緑の月の二十八日③~祝宴~
2018.2/4 更新分 1/1 ・2018.2/5 誤字を修正 ・2018.4/16 タイトルを修正
下りの六の刻――日没である。
太陽が没すると同時に儀式の火が灯されて、いよいよ収穫祭の祝宴が開かれることとなった。
丸太で築かれた壇の上には、力比べで勇者の称号を得た5名の狩人が座している。
その中にはラッド=リッドも含まれていたために、取り仕切り役はその跡継ぎであるリッド本家の長兄が受け持つことになった。
「それでは、勇者と定められた5名の狩人たちに、祝福の冠を授けたいと思う! まずは、的当ての勇者、チム=スドラ!」
口もとを引きしめたチム=スドラが、ゆっくりと立ち上がった。
リッドの女衆が進み出て、その頭に草冠をかぶせると、広場に集結した人々がいっせいに歓声をあげ始める。
その人数は、昨年よりも3名増えて、87名になっていた。3名の幼子が、4歳から5歳に成長したということだ。
なおかつ、老いや病魔や不慮の事故で魂を返した人間は、ひとりもいない。それでも客人の数が減った分、前回よりは祝宴の参加者も減っているはずであったが、そこには前回以上の熱気と活気が満ちあふれていた。
「荷運びの勇者、ラッド=リッド!」
息子に名を呼ばれて、ラッド=リッドものそりと立ち上がる。
にこにこと笑うその頭にも、勇者の草冠がおごそかに授けられた。
「木登りの勇者、ライエルファム=スドラ!」
ライエルファム=スドラは、普段通りのしかつめらしい面持ちで草冠を授与される。
ここまでは、前回と同じ顔ぶれである。
リッドの長兄は、ひと呼吸置いてから、次の名前を読みあげた。
「棒引きの勇者、ゼイ=ディン!」
いっそう大きな歓声が、広場に響きわたる。
同じ祝宴に集った人々でも、やはり血族が勇者に選ばれれば、ひときわ嬉しいものなのだろう。ディンとリッドの人々は、惜しみなくゼイ=ディンを祝福していた。
トゥール=ディンなどはもう、最初から手ぬぐいを準備して、その瞬間を待ち受けていた。そうして父親の名が呼ばれると、トゥール=ディンは涙をぽろぽろと流しながら、小さな身体を震わせていた。
「闘技の勇者、アイ=ファ!」
やがてアイ=ファの名が呼ばれると、歓声の周波数がいくぶん高くなったように感じられた。
アイ=ファの凛々しさに心酔する若い娘たちが、黄色い声を張り上げているのだ。もちろん男衆も歓声をあげているのだが、それを圧する勢いと熱意であった。
「5名中の4名は、前回と同じ顔ぶれとなった。これは、その4名が揺るぎない力を持っている証となろう。新たな勇者となったゼイ=ディンも、惜しくも勇者の座を逃したジョウ=ランも、そこまで力の及ばなかった我々も、たゆまず己を磨き上げ、彼らに負けない力をつけようではないか!」
リッドの長兄の宣言には、狩人たちが威勢のよい声を返す。
それを聞き届けてから、リッドの長兄は果実酒の土瓶を掲げた。
「それでは、収穫の宴を開始する! ファ、フォウ、ラン、スドラ、ディン、リッドの血族たちよ、母なる森に感謝の念を捧げつつ、その恵みを己の力に!」
「母なる森に感謝を!」の声が、すべての人々の口からあがった。
ルウ家の祝宴にも負けない、凄まじい熱気である。
同じ言葉を復唱してから、俺はいざ広場の片隅に設置された簡易型かまどのほうに足を向けた。
「何だ、アスタはまだ仕事なのか?」
ひょこひょこと追従してくるティアに、俺は「うん」とうなずいてみせる。
「まずは料理を配らなくっちゃね。宴を楽しむのは、その後さ」
「そうか。では、アスタの仕事が終わるのを、ティアも待つ」
きっとティアも、さぞかしお腹を空かせていることだろう。彼女はこんなに小さな身体をしているのに、アイ=ファと変わらないぐらい食欲が旺盛であるのだ。
俺に遠慮をする必要はないのであるが、ティアが自分の考えを曲げることはない。俺の仕事もそれほど長くかかることはないはずであるので、しばし辛抱してもらう他なかった。
