緑の月の二十八日④~家族の情愛~
2018.2/5 更新分 1/1 ・2018.4/16 タイトルおよび文章を修正
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
ブレイブたちの様子を見届けた後、俺とティアが最初に向かったのは、トゥール=ディンが働いているかまどであった。
献立は、ぴりりと辛いタラパ仕立てのモツ鍋料理である。そこから漂う香辛料の香りに、ティアはさっそく鼻をひくつかせていた。
「トゥール=ディン、お疲れさま。……っと、ゲオル=ザザたちもこちらでしたか」
かまどの横に、ザザ家の似ていない双子の姉弟もそろっていた。ゲオル=ザザはどうやら果実酒が進んでいるらしく、夜目にもわかるほど顔を赤くしている。表情も、さきほどよりうんとくだけているように感じられた。
「ああ、ファの家のアスタか。……おい、まさか、ギバの骨の煮汁が尽きてしまったのではなかろうな?」
「ええ、最初の半分が終わったので、しばらく時間を置いてから、残りの半分をふるまう予定になっています。そういえば、ゲオル=ザザはまだ口にしていなかったのですよね」
「ああ。ちょっとこの場で話が長引いてしまってな」
ゲオル=ザザが陽気に答えると、その姉が冷徹なる眼差しでねめつけた。
「さっきから、べらべらと喋っているのは、あなただけでしょう? トゥール=ディンは仕事のさなかなのだから、きっと迷惑です」
「何が迷惑なものか。俺はトゥール=ディンの腕前を褒めたたえていただけではないか。……まさかお前は迷惑に感じていたのか、トゥール=ディン?」
「い、いえ。ゲオル=ザザにそのように言っていただけるのは、とても光栄です」
いくぶん困惑気味にトゥール=ディンが微笑み返すと、ゲオル=ザザは「そうだろう」と満足そうに笑った。
スフィラ=ザザは、大きめの溜息をついている。
「あなたの役目はこの祝宴を見届けることなのですよ、ゲオル。ずっと同じ場所に留まっていたら、その役目を果たすこともできないでしょう?」
「うん? そういうお前こそ、ずっとこの場所に留まっているではないか。どうして俺だけ文句を言われなければならないのだ?」
「わたしはきちんと広場を一周してから、この場に戻ってきたのです。それこそ文句を言われるいわれはありません」
よくわからない対立のさまを呈しているザザ姉弟のかたわらで、トゥール=ディンはやっぱり眉を下げつつ微笑んでいた。
要するに、どちらもトゥール=ディンと親交を深めたくて、この場に居座っているのだろうか。ある一定の人々には強い吸引力を備えているトゥール=ディンなのである。
(トゥール=ディンは、つくづく気の強い人間に執着される星のもとに生まれたのかな。まあ、オディフィアみたいな例外もいるけれど)
しかし何にせよ、トゥール=ディンが魅力的な人柄であることに間違いはない。トゥール=ディンが余人からの人気を博するというのは、俺にとっても嬉しい話であった。
「それじゃあ、俺たちにも料理をもらえるかな? ティアもこの料理だったら、きっと気に入ると思うよ」
「うむ。何だか美味そうな匂いがしている」
トゥール=ディンは、手早く木皿に2人前の料理を取り分けてくれた。
けっこう熱々の仕上がりであるのに、ティアは勢いよくそれをすすり込む。そうして、その小動物めいた顔に明るい笑みをひろげた。
「これは、美味いと思う。アスタが作ってくれる食事に負けないぐらい、美味い」
「そうだろう? ティアはタラパも好みに合うみたいだね」
「うむ。この赤い煮汁の酸っぱさは、好きだ」
ティアは木匙を逆手にかまえて、具材のほうも食し始めた。
ティアがギバ料理を口にするのは、ちょっとひさびさのことである。しかもこれはモツ鍋という特殊な料理であったが、ティアの顔から笑みが薄れることはなかった。
「愉快な味がするな。これは、ギバの臓物なのか?」
「は、はい。心臓や腸や胃袋など、色々な臓物を使っています」
「ふむ。ギバなどはわざわざ苦労をしてまで肉にする甲斐はないと聞いていたのだが、そんなことはなかったようだ」
同じ料理を堪能しつつ、俺は心に浮かびあがった疑問をそのまま口にしてみた。
「そういえば、モルガの山でもギバっていうのは狩れるものなのかい?」
