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異世界料理道  作者: EDA
第三十三章 大神の子
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青の月の一日②~宴の準備~

2018.2/23 更新分 1/1 ・2018.4/16 タイトルおよび文章を修正

 12名の客人と2名の同胞とともに、俺はいざルウの集落の広場へと足を踏み入れた。

 もちろん広場では、慌ただしく祝宴の準備が進められている。簡易型の石のかまどがいくつも組まれて、あちこちの家からは白い煙がたちのぼっており、呑気そうにしているのは年端もいかない幼子たちだけだ。


 初めて集落を訪れるザッシュマとボズル、それにベンたち3名の若者は、好奇心の塊となって視線を巡らせている。およそ7ヶ月ぶりで2度目の来訪となるシリィ=ロウやロイはいくぶん緊張の面持ちで、それを除く面々はきわめて楽しげな様子であった。


「それではまず、ルウの本家にご挨拶をします。族長の伴侶であるミーア・レイ=ルウはかまど小屋にいるはずですので、こちらにどうぞ」


 遠くのほうから手を振ってくる分家の女衆に手を振り返しつつ、俺は広場を横断していった。

 広場の真ん中には、すでに儀式の火のための薪の山が組み上げられている。それを迂回して、母屋の裏手に回り込むと、早くもかまど小屋の熱気と活気が伝わってきた。


「やあ、到着したんだね。ルウの家にようこそ、客人がた」


 かまど小屋の扉は開け放たれていたので、俺が入り口に立つとすぐにミーア・レイ母さんが出てきてくれた。

 ずらりと並んだ客人たちに、明るく朗らかな光をたたえたミーア・レイ母さんの目が向けられていく。


「よく来てくれたね。家長のドンダに代わって、まずはあたしがご挨拶をさせていただくよ。初めて顔をあわせる人らは、名前を聞かせてもらえるかい?」


 ザッシュマとボズル、ベンとレビとカーゴがそれぞれに名乗りをあげる。ミーア・レイ母さんはうんうんとうなずきながら、いっそうにこやかに微笑んだ。


「あたしはルウ本家の家長ドンダの嫁、ミーア・レイ=ルウってもんだ。あんたがたを、歓迎させていただくよ。アスタたちも、ご苦労だったね」


「はい。それじゃあ俺たちは、仕事に取りかからせていただきますね。ギルルたちはこちらにお預けしていいですか?」


「ああ、かまわないよ。それに、鋼もこっちで預からせていただこうかね」


 男性陣が、おのおの腰の武器を差し出す。カミュア=ヨシュやザッシュマはもちろん、レイトやベンたちも短剣を所持していたのだ。


「うん、あたしひとりじゃ落としちまいそうだ。ヴィナ、ちょいと手伝ってもらえるかい?」


「ええ、何かしらぁ……?」というけだるげな声とともに、ヴィナ=ルウが優美な足取りで登場する。

 もちろん屋台で働いているヴィナ=ルウのことは誰もが見知っているはずであったが、ベンたちはちょっと目を丸くしていた。宿場町に下りる際はヴェールやショールでその身を包むのが森辺の女衆の習わしであるので、艶やかな肌をあらわにしているヴィナ=ルウの色香に戸惑っているのかもしれない。


