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異世界料理道  作者: EDA
第三十三章 大神の子
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緑の月の二十九日②~シャスカ~

2018.2/20 更新分 1/1 ・2018.4/16 タイトルを修正

「では、このシャスカの実をどのような手順で加工するか、実際に見ていただきましょう」


 ヴァルカスは説明役であり、実際に作業するのはタートゥマイとシリィ=ロウであった。非正規の助手であるロイは、鉄鍋を運んだり水を汲んだりという雑用のみを手伝う様子だ。


 まずは大きな鉄鍋にシャスカの実が大量に投じられて、そこに水が注がれる。水の量は、シャスカの実と同じ重さであるそうだ。

 そうしてかまどに強めの火を炊き、沸騰するのを待つ。

 沸騰したら、シャスカの実が十分に水を吸った頃合いで、攪拌する。そのまま放置しておくと、シャスカが焦げついてしまうのだという話であった。


「この状態で、水気が飛ぶのを待ちます。余計な時間をかけぬために、なるべく強い火にかけるとよろしいでしょう」


 シムとの混血であるご老人タートゥマイが、静かな声でそのように説明した。

 シリィ=ロウは、額に汗を浮かべながら、攪拌の役を受け持っている。こういう際には、白覆面を着用せずとも許されるらしい。


「やがてシャスカが水気を吸い尽くすと、手応えがねっとりと重くなります。その頃合いで、今度は実を潰すために手を加えていきます」


 10分ていどが経過したところで、シリィ=ロウは攪拌用の木べらをすりこぎのような器具に持ち替え、鍋の中身をざくざくと押しつぶすような動きを見せ始めた。

 これは、なかなかの重労働のようである。ロイはいかにも自分が代わりたそうな面持ちをしていたが、ぐっと口をつぐんでいる。


「そうして完全に水気が飛んだら、鍋を別の場所に移します」


 これはシリィ=ロウひとりでこなせる作業ではないらしく、鍋の持ち手に棒が渡されて、ロイとともに隣のかまどへと移動された。

 そちらのかまどには火を点けられていないので、もう焦げつく心配はない。その場所で、シリィ=ロウはさらにざくざくとすりこぎを振るい続けた。


「もしもシャスカそのものに味をつけたい場合は、この段階で食材を投じます。本日はシャスカそのものの味を正しく知っていただくために、このまま進めさせていただきます」


 気づけば説明役もタートゥマイの役割となり、ヴァルカスはいつものぼんやりとした面持ちで弟子たちの姿を見守っていた。

 30名からの料理人たちは、みんな物珍しそうにシリィ=ロウの作業を見守っている。その中で、ダレイム伯爵家の料理長たるヤンが、こっそり俺に囁きかけてきた。


「シャスカというのはシムにおいてフワノのように食されている食材であると聞かされていたのですが、下ごしらえの手順はずいぶん異なるようですな」


「ええ、そうですね」と応じながら、俺は心中でひそかに昂揚しっぱなしである。

 その鉄鍋から漂ってくるまろやかな香りは、炊きたての白米と非常に似通っていたのだった。

 それを懸命にこね合わせているシリィ=ロウは、まるで餅つきでもしているように見えてしまう。


「こうしてシャスカの実を潰していくと、粘り気が強くなってまいります。まずは実の形状が完全になくなるまで、シャスカをこね合わせてください」


 タートゥマイが言っているそばから、すりこぎにはねっとりとシャスカがからみつくようになっていた。

 それもまた、餅つきの杵に餅米がからみついているかのごとしである。


「この量であればひとりでも十分ですが、もっとたくさんのシャスカを扱う場合は、数人がかりで棒を振るいます。熱したシャスカが冷え固まるまでに次の工程を目指さなくてはならないので、そのようにお心得置きください」


