緑の月の十三日③~法と掟~
2017.12/20 更新分 1/1
かまど小屋の外では、チム=スドラともう一名の若い狩人が待ち受けていた。年配の狩人は他の女衆を家まで送り届けていたので、スドラの狩人はこれが総勢だ。
ライエルファム=スドラは、厳しい眼差しでその両名の姿を見比べた。
「俺たちは、これから兵士たちと言葉を交わす。チムはこちらに近づかず、弓の準備をして、陰から見ていろ。……ただし、あちらが刀を抜くまでは、決して矢を放つなよ」
「わかりました、家長ライエルファム」
チム=スドラは厳しい表情で、肩に掛けていた弓を手に取った。
ライエルファム=スドラともうひとりの狩人にはさまれながら、俺は集落の広場へと足を向ける。
母屋の脇を抜けて、数メートルも進めば、もう広場だ。その道を辿っている間に、俺は兵士たちの姿を確認することができた。
本家の母屋の前に、10名ばかりの兵士たちが群れ集っている。
いずれも甲冑を纏って、刀を下げた、完全武装の姿だ。その眼前には、腕を組んだミーア・レイ母さんとバルシャが立ちはだかっている。
しかし問題は、その背後に見える光景であった。
さらに多くの兵士たちが、分家の家へと押し寄せているのだ。
広場の中央には、何十頭というトトスたちが立ち尽くしている。兵士たちが、ここまで乗ってきたトトスたちだ。その数は、確かに50頭ぐらいはいるようだった。
「いったいこれは、どういうことなんだい? こんなに大勢の客人がやってくるなんて、あたしは一言も聞いてなかったんだけどねえ」
ミーア・レイ母さんの毅然とした声が響き渡る。
それと相対する兵士のひとりは、その兜に立派な房飾りをなびかせていた。
「俺たちは、森辺の民の生活を調査するためにやってきた。何も危害を加えるつもりはないので、大人しく家の中をあらためさせるがいい」
「調査ってのは、何の話さ? 人の家を訪ねるには、相応の礼儀ってもんが必要なはずだろう?」
そう言って、ミーア・レイ母さんは手近な分家のほうを指で指し示した。
「ご覧よ、あいつらは家の人間が止めるのもかまわず、家の中に入っていっちまった。森辺には、家人に断りなく家に踏み込んだ人間は足の指を切り落とすっていう掟があるんだよ」
「それはお前たちの掟であって、王国の法ではない」
俺はスドラの狩人たちとともに、ミーア・レイ母さんの隣に立ち並んだ。
「ダグ! あなたは、ダグですよね? これはいったい、何の騒ぎなのですか!?」
「……ファの家のアスタか。どうしてお前が、このような場所にいるのだ?」
その人物は面頬で素顔を隠していたが、まぎれもなく百獅子長のダグであった。
どくどくと心臓が脈打つのを感じながら、俺はその姿を見返してみせる。
「俺はルウ家の人々と、料理の勉強をしていました。あなたがたは、いったい何をしにこんなところまでやってきたのですか?」
「俺たちは、森辺の民の生活というものを調べに来た。何も危害を加えるつもりはない」
「ふん。履物も脱がずに家に押し入って、何を調べようっていうんだい? 族長ドンダ=ルウから留守をまかされている身として、こんな無法な真似はとうてい許せないよ」
ミーア・レイ母さんは、決して心を乱していなかった。胸を張り、強い眼差しでダグたちを見据えている。
そのかたわらにたたずんだバルシャは、かつて見たことがないほど張り詰めた表情で、腰の刀に手を置いていた。少なくとも、このダグはバルシャ以上の手練とみなされているのだ。
そんなふたりの女丈夫のほうに、ダグが再び視線を差し向ける。
「……文句があるならば、俺たちの上官に述べたてるがいい。俺たちは、俺たちの任務を遂行させていただく」
「待ちなよ。あんたたちの上官ってのは、どこにいるのさ? そいつの名前を聞かせてもらおうか」
「……この命令を下したのは、千獅子長ルイド閣下だ。ルイド閣下は、城下町で俺たちの報告を待っている」
ダグの合図で、残りの兵士たちが母屋に近づこうとした。
「待てって言ってるんだよ!」と、ミーア・レイ母さんは張りのある声音でそれを制止させた。
「この家では、ルウ家の最長老が休んでいるんだ。あんたたちみたいに物騒な人間を、最長老に近づけるわけにはいかないね」
「……危害を加えるつもりはないと、何度言わせる気だ?」
「そんな言葉を信用してほしかったら、少しは身をつつしむべきじゃないかねえ?」
ミーア・レイ母さんはダグたちを見据えたまま、後方に引き下がっていった。
そうして、自分の背中をぴたりと戸板に張りつける。
「納得のいく言葉を聞かせてもらうまでは、ここを通すことはできないよ。あんたたちの上官とやらをこの場に連れてくるか、あるいはうちの家長が戻ってくるのを待ちな」
ダグは直立したまま、ミーア・レイ母さんの姿をねめつけていた。