「それでは、料理を仕上げますね。パスタが茹であがるまで少々お待ちください」
今回も、俺の担当は2種のパスタであった。
内容は、前回と同じくギバ骨スープとミートソースである。これはどちらも大好評であり、メニューから外すこともかなわなかったのだった。
それに、作製に時間と手間のかかるギバ骨スープは、小さき氏族の人々にとって、とっておきのご馳走なのである。スドラ家の婚儀の祝宴ではニョッキタイプのパスタを使用していたが、今回はまたスパゲティタイプのパスタを用意して、とんこつラーメンさながらのスープパスタをふるまうことになった。
ギバのバラ肉でこしらえたチャーシューも、どっさりと準備している。濃厚なる白湯風のギバ骨スープには、ティノやネェノンやナナールや、キクラゲやマッシュルームに似たキノコ類も投じており、今回も出し惜しみのない仕上がりであった。
「アスタ、こっちに5皿ずつ頼むよ! まずは勇者の狩人たちに届けてあげなくっちゃね!」
「はい、了解しました。もうすぐ茹であがるので、ちょっと待っていてくださいね」
アイ=ファに祝福の言葉を届けるのも、この仕事を終えた後のことである。俺は煮えたった鉄鍋に次々とパスタを放り込んでは砂時計をひっくり返し、自分の仕事をこなしていった。
そこに大柄な人影が近づいてきたのは、仕事を始めて15分ていどが経過してからのことである。
「ファの家のアスタか。ずいぶんひさびさな気がするな」
「ああ、ゲオル=ザザ。いま到着したのですか?」
「おう。これから家長らに挨拶するところだ」
ギバの毛皮を頭からかぶったゲオル=ザザが、底光りする目で俺を見下ろしてくる。
しかしその目は、すぐにティアのほうへと差し向けられることになった。
「で、そいつが例の赤き野人か。なるほど、親父に聞いていた通りの、珍妙な姿だ」
ティアは、澄んだ瞳で恐れげもなくゲオル=ザザを見返している。
「その愉快な装束には見覚えがある。お前は森辺の族長グラフ=ザザの家族か?」
「ああ。俺は族長グラフ=ザザの子、ゲオル=ザザだ」
「そうか。森辺の族長たちの温情には、心から感謝している」
気負う風でもなく、ティアはぺこりと頭を下げた。
ゲオル=ザザは、「ふん……」と、父親そっくりの仕草で下顎を掻いている。
「こいつは森辺の狩人をも上回る力を持っているようだと聞いていたのだが、よくわからんな。こんなに小さくて幼い娘が、それほどの力を持てるものなのか……?」
「森辺の狩人の力は、ティアもさきほど見届けた。たぶん、地べたの上だったら、ティアより森辺の民のほうが強いと思う」
「地べたの上?」
「うむ。赤き民は、あまり地べたで戦ったりしない。地べたでマダラマと戦うのは、とても危険だからだ」
「……よくわからんが、森辺の民と赤き野人が刃を交じえることはない、という話だったからな。そんな連中の力をはかっても、あまり意味はないか」
ゲオル=ザザは分厚い肩をすくめてから、俺のほうに視線を戻してきた。
「それでは、家長たちに挨拶してくるとしよう。おい、俺が戻るまで、その料理がなくなることはあるまいな?」
「もちろんです。前回よりも、たくさんの量を準備していますからね」
「だったらいい。……あと、トゥール=ディンはどこにいるのだ?」
「トゥール=ディンですか? 彼女は儀式の火をはさんだ向こう側のかまどを預かっているはずです。きっとスフィラ=ザザも一緒だと思いますよ」
「そうか」と言い捨てて、ゲオル=ザザは立ち去っていった。
迫力のほうは相変わらずであるが、以前のような荒々しさはずいぶん緩和されたように思える。それとも、城下町の舞踏会をご一緒したり、スフィラ=ザザとレイリスの一件で忌憚のない言葉を交わしあったりして、彼ともそれなりの親交が深まってきた、ということなのだろうか。
(なかなか顔をあわせる機会がないけれど、北の集落の人たちとも、もっと親交を深めたいところだよな)
