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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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代価と決意①森辺へ

2014.9/10 更新分 1/2

「ああ、水場が見えてきた――ようやく故郷にたどりつけたって感じだな」


 ぜいぜいと荒い息をつく間に俺がつぶやくと、かなりひさびさにアイ=ファの目がちらりとこちらを見てきた。


「何だその声は。お前の体力は10歳の子ども並だな、アスタ」


「おお、リミ=ルウより下じゃないんなら何よりだ。……ようやく口をきいてくれたな、アイ=ファ」


 たちまち「ふん」と前に向きなおり、足を速めてしまうアイ=ファである。


「待ってくれ! せめて水を飲ませてくれ! さっきから咽喉がカラカラだったんだ!」


 何せ16キロ強の荷物をかついで、1時間近くも山道を歩いてきたのである。紐をかけていた肩は皮膚がすりむけてしまっていたし、足も腰もガタガタだ。これは去りし日のかまど作成を超える重労働である。


 ちなみに恐怖の吊り橋においては、アイ=ファが往復して俺の分の荷物も運んでくれた。

 ほんでもって、俺の手も引いて誘導してくれた。

 できればリミ=ルウあたりには知られたくない恥多き人生である。


 そんなこんなで、とにかく今は水分補給だ。

「本当に情けないな……」というアイ=ファの言葉に心臓をグサグサ刺されながら、俺はちょろちょろと流れる岩清水をすくって飲んだ。

 甘露である。


 そして、ひさかたぶりに口をきいてくれたアイ=ファは、少し口調をあらためて、こんな風に言いついできた。


「……お前は何も尋ねないのだな、アスタ」


「ん? さっきのおっさんが言ってたことについてか? ……まあ聞きたいことは山ほどあるけど、この世界のことについては、毎晩お前が話して聞かせてくれているからなあ」


 両膝に手をついて呼吸を整えながら、アイ=ファの顔を見上げやる。


「お前はお前の判断で、聞かせる順番を選んでるんだろう。その判断にケチをつけたりはしないよ。……この世界は、俺にはまだまだわからないことだらけだ」


「…………」


「だけどまあ、お前のご機嫌が回復したんなら、世間話のひとつぐらいはしたいところだな。……あのおっさんのこと、お前はどう思う?」


 言いながら、俺は自分の足もとに目を落とした。

 ポイタンやティノの詰まったでかい袋と、果実酒の土瓶。

 アイ=ファはそれを置いて帰ろうとしたが、果実酒に罪はあるまいと俺が手にぶらさげて帰ってきたのだ。

 瓶のデザインが少し異なるので、これはどういう酒なのだろうという興味もある。


「あやしげと言えばこれ以上ないぐらいあやしげなおっさんだったけど、極悪人っていう感じでもなかったよな。お前がああいう人間にどういう感想を抱くのかは、ちょっと気になる、かも」


「……これといって語る言葉はない」


「って、もう出発するのかよ? おい、ちょっと待ってくれ!」


 しかたなしに袋を背負い、ひいこら言いながらアイ=ファに追いすがる。

 俺より1・5倍も重い荷を負いながら、アイ=ファの歩調に乱れはない。


「語りたくないなら無理には聞かないけど。お前は、ずいぶんピリピリしてたよな。ああいうおっさんは、苦手なのか?」


「……都の住人と語る口などない」


「けっこう語ってたじゃん。ていうか、俺なんてあのおっさん以上の余所者なんだぜ? 語ってみれば、案外気が合ったりするかもしれないじゃないか?」


「……私とお前は、気が合っているのか?」


「あっはっは! 気づいちゃいたけど、全然ご機嫌は回復してないのな!さっきから心臓をえぐりまくられてるぞ俺は!」


「……そのようなつもりは、ない」


 と、今度は一転して暗い眼差しになってしまう。


「私の様子は、どこかおかしいのか?」


「おかしいのかって……何か真剣に考えこんでたんじゃないのかよ? 宿場町からここまで辿りつく間、ずっと難しい顔をしてたじゃないか?」


「わからない。たぶん、都の住人とあのように言葉を交わしたのは初めてだから……頭が混乱しているのだろう」


 暗い目が、俺を見る。

 まるで、迷子の子どもみたいに。


「私は、どこかおかしいか?」


「……いや、おかしくない」と、俺は言いきってやった。


「いきなりあんな話を聞かされたら、混乱するのが当たり前だろ。俺には半分ぐらいしか意味がわからなかったけど、お前にとっては――森辺にとっては、今後の行く末を左右しかねない話だったんだろうからな」


