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異世界料理道  作者: EDA
第三十三章 大神の子
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緑の月の二十九日③~意外な申し出~

2018.2/21 更新分 1/1 ・2018.4/16 タイトルおよび文章を修正

 そうして半刻ほどの時間を置いて、ようやく鉄鍋の蓋が取り払われた。

 白い蒸気が、もわっとあふれだす。その甘くてまろやかな香気は、嫌でも俺の期待をかきたてた。


 見た感じ、想定外の事態は起きていないように感ぜられる。

 シャスカはその実の一粒ずつがふっくらと仕上がって、つやつやと白く照り輝いている。

 俺としては満足な仕上がりであったが、同じように鉄鍋を覗き込んだ人々からは驚きの声があがっていた。


「なんだかずいぶんと、量が多くなっていませんか? ほとんど倍以上の量になっているように思えます」


「うん。シャスカが水を吸ったせいだろうね。もともとの作り方でも、シャスカはけっこう膨らんでいるんだと思うよ」


 そのように答えながら、俺は大きめの木べらでシャスカをほぐしていく。

 やはりどの鍋のシャスカも手応えが重く、粘性が強いように思えるが、しかし見た目や香りは限りなく白米に近い。期待は、いや増すいっぽうであった。


「では、味をお確かめください。こちらの皿に、ひと口分ずつよそっていきますので」


 4種のシャスカを木皿によそい、俺はそれを30名からの料理人たちに回してもらった。

 鍋の内側は、ほとんど焦げついていない。水の量にゆとりがあったのか、はたまたシャスカが米よりも焦げにくい性質であるのか、今のところは不明だ。


 ともあれ、人数分の皿を回してから、俺もいざ試食に挑ませてもらうことにした。

 まずは、水研ぎをせず、『湯取り方』も行わなかったシャスカだ。

 俺の予測では、これがもっとも強い粘性を残していることになる。


 木匙ですくったそのシャスカを口に投じると、確かに凄まじい粘性であった。

 通常の餅米よりも、さらに手ごわい。噛んでいると、口の中で餅ができあがってしまいそうな感覚だ。


 しかし俺は、失望するより先に、その味わいに快哉を叫びたい気分であった。

 確かにこれは、餅とそっくりの味である。それはつまり、このシャスカの味がそれだけ餅米に近かった、という事実を示していたのだった。


「何だか不思議な食感ですね。いつ呑み込んでいいのかもわからないぐらいです」


 そのように述べながら、マイムは実に楽しげな表情であった。

 そちらにうなずき返しつつ、俺はお次のシャスカをすくいあげる。

 水研ぎをしたが、『湯取り方』は行っていないシャスカだ。

 これはわずかに――本当にわずかにであるが、粘性が緩和されているような気がした。

 それでも、十分にねっとりとしている。俺が知る餅米よりは、はっきりと粘り気が強い。


 お次は、水研ぎをせず、『湯取り方』のみ行ったシャスカだ。

 これは、最前のシャスカとほとんど差異が見られなかった。

 ということは、水研ぎも『湯取り方』も、粘性を緩和させるにはそれぞれ有効である、という証になる。


 そんな期待を込めて、俺は最後のシャスカを口にした。

 水研ぎと『湯取り方』の両方を実践した分だ。


 これは――俺の知る餅米と、きわめて近い食感であるように思えた。

 赤飯やおはぎであったら、これぐらいの粘り気がちょうどいいぐらいだろう。これまでは、米に似た何かを食べているという感覚であったが、これは米そのものだと言われても納得できそうな仕上がりだった。


 しかし、あくまでそれは餅米の範疇である。

 俺が日常的に食べていた、うるち米のそれではない。ここからさらに粘り気を緩和させなければ、俺の理想には届かないだろう。


 だけど俺は、ひとりで感動してしまっていた。

 一年以上ぶりに、米を味わっているような喜びを得ることができたのである。こんな感動を覚えたのは、『ギバ・カレー』のプロトタイプを完成させたとき以来のことであった。


 もっと水研ぎに時間をかけるか、それとももっとたっぷりの水で『湯取り法』を行うかすれば、もう少しは粘性を抑えることができるだろう。

 そうしたら、俺は理想通りの味を手にすることができるかもしれない。

 そんな風に考えるだけで、俺はむやみに昂揚してしまった。


「これはなかなか愉快な食感だね。アスタ殿としては、満足のいく仕上がりだったのかな?」


 同じものをたいらげたポルアースが、笑顔で問うてくる。

 俺は胸中の感動を何とか抑えつけつつ、そちらに向きなおった。


「そうだとも言えるし、そうではないとも言えるようです。このシャスカが俺の知る食材ときわめて似ているということは確認できましたが、仕上がりにはまだ満足できていません」