 熱した鉄鍋の中で作業をしているので、まだまだ冷え固まるには時間がかかることだろう。シリィ=ロウは数分間、ひとりでその作業に没頭していた。


 そうして作業が進むごとに、いよいよシャスカの粘り気は強くなっていく。

 シリィ=ロウが棒を引いたとき、そこにへばりついたシャスカがちぎれずにどこまでものび始めると、ギャラリーの間から驚きの声があがった。


「ものすごい粘り気ですな。まるで、刻んだギーゴのようです」


「あれでフワノと似た料理に仕上がるのでしょうか? 今のところは、想像しにくいですな」


 料理人たちの囁き声が耳に入った様子もなく、シリィ=ロウはその作業をやり遂げた。

「よろしいでしょう」と、タートゥマイがうなずく。


「では、次なる工程でございます。ボズル殿、その器具をこちらに」


 ボズルが運んできたのは、金属製の大きなボウルのような調理器具であった。

 汗だくのシリィ=ロウが、ロイから受け取った手ぬぐいで顔をぬぐってから、赤ママリア酢の瓶を取り上げる。ボウルの中には少量のママリア酢とたっぷりの水が注がれた。


「水と酢の比率は、10対1でお願いいたします。酢ではなくシールの果汁でもかまいませんが、このジェノスにおいてはママリア酢のほうが使い勝手もよろしいでしょう」


 そんな言葉とともに進み出たタートゥマイは、その手に奇妙な器具を携えていた。

 金属製の、細長い箱である。長さは30センチほどで、切り口の面は一辺が10センチほど。片側の面は封がされておらず、逆側の面には小さな穴が無数に空けられている。


「この中にシャスカを詰め込んで、成形いたします」


 言いながら、タートィマイは箱の中にもっちりとしたシャスカを詰め込んだ。

 そうして、切り口の面にフィットする大きさに加工された木製の器具をあてがい、ぐっと押し込むと、無数の穴からシャスカがところてんのようににょろにょろと生えのびた。

 驚く人々の目の前で、糸のように細くなったシャスカの束が、ボウルに張られた液体の上に落ちていく。


「こうしますと、ママリア酢がシャスカの表面に膜を張り、たがいがくっつき合うことなく、元の形を保つことがかないます。しばらくして水で洗えばママリア酢の味や香りは落ちますし、表面の粘り気がよみがえることもありません」


 酸味がデンプンの粘り気を阻害する、という話は聞いたことがない。

 ということは、これはシャスカかママリアのどちらかが有する性質のためであるのだろう。シールの果汁でも代用がきくということは、やはりシャスカの特性であるのだろうか。


「ふうむ。これは面妖ですな。どうしてそのように、糸のごとき形に仕上げなければならないのでしょう?」


 うろんげな面持ちでティマロが問うと、タートゥマイは機械のような正確さで作業を続けながら答えていた。


「シャスカを塊のまま冷やしてしまうと、木材のように硬くなってしまうのです。熱を通せばやわらかくはなりますが、そうすると今度は粘り気までもがよみがえってしまいます。扱いの難しいシャスカを美味なる料理として仕上げるために、東の民はこういった工程を考案したのでしょう。シムでは油を塗った布にシャスカを包み込み、そこに穴を空けて中身を絞るのだと聞きます」


 正確なのは、手つきばかりではない。無表情に語るタートゥマイは、何だか機械人形のように見えてしまった。


「また、シムの草原地帯においては、こうしてシャスカを酢の水に浸けたまま火にかけて、肉や野菜や香草を投じる、という食べ方が一般的であるようです。草原で生きる民にとっては、鉄鍋ひとつで作ることのできるこの食べ方が、手間も少なくて好まれたのでしょう。水気を切ったシャスカに具材をかけて食するという調理法は、シムの王都で好まれているのだと聞きます」


