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異世界料理道  作者: EDA
第三十二章 母なる森と父なる西方神
552/1677

緑の月の十八日④~見果てぬ明日~

2018.1/11 更新分 1/1

「お待たせしました。こちらが野菜料理と肉料理になります」


 俺の言葉とともに、まずは野菜料理の皿が並べられていく。

 内容は、ごくシンプルな生野菜サラダである。その配膳が完了する前に、俺は説明を果たさなければならなかった。


「今回の野菜料理は、肉料理の付け合せという位置づけで準備させていただきました。城下町の作法から外れていましたら、最初に謝罪させていただきたく思います」


「何も気にする必要はないよ。もともと略式の作法であれば、野菜料理をそのように扱う料理人もいなくはないし、肝心なのは美味であるかどうかだろう」


 マルスタインは、そのように述べてくれていた。

 エウリフィアも、「そうね」と笑ってくれている。


「しかもこの食事会は、ギバとそうでない肉の食べ比べなのでしょう? いったいどのような肉料理を準備してくれたのか、とても楽しみだわ」


「ありがとうございます。肉料理に関しては色々な種類のものを準備しましたので、ご希望に応じたものを取り分けたいと考えています」


 食堂の入り口付近には、保温用の鍋がずらりと並べられていた。その中に、各種の料理が詰め込まれているのだ。


「今回準備したのは、自分の故郷でハンバーグと呼ばれていた料理です」


「ふむ。それはまた奇妙な名前だね。いったいどのような料理なのだろうか?」


 ルイドロスは、期待に満ちた面持ちで料理が配られるのを待っている。パウドやトルストは神妙な面持ちで、リフレイアはすました無表情だ。


「ハンバーグというのは、細かく刻んだ肉を丸めて焼いた料理となります。今回は温かい状態で召し上がっていただくために、表面を焼いてから煮込むことになりました。ジェノスの宿場町でも、ルウ家がこの料理をポイタンにはさんで売りに出しています」


 なおかつ、フワノ料理でタラパソースを味わっていただいたので、こちらはレイナ=ルウたちの考案したネェノンソースを使用していた。ニンジンほど風味の強くないネェノンは、とてもまろやかで甘みのあるソースに仕上げることができるのだ。


「ですので、この煮汁を作ってくれたのは、レイナ=ルウとシーラ=ルウになります。これは彼女たちが考案した味付けで、自分の考案したタラパの煮汁にも負けない仕上がりだと思います」


「それで、ギバ以外の肉も使っているのだね。それは、キミュスなのかな? カロンなのかな?」


 待ちきれない子供のように、ポルアースが問うてくる。

 説明が長くなってしまって恐縮であるが、それを説明しないことには料理を配分することもできなかった。


「今回は、カロンの肉を使わせていただきました。それに、胴体の肉ばかりでなく、舌の肉も使わせていただいています」


「カロンの舌の肉か! ちょっと固いけど、僕は嫌いじゃないよ!」


「はい。実は自分はカロンの舌の肉を扱うのは初めてであったのですが、故郷にも似たような動物がいたので、それほど苦労をせずに仕上げることができました」


 カロンの肉は、牛の肉に似ている。その舌も、牛タンとそれほど大きな違いはない食材であるようだった。

 また、城下町においてカロンの舌の肉が食材として扱われているという話は、ミケルに事前に確認を取っていた。その上で、俺は献立を決定したのだ。


「今回準備したハンバーグは、7種類です。ギバの肉を使ったもの、ギバの舌だけを使ったもの、ギバの肉と舌を両方使ったもの――カロンのほうも同じ内容で、最後のひとつはギバとカロンの肉を両方使ったものとなります」


「へえ。ギバとカロンの肉を細かく刻んで、それを混ぜたということなのかな?」


 ポルアースの問いかけに、俺は「はい」とうなずいてみせる。


「自分の故郷では、異なる種類の肉を混ぜて使うのも、ハンバーグの主流のひとつでした。ひとつひとつは小さめに作っていますので、色々な種類をお楽しみいただけたら幸いです」


