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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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②二つの道

2014.9/10 更新分 2/2

2014.9/11 誤字修正

「お帰りをお待ちしておりました。ファの家長アイ=ファに家人アスタ」


 四角い顔に、造作の大きい目鼻立ち。美男子ではないが誠実にして実直そうなガズラン=ルティムが、深々と頭を下げた。


「お会いできて良かったです。そろそろルティムの家に戻らなくてはならない刻限でありましたので」


 黒褐色の髪を綺麗にまとめあげ、落ち着いた中にも利発で元気のよさそうな表情をのぞかせるアマ=ミンも、同じように頭を下げてくる。


「ガズラン=ルティムに、アマ=ミン。いったいこのような場所で何をしているのか?」


 まだちょっと家長の顔になりきれていないアイ=ファが困惑気味に尋ねると、ふたりは示し合わせたようににっこりと微笑んだ。


「アイ=ファとアスタにお願いしたい儀があって訪れてきたのです」


 はっきり言って、嫌な予感しかしなかった。

 婚儀の宴のかまど番とかいう話であったら、今日の帰り際、ドンダ=ルウに頼んできっぱりお断りの返事をさしあげたはずである。

 それでもやっぱり、嫌な予感しかしなかった。


「とにかくここでは人目につく。家の中に入られよ。……アスタ、お前は鋼を預かれ」


 と、アイ=ファは果実酒を下げた手で俺の手からポイタンの袋を奪い去り、さっさと家の中に入っていってしまった。


 俺は大いに慌てふためきながら、ガズラン=ルティムに差しだされた蛮刀と小刀をおし抱く。


「ど、どうぞ」


 遥かな昔にここを訪れたリミ=ルウ以来の、客人である。

 俺には、扱いがさっぱりわからない。


 やがて食糧庫から戻ってきたアイ=ファが広間の中央近くの上座に陣取り、ふたりの客人は礼儀正しい距離を置いてその正面に腰を下ろす。


 俺は迷ったがアイ=ファの隣りに膝を折り、預かった刀は自分の手もとに置いた。

 文句は言われなかったから、まあ森辺の作法は乱さずに済んだのだろう。


「まずは、お礼から述べさせていただきたい。昨晩は素晴らしい宴をありがとうございました。ファの家のアイ=ファに、家人アスタ」


「本当に素晴らしい食事でした。……もう、言葉もありません。私たちにとってはかけがえのない前祝いの宴でしたが、それが本当に忘れられぬ幸福な一夜となりました」


 見るからに誠実で生真面目そうなおふたりにそのような謝辞を頂いてしまうと、こちらまで頭を下げたい心境になってしまう。


 というか……煩雑なる宿場町から帰ってきたばかりのこのタイミングでは、純朴の象徴みたいなこのおふたりの姿が、何だか昨晩とはまったく違った印象に見えてしまった。


 ガズラン=ルティムとは、こんなに真っ直ぐな目をした若者であったのか。


 アマ=ミンとは、こんなに涼やかな表情をした女性であったのか。


 家柄なのか、個人差なのか、ルウ家の人々なんかはみんな眩しいぐらいの生命力を発散させているタイプが多かったが、このふたりから感じられるのはもっと静かでどっしりとした、大地に根を張る大樹のような力強さだった。


 ようやく家長としての厳しい表情を回復させたアイ=ファが、片膝あぐらでじっとそのふたりを見つめやる。


「ルウの家より預かったかまど番としての責を果たせて、私たちも嬉しく思っている。――しかし、我らに願いたい儀があるとは何のことであろう? 婚儀の宴に関しての話であるならば、すでにドンダ=ルウを通じてお断りの返事をさしあげたはずだが」


 腹芸をする気など毛頭もなさそうなアイ=ファの言葉に、ふたりは「はい」と声をそろえて頭を下げる。


「まさしくその件に関して――そのように森辺の習わしに反した話を願い出たのは我が父ダン=ルティムですが、私たちもその話を聞いて……」


「素晴らしい、と思ってしまったのです。もしもそれが実現できたなら、どんなに幸福な一夜になるだろう、と」


 婚儀の前から、息もぴったりのおふたりである。

 その表情からも、眼差しからも、至極純粋な期待と喜び――そして、何とか自分たちの思いを伝えんと煩悶する誠実にして実直な人柄しか感じとることはできない。


 俺としてはまず、アイ=ファの果断な気性に期待をかけるしかなかった。


「しかし、ルティムともミンとも縁の薄いファの人間がそのような場を取り仕切るわけにはいかないだろう。家の喜びは、家の人間同士でわかちあうものだ。……と、アスタも昨日そのようなことを言っていた」


