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異世界料理道  作者: EDA
第三十二章 母なる森と父なる西方神
549/1675

緑の月の十八日①~会合~

2018.1/8 更新分 1/1

・今回の更新は全6話です。

 日は過ぎて、緑の月の18日。

 その日の昼下がり、俺たちは城下町に向かっていた。


 理由は、ジェノスの貴族および王都の監査官たちと会合を開くためである。

 その会合を持ちかけたのは、森辺の民だ。俺たちは、緑の月の15日と16日の二夜連続で会議を開き、今後の進むべき道を決定することがかなったのだった。


 ガズラン=ルティムの呼びかけで行われたその会議も、思うぞんぶん紛糾することになった。それでも何とか二晩で決着をつけることができたのは、森辺の民の決断力ゆえであったろう。その結論はただちにすべての氏族とジェノス侯爵マルスタインのもとに届けられることになり、そうして今日の事態に至ったのだった。


「本当に、これで何もかもが解決すんのかな。やっぱり俺には、よくわかんねーや」


 城門で乗り換えたトトス車の中でそんな風にぼやいたのは、護衛役のルド=ルウであった。本日は会合に参加しないかまど番もたくさん引き連れているので、そちらの護衛役として同行したのだ。


 かまど番を引き連れてきたのは、会合の後に晩餐会を開催しようと目論んでいるためである。

 しかし、もしも森辺の民の提案が退けられたときは、王都の監査官たちは欠席することになるだろう。そのときは、ジェノスの貴族にだけでも料理をふるまってもらいたいと、マルスタインは述べてくれていた。


「この前は、ギバ料理を食べてくれない人がいたもんね。今日の料理は喜んでもらえるかなあ」


 仏頂面をしたルド=ルウの隣で、リミ=ルウはにこにこと笑っている。族長たちが進むべき道を決したということで、リミ=ルウはもうすっかり大船に乗った心地であるようだった。


 実際のところ、森辺の民の真情が伝わるかどうかは、五分である。

 しかしまた、マルスタインからはすでにすべての提案を受け入れるという言葉をもらっている。問題は、それで監査官たちを納得させることができるかどうか、という点であった。


 だけど俺たちは、進むべき道を決めたのだ。

 現状で、できうる限りの最善の道を模索したつもりである。これよりもなお建設的な道が存在するというのなら、それは監査官たちの側から提示されるのを待つ他なかった。


「……あの、本当にわたしたちなどがかまどを預かってしまって、大丈夫なのでしょうか?」


 と、俺の横に陣取っていた2名の女衆が、心配そうに声をかけてくる。

 それは、マトゥアとラッツの女衆であった。

 本日は、彼女たちもかまど番の手伝いとして、初めて城下町に足を踏み入れることになったのだった。


「うん、お願いしたのはこちらなんだから、何も心配はいらないよ」


「だけどやっぱり、気が引けてしまいます。わたしたちなんて、トゥール=ディンやユン=スドラに比べたら、まだまだ未熟な腕前ですし……」


「大丈夫だってば。屋台の商売や下ごしらえの仕事なんかで、みんなの手際は拝見してるからね。その上でふたりを選んだんだから、胸を張って仕事をやりとげておくれよ」


 俺が言葉を重ねると、マトゥアの女衆がようやく「はい」と微笑んだ。

 その瞳には、とても誇らしげな光が浮かんでいる。


 彼女たちをかまど番に選んだのは、ミーア・レイ母さんの助言あってのことだった。こういう際にはルウの血族ばかりが同行しているので、小さき氏族の者たちにももっと機会を与えるべきではないか――と、ミーア・レイ母さんはそんな風に言ってくれたのだった。


 もちろん本日も、熟練のメンバーたちは全員が顔をそろえている。レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウ、トゥール=ディン、ユン=スドラ、といった顔ぶれで、そこに彼女たち2名が加わることになったのだ。

