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異世界料理道  作者: EDA
第三十二章 母なる森と父なる西方神
539/1677

緑の月の十三日①~思わぬ来客~

2017.12/18 更新分 1/1

・今回の更新は、全8話です。

 王都の監査官たちの審問を受けてから、3日の日が過ぎていた。

 日付としては、緑の月の13日。昨日は休業日であったので、今日からまた5日間の商売の始まりである。


 先日の審問はずいぶんと不穏な形で幕を閉ざしてしまったが、それから今日までの3日間は無事に過ごすことができていた。いや、むしろ静かすぎると言っていいぐらいかもしれない。森辺の民が城下町に呼びつけられることもなく、宿場町の兵士たちが騒ぎを起こすこともなく、まるですべての日常が戻ってきたかのような平穏っぷりであった。


 しかしもちろん、この期間も城下町においては、ジェノス侯爵マルスタインと監査官たちとの間で、毎日のように会合が行われていたのだそうだ。

 それらの様子は、カミュア=ヨシュやザッシュマを通して、俺たちも知ることができていた。監査官たちは相変わらず粘質的なやり口でマルスタインの揚げ足を取ろうと画策しているようであったが、それらは何とか撃退することができているという話であった。


「まあ正直に言って、政治的な手腕で言えば、監査官たちよりもジェノス侯のほうが大きく上回っているはずだからね。そもそもジェノス侯のほうには後ろ暗いところがないので、真っ向から斬り合っても有利に事を進められるのだろうさ」


 いつだったか、《キミュスの尻尾亭》を訪れたカミュア=ヨシュは、そのようにのたまわっていた。


「だから、用心すべきはこれからだ。正攻法で太刀打ちできないと感じた監査官たちが、どんな搦め手を準備してくるか――何か王国の法すれすれのところで嫌がらせを仕掛けてこないとも限らないから、アスタたちも十分に注意しておいてくれたまえ」


 そんな助言を噛みしめながらの、平穏な日々であった。

 ともあれ、今日のところも変事が訪れる気配は感じられない。俺たちは、宿場町の露店区域に5つの屋台を並べて、本日も粛々と商売に取り組んでいた。


「まあ、アスタがいきなり城下町に呼びつけられたときは、いったい何事かと思っちまったからなあ。何事もなかったのなら、幸いだよ」


 中天の少し後に姿を現して、そんな風に言ってくれたのは、ジャガルの建築屋の副棟梁アルダスであった。


「だいたい、アスタがこの大陸の生まれじゃないなんて、もう1年も前からわかりきってたことじゃないか? 今さらそんな話で大騒ぎするなんざ、馬鹿げてるよ」


「ええ。俺がつつましく生きていれば、べつだん騒ぎにもならなかったのでしょうけれども……俺はトゥラン伯爵家や森辺の族長筋にまつわる騒動にも色々と関わってしまっていましたからね」


「そうだとしても、アスタが悪人じゃないなんてことは、顔を見りゃあわかることだろう? こんな可愛らしい顔をしたアスタに、悪巧みなどできるもんかね」


 そう言って、アルダスは豪放に笑い声をあげた。

 そのかたわらで、建築屋の棟梁たるバランのおやっさんは、今日もむっつりと不機嫌そうなお顔をしている。


「王都の貴族どもなどというのは、自分たちが毎日陰謀に明け暮れているものだから、他の人間も何か悪巧みをしているのではないかと疑わずにはおられんのだろう。まったく、救い難い連中だ」


「ええ。なんとか信頼してもらえるように、今後も身をつつしみたいと思います」


「ふん。問題なのは、お前さんではなく貴族どもの心持ちであろうが?」


 それはまったくその通りであったので、俺も返す言葉が見つからなかった。

 アルダスは、「まあいいさ」と肩をすくめている。


「何にせよ、アスタが無事でいてくれれば、それでいいよ。今後もきちんと、宿場町で商売を続けてくれるんだろう?」


「はい。ジェノス侯にも、森辺の民はこれまで通りの生活を続けてほしいというお言葉をいただくことができましたので、心置きなく商売に励むことができます」


「ジェノスの領主ってのは、意外とできた人間なんだな。貴族としては、上出来だ!」


 そこで日替わりメニューである回鍋肉風の炒め物が完成したので、建築屋の一団はぞろぞろと青空食堂のほうに立ち去っていくことになった。

 屋台の客足に、変わりはない。むしろ、王都の兵士たちもがぞくぞくとギバ料理を求めるようになってきたので、以前よりも売れ行きがよくなったぐらいの勢いである。


 王都の監査官たちが何のためにジェノスを訪れたかについては、宿場町でもすでに公然の事実とされていた。カミュア=ヨシュやザッシュマたちが、夜な夜な宿屋を巡っては情報を散布した効果である。


