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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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③ギバしゃぶ

2014.9/11 更新分 1/2

 夕刻である。

 昼には宿場町にてカミュア=ヨシュとの邂逅を果たし、帰還してからはガズラン=ルティムらと膝を合わせ、ものの見事に思考のキャパオーバーを起こしてしまった俺は、料理に没頭することで一時的に現実から逃避した。


 が、本日の料理は非常にシンプルである。

 焼きポイタンの工程を除けば、1時間ていどで完成してしまった。


 鉄鍋では、アリアとティノがぐつぐつと煮えている。

 ゴムノキモドキの葉の上には、追加用のアリアとティノ。

 そして、生のギバ肉。

 木皿には、果実酒ベースのつけダレ。


 鍋には、水と岩塩しか投入していない。

 アリアはスライスとくし切りの2種類。

 キャベツのような食感を持つティノは、一口サイズ。


 ギバ肉は、バラと、ロースと、モモの3種。

 厚さ5ミリを目標に、可能な限り薄めに切りわけた。

 そして綺麗な円状に並べてみたのだが、いかがでしょう。


 つけダレは、果実酒を煮立ててアルコールを飛ばし、塩とピコで味の微調整。ドンダ=ルウなら文句を言いそうな甘口に仕上がった。


「よし! 完成だぞ、アイ=ファ!」


 アイ=ファは、「何がだ?」という目で、俺を見た。

 まあ、何をどう見たって生肉が並べられているだけなので、森辺の民には理解できまい。


「これはしゃぶしゃぶって言ってな。その場で肉を茹でて食べる料理なんだよ」


 それでもアイ=ファの頭上に浮かんだクエスチョンマークは消え去らない。


 まあ、説明するより実践したほうが簡単だ。

 俺はこの日のために用意しておいた秘密兵器を取り出した。

 匂いのほとんどしないグリギの枝を削り、乾燥させて作った、「箸」である。


「まずこうやってな、肉を鍋の中に入れるんだよ」


「わ」というおかしな声が聞こえたので振り返ると、アイ=ファが何故か顔を赤くして口もとを押さえていた。


「何だ? どうした? お前に恥ずかしい思いをさせた覚えはないんだけど」


「や、やかましい! 何だその気色の悪い動きは!」


「んー? 箸っていうのは、こうやって扱うものなんだよ」


 わきわき動かしてみせると、アイ=ファは「わ。わ」と言っていっそう顔を赤らめた。……何だ、驚きの声をおし殺せない自分を恥ずかしがっていただけなのか。


「続けます。こうやって肉をお湯につけて、ゆっくり左右に泳がせながら、赤みがなくなるまで茹であげます。しゃぶしゃーぶ。しゃぶしゃーぶ」


「……その奇っ怪な呪文は何だ?」


「美味しく茹であげるための、おまじないです」


 そうして美味しく茹であがったはずのバラ肉を、アイ=ファの木皿に入れてやる。

 ついでに、鍋の中をたゆたっていたアリアとティノもひと切れずつ。


「ネックとしては、これでアリア3球分はちと多いかなってところだな。あ、とりあえず食べてみてくれよ。不評だったら、普通の鍋に切り替えるから」


「…………」


 口の中で何かを――って、もう何をつぶやいているのかは知ってしまったが、森の恵みと俺への感謝の言葉を唱えてから、アイ=ファはまだ少し疑わしげ顔で木皿を取った。


 つけダレに浸った肉とアリアを、木匙で口の中に放り込む。


「しゃぶしゃーぶ。しゃぶしゃーぶ。……どうだい、お味は?」


「……やわらかい」


「バラ肉だったらそうだろうな。ほい、それじゃあお次は、モモ肉です」


「……すーぷで食べるよりは、固い」


「しゃぶしゃーぶ。しゃぶしゃーぶ」いい加減に飽きてきた。「最後はロースです」


「……やわらかい」


「いや、あの、ドンダ=ルウとの熱戦は終了したから、別に固さはどうでもいいんだよ。お口に合わなきゃスープに移行するけど、どうだ?」


 アイ=ファは、難しい顔で考えこんだ。

 その間に、俺は「しゃぶしゃーぶ」と自分の分のバラ肉を茹であげる。


「別にそんな悩まなくても、率直な感想でいいんだぞ?」


 それでもなかなか返事がなかったので、俺は茹であがったバラ肉を口の中に放りこんだ。


 あ。

 美味い。


 10日以上もステーキかハンバーグの晩餐が続いていたので、この茹でた肉の食感と、さっぱりとした味わいがたまらなかった。


 ルウの家では肉入りのスープも食したが、やはり「煮る」と「茹でる」では微妙にニュアンスが変わってくる。


 しかもこいつは、しゃぶしゃぶだ。アリアやティノから出るほのかな出汁と、そこに投じたわずかな岩塩と、果実酒のタレ以外に味つけはないので、誤魔化しがきかない。


 そして、誤魔化しなど必要ない、というギバ肉の力が実感できる。


 やっぱりちょっとクセはあるし、豚肉よりは固い気もするが。これだけ薄ければ問題はない。一番歯応えがあるはずのモモ肉を試しても、問題どころか絶妙な噛み応えだった。


「いやあ、美味いな! ……と、俺は思うんだけど、ご感想や如何に?」


 まだちょっと考えこみながら、それでもアイ=ファは「美味い」と言った。


「ただ……少しずつしか食べられないので、まどろっこしい」


「うん、まあ、気持ちはわかる。俺もけっこう後半は面倒くさくなっちまって、どかっとぶちこんだりしたくなるな。特に豚は――じゃなくてギバは、赤みがなくなるまでしっかり熱を通さなきゃいけないし」


