緑の月の二十八日②~狩人の力比べ~
2018.2/3 更新分 1/1
その後も、狩人の力比べは粛々と進められていった。
次なる競技は荷運びであり、これは幼子を乗せた引き板を引いて、50メートルほどの距離を駆ける、という内容だ。
荷物役の幼子は数名ずつ配置されるので、その重量は7、80キロにも及ぶ。言うまでもなく、これは大柄で力自慢の狩人に有利な競技であった。
的当てでは全員が一回戦で敗退することになったリッドの狩人たちが、ここでは大活躍することになる。6氏族の中で、平均的に体格が優れているのはリッドとディンの家であるのだった。
で、優勝したのは、やはり前回の覇者であるラッド=リッドである。
彼は100キロぐらいもありそうな巨躯であるのに、ダン=ルティムもかくやという俊足の持ち主でもあったのだ。今回も、その牙城を崩せる狩人は存在しなかった。
体格的に不利なアイ=ファは、今回もかろうじて一回戦だけを勝ち抜き、準決勝で敗退していた。
だけど、前回ほど悔しそうな表情はしていなかったように思う。この競技ばかりは他の狩人に席を譲る他ない、という心境に落ち着いたのであろうか。
そうして次の競技は、アイ=ファも得意な木登りである。
ここでは少し、波乱が起きた。
といっても、アイ=ファは無事に決勝戦まで進むことができた。波乱が起きたのはその前の対戦で、前回はアイ=ファと接戦を繰り広げていたジョウ=ランが、トゥール=ディンの父親に敗北してしまったのである。
いまだに若い女衆からは人気であるらしいジョウ=ランの敗退に、嘆きの声をあげる人間は少なくなかった。
そんな中、俺はこっそりとトゥール=ディンに囁きかけてみせる。
「すごいね。トゥール=ディンのお父さんは、また決勝戦に進出じゃないか」
「は、はい……でも、アイ=ファもそれは一緒ですよね。アイ=ファもすごいです」
トゥール=ディンは、また目を潤ませて喜んでいた。
トゥール=ディンの父親は、スン家で堕落してしまった罪を贖おうと、必死に修練を重ねているという話であったのだ。その成果がこれだけ目に見える形で表れれば、嬉しくないはずがなかった。
そうして迎えた決勝戦の顔ぶれは、アイ=ファ、ライエルファム=スドラ、トゥール=ディンの父親、というものである。
前回はチム=スドラもファイナリストに選出されていたが、今回は準決勝戦でアイ=ファに敗れることになってしまったのだ。
「森辺の民も、けっこう素早く木を登ることができるのだな。森辺の民は地べたを駆けるギバを狩っているから、木に登ったりはしないのだろうと思っていた」
ティアは、相変わらず昂揚した面持ちでそのように述べていた。
どうやらペイフェイというのは木の上に生息する獣のようであるし、マダラマの大蛇もそれは同様であろうから、赤き民というのは木登りが得意であるのかもしれない。
ともあれ、決勝戦である。
その勝負を制したのは、やはり前回の覇者であるライエルファム=スドラであった。
「あの年をくった狩人は、ちょっと赤き民に似ている気がする。他の狩人のように図体が大きくないので、なおさらだ」
ティアは、そのように述べていた。
そこで俺は、思いついた疑問を口にしてみる。
「そういえば、ティアは年齢の割に小柄だと思ってたんだけど、もしかしたら赤き民としては小さいわけではないのかな?」
「うむ? ティアは大きくも小さくもない。十二歳の女として、普通だと思う」
「そっか。それじゃあ大人の男性でも、ライエルファム=スドラぐらいの背丈が普通なのかな?」
「うむ。あれぐらいが、普通だと思う」
ライエルファム=スドラはレイナ=ルウより小柄なぐらいで、おそらく150センチ未満なのである。それが成人男性の平均的な身長だとすると、赤き民というのはずいぶん小柄な一族であるようだった。
「よし、それではこれで、小休止としよう! 女衆は、腹ごしらえの準備を頼むぞ!」
ラッド=リッドの言葉に応じて、軽食の準備が整えられることになった。
ここから三の刻の半までは、かまどの仕事を進めさせていただくのだ。その間、狩人たちには簡単な軽食とチャッチのお茶で英気を養ってもらう手はずになっていた。
