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異世界料理道  作者: EDA
第三十二章 母なる森と父なる西方神
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幕間①~ルウの家の晩餐~

2017.12/31 更新分 1/1

・皆さま、よいお年をお迎えくださいませ。

 ガズラン=ルティムの呼びかけで族長たちの会議が開かれることになった、緑の月の15日。

 宿場町での商売と、ルウ家における勉強会を終えた俺は、そのままかまど小屋に居残って、晩餐作りの手伝いをさせてもらっていた。


 同じく勉強会に参加していたトゥール=ディンとユン=スドラは、チム=スドラとともにギルルの荷車で帰還してもらい、アイ=ファへの伝言役をお願いしている。今日の会議は突然のものであったので、アイ=ファにはまだ事情が伝わっていないのである。


 しかし、本日はもともと《キミュスの尻尾亭》に下りる予定であったので、アイ=ファも早めに戻ってきてくれるだろう。その後は、チム=スドラと別々の荷車でルウの家まで来てもらい、チム=スドラはライエルファム=スドラらと合流して自分の家に帰るという、そんな具合に段取りはまとまっていた。


「バードゥ=フォウとベイムの家長も日が暮れる前に戻ってくればいいのだが、さてどうであろうな」


 かまど小屋の入り口にたたずんだライエルファム=スドラが、そんな風につぶやいている。もうひとりの居残り組である狩人は、道のほうを見張ってくれていた。


「そうすれば、みんな荷車で一緒に来られますもんね。徒歩だと、それなりの距離になってしまいますし」


「うむ。しかしまあ、トトスを扱うようになるまでは、それが当たり前の話であったのだ。……もっとも、以前は血族でもない氏族の家を訪れる機会など、ほとんどなかったのだがな」


「ええ。それはきっと、時間が惜しくて遠出をする気持ちになれなかった、という面もあるのでしょうね。そう考えたら、トトスこそが森辺の民の絆を深めた一番の功労者なのかもしれません」


 もしもトトスがいなかったら、グラフ=ザザやダリ=サウティをルウの集落まで呼び出すことも、かなり難しくなってしまうことだろう。特に北の集落などは、徒歩だとルウの集落まで4時間はかかろうかという距離にあるのだ。


「しかし、トトスを使っても北の集落が遠いということに変わりはない。グラフ=ザザたちの帰りが遅ければ、ルウの集落に辿り着くのもずいぶん遅くになってしまうのだろうな」


「そうですね。トトスに荷車を引かせなければ、一刻ぐらいで辿り着けるかもしれませんけど……それでもやっぱり、かなり遅めの到着になってしまうでしょうね」


 俺がそんな風に言ったとき、ライエルファム=スドラが外のほうにうろんげな目を向けた。


「……どうやら、そうでもなかったようだ」


「え?」と俺が振り返ると、ライエルファム=スドラが場所を空けるように身を引いた。

 その空間に、巨大な人影がぬうっと出現する。


「至急の会議を開きたいとの伝言を受けて、参上した。族長ドンダ=ルウの伴侶は、ここか?」


「ああ、おひさしぶりだね。ルウの家にようこそ、族長グラフ=ザザ」


 一緒にかまど番の仕事を果たしていたミーア・レイ母さんが、にこやかな笑顔を差し向ける。

 グラフ=ザザは「うむ」とうなずきながら、燃えるような目でかまど小屋の内部を見回してきた。


 頭からギバの毛皮をかぶった、魁夷なる姿である。その面はギバの上顎の陰になってほとんどうかがえないのであるが、それでも恐るべき迫力だ。こうしてみると、息子のゲオル=ザザなどはまだまだずいぶん親しみやすい風貌であったのだな、という思いを新たにさせられることになった。