 本日は、城下町の料理人が招かれることもなく、森辺の民だけで料理を作ることになっている。なおかつ、会合に参席する人数はけっこうなものであったので、かまど番もそれぐらいの人数が必要であると見なされたのである。


 それを護衛する狩人は、ルド=ルウ、ダルム=ルウ、チム=スドラ、ジョウ=ランの4名だった。チム=スドラとジョウ=ランが選ばれたのも、かまど番と同じ理由だ。スドラ家の残りの狩人たちは、ジョウ=ランが抜けた穴を埋めるべく、ランの家の狩り場で仕事を果たすのだという話であった。


 俺やアイ=ファやユン=スドラとは小さからぬ因縁のあるジョウ=ランであるが、みんなを騒がせた罪はすでに許されているし、狩人としての実力は申し分ないので、このたび選出されることになったのだ。バードゥ=フォウとしても、これはルウ家からもたらされた大役であるので、小さき氏族の中で勇者の称号を勝ち取った2名に託すことにしたのだろう。俺やアイ=ファとしても、バードゥ=フォウの決断に文句をつける気持ちはさらさらなかった。


 それで、会合のほうには三族長とガズラン=ルティム、バードゥ=フォウ、ベイムの家長、それに俺とアイ=ファまで加わるので、森辺の民の総勢は19名だ。10名までがゆったりと乗れる2頭引きのトトス車に、二手に別れて乗り込んでいる。屋台の商売はたまたま休業日であったものの、狩人たちはみんなギバ狩りの仕事を血族に託して、本日の決戦に臨もうとしているのだった。


「……今日はいったい、どういう結末になるんだろうな」


 俺がこっそり呼びかけると、アイ=ファは「うむ?」といぶかしげに見返してきた。


「我々は進むべき道を定めたのだから、何も心配する必要はあるまい。あとは、王都の貴族たちがそれをどう受け止めるかであろう」


「うん。だから、それを心配しているんだよ」


「心配しても、結果は変わらん。すべては森の召すままにだ」


 そう言って、アイ=ファは目もとだけで微笑んだ。


「少なくとも、アスタやガズラン=ルティムの言葉は、私の心に強く響いた。族長たちとて、それは同じはずだ。だから、何も心配する必要はない」


 アイ=ファのやわらかい眼差しは、俺にまたとない安心感を与えてくれた。

 そうして、ついにトトスの車は、動きを止めた。


「到着いたしました。足もとに気をつけてお降りください」


 ジェノスの武官の言葉とともに降車すると、そこは元トゥラン伯爵邸である貴賓館であった。

 晩餐会まで連動させる計画であったので、本日はこの場所で会合が行われるのだ。


 7名のかまど番と4名の護衛役は、浴堂へと導かれていく。彼らはそのまま厨に向かって、調理の作業を開始するのである。俺がいつそちらと合流できるかは、会合の成り行き次第であった。


 会合に参加するメンバーは、武官の案内で階段をのぼらされる。案内されたのは、最初に監査官たちと引き合わされた大部屋の食堂であった。

 本日は、巨大な卓が部屋の中心に据えられている。入り口で狩人の刀を預けてから、俺たちは武官に指定された場所に着席した。


 今日はアイ=ファも護衛役ではなく、会合に参加する側であるのだ。

 また俺の身柄がどうこうと取り沙汰される可能性も否めなかったので、アイ=ファ自身がそれを希望したのである。

 なおかつ、族長たちは扉の外に護衛役を立たそうとしなかった。

 もともと普段の会合でも、族長たちは自分たちのための護衛役を準備することはないらしい。たとえ刀は預けるとしても、これだけの狩人がそろっていれば護衛役など必要ない、という考えであるのだろう。


(今日の会合でも、荒事に発展する危険はないはずだからな。俺たちは、刀を使わずに解決できる道を選び抜いたつもりなんだし)


