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異世界料理道  作者: EDA
第三十一章 波乱の幕開け
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緑の月の九日②~審問~

2017.12/2 更新分 1/1

 俺たちが案内されたのは、ジェノス城のすぐそばにある会議堂という建物であった。

 普段、族長たちがメルフリードらと言葉を交わすのも、この場所であるそうだ。


 灰色がかった煉瓦で建造された、大きくて立派な建物である。

 ジェノスの武官たちの案内で、俺たちはその建物の奥まった一室へと導かれた。


 扉の前には、4名もの守衛が控えている。

 その内の2名はジェノスの衛兵であり、もう2名は王都の兵士たちであった。


「入室が許されているのは、審問を受ける7名のみだ。それ以外の人間は、この場で控えよ」


 ドンダ=ルウとダン=ルティムは、無言でその言葉に従った。

 そして、アイ=ファとシュミラルとジーダとバルシャは、刀とマントを預けることになる。

 特にシュミラルは、毒物などを隠し持っていないか、入念に確認されていた。


 それでようやく、武官たちの手によって扉が開かれる。

 まずは小さな次の間で、その奥に新たな扉がうかがえる。次の間にも、4名の兵士たちが控えていた。


(ジーダが草笛を吹いたとしても、ふたつの扉を破る必要があるのか)


 そんな事態だけは避けたいものだと願いながら、やはり考えずにはいられない。

 そうして俺たちは、無人の一室へと案内されることになった。


「触れがあるまで、座して待て」


 ここまで俺たちを案内してきた武官がそのように述べて、閉ざされた扉のかたわらに立つ。

 その部屋には、中央に7つの椅子が並べられていた。

 そして奥には横長の卓が置かれており、その向こうにもいくつかの椅子が並べられている。


(……サイクレウスと対決したときと、似たようなシチュエーションだな)


 そんな風に考えながら、俺は椅子に腰を下ろした。

 順番は、右からアイ=ファ、俺、シュミラル、ミケル、マイム、ジーダ、バルシャである。


 部屋は広いが殺風景で、椅子と卓の他には調度らしい調度も準備されていなかった。

 ただ、正面の壁には一面に帳が張られており、左右の隅には巨大な石像が置かれている。貴賓館の食堂でも目にしたことのある、獅子の頭と人の上半身、そして馬の四肢を持つ雄々しい姿である。その手には槍をたずさえているので、きっと闘神か何かの石像なのだろう。