 そうしてようやく、料理が取り分けられることになった。

 ハンバーグのパテは小ぶりだが、食感が損なわれないように、分厚く仕上げられている。ころころとした形状で、重さはおよそ100グラムだ。それでも7種を食べると大変な量になってしまうので、半分か四分の一に切り分けて提供する段取りにしていた。


 なおかつ、あまりいっぺんに取り分けてしまうと、完食する前に冷めてしまうので、希望のパテを2、3種類ずつお届けすることにする。カロンとギバの同じ部位を要求する人や、ギバのパテのみを要求する人などさまざまであったが、その中でドレッグは気まずそうにカロンのパテのみを要求していた。


 そして、ドンダ=ルウを筆頭とする族長たちは、みんなギバ・タンのパテから要求することになった。

 通常のギバ肉のハンバーグであれば、族長たちは3名ともに食した経験があるのだ。ずいぶん昔の話にはなるが、ズーロ=スンたちをルウ家に招いた晩餐会で、ハンバーグは供されていたのである。


 そうして目の前にやってきたハンバーグを、ドンダ=ルウはうろんげに見下ろしている。

 俺がルウ家でかまどを預かる際に、あえてハンバーグを献立から外していたことには、きっとドンダ=ルウも気づいていたことだろう。そんな俺が、どうしてこのような場でわざわざハンバーグを持ち出したのか、少なからず不審に思っているのかもしれない。


「うむ、これは美味だな。以前に食べたものよりも、いっそう美味だと思えるぞ」


 と、まずはダリ=サウティがそのように述べてくれている。


「しかし、煮汁そのものも美味くなっているから、この美味さが舌の肉のおかげであるのかは、よくわからん。悪いが、普通のギバ肉を使ったものも取り分けてくれるか?」


 小姓のひとりが「少々お待ちくださいませ」と、ダリ=サウティの要求に応じている。

 その間に、ドンダ=ルウがギバ・タンのハンバーグにかじりついていた。

 その頑丈そうな下顎を上下させて、入念に咀嚼している。果たしてお気に召したのかどうか、その表情から読み取ることは難しかった。


「ああ、これはいい。どちらの肉も、非常に美味だな」


 と、マルスタインが陽気な声をあげる。


「肉を細かく刻むというのも、愉快な細工だ。それにやっぱり、ギバとカロンはずいぶん風味が異なるのだな」


「ええ、本当ね。カロンの肉も、普通に焼いたり煮たりするのとは、また違う風味がするように思えるわ」


 そのように応じるエウリフィアは、自分のパテをさらに小さく切り分けて、オディフィアに与えていた。彼女たちが7種すべてのパテを味わうとしたら、それがもっとも懸命な方法であろう。