 そう、まさしくその通り。

 俺もうなずいて同意を示させていただく。


 すると、ガズラン=ルティムの真っ直ぐな目が、俺を見た。


「アスタ。あなたはファの家人だがこの森辺ではなく異国の出自なのだと聞いている。そして、あなたはその生まれ故郷において、料理人なる仕事を生業にしていた、と」


「はい。家族の仕事を手伝う見習いの身分に過ぎませんでしたが」


「私には、それがいかなる仕事なのかも、よくはわかりません。しかしそれは要するに、あの宿場町で出来合いの食事を売る、あの者たちのような仕事なのでしょうか」


「そうですね。その考え方で間違ってはいないと思います」


「それでは――あなたの作るその食事を、私たちに売っていただくことはかないませんでしょうか?」


「……はい?」


 言っている意味が、よくわからなかった。

 料理を、売る――こんな森辺で、どうやって?


「ですから、宴のかまど番をつとめる、という役を、善意や厚意や血のつながりではなく、相応の代価と引き換えにして、つとめあげていただきたいのです。あなたの食事を作る技術と、知識と、労力を、一晩だけ私たちに買わせていただきたい――と、私たちは願っています」


 俺は――

 あまりのことに、声も出なかった。


「他所の家の人間であるアスタに、私たちを祝せとは申しあげられません。昨晩出会ったばかりのあなたに善意や厚意を強要することなど、なおできません。ならば、あなたの力を得るには代価を支払う他に道はないと、私たちは考えました」


「それ、は……でも――」


「私にできる限りの代価を用意する心づもりです。あなたの作る食事には、それだけの価値があります。私は昨晩、アマ=ミンや父ダン=ルティムと味わった幸福な気持ちを、他の家人ともわかちあいたいのです。それにはあなたの力が必要なのです、アスタ」


 言いながら、ガズラン=ルティムはその太い首にかけていた牙と角を、じゃらりと外した。

 アイ=ファよりも遥かに大量の、ギバ10頭以上にも及ぶであろう、何重にも重なった首飾りを。


 アマ=ミンも静かに微笑んで、自分の首飾りを外す。

 親から授けられたのだろう、3本の牙と角を連ねた首飾りを。


 狩人の誇りであり。

 親からの愛の証しである首飾りが、俺の前に差しだされる。


「宴には、ルティムのみならず、親家たるルウの眷族100余名がすべて集まります。それらの食事の代価として、これでは足りますまい。しかし、宴の席ではそれらの者たちから1本ずつの祝福を賜ることができます。アマ=ミンと合わせれば、200本です。それでも足りなければ、必ずや私が足りない分のギバを狩って――」


「待ってください! このようなものは、とても受け取れません!」


 俺はほとんど恐怖に近い感情をおぼえて、そう叫んだ。


「お、俺は、半人前の未熟者です。そんな大きな仕事は不相応ですし……それにやっぱり、俺は余所者です! まだ森辺のことも理解しきれていない俺に、そんな大事な仕事を託すのは――」


「あなたはすでにその力を示しました。私たちに不安はありません」


「ち、力っていうのは、昨日のステーキのことですよね? それなら昨日も言った通り、家族の力だけで作りあげることができる料理なんです! 作り方なら、今すぐにでもお教えしますから――」


「しかし、あのような味を生むには、ギバを捕らえる段階からの作業が必要なのでしょう? あなたは昨晩そう述べていました」


「教えますよ! 血抜きも解体も教えます! まだ俺だって、昔の経験を合わせても4頭ていどのギバしかさばいたことはないんです! もともと皮剥ぎの技術を持っているあなたたちなら、すぐに習得することができます!」


「昨晩たびたび口にしていた、はんばーぐという料理は――」


「あれは、知らなくてもいい味です。取り憑かれれば、毒にもなりえます!」


「私たちは、そこまで愚かではないつもりです」


 ふっ――とガズラン=ルティムが、微笑んだ。

 それは、男らしい自信と威厳に満ちた、力強い笑みだった。


「それが即ち狩人の毒となる食事であると仰っしゃるならば、決してそのようなものは口にいたしません。しかしあなたは、1000回や2000回食べたところでどうにもならないかもしれない、と仰っしゃっていましたよね、アスタ?」