「ふむ。どちらにせよ、フワノに比べればなかなかの手間であるようですな。このシャスカという食材は、そうまでして料理に使う価値があるのでしょうかな?」


「それをお確かめいただくには、実際に食べていただく他ないかと思われます」


 やがてボウルがシャスカでいっぱいになってしまうと、ボズルが新しいボウルを準備した。

 そして、シャスカで満たされたボウルのほうは、木製のザルに中身をぶちまけられた後、水で綺麗に洗われていた。


「こちらのシャスカは、このまま味見をしていただきましょう。これが塩も何もつかっていない、素のシャスカとなります」


 タートゥマイが作業を続けているかたわらで、ボズルとシリィ=ロウが最初の分を小皿に取り分け始めた。

 料理人たちは、好奇心に満ちた面持ちで、それをつまみあげている。俺たち森辺のかまど番の一行は、遠慮をして最後にそれを受け取った。


 確かに《銀星堂》で出されたのと同じ、白いソーメンのような外見だ。

 ただしあのときは、生地に何かしらの豆類が練り込まれていた。素のシャスカを口にするのは、俺たちもこれが初めての体験となる。


「これがシャスカなのですね。確かに聞いていた通り、ぱすたと似た料理であるようです」


 この中では唯一《銀星堂》の食事会に参席していなかったユン=スドラが、笑顔でそのように述べていた。

 俺はそちらにうなずき返しつつ、ひとつまみのシャスカを口に投じる。


 やはり、1ミリていどの細さしかないのに、もちもちとした弾力だ。

 そういえば、あの食事会の際にも、俺は「餅米のようだ」という感想を抱いたものだった。


(だけど普通の餅米でも、ここまで細くのびることはないもんな。それだけ粘性が尋常でないってことか)


 そして、シャスカの味である。

 あのときは坦々麺のように強い味付けであったし、何かの豆類が練り込まれていたので、シャスカそのものの味を確認することはできなかったのだ。


 初めて口にする素のシャスカは、ほんのり甘かった。

 強い味や風味はない。ただ、ほのかな甘みと香気がふわりと口の中に広がって、すぐに消えていく。ママリア酢の味や風味は綺麗に洗い流されていたので、俺はその優しい味わいを心ゆくまで確認することができた。


(ビーフンなんかとは、まったく違うよな。あれは粘り気のないインディカ米が原料だとか聞いたような気もするし……やっぱりこれは、麺に仕上げた餅米を食べているような感覚だ)


 俺はやっぱり、ひとりでドキドキと昂揚していた。

 他のかまど番たちは、やや難しげな面持ちでシャスカを味わっている。


「フワノやポイタンで作ったぱすたも、味をつけなければ物足りないものですし……それと同じようなものなのでしょうね」


「ぱすたと異なるのは、この歯ざわりや噛み応えですね。これはこれで心地好くも感じますから……ぱすたとはまた異なる美味しさを持つ料理に仕上げることはできるかもしれません」


 トゥール=ディンやレイナ=ルウやシーラ=ルウは、真剣きわまりない面持ちだ。

 マイムやリミ=ルウやユン=スドラは、とても楽しげな面持ちである。


 そんな中、今度はシャスカにうっすらと赤いソースをかけられたものが配られた。

 ソースというか、スープと言うべきであろうか。それはあらかじめ準備されていたもので、俺たちが試食をしている間にヴァルカスが温めなおしてくれたのだった。


「これはカロンの骨と肉から取った出汁に、塩とタウ油とイラの葉をわずかに加えた煮汁です」


 それを口にすると、今度は驚嘆のざわめきが発生した。

 薄味のスープを掛けただけで、劇的にシャスカが美味しく感じられたのである。複雑な味付けを好むヴァルカスにしてみれば、ほんの手慰みなのかもしれないが、そもそもスープの味そのものが美味しくてたまらなかった。


 だけどやっぱり、シャスカの本領を発揮させるために考案された味付けではあるのだろう。深みのあるカロンの出汁に、ぴりっと辛いイラの葉が見事に調和して、これだけでもう立派な料理であるように思えてしまった。


「これは美味ですな。以前にアスタ殿から教えていただいた『黒フワノのつけそば』という料理にも匹敵する味のようです」


 ヤンも、感じ入ったようにそう述べていた。

 自分の仕事を終えたヴァルカスは、ぼんやりとした眼差しで料理人たちを見回している。


「いかがでしょう? あなたがたがシャスカを欲するようであれば、シムから定期的に買いつける取り決めをしていただけるというお話であったので、わたしも力を惜しまずに取り組んだつもりであるのですが」


「ふむ。まあ、なかなか取り組み甲斐のある食材であるということに間違いはないでしょうな。下ごしらえにいささか手間はかかるようですが、それはアスタ殿の考案された『黒フワノのつけそば』も同じことですし……これまではシムでしか味わうことのできなかった料理となれば、喜ぶ方々も少なくはないでしょう」


