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異世界料理道  作者: EDA
第三十二章 母なる森と父なる西方神
551/1705

緑の月の十八日③~晩餐会~

2018.1/10 更新分 1/1

「あー、アイ=ファにアスタ! お話はもう終わったの?」


 貴賓館の厨にて、真っ先に声をあげてくれたのはリミ=ルウであった。

 歩を進めていくと、他の女衆も笑顔でねぎらいの言葉をかけてくれる。厨の内部で護衛役を受け持っていたのは、ルド=ルウとジョウ=ランであった。


「意外と早かったな。まだ一刻も経ってねーだろ?」


「うん。意外とすんなり、話を通すことができたからね。マルスタインが、上手い具合に話を噛み砕いてくれたからだと思うよ」


 ただその代わりに、タルオンが叛逆者として告発されるという意想外の事態も生じることになった。

 その件を告げてみせると、ルド=ルウは「へー」と肩をすくめた。


「それじゃあけっきょく、悪人も一匹まぎれこんでたんだな。カミュア=ヨシュは、悪人なんていねーとか言ってたのにさ」


「まあ、今のところはその疑いがあるってだけの話だしね。それに、その人物の思惑がどうあれ、族長たちの決断がなかったら、話はまとまらなかったんだろうと思うよ」


「決断って、センレーがどうとかいう話だろ? それだけで貴族どもを追い払えるっていうガズラン=ルティムの言い分が、俺にはやっぱり今ひとつわかんねーんだよなー」


 森辺の民の全員が西方神の洗礼を受けるという大がかりな話も、ルド=ルウにかかってはこの調子であった。

 しかしこれは、ことさらルド=ルウがおかしいわけではない。族長たちにしてみても、最初は同じような反応であったのだ。


 内情はどうあれ、森辺の民はもう80年も前からジェノスの領土に住まう西の民である。それを今さら強調することが、どうして監査官たちの心を動かすことに繋がるのか、それを理解するのになかなかの時間を要することになったのだった。


 つまり、それだけ森辺の民には四大神への信仰というものが理解も実感もできていなかったのだろう。現時点でもそれは理解しきれていないので、理解するべく力を尽くすのが最善である、という結論を出すのに、2日をかけることになったのだ。


「王国の領土であるモルガの森辺に住まう以上、私たちも西方神の子であるという自覚を持つべきであるのです。森を母とする喜びと誇りを忘れぬまま、それを成し遂げることができたとき、私たちはようやくもっとも正しい道を歩むことができるのではないでしょうか?」


 ガズラン=ルティムは、しきりにそう述べていた。

 グラフ=ザザなどは、けっこう最後の最後まで苦々しげな顔をしていたように思う。これまで何とも思っていなかった西方神などを、母なる森と同じ場所に据えなければいけないというのが、どうしても不服でならなかったのだろう。


 しかし最後には、グラフ=ザザも賛同してくれていた。

 四大神への信仰を否定するならば、王国そのものを敵に回すしかない。それを理解して、進むべき道を選ぶことになったのだ。


「それはやっぱり、80年前のあたしたちがやり残した仕事なんだと思うよ……あんたたちには、苦労ばかりをかけてしまうねえ……」


 ジバ婆さんは、そんな風に言ってくれていた。

 ルウ本家の他の家族たちは晩餐を終えると自室に帰っていたが、ジバ婆さんだけは体力の続く限り、会議に参加してくれていたのである。


 そこでジバ婆さんは、ついにカミュア=ヨシュとも言葉を交わすことになった。

 だいたい晩餐の途中で姿を現して、そのまま会議に加わっていたカミュア=ヨシュは、普段通りののほほんとした笑顔でさまざまな助言を呈してくれていた。


「森辺の民は、実直で清廉な人々ばかりです。でも、そこまで四大神に対して無関心でいると、いずれはジェノスの人々との間にも大きな不和が生じてしまうかもしれません。10年後や20年後に生きる血族たちのためにも、今を生きる人間たちが正しい道を示すべきなのだと思いますよ」