「ちょいと鋼を預かっておくれよ。こっちの長いのはあたしが引き受けるからさ」


「ああ、そう……それじゃあ、鋼をお預かりするわぁ……」


 ヴィナ=ルウは、普段通りの様子でベンたちに手を差しのべる。3名の若衆は大いにドギマギしながら、その手の短剣を引き渡すことになった。


「あ、アスタ。家に着いたら、アイ=ファが声をかけろって言ってたよ。アイ=ファは本家の寝所で、ジバと話してるからね」


「わかりました。ティアはどこにいますか?」


「あの娘も、アイ=ファやジバと一緒だよ。ジバがあの娘と話したいって言いだしてね」


 ミーア・レイ母さんのその言葉に、カミュア=ヨシュがきらりと目を光らせた。


「赤き野人もこちらに連れて来られていたのですね。よかったら、俺も言葉を交わさせていただけませんか?」


「うん? ジェノスの民は、なるべく赤き野人と顔をあわさないようにって話だったけど……そういえば、あんたは余所の生まれなんだよね」


「ええ。故郷を持たない、流浪の身です。ジェノス侯にも赤き野人と言葉を交わす許しは得ていますので、是非よろしくお願いします」


 そういえば、カミュア=ヨシュはもともとティアに対して強い好奇心を覚えていたようなのだ。

 ミーア・レイ母さんは、「了解したよ」と笑顔でうなずいた。


「それじゃあ、他のお人らはどうするかね? またかまど仕事の見学かい?」


「はい。我々はミケル殿とマイム殿にご挨拶させていただきたいのですが、よろしいでしょうかな?」


 ボズルの言葉も、快く了承されることになった。シリィ=ロウとロイも、それに同行するようだ。


「あたしらは、片っ端から挨拶させていただくよ。あんたたちは、どうするの?」


「よくわかんねえから、とりあえずはお前にくっついてくよ。色々と見て回ってみたいしな」


 残りのメンバーは、ユーミを隊長として挨拶回りを敢行する様子である。赤き野人に興味のないザッシュマも、そちらに同行を願い出ていた。


「それじゃあ、後はお好きなように。この鋼を片付けたら、ミケルのところまで案内するよ」


 ということで、俺たちはひとまず二手に分かれることになった。ユーミたちは本家のかまど小屋から見学を開始して、残りのメンバーはいったん本家の母屋を目指す。

 そうしてミーア・レイ母さんが母屋の戸板の前に立つと、向こう側から「バウッ」という声が聞こえてきた。

 たちまちシリィ=ロウが、ロイの背中に隠れてしまう。


「な、何ですか? 今のは、犬の声のように聞こえましたが」


「あ、はい。俺の家の番犬ですね。今日は犬たちも一緒にお邪魔させてもらっているのです」


 トゥラン伯爵邸では夜間に番犬を放っていたはずなので、シリィ=ロウたちも犬というのは見知った存在なのだろう。

 しかし、何故かしらシリィ=ロウは青い顔をして、ロイの背中に取りすがってしまっていた。


「えーと、もしかしたら、シリィ=ロウは犬が苦手なのですか?」


「い、犬というのは取り扱いを間違えると、非常に危険な獣です。警戒するのが当然でしょう?」


「大丈夫ですよ。うちの犬は、むやみに人を襲ったりはしませんので」


 笑いながら戸板に手をかけたミーア・レイ母さんは、そこで思いなおしたように俺のほうを振り返ってきた。


「あ、だけど、ファの家のジルベはグリギの実を身につけていない人間は敵と見なすって話だったっけ?」


「いえ、俺やアイ=ファがそばにいれば、危険なことはありません。シリィ=ロウも、どうぞご心配なく」


 そうしてようやく戸板が引き開けられると、ジルベが勢いよく飛び出してきて、シリィ=ロウに「ひゃあ!」という悲鳴をあげさせることになった。

 だけどジルベは、俺の帰還を喜んでくれているだけだった。俺の足もとに着地した後は、嬉しそうに尻尾を振るばかりである。


「な、何ですか! そ、それは本当に犬なのですか!?」


「はい。王都で貴族の警護をするために育てられた、獅子犬という種類の犬であるそうです」


 俺はそのように説明してみせたが、シリィ=ロウはロイの背中にへばりついたまま、ガタガタと震えていた。ロイは溜息をつきながら、褐色の髪をかき回している。


「あのな、シリィ=ロウ。あんな馬鹿でかい犬が襲いかかってきたら、俺なんて盾にもなりゃしねえと思うぞ?」


「そ、そ、それでもないよりはマシです!」


「盾あつかいは否定しねえのかよ」


 ロイは口をへの字にして、ボズルは豪快な笑い声をあげた。


「獅子犬というのは初めて目にしましたが、なかなか可愛いらしい面立ちをしておりますな。それで、そちらは猟犬ですか?」


「あ、はい。これも俺の家の猟犬です」


 ルウの家の猟犬たちは仕事で出払っているので、その場にいるのはジルベとブレイブのみであった。

 ジルベほど甘えん坊ではないブレイブは、土間に控えたまま黒い瞳で俺たちを見つめている。


「それじゃあ、鋼を置いてこようかね。アスタ、アイ=ファを呼んでこようか?」


