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異世界料理道  作者: EDA
第三十一章 波乱の幕開け
533/1681

緑の月の八日②~試食~

2017.11/29 更新分 1/1 ・2017.12/2 誤字を修正

 それから数時間が経過して、下りの五の刻の半――日没まであと半刻という頃合いで、俺たちの作った料理は貴族たちの待つ食堂へと届けられていった。


 料理人には、料理の吟味が済むまでは待機せよ、という指示が下されている。狩人たちは集落に戻ってから晩餐をとるという話であったので、俺たちはその時間、ティマロとおたがいの料理を試食し合うことにした。


「こちらは2名の助手を同伴させていただきます。おたがい、忌憚のない意見を述べ合いましょう」


 厨から近い別室の卓についたティマロは、真面目くさった口調でそのように述べていた。

 こちらは4名のかまど番が席につき、護衛役としてアイ=ファとルド=ルウが背後に控えている。ジザ=ルウとガズラン=ルティムは、扉の外で護衛の仕事を果たしてくれていた。


「作法通りに、前菜からいただくべきでしょうな。しかしこれは……わたしにも見覚えのある料理であるようです」


「はい。今回は、城下町の方々に初めてお出しした料理を準備させていただきました」


 それはすなわち、ティマロとともに厨を預かった、貴族と族長らの和睦の晩餐会のことであった。

 前菜の盛られた木皿を前に、ティマロは「なるほど」とうなずいている。


「ですがもちろん、すべてがあの日と同じ内容というわけではありますまいな? それでは、試食をする甲斐もありません」


「はい。あのときと同じ献立を、よりよい形で仕上げられるように努力したつもりです」


 マルスタインやポルアースたちが初めて口にした俺の料理は、こういった献立であったのだ。ならば、俺の腕前を見定めようという王都の貴族の人々にも、これらを食べていただくのがもっとも相応しいだろう。そのように考えて、俺は献立を決定したのである。


 というわけで、前菜は『ギーゴの干しキキ掛け』であった。

 ヤマイモに似たギーゴを拍子木切りにして、梅干のごとき干しキキのディップを添えた料理だ。


 ギーゴは生で使っているので、あまりアレンジのしようはない。

 よって俺は、干しキキのほうに思いつく限りの細工を加えていた。

 あの頃はスープの出汁とタウ油で干しキキを溶いたのだが、今回は海草と干し魚の出汁を使用している。味付けもタウ油ばかりでなく、砂糖とママリア酢とレテンの油を使っており、ディップというよりはドレッシングに近い形でゆるく溶いていた。


 そしてさらにもうひと手間、刻んだギーゴの上に、キミュスの半熟卵をのせている。

 とろとろに仕上がった卵の黄身を潰して、ギーゴにからめながら召し上がっていただくのだ。

 ギーゴを重ねて、干しキキのドレッシングを掛けた上で、半熟卵を上にのせる。さらに白ゴマに似たホボイの実も散らしてみせると、それなりに見栄えもよくなったように思えた。


 ティマロは匙で半熟卵を潰してから、それを助手たちのために小さな皿へと取り分けていく。準備した料理は一人前であったので、彼らはそれを小分けにして試食に挑むのだ。

 あらためて、その料理を口にしたティマロは、「ふむ」とゆったりうなずいた。


「キミュスの卵を加えたことによって、生のギーゴの清涼な食感がいっそう際立つようですな。また、味付けの汁も、甘みと塩気と酸味の配合が素晴らしいように思います」


「ありがとうございます。ティマロにそう言っていたけるのは、とても光栄です」


「ええ。前菜としては、まずは十分な出来栄えでありましょう。貴族の方々にも、この繊細なる味付けの妙をご理解いただきたいものですな」


 そう言って、ティマロはちらりと俺のほうを見てきた。


「よろしければ、わたしの準備した料理もどうぞ。あくまで城下町の流儀にそった料理ですので、森辺の方々のお口にはあわないやもしれませんが」


「はい、それじゃあ、いただきます」


 ティマロの準備した前菜は、薄いフワノの生地の上に、素性の知れないジャムのようなものを塗った料理であった。

 赤いジャムはてらてらとぬめるように照り輝いており、実に複雑な香草の香りを発散させている。鼻をふさぐと甘い菓子のようにも見えてしまうが、きっとそうではないのだろう。