「ギバは、ほんのときたま迷い込んでくるだけだ。そして、そういうギバはヴァルブやマダラマが片っ端から食べてしまうから、赤き民が狩ることはほとんどない」
「なるほど。ギバはモルガの三獣に山から追い払われて、山麓の森に住むことになったっていう伝承が残されてるらしいんだよね」
「ティアはよく知らない。ハムラやその母が族長をしていた頃から、ギバは山麓で暮らしていたと聞いている」
少なくとも、80年前にはギバも山麓を根城にしていたはずなので、それも当然の話であった。
「でも、ティアは山と森の境で、何度かギバを見かけたことがある。ギバは地べたを走ることしかできないようなので、あれでは山で生きていけないと思う。赤き民とマダラマは木の上からギバを倒すことができるし、ヴァルブはギバよりも速く駆けることができるからだ」
「ふむ。ちなみに、赤き民とマダラマとヴァルブだったら、どれが一番強いのかな?」
「そのようなことは比べられないし、比べる意味もない。我々は、等しく大神の子であるのだ」
俺の好奇心は、それでひとまず満たされた。
料理もちょうど尽きたところであるので、次のかまどに向かわせていただくことにする。
そうして俺たちがトゥール=ディンに別れを告げても、ザザ姉弟はまだ喧々と言葉をぶつけ合っていた。
次のかまどは、お好み焼きである。
俺が城下町でお披露目したのと同じ内容にグレードアップされており、それを担当しているのはユン=スドラをリーダーとするスドラの女衆であった。
「お疲れさま。まだ交代の時間にならないのかな?」
「はい。そろそろフォウの女衆が来てくれるはずですが……わたしたちは、男衆と縁を深める必要もありませんので」
宴料理の配膳係に関しても、なるべくは既婚の女衆が受け持つことになっていた。未婚の女衆にとって、祝宴というのは婚儀の相手を探したり、縁を深めたりする大事な場所であるためだ。
だからこの場でも、フォウの家に嫁入りする予定である若い女衆だけは、姿がなかった。きっとどこかで、まもなく婚儀をあげるべき相手と親交を深めているのだろう。
その代わりに、すでに婚儀を済ませたイーア・フォウ=スドラが、2名の年配の女衆とともに働いている。で、家長会議が終わるまでは婚儀を控えるようにと決定されたユン=スドラも、何を憂うことなく働いているわけである。
(でも、家長会議で婚儀の習わしの改正が認められることになったとしても、ユン=スドラはそうそう動くつもりもないんだろうな)
ユン=スドラは、しばらく嫁入りはせずに、料理の勉強に集中したいと公言していたのである。そのあたりは、レイナ=ルウとも通ずるところのある彼女であった。
「まもなく新しい分が焼きあがりますが、アスタとティアもいかがですか?」
「ありがとう、いただくよ。……これは香草を使っていないけど、ティアの口に合うかな?」
ちょっと心配なところもあったので、ティアには少量だけ味見をしてもらうことにした。
小首を傾げながらそれを口に放り込んだティアは、「ふむ」と難しげに眉をひそめる。
「何だか奇妙な味だし、奇妙な舌触りだ。ティアは、このひと口だけでいい」
「そっか。香草を使ってないと、ティアの口には合わないのかな」
「そんなことはない。ベリンボの団子だったら香草を使わないが、ティアは美味いと思う。アスタが作ってくれる焼きポイタンというのも、ティアは好きだ」
ティアがモルガでどのような食生活を営んでいたのか、俺としては興味の尽きないところであった。
しかしまあ、祝宴の場であれこれ詮索する話でもないだろう。俺はユン=スドラたちと立ち話に興じながら、自分のお好み焼きをたいらげることにした。
そこに、どやどやと新たな一団がやってくる。
その中に愛しき家長の姿を見出した俺は、「やあ」と弾んだ声をあげることになった。
「アイ=ファ、もう動けるようになったのか? けっこう早かったな」
「うむ。ひと通りの挨拶は終わったのでな」
アイ=ファとともにやってきたのは、ライエルファム=スドラとチム=スドラ、それにフォウやランなどの男衆であった。ラッド=リッドやゼイ=ディンの姿は見当たらないようだ。
「ラッド=リッドとゼイ=ディンは、あちらのかまどに留まっている。ラッド=リッドはゲオル=ザザと、ゼイ=ディンは自分の娘と言葉を交わしていた」
そのように説明してくれたのは、チム=スドラであった。
イーア・フォウ=スドラは、輝くような笑顔で伴侶を振り返っている。