「……ひさしいな、ファの家のアスタ。お前もずいぶんな騒動に見舞われたようだが、息災そうで何よりだ」


「あ、はい。おかげさまで……えーと、今日はお早いおつきでしたね」


「……日没はもう間近だ。さして早いとも思わんが」


 何やら普通に言葉を交わしているだけで、気圧されてしまいそうになる。すると、ミーア・レイ母さんが横からフォローをしてくれた。


「でも、いきなりの話だった割には、やっぱり早かったんじゃないかね。こっちから会議の話を伝えに行ったとき、グラフ=ザザたちはもう森の中だったんだろう?」


「ああ。しかし、今日はなかなかの収穫だったので、日が高い内に一度集落まで戻ることになったのだ。そのときに会議の話を女衆から伝え聞いたので、俺と供の人間だけが早めに仕事を切り上げてきた」


「ああ、なるほどね。何にせよ、一緒に晩餐を取れるのは何よりだよ。立派な晩餐を準備してみせるから、楽しみにしていておくれ」


「うむ」とうなずいてから、グラフ=ザザは再び俺のほうに眼光を差し向けてきた。


「今日は、ファの家の人間も会議に加わるのだという話だったな」


「はい。おそらくカミュア=ヨシュも来てくれるのではないかと思います」


「うむ。ガズラン=ルティムがそのように願い出たというのなら、俺にも異存はない」


 そのように述べてから、グラフ=ザザはわずかに目を細めたようだった。


「それで……今日はお前だけなのか、ファの家のアスタよ」


「え? アイ=ファでしたら、ギバ狩りの仕事を終えた後に来てくれるはずですが」


「そうではない。お前はルウの家で修練を積む際も、ディンとスドラの女衆を引き連れているという話であったはずだ」


 ユン=スドラはともかく、トゥール=ディンはグラフ=ザザの許しなくして勝手な真似はできないので、もちろんその話もずいぶんな昔に通達済みである。


「はい。さきほどまでは、ふたりも一緒でした。勉強会を終えた後、自分たちの家に戻ったのです」


「……そうか。まあ、他の家のかまどを預かるというのは、あまり普通の話ではないからな」


 そのように述べるなり、グラフ=ザザは肉厚の肩をそびやかして身をひるがえした。


「では、ルウの家で他の族長たちを待たせてもらう。刀は、そちらに預ければいいのだったな?」


「ああ。うちの家長もすぐ戻るはずなんで、くつろいでいておくれよ」


 グラフ=ザザが姿を消すと、かまど小屋の空気がわずかにゆるんだ気がした。今では北の一族とも同胞としての絆を結びなおしたルウ家であるが、やはりグラフ=ザザのもたらす気迫がいくばくかの緊張感を生み出してしまうものらしい。


「グラフ=ザザは、あまり機嫌がよくなさそうな気配であったな。やはり王都の貴族どものせいで、苛立ちをつのらせているのだろうか」


 横に引っ込んでいたライエルファム=スドラが、けげんそうに首を傾げている。

 その声に答えたのは、鉄鍋の中身を攪拌していたリミ=ルウであった。


「でも、最初は機嫌よさそうだったよね! トゥール=ディンがいないから、残念だったんじゃないかなあ?」


「ふむ? トゥール=ディンがいないと、どうしてグラフ=ザザが不機嫌になってしまうのだ?」


「それはリミにもわかんないけどさ。でも、みんなのことをぐるーって見回して、アスタとトゥール=ディンの話を始めたら、急にむすーっとしちゃったから。トゥール=ディンがいると思ってうきうきしてたのに、いないからガッカリしちゃったのかなーって思ったの」


 リミ=ルウは、俺などよりもよほど心情の機微を読むのに長けているのである。そうしてリミ=ルウの話を聞いていると、ライエルファム=スドラも「なるほど」とうなずくことになった。


「確かに、時間が経つにつれてグラフ=ザザは穏やかならぬ気配を増していったように思う。案外、お前の言った通りなのかもしれんな」


「うん! トゥール=ディンはザザの血族だから、きっとグラフ=ザザはトゥール=ディンのお料理が食べたかったんじゃないかな!」


 リミ=ルウは、屈託のない顔で笑っている。

 その笑顔を眺めながら、俺も内心で「なるほど」とつぶやくことになった。


                     ◇


「とまあ、昨日、そんな話があったんだよ」


 翌日の昼下がりである。

 宿場町での商売を終えて、本日はファの家で勉強会だ。いよいよレシピの完成に近づいてきたガトーショコラの作製に励みながら、トゥール=ディンは「ええ?」と目を丸くしていた。