 フワノの生地の形は丸く、大きさは直径4、5センチほどだ。ティマロはそれを二人前準備してくれていたので、俺はトゥール=ディンと、レイナ=ルウはリミ=ルウと、それを半分ずついただくことにした。


 以前にティマロの料理で苦い経験をしたことのあるリミ=ルウは、いくぶん切なげに眉を下げていたが、レイナ=ルウによって小皿が届けられると、えいっとばかりにその料理を口に放り込んだ。

 そして、その生地をくしゅくしゅと噛んでいく内に、眉の角度は普段通りの形状に戻されていく。

 最後には明るい笑顔となって、リミ=ルウは「不思議な味だね!」と元気よく発言した。


 それで俺も料理を口に運んでみると、確かに不思議な味わいが広がってきた。

 赤いジャムの本体は、タラパであった。タラパにさまざまな食材を加えて煮込んだものなのだろう。香草以外で感じられるのは、ナッツのようなラマンパの実の食感と、果物を使ったやわらかい甘み、そしてとろりとした油の感触であった。


 城下町で流通しているタラパは、酸味がひかえめで甘みが強い。そこに果実まで加えているのだから、印象としては甘みが前面に出ていた。

 ただし、それなりの塩気も感じられるし、動物性の出汁の風味もきいている。なおかつ、複数の香草も使っているので、かなりスパイシーに仕上がっていた。


 また、土台のフワノにはカロン脂や乳脂が使われているようなので、そちらの風味やさくっとした食感まで加わると、なかなかに不可思議で、楽しい味わいであった。


「……いかがですかな、アスタ殿?」


「はい。とても不思議な味わいです。ちょっと食べなれない感じはしますが、とても手の込んだ料理だと思います」


「食べなれない感じというのは? できれば言葉を飾らずに、率直な意見をいただきたいところです」


「え? そうですね……あえて言うならば、ちょっと油分がくどく感じるかもしれません。これは、レテンの油でしょうか?」


「ええ。タラパを煮込む際に、それなりの量のレテンの油を加えておりますな」


「森辺の民は、あまりこういう形でレテンの油を使うことがないので、それがいくぶん余計に感じられてしまうのだと思います」


「そうだねー。ぬるぬるしてないほうが、もっと美味しいかも!」


 リミ=ルウの言葉にうなずいてから、ティマロはトゥール=ディンのほうに目を向けた。


「トゥール=ディン殿は? どのような感想をお抱きでしょうか?」


「え? わ、わたしはその……フワノの生地を、美味しいなと思いました。これは、乳脂で揚げ焼きにしているのでしょうか?」


「ええ。乳脂の風味も、この料理には欠かせませんので」


「そうですか……香草を使っていなかったら、まるで菓子のような仕上がりですね」


 トゥール=ディンがおずおずと微笑むと、ティマロは無言のまま一礼した。


「それでは、次の料理に取りかかりましょう。次は、汁物の料理ですな」


 俺が準備したのは、王道中の王道である『タウ油仕立てのギバ・スープ』であった。

 以前との違いは、ジャガル産のキノコをふんだんに使っているところであろうか。野菜に関しては、アリア、チャッチ、ネェノン、ギーゴはそのままで、モヤシのごときオンダとサトイモのごときマ・ギーゴを増やし、ピーマンのごときプラを使わなくなった。


 そしてもう一点、大きな違いは、こちらでも海草と干し魚の出汁を使用していることだ。

 王都から届けられる海草と干し魚はそれなりの高額商品であるため、森辺では宴のときぐらいにしか使われることはない。それらも惜しまずに使うことで、俺はいっそう理想的な味を組み立てることができていた。


 もちろんギバ肉もたっぷり使っているので、そちらからも出汁は取れている。ジャガル産の清酒に似たニャッタの蒸留酒も使い、俺にとってはこれが自分で考えられる限り最上級の出来栄えであった。