「チム、おこのみやきはもう口にしましたか? よければ、こちらの分を切り分けますが」
「ああ。まだまだ腹は満ちていないので、もらおう」
チム=スドラもあまり表情を動かすほうではないが、その眼差しは優しげであった。
俺よりも2歳年少のチム=スドラであるが、すでに一家の主であるのだ。婚儀をあげてから2ヶ月ていどが経過して、両者の間にはとてもやわらかな空気が流れていた。
「俺たちのことは気にせずに、宴料理を楽しむがいい。アスタはまだ食事を始めたばかりなのだろう?」
そのように言ってくれたのは、ライエルファム=スドラであった。
俺は、「ありがとうございます」と笑いかけてみせる。
「それじゃあ、また後でお話をさせてください。チム=スドラも、また後で」
「ああ」と、チム=スドラもはにかむように微笑んでくれた。
ユン=スドラたちにも別れを告げて、今度はアイ=ファとともに移動をする。すると、アイ=ファはさっそくティアに厳しめの視線を向けた。
「ティアよ、何も悪さはしておらぬであろうな?」
「もちろんだ。ティアは決して森辺の習わしに背いたりはしない」
ティアも真面目くさった面持ちでそのように答えていた。
出会って4日が経過しているのに、このあたりは相変わらずの両者である。
アイ=ファとしては、ティアの身柄を預かることに、大きな責任を感じているのだろう。族長たちのはからいで穏便に話がまとまったのに、自分の監督不行届でおかしな騒ぎでも起きてしまったら一大事である、と考えているのだ。
そして、ティアのほうでも、アイ=ファのそんな心中をしっかりと察している。普段はけっこう気安い感じでアイ=ファに接していても、自分がどれだけ不安定な立場にあるかは決して忘れていなかったのだった。
そんな両者とともに、俺は熱気にあふれた広場を進む。まだ女衆の舞の時間には早かったので、誰もが宴料理と果実酒を満喫しているようだった。
「アイ=ファはもう十分に食事をできたのかな?」
「うむ、まあ、八分目といったところだ。すでに普段と同じぐらいの量を食べた気がするが、今日は何頭ものギバを狩るのと同じぐらいの力を使ったからな」
「アスタ、ティアはまだまったく満たされていないぞ」
「うん。次はティアの好みの料理だといいね」
はからずも、俺たちの期待は最高の形で報われることになった。
次のかまどで準備されていたのは、ここ数日でティアがもっとも気に入っていた料理、すなわちカレーであったのである。
リッドの女衆が取り分けてくれたギバ・カレーを口にすると、ティアはとても幸せそうに目を細めていた。
「この食事も食べなれない味や香りがするのに、とても美味いと思える」
「うん。ちなみにこれはペイフェイじゃなくてギバの肉を使ったカレーなんだけど、どうかな?」
「うむ、美味い。ペイフェイと同じぐらい、美味いと思う」
ペイフェイの肉はあと数日ていどで尽きてしまいそうだったので、それは幸いなことだった。
焼きポイタンをひたしては口に運び、合間に木匙で具材も食する。ティアはにこにこと笑いながら、あっという間に木皿で3人前のギバ・カレーをたいらげてしまった。
配膳をしていたリッドの女衆や、たまたま周囲に居合わせた人々は、笑顔でその姿を見守っている。同胞として迎え入れることはできない異郷の存在であっても、ティアのもたらす微笑ましさは見る者の気持ちを温かくしてやまなかったのだった。
半人前のカレーを早々にたいらげてしまったアイ=ファは、静かな眼差しでティアの姿を見下ろしている。アイ=ファはアイ=ファで、ティアがギバ料理を美味しそうに食している姿に満足しているようだった。
「よし。それじゃあ、次のかまどに向かおうか」
とりあえず、宴料理は少量ずついただきながら一周するのが、俺の流儀である。そうして行く先々でさまざまな人々と言葉を交わすのも、祝宴の醍醐味であった。
何せ6氏族の合同であるので、まだまだ交流の薄い相手はたくさんいる。が、ただひとり特殊な生い立ちをしている俺のことを知らない人間はいないので、どこに行っても親しげに声をかけてもらえるのが、本当にありがたかった。
「やあ、アスタ。よかったらこっちの料理も食べていっておくれよ」
いくつ目かのかまどで、ディンの年配の女衆が呼びかけてくる。
そこで出されていたのは、肉団子であった。