 俺がそんな風に考えていると、遠くのほうから鐘の鳴る音色が聞こえてきた。

 約束の刻限、下りの三の刻に達したのだ。

 すると、それを待ちかまえていたかのように、部屋の奥の帳が引き開けられた。


 以前と同じく、まずは20名の兵士たちが入室してきて、左右の壁際に立ち並ぶ。

 それから、ジェノスの貴族たちが姿を現した。

 人数は、7名。ジェノス侯爵マルスタイン、調停役のメルフリード、調停役の補佐官ポルアース、ダレイム伯爵パウド、サトゥラス伯爵ルイドロス――さらに、トゥラン伯爵リフレイアに、その後見人たるトルストである。


 リフレイアと顔をあわせるのは、実にひさびさのことであった。

 相変わらず、フランス人形のように秀麗な容姿をしている。ただ、つんと取りすましたその白い面は、見るたびに大人びていくようだった。


 そうしてその後から、王都の監査官たちも入室してくる。

 ドレッグとタルオン、そして千獅子長のルイドだ。

 本日のルイドは甲冑姿ではなく、以前の食事会のときと同じ装束で、きちんと席についていた。


「全員、そろったようだな。まずは、このように急な集まりに応じていただき、感謝の言葉を述べさせていただきたい」


 ゆったりと微笑んだマルスタインが、そのように述べたてた。

 会合を開くように頼んだのは森辺の民であるが、それを承諾して、これだけのメンバーを一堂に集めたのは、すべてマルスタインであるのだ。


「本日は、森辺の民からの申し入れを受けて、こうした会合を開くことになった。これは、ここ数日で生じたおたがいの誤解やわだかまりを解いて、正しき道を探すための集まりである――そうであったね、森辺の族長がた」


「ああ」と応じたのは、ダリ=サウティであった。


「緑の月の13日と14日に生じた騒乱によって、ジェノスの平穏が脅かされることになった。この騒ぎを収束するために、我々は力を尽くしたいと考えている」


 ドレッグはふてくされたような顔つきで、タルオンは内心の読めない微笑を浮かべつつ、その言葉を聞いていた。

 現在のジェノスにはびこっている不穏な空気は、すべて彼らの下した命令が引き金となっているのだ。そういった負い目があるために、この会合への参席を断ることもできなかったのだろう。


「確かに、ジェノスの宿場町においては、住民たちと王都の兵士たちの間に、大きな確執が生まれてしまったようだ。3軒の宿屋が兵士たちの宿泊を拒絶し、4軒の宿屋もその役目を降りたいと嘆願してきたそうだね」


 マルスタインの視線を受けて、ルイドロスが「ええ」とうなずいた。

 マルスタインとどこか似た雰囲気のある、瀟洒で優雅な壮年の貴族である。


「宿屋を追い出されてしまった兵士たちには新たな宿屋を準備しましたし、4軒の宿屋には今少しだけ辛抱してほしいと説得をしましたが……何らかの道を示さない限り、またどこかで騒ぎが起きてしまう危険は否めないでしょうな」


 相変わらず俺には実感が持てずにいたが、宿場町というのはサトゥラス伯爵家の管理下にある領土なのである。宿屋の斡旋に関しては、ルイドロスと商会長タパスの間でやりとりが為されているはずであった。


「そして、住民たちの不安は、宿場町のみならずダレイムの領地にも蔓延している、と――そういう話であったね、ダレイム伯?」


「はい。ダレイム領は、古くからこの地に住まう人間がもっとも多いとされておりますからな。モルガの禁忌が破られそうになったとあっては、それも当然の話でありましょう」


 息子のポルアースとはまったく似ていないダレイム伯爵パウドが、むっつりとした顔でそう応じる。立派な髭ともみあげが特徴的な、小柄でずんぐりとした壮年の貴族だ。


「宿場町がここまで大きくなったのは、ダレイム領とトゥラン領の収穫でジェノスがまたとない豊かさを得たのちのことであるのだから、それも道理だね。……では、トゥラン領のほうは、どうであったのかな?」