「これは……味の深みが、以前と段違いのようですな」


 ティマロも目を見張りながら、そのように述べてくれていた。


「味と呼べるのはタウ油の塩気ぐらいであるのに、驚くほどに風味が豊かで……これならば、香草を使わない是非を問われることもないでしょう。いや、見事な手並みです」


「ど、どうも、恐縮です」


 ティマロがそこまで真っ直ぐ好意的な感想を述べてくれるのは、俺にとってはなはだ落ち着かないものであった。

 左右に並んだ調理助手たちも、感服しきった様子でスープをすすっている。その内のひとりが、やがて「おや?」と声をあげた。


「こちらは何でしょう? フワノの生地でしょうか?」


「あ、はい。フワノの生地で刻んだ肉を包んで、他の食材と一緒に煮込んだものです。俺の故郷で、ワンタンと呼ばれていた料理を参考にしています」


 以前の晩餐会でもワンタンを使っていたので、いちおうそれも残していたのだ。

 ワンタンがなくとも胸を張って出せる仕上がりだと自負しているものの、ワンタンがその仕上がりを邪魔することもないだろう。


「こちらの汁物料理は……かなり辛みが強いようですね」


 と、ティマロの汁物料理を口にしたレイナ=ルウが、そのように発言した。


「でも、そこまで食べにくいことはありませんし、自分では思いつかないような細工を感じます。……あ、リミは気をつけたほうがいいよ」


「わかったー」と言って匙にすくったスープをなめたリミ=ルウは、たちまち「からーい」と悲鳴まじりの声をあげた。

 俺も確認してみると、確かにそれはなかなかの辛さを有していた。

 スープの色はクリーム色で、カロン乳をベースにしているのは明らかであるのに、かなりトウガラシ系の辛みがきいている。あまり食べすぎると、汗だくになってしまいそうなぐらいだ。


 それでいて、香りのほうはシナモンのような甘ったるさが感じられる。それに、砂糖や蜜などもふんだんに使っているのだろう。甘さと辛さの、複雑なハイブリッドであるのだ。


 ちなみに具材のほうはというと、皮つきのキミュス肉に、ダイコンのごときシーマ、ズッキーニのごときチャン、大豆のごときタウの実、パプリカのごときマ・プラというラインナップであった。


「チットの実ばかりでなく、イラの葉を使うことによって、より鮮烈な辛さを求めることができたと思うのですが、いかがでありましょうかな?」


「そうですね。確かに鮮烈です。できれば、フワノか何かで舌を休めながら食べたいような心地になります」


「そうですか。……トゥール=ディン殿は、いかがでしょうか?」


「あ、す、すみません。わたしにも、ちょっと辛みが強すぎるようで……あまり他の味付けまで感じ取ることができません……」


「そうですか」と、ティマロはいくぶん肩を落とした。

 どうもティマロは、俺のことと同じぐらい、トゥール=ディンの反応を気にしている様子である。


 ともあれ、いつ呼び出しがかかるかもわからないので、粛々と試食を進めていく。

 次の献立は、フワノ料理だ。


 俺が準備したのは『お好み焼き』で、ティマロが準備したのは『黒フワノの乾酪団子』であった。


『お好み焼き』は、生地のほうにそれなりの手を加えていた。

 これまでは水で溶いたポイタン粉にすりおろしのギーゴを混ぜて、野菜やギバ肉と一緒に焼くだけであったが、どこか素朴すぎる感じは否めなかったので、俺なりに工夫を凝らしてみたのである。


 まず、生地を溶くのには、またまた海草と干し魚の合わせ出汁を使い、さらに、塩と卵も加えてみることにした。

 海草と干し魚を多用したのは、別にその売り手である王都の人々にへつらったわけではない。単に、俺にとってはそれらの出汁がとても使い勝手のいいものであった、というだけのことだ。

 何にせよ、それでポイタンの生地の出来を飛躍的に向上させることができた。


 具材のほうは、あまり斬新な発想も浮かばなかったが、とりあえずマロールを追加させていただいた。

 マロールもまた、王都から届けられる乾物である。これはアマエビに似た甲殻類であるので、それを水で戻してから、ギバのバラ肉やティノとともに加えることに決定したのだ。言うまでもなく、豚とエビのミックスお好み焼きというものを意識した結果であった。