 慇懃な口調で、ティマロはそのように答えていた。

 他の料理人たちも、おおむね賛同している様子である。それを嬉しそうに見回してから、ポルアースが俺のほうにも視線を向けてきた。


「アスタ殿は、いかがかな? すでに『黒フワノのつけそば』という料理を扱っているアスタ殿なら、すぐにでも美味なる料理に仕上げられそうだ」


「ええ、そうですね……ただ、俺としてはその前に、もう少し異なる加工の仕方はできないものかと思うのですが」


「異なる加工の仕方?」


 ポルアースは不思議そうに首を傾げており、ティマロもけげんそうに眉をひそめている。

 そしてその後方からは、ヴァルカスが感情の読めない視線を差し向けてきていた。


「異なる加工というのは、どのようなものであるのでしょう? まさかアスタ殿は、シャスカに似た食材をも扱ったことがあるのでしょうか?」


「それは実際に触れてみないとわかりません。ただ、俺としては是非とも研究させていただきたいと思っています」


 言うまでもなく、俺はシャスカを元の形状のまま口にする手段を見出したいと願っていたのだった。

 日本生まれの日本人として、それは至極当然の願いであっただろう。このジェノスでは実にさまざまな食材と出会っていたものの、米に似た食材というものだけはどうしても手にすることがかなわなかったのだ。


「とても興味深いです。よければこの場でも、その研究の一端を拝見させていただけないでしょうか?」


「ええ? それはべつだんかまいませんが……時間もかかりますし、大失敗するかもしれませんよ?」


「かまいません。まだ刻限にゆとりはあるのでしょう?」


 それは取り仕切り役であるポルアースに向けられた言葉であった。

 ポルアースは笑顔で「もちろん」とうなずいている。


「食材の吟味は、このシャスカが最後であったからね。この貴賓館で働いている料理人たちが下ごしらえを始めるまで、まだまだ猶予はあるはずだよ」


「そうですか。では、お言葉に甘えて、少しだけ」


 どっちみち、俺は私財を投じてでもシャスカを購入させていただこうと考えていたのだ。この場で研究の第一歩目だけでも踏み出せるのならば、それはきわめてありがたい話であった。


 しかしまた、シャスカが実際にどれだけ米と似た性質を持っているのかもわからないのだから、これは難問だ。

 考慮した末、俺は同時に4種類の試食品をこしらえることにした。


「よし。それじゃあまず、シャスカを取り分けよう。この場にいるみなさんにひと口ずつ渡るように計算すると……この容器で5杯分ずつぐらいかな」


 レイナ=ルウたちの手を借りて、シャスカを器に移していく。

 こうして手に触れてみると、シャスカの実はとても硬く、生米とよく似た質感であった。

 ただ、間近で見てもその形状は綺麗な楕円形であり、胚芽の除去で生じるあのくぼみが存在しない。やはりこれは、米と似て異なる異世界の食材であるのだ。


 米ではないのだから、糠を取るために水で研ぐ必要もないのだろう。

 しかし俺は、4つに分けたシャスカの2つ分だけは、試しに水で研いでみることにした。


 理由は、このシャスカの有する粘性を少しでも緩和させたいと願っていたためである。

 このシャスカは、おそらく通常の餅米よりも粘性が強い。俺が理想とする米の代用品を目指すには、まずその粘性を攻略する必要があるはずだった。


 その攻略の一貫として、俺は水の量にも着目した。

 まず大前提として、水の量はタートゥマイよりも多くする。タートゥマイはすべての水をシャスカに吸わせていたが、それよりもさらに多くの水気がないと、蒸らしの工程に支障が出てしまうためだ。


 もともと俺の故郷でも、重さで換算するならば、水は米の1・4倍から1・5倍の量を使っていた。今回は、さらに試してみたいことがあったので、1・5倍と1・7倍の2パターンで行うことにした。

 水で研いだシャスカと、研いでいないシャスカ。そこに、水の量が1・5倍のものと1・7倍のものを掛け合わせて、計4パターンである。


 そして、重要なのは、火加減だ。

 これはもう、数少ない飯盒炊爨の経験に頼るしかなかった。親父の手ほどきで土鍋を扱ったこともなくはなかったが、使用するのが鉄鍋であるならば、飯盒のほうが特性は近いに違いない。


(まあ、年に一度は親父や玲奈なんかとキャンプしたりもしてたからな。なんとかなるだろう)


 そのように考えながら、俺はいざかまどに火をおこすことにした。

 レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、トゥール=ディンの3名に概要を説明して、同じように火の番を受け持ってもらう。いわゆる、「初めチョロチョロ、中パッパ」の実践である。