「そうか。では、それは森辺でじっくり取り組んでもらうしかないだろうね。僕もこれは面白い食感だと思うけれど、いったいどのような料理で使えるものかは、さっぱり見当がつかないのだよ」


 それは、周囲の人々も同じ心境であるらしかった。

 素のシャスカを口にした際も、彼らは同じような様子であったのだ。目新しいことに間違いはないが、これをどうやってフワノのように料理として昇華するのか、その道筋が見えないのだろう。白米の存在を知らない人々であれば、それも致し方のないところであった。


「失礼ながら、わたしには作りかけのシャスカを口にしているように思えました。東の民には、あまり喜ばれないやもしれませんな」


 そのように述べたのは、タートゥマイであった。

 すると、かたわらにいたボズルが豪快な笑い声をあげる。


「しかし、西の民はそもそもシャスカそのものを知らないのですからな。糸のように細くしたシャスカも、粒の形を保ったシャスカも、どちらも物珍しく感じられることでしょう。ひとつの食材で2種類の食べ方を考案できれば、より使い道も広がるというものです」


「うん。それはもっともな話だね。アスタ殿には、是非とも納得のいく仕上がりを目指していただきたいものだ」


 ポルアースは、満足そうな笑顔でそう述べていた。


「ちょうどつい先日も、新しいシャスカが届いたところであったからね。それはヴァルカス殿ひとりでは使いきれないほどの量であったので、アスタ殿に限らず、ぞんぶんに持ち帰っていただきたい。こちらで取り決めた量までは、銅貨も無用だからね」


 ジェノス侯爵家とトゥラン伯爵家は、そうして身銭を切って先行投資しているのである。

 しかし、俺が理想の調理方法を完成させるには、きっと大量のシャスカが必要になることだろう。それは身銭を切って購入させていただく所存であるが、まずはアイ=ファと相談しなければならなかった。


「では、本日の勉強会は、これで終了だね。各自、どの食材がどれぐらい必要か、あちらの書記官に伝えていってくれたまえ」


 料理人たちは、書記官の前に列をなした。

 それを横目に、ヴァルカスとその一行が近づいてくる。


「アスタ殿、見事なお手前でした。タートゥマイはあのように述べていましたが、わたしはボズルと同じ気持ちです」


「ありがとうございます。あくまで俺の故郷の料理に近づけようという試みなので、ジェノスの人々に喜ばれるかどうかはわかりませんが……それでも、納得のいく形に仕上げてみようと思います」


「それはいったい、どのような料理なのでしょう? やはり、煮汁を掛けて味を作るのでしょうか?」


「え? そうですね、それも食べ方のひとつです。俺の故郷では、カレーを掛けたりもしていましたよ」


 話がカレーに及ぶと、ヴァルカスは心を乱す傾向にある。この際もそれは顕著であり、ヴァルカスはわずかに上体を揺らしていた。


「あのシャスカに、あの料理を掛けるのですか。それがいったいどのような仕上がりになるのか、とても興味深いです」


 数多くの香草を使用するカレーという料理は、つくづくヴァルカスにとって特別なものであるらしい。シムの血を引くタートゥマイもまた、その黒い瞳に鋭い光をたたえていた。


「以前にあなたは、カレーという料理にそばという料理を掛けあわせておりましたな。ならば、通常のシャスカにこそ、カレーという料理を使うのではないかと考えていたのですが……わたしの予想は外れていたようです」