 そしてもう一点、ささやかながらに天かすというものも加えている。

 ポイタンの生地を、レテンの油で揚げたものだ。さくさくとした食感と、油のもつ旨味が、いっそうお好み焼きの完成度を高めてくれた。


 味付けは定番の、ウスターソースとマヨネースである。以前はさらに塩抜きをして乾煎りにしたマルなども使っていたが、同じ甲殻類のマロールを具材のほうで使っているので、今回は割愛させていただくことにした。


「なるほど。ギバ肉とマロールを同時に使うというのは、なかなか大胆な試みであるようですが……悪い結果にはなっていないようですな」


 ティマロは、そんな風に述べていた。


「生地の具合は、格段に向上しているものと思われます。ただ、わたしでしたら、香草でもうひと味加えたくなるところでしょう」


「そうですか。香草というのは、自分の発想にありませんでした」


 俺は故郷の料理の再現に気が向いてしまっているので、そこにジェノスならではの食材でアレンジするという意識が希薄であるのだ。

 そこにもっと意識を向ければ、またひとつ壁を越えられるのだろうか。


「こちらの料理も、不思議な味わいですね」


 と、『黒フワノの乾酪団子』を食していたレイナ=ルウが、そんな風に述べたてた。

 形状は、宿場町の屋台でも売っていそうな、大ぶりの団子である。ただ、名前の通りに黒フワノが使われており、暗灰色の色合いをしている。


 その黒フワノの生地を切り分けると、中からはとろけた乾酪とさまざまな食材がとろりとあふれだしてくる。食材は、刻んだネェノンとタケノコのごときチャムチャム、それにカエンタケのようなジャガルのキノコで、それらが溶けた乾酪の中で渾然一体となっていた。


 で、この料理にもさまざまな香草が使われている。

 俺に判別できたのは、クミンやレモングラスに似た香草のみであったが、きっとそれ以外にもう2、3種類は使っているのだろう。乾酪が主体の料理にこれだけの香草を使うというのは、やはり俺にとって馴染みのない手管であった。


「城下町でも、アスタ殿から教えていただいた『そば』という料理が人気を博しておりますが、それだけではなかなか黒フワノを使いきることも難しいですからな。黒フワノの軽い食感は、こちらの料理にも適合すると考えて、使用しております」


 そのように述べてから、ティマロはまたトゥール=ディンのほうを振り返った。


「……トゥール=ディン殿、いかがでしょうかな?」


「あ、は、はい。こちらの生地には、何かの実が練り込まれているのでしょうか? 生地だけを食すると、何か独特の風味を感じます」


「生地に練り込んだのは、ホボイとタウの実ですな。それに、ラマムの汁をわずかに加えております」


「ホボイとタウの実、それにラマムの汁ですか……なるほど……」


「……トゥール=ディン殿は、フワノの生地にしかご興味がないのでしょうかな?」


 と、ついにティマロが不服そうに、口をとがらせてしまった。

「も、申し訳ありません」と、トゥール=ディンが頭を下げる。


「最初の料理もこの料理も、自分の知らないフワノの使い方がされていたので、つい……もともとわたしはアスタやレイナ=ルウほど、上手に感想を述べることもできませんし……」


 俺たちもだいぶん城下町の調理法というものに免疫はついてきたものの、まだ手放しで「美味い」と感じられるほどではないのだ。ヴァルカスの域まで達してしまえば、ひたすら感心するばかりであるのだが、こういう際にはなかなかコメントも難しいのであった。


 そんな中、次なる料理の試食が始められる。

 俺の料理は『ギバの冷しゃぶと温野菜のサラダ』、ティマロの料理は『ママリアの煮込み料理』であった。


『ギバの冷しゃぶと温野菜のサラダ』は、そこまで大きく内容を変えていない。茹であげた野菜に、熱を通してから水で洗ったギバのバラ肉をのせた、シンプルな仕上がりである。野菜も、もともと使っていたティノとネェノンとアリアに、ホウレンソウのごときナナールと、そして新食材、白菜のごときティンファを加えただけだ。