「いや、本当に美味ですな。これと同じ料理が、宿場町で売られているのかな?」


 ルイドロスがそのように問うてきたので、俺は「はい」とうなずいてみせた。


「宿場町で最初に売り出したのが、この料理であったのです。その頃は、タラパの煮汁を使っていましたが」


「それならば、さぞかし評判になっていたことだろうね。この料理ならば、城下町でも評判になるはずだ」


「はい。ですが、ジャガルのお客様の中には、この食感を嫌がる御方も何名かいらしゃいました」


 そうして俺は、個人的な疑念もここで解消させてもらうことにした。


「森辺においても、それは同様であったのですが……みなさん、いかがですか?」


「この料理を嫌がる人間がいたのか? 俺は普通に美味いと思うが」


「ああ。俺の家でも、アスタに手ほどきを受けたフェイがこの料理を作っていたからな。べつだん、嫌がる人間はいなかったぞ」


 答えてくれたのは、バードゥ=フォウとベイムの家長であった。

 そして、ドンダ=ルウがじろりと底光りのする眼光を突きつけてくる。


「……アスタよ、貴様は何か思い違いをしているのではないか?」


「はい? 思い違いですか?」


「……俺がこの料理を毒だと断じたのは、初めて貴様の料理を口にした日だ。このように食べなれぬものをいきなり食わされたら、そのように考えるのが当然だろうが?」


 ドンダ=ルウは、不機嫌なライオンさながらに、鼻のあたりに皺を寄せている。


「あれから1年以上もさまざまな料理を食わされてきて、今さらこの料理だけが毒だと言い張るつもりはない。むろん、このようにやわらかい肉だけを口にしていれば、狩人としての力を失うことにもなりかねないのだろうがな」


「は、はい……それじゃあもしかして、ドンダ=ルウも今ではハンバーグを嫌ってはいないのですか?」


「……うちのかまど番どもも、時にはこの料理を作ることがある。そうしてたびたび口にしていれば、嫌でも口のほうが慣れてしまうわ」


 それは何とも、盛大に肩透かしを食らったような心地であった。

 そんな俺の姿をねめつけながら、ドンダ=ルウは「ふん」と鼻を鳴らす。


「しかしまあ……この、ギバの舌を混ぜ込んだやつが、俺の口には一番合うようだな。レイナたちも、もうこの作り方を覚えたのか?」


「あ、はい。これはそれほど難しい料理ではありませんので……」


「ならばいい」と、ドンダ=ルウは皿に残っていたパテを口の中に放り込んだ。

 織布で口もとをぬぐいながら、マルスタインは微笑んでいる。


「そういえば、ドンダ=ルウ殿は以前にも、ティマロの肉料理がやわらかすぎて口に合わないのだと述べていたね。アスタの料理に対しても、最初から好意的なわけではなかったのかな?」


「……このような料理は狩人の魂を腐らせる毒だと、俺は判じた。アスタのように素性の知れない人間を、うかうかと認めるわけにはいかなかったからな」


「うむ。さらには、宿場町で商売を行うにあたって、アスタが何か謀略を企てていたとしたら、右腕を奪うと言いつけていたそうだね。アスタは、それだけ厳しく監査されたのちに、森辺の同胞と認められることになったのだよ」


 後半の言葉は、ドレッグに向けられたものであった。

 カロン肉の3種のハンバーグを食べ終えたドレッグは、やはり力ない表情でそっぽを向いている。

 マルスタインは目を細めて微笑みつつ、俺のほうに向きなおってきた。


「さて、それでは次は、カロンとギバの肉を混ぜたものをいただこうかな」


 配膳するのは、小姓たちの仕事である。小姓たちは、粛々とその仕事に取り組んでくれた。

 他の人々も、ドレッグ以外は追加のパテを要求する。森辺の民たちもカロンのパテを要求し、誰もがまんべんなく7種のパテを味わおうとしてくれていた。


 そんな中、アイ=ファがちょいちょいと俺を手招きしてくる。

 俺が顔を寄せると、アイ=ファは誰にも聞かれぬように極限まで声をひそめて囁きかけてきた。


「2日連続ではんばーぐを口にするというのは、滅多にないことだ。なんだかとても大それたことをしているような心地なのだが……」


 俺はにっこりと微笑みながら、アイ=ファに囁き返してみせた。


「半月ぶりのハンバーグなんだから、それぐらいの贅沢は許されると思うよ。これぐらいで歯や顎が弱るはずもないし、何も気に病む必要はないさ」


「そうか」と、アイ=ファはうなずいた。

 そして、追加のパテを口に運んでいく。とても厳粛なる面持ちであるが、その頭上には音符の記号が浮かんでいるように感じられてしまった。


(なるほど。こういうところは、アイ=ファとオディフィアもちょっと似ているかもしれないな)