本日の軽食は、腸詰肉とポイタンの生地を使ったホットドッグのようなものである。狩人たちは広場で座り込み、おのおの軽食を楽しみ始めた。
俺はかまど小屋に引っ込む前に、アイ=ファに一声かけておこうとそちらに近づいていった。
「アイ=ファ、お疲れさま。的当てと木登りは惜しかったな」
チャッチの茶を木皿ですすっていたアイ=ファは、「うむ」とうなずき返してきた。
その青い瞳が、じろりとティアをねめつけてくる。
「ティアよ、何も悪さなどはしておらぬだろうな?」
「うむ。しかし、お前たちの力比べというやつを見ていたら、身体がうずうずしてしまった。足が折れていなかったら、ひとりで木に登っていたと思う」
ティアは、笑顔でそのように応じていた。
日を重ねるにつれて、ティアはどんどん笑顔が多くなってきているのだ。
それと相対するアイ=ファは、相変わらず厳粛なる面持ちであった。
「くれぐれも、アスタの邪魔だけはするのではないぞ」
「わかっている。アイ=ファが勇者というものになれるように、ティアも願っているぞ」
アイ=ファは小さく息をついてから、俺のほうに視線を転じてきた。
「他の女衆は、みな仕事に戻ったようだぞ。お前も自分の仕事を果たすがいい」
「うん。それじゃあ、また後でな」
ティアがそばにいると、アイ=ファはなかなか笑顔を見せてくれない。
ということは、かれこれもう4日ばかりはアイ=ファの笑顔を見ていないということだ。
それをちょっぴりさびしく思いながら、俺はかまど小屋へと引き返した。
宴料理の準備に関しては、順調に進められている。ここ数日はこの日のために修練を重ねていたので、その効果もてきめんであった。
かまど番は3班に分けられており、その班長は、俺とトゥール=ディンとユン=スドラだ。ラッド=リッドの伴侶はその間をせわしなく駆け回り、潤滑油としての仕事を担ってくれていた。
「アイ=ファはますます力をつけているようで、すごいですね。わたしはアイ=ファの友として、とても誇らしく思います」
と、作業をするかたわらで、サリス・ラン=フォウがそのように語りかけてきた。その顔には、言葉の通りの表情が浮かべられている。
「サリス・ラン=フォウも、力比べを観戦できたのですね。たしか前半の内に、幼子の面倒を見る役目だったでしょう?」
「はい。荷運びの間にその仕事を受け持っていました。アイ=ファはきっと、的当てと木登りで力を見せるだろうと思っていましたから」
そう言って、サリス・ラン=フォウはちょっと照れくさそうに微笑んだ。
力比べの観戦については未婚の女衆が優先されていたが、きっとサリス・ラン=フォウもそれに負けない熱意でアイ=ファの勇姿を見届けたかったのだろう。
「アイ=ファもまた勇者の称号を得られるように願いたいところですね。やっぱりアイ=ファは、闘技がもっとも得意なのでしょうか?」
「ええ、そうなのだと思います。……というか、的当てや木登りも得意だけど、他の狩人たちがその上を行っている、という感じなのでしょうかね」
「ああ、スドラの狩人たちは、的当てと木登りが得意ですものね……そういえば、棒引きでは誰が勇者になるのでしょうね。前回はジョウ=ランでしたが、どうも今回は難しいように思えてしまいます」
そういえば、各種の競技で優秀な成績を残していたジョウ=ランであるが、勇者の称号を得たのは棒引きにおいてであったのだった。
しかもそれは、サウスポーという利点を活かしての勝利であったように記憶している。他の狩人たちが意識的にその対策をしてくるとまでは思えなかったが、以前ほどのアドバンテージは見込めないようにも思えてしまった。
「まあ、ジョウ=ランはまだ若いのですから、負けることで学ぶことも多いでしょう。すべては森の思し召しです」
実はジョウ=ランの従姉妹であるサリス・ラン=フォウは、そのような言葉で会話をしめくくっていた。
そうして一刻半ほどの時間が経過して、力比べの再開である。
第4の種目、棒引きは、1本の棒を片手で握り合い、それを奪い合う競技である。
競技者は30センチ四方の分厚い板の上に立っており、そこから足を踏み外しても敗北となる。瞬発力や反射神経、そして相手の呼吸を読むことを眼目とする、なかなか侮れない内容であるのだった。