 ただ、味付けのほうは大幅に変えていた。

 以前はポン酢醤油に似せた味付けを採用したのだが、今回はゴマに似たホボイを使って、ゴマ風ドレッシングの再現に挑んでみせたのである。


 ホボイはしっかりとすりおろして、それに砂糖と塩、タウ油、ママリア酢、レテンの油、ミャームーを加える。それぞれの分量を見極める以外に、難しいところはない。ホボイはとても風味が豊かであるので、俺はなかなか満足のいくドレッシングを作製することができていた。


 質感はとろりとしていて、味付けはやや甘みを強調している。これまでは酸味のきいたドレッシングしか作っていなかったので、レイナ=ルウやリミ=ルウたちも最初は驚いていたが、試食をしてもらうとたいそう満足そうな笑顔になってくれていた。


「ふむ。ホボイの風味が十全に活かされているようですな。これは城下町でも人気の出る味わいかもしれません」


 そのように述べてから、ティマロは「そういえば」とつけ加えていた。


「ヴァルカス殿の店では、すでにホボイの油というものを使い始めたようですよ」


「あ、ホボイから油を絞る方法が判明したのですか」


「はい。以前に城下町を訪れたジャガルの民が、その方法をヴァルカス殿のお弟子にお伝えしたそうです。ホボイの使い方を広く知らしめるのは貴き方々からのご命令であるのですから、その手法も明かしていただく必要があるでしょうな」


 ホボイ油がゴマ油に似たものであるのなら、俺も是非ともそれは使ってみたいところであった。


「まあそれも、王都の方々がジェノスを出てからの話になるのでしょう。バルドという土地から届いた食材についても、また吟味したいところでありますな」


 ティマロの言葉にうなずきながら、俺は『ママリアの煮込み料理』という奇妙な料理を食させていただいた。

 ママリアというのは、果実酒や酢の原料だ。その本体が料理に使われるのを見るのは、これが初めてのことであった。


 ただし、ママリアは原型を留めていない。赤褐色をした果実のペーストとともに、野菜を煮込んだ料理であるのだ。これも動物性の出汁がきいていたが、具材に肉は見当たらず、10種類にも及ぼうかという野菜が入念に煮込まれている。


 味付けは、ブドウのような風味を持つママリアの酸味が主体だ。

 さらに、ママリアの酢も使われているのだろう。砂糖や蜜で甘さも加えられており、そして、わずかながらに土臭い苦みも感じられる。俺がカレーで使っているカルダモンのような香草を使っているのかもしれなかった。


 これも数ヵ月前であれば、ひと口目でぎょっとしていたかもしれない。それぐらい、複雑で馴染みのない味だ。

 ただ、具材を口にすると、それぞれ異なる印象が生じるのが面白い。チャッチやギーゴなどはあまりこういう酸味と相性がよくなさそうであるのに、意外と食べやすく、しっかり味のしみ込んでいるチャンなどは、なかなか奇天烈な仕上がりであった。


 みんなの様子をうかがってみると、若年組の2名はいくぶん涙目になってしまっている。ここに来て、苦手な味にぶつかってしまったようだ。それでも小皿に取り分けた分はきちんと完食して、「食べ物を残さない」という森辺の習わしを守っていたトゥール=ディンとリミ=ルウであった。


 そうしていよいよメインディッシュ、肉料理である。

 俺の料理は『ギバの竜田揚げ』で、ティマロの料理は『カロンの炙り焼き』であった。


 竜田揚げは、小麦粉ではなく片栗粉を使った揚げ物料理である。

 もちろん俺もフワノではなく、チャッチから抽出したチャッチ粉でこの料理を仕上げている。漬けダレで味をつけたギバのロースにチャッチ粉をまぶして、ギバのラードでカラッと揚げるのだ。


 これもまた、上物のソースでアレンジを加えることにした。

 俺が考案したのは、生姜に似た風味を持つケルの根を使ったソースであった。

 みじん切りにしたケルの根と、砂糖、タウ油、ママリア酢、ニャッタの蒸留酒を混ぜ合わせて、軽く煮込みながら、チャッチ粉でとろみを加える。油を切った竜田揚げにそれを掛ければ、完成だ。