「……お前は何も罪など犯していないのだから、怯える必要はないぞ」


 そんな声が、左手側から聞こえてくる。

 目をやると、ジーダが隣席のマイムに声をかけていた。

 マイムは両膝の上で拳を固めながら、「はい」とぎこちなくうなずいている。

 さしもの明朗なマイムも、この緊迫しきった空気にずいぶんあてられてしまっているようだった。


 そうして、どれぐらいの時間が過ぎ去ったのか――どこか遠くで中天を告げる鐘が鳴って、さらに数分が経過してから、新たな武官が入室してきた。


「貴き方々がおいでになられた。席を立って出迎えよ」


 その武官が現れたのは背後の扉ではなく、正面の帳の向こうからであった。

 そうして俺たちが全員立ち上がったところで、新たな兵士たちがぞろぞろと出現する。


 獅子の紋章を胸もとに刻みつけられた、王都の兵士たちだ。

 昨晩と同じく、10名ずつの兵士たちが、まずは左右の壁に沿って立ち並んだ。


 それからようやく、貴族たちが現れる。

 ジェノス侯爵マルスタイン、第一子息メルフリード、千獅子長ルイド、監査官タルオン――そして最後に監査官ドレッグが姿を現したとき、マイムが悲鳴を呑み込む気配がした。


 ドレッグは性懲りもなく、漆黒の獅子犬を引き連れていたのだ。

 ドレッグは右端の席に陣取り、獅子犬は卓の脇にうずくまった。

 獅子犬の首輪に繋がれた鎖は、椅子の背もたれに無造作に引っ掛けられる。


「よくぞ参ったな。かまわぬから、楽にせよ」


 マルスタインの呼びかけによって、俺たちも再び腰を下ろした。

 マルスタインは本日も鷹揚に微笑んでおり、メルフリードは仮面のごとき無表情である。

 昨晩と比べると、ポルアースだけが欠けた顔ぶれであった。


 そして、千獅子長のルイドという人物は、いかめしい甲冑姿であり、ふたりの監査官の背後を守るように立ち尽くしていた。

 よって、立派な席に着席して俺たちと相対したのは、4名の貴族のみだった。


「書記官、名前の確認を」


 マルスタインがそう告げると、最後に入室してきた小柄な男性が、「は」とうやうやしく一礼した。


「ご確認させていただきます。右から順に、森辺の民アイ=ファ、渡来の民アスタ、森辺の家人シュミラル、トゥランの民ミケル、その娘マイム、マサラの民ジーダ、その母バルシャ――で、相違ありませんか?」


「相違ない。ただし、アスタもシュミラルと同様に、森辺の家人であるはずだが」


 アイ=ファが、静かな声でそう応じた。

 書記官はわずかに首をすくめてから、今度は貴き人々の名前と身分を読みあげた。

 それで判明したのは、ドレッグがダーム公爵家の第三子息、タルオンがベリィ男爵家の末裔、という肩書きを有していることであった。


「これより、あなたがたの審問が行われます。この場における虚言は王国セルヴァへの叛逆罪とみなされますので、心してお答えください」


「……了解した」と、またアイ=ファが答える。

 すると、ドレッグがさっそく小馬鹿にしたような笑い声をあげた。


「それにしても、ずいぶんな人数にふくれあがったものだ。この全員をきっちり審問しようと思ったら、どれだけ時間があっても足りなかろうな。どこからつつけばいいのか、迷うほどだ」


 そうしてドレッグが、卓の端に控えた書記官に血走った目を向ける。


「おい、あちらで控えている俺の小姓に、酒と酒杯を運ばせろ」


「は……酒と酒杯でございますか?」


「どうせ長丁場になるのだから、咽喉を潤す必要があろう。酒の滋養も必要だ」


 書記官は困惑の念を礼儀正しい表情の下に押し隠しつつ、帳の向こうに声をかけた。

 すでに待機していたらしく、可愛らしい面立ちをした小姓が銀の盆にのせられた果実酒の瓶と硝子の酒杯を運んでくる。

 その酒杯が赤褐色の果実酒で満たされると、ドレッグは一息でそれを飲み干してしまった。


「ふん……こんな辺境の地に追いやられて、唯一楽しいと思えるのは、この上等な果実酒を口にできることぐらいだな」


「ほどほどになされよ、ドレッグ殿。酒精で頭が鈍っては、真実を見極めるのも難しくなってしまいましょう」


 そのように述べながら、タルオンは穏やかに微笑んでいる。ドレッグを本気でたしなめようという気持ちは、さらさらないらしい。

 昨日から、俺はこの両名の関係性がつかめていなかった。


 年長なのはタルオンのほうであるのに、偉そうにしているのはドレッグのほうなのだ。それは、ドレッグのほうが高い身分にあるためなのか、それとも身分がどうこうではなく、タルオンが事なかれ主義であるだけなのか。それが、判然としないのだった。


「それでは、審問を始めましょう。……まずは森辺の民、ファの家のアイ=ファにおうかがいいたします」


 アイ=ファは無言で、タルオンのほうに向きなおった。

 タルオンは、卓に広げた書面に目を落としている。


「昨年の黄の月の終わり頃、あなたはモルガの森の中で渡来の民アスタと遭遇した、とありますが……それは、真実でありましょうか?」


「うむ、真実だ」


「では、あなたは何故、アスタを森辺に迎え入れたのでしょう? それまでの森辺の民は閉鎖的な習わしの中に身を置いており、町の人間ともほとんど交流を結んでいなかった、とされているはずですが」