「そ、そんなことは憶測でしかないから、わかりません。でも、柔らかいものばかりを食べていたら歯や顎が弱くなるというのは、きっと間違いのないことですし――」


「その言葉を告げられながら、なおも魂を腐らせる人間がいるならば、それはその人間の弱さです。あなたが気に病むような話ではありません。だからこそ、あなたはその言葉を私たちに告げてくれたのでしょう?」


 ガズラン=ルティムは、片方の拳をそっと床につき、身を乗りだしてきた。

 その実直そうな表情には何の変化も見られなかったが。もしかしたらこの青年も、静かに高揚しているのかもしれない。


「私は、狩人です。だから、あなたのように上手くは説明できませんが――とにかく、この気持ちを皆と共有したい、と思ったのです。生きる喜びが深まれば、生きようと願う力も強まる。あなたの力は、私とアマ=ミンに力を与えてくれました。この力を、私は皆にも伝えたい。ルティムのみならず、ルウにも、ミンにも、レイにも、マアムにも、リリンにも、ムファにも――こんなときだからこそ、我々はより強い力を持ち、狩人としてのつとめを果たしていかなくてはならないのです」


 こんなとき、というのは――それは、スン家の堕落について語っているのだろうか?

 しかし、今はそこまで頭を回すことなどできそうにない。


「で、ですから……俺の技術は、すべてお伝えします。血抜きと解体、それにポイタンの焼き方や、昨日のステーキの作り方ぐらいなら、6日もあれば十分に伝えられます。あるていどの技術は、すでにルウ家の女衆にも伝わっておりますし――」


「……はんばーぐ、という食事については?」


「それは別に、無理に覚える必要はありません。あまりに手間のかかる料理は、森辺に相応しくないでしょう?」


「失礼だが、相応しいか否かを決めるのは、森辺の民だ。……いや、あなたもすでにファの家の家人だから、あなたの言葉を軽んじるわけではありません。ですが、私たちにも道を示してほしい。何を正しいと感じ、何を正しくないと感じるか、どの道を進むかは私たちに選ばせてほしいのです」


「どれだけの手間がかかろうと、それでより強い喜びが得られるなら、私たちはその道を選びます」


 ひさかたぶりに、アマ=ミンも口を開く。


「生きるために、何を為すべきか。薪を集めるのか、ピコの葉を乾かすのか、毛皮をなめすのか。より豊かに生きていくためには、何を為してどの道を進むべきか、それは80年の昔から私たちの親や、親の親が考えて、私たちに伝えてきてくれたことです。私もいずれこのガズランの子を産み――より幸福な道を示してあげたいと願っています」


「食事の手間にかまけて、他の仕事をおろそかにするような人間はおりません。それでも手間をかけたいと願うなら、それはその手間にそれだけの意味や意義を感じているからです。はんばーぐにそれだけの意味を見いだせる人間なら手間をかけて作るでしょうし、見いだせなければ作ることはない。それはそれだけのことです」


「いや、ハンバーグを食べたこともないあなたたちが、どうしてそこまで固執しているんですか……?」


「はんばーぐにのみ固執しているわけではありません。私は、あなたにすべての力を奮っていただきたいのです」


 そう言ったのは、ガズラン=ルティムだった。


「だから、あなたに頼んでいるのです。あなたに技を習った誰かにではなく、あなたに。あなたの持てるすべての力を、一晩だけ、私たちに示してほしい――そのための、代価です」


「待ってください。俺は――」


 それ以上の言葉が続かない。

 すると、それまでずっと口を閉ざしていたアイ=ファが、静かに言った。


「どうやらアスタは疲れているようだ。この男には10歳児なみの体力しかないようでな。宿場町から荷物を持ち帰るだけで全精力を使い果たしてしまったようなのだ。……申し訳ないが、この返事は明日までお待ちいただけないだろうか?」


「おお、もちろん。――それでは、アスタ、最後にひとつだけいいでしょうか」


「……はい」


「あなたは昨晩、毒ではなく薬になりたいと言っていた。私も心からそう思った。この力を毒としてはならない。この力を薬となせば、森辺の民はさらなる生きる喜びと、さらなる絆、さらなる力を得られるかもしれない。そんな風に思って、このような話を願い出てきたのです。願わくば、私とあなたの道が重なるように――それでは、失礼いたします」

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[一言] 読み返してみて、思いました。 この回が後の物語のカギなんですね。 この宴がなければ、この先はなかったかもしれない。 そう思いました。
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