 つけあわせはティノとアリアとネェノンの生野菜サラダで、そちらには清涼感のあるママリア酢ベースのドレッシングを使用している。


 森辺においても宿場町での商売においても、チャッチ粉の抽出が若干の手間であるので、『ギバ・カツ』や揚げ焼きほどの出番は生じないものの、人気のほどでは決して負けていない、自慢の料理であった。


「ううむ。こちらも格段に味がよくなっておりますな。ケルの根のように風味の強い食材を、見事に使いこなしているようです」


 ティマロも2名の助手たちも、感服しきった面持ちをしていた。

 それに御礼の言葉を述べながら、俺もティマロの肉料理を試食させていただく。


 一見は、何のへんてつもない肉の塊である。

 直径10センチぐらいの平たい俵型で、まるでハンバーグのような形状をしている。その上には、妙に鮮やかなグリーンをした香り高いソースが掛けられていた。


 かつての肉料理でも痛い目を見た経験のあるリミ=ルウは、またいくぶん眉尻を下げながら、その肉塊をつついている。

 すると、こんがりと炙り焼きにされた表面が破れて、そこからとろとろと大量の肉汁を噴出し始めた。


「わ、わ」と焦った声をあげながら、リミ=ルウが匙を突きたてる。

 すると、厚みが3センチもある肉塊が、それであっけなく分断されてしまった。


「わー、お皿が脂だらけになっちゃう!」


 リミ=ルウはいよいよ焦った声をあげながら、分断された肉塊をぱくりと口に投じ入れた。

 その小さな口がもにゅもにゅと肉を咀嚼をして、すぐに呑み込んでしまう。

 リミ=ルウは、きょとんとした顔でかたわらのレイナ=ルウを振り返った。


「ねー、こんなにいっぱい食べたのに、すぐなくなっちゃった」


「え? よく噛まないと、お腹を痛めるよ?」


 そのように述べながら、レイナ=ルウもリミ=ルウと同じ皿から、肉を食べた。

 その顔も、やがてリミ=ルウと同じ表情を浮かべる。


「本当だね。噛む必要があるのは表面の焼けたところだけで、中のほうは溶けちゃったみたい……この中身は、肉ではなかったのでしょうか?」


「いえ。そちらはすべてカロンの肉のみで作られておりますよ」


 ティマロは、ひくひくと鼻のあたりを動かしていた。レイナ=ルウたちの反応が、満足であったのだろう。

 同じ皿から料理を食べることのできない俺とトゥール=ディンは、あらかじめ真っ二つに切り分けてから、それをおたがいの小皿に運んだ。

 こちらも、油分の放出がすさまじい。切り分けた断面から、溶けた脂肪と肉汁がとめどもなくあふれてくるのだ。


 しかし、その肉塊を真ん中から断ち割ることによって、俺にはこの肉料理の正体が理解できた。

 これは、限界まで薄く切り分けたカロン肉を何重にも重ね合わせて形にした料理であったのだ。


 断面からは、紙のように薄い肉の層が見えている。

 その肉と肉の隙間から、脂と肉汁がだばだばとあふれているのだ。

 なおかつ、肉の中心部は鮮やかなピンク色で、かなりレアに仕上げられていた。


(すごいなあ。ハンバーグより、よっぽど手間のかかる料理だぞ)