対戦相手は、蔓草を使ったくじ引きで行われる。この棒引きと闘技の力比べは対戦者同士の相性というものも重要になってくるので、そこは厳正に取り決められているのだ。
そうして17組の対戦表が決められて、シード選手はランの家長となった。
女衆や幼子たちの見守る中、最初の組から試合が始められていく。
アイ=ファは、フォウの男衆に勝利していた。
バードゥ=フォウは、リッドの男衆に勝利していた。
ラッド=リッドは、ディンの男衆に勝利していた。
ライエルファム=スドラは、ランの男衆に勝利していた。
チム=スドラは、フォウの男衆に勝利していた。
俺が名前を知る中で、最初に敗退したのはマサ・フォウ=ランであった。彼はリッドの体格のいい狩人と対戦し、すぐに尻餅をつくことになった。
そして、一回戦の最後の試合である。
その組み合わせは、ジョウ=ランとトゥール=ディンの父親であった。
これは、前回の準決勝戦の再現となる組み合わせである。
一対一の競技である棒引きにおいて、準決勝戦というのは第4戦目か第5戦目にあたる。前回はそこまで勝ち抜いた両者が、今回は初戦でぶつかることに相成ったのであった。
小さな板の上で向かい合う両者の姿を、トゥール=ディンは祈るような眼差しで見守っている。
そういえば、前回父親が敗退してしまったとき、ひとりだけ左腕を使うジョウ=ランのことを、トゥール=ディンは「ずるい」と述べていたのである。普段は決して他者のことを非難したりはしないトゥール=ディンであるので、俺はその出来事を強く記憶に残していた。
(どうだろう。今回は、少なくとも相手が左利きだっていう心の準備はできてるはずだけど……)
俺としても、心情としてはトゥール=ディンの父親を応援したいところであった。
べつだん、ジョウ=ランに恨みがあるわけではない。ただ、トゥール=ディンと親しくしている身としては、しかたのない心情であっただろう。
そんな中、両名の勝負は開始されて――思わぬ形で、決着がつくことになった。
ラッド=リッドが「始め!」という声をあげると同時に、トゥール=ディンの父親がものすごい勢いで棒を引いたのである。
もちろん、その動き自体は珍しいものではない。単に先制攻撃を繰り出しただけのことだ。
だが、ジョウ=ランの手からは棒がすっぽ抜けていた。
相手の素早さに、まったく対応することができなかったのだ。
すかさずラッド=リッドが、「それまで!」と声をあげる。
「いや、今のは見事であったな! ずいぶん腕を上げたようではないか、ゼイ=ディンよ!」
それで俺は、初めてトゥール=ディンの父親の名を知ることになった。
思わずトゥール=ディンのほうを振り返ると、彼女はきょとんとした顔で立ちつくしていた。
それから、じわじわと歓喜の表情を広げていき――その末に、トゥール=ディンは「やったー!」と俺の胸もとに抱きついてきた。
「うん、よかったね。今のは目にも止まらぬ早業だったよ」
俺が笑顔で呼びかけると、トゥール=ディンは真っ赤な顔をして手を離した。
「あ、す、すみません! つ、つい我を失ってしまって……」
「全然かまわないよ。本当によかったね、トゥール=ディン」
トゥール=ディンは、赤いお顔のまま「はい」とうなずいた。
その反対側では、ティアがもっともらしい面持ちでうなずいている。
「今のは、なかなかの動きだった。ティアでも虚をつかれていたかもしれない」
ともあれ、これはまだ1回戦目であるのだ。
トゥール=ディンの父親たるゼイ=ディンとジョウ=ランは勝負の場から退き、2回戦目が開始されることになった。
人数は、18名にまで絞られている。
ここでアイ=ファはバードゥ=フォウと対戦し、接戦の末に勝利していた。
ライエルファム=スドラとチム=スドラ、それにラッド=リッドとゼイ=ディンも勝ち抜いて、残りは9名である。
3回戦目、アイ=ファの次なる相手は、ラッド=リッドであった。
6氏族の中では一番の怪力を誇るラッド=リッドである。前回はライエルファム=スドラに惜敗した彼であるが、その怪力はアイ=ファを大いに苦しませた。
しかし結果は、アイ=ファの勝利であった。
狩人の中ではほっそりとした体格をしているアイ=ファがラッド=リッドの巨体を転倒させると、周囲からは歓声とどよめきがあがった。俺ももちろん、ひそかに快哉を叫ぶことになった。