「だったらどうして、最初からそうしないのだ?」


「え? うーん……いや、最初に全部茹であげる食べ方もあるんだけどな。ひとつひとつ茹でる利点は、最初から最後まで茹でたての熱々を食べられるところかな? 実のところ、俺もそんなに食べた経験はないんだよ」


「そうなのか」


「ああ。さすがにしゃぶしゃぶは店でも扱ってなかったからなあ。外食も滅多にしなかったから、母親が……」


 と、思わずそこで言いよどんでしまったが、ここまで言ったら最後まで言いきるしかなかった。


「……母親が生きてた頃は、まあ、たまーにだけど食べてたな」


 日中にも思ったことだが、あまり元の世界での具体的な話などしないほうがいいのかと思えてしまうのだが、どうなのだろう。


 アイ=ファは、ちょっとだけ目を細めて、ぐらぐらと煮立っている鉄鍋に目線を落とした。


 俺は頭をかきながら、小さな薪をかまどに放りこむ。


「……お前の母親は、お前が何歳ぐらいのときに生命を落としたのだ?」


「ん? 7歳だけど、それがどうかしたか?」


「そんなに早くにか」と、アイ=ファは驚いたように顔を上げた。


「……それでは、お前がこの料理を食べていたのは、それより以前まで、ということか?」


「ああ、まあ、たぶんな。親父と2人きりで鍋をつつくなんて、そんなのわびしすぎるだろ。……あ、いや、お前と2人なら別にわびしくはないんだけどな?」


「…………?」


「だーっ! 墓穴を掘ってんなあ! ……いや、つまり、家族で鍋をつつくってのは、何ていうか、家庭料理のひとつの定番みたいなもんで……だから、家族が3人から2人になったのに鍋をつつくってのは、俺にはちょっとわびしく感じられるってだけのことだ! 湿っぽい話ですまん!」


 アイ=ファはあんまり理解しきれていない様子で、目をぱちくりとさせていた。


「よくわからん。……私と2人でこの料理を食べるのは不愉快、ということではないのだな?」


「不愉快だったら、作らないだろ」


「そうか。良かった。……お前を殴らずに済んだ」


「それは本当に良かったよ!」


「……私にも、それを貸せ」


 と、アイ=ファが右手を突きだしてくる。


「え? それって箸のことか? お前、気味悪がってたじゃん?」


「だったらそれは、何のために余分に作ったのだ?」


 バレていたか。

 灰汁とり用の木皿とお玉の陰に、箸の予備はこっそり準備しておいたのだ。


「いや、もちろんお前にも使ってもらえたらなあと思いつつ作ったんだけど、でも、これってけっこう難しいぞ?」


「お前にできるのに私にできない道理はない」


 唇をとがらせるな。可愛いから。

 まあそんなわけで、アリアとティノが煮えすぎてしまわないか心配しつつ、そこから急きょ箸さばきのレクチャアを実施することになった。


「何だ、簡単ではないか」と、アイ=ファがアリアの切れ端をつまみあげることに成功したのは、それから3分後。


 うーん。

 まあ、きちんとつかめているから、いいか。

 けっきょく正しいフォームは身につかなかったが。アイ=ファは親指と人差し指で第一の箸を、中指と薬指で第二の箸をはさみこみ、俺よりも巧みに箸先を操ることに成功したのだった。

 シルエットだけなら完璧に見えないこともないから、まあこのあたりが落としどころであろう。


「よし、それじゃあ再開しよう! アリアもどんどん食べてくれ? まあ、もてあますようなら最後に肉と炒めちまってもいいけどな」


「うむ」とうなずくアイ=ファを横目に、俺はもう1本薪を追加して、ついでにポイタンを口の中に放りこんだ。


「アスタ。この肉はどこの肉だ?」


「それはロースだな。背中の部分だ」


「そうか」とアイ=ファは肉を鉄鍋に浸し。

「しゃぶしゃーぶ。しゃぶしゃーぶ」と念仏を唱え始めた。


 俺は思わず咀嚼しかけのポイタンを吐き出して、そのままむせこんでしまう。


「何をしているのだ。食糧を無駄にするな」と、俺をにらみつけ、また「しゃぶしゃーぶ。しゃぶしゃーぶ」


 俺は必死に笑いをこらえつつ、「面倒だったら心の中で唱えるだけでもいいんだよ?」と教えるのは、もう2、3枚分この姿を堪能してからにしよう、と強く心に誓ったのだった。

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