ただしこの肉団子の中には、1センチ四方に切られたギバのタンが練り込まれている。言うまでもなく、先日に開発したタンのハンバーグの応用である。
まるでタコ焼きのタコのように、タンの角切りが肉団子の中に隠されているのだ。ひと口で2種類の食感が楽しめる、これも愉快な献立であった。
「うん、美味しいですね。みんなの評判はいかがですか?」
「ああ、うちの家なんかではもう晩餐でも出してるんだけどさ。初めて口にした連中は、みんな愉快だって喜んでたよ」
「それなら、よかったです。……アイ=ファももうこいつは口にしたのかな?」
「ひと通りの料理は口にしている。私も3つほどもらおう」
ハンバーグをこよなく愛するアイ=ファであるので、肉団子も好物の内である。表情を動かさないながらも、アイ=ファはとても満足そうに肉団子を頬張っていた。
が、そのかたわらでティアは難しげな顔をしている。
「これは何だか奇妙な肉だな。ティアは、ひとつでいい」
たちまちアイ=ファは、ティアの顔をじろりとねめつけた。
「お前はこの料理に文句があるというのか、ティアよ?」
「うむ? 文句ではない。今日は好きな食事を好きな分だけ口にすればいいとアスタに言われていたので、ひとつでいいと言っただけだ」
「……しかしその前に、奇妙な肉だと言っていたではないか」
「うむ。やたらとやわらかいので、おかしな心地がする。中に入っている硬めの肉のほうが美味かった」
きっと赤き民の集落でも、肉を挽くという習慣はなかったのだろう。そういう目新しさを喜ぶかどうかは、人それぞれであるのだ。
しかしアイ=ファは自分の愛するハンバーグまでけなされたような心地になってしまったのか、とても不満げなお顔になってしまっている。それに気づいたティアは、ちょっと心配げな眼差しで、アイ=ファの腰あてを引っ張った。
「またティアは何かアイ=ファを怒らせてしまったか? だったら、謝りたいと思う」
「……べつだん悪さをしたわけでもないのに、謝る必要はあるまい」
「でも、アイ=ファを嫌な心地にさせてしまったら、ティアは悲しいのだ」
アイ=ファは空になった木皿を卓に返してから、ふっと息をついた。
とりあえず次のかまどを目指して歩を進めつつ、アイ=ファはあらためてティアに呼びかける。
「虚言は罪なので、正直に言わせてもらう。今の森辺で作られている料理の大半はアスタが考えたものであるので、お前があれこれ不満の声をあげるのが、いくぶん私の気に障るだけだ」
「そうか。だったら食事をするとき、ティアは口を閉ざしていよう」
「お前がそのように心をねじ伏せる必要はない。だからお前も、いちいち私の心情を気にかけるな」
「だけどティアは、アイ=ファを嫌な心地にさせたくないのだ」
アイ=ファは歩きながら、ゆっくりと首を横に振った。
「お前のように幼い人間に気をつかわれるほうが、よほど腹立たしいことだ。それに、心情を隠した状態で私に好かれても意味はあるまい。余計なことは考えず、お前はあるがままの姿でいればいい」
「そうか……やっぱりアイ=ファは、優しいのだな。だからティアは、アイ=ファを嫌な心地にさせたくないのだ」
そう言って、ティアはにこりと微笑んだ。
「それに、やっぱりアイ=ファはアスタのことをとても大事にしているのだな。とっとと婚儀をあげてたくさんの子を作ればいいと、ティアは思う」
たちまちアイ=ファは顔を真っ赤にして、握った拳をぷるぷると震わせた。
「……お前たちの一族と森辺の民とでは、さまざまな部分で習わしが異なっているのだ。そのような話を、うかうかと口にするのではない」
「でも、アイ=ファは心情を隠す必要はないと言ってくれた。だから、ティアは素直な心情を口にしたのだ。……でも、アイ=ファが怒ったのなら、ティアを叩けばいい」
「やかましい! とにかく、婚儀については口を出すな!」
アイ=ファがそのようにわめいたとき、次なるかまどに到着した。
が、幸いなことに、そこはただいま休憩中であるパスタのかまどであったため、人が集まったりもしていなかった。アイ=ファのわめき声の内容が余人の耳に入ることもなかっただろう。
「それじゃあもう一周して、今度は好みの料理だけを食べようか。そうしたら、そろそろ俺もこのかまどを再開させる時間になるだろうからさ」
俺は何とか事態を収束するべく、そのように述べてみせた。