 後ろ暗いところのない人間にとっては、真実こそが最大の武器である――という方針にもとづいて、マルスタインはジェノス全土に現状を正しく広めようという戦法を取っていた。監査官たちが何を疑い、何を危惧しているか、それを包み隠さず拡散することで、自分の潔白を証明しようという心づもりであるのだ。


 よって、ファの家のアスタというのは、トゥラン伯爵家を失脚させるために、マルスタインが森辺の集落に送り込んだ間諜なのではないのか――監査官たちがそういった疑いを口にしていたという話も、すでに宿場町には広まっている。


 その噂を耳にした人々の反応は、おおよそ2パターン。馬鹿な妄想だと笑い飛ばすか、怒りだすかの2種類であったと、カミュア=ヨシュやザッシュマたちは述べていた。

 で、そういう人々の反応は、宿場町に滞在する兵士たちを通して、監査官たちの耳にも届けられることになる。自分たちがどれほど的外れな疑いを抱いているか、それを思い知らせてやろうというのが、マルスタインの考えであった。


「それはつまり、アスタが宿場町の民に信頼されているという前提にもとづいた計画であるわけだね。アスタに悪い感情を抱く人間が多かったら、それこそ逆効果になってしまうわけだからさ」


 カミュア=ヨシュからそのような説明を受けたとき、俺は猛烈に心配になってしまった。俺が宿場町で縁を結んだ人々など、ごく限られた顔ぶれでしかないのだから、それ以外の場所で俺がどのように思われているかなど、まったく知るすべはなかったのだ。


 しかし、3日が過ぎた現在でも、俺の悪い噂が監査官たちを喜ばせた様子はない、という話であった。

 むしろ、酔いどれ貴族のドレッグなどは、ジェノスを訪れて10日以上が経過してもまったく思うような成果をあげることができないので、ずいぶん苛立ちをつのらせているらしかった。


(だからこそ、搦め手に用心するべき、か……でも、相手の出方がわからないんじゃあ、用心のしようもないよな)


 そんな風に考える俺のもとに変事がもたらされたのは、そろそろ屋台の商売の閉店時間が差し迫ってきた頃であった。

 最後の食材を鉄板に広げようとしたとき、ライエルファム=スドラが背後から俺に囁きかけてきたのだ。


「アスタよ、ちょっと普通ではない気配を纏った人間が近づいてきている。いつでも動けるようにしておけ」


「え? は、はい、承知しました」


 俺は食材の詰まった革袋を引っ込めて、街路の左右を見回した。

 しかし、これといって変事の予兆は感じられない。下りの二の刻を前にして、ギバ料理目当てのお客も少なくなり、街路にはちらほらと通行人の姿が見えるばかりであった。


 その内のひとり、マントのフードをすっぽりとかぶった東の民が、北の方角から屋台のほうに近づいてくる。

 ライエルファム=スドラの目は、食い入るようにその人物を見据えていた。


「止まれ。お前は、屋台の客なのか?」


 ライエルファム=スドラの呼びかけに、その人物は足を止めた。

 屋台からは、まだ2メートルほどの距離がある。


「はい。ギバ料理、売っていただくこと、できますか?」


「……お前は何なのだ? 東の民で、そのように隙のない人間は見たことがない」


「私、東の民、ありません」


 そう言って、その人物はフードを背中にはねのけた。

 そこから現れた顔を見て、俺は思わず息を呑んでしまう。


「サンジュラ! こんなところで、いったい何をしているのですか?」


「はい。ギバ料理、買いに来ました。……アスタとも、言葉、交わしたい、思いました」


 それはずいぶんひさびさの再会となる、サンジュラであった。

 栗色の髪と鳶色の瞳をしているものの、それ以外はシムの民としか思えない風貌をした、東と西の混血たるサンジュラである。その柔和な微笑をたたえた面長の顔をにらみすえながら、ライエルファム=スドラは刀の柄に手をかけていた。