「ああ、通常のシャスカにもカレーは合いそうですね。でも俺は、もうひとつの食べ方を突き詰めてみたいと考えています」


 シャスカの邪道な食べ方は東の民に好まれないかもしれないという話であったが、カレーライスならぬ『カレー・シャスカ』であればどういう反応がもらえるのか、それも俺にとっては楽しみなところであった。


「ああ、みんな集まっているようだね。食材の配分に関してはのちほど取りはからせてもらうので、先にこちらの話を済ませてしまってもよろしいかな?」


 と、ポルアースが遠くのほうから声をかけてみた。

 俺は、「わかりました」と応じてみせる。


「親睦の祝宴に関して、何かお話があるようですね。ヴァルカスは、もうお帰りですか?」


「ええ。わたしとタートゥマイには関わりのないお話ですので、トトス車で待っていようと思います。……かなうことなら、わたしも森辺の祝宴というものに参席したいところでした」


「はい。またいつかヴァルカスに俺たちの料理を食べていただきたいと願っています」


 ヴァルカスはうなずき、他のみんなにも視線を巡らせた。


「あなたがたも、さぞかし研鑽を積んでおられるのでしょうね。マイム殿に、そちらのあなたがたも……」


 と、言いかけたところで、ヴァルカスは不思議そうに小首を傾げた。その視線の先にあるのは、シーラ=ルウである。


「……間違っていたら、申し訳ありません。あなたはシーラ=ルウ殿なのでしょうか?」


「はい。名前を覚えてくださったのですね。とても光栄に思います」


 シーラ=ルウがたおやかに微笑むと、ヴァルカスは「そうですか」と小さくうなずいた。


「他者の顔を覚えるのが苦手なので、見間違えたかと思いました。あなたは、そのような顔でしたか?」


「か、顔ですか? ええ、ただ、髪は短くなりましたが……」


「ああ、髪が。それなら、納得です」


 あくまでぼんやりとした表情のまま、ヴァルカスはまたうなずいた。


「シーラ=ルウ殿に、レイナ=ルウ殿。それに、茶会で素晴らしい菓子を作りあげたというトゥール=ディン殿に、リミ=ルウ殿。アスタ殿の他にこれだけの料理人がそろっていれば、さぞかし立派な宴料理が準備されるのでしょう。それを味わうことのできるボズルたちを、わたしは非常に羨ましく思っています」


「はい。わたしもあなたにまた自分の料理を食べていただける日を心待ちにしています」


 静かな声に確かな熱意をみなぎらせながら、レイナ=ルウがそのように答えていた。

 ついにヴァルカスに名前を覚えられて、昂揚しているのだろう。俺としても、誇らしい気持ちでいっぱいであった。


「では、わたしはこれで失礼いたします。みなさん、またいずれ」


 ヴァルカス一行が、扉のほうに歩み去っていく。

 そちらではポルアースが待ち受けているので、俺たちも歩を進めようとすると、そこにティマロが小走りで近づいてきた。


「アスタ殿、何かお急ぎなのでしょうかな?」


「え? ああ、はい。ちょっとポルアースに呼ばれているのです」


「そうでしたか。では、今の内におうかがいしておきたいのですが……」


 と、妙に真剣そうな面持ちで、ティマロが顔を寄せてきた。


「アスタ殿はあの後にも王都の監査官たちに料理をふるまうことになったと聞いたのですが、それはどのような結果に終わったのでしょう?」


「監査官ですか? そうですね。それなりにご満足をいただけたとは思いますが……それがどうかしましたか?」


「いえ。また何か無作法な真似をされたのではないかと、それが気にかかったまでですが」


 ティマロとともにかまどを預かった際、ドレッグは俺の作ったギバ料理をすべてジルベに食べさせてしまったのだ。そのときの帰り際、ティマロが我がことのように憤慨していたさまを、俺は思い出すことになった。


「はい。そのときには、ドレッグ監査官もきちんとギバ料理を食べてくださいました。やはりカロンの料理のほうが口に合うというお話でしたが、無作法な真似はされませんでしたよ」