「い、いくら何でも、グラフ=ザザがそのようなことで一喜一憂したりはしないと思います。ルウ家には、とても立派なかまど番が何人もそろっているのですから……」


「そんなことないよ。というか、かまど番の腕前どうこうじゃなく、トゥール=ディンの料理を食べたかったっていうだけの話なんじゃないのかな?」


「い、いえ、そんなことは……わたしはつい先日、ザザの集落で婚儀の祝宴をまかされたばかりですし……」


「それだって、もう半月以上も前の話じゃないか。トゥール=ディンの料理が恋しくなったって不思議はないよ」


 そんな風に話していると、すぐそばのかまどで煮物料理の修練に励んでいた女衆が「そうですよ!」と声をあげた。


「グラフ=ザザは、トゥール=ディンの料理をたいそう気に入っておられるのですから、何も不思議ではありません。会議にはアスタも加わるという話であったので、トゥール=ディンも一緒なのではないかと期待してしまったのでしょう」


 それは、トゥール=ディンにとって血族であるリッドの若い女衆であった。俺の記憶に間違いがなければ、この娘さんも先月の祝宴ではトゥール=ディンとともに宴料理の準備をまかされていたのだ。


「でも、それでトゥール=ディンがいないからといってへそを曲げてしまうというのは、まるで幼子のようですね。グラフ=ザザはあんなに立派な狩人なのに、何だか可愛らしく思えてしまいます」


「い、いえ、ですから、たぶんそれは誤解か何かで……」


「ルウ家では、今日も族長たちの会議が開かれるのでしょう? その場にトゥール=ディンを連れていくことは難しいのでしょうか?」


 リッドの女衆の言葉に、俺は「うん」とうなずいてみせる。


「さっきの帰り道、ミーア・レイ=ルウに確認してみたんだけど、そういうことならトゥール=ディンにもかまどの仕事を手伝ってほしいって言われたんだよね。トゥール=ディンがよければ、どうかな?」


「ええええ? だ、だってそれは、大事な会議なのでしょう? そんな場所に、わたしなどがお邪魔するわけには……」


「そうは言っても、晩餐の間はルウ本家の家族だって勢ぞろいしてるからさ。会議の本番は、晩餐を終えてからなんだよ。帰りは遅くなっちゃうけど、俺たちの荷車で送ることはできるから、晩餐の後はリミ=ルウやララ=ルウなんかとおしゃべりしてればいいんじゃないかな?」


 トゥール=ディンは、目を白黒させてしまっていた。


「だ、だけど……他の家のかまどを預かることは、あまり普通の話ではない、とグラフ=ザザも言っていたのでしょう? 深い理由もなく、わたしがルウ家のかまどを預かってしまうというのは……」


「でも、こういう機会でもないと、なかなかトゥール=ディンの料理を食べてもらえる機会はないだろう? 特にその場には、ドンダ=ルウやダリ=サウティもいるわけだし。ファの近在の氏族がどれほどかまど番としての腕をあげたか、それを知ってもらういい機会なんじゃないかな」


 そう言って、俺はトゥール=ディンに笑いかけてみせた。


「まあ俺としては、グラフ=ザザを喜ばせてあげたいっていうのが一番の理由なんだけどね。最近は色々と厄介な問題が起きて、みんな鬱憤がたまっているから、美味しい料理で少しでも安らいでほしいんだ」


 トゥール=ディンは、全身でもじもじしながら、俺の顔を上目づかいで見上げてきた。


「……グラフ=ザザは、わたしなどの料理で心が安らぐのでしょうか……?」


「そりゃそうさ。血族の作る美味しい料理なら、格別なんじゃないかな。血の縁を重んじる森辺の民にとって、それは当然の話だろう?」


「…………」


「もしもこれが俺たちの勘違いで、グラフ=ザザに余計な真似をするなって叱られちゃったら、俺がきちんと事情を説明してみせるよ」


 俺がそう言うと、トゥール=ディンは「いえ」とぷるぷる頭を振った。


「そのときは、わたしが責任をもって叱責を受けます。……だから、わたしもルウの家に連れていっていただけますか……?」


「うん、もちろん」


 トゥール=ディンは、弱々しいながらも、にこりと微笑んだ。

 きっとトゥール=ディンの内にも、グラフ=ザザの力になりたいという気持ちが芽生えたのだろう。グラフ=ザザとて、こんなに健気なトゥール=ディンを叱責したりは決してしないはずだと信じたいところであった。