「いえ、ティアに一声かけておきたいので、俺もお邪魔させてください」


 ということで、刀を抱えたミーア・レイ母さんとヴィナ=ルウ、俺とカミュア=ヨシュとレイトの5名だけが、戸板をくぐることになった。

 入ってすぐの広間は、無人である。その壁際に客人の刀を並べてから、ミーア・レイ母さんはジバ婆さんの寝所へと案内してくれた。


「ジバ、アスタと客人をお連れしたよ」


 ミーア・レイ母さんが声をかけると、「お入り……」という返事が聞こえてきた。

 戸板を開けると、寝具の上にジバ婆さんが座しており、そのすぐそばにアイ=ファとティアの姿があった。


「ジバ=ルウ、おひさしぶりです。アイ=ファ、ティア、いま戻ったよ」


 ジバ婆さんは笑顔で、アイ=ファは無表情にうなずき返してくる。そしてティアは、左足だけでぴょこんと立ち上がった。


「アスタ、無事に戻ったのだな。何も災厄には見舞われなかったか?」


「うん、もちろん。ティアもお行儀よくしていたかい?」


「うむ。今はルウ家の最長老に呼ばれて、話をしていた」


 いったいジバ婆さんは、ティアに何の話があったのだろう。

 俺がそれを問う前に、カミュア=ヨシュがひょこりと寝所を覗き込んだ。


「ご無沙汰しておりました、最長老ジバ=ルウ。ご壮健のようで何よりです」


「ああ、客人っていうのはあんただったのかい、カミュア=ヨシュ……あんたも元気そうだねえ……」


「ええ、おかげさまで。本日はルウ家の祝宴に招いていただき、心から嬉しく思っています」


 まずは尋常な、再会の挨拶である。

 それからカミュア=ヨシュは、不思議な透徹した眼差しでティアを見やった。


「それが、モルガの赤き野人なのですね。よかったら、俺も彼女の話を一緒に聞かせていただけませんか?」


「ふうん? あたしはもちろん、かまいはしないけれど……あんたのほうはどうなんだい、ティア……?」


「ティアは、森辺の民ではない人間とはあまり言葉を交わさないようにと、族長ドンダ=ルウに言われている」


 ティアが真剣な面持ちでそう述べたてると、カミュア=ヨシュはにこりと微笑んだ。


「大丈夫、俺はジェノスの民ではなく、故郷を持たない風来坊なんだ。俺が君と言葉を交わすことは、ジェノス侯爵からも了承をいただいているよ」


「よくわからないが、ティアは森辺の民の言葉に従う」


 ティアの視線を受けて、ミーア・レイ母さんも微笑んだ。


「あんたを町の人間から遠ざけるようにと言いつけたのは、そのジェノス侯爵ってお人なんだよ。ジェノス侯爵が了承したってんなら、あたしらも何も文句はないね」


「そうか。だったら、ティアはかまわない」


 カミュア=ヨシュはひとつうなずくと、後ろに控えていたレイトを呼び寄せた。


「このレイトも、もとはジェノスの民でしたが、今では俺の預かりとなっています。よければ、ふたりでお邪魔させていただけますか、ジバ=ルウ?」


「ああ、かまわないよ……好きなところに座っておくれ……」


 カミュア=ヨシュとレイトが入室し、それと入れ替わりで立ち上がったアイ=ファが、俺の耳もとに口を寄せてくる。


「ティアだけをジバ婆のもとには残しておけないので、私も話が終わるまでは、ともにあろうと思う。お前はお前の仕事を果たすがいい」


「うん、了解。……だけどジバ婆さんは、ティアと何の話をしてるんだ?」


「ジバ婆は、モルガの山での暮らしというものに興味があるらしい。私たちがルウの集落に到着してから、ずっとその話を続けている」


 休息の期間にあるアイ=ファは、中天まで家の仕事と狩人の鍛錬に取り組んだのち、ティアとともにルウの集落を訪れたはずだった。それからすでに、2時間以上は経過していることになる。


「まあ確かに、赤き民というのはずいぶん風変わりな生活に身を置いているようだ。ジバ婆が興味を持つのも、わからなくはない」


「そっか。機会があったら、俺も聞かせていただくよ」


 しかし今は、自分の仕事を果たさなくてはならない。ルウ家に招かれたかまど番は、俺の指揮のもとに宴料理を作製する手はずになっていたのだった。


「それじゃあ、俺はこれで失礼します。ジバ=ルウ、またのちほど」


「ああ……美味しい料理を期待しているよ、アスタ……」


 やわらかく微笑むジバ婆さんと、名残惜しそうな顔をしているティアにも挨拶をしてから、俺とミーア・レイ母さんは寝室を後にした。

 そうして家の外に向かいながら、ミーア・レイ母さんが笑いかけてくる。


「あのティアってのは、不思議な娘だね。でも、とても純真な性根をしているようだから、掟さえ許せば同胞に迎え入れたいぐらいだね」


「ええ、俺もそう思います」


 だけどそれは、ジェノスの法でも赤き民の掟でも、許されない話なのである。

 いや、いったん山を下りた身であるのだから、赤き民の掟は関係ないのかもしれないが、それでもジェノスの法だけは動かすことができない。それに、ティア自身がモルガの山に帰ることを強く望んでいるのだから、何を考えても詮無きことであった。