もとよりティアのほうは心を乱していたわけでもないので、「うむ」と笑顔でうなずいている。アイ=ファは自分の気持ちを静めようと、握った拳を心臓のあたりに置いていた。
そうして俺たちが足を踏み出したとき、横合いからひとりの狩人が接近してきた。
振り返ると、ジョウ=ランが「どうも」と目礼をしてくる。
「やあ、ジョウ=ラン。どうかしたのかな?」
「いえ、姿を見かけたので、挨拶しようと思っただけなのですが……」
そのように述べながら、ジョウ=ランは何とも複雑そうな面持ちで微笑んでいた。
「……アイ=ファとアスタは、その野人の娘と悪しからぬ縁を結べたようですね」
「え? うん、まあ、それなりに仲良くやっているつもりだけど」
「はい。遠目に見たとき、まるでその娘がふたりの子であるように思えてしまいました。アイ=ファは何か怒っていたようですが、それも幼い子を叱りつける母親のように見えてしまったのです」
アイ=ファはとても物騒な目つきをしながら、ジョウ=ランにゆらりと近づいた。
「ジョウ=ランよ。私はお前の軽口を聞いている気分ではないのだ」
「え? あ、何かアイ=ファの気分を害してしまいましたか? それならば、謝罪します」
ティアはひたすら無邪気なだけであるが、このジョウ=ランはいくぶん天然気質であるように感ぜられる。それにこの際は、あまりにタイミングが悪かった。
「本当に悪気はなかったのです。それに、やっぱりアイ=ファの伴侶に相応しいのはアスタなのだと思い知らされた気分です」
「やかましい! お前はまたファとランの関係を脅かそうという心づもりか!?」
何だかアイ=ファが本当に殴りかかりそうな勢いであったので、俺は「まあまあ」と仲裁役を演じることになった。
「アイ=ファが憤慨する気持ちはわかるけど、ジョウ=ランはティアとの会話を聞いていたわけでもないんだからさ。ここでジョウ=ランを怒るのは、半分がた八つ当たりになっちゃわないか?」
アイ=ファはぷるぷると肩を震わせてから、「ふん!」とそっぽを向いてしまった。
心ならずも波状攻撃を仕掛けることになったふたりのほうは、そんなアイ=ファの姿をきょとんと見やっているばかりである。ジョウ=ランが余計な言葉を重ねる前に、俺は別なる話題を提供することにした。
「そういえば、今日の力比べはちょっと残念だったね。でも、気を落とす必要はないと思うよ」
「あ、はい。アイ=ファはもちろん、他の4人も勇者に相応しい狩人であるのだから、これが当然の結果です。むしろ、この前の収穫祭のほうが出来すぎだったのでしょう」
そう言って、ジョウ=ランは力なく微笑んだ。
「それに俺は、これまで以上に修練を積んできたつもりでいました。それでも力が及ばなかったのですから、さらに力を振り絞るしかないでしょう。アイ=ファに負けない立派な狩人を目指して、これからも修練に励みます」
「いちいち私を引き合いに出すな。たとえ勇者の座を逃したとしても、ランの血族には立派な狩人があれだけそろっているではないか」
そっぽを向いたままアイ=ファが言うと、ジョウ=ランは「そうですね」と溜息をこぼした。
「ともあれ、今は自分の未熟さを噛みしめるばかりです。これではとうてい、嫁を迎える気持ちにもなれません」
「あ、どこかから新しい嫁入りの話があったのかな?」
俺が口をはさむと、ジョウ=ランは「はあ」と曖昧な返事を発した。
「俺はユン=スドラとの間であのような騒ぎを起こしてしまった身ですから、ランやフォウの家長はしばらく身をつつしむべしと言っていました。ただ、ランにもフォウにもまだ婚儀をあげていない娘は多いので、そういう娘たちがこっそり声をかけてきたりするのですよね」
「ははあ。ジョウ=ランは人気者だもんねえ」
「そんな大した話ではありません。声をかけてくるといっても、2、3人のことですから」
こういう台詞を他意なく口にしてしまうところが、天然気質であるのだろう。
まあ幸いなことに、俺はそのような話で羨望を覚える立場ではない。多数の相手から恋心を向けられるなんて大変そうだなあと、むしろ気の毒に思えてしまうほどである。
「まあ、ジョウ=ランはまだ若いからね。今度の家長会議で婚儀の習わしについても話し合われるはずだし、まずはその結果を待てばいいんじゃないのかな」
「はい。俺もそのつもりです。……でも、たとえすべての氏族との婚儀が許されるようになったところで、アイ=ファのような女衆は他にいないのでしょうけれどね」