(何せ、二夜連続の族長会議だもんな。深刻さの度合いも、かなりのものだし……誰だって鬱憤を溜め込んでいるはずだ)


 昨晩も遅くまで会議を続けることになったのだが、それで話は終わらなかったのだ。王都の監査官たちからもたらされた騒動に、森辺の民はどのような行動でもって対処するべきか――それはやっぱり、そんな簡単な議題ではなかったのである。


 しかし、確かに光明は見えている。聡明なるガズラン=ルティムの見ている光景が、ようやく俺たちにも見えてきたのだ。もう一晩、みんなで忌憚のない意見を交わし合えば、きっと進むべき道は開けるはずであった。


 森辺の族長たちがこれほどまでに頭を悩ませているのは、サイクレウスが健在であったとき以来のことだろう。そんな族長たちに、少しでも安らぎを与えたい。それも、俺にとってはまぎれもない本心であった。


                   ◇


 そうして俺とトゥール=ディンは、ルウの集落に向かうことになった。

 時刻は、四の刻の半。ルウ家の晩餐の準備に間に合うように、勉強会は少々早めに切り上げることになった。ライエルファム=スドラたちも、当然のように同行してくれている。


 ルウ家は、眷族を招いて独自に勉強会を行っていたらしく、ちょうど俺たちが到着する頃に、それに参加していた女衆が帰路につくところであった。荷車を使って、リリンやマァムやムファといったやや遠方の眷族たちも集まっていたようだった。


「ようこそ、ルウの家に。今日はよろしくお願いするよ、トゥール=ディン」


 かまど小屋に向かうと、ミーア・レイ母さんが笑顔で迎え入れてくれた。

 トゥール=ディンは「よろしくお願いします」と頭を垂れている。


 トゥール=ディンがルウ家のかまどを預かったのは、ただ一度。町の人々を招いた親睦の晩餐会のときのみであるはずだった。

 だけどあれは、祝宴だ。家屋の中で普通に食する晩餐に参加するのは、これが初めてのことである。森辺において、他の家の晩餐にお邪魔するというのは、それぐらい珍しい話であるのだった。


「まあ、あたしらはしょっちゅうアスタを呼びつけていたから、すっかり慣れっこになっちまったけどね。なんにも遠慮はいらないから、いつも通りに晩餐をこしらえておくれよ」


「は、はい。承知いたしました」


 ということで、さっそく俺たちは晩餐の準備に取りかかった。

 本日のかまど番は、ミーア・レイ母さん、ヴィナ=ルウ、ララ=ルウの3名である。レイナ=ルウは《キミュスの尻尾亭》に向かう関係で、ともに晩餐を取れないために、もう半月ばかりもこの仕事からは外れることになっていたのだった。


「レイナには気の毒だけど、一緒に食べることができないなら晩餐の準備をまかせることはできないからね。ま、本人は楽しそうにしているから、べつだん問題はないんだろうけどさ」


「ええ、最近のレイナ=ルウは楽しそうですね。きっと《キミュスの尻尾亭》を手伝った経験は、今後のレイナ=ルウの力になると思いますよ」


「ああ、きっとそうなんだろうね。でも、宿屋の手伝いもぼちぼちおしまいなんだろう?」


「はい。そろそろ半月ぐらいになりますから、宿屋のご主人もずいぶん元気になってきたみたいです」


 とはいえ、2日前には王都の兵士たちを追い出そうとしていたミラノ=マスである。あれからおかしな騒ぎには発展していないが、俺にとっては大きな気がかりのひとつであった。


(そのためにも、今日の会議で決着をつけないとな)