俺は拳を握り込み、ライエルファム=スドラを振り返る。
「ライエルファム=スドラ、このままだと――」
「うむ、わかっている」
ライエルファム=スドラは俺の手首をつかむや、恐れげもなくミーア・レイ母さんのほうに近づいていった。もうひとりの狩人も、同じ歩調で追従してくる。
「王都の兵士よ、族長の伴侶に手をかけることは、俺が許さん。血を見たくなければ、ここから立ち去れ」
「……お前たちが邪魔立てするならば、俺たちも刀を抜く他に道はない」
「お前たちは、このような場で魂を返すつもりなのか?」
ライエルファム=スドラは、むしろいぶかしげにそう言った。
面頬の陰で、ダグはにやりと笑ったように見える。
「この場には、50名の兵士がいる。マサラのバルシャをあわせても、お前たちはたったの3名だ。たった3名で、俺たちにあらがえると思うのか?」
「しかしこの場には、お前たち10名しかいない。わずか10名で、俺たち3名にあらがえると思うのか?」
兵士たちは、無言でダグの命令を待っていた。
これが、陽気に笑いながらギバ料理を食べていた男たちなのかと、本気で疑わしくなってしまう。何か、静かな闘志とでもいうべき張り詰めた気配が、その場には満ちていた。
「貴様ら、何をやっている!」
と――そこに、怒号が響きわたった。
そちらに目をやった俺は、息を呑む。広場の中央にたたずむトトスの群れを迂回して、ギバを担いだ2名の狩人たちが近づいてくるところであった。
「貴様らは、王都の兵士どもだな? 俺たちに断りもなく、ルウの集落で何をやっている!」
彼らは明らかに、激怒していた。ふたりがかりで運んでいた巨大なギバを途中で放り捨てて、後は駆け足で近づいてくる。10名ほどの兵士たちは、ダグを守るように陣営を整えた。
「ふん、ちっと静かな日が続いたと思ったら、この騒ぎかよ。てめーら、ルウ家に喧嘩を売るつもりなのか?」
もうひとりの狩人が、腰に下げた鉈の柄をさすりながら、挑むような声をあげた。
どちらの双眸も狩人の火を燃やし、全身から裂帛の気合をみなぎらせている。
それは、ダルム=ルウとルド=ルウであった。
「……化け物が4人に増えちまったな」
と、普段の荒っぽい口調を取り戻して、ダグが言い捨てた。
ダルム=ルウは、飢えた狼のような眼光でその姿をにらみすえる。
「答えろ、兵士ども。貴様たちは、ルウ家と争う心づもりか?」
「争うつもりはない。俺たちは、森辺の集落の調査におもむいたまでだ」
「何が調査だ! あっちの兵士どもは、分家の家を勝手に踏み荒らしていたぞ!」
「ああ、ダルム兄の家まで踏み荒らしてたら、その場で血を見たかもしれねーな」
ダルム=ルウはまだしも、ルド=ルウがこれほどの怒りをあらわにする姿を見るのは、これが初めてのことかもしれなかった。
顔には、うっすらと笑みが浮かべられている。しかし、その笑みすらもが恐ろしげに見える、それもまた若き狼のごとき形相であった。
武の心得など何もない俺にでさえ、その全身からたちのぼる炎のような迫力が感じられるほどである。大事な血族の家を踏み荒らされて、彼らは烈火のごとく怒り狂っているのだった。
「ダルム、ルド、あんたたちのほうから刀を抜くんじゃないよ」
それでもまだ落ち着きを残しているミーア・レイ母さんの声が響く。
ルド=ルウたちはまだ抜刀こそしていなかったが、その指先は腰に掛けられており、そしてまた、兵士たちも彼らの殺気に呼応するかのように刀を抜く姿勢を取っていた。
「まずいな。これでは本当に、血を見る騒ぎになってしまうぞ」
ライエルファム=スドラが、低い声でつぶやいた。
ライエルファム=スドラは、最後の最後まで争いを避ける心づもりでいたのだ。もちろんそれは、俺だって同じ気持ちであった。
そして――なんとかこの騒乱を鎮めるべく、頭の中で猛烈に考えを巡らせていた俺は、ついにひとつの光明を見出すことがかなった。
「ちょっと待ってください、ダグ! 今回の調査について、ジェノス侯爵マルスタインの許可は取っているのですか?」
ダグは、うるさそうに俺のほうを振り返った。
「俺たちはジェノス侯爵の命令を受ける立場ではない。今さら何を言っているのだ、お前は?」
「それではやっぱり、あなたがたはジェノス侯爵の許可を取ってはいないのですね。そうだとしたら、これは明らかにジェノスの法に背く行いとなりますよ」
ダグはいぶかしげに肩をゆすりながら、身体ごと俺のほうに向きなおった。
「掟の次は、法を持ち出そうというのか。王都の兵士たる俺たちが、そんな迂闊な真似をすると思うか?」
「迂闊であるのは、あなたがたに命令を下した御方のほうです。ジェノスの法に照らした場合、この行いは明らかに罪となるのです」
「くどいな。お前たちとて、ジェノスの領民であるのだ。俺たちには、領民の生活を調査する権限が与えられている」