アイ=ファはぎりぎりと奥歯を噛み鳴らしていたが、なんとか不満の声は咽喉の下に呑み込んでいた。
それを知ってか知らずか、ジョウ=ランはちょっと趣の異なる笑みを浮かべる。
「それにしても、アスタは俺みたいな相手にも、そんな風に気にかけてくれるのですね」
「え? そりゃもちろん。ファとランはもう友じゃないか」
むしろ俺としては、俺のような立場の人間がジョウ=ランにあれこれ指図するのはおこがましいのかな、と心配なぐらいであった。
だけどジョウ=ランは、何だかすがるような眼差しで俺のことを見やっている。
「俺だったら、自分の大事な存在に不相応な思いを向けた相手に、そんな風にふるまえないかもしれません。アスタは、器が大きいのですね」
「いや、それはきっと、俺が町で生まれ育ったからだよ。たぶんジョウ=ランは森辺で変わり者の部類だと思うけど、俺の故郷の価値観に照らし合わせると、そんなに不自然な感じがしないんだよね」
「そうなんですか。町の人間というのはほとんど口をきいたこともないので、よくわかりません」
「それなら、ジョウ=ランもルウ家の祝宴に参加できるようにお願いしてみたらどうかな? もしかしたら、気の合う人もいるかもしれないよ」
というか、ジョウ=ランはとても強い力を持つ狩人であるはずなのに、とても物腰がやわらかくて、迫力や野性味というものをまったく感じさせない。町の人々にとって、それは親しみやすさと認識されるはずだった。
「森辺の民は王国の民として生きていくために、これまで以上にジェノスの人たちと絆を深めるべきだろうからね。ジョウ=ランだったら、それを助ける存在になれるんじゃないかなあ?」
「そうなんでしょうか? 俺にはやっぱり、よくわかりませんけど……」
と、そこでジョウ=ランは子供みたいににこりと笑った。
「でも、アスタがそんな風に言ってくれるのなら、家長たちと相談したいと思います。俺でも何か役に立てるなら、それはとても嬉しいことですし」
「うん。是非そうしてみなよ」
ジョウ=ランは「はい」とうなずいてから、アイ=ファのほうにも視線を向けた。
「それじゃあ、邪魔をしてすみませんでした。アイ=ファも祝宴を楽しんでください」
アイ=ファはひとかけらも愛想のない声で「うむ」とだけ応じていた。
ジョウ=ランが姿を消すと、お行儀よく口をつぐんでいたティアがさっそく声をあげてくる。
「確かにあいつは、森辺の狩人らしからぬ空気を纏っているな。アイ=ファは、あいつを嫌っているのか?」
「……お前と同じで、余計な言葉を発するから苛立たしく思うだけだ」
「そうなのか。アイ=ファはすぐに怒るから、周りの人間は大変だな」
「そ、そんなことはないよ。ジョウ=ランは、ちょっと森辺の習わしから外れている部分があるからね。アイ=ファじゃなくても、腹立たしく感じてしまう人は多いと思うよ」
さすがにアイ=ファが気の毒になったので、俺はフォローを入れておくことにした。
それが功を奏したのか、アイ=ファはそれ以上不満の言葉を述べようとはせずに、止められていた歩を再開させる。俺とティアも、半歩遅れてそれを追いかけた。
次のかまどは、ごくシンプルな肉野菜炒めであった。ギバ骨スープで使用した出汁用の野菜を刻んで味付けしたディップを添えた料理である。
そこには、なかなかたくさんの人々が陣取っていた。なおかつ、ラッド=リッドとゲオル=ザザがそろっていたので、その賑やかさもひとしおであった。
ようやくゲオル=ザザもトゥール=ディンのもとから離れたのか、と思って視線を巡らせると、両者の巨体の影で父親と語らっているトゥール=ディンの姿が見えた。何のことはない、かまど番のローテーションで休憩時間となったトゥール=ディンも彼らに同伴していたのである。そのかたわらには、しっかりスフィラ=ザザの姿もあった。
「やあ、トゥール=ディンもひと仕事を終えたんだね。菓子の登場はまだなのかな?」
「あ、はい。幼子たちが夢中になってしまわないように、もう少し時間を空けたいそうです」
トゥール=ディンは、とても幸福そうな顔で微笑んでいた。
それはきっと、父親たるゼイ=ディンがそばにいるためなのだろう。俺はもともとゼイ=ディンとあまり交流がなかったので、ふたりがそろっている姿を目にするのも珍しいことであった。