 そんな風に考えながらトゥール=ディンの様子をうかがってみると、ララ=ルウが笑顔で一緒に作業を進めていた。このふたりは、案外と仲がいいのである。


「そういえば、もうすぐあんたと出会って1年になるんだね! なーんか、10年も昔の話に感じられるけどさ!」


「あ、はい……あのときは本当に、ご迷惑ばっかりかけてしまって……」


「そんな大昔の話で謝ることないでしょ! だいたい、あんたは何も悪いことはしてないんだし!」


 ふたりが話しているのは、きっと1年前の出会いの日――スン家における家長会議の話なのだろう。鉄鍋の煮汁で火傷をしそうになったトゥール=ディンを、ララ=ルウが助けることになったのだ。


「あの頃のあんたって、病人みたいに暗い顔してたもんね。ま、スン家で暮らしてたら、それが当たり前なんだろうけどさ!」


「あ、ええ、はい……」


「でも、今は元気になったよね! 周りの人間ともうまくやってるみたいだしさ」


 ララ=ルウは、とても情感の豊かな女の子だ。やんちゃな男の子のように白い歯を見せるララ=ルウと、はにかむように微笑むトゥール=ディンの姿は、見ていてとても心のなごむものであった。


 そうして時間が過ぎるにつれて、窓の外には夕闇が垂れこめていく。

 グラフ=ザザが現れたのは、いよいよ晩餐も完成に近づいた頃合いであった。


「何やら、かまど小屋まで出向いてほしいと言われたのだが、いったい何の用――」


 と、そこで口をつぐんだグラフ=ザザが、黒い瞳をぎらりと輝かせた。


「トゥール=ディン、どうしてお前がこの場にいるのだ?」


「ルウの家にようこそ、グラフ=ザザ。せっかくだから、あんたに血族であるトゥール=ディンの料理を食べてもらおうと思って、あたしが呼びつけたんだよ」


 大らかに笑うミーア・レイ母さんに続いて、トゥール=ディンも「は、はい」と声をあげた。


「グラフ=ザザの許しを得る前に、勝手な真似をしてしまって申し訳ありません。わたしも晩餐をともにすることを許していただけるでしょうか……?」


 グラフ=ザザはしばらくトゥール=ディンの姿を凝視してから、「勝手にするがいい」と言い捨てて、さっさと立ち去ってしまった。


「ドンダ父さんに負けないぐらい無愛想だねー。ま、美味しい料理を食べさせれば、文句を言われたりもしないでしょ」


 ララ=ルウの言葉に、トゥール=ディンは「はい」とうなずいていた。

 ミーア・レイ母さんも、トゥール=ディンを力づけるように背中を叩いている。


「それじゃあ、完成したやつから広間に持っていこうか。みんな、腹を空かせて待ってるだろうからね」


 俺たちは、5人がかりで晩餐を運んでいった。

 広間には、のちから参加する予定のカミュア=ヨシュを除くすべてのメンバーがすでに勢ぞろいしている。それは、広々としたルウ本家の広間が埋めつくされるほどの人数であった。


 まずは会議に参加する三族長と、ガズラン=ルティム、バードゥ=フォウ、ベイムの家長、アイ=ファ。グラフ=ザザとダリ=サウティのお供が1名ずつ。そして本家の家人であるジバ婆さん、ティト・ミン婆さん、リミ=ルウ、サティ・レイ=ルウ、コタ=ルウ。さらにかまど番の5名もふくめて、総勢は19名である。


 しかしまあ、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、レイナ=ルウの3名が宿場町に下りているために、この人数で済んでいるのだ。そうでなければ、キャパオーバーを起こしかねない人数であった。


「お待たせしたね。今日はディンの家のトゥール=ディンもかまど番を手伝ってくれたんで、昨日よりもいっそう立派な晩餐を準備できたと思うよ」


「トゥール=ディン? ……ああ、以前にサウティの集落で力を貸してくれた女衆か。城下町での、舞踏会という祝宴以来だな」


 ダリ=サウティが笑いかけると、トゥール=ディンは恐縮した様子で頭を下げた。森の主を討伐するために選りすぐりの狩人たちがサウティの集落に滞在した際、俺やトゥール=ディンもかまど番として同行することになったのである。