「ううむ、棒引きでもアイ=ファに敗れてしまったか! やっぱりお前は、大した狩人だな!」
ラッド=リッドは前回、闘技の力比べでもアイ=ファに敗れている。しかしその厳つい顔に浮かぶのは、きわめて清々しげな笑みであった。
アイ=ファもなかなかに消耗したらしく、肩で息をつきながらうなずき返している。
後は、ライエルファム=スドラとディンの家長がここで対戦することになり、ライエルファム=スドラが勝利を収めていた。
ゼイ=ディンもまた、チム=スドラと対戦し、これを下していた。
そうして4回戦に残ったのは、アイ=ファ、ライエルファム=スドラ、ゼイ=ディン、フォウの狩人、リッドの狩人、という5名であった。
やはり個人対個人の対戦となると、組み合わせ次第で結果が違ってくるのだろう。前回と同じ顔ぶれであるのは、アイ=ファとライエルファム=スドラとゼイ=ディンのみであった。
1戦目は、ゼイ=ディン対フォウの狩人。
2戦目は、アイ=ファ対ライエルファム=スドラ。
シードは、リッドの狩人だ。
1戦目は、ゼイ=ディンが制することができた。
2戦目は、およそ5分間にも及ぼうかという大接戦に陥りながら、アイ=ファが何とか勝利をもぎ取ってみせた。アイ=ファはこれで、決勝戦に進出である。
そうして間に小休止が入れられて、リッドの男衆とゼイ=ディンによる準決勝戦が行われる。
ゼイ=ディンは、これにも勝利することができた。
よって、決勝戦はアイ=ファとゼイ=ディンで行われることになってしまったのだった。
「ふむ。普通に考えれば、アイ=ファの勝利だな」
心臓を高鳴らせる俺とトゥール=ディンのかたわらで、ティアはそのように述べていた。
「だけど、どうだろう……アスタよ、これは手傷を負ってまで勝利を求めるべきものなのだろうか?」
「え? 棒引きで手傷を負うようなことはないだろう? この後の闘技の力比べだったら、相手に手傷を負わせるのは反則になるけどさ」
「しかし、無理をすれば手傷を負うことになる。アイ=ファは、どちらを選ぶのだろうな」
俺にはティアの言葉の意味がわからなかった。
わかったのは、試合を終えた後のことである。
その試合もまた、5分を超える大接戦となり、いったいどのような決着になるのだろう、と俺が息を詰めて見守っていると――ふいに、アイ=ファが木の棒を手放してしまったのだった。
棒をおもいきり引いていたゼイ=ディンは、勢いあまって転倒してしまう。
それからゼイ=ディンは、不審げに眉をひそめてアイ=ファをにらみつけた。
「アイ=ファよ、なぜ手を離したのだ? 今のは、自分から手を離したように思えたぞ」
「うむ。今の動きをこらえたら、手の皮が破けてしまうように思えたのだ。それも、半月では収まらぬような傷になると思えたので、こらえることができなかった」
アイ=ファはその右の手の平をさすりながら、とても静かな声でそう答えていた。
「ルウの家のダルム=ルウも、森の主との戦いで同じような手傷を負い、長い間、ギバ狩りの仕事から離れることになっていたからな。力比べでそのような傷を負うことは正しくないと、私はそのように判断した」
「……俺との力比べだけで、そこまで手の皮が痛んだわけではあるまい。そういえば、お前はここまで勝ち進む間、フォウとリッドとスドラの家長を相手取っていたのだったな」
ゼイ=ディンは立ち上がり、審判役のラッド=リッドを振り返った。
「どうにも俺は自分の力で勝てた気がしない。これでも勝者は俺となってしまうのか?」
「当たり前だ! そのためにこそ、誰と対するかは母なる森に託しているのであろうが? 何も案ずる必要はない!」
そうしてラッド=リッドは、笑顔のままアイ=ファを振り返った。
「それに、アイ=ファの心意気も見事だと思うぞ! 俺だったら頭に血がのぼって、自らが手傷を負うまで棒を離さなかったろうな!」
「ふん。お前の馬鹿力だって、ぞんぶんに私の手を痛めてくれたのだぞ」
アイ=ファは唇がとがってしまうのを懸命にこらえるかのように、口をへの字にした。
ラッド=リッドはいっそう陽気に笑いながら、右腕を振り上げる。
「棒引きの勇者は、ゼイ=ディンだ! 新たな勇者に祝福を!」