「サンジュラとは、かつてアスタをさらった城下町の人間だな。そんな男が、何をしに現れたのだ?」


「さきほど、言った通りです。ギバ料理を買い、アスタと話をする、許していただけますか?」


 そう言って、サンジュラはマントの隙間から自分の刀を指し示す。


「必要であれば、刀、預けます。私、アスタ、話をしたいのです」


「……東の民が相手では、刀を預かっても安心できんな」


「私、西で生まれた、西の民なのです。毒草、扱い方、わかりません」


 ライエルファム=スドラはサンジュラの笑顔を見据えたまま、俺に問うてきた。


「アスタ、どうするのだ? アスタがこの男の願いに応じるのならば、もうひとり狩人を呼びつける必要があるだろう」


「……はい、それじゃあ、お願いします」


 これまで屋台に近づいてくることもなかったサンジュラが、突如として来訪してきたのだ。俺としても、このまま追い返す気持ちにはなれなかった。

 青空食堂のほうからチム=スドラが呼びつけられて、ライエルファム=スドラと左右から俺をはさみ込む。俺は俺でフェイ=ベイムに屋台の番をまかせて、サンジュラとの対話に臨むことにした。


「……刀、預けますか?」


「そのままでかまわん。ただし、それ以上はアスタに近づくな」


 俺たちは屋台から少し離れた場所で、サンジュラと相対した。

 サンジュラは、微笑をたたえたまま、軽く頭を下げてくる。


「商売、邪魔をして、申し訳なく思っています。また、対話、応じていただき、ありがたく思っています」


「いえ、それはかまいませんが……この時期に俺を訪れてきたということは、何か監査官がらみのお話なのでしょうか?」


「はい。私、非常に難しい立場、立たされています。このような願い、口にする、間違っているのでしょうが……森辺の民、お力、貸してほしいのです」


 それはなかなか、サンジュラらしからぬ言葉であった。

「いったいどういうことでしょう?」と、俺はサンジュラをうながしてみせる。


「はい。王都の監査官、私の素性、知ってしまったようなのです。それで、私、陰謀の道具、されてしまいそうなのです」


「陰謀の道具? サンジュラの素性というと……まさか、トゥラン伯爵家にまつわる素性のことですか?」


「はい。私、サイクレウス、息子です。証、何もない話ですが……彼ら、その証、探そうとしているのです」


 サイクレウスという言葉を聞いて、ライエルファム=スドラがまた双眸を光らせた。


「そうか。お前はサイクレウスという貴族の息子である、とも言われていたのだったな」


「はい。私、ダバッグ、生まれ育ちました。5年前、母親を失って、サイクレウス、引き取られたのです。……彼ら、ダバッグにおもむいて、私、息子の証、探そうとしています」


「で、ですが、今さらそんなことを証し立てて、どうしようというのです? まさかとは思いますが――」


「はい。私、トゥラン伯爵家、相続させようとしているのでしょう。私、リフレイアより年長であり、男児でありますので」


 俺は、心から驚くことになった。

 サンジュラは、困ったように微笑んでいる。


「そ、そんなことをして、王都の人たちに何の得があるというのです? そもそも、彼らはジェノスとシムの繋がりにも疑いをかけていたはずですよね」


「シムとの繋がり、考え、捨てたのではないでしょうか。というか、最初から、本気ではなかった、思います。シム、遠いので、ジェノス、後ろ盾になる、難しい話です」


 それは確かに、審問の場でもシュミラルが指摘していた。それにタルオンも、大して抗弁せずに自説を引っ込めていたのである。

 しかし、そうだからといって、サンジュラをトゥラン伯爵家の当主に据えようという理由はさっぱりわからなかった。


「彼ら、私、恩を与えて、服従させようとしているのです。それで、ジェノス侯爵、対抗させようと、考えているのでしょう」


「恩を与える? ……ああ、サンジュラに当主の座を与えることが、恩になるわけですか。それで、彼らがトゥラン伯爵家の後ろ盾になってやろう、というお話なのですね」


「はい。私、そのような未来、望んでいませんでした。それで、リフレイア、幸福になるならば、従っていたでしょうが……ジェノス侯爵、敵に回すこと、正しいとは思えません。リフレイア、今以上、不幸になってしまいます」