「ゼイ=ディン、あらためて、今日はおめでとうございました。棒引きだけでなく、的当てや木登りの力比べも素晴らしかったですね」
ゼイ=ディンは、穏やかな眼差しで「ああ」とうなずいてくれた。
それほど背は高くないが、すらりとした体格をしており、口髭をたくわえたその風貌は、なかなか渋みがかった男前であるように思える。
そして、俺はかねがねリャダ=ルウと似た雰囲気だと感じていたが、たぶん年齢はそれほど近くない。ただひとりの子であるトゥール=ディンがいまだ11歳なのだから、もしかしたらゼイ=ディンもまだ三十路前なのかもしれなかった。
(スン家が狩人の仕事を放棄して森の恵みを荒らし始めたのは、十数年前って話だったよな。ってことは、ゼイ=ディンもほとんどギバ狩りの経験はなかったんだろう)
そんなゼイ=ディンが、1年足らずの修練で、ここまでの力をつけることができたのだ。
もともと才覚があったのかもしれないし、あるいはスンの集落でもひそかに身体を鍛えていたのかもしれない。なおかつゼイ=ディンが実際のギバ狩りでどれほどの腕前を持つのかも、俺は知らない。
だけどゼイ=ディンは、狩人の力比べでこれほどの力を見せつけたのだ。
的当てと木登りでは決勝戦まで進み、棒引きでは勇者の座を獲得することになった。35名もの狩人が存在するこの収穫祭でそれほどの結果を残すことができたのだから、それだけでもうゼイ=ディンの力量は証し立てられているはずだった。
(そりゃあ、トゥール=ディンがこんなに喜ぶのも当たり前だよな)
トゥール=ディンは、本当に幸せそうだった。
そして、そんなトゥール=ディンと語らうゼイ=ディンも、同じぐらい幸せそうだった。
他の眷族に引き取られたスンの分家の人々も、同じような幸せを噛みしめることができているだろうか。
それに、今もなおスンの集落で暮らしている人々や、なかなか顔をあわせる機会のないディガやドッドはどうだろう。
すべての人々が正しい道を歩き、これまでの分まで幸せになっていることを、俺は心から願わずにはいられなかった。
「何だ、お前はまだファの家のアスタにひっついているのか、野人の子よ」
と、やおらゲオル=ザザがそのように呼びかけてきた。
きっとラッド=リッドにつきあってまた大量の果実酒を口にすることになったのだろう。ギバの毛皮の下で、いっそう顔が赤くなっているし、陽気な笑顔なのに、目は据わっている。
そんなゲオル=ザザの姿を見返しながら、ティアは「うむ」とうなずいた。
「ティアはアスタに贖いをしなければならないので、ともにあるのだ」
「その御託は親父からも聞いている。しかし、このような場でお前がアスタの助けになることなどあるのか?」
「それはわからない。しかし、いきなり獣が襲いかかってくることもあるかもしれないし――」
「そのときは、お前よりも早くファの家の家長が蹴散らしてくれるだろうさ。そいつはこの集落でもっとも力のある狩人のひとりなのだからな!」
以前の祝宴ではそれを不満げに語っていたゲオル=ザザが、この夜は豪放に笑っていた。
まあ、半分がたはアルコールの効果なのだろう。
「それに、これだけ盛大に騒いでいれば、ギバが寄ってくることなどありえんぞ! そうでなくては、女衆や幼子を外になど出せるものか!」
「うむ。しかし、それ以外でも、いつどのような役目が生じるかもわからないし――」
「おい、お前は血族ならぬ身だが、特別に許しを得て、この場にいるのだぞ? それなのに、自分の都合だけを言い張ろうというつもりか?」
いったいゲオル=ザザは何を言い出すつもりなのだろう、と俺はヒヤヒヤさせられてしまった。
そして、そんな俺に向かって、ゲオル=ザザの太い指先がのばされてくる。
「お前はもう何日もファの家に居座っているのだろうが? 少しは、こいつらに自由を与えてやれ! お前のような余所者に居座られたら、こいつらとて家族との情愛を育むのにも不都合だろうよ!」
ティアはいくぶん困惑の表情になりつつ、俺とアイ=ファの姿を見比べてきた。
もちろん俺も困惑の真っ只中であるし、アイ=ファもいぶかしげに眉をひそめている。
これでまた、俺とアイ=ファの微妙な関係性が取り沙汰されていたら、厄介なことになっていたかもしれない。
しかし、ゲオル=ザザはそのような気持ちで言葉を述べているわけではないようだった。