「アスタと出会ったのは、日が暮れる寸前のことだった。あのまま捨て置けば、アスタは町に下りることもできず、森の獣に襲われて生命を落としていたであろう。いくぶんは迷ったが、まずは腰を据えて話を聞くべきだと判断し、アスタをファの家に招くことにした」


「では、アスタの素性を問いただしたのは、家に招いた後ということでしょうかな?」


 アイ=ファはいったん口を閉ざして、沈思した。

 その記憶力を発揮して、当時の詳細を思い出そうとしているのだろう。


「いや……出会ってすぐにも問いただしたが、そのときにはまったく要領を得なかった。セルヴァ、ジェノス、モルガの山、という言葉を聞かせても、アスタはきょとんとしていたので、これでは埓が明かぬと思い、家まで連れ帰ったのだ」


「ふむ。アスタは王国セルヴァどころか大陸アムスホルンの名すら知らなかったとありますが、それは真実でありましょうか?」


「はい、真実です」


 俺が答えると、タルオンは「なるほど」と微笑み、ドレッグは「はん」とせせら笑った。


「では、あなたはアイ=ファにどのような言葉で自分の素性を説明したのでしょう? なるべく正確な言葉でお願いいたします、アスタ」


「はい。自分は日本という島国の生まれで、アムスホルンという大陸の名前は聞いたことがない。それに――自分は故郷で火災に見舞われて死んでしまったはずなのだ、と説明しました」


「ふむ。そんなあなたが、どうしてモルガの森で倒れていたのか、自分でも理由がわからない、と?」


「はい、そうです。自分でも、現実離れした話だということはわきまえています。でも、自分にとってはそれが唯一の真実ですので……それが真実でないとしたら、自分はどこかで頭でも打って正気を失ったのだとでも思ってくれ、と言いました」


「なるほど。それで、あなたはどのような判断を下したのですか、アイ=ファ?」


「……少なくとも、アスタが虚言を吐いているとは思えなかった。だからきっと、自分でも言っている通り、何かの事情で正気を失ってしまったのであろうと思うことにした」


「では、あなたは正気を失った人間を同胞として迎え入れたのですか?」


 アイ=ファは一瞬だけまぶたを閉ざしてから、挑むようにタルオンを見た。


「私がアスタを家人と認めて森辺の装束を与えたのは、出会ってから5日ほどが過ぎたのちのことだ。その5日ほどの間で、私はアスタが信用に足る人間であると判断した」


「ふむ。わずか5日で、どうしてそのような心持ちになれたのでしょうな」


「5日も同じ家で暮らせば、気心は知れる。また、出会って翌日に、私はアスタに生命を救われてもいるのだ」


「生命を救われた? それは、初耳でありますな」


 静かにこのやりとりを見守っていたシュミラルたちも、意外そうに俺たちを振り返っていた。

 アイ=ファは凛然とした表情のまま、淡々と言葉を重ねていく。


「出会った翌日の朝、私たちはラントの川で身を清めていた。そのときに、マダラマの大蛇が川を流れてきて、私に襲いかかってきたのだ」


「マダラマの大蛇?」と、そこでひさびさにマルスタインも声をあげる。


「其方たちは、モルガの三獣たるマダラマと遭遇していたのか? それは私も、初めて聞く話だ」


「マダラマの大蛇は、もともと深く傷ついていた。おそらくは、ヴァルブの狼か赤き野人との戦いに敗れて、川に落とされたのであろう。山を出た三獣はどのように扱ってもかまわないという掟であったので、特に誰にも知らせてはいなかったのだが……私は何か、ジェノスの法をないがしろにでもしてしまったのであろうか?」