「はい。目に見えて大きな騒ぎなどは起きておりませんが……それは、住民の数が少なく、また、年老いた人間が多いためでしょう。しかし、年老いた人間ほど、モルガの禁忌に対しては大きな恐れを抱いているはずでありますから……誰もが内心で怯えきっているのではないかと、わたしは考えております」


 くたびれたパグ犬のような風貌をしたトルストが、ぺこぺこと頭を下げながら、そのように答えていた。

 この中ではもっとも弱々しげな風貌をしているが、トゥラン伯爵家の再興に関してはなかなかの手腕を見せているという噂の、トルストだ。とても善良そうな気性をしているので、俺もこの人物には小さからぬ好感を抱いている。


「聞いての通り、現在のジェノスにはきわめて不穏な空気が蔓延してしまっている。この状況を打破するために、我々は力を尽くさなければならないだろう。……それは、監査官の方々にもご理解できているはずだ」


「ふん。俺たちに嫌味や皮肉を叩きつけるだけで何か事態が好転するというのなら、好きなだけ試してみるがいい」


 ようやくドレッグが、憎まれ口を叩いた。

 しかし、その声に以前ほどの元気は感じられなかった。本日は果実酒も口にしていないようで、ずいぶんとさえない顔色をしている。


「むろん、そのような真似をしてもこの状況を打破することはできないだろう。そこで我々は、森辺の民の提案を受け入れて、この会合を開くことにしたのだ」


 そう言って、マルスタインが俺たちのほうに視線を戻してきた。

 森辺の民の提案を耳にしているのは、マルスタインとメルフリードとポルアースの3名だけだ。ルイドロスやパウドやトルストは、ほのかな緊張感を漂わせながら、俺たちのほうを見やっていた。


「俺たちも、現在の状況には憂慮している。その根底には、俺たち森辺の民の存在があるのだろうから、なおさらにな。だから、森辺の民の進むべき道を探し、それを皆に聞いてもらうべきだと考えたのだ」


 そのように述べてから、ダリ=サウティはガズラン=ルティムのほうを振り返った。


「ここから先はガズラン=ルティムに取り仕切ってもらいたく思うのだが、どうだろうか? 俺たちの中で、もっとも弁舌に長けているのは、ガズラン=ルティムだろうからな」


「……族長たちがそれを望むのでしたら、私は従います」


 ドンダ=ルウとグラフ=ザザは、無言のままうなずいた。

 それを確認してから、ガズラン=ルティムは貴族たちに向きなおる。


「最初に申し述べておきますと、今からお話しするのは、森辺の民の総意となります。よって、誰の口から語られても、その内容に違いはありませんので、私が説明役を担わせていただこうと思います」


「ふむ。其方たちは、2日前に会議を終えたという話であったが、すでにすべての氏族から賛同を取りつけているということかな?」


「はい。もともと森辺の民の進むべき道を決するのは族長でありますから、こういった火急の際には必ずしもすべての氏族に賛同を得る必要はないのですが……このたびは、賛同し難く思う人間があらば申し出るようにという言葉を、すべての氏族に伝えました。それで今日まで族長たちに言葉を返す人間はありませんでしたので、すべての氏族の人間が賛同したとお考えください」