その言葉を待ち受けていた人々は、いっせいに歓声をほとばしらせた。
トゥール=ディンは、涙の浮かんだ目で父親の姿を見つめている。
アイ=ファが不完全燃焼な形で敗北してしまったのは、俺としてもなかなかに口惜しいところであったのだが――やっぱりそれで、ゼイ=ディンの勝利の価値が下がるわけではない。俺も心から、その勝利を祝福することができた。
「それではいよいよ、最後の力比べだな! 皆、母なる森に己の力を示すのだぞ!」
おおっ、と狩人たちが咆哮のような声で答える。
最後の競技である、闘技の力比べだ。
前回も、アイ=ファはここまで勇者の称号を得ることはできなかった。たびたび決勝戦まで残りながら、毎回惜敗を喫していたのである。
「そういえば今回は、的当てでも最後の3人にまで選ばれていたのですよね。荷運び以外の力比べですべてそこまでの結果を残せるなんて、すごいことだと思います」
サリス・ラン=フォウは、そのように述べていた。
だけどやっぱりその瞳には、期待と不安の光が渦巻いていたように思う。そして、それは俺も同様であっただろう。親愛なるアイ=ファが、その力に相応しい栄誉を授かれるようにと、そんな風に願わずにはいられなかったのだった。
「ふむ。最後は、取っ組み合いか。あのように大きな身体をした狩人たちが子供のように取っ組み合うのは、愉快だな」
いざ始まった闘技の力比べを前にして、ティアはそのように述べていた。
ティアに皮肉を述べるという機能は備わっていないので、それは言葉の通り、愉快に思っているのだろう。相変わらず、ティアは熱のこもった眼差しで狩人たちの姿を見守っていた。
まず一回戦、アイ=ファは大柄なリッドの男衆を相手に、瞬殺を決めていた。
見た感じ、手の平を痛めた影響は見られないので、俺はほっと息をつく。
その後も、めぼしい狩人はのきなみ勝利を収めていた。これが森の思し召しなのか、いきなり強豪同士の対戦とはならなかったようだ。
シードの1名を加えて、人数は18名となり、2回戦である。
その2回戦で、チム=スドラとジョウ=ランがぶつかることになった。
それぞれの氏族を代表する、ホープのごとき両名である。そして、彼らは前回の力比べでも対戦しており、そのときはジョウ=ランが勝利をもぎ取っていたのだった。
人々は、これまで以上に大きな歓声をあげながら、その戦いを見守った。
両者の力は、かなり拮抗しているように思える。素早さではチム=スドラが上回っているものの、ジョウ=ランはすべてにおいて高い能力を有しており、なかなか相手につけいるスキを与えなかった。
が――勝利したのは、チム=スドラであった。
横合いから繰り出されたジョウ=ランの腕をひっつかむと、そこからするすると肩のほうにまで指先をのばし、衣服をつかんで、背負い投げを決めてみせたのだ。
チム=スドラの伴侶たるイーア・フォウ=スドラは、ユン=スドラと抱き合って喜びの声をあげていた。
他の人々も、惜しみのない歓声をあげている。
そんな中、ひょこりと上体を起こしたジョウ=ランは、ちょっと切なげな目でチム=スドラを見上げた。
「……あの、このような言葉を口にしても意味はないと承知していますが、以前の祝宴でチム=スドラは、俺のほうが狩人としての力がまさっていると言っていませんでしたか?」
その発言は、俺も覚えていた。ゲオル=ザザが、5名の勇者の中で自分より力のある狩人はいるかと問い、チム=スドラは自分以外の4名がそうだと答えていたのである。
チム=スドラやアイ=ファやルド=ルウのように、体格の優れていない狩人は他者の力を見抜くのに長けていることが多い。それは『弱者の眼力』という名称でもって、森辺に広く知られている事実であったのだった。
「あの頃は、確かにそのように感じていた。しかし、あれから何日もの日が過ぎているからな」
チム=スドラは低い声でそのように答えながら、ジョウ=ランに手を差し述べた。
「何にせよ、俺もお前も狩人としてはまだまだだ。フォウの眷族として、これからも修練に励む他あるまい」
「……はい、そうですね」
ジョウ=ランはチム=スドラの手を取って立ち上がり、ともに勝負の場から引き下がっていった。
それからしばらくして、今度はアイ=ファとゼイ=ディンの勝負であった。