「そうですか」と、ティマロは身を引いた。


「ならば、いいのです。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」


「いえ。俺などのことを気にかけてくださって、とても嬉しく思います」


 俺が心よりの笑顔を差し向けると、ティマロはまた表情の選択に困った様子で、ぎこちなく微笑んだ。

 そうして一礼すると、そそくさと立ち去っていく。その後ろ姿を見送りながら、レイナ=ルウが悪戯っぽく微笑んだ。


「あの御方も、ずいぶんアスタのことを気にかけてくれるようになったのですね。最初はけっこう居丈高な印象だったのですが」


「うん。あの人も、悪い人ではないからね。最初は森辺の民を見下していたようだけど」


「それはきっと、わたしたちも同じことであったのでしょう。町の人間を見下していたわけではありませんが、誇りを持たない民だとは思っていたはずですし」


「だけど、あの人もヴァルカスもみんな、同じ西の民の同胞なんだもんね!」


 にこにこと笑うリミ=ルウの頭を、俺は「そうだね」と撫でてあげた。

 そうしてようやく出口に向かうと、護衛役の狩人たちとともに、ポルアースらが待ってくれていた。


「では、こちらの別室に移ろうか。食材は、後できちんと受け渡すからね」


 案内されたのは、俺たちが厨で作った料理を試食したりする小部屋であった。

 まあ、小部屋といっても、それは他の部屋と比べてのことだ。少なくとも八帖ぐらいはありそうなので、これだけの人数が入室しても狭苦しいことはない。


 2名の武官を背後に立たせて、ポルアースは上座に着席する。俺とマイムはボズルらと同じ側の席に腰を下ろし、他の女衆は向かいの席に陣取った。アイ=ファとディンの長兄は、やはり扉のところで立ちつくしている。


「ええと、森辺の集落で行われる親睦の祝宴に関しては、ルウ家が取り仕切っているのだよね。だからこれは、調停役たる僕からの言葉として、族長ドンダ=ルウ殿に正しく伝えていただきたい。それでいいかな、レイナ=ルウ殿?」


「はい。承知いたしました」


 もっともポルアースに近い位置に座したレイナ=ルウが、丁寧にお辞儀をする。こういう際には、本家で年長の人間が責任を負うように決められているのだ。


「まず、ひとつ目だね。赤き野人の扱いに関しては、先日に伝えた通りの内容で問題なかったかな?」


「はい。なるべく町の人間とは顔をあわせないように、あの娘は家の中で過ごしてもらうことになりました。アスタがそのように言いきかせてくれたそうです」


 レイナ=ルウの視線を受けて、俺はうなずいてみせる。

 森辺の民のみで行われる収穫祭はまだしも、町の人間を多数招待する親睦の祝宴において、ティアに自由を与えるのはよろしくない、という旨が、すでに届けられていたのだ。

 これもまたジェノスの法、外界の法ということで、ティアは納得してくれていた。


「ただ、顔をあわせるのを禁ずる、というお話ではないのですよね? 町の人間としては、すでにそちらのマイムやミケルなどは顔をあわせてしまっていますし」


「うん、それはべつだん、かまわないよ。ただ、親睦を深めるという目的で開かれる祝宴に赤き野人を参席させてしまうのは、のちのち大きな誤解を呼びかねないということで、自重してほしいそうだ」


 それがジェノス侯爵マルスタインの判断であるという話は、俺たちもすでに聞かされていた。

 ポルアース自身は呑気そうな面持ちで、ボズルたちのほうに視線を転じる。


「これは好奇心で聞かせてもらうのだけれども、君たちは赤き野人に恐怖心を覚えたりはしないのかな? 特にシリィ=ロウ殿などは、古い血筋の生まれなのだよね?」


「はい」と、シリィ=ロウはうなずいた。

 いつも通りの沈着な面持ちであるが、ただわずかに張り詰めている雰囲気を感じなくもない。


「山を下りた三獣はただの獣であると聞いていますので、わたしは特に心配はしていません。もちろん、好きこのんでその姿を見たいとは、決して思いませんけれど」


「うんうん。僕も同じような心境だよ。まあ、大勢の狩人がいる森辺の集落でだったら、何も危険なことはないだろうしね」


 それからボズルとロイにも水を向けられたが、両名ともに「問題なし」という返答であった。


「わたしなどは、ジャガルの生まれでありますからな。モルガの山が聖域であるという話は小耳にはさんでおりましたが、赤き野人などという名を聞いたのは、これが初めてのこととなります。ジェノスの方々のように、それを恐れる理由はどこにもありません」