 最初は中火で、鉄鍋にじっくり熱が回るのを待つ。

 そうして蓋の隙間から湯気が出てきたら、一気に強火にする。さきほどのタートゥマイに負けないぐらい、盛大に燃やさせていただいた。


 しばらくすると、蓋が頼りなく動き始めるので、手頃な重しを蓋に載せる。

 今ごろ鍋の中では、シャスカが派手に躍っていることだろう。

 あるいは、米とは異なる性質を見せて、ねっとりと一体化してしまったりしているだろうか。

 こればかりは、蓋を開けないことには確認することもできなかった。


 料理人たちは、まんじりともせずに俺たちの作業を見守っている。

 シャスカ自体が初見であった人々はもちろん、ヴァルカスたちだって、俺が何をしようとしているのか、理解するのは難しかったに違いない。


 そんな中、噴きこぼれそうであった蓋の躍動が静まってきた。

 ここで火加減は、中火に変更する。


 ただ、1・7倍の水を使った2つの鉄鍋は、同じ調子で蓋が動いている。水の量が多いために、まだまだ蒸気の勢いがおさまらないのだ。

 ここで俺は、「赤子が泣いても蓋取るな」よりもずいぶん早い段階で、その鉄則を破ることになった。そのためにこそ、俺はあえて多めの水を使用していたのである。


「よし。それじゃあ、こっちの2つは蓋を取るからね。すごい蒸気だろうから、気をつけて」


 そんな注意を与えてから、俺は片方の蓋を取り去った。

 予想にたがわず、すさまじい蒸気が噴出される。周囲からは、おおっというどよめきが伝わってきた。


 その蒸気の噴出がおさまるのを待ってから、俺は鉄鍋の中身を覗き込んだ。

 ごぽごぽと煮え立つ湯の中で、白いシャスカが躍っている。とりあえず、一体化したりはしていないようだ。


 俺は柄杓を拝借して、余分な水気を除去していった。

 多めに使用した水を、ここで除去するのだ。

 ただその煮汁も捨てたりはせずに、空の鉄鍋に溜めていく。俺の仮説を確認するために、その煮汁の内容を検分したかったのだった。


 そうして水気の除去が済んだら、蓋を閉めて重しを載せる。

 もう片方の鉄鍋の始末を終える頃には、もう蓋の動きが静まっていたので、火加減はすみやかに中火へと切り替えた。


「アスタ、これらの鍋は、どうして多めの水を使ったのですか? あとから取り除くのなら、あまり意味はないように思えてしまうのですが」


 好奇心に目を輝かせながら問うてきたのは、マイムであった。

 2つめのかまども中火に切り替えてから、俺はそちらに向きなおる。


「俺はシャスカからあるていどの粘り気を取りたいと考えているんだ。この取り除いた水に粘り気の成分が溶け出していることを期待してるんだけど、どうだろうね」


 これは、親父にインディカ米の扱いを習った際に得た知識であった。

 インディカ米は、東南アジアなどで多く取り扱われている品種の米である。これはもともと日本の米よりも粘り気の少ない品種であるが、そこからさらに粘り気を除去するために「湯取り法」という作法で調理されることが多いようなのだ。


 日本では、厳正に水の量を取り決めて、米を炊く。米がしっかりと水を吸った上で、べちょべちょの仕上がりにならないよう、適切な水の量というものが考案されたのだ。

 しかし東南アジアでは、焼き飯やカレーの添え物として米を食べることが多い。そのために、より粘り気の少ない形で仕上げられるような調理法が確立されたようだった。


「お前が生まれるずーっと前に、コメ不足なんていう騒ぎがあってな。冷害で、日本の米がとれなくなっちまったんだよ。そのときにインディカ米ってやつが大量に輸入されたんだけどさ。そいつを日本の米とおんなじ風に炊いたって、駄目なんだ。品種の違う米を同じ手順で仕上げたって、上手くいくわけがないってことだな」


 いつだったか、親父はそんな風に言っていた。

 もともと粘り気の少ないインディカ米を日本のやり方で炊いても、パサパサの仕上がりになってしまうらしい。しかし、当時の日本ではそんな知識も行き渡ってはいなかったので、「インディカ米はまずい」などという風評が巻き起こってしまったそうなのだ。