(誰だって、故郷に戻れるなら、それが一番だ。そのときが来たら、笑顔でティアを送り出してあげなくっちゃな)


 そして、故郷に戻るすべを失った俺にとっては、この森辺の集落こそが故郷である。

 たとえ余所の土地でどのように温かく迎え入れられたとしても、俺の幸福はこの場所にしかない。だから俺は、ティアの幸福のためにも、一日も早く故郷に返してあげたかった。


「あ、アスタ。もうよろしいのですか?」


 玄関口に戻ると、ユン=スドラとトゥール=ディンはジルベやブレイブとたわむれていた。

 ボズルたちはヴィナ=ルウがミケルのもとに案内してくれたそうで、すでに姿はない。ならば俺たちも、いよいよ仕事を開始する刻限であった。


「タリ=ルウには話をつけてるから、あっちのかまど小屋は自由に使っておくれ。アスタたちの宴料理を楽しみにしているよ」


 ミーア・レイ母さんにも別れを告げて、俺たちはシン=ルウ家のかまど小屋へと出陣した。本日は、そこで仕事に取り組ませていただく手はずになっていたのだ。


 そうしてシン=ルウ家に向かうと、家の横手でリャダ=ルウと次兄の少年が木の棒で剣術の鍛錬に励んでいた。

 俺たちの接近に気づいたリャダ=ルウが、手を止めて向きなおってくる。


「アスタ、来たのだな。他の女衆は、すでに仕事を始めているぞ」


「ありがとうございます。それでは、かまど小屋をお借りしますね」


 俺たちが通りすぎようとすると、次兄の少年も微笑みながら頭を下げてきた。

 あと1年で狩人見習いの13歳に至る、シン=ルウの上の弟である。すらりとした体格は父親や兄に似ていたが、優しげな面立ちは母親に似ているように感じられる。こんなに可愛らしい姿をした少年があと1年ていどで森に出るというのは、なかなか信じ難いところであった。


(まあ、シン=ルウやルド=ルウなんかも、これぐらいの頃はさぞかし可愛かったんだろうな)


 そんな感慨を胸に、俺はかまど小屋の戸板をノックした。

「はい」という返事とともに戸板が開けられると、そこに立っているのはフォウ家の若い女衆である。


「ああ、お待ちしていました、アスタ。それに、ユン=スドラとトゥール=ディンも、お疲れさまです」


 かまど小屋の奥には、ランとリッドの女衆も待ち受けていた。

 これが本日の、俺の部隊の総メンバーである。ファの近在の6氏族も親睦の祝宴に参席したいと願い出たところ、男女1名ずつの参席が許されたため、かまど番は早めに集合するように取り決めていたのだ。


「とりあえず、野菜の下ごしらえを始めていました。切り分けた野菜は、あちらとあちらの鉄鍋に集めておきましたので」


「ありがとうございます。俺たちもすぐに準備しますので、そのまま作業を進めてください」


 日没までは、残り3時間ていどであろう。先乗りした3名がとどこおりなく作業を進めてくれていたので、焦ることなく仕事を始められそうだった。


 初めてルウ家の祝宴に招かれた3名は、とても昂揚した面持ちで仕事に取り組んでいる。なおかつ、宿場町の商売に参加していない彼女たちは、かねてより噂に聞いていた町の人々と絆を結ぶ機会を得て、そちらでも胸を弾ませていたのだった。


「フォウの家でもギバの肉を町で売るようになって、多少は町の民とも顔をあわせる機会は増えましたが……それでも屋台の仕事に比べれば時間も短いですし、数日の一度のことですので、アスタたちとは比べ物にならないと思います」


「リッドの家などは、そういう機会すらありませんでしたからね。今日の祝宴は本当に楽しみで、昨日の夜などはなかなか寝つけないほどでした」


 作業の手は止めないままに、皆はそのように述べていた。

 水瓶の水で手を清めて、自分の仕事を開始しながら、俺はそちらに笑いかけてみせる。


「町の民との交流をそんな風に楽しみにしてくれるというのが、俺にとっては嬉しい話です。1年前には考えられなかったことですよね」


「だって、町での祭やルウ家の宴に参加した人間は、みんな楽しそうにしていましたもの。わたしたちは、それをずっと羨ましく思っていたのです」


 ランの女衆がそう言うと、リッドの女衆も「そうですよ」と賛同を示した。


「家長会議でザザの家もファの家の商売を正しい行いと認めてくれたら、わたしたちリッドの人間もアスタの手伝いをできるようになるはずです。そのときは、どうかよろしくお願いいたします」