そんなことを考えている間にも、続々と人は押し寄せてきている。待ちに待った収穫祭を迎えて、人々の喜びも絶頂を迎えている様子であった。
もちろん仕事にいそしみながら、俺もぞんぶんに喜びを噛みしめている。俺にとっても森辺の収穫祭というのは、何よりも心の躍る一大イベントであるのだ。
すでにとっぷりと日は暮れて、儀式の火とかがり火だけが目の頼りである。闇に閉ざされた空の下、明々とした光に照らし出されるのは、とてつもない生命力を持った森辺の同胞たちの姿だ。
女衆は宴衣装に身を包み、男衆は身軽な格好で土瓶を傾けている。もう何度この光景を目にしているかもわからないが、やっぱり俺の胸には変わらぬ昂揚と喜びがあふれかえっている。これほどの熱と力に満ちた祝宴というものを、俺は森辺の集落を訪れるまで目にする機会はなかった。それはまるで神話の1ページが現出したかのような光景であり、俺の心を揺さぶってやまなかったのだった。
森辺の民は王国の民として生きていくと宣誓を立てたが、この力と熱を失ってはいけないし、また、失うこともないだろう。森を母とする限り、この力や、熱や、喜びや、幸福は、いつまでも森辺の民のものであるのだ。
「……誰もが子供のようにはしゃいでいるな」
ふいにティアが、ぽつりとつぶやいた。
新たなパスタを鉄鍋に投入してからそちらを振り返ると、ティアは手の甲でごしごしと目もとをぬぐっていた。
「何でもない。家族たちのことを思い出しただけだ」
俺が何かを言う前に、ティアはそんな風に述べたてた。
砂時計をひっくり返し、かまどに薪を加えつつ、俺はそちらに笑いかけてみせる。
「赤き民の祝宴も、これぐらい賑やかなのかな?」
「赤き民は、祝宴でもこんなに火を焚いたりはしない。……でも、とっておきの酒を出して、皆で喜びを分かち合う」
「へえ、モルガの山でも酒を作れるんだね」
「当たり前だ。ペルリの果実を潰してヌーモの殻に封じておけば、美味しいペルリの酒ができる」
そう言って、ティアはもう一度目もとをぬぐった。
「大丈夫だよ。怪我さえ治れば、家族たちのもとに帰れるからね」
「その前に、アスタへの贖いだ。これではきっと、100日が過ぎてもアスタへの贖いは終わらないと思う」
「うん。その件については、おいおい考えよう」
きっと骨が繋がるのに100日はかからないはずだ。だからたぶん、それはリハビリも済んで、怪我をする以前の力を完全に取り戻すのに必要な日数なのだろう。
ひとまず骨さえ繋がってしまえば、ティアにも色々な仕事を頼むことができる。リハビリがてらに、そういった仕事を少しずつでもこなしていってもらうしかなかった。
「お待たせしたね! 窯焼きの料理ができあがったよ!」
と、遠くのほうからそんな声が聞こえてきた。
本日は、窯焼きの料理にもチャレンジしていたのだ。内容は、ルウ家の祝宴でも好評だったグラタンと、城下町でもお披露目したタラパと乾酪の料理であった。ニョッキタイプのパスタは、こちらでしこたま使用しているのだ。
本家の裏手から姿を現した女衆たちが、耐熱用の大皿を載せた板をふたりがかりで運んでいる。広場で料理を楽しんでいた人々は、ゆるやかなうねりを見せつつ、そちらに群がっていった。
「やれやれ、すごい騒ぎだね。アスタ、こっちのぱすたも半分ぐらいはなくなったみたいだし、いったん休憩にしちゃあどうだい?」
一緒に働いていたランの女衆に、俺は「そうですね」とうなずき返してみせた。
やはりギバ骨スープのパスタは大人気であるので、あっという間に半分ぐらいがなくなってしまったのだ。残りの半分は後半戦のお楽しみとして、俺たちもしばしかまどを離れることにした。
「さて、それじゃあ……食事の前に、アイ=ファに声をかけておこうと思うんだけど、それでいいかな?」
「もちろんだ。ティアはアスタの言葉に従う」