「いや、そういう話ではないのだが……ただ、聖域の守護者たるモルガの三獣が外界に姿を現すことなど滅多にないはずなので、いささか驚かされただけだ」


 マルスタインは穏やかな微笑を取り戻して、タルオンのほうに一礼した。


「余計な言葉をはさんで、失礼した。審問を続けていただきたい」


「はい、それでは……アスタに生命を救われたあなたは、たとえ正気を失っていても悪人ではないとみなした、ということなのでしょうかな?」


「うむ。それに、私はアスタから美味なる食事の素晴らしさというものを教わった。そうしてともに過ごす内に、アスタがどのような人間であるかを理解していくことになったのだ」


 そこまで言ってから、アイ=ファはまた挑むように頭をもたげた。


「ただし、私はその5日間ほどで、アスタを家人に迎えると決断したわけではない。その頃はまだ、いずれ時が来たらアスタを町に下ろそうと考えていたのだ」


「時が来たら、と申しますと?」


「アスタは、森辺の習わしもジェノスの法も、何ひとつ知らなかった。そのような状態で町に下ろしても、無法者の餌食にされるだけであろう。また、何も知らずにモルガの恵みを口にしてしまえば、頭の皮を剥がされることになる。だから、あるていどの生きるすべを叩き込んでから、町に下ろそうと考えたのだ」


 確かに、その当時のアイ=ファはそのように言い張っていた。親父さんの形見である森辺の装束を預けてくれたのは、あくまで近在の人々の目をはばかったゆえであったのだ。


「しかしその後、私はアスタとともにルウ家と関わることになり……そこで、ルウ家の古い友たちと、縁を結びなおすことができた。私が心からアスタに感謝の念を抱き、今後も同じ家の人間として過ごしたいと願ったのは、そのときからであろうと思う」


「なるほど。そこで族長筋のルウ家と縁を結ぶことになったのですか。なかなか興味深いお話でありますな」


 タルオンはにこにこと微笑んでいるが、やはりその目はまったく笑っていない。

 すると、何杯目かの果実酒を飲み干したドレッグが、「はん」と鼻を鳴らした。


「そのように言葉を連ねていたら、本当に日が暮れてしまいそうだ。要するに、お前は情にほだされただけなのだろうが? 男と女が同じ屋根の下で暮らしていれば、何も珍しい話ではない。問題は、その先の話であろうよ」


「その先の話?」


「ああ。お前たちは、ルウ家に取り入って、族長筋たるスン家を失脚させた。そこには、どのような思惑があったのだ?」


「……確かに私たちは、ルウ家と手を携えて、スン家の罪を暴くことになった。しかしそれは、もともとスン家が罪を犯していたからであり、私たちの側に思惑などは存在しない」


「ふん。そのスン家は、お前たちが町で商売をすることに反対していたのだろうが? そんな邪魔者であったスン家が潰されて、お前たちにはさぞかし都合がよかったことだろうな」


 アイ=ファはわずかに眉をひそめて、考え込むような表情をした。


「申し訳ないが、言葉の意味がよくわからない。もしかしたら、私たちが町で銅貨を稼ぐために、邪魔者であるスン家に刀を向けた、と考えているのであろうか?」


「ふん。そうではないと証明することができるか?」


「何をもって証とするのかはわからないが、スン家は実際に罪を犯していた。アスタはただ、誰よりも早くその事実に気づいただけだ」


「ふむ。スン家はギバ狩りの仕事を果たさずに、森の恵みを収穫するという大きな禁忌を犯していた、とありますな。それは、真実であるのでしょうか?」


 にこやかに問いかけるタルオンに、アイ=ファはいささか呆れ気味の視線を向ける。


「まさか、今さらそのような話を問われるとは思わなかった。スンの集落に住まう全員がその罪を認めていたし、また、スン家の食料庫には森の恵みが山のように隠されていた。それ以上の証が、必要なのであろうか?」