 俺は匙でその肉を切り分けると、したたる油分を軽く落としてから、それを口にした。

 まずはソースで使われている香草の香りと、焼かれた表面の香ばしさが鼻に抜けていく。

 それを楽しみながら肉を噛むと、確かに表面の焼き色がついた部分以外は、するすると溶けていくような感覚があった。


 脂のインパクトも物凄いが、それもあまり後をひかずに、消失してしまう。以前にいただいた蒸し焼き料理のように、脂の塊を食べているような不快感も生じることはなかった。


「そちらの料理には、カロンの肩に近い背中の肉を使っております。これほど立派な肉を扱っている店は、城下町でもそうそう存在しないでしょうな」


「すごいですね。肉の味はしっかりしているのに、溶けるようになくなってしまいます」


「ええ。その食感を楽しんでいただくために、極限まで肉を薄く切り分けているのです」


 すると、残りの肉をぱくぱくと食べていたリミ=ルウが「これ、美味しいよ!」と声をあげた。


「ずーっと前にあなたが食べさせてくれたお肉の料理も脂がすごくて、おえーってなっちゃったんだけど、これは美味しいと思う!」


「……お気に召されたのなら、何よりですな。今回の炙り焼きも前回の蒸し焼きも、わたしにとっては優り劣りのない献立であるのですが」


 表情の選択に困った様子で、ティマロは中途半端に微笑んでいた。

 しかし、俺もリミ=ルウと同じ感想である。肉に無数の穴を空けて、それを脂の中に漬け込む、という調理法であった前回の蒸し焼き料理にはかなり辟易させられたものであるが、今回は上質の霜降り肉をいただいたような満足感を覚えている。ある意味、俺や森辺の民には、これがぎりぎりのラインの油分の豊かさであるのかもしれなかった。


 この料理でも、しっかり一人前を食べてしまったら、多少は胃にもたれてしまうかもしれない。カロンの脂は、ギバの脂よりやや重たいのだ。

 同じことを思ったのか、リミ=ルウは残りふた口ぐらいになったところで、その皿を背後のルド=ルウに差し出していた。

 指でつまんで食したルド=ルウは、「んー、まあ美味いかもな」と率直な意見を述べている。


「……菓子を除く5種の料理は、これで終了ですな。アスタ殿のお手並みは、実に見事であったと思います」


 やがてティマロは、真面目くさった表情と口調でそのように述べたてた。


「以前と同じ献立であったゆえに、アスタ殿がどれほど腕を上げたかも、はっきり感ずることができました。と、いうよりは、あの頃よりもさまざまな食材を使えるようになった恩恵が、はっきり感じられた、というべきでしょうかな」


「はい。あの頃と現在では、使える食材の量が倍以上になっているでしょうからね」


「……渡来の民たるアスタ殿は、我々の見知らぬ調理の道理をたずさえておられます。それと同時に、ジェノスで正しいとされる香草の扱い方については知識が不足しているように感じられますが……それらの理屈をすべてとっぱらって、料理の味のみを見定めたとしても、決して城下町の料理人に引けを取ることはないでしょう。それは、わたしが保証いたします」


 ティマロの言葉に、助手たちも小さくうなずいていた。


「たとえば本日、わたしとアスタ殿が味比べをしたとしても――勝負は、五分でしょうな。アスタ殿の料理の物珍しさが勝つか、城下町の民の好みをわきまえたわたしが勝つか……あるいは、料理を口にするのがシムやジャガルの民であった場合、わたしは大敗するやもしれません。わたしは、そのように思います」


「そ、そうですか……」


「ええ。わたしは城下町の民のために料理の腕を研鑽しておりますので、それを恥じる気持ちはありません。ただ、年若いアスタ殿に地力で負けているのではないか、と考えると、いささか胸がざわめくまでです」


 そう言って、ティマロはぐいっと頭をもたげた。


「ともあれ、わたしは全力を尽くしましたし、アスタ殿のお手並みにも感服させられました。ダイア殿の腕前を知る王都の方々からどのような評価が下されるか、楽しみなところでありますな」


 ティマロにとっては、そちらが本題であるのだろう。

 しかし、あのティマロにここまでの言葉をもらえるというのは、俺にとっても心強いことであった。


 そういえばティマロは、ヴァルカスが同席していた勉強会において、俺への対抗心を脇に追いやっていたような印象がある。今日のティマロは、ダイアという人物に対抗心の大部分を注いでいるのかもしれなかった。


「……では最後に、菓子の試食でありますな」


 ティマロの対抗心に燃えた目が、ぐりんとトゥール=ディンに向けられる。

 トゥール=ディンは、俺の横で「はい……」と縮こまっていた。


(……なるほど。ダイアって人に対する対抗心の余波が、トゥール=ディンに向いてしまったわけか。トゥール=ディンには、ちょっと気の毒だったな)


 俺がそんなことを考えている間に、調理助手の2名が菓子にかぶせられていた銀色のクロッシュを取り除いた。

 そこから現れたトゥール=ディンの菓子を目にしたティマロは、「何ですかな、これは?」と目を丸くしていた。

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