この人混みの中、松葉杖で移動するのは大変かな、という思いもあったが、ティアは危なげなく俺についてきていた。森辺の民と同等かそれ以上の身体能力を有するティアに、そのような心配は不要であるようだった。
そうして勇者たちの席におもむいてみると、そちらもけっこうな賑やかさである。
まあ、ラッド=リッドが陣取っている時点で賑やかさは保証されているし、大勢の人々が祝福の言葉を届けるために押し寄せてくるのだから、これも当然の結果であった。
社交性というものに乏しいアイ=ファのもとにも、もちろん大勢の人々が訪れてくれている。それらの人々をかき分けて、アイ=ファに言葉を届けるだけで、なかなかの大仕事であった。
「アイ=ファ、お疲れさま。それに、あらためて、おめでとう」
アイ=ファたちは、1メートルほどの高さを持つ壇の上であぐらをかいている。俺が横合いから声をかけると、アイ=ファは「うむ」と穏やかな眼差しを返してきた。
「料理は口にできてるかな? 欲しいものがあるなら、運んでくるけど」
「いや。食べるのが追いつかないぐらいに料理は届けられている。お前こそ、自分の食事を進めるがいい」
そのように述べてから、アイ=ファはわずかに眉をひそめた。
「……その前に、ブレイブたちはきちんと食事を与えられているだろうか?」
「うん。大丈夫だと思うけど、いちおう様子を見ておくよ」
アイ=ファは厳粛な面持ちのまま、「頼むぞ」といっそう目もとを和ませた。
さしあたって、アイ=ファに声をかけたいという俺の欲求はそれで満たされた。ふたりでゆっくりと言葉を交わす時間は後でいくらでも作れるのだから、今は他の人々に席を譲るべきであるのだ。
(とはいえ、最近はどこでもティアが一緒だけどな)
そんな風に考えながら、俺は分家の家屋に向かった。
家の前に立つと、ジルベの「バウッ」という声が聞こえてくる。これは警戒ではなく、家族である俺を迎えるための声だ。そこはかとない情愛の念をかきたてられつつ、俺は戸板をノックした。
「ファの家のアスタです。戸を開けてもかまいませんか?」
「どうぞ」という聞き覚えのある声で返事があった。
戸を開けると、ジルベとブレイブとフォウ家の猟犬がさっそくすり寄ってきてくれる。
「どうしました、アスタ? 何か言伝でしょうか?」
広間の奥に座していたのは、サリス・ラン=フォウであった。
そのかたわらにはリィ=スドラの姿もあり、そして、5歳未満の幼子たちが楽しそうにはしゃいでいる。犬と幼子たちは同じ家で面倒を見られていたのである。
「いえ、ブレイブとジルベの様子を見に来ただけなのです。リィ=スドラも、こちらだったのですね」
「はい。わたしは乳飲み子を抱えておりますので、なるべくこの場に留まっています」
その乳飲み子たるホドゥレイル=スドラとアスラ=スドラは、草籠の中で寝かされていた。こちらもなかなかの騒がしさであるのに、ぐっすり安眠しているようだ。
そして、俺とは顔見知りであるアイム=フォウが、とてとてと歩み寄ってくる。「こんばんは」と声をかけると、アイム=フォウははにかむように微笑んだ。
「ブレイブたちの食事は済みましたか? まだでしたら、お手伝いしますよ」
「いえ。さきほど肉と骨を与えておきました。そちらのジルベも肉だけでよかったのですよね?」
「ええ。数日置きに野菜やフワノも与えていますが、今日は肉だけで大丈夫です」
それは、もとの主人であるドレッグにもしっかり確認を取っていた。獅子犬というのは、もともと肉しか食さないジャガルの犬を品種改良したものであり、数日置きにフワノと野菜を与えたほうが健康を保てるのだという話であった。
与える野菜はティノ、ネェノン、シィマが望ましく、生よりも若干熱を通したほうが、なお望ましい。調味料や香草は控えるべきであるが、過剰に与えなければ問題はない、と聞いている。
また、俺の故郷ではタマネギやニンニクなどは犬にとって害になる、とされていた気もするが、べつだんアリアやミャームーを禁じられることはなかった。ただ、シムの珍しい香草などは与えたことがないので用心するべしと言われていた。