 俺がそのように考えていると、「ふむ……」というマルスタインの声が聞こえてきた。


「これは美味だな。私にはこの、ギバとカロンの肉を使ったものが、もっとも美味に思えるようだ」


 愛娘にギバ・タンのパテを与えていたエウリフィアが、笑顔でそちらに向きなおる。


「そうなのですか? それでは、わたしたちもそちらの料理をいただこうかしら」


「ああ。ギバ肉のみの料理もカロン肉のみの料理も美味だったが、これは格別だ。これに比べると、カロンの肉は瑞々しさに欠け、ギバの肉は風味が強すぎるように思えるが……それらのものを補い合いつつ、さらに深みのある味を生み出しているように感じられる」


 そうしてマルスタインは、笑いを含んだ眼差しを俺のほうに向けてきた。


「これはまるで、今後の我々の進むべき道を示唆しているかのようだ。アスタはそのような思惑のもとに、この料理を今日の献立に選んだのだろうか?」


「あ、はい……そんな考えも、心の片隅にはありました。もちろん、カロンとギバのそれぞれの美味しさを伝えたかったというのが、一番の目的でありましたが……」


「うむ。そちらの目的も、十分に達せられていることだろう」


 マルスタインの目が、俺からドレッグにと移動される。


「どうだろうね、ドレッグ殿。未知なる食材を口にするというのは気が引ける行いであるのかもしれないが、貴方は王都の監査官として、アスタの心情を厳粛に受け止めるべき立場にあるのではないだろうか?」