「森辺の民にとっては、血の縁というのがもっとも重んずるべきものであるのだ! まあ、こいつらに実際の血の縁はないようだが、ふたりきりの家族であることに変わりはない! お前はそこにまぎれこんだ邪魔者だという気持ちを持つべきではないのか?」
「……しかしティアは、アスタに贖いを……」
「その言葉はすでに聞いたと言っている。ただ、収穫祭の祝宴でぐらい、少しは遠慮をしてみせろと言っているのだ!」
そう言って、ゲオル=ザザはティアのもとに屈み込んだ。
やや眠たそうにまぶたを半分下ろしつつ、至近距離からティアを見つめる。
「お前にだって家族があり、それを森辺の民と同じように大事にしているのだと、俺は親父から聞いているぞ。それが真実なら、俺の言っている言葉も理解できるはずだ」
「うむ……理解できる、と思う……」
やがてティアはひとつうなずくと、毅然とした面持ちで俺たちを振り返ってきた。
「この宴が終わるまで、ティアはアスタから離れていようと思う。決して森辺の習わしを破ったりしないので、アスタとアイ=ファも宴を楽しんでほしい」
「う、うん……だけど、本当に大丈夫かい?」
「何を案ずることがある! こいつが悪さをするようだったら、俺たちが罰を与えてやるだけだ!」
ゲオル=ザザは笑いながら身を起こし、犬や猫でも追い払うように手を振ってきた。
「さあ、どこへなりとも行ってしまえ。この数日間の鬱憤を晴らしてくるがいい」
俺の中にはまだいくぶんの不安があったが、ここで頑なな態度を取るのは、ゲオル=ザザとティアの心情を踏みにじるのに等しいように思えてしまった。
そして、アイ=ファのほうはごくあっさりとその提案を受け入れて、「行くぞ」と身をひるがえしてしまう。
「そ、それじゃあ、ティア、また後でね。まだ食事も足りていないだろうから、きちんと食べるんだよ」
「うむ、わかっている」
最後にティアは、屈託のない笑みを浮かべた。
そちらにうなずきかけてから、俺は急いでアイ=ファを追いかける。
すでに数メートル先を歩いていたアイ=ファは、俺が追いつくと、「ふむ……」と前髪をかきあげた。
「あやつはいったい何を言いだすのかと思ったが……存外、酒が入ったほうが理のある言葉を吐けるようだ」
「あはは。そりゃあ、いずれは族長の座を継ぐ立場だからな。ジザ=ルウなんかと比べたらまだ若いけど、きっと中身はしっかりしてるんだと思うよ」
「うむ。正直に言うと、いくぶんあやつを見くびっていたかもしれん」
アイ=ファは、あくまで厳粛なる面持ちであった。
ただ、横目で俺のほうをちらちらと見ている。
「ともあれ、まずは食事だな。お前はまだ腹も満ちてはおるまい」
「うん。だけど、せっかくだからアイ=ファとゆっくり語らいたい気分だなあ」
アイ=ファはわずかに頬を染めながら、軽めの肘鉄を脇腹にくれてきた。
「お前はどうせ、この後も仕事なのだろうが? その前に、しっかりと腹を満たしておけ。……それに……」
「うん、それに?」
「……ティアは、宴が終わるまで離れている、と言っていたではないか。だったら、仕事の後で、ゆっくり語らえばいい」
俺は思わず笑顔になりながら、「うん」とうなずいてみせた。
それから、ずっと気になっていたことを尋ねるために、アイ=ファの耳もとへと口を寄せる。
「ところで、今日はあの髪飾りは持ってきていないのかな?」
アイ=ファは目を細めつつ、うろんげに俺をにらみつけてくる。
「収穫祭の場には、狩人として身を置いているのだ。狩人が髪飾りなどをつけるいわれはあるまい」
「ああ、うん、やっぱりそうだよな。今日は立派な草冠をかぶってることだし、それが正しいんだと思うよ」
それでも俺は心の片隅でわずかに期待してしまっていたので、あらかじめ確認しておきたかったのだった。
アイ=ファは愛想のない顔で、「ふん」と鼻を鳴らしている。
「どうせ数日もすれば、またルウの集落で祝宴ではないか。それまで、待っておけ」
「あ、そっちの祝宴ではつけてくれるのか? それは嬉しいなあ」
俺は、心よりの笑顔を届けてみせた。
するとアイ=ファはまた顔を赤くして、今度は強めに肘鉄をくらわせてきた。
あばら骨はずきずきとうずいたが、それでも俺は、この上なく幸福であった。
また、俺たちの周囲では、それにも負けないぐらい幸福そうな顔をした人々が、かけがえのない同胞たちと情愛を育んでいたのだった。