「確かに俺たちはジェノスの民ですが、同時に森辺の民であるのです。この森辺の集落には自治権が与えられていることを、あなたがたはご存じではないのではないですか?」
ようやく、ダグが押し黙った。
おそらくあの監査官たちは、王国の法すれすれのところで森辺の民に嫌がらせを仕掛けてきたのだ。しかし、ジェノスにおいてこの行いは、明らかに違法行為とみなされるはずであった。
「森辺に道が切り開かれた際に、森辺の集落については新たな法が打ち立てられたのです。それは、同胞ならぬ人間が集落に足を踏み入れたとき、森辺の民にはその理由を問い質す権利が存在する、というもので――森辺の民にその目的の正当性が認められなかった場合は、強制的に退去させられる、という内容になっています」
「…………」
「また、森辺の掟を破った人間に対しては、自分たちの裁量で罰を与える権利も与えられています。勝手に集落の家に踏み込んだ方々は、足の指を切り落とされても文句の言えない立場である、ということですよ」
「ふざけるな。そんな行いが、王国の領土で許されるはずが――」
「でも、それが真実であるのです。嘘だと思うなら、森辺に切り開かれた街道の入り口に看板があるので、それを確認してください。そこには、俺の話した内容が西と東の言葉で書き記されているはずですよ」
ダグは、再び押し黙った。
ここぞとばかりに、俺は言葉を重ねてみせる。
「今ここであなたがたと森辺の民の争いになったら、罪人となるのはあなたがたです。ジェノスの法を踏みにじっているのは、森辺の民ではなくて、あなたがたなのです。王都の精鋭部隊であるというあなたがたが、法を破って、領民を傷つけようというのですか?」
「…………」
「どうか、この場は引いてください。俺の言葉が嘘であったら、また審問でも何でもしてください。あなたがたは、知らず内にジェノスの法を破ってしまっているのですよ」
数秒間の沈黙が落ちた。
それからダグは、低い声で「おい」と隣の兵士に呼びかけた。
「退却だ。部下どもに伝令を回してこい」
兵士は敬礼を返してから、手近な分家のほうに駆け去っていった。
それを見届けてから、ダグは俺たちのほうに向きなおる。
「ルイド閣下に、真偽を確認してもらう。お前の言葉が真実であったなら、あらためて謝罪の言葉が届けられるだろう。……女、お前は族長の伴侶だという話だったな」
「ああ。あたしは族長ドンダ=ルウの伴侶で、ミーア・レイ=ルウってもんだよ」
「真偽が確認できるまで、俺もお前に詫びることはできない。しかしまあ……何があってもお前を斬るつもりなどはなかった、とだけ言っておく」
そう言って、ダグはあっさりと身をひるがえした。
その進行方向に、ルド=ルウとダルム=ルウが立ちはだかる。
「てめーら、これだけのことをやらかしておいて、頭も下げずに帰るつもりか?」
「言ったろう。王国の兵士として、真偽も知れぬ内に頭を下げることはできん」
「俺たちには、貴様らの足の指を切り落とす権利とやらが存在するそうだぞ」
ダルム=ルウが底ごもる声で言うと、ダグは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「せっかくファの家のアスタが丸く収めたというのに、荒事を望んでいるのか? 上官の命令がない限り、俺たちも指を差し出すことなどはできんぞ」
「やめておきな、ルド、ダルム。家長のいない場所で戦を起こすつもりかい?」
ふたりは炎のような殺気をめらめらとたちのぼらせたまま、身を引いた。
そのかたわらをすりぬけて、ダグはトトスたちのほうに歩を進めていく。
「くそっ! こんなの、収まりがつかねーよ! 親父だって、そう言うはずだぜ?」
「だったら、家長が帰ってくるのを待ちな。もちろん家長だって、こんな無法を許すはずがないさ」
そのように言ってから、ミーア・レイ母さんは俺のほうに笑顔を向けてきた。
「ありがとうね、アスタ。自治権がどうのって話はあたしらも聞いてたけど、こんな風に兵士たちを黙らせる力があるとは思ってもみなかったよ」
「ええ。彼らが王国の法を破るはずがない、という話を再三聞かされていたので、思いつきました。彼らは本当に、自治権のことを知らなかったのでしょうね」
しかし、それはあまりに迂闊な話である。森辺の民に正式な自治権が与えられたというのはかなり重要な案件なのであろうから、マルスタインがそれを監査官たちに伝えていないとは、とうてい思えなかった。
(ダグたちに命令を下したのはルイドなんだろうけど、そのルイドに命令を下したのは、監査官のどちらかであるはずだ。いったいどこで、伝達ミスが起きたんだ? ……というか、本当にこれは、伝達ミスから生じた騒ぎなのか?)