これは、アイ=ファが危なげなく勝利することができた。
合気道の小手返しのような技で地面に倒されたゼイ=ディンは、強く光る目でアイ=ファを見上げていた。
「やはり、お前の力は飛び抜けているように思える。俺が棒引きで勝利できたのは、ひとえに運の良さであったのだろう」
「そのようなことはない。それは、お前が棒引きで倒した相手をも蔑ろにする言葉であるように聞こえてしまうぞ」
アイ=ファは冷静な声音でそう答えていた。
ただその瞳には、思いがけないほどやわらかい光が浮かべられている。
「それに、お前がこれほどの狩人でなければ、私が棒を手放すことにもならなかった。お前は勇者の名に相応しい力を持っていることを、もっと誇るべきだと思う」
ゼイ=ディンはしばらく無言でアイ=ファの瞳を見つめ返してから、ゆっくりと立ち上がった。
そうして立ち上がると、ゼイ=ディンの瞳にも穏やかな光が灯っていた。
「ともあれ、この勝負はお前の勝ちだ。お前にも勇者の名に相応しい力が備わっていることを、母なる森に示すがいい」
人々の歓声に背を押されるようにして、ふたりは引き下がっていった。
人数は9名となり、第3回戦である。
ここでは、ライエルファム=スドラとラッド=リッドが対戦することになった。
その結果は、ライエルファム=スドラの勝利であった。
ラッド=リッドは途方もない怪力と俊敏性をあわせもつ狩人であったが、それでもライエルファム=スドラはそれ以上の俊敏性で相手を翻弄し、最後には出足払いのような技で相手を地に這わせていた。
「ううむ、参った! フォウの家に先を越されていなかったら、俺たちがスドラの家と血の縁を結びたかったところだぞ!」
そう言って、ラッド=リッドは豪放に笑っていた。
後は順当に進んでいき、4回戦にまで残ったのは、アイ=ファ、ライエルファム=スドラ、チム=スドラ、バードゥ=フォウ、ディンの家長の5名である。
アイ=ファの相手はバードゥ=フォウであり、これはアイ=ファの圧勝であった。
棒引きではかなり手こずらされていたアイ=ファであるが、闘技においてはものの数秒でバードゥ=フォウを転がしてしまったのだ。
自分の父親とばかり修練を積んでいたアイ=ファは長身の相手を苦にしないし、それにまた、ひょろりと背が高くて重心の高いバードゥ=フォウのような体型だと、アイ=ファの投げ技に対処しにくくなるのかもしれない。ともあれ、バードゥ=フォウも並々ならぬ力を持つ狩人であるはずだが、アイ=ファの前にはなすすべがなかったようだった。
次の対戦はライエルファム=スドラとチム=スドラであり、これがなかなかの見ものであった。スドラの狩人の中でも特に俊敏性に秀でている両名であったため、その戦いは凄まじいまでのスピード対決と相成ったのである。
なおかつ、両者はこれまでも同じ家で何度となく力比べをしていたために、相手の手を知り尽くしていた。それで勝負がどれほど長引いても、両者の素早さはまったく損なわれることもなく、見ている人々を熱狂させた。
その末に、勝利を収めたのはライエルファム=スドラである。
さすが家長の貫禄というべきか、最後には弾丸のような低空飛行のタックルを決めて、見事にチム=スドラの背を地につけてみせたのだった。
「あともう一息といったところだな。これからも、たゆまず修練を重ねるといい」
そのように述べるライエルファム=スドラは、むしろチム=スドラの成長を皆に誇っているようにも感じられた。
そして、ライエルファム=スドラを見上げるチム=スドラの瞳にも、家長の強さを誇っているような光が宿っているように思えてしまった。
しばしの休憩をはさんだのち、アイ=ファとディンの家長の準決勝戦である。
ディンの家長は、中背でがっしりとした体格の男衆だ。これがなかなかの粘りを見せていたものの、最後には足を掛けられて倒れ伏すことになった。
そうしてようやく、最後の勝負である。
組み合わせの妙により、決勝戦は前回の力比べと同じく、アイ=ファとライエルファム=スドラで争われることになった。
「あの年を食った狩人は、なかなか面白い動きをするからな。蹴ったり殴ったりという行いが禁じられているのなら、アイ=ファもちょっと手こずるのではないだろうか」