 そんな風に語るカミュア=ヨシュは、透徹した眼差しをしていた。

 俺が常々、ジバ婆さんと似たところのある、という思いを抱いていた眼差しだ。その両者の眼差しが交錯するとき、俺は思いも寄らぬ感動を胸の内に抱くことになった。


「あたしも、その通りだと思うよ……80年前のあたしたちも、そんな風に思うことができていたら、子や孫たちに苦労をかけることもなかったんだろうねえ……」


「いえ。それ以前のあなたがたは黒き森の中で外界との人間に触れずに生きてきたというのですから、それはしかたのない話ですよ。長きの時間をこの地で過ごしてきたからこそ、ようやく正しい道が開けたということなのでしょう」


 そう言って、カミュア=ヨシュは静かに微笑んでいた。


「俺は、森辺の民に対して強い敬愛の念を抱いています。あなたがたがこの地を故郷と定めてくれたことを、心から嬉しく思っておりますよ。だからどうか、あんな監査官たちはあなたがたの強い意思の力で追い払って、また健やかな生活を取り戻してください」


 普段は真面目な発言をするときでもとぼけた態度を崩さないカミュア=ヨシュであるが、ジバ婆さんと言葉を交わす際には、ずいぶん神妙にしていたように思う。それはまた、族長たちの心を動かす大きな一因になったはずだった。


「ま、丸く収まったんなら、それでいーや。それで俺たちは、いつそのセンレーとかいうやつを受けるんだ?」


 ルド=ルウの言葉で、俺は追憶から覚めることになった。


「それは今、族長たちと貴族たちとで話し合ってるはずだよ。さすがに全員がいっぺんに城下町までやってくることはできないだろうから、何回かに分けられることになるんだろうね」


「ふーん。ジバ婆やコタまで石塀の中に入るなんて、すげー話だな。なんだか想像がつかねーや」


 ルド=ルウがそう言うと、鉄鍋の面倒を見ていたリミ=ルウが心から幸福そうな笑顔を差し向けてきた。


「でもさ、それって森辺の民だけじゃなく、西の民をみーんな同胞と思いなさいってことなんでしょ? ターラと同胞になれるなら、リミは嬉しいよ!」


「そうだね」と俺も笑顔を誘発されながら、リミ=ルウの小さな頭にぽんと手を置いた。その幸福そうな笑顔を見ていると、そうせずにはいられなかったのだ。


(もともと閉鎖的なところのある森辺の民が、西の民の全員を同胞と思うようになるには、長い長い時間がかかることだろう。でもきっと、いつかはこのリミ=ルウみたいに、みんなが笑える日が来るはずだ)


 そうして俺とリミ=ルウが笑顔のまま見つめあっていると、ルド=ルウが「なんだよー」と不平そうな声をあげた。


「いくら相手がちびリミだからって、気安くさわるなよな! アスタもかまど番の仕事があるんじゃねーの?」


 それはルド=ルウの言う通りであったので、俺も自分の仕事に取りかかることにした。

 レイナ=ルウたちのおかげで作業はよどみなく進んでいるものの、俺には個人的に担当しなければならない料理がたっぷりと存在したのである。


「アスタ、こちらの下準備はできていますよ。よければ、わたしとシーラ=ルウがお手伝いいたします」


「ありがとう。ユン=スドラたちのほうは大丈夫かな?」


「はい。問題なく進んでいます」


 ユン=スドラやトゥール=ディンとともに、マトゥアとラッツの女衆も微笑んでくれていた。きっと最初はこの厨の規模などに度肝を抜かれたであろうに、すっかりいつもの調子で仕事に取り組んでいる様子である。


 そうして俺も手を清めて、いざ調理に取りかかろうとすると、窓の近くにたたずんでいたジョウ=ランがおずおずと近づいてきた。


「あの……それで、アスタに対するおかしな疑いも解けたのですか?」


「え? うん、もちろん。俺も洗礼を受けるという話が、身の潔白の証になったようだよ」


「そうですか。それならよかったです。……あ、俺はずっと、アスタの身を案じていました。母なる森に誓って、それは本当です!」


 俺から遠からぬ位置にたたずんでいたアイ=ファも、仏頂面で身を寄せてくる。


「おい。アスタの仕事の邪魔をするな。お前はいったい何をくどくどと述べたてているのだ?」


「だ、だって、俺の立場だったら、アスタにいなくなってほしいと願ったりするかもしれないと疑われてもしかたないでしょう? そんな疑いをかけられることだけは、どうしても避けたかったんです!」