 そしてその後は、それぞれ立場は違っていたものの、城下町の舞踏会でも顔をあわせている。両者が口をきいている姿はあまり記憶になかったが、それなりのご縁は生じているのだった。


「お前の噂は、あれからも色々と聞いているぞ。今ではルウ家の女衆に劣らぬほど、かまど番としての腕を上げたそうだな。これは、楽しみなことだ」


「あ、いえ……お、お口にあえば幸いです」


 ララ=ルウは家人として所定の席に座らなければならなかったので、トゥール=ディンは俺の隣で縮こまることになった。

 全員が席につくのを待ってから、ドンダ=ルウが重々しい声をあげる。


「ふた晩続けて客人を招くというのは、珍しいことだ。この後はまた納得いくまで言葉を交わさねばならんが、まずは腹を満たしてもらおう」


 食前の文言が、厳粛に詠唱される。これだけの狩人が集結すると、その重厚さもひとしおであった。

 しかしその後は、楽しい晩餐だ。いつも真っ先にはしゃいだ声をあげるルド=ルウが不在であるために、リミ=ルウがその役を担っていた。


「今日も美味しそうだねー! トゥール=ディンは、どの料理を作ったの?」


「わ、わたしはその……汁物料理をお引き受けしました」


「ああ。うちでは二番目の娘が汁物料理を得意にしてるんだけどさ。宿屋の手伝いで出払っちまってるから、今日はトゥール=ディンにお願いしたんだよ」


 ミーア・レイ母さんの言葉を受けて、ダリ=サウティが汁物料理の皿を取った。


「ふむ。なかなか強烈な香りだな。ずいぶん辛みがきいていそうだ」


「は、はい。ギバの臓物を使えたので、タラパのすーぷをこしらえてみました」


 それは、トゥール=ディンが一番最初に体得した得意料理であるはずだった。

 ギバの臓物をふんだんに使い、それらの臭みを消すためにタラパと香辛料を多用した、イタリア風のモツ鍋と呼びたくなるような汁物料理である。


「ギバの臓物か。あれは、なかなか下ごしらえに手間がかかるそうだな。サウティでは肉が余るぐらいなので、あまり口にする機会もないのだが――」


 と、穏やかに笑いながらタラパのスープをすすったダリ=サウティは、ぎょっとしたように身をのけぞらした。


「うむ。やはり、なかなかの辛さだな」


 そのように述べて、今度は具材を口にする。すると、ダリ=サウティの目ははっきりと驚きに見開かれた。


「いや、これは美味いな。驚くべき美味さだ。辛いには辛いが、それ以上に、なんというか……うむ、俺では上手い言葉を見つけられんようだ」


「ほんとだ、おいしー! ちょっと辛いけど、食べやすいね!」


 ダリ=サウティとリミ=ルウの反応に、みんなもスープの木皿に手をのばす。幼いコタ=ルウには、スープを出汁で割った薄味のものが準備されていた。


「ああ、これは本当に美味しいねえ……目の覚めるような味じゃないか……」


 ジバ婆さんも、顔をくしゃくしゃにして微笑んでいる。

 垂れさがったまぶたにほとんど隠されているその瞳が、とても優しげな光をたたえながら、グラフ=ザザのほうを見た。


「噂には聞いていたけれど、これは見事なお手並みだよ……あんたも誇らしいだろう、グラフ=ザザ……?」


「ふん。このトゥール=ディンは、ファの家の行いを見定めさせるために同行を許しているからな。ルウ家の女衆に劣らず、ファの家のアスタの手ほどきを受けているのだろうから、それだけの力をつけるのも当然だ」