「……どうしても、俺にギバの肉を食せというのか?」


「私は貴方に命令を下せる立場ではない。ただ、監査官としての職務を全うしていただきたいと願っているばかりだ」


 ドレッグは悄然たる様子で息をついてから、力なくマルスタインを見返した。


「ならば……せめて一杯だけでも、果実酒を口にすることを許してはもらえぬか?」


「かまわないよ。すでに会合は終わっているのだから、お好きになさるがいい」


 どうやらドレッグが酒を控えていたのは、マルスタインの要請であったらしい。マルスタインが合図をすると、小姓のひとりが果実酒の瓶と酒杯を運んできた。

 それを一息で半分ほど飲み下してから、ドレッグが俺を見やってくる。


「では……何でもいいので、ギバの肉を頼む」


「了解いたしました。では、普通のギバ肉を使ったものを」


 もっともオーソドックスな、ギバ肉のパテである。四分の一に切り分けられたそのパテが届けられると、ドレッグは残りの果実酒を飲み干してから、食器を取った。

 族長たちも、食事の手を止めて、ドレッグの様子をうかがっている。ドレッグは、それらの視線をはねのけるような勢いで、大きめに切り分けたパテを口に押し込んだ。


「……なんとも説明し難い味わいだな。カロンやキミュスはもちろん、野鳥やギャマとも異なるようだし……このような風味を持つ肉を、俺は口にしたことがない」


「しかし、美味でないことはないでしょう? 少なくとも、ギャマの干し肉よりは美味であると思います」


 しばらく無言でいたルイドが、そのように述べてくる。


「そして、食べなれるとこの風味が心地好く感じられてくるのです。わたしは数日前よりも、今日のほうがいっそうギバの肉を美味だと感じています」


「ふん。料理のことなど門外漢だと言っていたくせに、今日はずいぶん饒舌ではないか」


 少しだけ目のふちを赤くしたドレッグが、マルスタインに向きなおる。


「……ジェノス侯よ、さらに果実酒を口にすることは許されるのか?」


「どうぞご随意に。それで会合の内容にそぐわぬ発言が出るようだったら、明日また真意をうかがわせていただくよ」


「だったら、残りの料理も口にしてみせよう。ギバの舌や、カロンと混ぜたものも持ってくるがいい」


 果実酒を口にしたことで、ドレッグも少しだけ元気を取り戻せたようだった。

 小姓たちが、残り3種のパテを給仕する。ドレッグは合間に果実酒を口にしながら、次々とそれらをたいらげていった。


「確かに、不味いことはない。そもそもこの煮汁が上等な出来なのだから、それだけでも賞賛に値するだろう。ただ……」


「ただ、何かね?」


「……俺はやはり、食べなれているカロンのほうが、美味に思えるな。それが、率直な心情だ」


 ドレッグは、挑むような眼差しをドンダ=ルウたちに突きつけた。

 ドンダ=ルウは、「ふん」と顎髭をしごいている。


「それは俺たちも同じことだ。カロンという獣の肉を不味いとは思わんが、ギバより美味いと感じることはない。両方の肉を使った料理も、同じことだ。……しかし、それで困ることはない」


「では、ジェノス侯爵やファの家のアスタの思惑も、空振りであったということか?」


「ただひとたびの晩餐ですべて解決したら世話はない、ということだ。俺たちは、どれほど長きの時間がかかろうとも、もっとも正しい道を歩いていきたいと願っている」


 ドンダ=ルウは、力感のみなぎる目でドレッグを見据えた。


「俺たちはこれまで、何よりも血の縁を重んじてきた。その思いは今でも変わらないが、血族ならぬ氏族も同胞としてこれまで以上に重んじるべきだと、この1年で学ぶことができた。そうして今後はジェノスの民を同胞と思い、西の民のすべてをも同胞と思うことができれば、それがもっとも正しい道なのだろうと考えている」


「ふん。いったい何年かかるかもわからない話だな」


「何年、あるいは何十年かかるかもわからない。その姿を、見届けてもらいたいと願っている」


 ドレッグは、「ふふん」と口の端を吊り上げた。

 それはもしかしたら、彼が今日初めて見せる笑顔なのかもしれなかった。


「会合は終わったのだから、堅苦しい話はやめておこう。まずは、森辺の民が洗礼を受ける姿を見届けさせてもらう」


「うむ」と、ドンダ=ルウたちも食事を再開させる。

 マルスタインはまた満足そうに微笑んでから、俺のほうを振り返ってきた。


「そろそろ料理も尽きる頃合いだな。最後に菓子の準備をお願いするよ、アスタ」


「了解いたしました。少々お待ちください」


 これは厨のトゥール=ディンに言葉を届けるのみであるので、俺はシェイラにその役をお願いすることにした。

 数分が経過し、鍋のパテもあらかた尽きたところで、チム=スドラを引き連れたトゥール=ディンが、菓子を載せた台車とともに現れる。


 椅子の上で、オディフィアがまたぴょこんと頭をもたげたようだった。

 そちらに優しげな微笑を向けてから、トゥール=ディンがぺこりと頭を下げる。


「菓子をお持ちしました。ただいま切り分けるので、少々お待ちください」


 トゥール=ディンが準備したのは、先日レシピが完成したばかりのガトーショコラと、生クリームたっぷりのデコレーションケーキであった。このデコレーションケーキは切り分けるのにコツがいるので、トゥール=ディンがこちらに参上する段取りになっていたのだ。


 ガトーショコラは、食感に変化をつけたいというトゥール=ディンの発案で、切り分けた後にちょこんと生クリームが添えられる。

 デコレーションケーキのほうは、ガトーショコラと差別化するために、ギギの葉は使っていない。乳白色の生クリームと、甘く煮込んだアロウの実で彩られた、至極シンプルな仕上がりだ。