「そんなこと、まったく疑ってなかったよ。ジョウ=ランは、心配性なんだね」


 俺が笑顔でフォローしてみせると、ジョウ=ランも眉を下げながら口もとをほころばせた。


「本当ですか? だったら、俺も嬉しいです。俺はアスタにもさんざん迷惑をかけてしまいましたから……」


「……いいから、アスタの仕事の邪魔をするな」


 アイ=ファが溜息混じりにそう繰り返すと、ジョウ=ランは「はい!」と窓のほうに戻っていった。

 向かいの調理台では、ユン=スドラも溜息をついている。ジョウ=ランが両名と相互理解を果たすには、今しばらくの時間が必要であるようだった。


 ともあれ、仕事の開始である。

 俺はレイナ=ルウとシーラ=ルウの手を借りて、自分の仕事を果たすことになった。

 かまど番のツートップとも言えるおふたりの手をわずらわせるのは恐縮なところであったが、このたびの料理には彼女たちの協力が不可欠であったのだ。


 それ以外の料理に関しては、リミ=ルウとトゥール=ディンが中心となって進めてくれている。俺もアイ=ファも浴堂で身を清めることになり、作業時間は残り2時間ていどであるので、それほどの猶予は残されていないはずだった。


 そんな中、扉の外で警護の役を担ってくれていたチム=スドラから来客の旨が届けられたのは、下りの五の刻の鐘が鳴った頃合いであった。

 日没までは、あと一刻だ。まだまだ作業完了の目処は立っていなかったが、それは無下に追い返すこともできない相手であった。


「やあ、なんとか丸く収まったようだね。俺もようやく肩の荷を下ろせた気分だよ」


 それは、カミュア=ヨシュであった。

 すでにひと通りの事情は聞いているらしく、のんびりとした顔で笑っている。


「どうもお疲れ様です。あの、タルオンについても聞いていますか?」


「うん、もちろん。まさかルイドがあんな告発をするとはね。大事な部下たちをいいように使われて、相当に鬱憤を溜め込んでいたのだろう」


「あれは本当に、勝算あっての告発だったんでしょうか? これでルイドというお人の勇み足だったら、またややこしいことになってしまいそうですが……」


「それは心配ないと思うよ。ルイドは堅実な人柄だから、勝ち目のない争いを仕掛けることはないはずだ」


 そう言って、カミュア=ヨシュは愉快そうに目を細めた。


「タルオンが本当に王命よりもベリィ男爵家の意向を重んじていたかはわからない。でも、あの御仁がドレッグを隠れ蓑にして荒っぽい手段を講じたというのは、まぎれもない事実であるようだからね。たとえ叛逆罪に問われることはまぬがれたとしても、監査官としての役職は剥奪されるんじゃないのかな」


「では、あの者は大罪人ではないやもしれぬということか?」


 俺にくっついてきたアイ=ファが問うと、カミュア=ヨシュは「うん」とうなずいた。


「というか、タルオンがベリィ男爵家の意向を重んじていたとしても、その証を残すような失敗はしないだろう。だから、彼を叛逆者として証し立てることは不可能なのだろうと思うよ」


「では、あらぬ疑いをかけたルイドという男のほうが罪に問われてしまうのではないか?」


「いや、それでもやっぱりタルオンが王命に背くような荒っぽい手段に手を染めた事実は動かせない。ドレッグも全力で保身に走るはずだから、ルイドの後押しに励むことになるだろう。何にせよ、タルオンは功を焦って大失敗したということさ。ジェノス侯と森辺の民に喧嘩を売るには、器量が足りなかったね」


 と、カミュア=ヨシュは人の悪い笑みを浮かべる。


「結果的に、彼は国王とベリィ男爵家の双方から無能と見なされることになる。もともと彼自身には何の力もないのだから、今後はジェノスに近づくことすらできないだろう。言ってみれば、これがモルガの山を踏み荒らそうとした人間に対する罰なのかもしれないね」