「はい。そうなることを、俺も心から願っています」


 その家長会議も、もはや9日後に迫っている。宿場町での商売は、森辺の民にとって毒となるのか薬となるのか、その場でついに決を取られることになるのだ。


 否定的な立場を取っていたザザ家とベイム家とラヴィッツ家は、この1年で心を動かすことになったのか。中立派であったサウティ家は、どういう心情か。そして、それ以外の氏族は、今でもファの家を支持してくれているのか。きっと大丈夫だと念じながらも、心の片隅では緊張と不安をぬぐえないところであった。


 そんな風に言葉を交わしあっている間に、時間は刻々と流れていく。

 やがてかまど小屋の戸板が叩かれたのは、およそ1時間ていどが経過した頃だった。


「おお、アスタ殿はこちらでしたか。表にいた御方に入室を許されたのですが、お邪魔してもかまいせんでしょうかな?」


 それは、ボズルの率いる料理人の一団であった。

「もちろんです」と、俺は笑顔で応じてみせる。


「こちらは城下町から招待された、料理人のみなさんです。このかまど小屋にいる6名は、別の家から招待されたかまど番です」


 俺がそのように紹介すると、初お目見えの3名同士がそれぞれ目礼で挨拶をした。


「ボズルたちは、今までミケルたちのところにいたのですか?」


「ええ。それから順番に、厨を見学させてもらっております。どの家でも、非常に興味深い仕事のさまを目にすることがかないました」


 ボズルは、すっかりご満悦の様子である。

 ロイは相変わらずの仏頂面で、シリィ=ロウはやや張り詰めた面持ちをしている。7ヶ月ぶりにミケルと相対して、彼らがどのような心境に至ったのか、その表情から推し量るのは難しかった。


「このように申しては何ですが、料理に取り組んでいる人々の質の高さに、いささか驚かされてもおります。なんというか、家の仕事をしているというよりは、全員が職業人として調理に取り組んでいるような気配を感じるのです」


「ああ、森辺の民はとても勤勉ですからね。特に今日は、普段以上に労力のかかる宴料理に取り組んでいるので、余計に気が張っているのではないでしょうか」


「なるほど。それでいて、誰もが楽しそうにしているのが、とても印象的でしたな。我々も、商売とはいえ調理を楽しむ気持ちは忘れたくないものです」


 さすがは年の功というべきか、ボズルの言葉にはなかなかの重みが感じられた。

 それでいて、お顔のほうはにこにこと大らかな笑みを浮かべている。ボズルだったら、ダン=ルティムとも気兼ねなく酒杯を交わせそうである。


「なあ、今日は本当にシャスカを出すつもりなのか?」


 と、トゥール=ディンたちの仕事っぷりを検分していたロイがそのように述べてきたので、俺は「はい」とうなずいてみせる。


「昨日も一昨日もずっとその研究に取り組んで、ようやく理想に近い形に仕上げることができたのです。少量ずつでも全員に行き渡るように準備しますので、ぜひご感想をお願いしますね」


「言われなくったって、そうさせてもらうさ。まさか、2日やそこらでシャスカの料理を完成させちまうとはな」


 すると、シリィ=ロウも鋭い眼差しを俺に向けてきた。


「いくら数にゆとりがあったとはいえ、もともとはヴァルカスが個人的に商売の話を取り付けたシャスカを大量に使うのです。もしも粗末な料理を出すようでしたら、ヴァルカスを失望させることになりますよ」


「はい。自分としては満足な出来栄えであったので、みなさんの口に合うかどうか、とても楽しみにしています」


 それは俺の、心からの言葉であった。

 自分の愛する白米に似たシャスカを、他の人々にも美味しいと思ってもらえるのかどうか。今のところ、試食をお願いしたアイ=ファや森辺のかまど番には好評であったので、町の人々の反応が気になるところであった。


 ともあれ、今はまだまだ下ごしらえの段階だ。炊きたてのシャスカを味わっていただくためには、時間を逆算してきっちり仕上げる必要があるだろう。

 俺は大いなる高揚感と期待感を胸に、仕事に取り組むことができた。

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