容れてくれるんだ、なんていう絵空事を信じる気にはなれないね」


「アスタ。お前は……いったい何をそのように恐れているのだ? 私にはわからない」


 けげんそうな響きをおびた、アイ=ファの声。


「それでもガズラン=ルティムは、お前にかまど番をまかせたいと願った。自分にとって一番大事な宴において、かけがえのない眷族にふるまわれるその夜の生命。それをお前に託したいと願っている。それはとても、栄誉なことではないのか――?」


「栄誉だよ。身にあまる栄誉だからこそ、こうして怖気づいてるんじゃないか。あのガズラン=ルティムとアマ=ミンが、心の底から俺を信頼して、こんな重大な仕事をまかせてくれようとしている。それがはっきり感じ取れるからこそ――俺は、怖いんだ」


「……やはり私には、わからんな」


 アイ=ファの影が、肩をすくめる。

 俺は立ち上がり、アイ=ファの目の前まで足を進めて、また腰を下ろした。


「……何だ?」とアイ=ファが不審げに俺を見る。

 ほんの少し眉をひそめて、想像していたよりはずっと穏やかな目つきで。


「ごめん。お前の表情が見えなくて不安になった。こんな至近距離が鬱陶しかったら、もうひとつ燭台を点けさせてくれ」


 アイ=ファは、ゆるゆると首を振り、言った。


「アスタ。お前はあのドンダ=ルウとの約定をも果たすことがかなったというのに、そこまでの不安を抱えこんでいるのか? 自分の料理に関してお前がそこまで気弱な姿をさらすのは、これが初めてだ」


「……今までは、自分の感情がからんでいたからな。リミ=ルウやジバ=ルウの力になりたいだとか、何とかドンダ=ルウを納得させたいだとか、そういう強い気持ちがあったから、ちょっと無謀な勝負にでも挑むことができたんだろう。でも――今回は、違う」


 アイ=ファの綺麗な青い瞳を見つめながら、俺は言った。


「ガズラン=ルティムたちには恩も縁もない。あの人たちが正しいことを言っているのかもわからない。自分が関わってしまうことが正しいことなのかもわからない。だって、俺は――」


「この世界の人間ではない、からか?」


 アイ=ファの目が、少し不機嫌そうに光った。


「……やっぱり今のお前は目が曇っているようだな、アスタ。ドンダ=ルウと相対したときにはあれほど正しい道を見つけだすことができたお前であるはずなのに、今のお前には、何も見えていない」


「な、何がだよ?」


「わからぬのか。恩も縁も必要ない。正しいか正しくないかも関係ない。それを決めるのはお前ではない、とガズラン=ルティムも言っていたではないか。――ただあの者たちは、お前の力を欲しているだけなのだ」


 いきなり、腕をつかまれた。

 ただでさえ近かったアイ=ファの顔が、すうっと鼻先にまで近づいてくる。

 晩餐の残り香をかきわけて――アイ=ファの香りも、近づいてくる。


「お前の価値を決めるのはお前ではない。ガズラン=ルティムとアマ=ミンだ。恩も、縁も、善意も、厚意も、そんなものは関係がないし、必要もない。あの者たちは、ただお前の力を認め、その力を一晩だけ『売ってくれ』と言ったのだ。それが、代価を支払う、ということであろう」


「それは……」


「それで思ったような成果を得られるかどうか、そんなものは買った人間の責任であり、売った人間が気に病む話ではない。アスタ、お前は――」


 と、ちょっとアイ=ファは考えこむような表情になり、やがて言った。


「……お前は今日、宿場町で都の食べ物を買ったな、アスタ?」


「ああ。美味くもなかったが、不味くもなかった」


「どうしてそのようなものを、銅貨をはたいて買ったのだ?」


「え? それは……ただ美味そうな匂いがして、見た目も悪くはなかったからだよ」


「それは代価に相応しい味だったか?」


「いや、果実酒1本分の値段は高いと感じたな」


「ならば文句を言いたてて、銅貨を返せと抜かす気になれるか?」


 俺は――

 何かが、見えた気がした。


「お前はあの食べ物に価値を見出して、代価を支払った。ガズラン=ルティムたちもお前の料理に価値を見出して、代価を支払いたいと言っている。買った後に買った人間がどう思うかは勝手だが、不満に思っても文句のつけようはない」