「ふん。モルガの山が、そのようにややこしい罰を下すとはとうてい思えんがな」


 そう言って、アイ=ファは毅然と頭をもたげた。


「何にせよ、我々は自らの選んだ道を進むだけだ。その一点には、何の変わりもない」


「うん。いずれ王都からは、正式に新たな監査官だか外交官だかが派遣されることだろう。その人物と正しい絆を結ぶことを、第一に考えるべきだろうね」


 そうしてカミュア=ヨシュは、細長い身体をもじもじと動かし始めた。


「ところで、アスタにお願いがあるのだけれども……」


「ああ。もしかしたら、晩餐をご一緒したいとかそういうお話でしょうか?」


「すごいね! どうしてわかったんだい?」


「いえ、以前にも同じようなことがあった気がしたので」


 俺は、苦笑まじりにそう答えてみせた。


「幸いというか何というか、タルオンが食事会から外されてしまった分、多少のゆとりは出ると思いますよ」


「本当かい? ……それをふたりで半分ずつ分けてもらってもいいかなあ?」


「ふたりで半分ずつ? レイトの分ですか?」


「いや、レイトは兵士たちが撤退するまで《キミュスの尻尾亭》を手伝いたいと言っていたよ。ただ、ザッシュマがそろそろこちらに戻ってくるはずなんだよ。彼は今、ルイドの命令通りにタルオンが拘束されているかどうか、それを確認しに出向いてくれているんだ」


「ああ、ザッシュマでしたか。それなら、お断りするわけにもいきませんね。可能な限り、ゆとりが出るように準備してみますよ」


「ありがとう! 祝杯をあげるにはちょっと早いだろうけど、前祝いとしては相応しいんじゃないのかな」


 とはいえ、俺とアイ=ファは会合の場に戻らなくてはならないので、ともに晩餐を食することはできない。祝杯は、ルド=ルウたちと一緒にあげてもらうしかないだろう。


 そんな感じでカミュア=ヨシュとの会話を終えた俺は、また自分の仕事に舞い戻ることになった。

 あとはひたすら時間との戦いで、粛々と作業をこなしていく。途中でユン=スドラたちも自分の仕事を終えたので、そちらの手も借りつつ、俺はその日の仕事を仕上げていった。


 そうして、下りの六の刻――日没の刻限である。

 その時間に厨の扉を叩いてきたのは、ダレイム伯爵家の侍女たるシェイラであった。


「晩餐の刻限となりました。準備がよろしければ、料理をお運びいたします」


「どうもご苦労さまです。シェイラもこちらにいらしたのですね」


「いえ。さきほど宿場町での仕事を終えて、戻ってきたところです。ポルアース様に、皆さまのお手伝いをするお許しをいただくことがかないました」


 アイ=ファがこの場にいるという話を聞きつけて、自ら仕事を志願したのだろうか。相変わらず、アイ=ファのことをうっとりと見やっているシェイラである。


「では、こちらの料理をお願いします。今日は、2回に分けて料理をお出しするつもりですので」


「ああ、略式の作法なのですね。では、お手伝いいたします」


 シェイラとともに控えていた小姓たちが、しずしずと厨に入室してくる。彼らがすべての台車を受け持ってくれたので、俺とアイ=ファは手ぶらで食堂に向かうことができた。


「お待たせいたしました。こちらが森辺の料理人たちの料理となります」


 シェイラを先頭に入室すると、そこには2名の貴賓が増えていた。

 メルフリードの伴侶たるエウリフィアと、その息女たるオディフィアである。この時間は親睦の晩餐会と銘打たれていたために、彼女たちも参席することが許されたのだ。


 他の顔ぶれに変化はない。ただ、タルオンの席がぽっかりと空いているだけだ。ドレッグはすっかり力を失った様子で、ルイドは鉄仮面のような無表情のまま、卓に食器が並べられていくのを見守っていた。


「待ちかねていたよ、アスタ。今日は心置きなく、其方の料理を楽しませていただこう」


 マルスタインは、ゆったりと笑っている。他の貴族たちもおおよそは穏やかな表情であり、森辺陣営の人々は厳粛なる態度で晩餐の開始を待っていた。


「本日は、王都の方々と親睦を深める晩餐会とあって、自分なりの趣向を凝らせていただきました。お気に召したら、嬉しいです」


 アイ=ファはもとの席についていたが、やはり俺は料理長としての本分を果たすべきだろう。調理に参加した時間は短かったものの、献立の選定に関しては俺が全責任をもって引き受けた立場であるのだった。