「うん、なるほどね。親睦の祝宴に支障がないなら、何よりだ。大いに楽しんで、親睦を深めていただきたいと思っているよ」


 そのように述べてから、ポルアースはわずかに表情をあらためた。

 笑顔は笑顔のままであるが、いくぶん眉尻が下がっている。どうやら、ここからが本題であるらしい。


「それでは、ふたつ目の議題だ。これはあくまでひとつの提案であり、決してジェノス侯からの命令などではないので、そのつもりで聞いてもらいたいのだけれども……」


「はい、何でしょうか?」


「うん、実はね……その祝宴に、ジェノスの貴族を招いてもらうことは可能なのだろうか?」


 おそらくは、その場にいる全員が驚かされていた。

 レイナ=ルウは大きな目をさらに大きく見開きつつ、ポルアースの姿をまじまじと見やっている。


「ジェノスの貴族が、森辺の祝宴に参加しようというのですか? いったい誰を参加させようというのでしょう?」


「それはね、トゥラン伯爵家の当主、リフレイア姫なんだ」


 今度は、さきほど以上のどよめきが沸き起こった。

 森辺の民のみならず、ボズルたちも愕然とした様子である。しかし、それもごく当然の反応であった。


「ほら、つい先日に、森辺の民とトゥラン伯爵家が正式に和解しただろう? それが形だけのものではないと示すために、リフレイア姫が自らそのように提案してきたという話なのだよね」


「そうなのですか……ジェノス侯爵も、それをお許しになったということなのですね?」


「うん。森辺の民がそれを許すのなら、かまわないと仰っていたよ。ただ、そういう場に貴族が出向くというのは、興を削ぐことにもなりかねないからねえ。森辺の民は大らかな気風なのでかまわないと考えるかもしれないが、招待する人々の心情まで十分に考慮してから返答をもらいたいとのことだよ」


 その祝宴にはボズルたちのみならず、ユーミやターラやテリア=マスといった人々も招待されているのである。そのような場にリフレイアが現れるというのは、ちょっと想像し難いところであった。


「すべてを定めるのは森辺の族長たちですので、わたしなどが差し出がましいことを口にする必要はないのですが……でも、リフレイアは森辺の祝宴がどういうものであるのか、正しく理解しているのでしょうか? わたしの知る限り、城下町の祝宴とはまったくかけ離れたものであるように思えます」


「ああ、レイナ=ルウ殿も料理人としてダレイム伯爵家の舞踏会に招かれていたのだったね。うん、そのあたりのことは、リフレイア姫もわきまえているらしいよ。とりあえず、それが屋外で開かれるということも、どこからか聞きつけたようだしね」


 その情報源は、ひょっとしたらディアルなのかもしれない。彼女には、世間話の流れで森辺の祝宴について語った記憶があった。


「ただ、貴族が夜間に出歩くとなると、それ相応の護衛役というものが必要になってしまうんだ。城下町と森辺の集落を行き来する間にも、不逞の輩が襲ってこないとも限らないからね。最低でも、20名ぐらいの兵士を引き連れていくことになるんじゃないのかな」


「その兵士たちも、祝宴に参加させねばならないのですか?」


「いやいや! ルウの集落に到着した後は、広場の入り口で護衛の仕事を果たすことになるはずだよ。広場の周囲は深い森だから、そちらから暴漢がまぎれこむこともないだろうからね」


 そういえば、ポルアースもレイリスとゲオル=ザザの闘いを見届けるために、ルウの集落を訪れたことがあったのだ。そういったルウの集落の地理まで把握した上で、マルスタインはゴーサインを出したのだろう。


「だから、兵士たちが祝宴の邪魔になることはないだろうけどさ。でも、貴族がその場に居座るだけで、招待された客人たちに無用な心労をかけてしまうことにもなりかねないだろう? その辺りのことを、十分に考慮して答えを出してほしいとのことだよ」