 俺の知るサンジュラであれば、確かにそう考えるはずだった。彼は、リフレイアを守るために、自分の父親であるのかもしれないサイクレウスをも捨て去った人間なのである。


「お話はわかりました。でも、俺たちで何かお力になれるのでしょうか?」


「はい。すでに、力、与えられています。私、森辺の民と懇意にしている、思われれば、王都の監査官、陰謀、あきらめるでしょう」


 そう言って、サンジュラはにこりと微笑んだ。


「だから、これから毎日、ギバの料理、買いに来ること、許していただきたく思います。そうすれば、監査官、私たちの関係、疑うことでしょう。実際に、絆、結ばなくとも、結んでいるように見えれば、それで十分なのです」


「何だそれは。では、森辺の民の仲間面をして、難を逃れようという考えであるのか?」


 と、ライエルファム=スドラが不平そうに声をあげる。


「お前は、見下げ果てたやつだな。力を貸してほしいなどと言いながら、俺たちを利用しているだけではないか」


「ですが、私、アスタをさらう、罪を犯しました。森辺の民、私と絆を結ぶ、望まないでしょう」


「そんな言葉は、絆を結ぶ努力をしてから口にしろ。スン本家の人間たちだって、それに劣らぬ罪を犯していたが、罰を受けることで許されたのだ」


 確かにディガやドッドなどは、俺の生命を奪おうとすらしていたのだ。半分がたはヤミル=レイの入れ知恵であり、もう半分は酔った勢いであったとしても、それはサンジュラよりもよほど悪辣な行為であるはずだった。

 ライエルファム=スドラにじっとりとにらみつけられて、サンジュラは困ったように微笑んでいる。


「ですが、私……性根、浅ましいです。森辺の民、友になる、相応しくありません」


「その言い様が、また気に食わんのだ。自分の存在など毒にしかならんと開き直れば、さぞかし楽に生きられるのだろうな」


 どうもサンジュラの言葉は、ことごとくライエルファム=スドラの癪にさわってしまうようだった。

 サンジュラは、ますます困ったように眉尻を下げてしまう。


「私、浅ましいゆえに、あなた、怒らせてしまうのでしょう。申し訳なく思っています」


「だから、浅ましいと思うのならば、それを正せと言っているのだ。お前はそれほどの力を持っているのに、どうしてそのように及び腰であるのだ?」


「……私、心、弱いためでしょう。私、リフレイアの幸福、願う以外、何も背負えないほど、弱い人間であるのです」


「そのリフレイアとやらを救うために、お前はこのような場にまでやってきたのだろうが? ならば、そのために死力を尽くせ」


 サンジュラは同じ表情のまま、俺を振り返ってきた。


「アスタ、私、どうすればいいでしょう?」


「そうですね。毎日ギバ料理を買いに来たいというお話であるのなら、その機会を活かして森辺の民と本当の絆を結べるように努力するべきなのではないでしょうか」


 考え考え、俺はそのように答えてみせた。


「たとえばですね、王都の人たちが森辺の民にサンジュラとの関係を問うてきたら、あんなやつは勝手にギバ料理を買いに来ているだけだ、と答えるしかないのですよ。森辺の民にとって虚言は罪なのですから、どれだけ頼まれても嘘はつけないのです」


「それは……もちろん、嘘をつけ、とは言えませんが……」


「サンジュラは、ジェノス侯爵を敵に回すべきではない、と考えたのでしょう? それなら、ひとまずは森辺の民の味方です。味方の立場から、仲間や友人と呼べるような間柄になれるように、少しずつでも努力していけばいいのではないでしょうか」


 サンジュラは、淡く微笑んだまま吐息をついた。


「わかりました。非常に難しい、思いますが、努力します。それに、味方であること、間違いないと思います。私、話を探る、得意ですので、監査官たちの様子、お伝えすること、可能です」