 切り分けられた2種のケーキが、次々と供されていく。それを待ち受けるオディフィアは、耳も尻尾もぱたぱたと動かしているように、俺には幻視できた。


「ふん。このように真っ黒な色合いをした菓子とは、ずいぶん面妖だな」


 憎まれ口を叩きながら、ドレッグはチャッチの茶を要求した。口に残されている果実酒の酸味を、それで洗い流そうというのだろう。

 その末にガトーショコラを口にしたドレッグは、「ううむ」とうなることになった。


「これは、強烈に甘いな。ギギの葉の苦さが、それをいっそう際立たせているかのようだ」


「まったくですね。しかし、掛け値なしに美味であるようです」


 ルイドは機械のように一定の速度で、ガトーショコラを口に運んでいた。

 それを横目に、ドレッグは眉をひそめている。


「前々から気になっていたのだが、お前はずいぶん菓子を好いているようだな、ルイド」


「ええ。わたしは酒をたしなみませんので、甘い菓子を食することを喜びとしています」


「ふん。まるで貴婦人か幼子のようだな」


 熱心にガトーショコラを頬張っていたベイムの家長が、その言葉に反応して俺を振り返ってくる。


「……アスタよ、やはり甘い菓子を好むのは、女衆や幼子じみているのか?」


「そんなことはありませんよ。あくまで、比率の問題です」


 少なくとも、この場に甘い菓子を忌避する人間はいなかった。北の集落でも、ついに前回の祝宴から甘い菓子がお披露目されたらしく、グラフ=ザザも黙々と口を動かしている。


 ただやっぱり、その中で俺の目を引いたのは、オディフィアであった。

 一口食べては動きを停止させ、入念に味わってから次の一口に手をのばす。ルイドに劣らず機械的な動作であるのに、その灰色の瞳には歓喜の光がくるめいているように思えてならなかった。


 もちろんトゥール=ディンも、最初からオディフィアの様子を気にかけている。そうして俺と同じように、オディフィアの心情を汲み取ることができたのだろう。トゥール=ディンは、あふれかえりそうになる喜びの念をこらえるように、小さな唇をきゅっと引き締めていた。


「……これは、以前の茶会のときよりも、いっそう美味な菓子であるようね」


 と、ここにきてリフレイアがひさびさに発言した。

 トゥール=ディンが、びっくりしたようにそちらを振り返る。


「あなたはわたしと変わらないぐらいの年頃に見えるのに、本当に大した腕前であるのね。ヴァルカスやティマロでも、これほど立派な菓子を作ることはできないように思えてしまうわ」


「あ、いえ、その……あ、ありがとうございます」


「特にこのギギの葉を使った菓子が見事だわ。この生地は、フワノとポイタンのどちらなのかしら?」


「これは、ポイタンを使っています。そのほうが、食感が好ましいように思えたので……」


「なに? この菓子もポイタンで作られているのか!?」


 ドレッグが、愕然とした様子で口をはさんでくる。

 トゥール=ディンは、いささか怯えた目つきでそちらを見た。


「は、はい……キミュスの卵やカロンの乳なども使っていますけれど……フワノではなく、ポイタンです」


「これがポイタン……まったく信じ難い話だ」


 ドレッグは、腕を組んでまたうなり始めてしまった。

 その姿を見やってから、リフレイアはほんの少しだけ肩をすくめている。もしかしたら、今のは最初からドレッグを意識しての会話だったのかもしれなかった。


「ドレッグ殿もお気に召したようで何よりだ。今日はアスタの心づかいもあって、獅子犬の出番もなかったな」


 マルスタインも悪戯っぽい口調で加担すると、ドレッグは顔をしかめてそちらを振り返った。


「俺とて、それぐらいの分別は備えている。この段に至って、獅子犬など連れてくるものか。……それに、あいつはすっかり臆病風に吹かれてしまったしな」


 その言葉に、アイ=ファがすかさず反応した。


「待たれよ。それはまさか、私のせいであるのか?」


「うん? ああ、そうだ。お前に気圧されて以来、あいつはすっかり気弱になってしまってな。あれでは護衛犬としての役目も果たせるか危ういところだ」


「何ということだ……私のせいで、あの者が……」


 アイ=ファはぎりっと歯を噛み鳴らしてから、再びドレッグに視線を差し向けた。


「監査官よ、私はあの者と和解をしたいと願う。どうかその場を作ってはもらえないだろうか?」


「なに? あの者というのは、誰のことだ?」


「だから、あなたの連れていたあの獅子犬という者だ。私の心情を伝えれば、あの者もきっと力を取り戻すはずだ」


 ドレッグは、きょとんとした目でアイ=ファを見ていた。


「ちょっと待て。何を言っているのか、よくわからん。お前は獅子犬と和解をしたい、と言っているのか?」


「うむ。私のせいであの者が力をなくしてしまったなどと聞いては、とうてい捨ておけん。あの者は、あなたの命令で私と対峙することになったのだから、何の罪もないはずであろう?」