もやもやとした疑念が、胸の中にたちのぼってくる。
俺は、一刻も早くこの疑念をカミュア=ヨシュに伝えるべきだ、と考えた。
「……シーラは、かまど小屋か? この時間なら、本家のかまど小屋で働いているはずだな」
と、ダグたちが広場を出ていくのを見届けてから、ダルム=ルウが押し殺した声で発言した。
ミーア・レイ母さんは、「ああ」と笑顔でそちらを振り返る。
「かまど小屋には兵士どもも近づいてないから、心配しなさんな。よかったら、森に戻る前に顔を拝んでいったらどうだい?」
「馬鹿を言うな。あいつらがいつ引き返してくるかもわからないのに、森になど戻れるか」
「ああ。俺がひとっ走りして、親父にこのことを伝えてくるよ。その間、ダルム兄はこの場を頼むぜ?」
そのように言い捨てて、ルド=ルウもまた走り去っていった。
ミーア・レイ母さんは「やれやれ」と肩をすくめている。
「まったく、うちの男どもは血の気が多いねえ。それじゃああたしは、分家を回って話を聞いてくるよ。アスタたちは、菓子作りの続きを頑張っておくれ」
なかなかそこまで気持ちを切り替えるのは難しかったが、カミュア=ヨシュは日が落ちないと姿を現さない。《キミュスの尻尾亭》に向かうまでは、俺たちも自分の仕事を果たす他なかった。
「……どうにもあいつらのやり口はわからんな。こんな真似をして、あいつらに何の得があるというのだ?」
ダルム=ルウとともにかまど小屋へと向かいながら、ライエルファム=スドラがそうつぶやいた。
「ルウの集落を調べても、あいつらの得になるようなものなどは出てくるまい。これではただ、森辺の民を怒らせに来たようなものだ」
「そうですね……案外、それが目的だったのかもしれません」
「なに? 俺たちを怒らせて、どうしようというのだ? しかも、自分たちが罪人となっては、ますます得にもならんではないか」
「ええ。そこのところが、俺にもよくわからないのです」
そんな風に話していると、先頭を歩いていたダルム=ルウがものすごい勢いで振り返ってきた。
「うだうだとやかましいぞ! あいつらは、恥を知らぬ無法者というだけだ! 族長の許しが出れば、俺が叩き斬ってやる!」
「うむ。俺もスドラの集落を荒らされていれば、同じぐらい心を乱されていただろう。早く家族のもとに行ってやるといい」
ダルム=ルウは舌打ちをしてから、ずかずかと歩を速めていった。
それを追いかけながら、ライエルファム=スドラは小さく息をつく。
「とりあえず、ルウ家の人間を怒らせることには成功できたようだ。族長ドンダ=ルウが怒りに我を失わなければいいのだが」
「そうですね。ドンダ=ルウが城下町に向かう前に、俺も言葉を交わしておこうと思います」
ドンダ=ルウであれば、まず間違いなくこの罪を問うために、城下町へと向かうだろう。しかし、相手の思惑が知れない以上、怒りに身をまかせるのは危険であるはずだった。
(ドンダ=ルウだったら、どれほど怒っていても冷静に話を聞いてくれるはずだ。これが何かの謀略なんだとしたら、こちらも然るべき手段で切り返さないと)
そのように考えて、俺は拳を握り込んだ。
それから、胸の中にふつふつとわき起こってきた激情を自覚する。
大事な同胞であるルウの集落が、兵士たちによって踏み荒らされた。その非道な行ないに対する怒りが、今さらのように俺を駆り立てているようだった。
(どんな思惑があろうとも、こんな真似は絶対に許せない)
そんな思いを胸に、俺はダルム=ルウの後を追いかけた。
俺たちが《キミュスの尻尾亭》に向かうまで、まだ二刻ばかりの時間が残されていた。