「その趣向に沿う形で、前菜と汁物料理とフワノ料理はいちどきにお出しします。いささかならず城下町の流儀からは外れる面もあるかもしれませんが、どうぞご了承ください」


 まずは、前菜の小鉢が並べられていく。

 それはもう箸休めの感覚で、実にシンプルな献立を準備させていただいた。


「ふむ。これは……チャンであるのかな?」


「はい。チャンをママリアの酢とタウ油で味付けした料理となります」


 チャンというのは、ズッキーニを思わせる野菜である。それをレテンの油で炒めて、赤ママリアの酢とタウ油で味付けしたものだ。

 風味づけにミャームーも使っているので、食欲を増進させる役目も果たしてくれることだろう。西洋風の前菜や箸休めというものにはあまり造詣がなかったので、俺としては懸命に頭を悩ませた結果であった。


「そして、汁物料理とフワノ料理は2種類ずつご用意しています。それぞれ量は控えめにしていますので、よかったら味を比べてお楽しみください」


 保温された鍋から、まずは汁物料理が取り分けられていく。

 そこで俺は、悄然と目を伏せているドレッグのほうに視線を差し向けた。


「ただ、ドレッグ監査官はギバ肉を口にされるのは気が進まないというお話でしたので、ご希望でしたら片方の料理だけをお届けしたく思います」


「なに? すべてがギバ料理というわけではないのか?」


「はい。ドレッグ監査官にも、自分たちの料理を口にしていただきたく思っていたので……それもあって、今日はギバ料理とギバを使っていない料理の両方を準備したのです」


 その先鋒たる汁物料理は、屋台においても絶大な人気を誇るクリームシチューである。

 片方はギバ肉を使い、もう片方はキミュス肉を使っている。一見ではどちらがどちらとも見分けがつかないほどであるが、味に関してはそれなり以上の差異が生まれているはずであった。


「そしてこちらが、フワノ料理です。名前は……タラパと乾酪の窯焼きとでも申しましょうか」


 せっかく立派なオーブンが使えるのだからと、俺はグラタンの作製を考えたのだが、それではクリームシチューと味が似通ってしまう。そこで俺は、カロンの乳製品と相性のいいタラパで、汁物料理の対になるような献立を考案することになったのだった。


 原型は、トマトソースのパスタである。が、今回は食べやすさを考慮して、ニョッキタイプのパスタを使用している。タラパをふんだんに使ったソースに乾酪とパスタを投じ、それをオーブンで焼いている。そして、そちらにもギバのベーコンとキミュスの皮つき肉をそれぞれ使用しているのだった。


「右手に置かれたのがギバ肉を使ったもので、左手に置かれたのがキミュス肉を使ったものです。自分としては、どちらも優り劣りのない仕上がりであると考えています」


「どちらも、とても美味しそうだわ。ギバとキミュスでどれほど味が変わるのかも、楽しみね」


 ちょっとひさびさの対面となるエウリフィアは、相変わらずの優雅な笑みをたたえていた。

 その隣では、リフレイアに劣らずフランス人形めいているフリルだらけのオディフィアが、無表情に皿を見つめている。その小さな姿を目に止めた瞬間、俺は伝えるべき言葉が残されていることを思い出した。


「自分は会合に参加させていただいていたので、肉料理のみを受け持つことになりました。この汁物料理はリミ=ルウが、フワノ料理はトゥール=ディンが中心となって作りあげてくれたものとなります」


 その言葉に、オディフィアがぴょこんと面を上げた。

 灰色の瞳が、じいっと俺を見つめてくる。その表情の欠落した人形めいた顔に、俺はにこりと微笑みかけてみせた。


「もちろん最後にお出しする菓子に関しても、トゥール=ディンが中心となって仕上げてくれました。そちらもお気に召したら幸いです」


 オディフィアの表情に変化はない。

 ただ、ありもしない尻尾がぱたぱたと振られているように感じられてしまう。何故かしら表情が動かないのに、雰囲気だけで情感が伝わってくる、オディフィアはそういう不思議な存在であるのだった。