「500名から600名も存在するという民のすべてから賛同されるというのは、得難い話だな。我々も、そうありたいものだ」


 相変わらず、マルスタインはゆったりと微笑んでいる。

 ガズラン=ルティムはひとつうなずいてから、まずはジェノスの貴族たちを見回した。


「我々は今日、三つの話を携えてきました。それらのすべてが正しいと認められるかどうか、ご意見をいただきたく思います」


「現在の騒動を収めるのに有益な話ならば、大歓迎だ。それはいったい、どのような話であるのかな?」


 それなりの社交術を備えているルイドロスが、笑顔でガズラン=ルティムをうながす。

 ガズラン=ルティムは、その視界の中に監査官たちの姿をも捕らえたようだった。


「大前提として、このたびの騒乱は監査官の方々が森辺の民に大きな不信感を抱いているゆえの結果であろうと思われます。我々は、その不信感を解くための道を探しました」


「ほう。それはますます興味深いね」


「……まず第一に、我々はトゥラン伯爵家と和解したいと願っています」


 ぎくりと身体を震わせたのは、気の毒なトルストであった。


「わ、和解とはいったい何の話でありましょう? 森辺の民とトゥラン伯爵家の確執は、すでに取り除かれたと思うのですが……」


「はい。しかし、我々は一部の人間に対して、ぬぐい難い不信感を抱いたままでした。ただ、ジェノスの貴族と正しい縁を紡ぐために、その思いをねじふせていたのです。それを、解消したいと願っています」


 トルストは、ますます青い顔になってしまっていた。

 いっぽうで、監査官のタルオンは目尻の皺を深くして微笑んでいる。


「それは興味深い話ですな。あなたがたは、いったいトゥラン伯爵家の誰に不信感を抱いていたのでしょう?」


「それは、トゥラン伯爵家の当主リフレイアと、その従者であるサンジュラです」


 穏やかな笑顔のまま、タルオンは動きを停止させた。

 それよりも素直なドレッグは、ぎょっとしたように身を引いている。


「サ、サンジュラだと? それはどういう――」


「サンジュラはかつて、アスタの信頼を裏切り、その身をかどわかすという罪に手を染めました。その罪は鞭叩きという罰によって贖われたと聞きましたが、我々は彼を心から許すことができなかったのです」


 リフレイアは、とても静かな面持ちでガズラン=ルティムの言葉を聞いていた。

 だけどきっと、内心ではトルスト以上に動揺していることだろう。俺は彼女のためにも、ガズラン=ルティムの言葉がさらなる核心に進むことを願った。


「森辺にも、さまざまな罰が存在します。しかし、どのような罰を与えようとも、罪人が心を入れ替えなければ意味はないのです。よって、罰を罰とも思わない人間では、決して周囲の信頼を得ることはかないません。……我々は、サンジュラが改心したと信じることができませんでした」


「し、しかし、あの者は単なる従者であり……」


 と、トルストが弱々しく反論しかけたので、ガズラン=ルティムは優しげな微笑をそちらに差し向けた。


「しかし彼にはサイクレウスの子であるという疑いがかけられており、なおかつ、目を離すのは危険であるという意味合いもあって、リフレイアの従者となることが許されたのだと聞いています。それゆえに、我々も警戒を解くことができなかったのです」


「で、ですが、あの者が今さら何か害を為すなどとは思えませぬし……」


「それは、主人たるリフレイア次第ではないでしょうか? そもそも彼がアスタをかどわかしたのも、リフレイアの命令あってのことです。リフレイアに悪心あらば、彼もまた罪人になりかねない――つまりはそういうことなのではないでしょうか?」


 トルストは、憔悴しきった面持ちで口をつぐんでしまった。

 リフレイアは、変わらぬ表情でガズラン=ルティムを見据えている。

 ガズラン=ルティムはそちらにも微笑みを投げかけてから、今度はマルスタインのほうに視線を向けた。


「リフレイアは、いまだに過去の罪を許されず、他の貴族との交流を禁じられている。そういうお話でしたね、マルスタイン?」


「ああ。しかしそれは、罪が許されていないというよりは、悪心を持つ者をリフレイア姫に近づけないため、という意味合いのほうが強いだろうな。サイクレウスに連なる罪人たちはすべて処断されたはずであるが、リフレイア姫を陰謀の道具にしようなどと考える人間がいないとも限らないためだ」