「アスタも祝宴をお楽しみください。わたしもさきほど、勇者に選ばれた狩人たちに祝福の言葉を届けさせてもらいましたので」
そう言って、リィ=スドラはたおやかに微笑んだ。
まだいくぶん妊娠前よりも丸みのある姿をしていたが、それがいっそうやわらかい優しさをかもし出しているように感じられる。
「ありがとうございます。その前に、ちょっと赤ん坊たちの寝顔を拝見してもいいですか?」
「ええ、もちろん」
俺は革のサンダルをほどいて、広間に上がらせていただいた。
裸足のティアは足を清める手間をはぶき、両手と左膝を使って後をついてくる。赤き野人の到来に気づいた幼子たちは、みんな目を丸くしてその姿を見守っていた。
双子の赤ん坊は、どちらも安らかに眠っていた。
いまだに生後一ヶ月の、小さな姿である。以前よりははるかに肉がついたものの、それでも小さいことに変わりはない。その愛くるしい寝姿を見ているだけで、俺は胸がいっぱいになってしまった。
「小さいな。こんな小さい赤子が、あんな大きい人間に育つのか」
ティアもまた、くいいるように赤子たちの姿を見つめていた。
その横顔には、とても純真な慈愛の表情が浮かべられているように感じられる。
「とても可愛い赤子たちだ。森辺の民にとっても、赤子は宝なのだろう?」
「ええ、もちろんです」
リィ=スドラが穏やかな声で答えると、ティアは満足そうに微笑んだ。
「お前がこの赤子たちの母なのだな。もっとたくさんの赤子を産んで、一族に恵みをもたらすといい」
「ええ。わたしもそのように願っています」
「うむ」とうなずいてから、ティアは俺にも笑いかけてきた。
「お前たちもだ、アスタ。アイ=ファは立派な狩人なのだから、きっと強い子を産むことができるぞ」
「う、うるさいってば。アイ=ファに聞かれたら、また叩かれるぞ?」
「そうか。アスタたちは、その前に婚儀をあげなければならないのだったな。とっとと婚儀をあげて、とっとと子を作ればいい。それが、一族の力となるのだ」
普段はアイ=ファに背負わされる苦労が、本日は俺が受け持つことになってしまった。
せめてティアとふたりきりならば、それほど困ることもなかったのだが。サリス・ラン=フォウとリィ=スドラを前にして、俺は赤面の至りであった。
「わたしは、アイ=ファの気持ちを何よりも大事にしたいと思います。でも、アイ=ファの子を見ることができたら、それにまさる喜びはありません」
そう言って、サリス・ラン=フォウはにこやかに笑いかけてきた。
リィ=スドラは、ただ静かに微笑んでいる。
俺は首から上に熱を感じ始めたので、この場を退去させていただくことにした。
「そ、それじゃあ俺たちは広場に戻ります。お邪魔してしまってすみませんでした」
「いえ。どうぞ祝宴をお楽しみください」
最後に3頭の犬たちの頭を撫でてから、俺は戸板をそっと閉めた。
そうして息をついていると、ティアがなおも語りかけてくる。
「アスタ。もしもこの100日の間にアスタとアイ=ファが子作りの儀に及ぶようであれば、ティアは家の上で寝ようと思う」
「あああ、もう! アイ=ファがティアをひっぱたきたくなる気持ちがわかってきた!」
「ティアを叩くのか? それでアスタの気が晴れるなら贖いとなるので、ティアは甘んじて受け入れる」
そう言って、ティアは目を閉じ、俺のほうに顔を突き出してきた。
俺はもう一度息をついてから、その髪をわしゃわしゃとかき回してみせる。
「叩かないよ! 広場に戻って、食事にしよう!」
「うむ。ティアはとても腹が空いていた」
ティアは目を開き、とても嬉しそうに微笑んだ。
俺はえもいわれぬ疲弊感を感じつつ、大事な同胞たちの待つ広場へと足を向ける。
そこには最前までと変わらぬ熱気が渦を巻き、荒っぽく俺たちを抱き止めようとしているかのようだった。