 サンジュラは、もともとサイクレウスから間諜のような仕事を任されていたのだ。カミュア=ヨシュに劣らず、そういう仕事は得手であるのだろう。


「たとえば、今日、ルイドという人物、宿場町、使者を放っていました。兵士たち、何か、変わりはありませんか?」


「え? いえ、特には……何人か屋台のほうに顔を出しましたが、べつだん変わった様子はありませんでしたね」


「そうですか。しかし、ルイドという人物、人目、はばかっていたようです。ジェノスの人間、悟られないように、使者を出す、不穏ではないですか?」


 それは確かに、不穏といえば不穏なのかもしれない。王都の人々に後ろ暗いところがないならば、人目をはばかる必要などはないはずであった。


「……お前がその使者とやらを見たのは、どれぐらいの刻限のことだ?」


 と、今まで黙りこくっていたチム=スドラが、ふいに口を開いた。

 サンジュラは、「そうですね」と目だけで空を見つめる。


「あれはたしか……上りの六の刻、鐘が鳴る前です。あのまま宿場町、向かったのなら、到着するのは、中天、半刻前ぐらいでしょう」


「なるほどな。ならば、お前の言葉も虚言ではないのかもしれん」


「あ、チム=スドラはその使者の姿を見ていたのですか?」


 思わず俺が口をはさむと、チム=スドラは一瞬だけ言葉に詰まってから、「うむ」とうなずいた。


「ちょうどそれぐらいの刻限に、北からトトスに乗った兵士らしき男がやってきたのだ。アスタたちは商売が忙しかったので、気づかなかったのだろう」


「そうですね。まったく気づきませんでした」


 チム=スドラは、何故だか俺の顔をじっと見つめていた。

 が、それ以上発言する気はないようで、口をへの字にして黙り込んでいる。


「用心、必要と思います。森辺、帰るまで、くれぐれも、お気をつけください」


 そう言って、サンジュラはライエルファム=スドラのほうに目をやった。


「こうして、城下町の情報、お伝えすることができます。こういう行い、重ねれば、友誼、結ぶこと、かなうでしょうか?」


「どうだかな。スン本家の大罪人たちは、300と30日が過ぎるまで、氏を与えらえることもなかったのだ。特に重い罪を犯した2名は、いまだに氏も与えられてはおらぬし……過去の罪というのは、そう容易く洗い流せるものでもないのだろう」


 ライエルファム=スドラは、とても厳しい眼差しでサンジュラを見返している。

 サンジュラは「わかりました」と一礼した。


「今後も、努力、怠らないよう、励みます。……では、そろそろ、ギバ料理、買わせていただけますか? ギバ料理、リフレイア、とても喜ぶ、思います」


「ああ、そろそろいくつかの料理は売り切れになる頃合いですからね。持って帰りやすい料理をみつくろいましょう」


 はっきり言って、俺個人はもうサンジュラに恨みなど抱いていない。ただ、俺がさらわれたことで激しい怒りを抱くことになった森辺の同胞の手前、簡単にすべてを許すことはできない、という立場であった。

 特にアイ=ファやルド=ルウやシン=ルウなどは、いまだにサンジュラに敵意に近い感情を抱いてしまっている。また、アイ=ファたちの観察眼を重んじている俺としては、サンジュラを無条件に信用するのは危険なことなのだろうか、という思いもあった。


(きっとサンジュラっていうのは、ことの善悪で動く人間じゃないんだよな。自分でも言っている通り、大事に思っているのはリフレイアのことだけで……リフレイアのためだったら、どんな大罪にでも手を染めてしまいそうな危うさがあるんだ)


 しかしそれならば、リフレイアごとしっかり絆を結ぶことができれば、危険な要素はなくなるように感じられる。

 今回は、思わぬ形でサンジュラのほうから歩み寄ってきた格好になるが、これを契機に絆を結ぶことができるならば、俺としても望むところであった。


「とりあえず、サンジュラの言葉は族長やカミュア=ヨシュにも伝えさせていただきます。それで、問題はないですよね?」


「はい。とてもありがたい、思います」


 そうしてサンジュラは、『ケル焼き』と『ギバの香味焼き』を手に、城下町へと帰っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、ライエルファム=スドラは「ふん」と鼻息をふいている。