「それでは、いただこうか。オディフィアは、火傷をしないようにな」


 そのように述べながら、マルスタインは銀の匙を取った。

 森辺の一同は食前の文言を唱えてから、それに続く。

 最初に驚きの声をあげたのは、ポルアースであった。


「うん、この汁物料理は、とても美味だね! アスタ殿は、いっさい手を出していないのかい?」


「はい。そちらのクリームシチューという料理に関しては、リミ=ルウがもともと得意にしていましたので」


「ああ、なるほどね。確かに彼女は、その幼さに似合わぬ立派な料理人だものねえ」


 リミ=ルウがこの料理の修練を積むきっかけとなったのは、北の民の存在であるのだ。リミ=ルウがマヒュドラの女衆にこれと似た料理の手ほどきをしていたことは、ポルアースとメルフリードもその目で確認しているはずであった。


「これは……本当に、驚くほど美味な料理だな」


 と、押しひそめた声で述べていたのは、ベイムの家長であった。

 彼とバードゥ=フォウは毎回会合に参席しているが、その立場は見届け人であるので、発言することはほとんどない。俺にしても、彼の声を聞くのは城下町に到着してから初めてであるように思えた。


「ううむ。ルウ家の女衆は、アスタ抜きでもこれほどの料理を作れるのか。まあ、毎日のように手ほどきされていれば、それも当然なのだろうが……」


「そうだな。しかもリミ=ルウというのは、もともと才覚のある娘であったのだろう。あの幼さでこれほどの料理を作れるというのは、驚きだ」


 バードゥ=フォウも、小声でベイムの家長に応じている。

 その目が、ふっとドンダ=ルウのほうを見た。


「ドンダ=ルウよ。リミ=ルウというのは、あの本家の末妹のことなのであろう?」


「……ああ、そうだ」


「それでは、やはり驚きだ。ルウの本家には、才覚のある人間が集まっているのだな」


 ドンダ=ルウは、うるさそうに顔をしかめている。このような場でなければ、「うるせえ」とでも言い捨てていそうなところだ。


「だけど、これは本当に美味だわ。それに、アスタの言う通り、ギバを使うかキミュスを使うかで、これほどまでに味が異なってくるのね」


 と、エウリフィアがまた笑顔で発言をする。


「ギバを使っているほうはとても力強くて、香りも強いように感じられるわ。それに比べると、キミュスを使っているほうは……上品で、繊細にすら感じられるわね。さすがにただ肉を変えただけで、これほどの違いが生じるわけではないのでしょう?」


「はい。汁物料理では、出汁も変えているのです。キミュスのほうにはキミュスの骨ガラだけを使い、ギバのほうにはギバとキミュスの骨ガラをあわせて使っているのですね。それで、風味にも大きな差が出たのだと思います」


 それもまた、リミ=ルウが独自で開発した調理法であった。

 俺の故郷のクリームシチューに近いのは、キミュスの骨ガラのみを使っているほうである。リミ=ルウはそこに自分なりの工夫でギバの骨ガラを使い、また新しい味わいを生み出すことに成功せしめたのだった。


 つまりリミ=ルウも、ただ俺から伝え聞いた調理法を真似るだけではない域にまで達しているのだ。こうして賞賛の言葉をいただくことができるのも、至極当然の結果であるはずだった。