 底ごもる声で言ってから、グラフ=ザザもスープをすすった。

 ギバの毛皮の下で、その目もまた驚きに見開かれる。


「トゥール=ディン、これは……これは本当に、お前が作ったものなのか?」


「え? は、はい……もちろん、ルウのみなさんの手も借りていますが……」


「でも、あたしらはトゥール=ディンの言う通りに野菜やギバの臓物を切り分けただけだよ。味付けとか火の面倒を見てたのは、みーんなトゥール=ディンだからね!」


 薄めの胸をそらしながら、ララ=ルウが誇らしげに述べている。仲のいいトゥール=ディンの腕前をほめられるのが、我がことのように嬉しいのだろう。


「しかし、タラパを使った臓物の汁物料理なら、北の集落でも何度となく出されている。しかし、このような味ではなかったはずだ」


「は、はい……ルウの集落にはさまざまな食材が準備されていますので、それらを使わせていただきました。干した海草や、レテンの油、それにイラやナフアという香草のおかげで、ずいぶん味は違っていると思います」


 北の集落ではそこまでの食材がそろっていないので、もっとシンプルな仕上がりになっていたのだろう。また、それほど料理の経験のない血族のかまど番たちにレシピを伝えるのにも、なおさらシンプルにする必要が生じたはずだ。


 もちろんそれでも、立派な仕上がりであったに違いない。遥かなる昔日、その料理を北の集落の祝宴で出そうと考えている、と述べるトゥール=ディンに試食を頼まれて、ゴーサインを出したのは、他ならぬ俺なのである。


「……それはつまり、俺たちが手を出さないような値の張る食材を使っている、という意味だな?」


 グラフ=ザザの言葉に、トゥール=ディンはとても心配げな面持ちになってしまった。


「……もしかしたら、グラフ=ザザのお気を悪くさせてしまったでしょうか……?」


「ふん。ルウ家が何に銅貨をつかおうとも、俺が口を出すような話ではない。宿場町での商売で、ありあまるほどの富を得ているのだろうからな」


 そう言って、グラフ=ザザは木皿の中身をかきこんでいった。

 トゥール=ディンは、しゅんとした様子で肩を落としてしまっている。

 すると、その姿を見たララ=ルウが、眉を吊り上げてグラフ=ザザに向きなおった。


「ねえ、せっかくトゥール=ディンが腕によりをかけて作ったのに、その態度はないんじゃない?」


「うるせえぞ、ララ。客人に偉そうな口をたたくんじゃねえ」


 すかさずドンダ=ルウがたしなめると、ララ=ルウは「だってー!」と口をとがらせる。

 すると今度は、黙然と食事を進めていたアイ=ファが、小首を傾げながらグラフ=ザザのほうを見た。


「それでけっきょく、グラフ=ザザはこのすーぷを美味いと思ったのか?」


「……俺はいちいち、そのようなことを口にしたりはしない」


「そうか。しかし、トゥール=ディンは血族たるグラフ=ザザのためにこの料理をこしらえたようなものなのだ。もしも美味いと思ったのなら、一言ぐらいねぎらいの言葉をかけてもよいのではないだろうか」


 余所の家の話にアイ=ファが口を出すのは、とても珍しいことだ。

 グラフ=ザザはうるさそうに肩をゆすってから、いっそう勢いよく木皿の中身をかきこんだ。


「トゥール=ディンが、不出来な料理など作るわけはなかろう。そのようなことはわかりきっているから、いちいち口に出すまでもないのだ」


 そう言って、グラフ=ザザは空になった木皿をトゥール=ディンのほうに示してみせた。


「おい、まさか一杯で終わりなわけではあるまいな?」


「は、はい! まだこちらの鉄鍋にいくらか残されています」


「……ならば、さっさとそいつをよこせ」


「はい」と、トゥール=ディンは笑みを広げた。

 それは、心から嬉しそうな笑顔であった。ドンダ=ルウばりに意固地なグラフ=ザザであるが、その言動から彼の内心を察することができたのだろう。


「まったく、世話の焼ける連中だな」


 誰にも聞こえないように小声でつぶやきながら、アイ=ファもトゥール=ディン特製のスープをすすっている。そのすました横顔を見つめながら、俺はついつい微笑をこぼしてしまった。


「同感だけど、アイ=ファだって人前では自分の気持ちを隠すだろう? それと同じことなんじゃないのかな」


 余計な発言をした俺は、もちろんこっそり脇腹を小突かれることになった。

 ともあれ、重要な会議を前に、族長たちの心を安らがせることには成功できたようだった。

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