「……それともうひとつ、彼女自身が悪心を抱く危険性も考慮していたのではないですか?」


 ガズラン=ルティムの言葉に、マルスタインは「うむ」とうなずいた。


「父親たるサイクレウスを処断されたリフレイア姫が、報復のためにジェノス侯爵家や森辺の民に悪心を抱くかもしれない――そのような考えも、確かに私の中にはあった」


「森辺の民に根ざしていた不信感の根は、それです。ジェノスの領主たるあなたが信頼することのできないリフレイアを、我々も信頼することはできなかったのです」


 ガズラン=ルティムは、とても静かな声音でそう述べたてた。


「我々は、リフレイアという人間のことをよく知りません。ただ知っているのは、サンジュラを使ってアスタをかどわかしたことだけです。それでも、リフレイアをよく知るあなたがたが、彼女を信頼してほしいと述べていたならば、そのように努力することもできましたが……あなたがたもまた、リフレイアを罪人のように扱っている。それでは私たちも、リフレイアとサンジュラを心から信頼することができないのです」


「ふむ。しかし、森辺の民もリフレイア姫の行動を制限することに賛同していたのではなかったのかな? わたしは、そのように聞いていたのだが」


 いぶかしげに口をはさんだのは、ルイドロスである。

 そちらに向かって、ガズラン=ルティムは「はい」と応じる。


「リフレイアが悪人であるならば、それに自由を与えることは危険です。だから我々も、マルスタインの行いを是としていました。……しかし、リフレイアは悪人なのでしょうか?」


「さて、それは何とも答え難い問いかけであるが――」


「我々もこの1年近くで、多少はリフレイアと触れ合う機会がありました。それは本当に、ごく限られた機会ではありましたが……その中で、リフレイアを悪人と見なす人間はひとりもいなかったのです」


 俺たちは、リフレイアのことをあまり知らない。

 俺などはまだしも、森辺の民の中でリフレイアと言葉を交わした人間は、本当にごくわずかしか存在しないのだ。


 ただ俺たちは、リフレイアが北の民たちにもっと人間らしい生活を与えたいと願っている、という話を聞いていた。

 王都の監査官たちがいる以上、その話題に触れるわけにはいかなかったが――森辺の族長たちがリフレイアという人間の功罪をはかるのに、それは大きな判断材料であるはずだった。特にダリ=サウティなどは、同じ心情から北の民に美味なる食事を与えたいと願っていた立場なのである。


「リフレイアが悪人でないならば、我々は絆を結びなおしたいと考えています。しかし、そうするためには、リフレイア自身の心情もうかがわなくてはなりません。父親であるサイクレウスを大罪人として告発した森辺の民とジェノス侯爵マルスタインを、あなたは恨んでいるのでしょうか、リフレイア?」


 リフレイアは、ガズラン=ルティムの顔を真っ直ぐ見返しながら、言った。


「父様はまぎれもなく大罪人であったのだから、それを処断することを恨んだりするのは逆恨みだわ。むしろ、わたしを恨んでいるのは、あなたがたのほうでしょう?」


「だから、絆を結びなおしたいと願い出ているのです。おたがいを許す気持ちがなければ、絆を結ぶことはかないません」


「……森辺の民と絆を結びなおせるのなら、わたしだってそうしたいわ。あなたたちは、わたしの無茶な願いを聞き入れて、大罪人である父様にギバの料理をふるまってくれたのだから……その行いには、心から感謝しているの」


 そう言って、リフレイアは遠くを見るように目を細めた。


「でも、そうね……思えばわたしは、その件に関して、アスタにしかきちんと御礼を言っていなかった気がするわ。アスタも森辺の民なのだから、族長という立場の者たちから許しを得ない限り、そのような真似はできなかったのよね」


「ええ、その通りです。あなたがアスタのもとを訪れたのちに、族長たちは会議を開いて、その申し出を受け入れることに決定したのです」


「それなら、この場であらためて御礼の言葉を述べさせていただくわ。一年近くも前の話で、何を今さらと言われるだけでしょうけれど……あなたたちのおかげで、わたしは父様とようやく心を通い合わせることができた気がしているの。だから、あなたたちの温情に、わたしは心から感謝しています」