 そんな満足感を胸に、俺はもう一言つけ加えさせていただくことにする


「そのキミュスの骨ガラに関して知識を与えてくれたのは、ルウ家に逗留しているミケルです。ミケルがいなければ、ここまで立派な料理に仕上げることは難しかったでしょう」


「そうか。トゥランのミケルなる者は、そうしてルウ家に恩義を返しているのだな。正しき絆が結ばれているようで、何よりだ」


 マルスタインの言葉を聞きながら、ドレッグは肩身のせまそうな面持ちでクリームシチューをすすっている。

 王都の人々にとって、これらの料理はどのような評価であるのか。いっぽうのルイドは完全なる無表情であるために、なんとも判別がつかなかった。


「王都の方々は、ジェノスの料理よりも森辺の料理のほうが口に合うかもしれないという話だったな。これらの料理は、貴方がたのお気に召したのだろうか?」


 マルスタインの問いかけにも、ドレッグは曖昧にうなずくばかりであった。

 マルスタインは、思案顔で「ふむ」と口髭をひねっている。


「貴方がたも、以前の食事会でリミ=ルウと顔をあわせているはずだったな。それでもべつだん、驚かされることはない、ということか」


「……ルウ家の娘ならば覚えている。確かにあの若さでこれだけの料理を作ることができれば、立派なものだろう」


「若さというよりは、幼さというべきではないのかな。言っておくが、年長のほうはレイナ=ルウといって、ルウ家の第二息女であるはずだ」


 ドレッグは、けげんそうに面を上げた。


「それはあの、黒髪の娘のことを言っているのか? もうひとりの娘は、まだ年端もいかない幼子であったはずだが」


「だから、それが末妹のリミ=ルウということだね。ドンダ=ルウ殿の、第四息女にあたる人物だ」


 けげんそうであったドレッグの顔が、今度は呆れた顔になる。


「あのような幼子が、これほどの料理を作ったというのか? いくら何でも、そのようなことは――」


「いえ、確かにそのリミ=ルウで間違いありません。レイナ=ルウはもともと自分の手伝いをしてもらう予定でしたし、クリームシチューに関してはリミ=ルウも遜色のない腕前であったので、彼女に責任者を担ってもらったのです」


 というか、クリームシチューと菓子においてのみ、リミ=ルウは姉をも凌駕する腕前を有しているのである。せっかくなので、ドレッグにはとことん驚いてもらうことにした。


「キミュスの肉の扱いに関してだけは、レイナ=ルウに手ほどきをしてもらいましたが、それ以外の調理はすべてリミ=ルウが取り仕切っていたはずです。自分でも、これほど見事なクリームシチューを作れるかどうかは難しいところです」


「……森辺の民は、もともとギバの肉しか口にしないという話でしたな」


 言葉を失ったドレッグの代わりに、ルイドが問うてくる。

 俺は「はい」と応じてみせた。


「自分やレイナ=ルウは宿場町の宿屋でキミュスやカロンの肉を扱う機会がありましたが、他のかまど番たちはそもそも手に触れることさえ滅多になかったと思います」


「それでこれだけの料理を作れるというのは、驚きです。これならば、王都で店を開けるぐらいの腕前ではないでしょうか」


 先日は多くを語らなかったルイドであるが、本日はなんとも好意的なコメントであった。

 その向かい側で、エウリフィアはにっこりと微笑んでいる。


「それに、こちらのフワノ料理も大したものだわ。トゥール=ディンは、菓子でなくともこれだけの料理が作れるのね」


「はい――」とそちらを振り返った俺は、ふきだしそうになるのを慌ててこらえることになった。エウリフィアのかたわらで、オディフィアが口の周りをタラパだらけにしていたのである。

 それに気づいたエウリフィアは、織布と呼ばれるテーブルナプキンで愛娘の口もとを清めつつ、また微笑んだ。


「トゥール=ディンのことも、すでにご存じなのでしょう? このオディフィアが菓子を買いつけている幼き料理人です。前回の食事会でも、彼女が菓子を出したのだと聞いておりますわ」