「…………」


「ずいぶん昔にも言ったと思うけど、そんな重大事をお前みたいな立場の人間が背負う責任はないんだ。手に余るんなら、忘れちまえ」


 俺の言い分は、あまりにいい加減だっただろうか?

 だけど、半分がたは、それが本心だった。


 仮にあのカミュア=ヨシュという男の言っていたことが真実だとして――それでスン家を失墜させ、ルウ家あたりに森辺を統率させることがかなったなら、すべてが丸く収まるのかもしれない。


 しかし、丸く収まらないかもしれない。


 俺たちは、ドンダ=ルウという男がどういう人間なのか、まだそこまで知り尽くしているわけではない。もしもあの粗暴な大男がスン家に代わって森辺を支配して、スン家以上の暴虐を奮うようになってしまったら――リミ=ルウやジバ=ルウにも申し訳が立たなくなってしまうではないか。


 それにやっぱり、さっきの話はすべて出鱈目であるという可能性も捨てきれない。

 あるていど森辺の内情に通じているあの男が、ほんの気まぐれで俺たちをからかっただけなのかもしれない。


 そんな可能性も捨てきれないうちに、軽々しくあの男の話に乗ってしまうわけにはいかないだろう。


 だけど――それは俺の本心の、半分だ。


 もう半分は、あの男の言葉を信じたい、と思ってしまっている。

 スン家から、族長筋としての権力を剥ぎ取ってやりたい、と願ってしまっている。


 そうすれば、ディガ=スンという卑劣漢の動向を気にかける必要もなくなるし――それに、今日はまたスン家との間に新たな確執が生まれてしまったのだ。


 ドッド=スンと名乗っていた、あの男。

 小物感はディガ=スンといい勝負だが、あそこまで恥を知らない人間は、逆に怖い。


 昼間から酒をくらい、宿場町で騒ぎを起こす。あんな俗物が森辺に存在するなどとは、俺は想像すらしていなかった。

 都からの褒賞金で生活し、まともにギバも狩らずに生きている人間がいるなどとは――しかもそれが族長筋であるなどとは、本当に信じ難いことだ。


 清廉にして、潔白。

 あのカミュアという男はそんな気恥ずかしい言葉でアイ=ファのことを賞賛していたが、実のところ、俺もまったくの同意見なのである。


 良きにつけ悪しきにつけ、森辺の民は、純朴だ。

 純朴ゆえに融通がきかず、ほんのつい昨日までも散々な苦労をひっかぶることになってしまったが、俺の心に徒労感はない。ドンダ=ルウという厄介な存在と正面から相対し、自分の気持ちや考えとも相対し、何とかかんとか自分の道は通せた気がするし――達成感すら、得られたと思う。


 ルウ家で一番信用できないのはやっぱり次兄のダルム=ルウであろうが、それでもあの男も、狩人としての自分に、ルウ家に生まれた自分に、誇りを持っていた。それが悪い風にはたらいて、尊大な気性になってしまったのかもしれないが、個としての自分が薄くなってしまったのかもしれないが、それでも、誇りをもって生きているのだろうと思う。