 そう言って、リフレイアは音もなく席を立つと、俺たちに向かって深く頭を垂れてきた。


「本当に、どうもありがとう。そして、あなたたちの同胞であるアスタにひどい真似をしてしまって、本当にごめんなさい。二度とあのような真似はしないと、わたしはあらためて西方神に誓います」


 ダリ=サウティが、左右のドンダ=ルウとグラフ=ザザに、それぞれ耳打ちした。

 ドンダ=ルウとグラフ=ザザは無言でうなずき、ダリ=サウティは穏やかな目でリフレイアを見る。


「我々は、トゥラン伯爵リフレイアの謝罪を受け入れよう。今後は正しい絆を結べるように努力していきたいと願っている」


「ありがとう」と小さな声で答えてから、リフレイアは着席した。

 その姿を見やりながら、マルスタインは「うむ」とうなずく。


「私も今では、リフレイア姫の心情を疑ったりはしていない。ただやはり、このように幼き身で爵位を継承することになったリフレイア姫に、悪心を持つ者が近づくことを警戒しないわけにはいかなかったのだ」


「それならば、リフレイアは罪もないままに自由を奪われていることになります。それはあまりに、無体な話ではないでしょうか」


 ガズラン=ルティムが言いたてると、マルスタインは「そうだな」と微笑んだ。


「森辺の族長たちは、リフレイア姫が信頼に足る人間であるならば、罪人扱いするべきではないと申し立ててきたのだ。私は、その言葉を受け入れようと考えている」


 驚きの表情を浮かべたのは、ルイドロスとパウドとトルストであった。


「ジェノス侯、それはつまり――リフレイア姫の社交をお許しになる、という意味なのでしょうかな?」


「その通りだよ、サトゥラス伯。本来、リフレイア姫は、半年間の禁固の刑を言い渡されていた。トゥラン伯爵家の爵位を継承させるために、それは大幅に減じられることになったわけだが……あれから半年以上の月日を、リフレイア姫は籠の中の鳥のように過ごしてきた。その行いをもって、姫の罪は贖われたのだと見なそうと思う」


 そう言って、マルスタインはトルストのほうを見た。


「しかしまた、幼き姫の身では伯爵家の公務をこなすことはできないし、こういう際には後見人が取り仕切るのが通例だ。其方にはこれまで通り、トゥラン伯爵家の立て直しをお願いするよ、トルスト」


「は……も、もちろんでございます」


 トルストは、恐縮しきった様子で頭を下げていた。

 それを横目に、ドレッグは「はん」と鼻を鳴らす。


「茶番だな。どうして俺たちが、このような茶番を見せつけられなくてはならないのだ?」


「貴方がたは、ジェノス侯爵家と森辺の民が共謀してトゥラン伯爵家を失脚させたと疑っておられたのだろう? ならば、すべてを見届ける義務が生じるのではないのかな」


 そう言って、マルスタインはにこやかに目を細めた。


「また、どれほどダバッグを嗅ぎ回ったところで、サンジュラなる者がサイクレウスの子であるという証を見つけることはかなうまい。我々とて、当時はかなりの人手を使ってその一件を調べていたのだからな。そうだろう、メルフリードよ?」


「はい。サイクレウスは、よほど入念にその証を消し去ったのでしょう。素性が知れれば、シルエルにサンジュラを害されると懸念していたのではないでしょうか」


「うむ。ということは、どうあってもトゥラン伯爵家はリフレイア姫とトルストの手に託されるということだ。監査官たちも、今後はそのつもりで自分たちの公務に励んでいただきたいところだな」


 ドレッグは、ありもしない酒杯を探すように、卓の上で指先を這わせていた。

 タルオンは、やわらかい微笑の裏に内心を隠しつつ、不動である。

 そしてルイドは、やはりメルフリードに負けないぐらいの無表情であった。


「それでは、次の話に取りかかりたいと思います。次は――監査官についての話といたしましょうか」


 ガズラン=ルティムは、静かに微笑みながら、そのように言葉を連ねていった。

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