「我々は、後から話を聞いただけの身でありますからな。どこかに間違いがあっては許されないので、何重にも確認する必要があるのですよ」


 きっと族長たちも、2日間をかけてこのようなやりとりを続けていたのだろう。これでは、グラフ=ザザが苛立ってしまうのも当然だと思われた。


「そして、時を同じくして、スン家のもうひとつの罪も暴かれることになった、というわけでありますな。そちらのメルフリード殿の手によって」


 メルフリードは、無言でうなずいた。

 新たな果実酒を小姓に注がせながら、ドレッグはまたせせら笑う。


「スン家にとっては、とんだ災厄の年となったわけだ。それにしても、ずいぶん都合よく、次から次へと旧悪が暴かれてしまったものだな」


「それは、カミュア=ヨシュがそのように立ち回ったからではないでしょうか」


 メルフリードが何も語ろうとしないので、僭越ながら、俺が発言させていただくことにした。


「当時、森辺の民とメルフリードを繋ぐ人物は、カミュア=ヨシュひとりしか存在しませんでした。というか、スン家の騒動が収まるまで、自分たちはメルフリードと口をきく機会もなかったのです。もちろん、森辺の民がその時期にスン家の罪を暴くことになったのは、純然たる偶然なのですが……偶然が過ぎると思う部分には、カミュア=ヨシュの陰ながらの橋渡しの効果があったのだろうと思います」


「……ふん、あの忌々しい《守護人》か」


 ドレッグは、面白くもなさそうな顔つきで、果実酒をひとなめした。

 タルオンの微笑みも、やや苦笑気味のものになっている。


「確かにあの御仁も、そのように証言しておりましたな。そもそも森辺の民に宿場町での商売を提案したのも、あの御仁であったとか……このたびの一件を追及していくと、たいていの話はあの御仁に行きついてしまうようです」


 どうやらこの両名にとっても、カミュア=ヨシュは御しきれない存在であるようだった。

 つくづく、トランプのジョーカーめいた存在なのだなあと、俺はこっそり感心してしまう。


「……あなたがたは、森辺の民がジェノス侯爵家と共謀してトゥラン伯爵家を失脚させたと考えているようだった、と私たちは聞いている。それは、真実なのであろうか?」


 と、ふいにアイ=ファが真っ向から切り込んだ。

 タルオンはやわらかい微笑でその質問を受け流し、ドレッグは憎々しげに口もとを吊り上げる。


「そのように疑われても、不思議はなかろうが? ジェノス侯爵家にとってはトゥラン伯爵家が目障りであり、森辺のルウ家にとってはスン家が目障りだった。おたがいの邪魔者を消し去るために手を組んだと考えるのは、至極自然な話であろうよ」


「その邪魔者という言葉を罪人に置き換えれば、何もおかしな話ではないように思う。スン家とトゥラン伯爵家はひそかに手を組んで悪事を働いていたのだから、森辺の民とジェノス侯爵家は共通の敵を倒すために手を携えることになった、ということであろう?」


「ふん。スン家やトゥラン伯爵家が、本当に罪などを犯していたのならばな」


 けっきょく、話はそこに戻るのだ。

 アイ=ファは鋼の精神力を発揮して、決して昂ぶることなく、冷静な声でそれに応じた。


「誓って、私たちに後ろ暗いところはない。スン家は私が生まれる以前から、魂を腐らせていたという風聞にまみれていたのだ。私たちは、森辺の民が正しい道を歩めるように、スン家の罪を暴いたに過ぎない。この言葉に偽りがないことを、私は母なる森に誓おう」


「母なる森、か。その文言からして王国の規律に背いているということにすら、お前たちは気づいていないようだな」


 ドレッグは、飲みかけの酒杯を荒っぽく卓に置いた。


「いいか、森辺の民よ。西の民にとって、絶対の神は西方神セルヴァのみだ。セルヴァとその子たる七小神の他に、崇めるべき神は存在しない。森や山や川などを神のように扱うことが許されるのは、セルヴァにおいて自由開拓民のみなのだ」