「アイ=ファ……」


「しかもガズラン=ルティムたちは、すでにお前の料理の味を知っている。その味を求めて、代価を支払うと言いたてておるのだ。お前はお前の故郷で料理を作り、それを売ることを生業にしていたと言っていたのに、どうしてそれを拒むのだ? ……私には、それがわからない」


「わかった――わかったよ、アイ=ファ。俺は自分が何を怖がっているのかが、やっとわかった」


 ガズラン=ルティムたちは、本当にただの「客」なのだ。


 縁はない。恩もない。何のしがらみもありゃしない。この話を断ったって、文句を言われる筋合いもない。俺の料理にケチをつける人間がいたって、俺が責任を感じる必要はない。


 だからこそ――俺は、怖かったのだ。

 何の責任も問われないからこそ、俺は怖かったのだ。


 自分の料理に「値段」がつけられて、「商品」として扱われることが――俺には、何より怖かったのだ。


「俺は……自分で店を開いていたわけじゃない。店をやっていたのは親父で、俺はそれを手伝っていたに過ぎないんだ」


 頭に浮かんだ想念をもっと明確な形にするために、俺はそれを口に出してみることにした。


 アイ=ファは、静かに聞いてくれている。


「お客が代価を払っていたのは、俺の親父の料理に対してだ。俺が飯を炊き、俺が肉を焼き、俺が野菜を刻んだとしても――あれはやっぱり、俺の料理じゃなく、親父の料理だったんだよ。俺は、そう思っている」


「ああ」


「そして俺は、この世界にやってきた。お前という人間に出会って、お前と自分のために料理を作り始めた。そしてリミ=ルウに出会い、ジバ=ルウに出会い、ドンダ=ルウに出会った。それで何人もの人に料理をふるまうことになったけど――それは商売でやっていたことじゃない。自分が食べさせたいと思った相手に、食べさせただけだ」


「ああ」


「だから昨日のドンダ=ルウに対しては、自分では手を出さなかった。料理人としての俺は必要されていない。だったら家族で作りあげる家庭料理こそが、あの親父さんの心を満足させる料理なんだろうと思ったから」


「ああ」


「それで、今度は――その逆で、料理人としての俺が、求められてるってわけなんだな」


 ぶるっと背筋に悪寒が走る。

 日中よりは涼しいとはいえ、こんな薄着で過ごせる世界なのに――かたかたと膝が震え始めてしまう。


「それが俺には――怖いんだ」


「…………」


「ルウの人たちが祝福してくれたのとはわけが違う。半人前の俺の料理に、代価を支払う価値なんてあるのかどうか。それを、縁も恩もない相手に、公平に、冷静に判断されるのが――たぶん、俺には怖いんだ」


「お前はそのように言うが――」と、いったん引いたアイ=ファの顔が、また近づいてくる。


「さっきまではくすんでいた目に、光が戻ってきたようだな」


「ああ……だってこれは、俺が生まれて初めて料理人としての腕を見込まれたってことなんだからな。無茶苦茶に怖いし――無茶苦茶に誇らしいよ」


「では、この話を受けるのか?」


「……受けたい」と、俺は言葉を搾りだした。

 胃袋がぎゅっと縮まって、食べたばかりの肉やポイタンが押し出されてきそうだ。


「あの人たちが、そこまで見込んでくれたんなら……代価に相応しい働きをしたい。料理人として、恥ずかしくない仕事をしたい」


 震えが、止まらない。

 本当に、吐いてしまいそうだ。

 自分はこんなに意気地のない人間だったのかと、びっくりしてしまう。


 すると――アイ=ファの手の平が、俺の頬に触れてきた。

 ほとんど触れるか触れないかぐらいの、ひそやかさで。


 アイ=ファの瞳が、ものすごく間近から、俺を見ている。


「……私も、誇らしい」と、アイ=ファは静かにつぶやいた。


 そうしてアイ=ファに見つめられていると――やがて、俺の震えは、止まった。

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