「インディカ米を売るんだったら、『湯取り方』についても教えてくれりゃあよかったんだよな。あと、美味い焼き飯の作り方でも教えてくれりゃあ、そんなに不満の声もあがらなかっただろうよ」


 そんな親父の感慨はともかくとして、俺は『湯取り方』やインディカ米について知る機会を得たのである。


 で、このシャスカというのはインディカ米と逆で、日本の米よりもはるかに粘り気が強い食材だ。

 ならば、『湯取り方』を採用することで、少しでも粘り気を緩和することはできないものかと、俺はそんな風に思い至ったのだった。


「とりあえず、この取り除いた水は白く濁っていますね。これが、シャスカの粘り気なのでしょうか?」


 マイムの言葉で、俺の意識は現実に引き戻された。

 親父の豪快な笑顔をそっと心の奥底にしまい込みつつ、「たぶんね」と俺はうなずいてみせる。


「それにきっと、ここにはシャスカの栄養も少しは溶け出しているはずだ。森辺でシャスカを扱えるなら、この煮汁は別の料理に使わせてもらおうと思っているよ」


「なるほど。アスタがどのような形でシャスカを仕上げるのか、わたしはとても楽しみです」


 そうして俺がマイムと語らっていると、レイナ=ルウが「アスタ」と呼びかけてきた。


「湯気がおさまり、煮え立つ音も聞こえなくなりました。完全に水気がなくなったのではないでしょうか」


「よし。それじゃあ、火から下ろそう」


 俺たちはさきほどのシリィ=ロウらと同じように、鉄鍋の持ち手に棒を渡して、火のついていないかまどへと移動させた。

 ここからは、蒸らしの工程である。

 時間は、15分から30分ていどであろう。ポルアースは、待ちきれない様子で手をもみしぼっていた。


「これで後は、待つだけなのかい? それなら多少は時間がかかるけれど、通常の作法よりはずいぶん手軽に仕上げることができそうだね」


「そうですね。その分、火加減と水加減が重要になってきますけれど」


 他の料理人たちは、それぞれ懇意の相手と小声で何やら語り合っている。ヴァルカスはタートゥマイと、シリィ=ロウはボズルと、それぞれ顔を寄せ合っていた。

 そんな中、手持ち無沙汰にしていたロイが、「よお」と近づいてくる。


「まさか、お前がシャスカまで扱うとは思わなかったな。ギバ肉とは関係ない食材なのに、ずいぶん熱心じゃねえか」


「いえ、これでもしもシャスカを理想通りに仕上げることができたら、またギバ料理の幅を広げることがかないます。正直に言って、こんなに胸が高鳴っているのはひさびさのことですよ」


「ふうん。そいつは是非、森辺の祝宴とやらでお披露目してもらいたいところだな」


 ちょっと身を離していたポルアースが、ロイの言葉に反応した。


「そうか。君も森辺の祝宴に招待されている料理人のひとりだったんだね。ええと、君はたしかヴァルカス殿のお弟子の――」


「自分は、ロイと申します。ヴァルカスの弟子になることはかないませんでしたが、今はそのお弟子たちの下で働いております」


 ロイは、真面目くさった面持ちで一礼した。

 そういえば、ロイが貴族と相対するのを見るのはほとんど初めてかもしれない。ポルアースは、「なるほど」とふくよかな頬を撫でていた。


「実はそのことで、森辺の方々にお伝えしたいことがあったのだよね。ちょうどいいから、森辺に招待された君たちも、この後に少し残ってもらって、一緒に話を聞いてもらおうかな」


「承りました。それでは、残りの2名にもそのように伝えさせていただきます」


 ロイはまた一礼してから、足早にシリィ=ロウらのもとに戻っていった。


「どうしたのです? 親睦の祝宴に関して、何か問題でも?」


「いや、問題というほどのものでは……あるのかな? まあ、とりあえずまだ余人の耳には入れたくないので、この後に別室でゆっくり語らせていただくよ」


 そのように述べてから、ポルアースはにっこりと破顔した。


「それよりも、まずはこのシャスカだね! アスタ殿はこのシャスカに大きな期待を寄せているようだから、僕はますます楽しみになってきたよ」

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