 それでもドレッグは理解しきれていない様子で、目をぱちくりとさせていた。

 いっぽうでアイ=ファは、真剣そのものの表情である。

 そんな両者の間を取りもってくれたのは、ガズラン=ルティムであった。


「森辺の民は、トトスや猟犬を家族のように扱っています。だからアイ=ファも、その獅子犬というものに対して敬意を払いたいと願っているのでしょう」


「……よくわからんが、獅子犬とその者を引きあわせればいいということか? それならまあ、いずれ時間のあるときにでも……」


「是非、お願いする」


 アイ=ファは目を閉ざし、顎を引くように一礼した。

 ドレッグは、仏頂面で頭をかいている。


「審問の場ではあれだけ不遜な態度であったのに、このような話では頭を下げるのか。まったく、わからん連中だ」


「それは、貴方もまた公正ならぬ態度で森辺の民に接していたためだろう。誠意や悪意というものは、鏡のように跳ね返るものなのだ。実直さの塊である森辺の民に対しては、より顕著にそういう効果が生まれるのだろうね」


 マルスタインがそのように応じたとき、エウリフィアが「よろしいかしら?」と声をあげた。


「オディフィアが、トゥール=ディンにねぎらいの言葉を届けたいそうです。どの皿も空になったようですし、席を立つことを許していただけるかしら?」


「ああ、かまわないよ。オディフィアは、普段からトゥール=ディンの世話になっているのだからね」


 オディフィアは、エウリフィアとともに席を立った。

 そのまましずしずと歩を進めて、トゥール=ディンの前に立つ。すると、トゥール=ディンはこらえかねたように微笑をこぼした。


「おひさしぶりです、オディフィア。今日の菓子は満足していただけましたか?」


「うん。すごくおいしかった」


「ありがとうございます。ようやくオディフィアにでこれーしょんけーきをお出しすることができて、わたしもとても嬉しいです」


 トゥール=ディンの顔を見上げるオディフィアは、やっぱり無表情である。

 が、やがて彼女はフリルだらけのスカートをひるがえして、トゥール=ディンに飛びかかることになった。

 11歳のトゥール=ディンと6歳のオディフィアであるので、身長差がはなはだしい。トゥール=ディンが膝を折ると、オディフィアはあらためてその首っ玉にかじりついた。


「すごくおいしかった。どっちもおいしかった」


「ありがとうございます。がとーしょこらのほうは、また城下町にお届けしますね」


「うん」とうなずきながら、オディフィアは小さな手でトゥール=ディンの首を抱きすくめる。

 トゥール=ディンは幸福そうに微笑みながら、その背に手を回していた。


「……身内びいきと思われるかもしれないが、もしも森辺の民が道理を知らぬ蛮人の集まりであれば、オディフィアがこのようになつくこともなかったと思うよ」


 やがてマルスタインが、笑いをふくんだ声でそう言った。


「大事な孫娘のためにも、私は森辺の民と正しい絆を結びたいと願っている。それはジェノスの繁栄につながり、ひいては王国の繁栄にもつながるだろう。私は、そのように信じている」


 ドレッグは、何も答えようとしなかった。

 ただその目は真面目くさった光を浮かべつつ、トゥール=ディンたちの姿をじっと見つめている。


 そうしてその長い一日は、ようやく終わりを迎えることになった。

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