「承知しました。では、族長たちに告げるとともに、町の民からも了承をもらえるかどうかを確認する必要があるということですね」


「うん。あとは、その町の民たちが貴族に害をなそうとしたりはしないか、そこのところも念入りに考慮してもらいたい」


 レイナ=ルウは真剣な面持ちでしばらく考え込んでから、また「承知しました」と言った。


「では、そのようにお伝えいたします。お返事は、どのような形でお伝えすればいいでしょうか?」


「祝宴は、もう2日後に迫っているものね。慌ただしい話で恐縮だけれども、明日の日没前にルウ家へ使者を走らせるから、それまでに答えを出しておいてもらえるかな? 忙しいさなかに、申し訳ないことだね」


 そう言って、ポルアースは席から立ち上がった。


「城下町に住まう彼らとは、この場で話を済ませてしまうといいよ。ボズル殿たちは、率直な意見を森辺の方々に伝えてくれたまえ」


 そこに貴族たる自分がいては邪魔になると考えたのだろう。ポルアースは、2名の武官を引き連れて退出していった。

 そうして扉が閉められると、ボズルは「ふむ」と顎髭をまさぐった。


「あのリフレイア姫が森辺の祝宴に参席しようなどとは、実に驚くべき話ですな。以前の姫君からは考えられない行いです」


「ああ、あの姫君は高慢が服を着て歩いているような気性でしたからね。たかだか1年足らずで、ずいぶん変わり果てたもんです」


 ボズルを相手に丁寧な口調ではあったが、ロイの言葉は辛辣であった。

 いっぽうシリィ=ロウは、つんと取りすました顔で俺たちの姿を見回している。


「何にせよ、わたしたちの心情を慮る必要はありません。貴き身分の方々と顔をあわせるのは、べつだん珍しい話ではありませんからね」


「ああ、みなさんはトゥラン伯爵家の屋敷で働いていたから、リフレイア姫とも旧知の間柄なのですか?」


 俺が尋ねると、シリィ=ロウからいささか厳しめの視線が向けられてきた。


「トゥラン伯爵家において、料理人の助手が顧みられることはありませんでした。この屋敷で貴き方々と懇意にされていたのは、ヴァルカスやティマロのみです」


「あー、だけどシリィ=ロウは、お茶会で貴族の人たちとお菓子を食べてたもんね! 貴族の人たちとは、もともと仲良しなの?」


 と、リミ=ルウが元気に発言すると、シリィ=ロウはぎょっとした様子で身を引いた。


「よくそのような話を覚えていましたね。……ええ、わたしはロウ家の人間ですので、多少は貴き方々と交流を結ぶ機会がありました」


「そっか。最初の茶会では、シリィ=ロウも貴婦人の側だったんだもんな。なんだか想像がつかねえや」


 ロイが言うと、シリィ=ロウはわずかに頬を赤らめながら、そちらをねめつけた。


「そのようなものを想像する必要はありません。あなただって、トゥラン伯爵家に招かれるほどの料理人であったのですから、少しは貴き方々と顔をあわせる機会はあったのでしょう?」


「ま、お前らほどじゃねえけどな。何にせよ、俺たちは貴族がひとりまぎれこんでたって怯んだりはしねえから、宿場町の連中の心配をするこった」


「そうですね。宿場町の民が怯んでしまうようであれば、族長たちも貴族の参加を許したりはしないと思います」


 それは確かに、レイナ=ルウの言う通りだろう。たったひとりの招待客のために、他の招待客たちが萎縮してしまうようであれば、親睦の祝宴も台無しになってしまう。だからポルアースも、あのように言葉を重ねていたのだ。


 しかし、それはそれとして、俺はとても嬉しい気持ちを抱くことができた。

 何はともあれ、あのリフレイアが自分から森辺の祝宴に参席したい、などと言い出したのだ。石塀の中で安全に暮らしている貴族にとって、それがどれほどの決断であったのか、俺にはちょっと想像がつかないぐらいだった。


(族長たちや町のみんなは、どんな風に考えるんだろう。できることなら、リフレイアの気持ちが報われるといいな)


 ともあれ、今日の内に決着がつく話ではない。

 俺たちは、それぞれの思いを抱え込みながら、自分の居場所に戻ることになった。

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