「自由開拓民……申し訳ないが、私はそういった民について、ほとんど知るところがない」


「自由開拓民というのは、西方神セルヴァの子でありつつ、王国の民になることを拒んだ少数の一族たちのことを指します。このジェノスにも、その末裔たちが住まっているはずですな」


 タルオンの言葉に、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。


「その名に氏を持つ人間が、自由開拓民というものの末裔であるという話は聞いている。しかし、その者たちも、今では王国の民なのであろう?」


「ジェノスは王国の領土なのですから、当然そういうことになりますな。ただし本来、自由開拓民が王国の民となるには、氏と地神を捨てさせなければならないはずですが……このジェノスにおいては、いまだに氏を持つことが許されてしまっているようです」


 タルオンが横目でマルスタインを見やったが、当人は微笑をたたえたまま、無言であった。

 ジェノスの町が建立されたのはもう200年も前の話なのだから、もともとその地に住まっていた自由開拓民に氏を保持することを許したのは、当時のジェノス領主であったのだ。


「だから本来は、森辺の民をジェノスの民として迎える際に、氏と地神を捨てさせるべきであったのだ。しかし、その際にも、当時のジェノス侯爵は祖先と同じように、王国の習わしを踏みにじったということだな」


 さらにドレッグもたたみかけると、マルスタインはゆったりとした口調で「ええ」と応じた。


「森辺の民が移住してきたのはおよそ80年前でありますから、当時のジェノス侯爵は私の曽祖父ということになりますな。いったいどのような取り決めのもとに、氏と地神を持つことを森辺の民に許したのか、残念ながらそれを伝える言葉は残されておりません」


「ふん……そもそも森辺の民は、ジャガルから流れてきた一族であったという話だが、ジャガルにおいても氏と地神を有する習わしなどは存在しない。それは、どういうことなのだろうな?」


 それは、アイ=ファに向けられた言葉であった。

 アイ=ファは、ほんの少しだけ首を傾げている。


「どういうことだと問われても、私などには答えられそうにないが……森辺の民は、シムとジャガルの間に生まれた一族であるのかもしれない、という伝承が残されている。ならば、シムの習わしが森辺の民に引き継がれた、ということなのではないだろうか?」


「ほう、森辺の民は東の血筋であると認めるのか?」


「東だけではなく、東と南のあわさった血筋だ」


「ふん。その浅黒い肌などは、どう見ても東の血筋だがな」


 ドレッグはかっさらうようにして酒杯をつかみ、残っていた果実酒を一息で飲み干した。


「何にせよ、お前たちは最初から王国の法に背いた存在であるのだ。森などを母と呼び、貴族ならぬ血筋でありながら氏などをもちいる、そんな真似は王国の民に許される行いではない」


「……しかし、それを許したのは、80年前のジェノス侯爵なのであろう?」


 アイ=ファがうろんげに問うと、タルオンが「ほほ」という奇妙な笑い声をあげた。


「では、現在のジェノス侯爵が氏と地神を捨てるべし、と命じれば、あなたがたはそれに従うのでしょうかな?」


 アイ=ファはわずかに目を細めて、真っ直ぐにタルオンの笑顔をねめつけた。


「私は族長筋ならぬファの家の人間であるから、そのような問いかけに答えられる立場ではない。その答えを知りたくば、この場に三族長を招くべきであろうな」


「そうですか。それでは、あなた個人のお気持ちだけでもお聞かせ願えませんか、ファの家のアイ=ファ? それをもってして、叛逆の罪などに問うたりはしませんので、世間話とでも思ってお答え願えれば幸いです」


 アイ=ファは探るようにタルオンを見据えながら、静かに、断固とした口調で言った。


「母なる森を捨てることなど、できようはずもない。それは、西の民に西方神セルヴァを捨てるべしと命ずるにも等しい行いであろう」


「そうですか」と、タルオンはいっそうにこやかに微笑んだ。

 それは、何だか満足そうにも見える笑い方であった。

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