ティアがそのように予見した通り、今回も前回に劣らぬ大接戦であった。
たいていの狩人にはあっけなく勝利できるアイ=ファであるが、ライエルファム=スドラを相手にする際は、苦戦を余儀なくされるのである。
男衆よりも筋力で劣るアイ=ファは、相手の気配を読み、タイミングを制することで勝利を収めることが多い。が、このライエルファム=スドラはアイ=ファよりも頭ひとつ分は小柄であり、アイ=ファ以上の俊敏性を有しているため、まったく勝手が異なっているのだった。
もちろんアイ=ファとて、俊敏性も機動性も大いに秀でている。しかしライエルファム=スドラは、さらにその上をいっているのだ。
右に左にと飛びすさり、時には正面から突っ込んでくる。その動きは、野生の猿さながらであった。
さきほどのチム=スドラとの一戦と同等の、曲芸じみた戦いが繰り広げられている。そんな攻防を絶え間なく続けたのちに、アイ=ファがふいにふっとすべての動きを止めた。
ライエルファム=スドラの動きを追うのをやめて、棒立ちになる。ライエルファム=スドラは、十分に用心した目つきで、アイ=ファから3メートルほどの距離を取った。
アイ=ファは動かず、視線さえ動かそうとしない。
ライエルファム=スドラが左の方向に歩を進めてもなお、アイ=ファは動こうとしなかった。
「どうした、まさか勝負をあきらめたのか?」
「油断をさそっても、無駄なことだぞ!」
熱狂した男衆が、声高に叫んでいる。
しかしもちろん、ライエルファム=スドラはひとかけらも油断していなかった。慎重な足取りで、じりじりとアイ=ファの左方向に回り込もうとしている。
アイ=ファの目は、正面に向けられたままだ。
ライエルファム=スドラは、ほとんどアイ=ファの斜め後ろにまで回り込んでから、ふいに地を蹴った。
チム=スドラを打ち負かした、低空飛行のタックルである。
その指先が、アイ=ファの膝に触れようとした瞬間――アイ=ファの手が、真上からライエルファム=スドラの背中に振り下ろされた。
大きく開いた手の平が、ライエルファム=スドラの背中を押す。
さらにアイ=ファは左足を振り上げて、ライエルファム=スドラの指先を回避した。
支えとなるべきアイ=ファの足を失い、同時に真上から圧力をかけられたライエルファム=スドラの身体は、ヘッドスライディングのように地面をすべっていく。
アイ=ファは振り上げていた左足を下ろして、「ふう」と息をついた。
「アイ=ファの勝利だ! 闘技の勇者は、アイ=ファとする!」
ラッド=リッドが声を張り上げると、それを追いかけるように歓声が爆発した。
ライエルファム=スドラはぴょこんと起き上がり、アイ=ファに向きなおる。
「やられたな。俺の姿は見えていなかったはずなのに、どうしてあのような真似ができたのだ?」
「目に頼るのをやめて、ひたすら気配を探っただけのことだ。ひとつ間違えば、私が地に倒されてしまっていたであろうがな」
そう言って、アイ=ファはぐったりと肩を落とした。
「しかし、疲れた。お前がもうしばらく動かなかったら、私も別の策を練る他なかったところだ」
「……やはりお前は大した狩人だ。ファの家と友になれたことを、俺は心から嬉しく思うぞ」
ライエルファム=スドラは、顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
それを見返すアイ=ファも、目もとだけで優しげに微笑んでいる。
「前にも言った通り、それは私も同じことだ、ライエルファム=スドラよ」
穏やかに言葉を交わす両者に対して、人々はまだ歓声と拍手を送っていた。
もちろん俺も、それは同じことだった。そうして俺は、腹の奥底に抑制のしようのない情動を知覚して、思わず声を張り上げてしまった。
「おめでとう、アイ=ファ! かっこよかったぞ!」
この大歓声の中では、そんな声も届かなかったかもしれない。
などと、俺が考えていると、アイ=ファがくるりと振り返ってきた。
その口もとに、こらえかねたような微笑が浮かぶ。これだけ大勢の人々を前にして、アイ=ファが笑顔になるというのは常にないことだった。
そしてそれは、俺が4日ぶりぐらいに見る、アイ=ファの晴れやかな笑顔であったのだった。