 ダルム=ルウが荒くれた狼だとしたら、ドッド=スンなど、痩せこけた野犬に過ぎない。牙が折れて、みずから獲物を狩る力を失ってしまった、野犬だ。


 ……ああ駄目だ。何だか野犬に申し訳ない気持ちになってきた。

 俺は元来、犬好きなのである。

 牙が折れて獲物が狩れない痩せこけた野犬なんて、庇護欲の対象にしかなりえない。


 あの男は、そんな可愛いものじゃなかった。

 それじゃあ、やっぱり――あの男は、「人間」なのだ。


「森辺の民」ではない。「狩人」でもない。

 俺がよく知る、「人間」だ。

「文明の毒に犯されてしまった人間」だ。


「……お前こそ黙りこくっているではないか、アスタ」


 と、すねたような女の子の声が聞こえた。

 誰かと思ったら、やっぱりアイ=ファだった。


「人には忘れちまえなどと言いながら、お前こそが想念にとらわれてしまっているではないか、アスタ」


 アイ=ファはときどき、年齢以上に幼い顔を見せるときがある。

 そんなとき、俺はいつでも動揺してしまい――だから今回も、大いに動揺する羽目になった。


「いや! 別にそんな小難しいことを考えていたわけじゃない! この世界にも犬って動物はいるのかなとか考えていただけさ!」


「犬? ヴァルブの狼が人里に降りて子を為すと人間の友になる、とかいうあれか? そんなもの、嘘か本当かもわからない西の国の言い伝えに過ぎない」


 と、アイ=ファは唇をとがらせる。


「そんなにその犬とやらが食いたいのなら石の都に行け。私の知ったことではない」


 ぷいっとそっぽを向いてしまった。ぷいっと。

 もう腹が立つやら愛くるしいやら、俺の胸中はしっちゃかめっちゃかである。


「わかったよ! わかりました! もっと楽しい話題にしましょう! あのなあ、ドンダ=ルウとの決着もついたことだし、今日はちょっと新しい料理に挑戦しようと思ってるんだ。もうこの何日かはステーキの試食ばかりで、顎がくたびれ果てちまったからな」


 アイ=ファはそっぽを向いたまま、ちろりと横目でにらみつけてくる。


「……それは、はんばーぐより美味いのか?」


「それは作ってみなけりゃわからない。ていうか、ステーキだって美味かったろ?」


「それはそうだが……私はやっぱり、はんばーぐが一番好きだ」


「え!? だけど、ステーキだって同じぐらい美味いって言ってくれただろ? だから俺はステーキでドンダ=ルウと決着をつける覚悟が決まったんだぞ?」


「すてーきもはんばーぐと同じぐらい美味い。……だけど私は、はんばーぐが好きなのだ」


 俺は何か反論しかけたが、驚きのあまり何を言おうとしたのか忘れてしまった。

 アイ=ファが「好き」という言葉を使ったのは、たぶんこれが初めてであると気づかされてしまったからだ。


「食事に美味いも不味いもない」と言っていたアイ=ファが「美味い」と言い、ついには「好き」という単語まで口にした。


 それは、俺にとって驚愕に値する激烈な変化なのだった。


「……柔らかい肉ばかりを食していては歯が弱ると言っていたが、干し肉をかじっていれば、そこまでの心配はないのだろう?」


 と、そっぽを向きながら少しうつむき、唇をとがらせながら横目の上目づかいでにらみつけてくるという、すさまじく卑怯な表情を見せるアイ=ファである。


 これが計算でないのだから、本当にひどい。


「だったら私は、やっぱりはんばーぐが好きだ」


「わ……わかったよ。それじゃあ明日は、ハンバーグにしよう。今日のところは、新しい食べ方に挑戦させてくれ」


 アイ=ファはさらにうつむいて、微笑をこらえるような表情をこしらえた。


 俺の手が荷物でふさがっていて良かったな、としか言い様がない。


 まあ、ドンダ=ルウとの決着がついたばかりなのだ。新たな悩みの種は抱えてしまったものの、今日ぐらいはゆっくり過ごしてバチは当たらないだろう。しっかり英気を養って、カミュア=ヨシュの件についてはまた明日から思い悩めばいい――などということを考えながら、ようやく家の前にまで辿りつくと。


 さらなる苦悩の種が、俺とアイ=ファを待ち受けていた。


 その苦悩の種は、実にお似合いの男女ふたり連れの形状を有していた。

 6日後に婚儀を控えた、ガズラン=ルティムとアマ=ミンである。

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