「得体の知れんやつだ。まあ、ああいう人間に育ってしまったのは、自分だけの責任ではないのだろうがな」


「そうですね。俺もそう思います。サイクレウスの隠し子として生きるというのは、きっと並大抵の苦労ではなかったのでしょう」


 俺はしみじみと、そう答えてみせた。

 そうこうしている内に、俺の屋台の料理は売り切れてしまった。閉店時間も、もう目前であるはずだ。

 そうして自分の分の屋台を片付けていると、ライエルファム=スドラとポジションをチェンジしたらしいチム=スドラが近づいてくる。


「アスタよ、ちょっと聞きたいことがあるのだが」


「はい、サンジュラのことで、何か疑問でも?」


「いや、それとはまったく関係のない話なのだが……アスタは、俺の年齢を知っているのか?」


 それはずいぶんと、意想外の問いかけであった。

 フェイ=ベイムとともに熱い鉄板を運んでいた俺は、きょとんとそちらを見返してしまう。


「ええ、チム=スドラが婚儀をあげるときに聞きましたけど、たしか、16歳ですよね」


「ああ、そうだ。……それで、アスタは18歳になったという話だな」


「ええ、そうです」


 チム=スドラは、何かが咽喉に詰まったような顔で、眉をひそめていた。


「……アスタは相手が年少であっても、礼儀正しい言葉を使うことが多い。それはべつだん、間違ったことでもないと思うのだが……しかし、ルウ家の若衆を相手にするときは、もっとくだけた言葉づかいをしているはずだ」


「ええ、まあ、そうですね」


「……やっぱりアスタにとって、古くから親しくしていたルウ家の若衆は特別な存在であるのだろうか?」


 話がここまで進んでくると、さすがに俺もチム=スドラの言わんとすることを察することができた。


「えーとですね、ルド=ルウやシン=ルウなんかはひと目で年下だなと思ったから、最初から気安い口をきいていたのですよね。そうでない場合は、いちおう礼儀正しい言葉づかいで接するように心がけています。で、何かきっかけでもなければ、その言葉づかいが続けられる感じでしょうかね」


「…………なるほど」


「チム=スドラを相手に礼儀正しい言葉を使うのは、よそよそしく感じられてしまいますか?」


 チム=スドラは、いっそう難しげな面持ちになってしまった。


「……俺はそれほどアスタと口をきく機会が多かったわけではないからな。今さら言葉づかいを変えろと言いたてるのも筋違いなような気がしてしまうし……ただ、アスタがルウ家の若衆と楽しげに話している姿を見ると、なんとなく……こう、胸の中がモヤモヤしてしまうのだ」


「だったら、俺も言葉づかいをあらためるように心がけるよ。最初の内は、ちょっとギクシャクしちゃうかもだけど」


 チム=スドラは、ちょっと心配そうに目を細めている。


「いいのだろうか? 何か、アスタに余計な手間をかけさせるようで、心苦しいのだが」


「そんなことないよ。中には、同い年なのに丁寧な口をきくなと言って殴りつけてきた男衆もいるぐらいだからね」


「アスタを殴っただと? いったい誰がそんな愚かな真似を――ああ、もしかしてそれは、レイ家の家長か?」


「うん、そうだよ。よくわかったね」


「家長ライエルファムから、レイ家の家長がアスタを殴ったという話を聞いたことがあったのだ。あのときは、スドラの他の家族たちもみんな怒っていたぞ」


 それは、ヤミル=レイがレイ家に引き取られることが決定された日の出来事であった。まだ俺がライエルファム=スドラの名も知らず、チム=スドラとは出会ってもいなかった頃の話だ。


「そういえば、ユン=スドラなんかには最初から普通の言葉づかいで接していたんだよね。よそよそしさを感じさせてしまっていたのなら、チム=スドラに謝るよ」


「何も謝る必要はない。……ただ、そうして気安く喋ってもらえると、やはり嬉しいものだな」


 と、チム=スドラははにかむように微笑んだ。

 小柄なわりには大人びて見えるチム=スドラであるのだが、そういう表情を見ると、やはり年齢相応であるように思えた。16歳ということは、彼はルド=ルウと同じ世代であるのだ。


「余計な話で仕事の邪魔をしてしまったな。あちらの屋台も、すべての料理を売り切ったようだぞ」


「ああ、それなら店じまいかな。食材を購入して、森辺に帰ろう」


 そうしてその日も、平穏に商売を終わらせることができた。

 ただ、俺の頭の片隅には、千獅子長ルイドが宿場町に使者を送っていたというサンジュラの言葉が、魚の小骨のようにひっかかってしまっていた。

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