「ああ、彼女もずいぶん幼かったので、我々はたいそう驚かされることになりました。確かにこちらの料理も、美味ですな」


「ええ、本当に。汁物料理ほど明確な違いはないようですけれど、ギバのほうもキミュスのほうも、どちらも美味ですわ。やっぱり、ギバのほうが力強い味に感じられるかしら」


 きっとエウリフィアも、監査官たちを歓待する晩餐か何かで両者とは面識があるのだろう。貴婦人らしい優雅さと、彼女独特の物怖じしない態度で言葉を交わしている。

 その明るい茶色をした瞳が、笑いをたたえてドレッグのほうを見た。


「そちらの監査官は片方の料理しか食べていらっしゃらないから、量が足りないでしょう? よろしければ、もうひと皿いかがかしら?」


「いや、俺は……あまり食欲がないので、これで十分だ」


「そう。キミュスの料理をふた皿お口にされても、悪いことはないと思いますけれど」


 それでもドレッグは、空になった皿を前に、力なく首を振るばかりであった。

 それを横目に、ドンダ=ルウが「おい」と俺に声をかけてくる。


「あ、はい。二杯目を準備しましょうか?」


「それは当然だが……そっちのポイタンは、そのまま腐らせるつもりなのか?」


「あ、すみません。説明に気を取られて、お出しするのを忘れていました」


 きっと小姓たちも、この料理はどうするのかと俺の指示を待っていたのだろう。俺は汁物料理の付け合せとして、希望者に焼きポイタンを配る心づもりであったのだった。


「森辺においては、晩餐において必ずといっていいほど焼いたポイタンを食します。もし汁物料理の付け合せとして必要な方がいらしたらお申しつけください」


 森辺の民には無条件で配り、貴族の人々には意見を頂戴する。希望したのは、マルスタインとメルフリードとポルアースの3名だった。

 そしてそれらの光景を、ドレッグはけげんそうに見やっている。


「それが本当に、ポイタンなのか? この前も、ポイタン料理と称して奇妙な料理を出していたようだが……」


「はい。ポイタンは、一度煮込んだものを乾燥させると、フワノのような粉末の状態に仕上げることができるのです。それをあらためて水で練ると、このように仕上げることが可能なのですよ」


 それでもドレッグは、人々が焼きポイタンを食するさまを疑わしげに見守っている。

 そちらに向かって、ルイドは感情の読めない眼差しを向けた。


「バンズ公爵家のお生まれであるドレッグ殿にとって、ポイタンの扱いというものは見過ごせぬはずでしょう。これを機会に、味を確かめてみたらいかがですか?」


「いや、しかし……ポイタンというのは、あくまで非常食だろう?」


「少なくとも、以前の食事会で出された料理は美味でした。わたしなどには、フワノと何が違うのか判別もできなかったほどです」


 ルイドは硝子の杯に注がれた茶で咽喉を潤してから、さらに言った。


「もしかしたら、タルオン殿に何か吹き込まれたのでしょうか? ポイタンが通常の料理でも扱えるとなれば、バンズ公爵家はさらなる富を得ることができるはずですが……タルオン殿にしてみれば、それでドレッグ殿がファの家のアスタや森辺の民に感謝の念などを抱いては面倒なことになる、などと考えるやもしれませんね」


 ドレッグは、情けなさそうにルイドを振り返る。


「やはり、そういうことなのだろうか? タルオン殿は食事会の後、あのポイタン料理だけは粉っぽくて口にするには値しないと述べたてていたのだ」


「それが真実であるかどうかは、いくらでも調べられるではないですか。あなたはもうご自分の意思で進むべき道を探すしかないのですよ、ドレッグ殿」


 ドレッグは、まだ困惑の表情のまま、俺のほうに目を向けてきた。


「それでは……俺にもそれを、一枚分けてもらえるか?」


「はい、もちろん。これはポイタンに少量のギーゴを混ぜて焼きあげたものです」


 小姓が小さくカットされた焼きポイタンをドレッグのもとまで送り届けた。

 それを一口かじりとったドレッグは、鼻だけで溜息をついている。


「またタルオン殿に騙された……あの御仁は、俺に恨みでも持っていたのか?」


「恨みではなく、ひたすら自分の利益だけを考えていたのでしょう。そのためには、わたしやドレッグ殿の頭を踏みにじることにも躊躇いがなかったということです」


 マルスタインは、満足そうにふたりのやり取りを見守っていた。

 それから、森辺の族長たちに目を向ける。


「森辺の皆も、大いに食事が進んでいるようだな。ギバでない肉に興味はないという話だったが、いったいどのような心持ちであるのだ?」


「……べつだん、不味いとは思わない。ただ、ギバのほうが美味だと感じるまでだ」


 ドンダ=ルウの言葉に、他のみんなもそれぞれうなずいている。

 マルスタインは「そうか」と、俺のほうに視線を転じてきた。


「それでは、そろそろ次の料理だな。どのような肉料理が出されるのか楽しみにしているよ、アスタ」


「はい。それでは、少々お待ちください」


 俺が一礼すると、手に持っていた焼きポイタンを口の中に押し込んだアイ=ファも立ち上がる。その姿を見て、俺は思わず笑ってしまった。


「無理して一緒に移動しなくてもいいんだぞ。今日のアイ=ファは、護衛役じゃないんだから」


 もちろんアイ=ファがそのような言葉を聞くはずもなく、シェイラの案内でともに食堂を出る。回廊を歩きながら、アイ=ファがこっそり頭を小突いてきたことは、言うまでもなかった。食堂から厨までのわずかな距離とはいえ、アイ=ファが俺に単独行動を許すはずはなかったのだった。


 ともあれ、主菜の準備である。

 そちらでは、思惑通りの成果をあげることができるかどうか。俺としては、心を定めて結末を見届けるしかなかった。

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