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異世界料理道  作者: EDA
第三十一章 波乱の幕開け
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緑の月の八日①~城下町に~

2017.11/28 更新分 1/1 ・2017.12/2 誤字を修正

 翌日の、緑の月の8日。

 俺たちは宿場町での商売を終えた後、その足で城下町に向かうことになった。

 かまど番は、俺、トゥール=ディン、レイナ=ルウ、リミ=ルウの4名。護衛役は、アイ=ファ、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティムの4名である。


 この日ばかりはドンダ=ルウも、屈強の狩人たちにギバ狩りの仕事を休ませることになったのだ。また、アイ=ファはアイ=ファで少し早い時間から森に入り、仕掛けた罠の確認だけを行う半休の日と定めて、約束の時間に合流してくれた。


 下りの二の刻を迎えて商売を終えると、残りのメンバーはライエルファム=スドラたちに護衛されて、集落に帰還する。それらの人々と別れを告げて、俺たち8名はいざ城下町を目指すことになった。


 ちなみに、いつも夜間の護衛役を果たしているダン=ルティムがガズラン=ルティムに差し替えられたのもまた、ドンダ=ルウの判断である。王都の貴族と相対するならば、すでにその人となりをわきまえており、また、沈着さと明晰さをあわせ持つガズラン=ルティムに同行させるべきだと考えたのだろう。


 いっぽうかまど番のほうも、精鋭部隊と評しても差し支えのない顔ぶれであった。

 なおかつ、この人選が決定された際、俺はこっそりユン=スドラに謝罪することになった。


「ごめんね、ユン=スドラ。明日の分の下ごしらえをしてもらうために、どうしてもトゥール=ディンかユン=スドラのどちらかは集落に居残ってもらいたかったんだ」


「え? アスタはいったい、何を謝っておられるのですか?」


「いや、だって、次に城下町に向かうときは、ユン=スドラを連れていくって約束しただろう?」


 俺がそのように申し述べると、ユン=スドラはたちまち耳まで赤くしてしまった。


「こ、このたびは貴族の言いつけで大事な仕事を果たしに行くのですから、話が違います。わたしにだってそれぐらいの分別はあるのですよ、アスタ」


「そっか。それならいいんだけど。《銀星堂》に連れていくことができなかったとき、ユン=スドラはとても怒っているように感じられたからさ」


「もう! アスタは意地悪ですね! それではまるで、わたしが聞き分けのない幼子のようではないですか」


 ひとしきり取り乱してから、ユン=スドラは最後に朗らかな笑みを浮かべていた。


「それに、以前にも言いませんでしたか? アスタの留守を預かるというのも、大事な仕事です。そのような仕事をまかされることだって、わたしにはとても誇らしいことなのですよ、アスタ」


 ユン=スドラは、そのように言ってくれていたのだった。

 それで俺は、心置きなく城下町に向かうことができた。


 なお、《キミュスの尻尾亭》の手伝いについても、本日はちょっと間に合いそうにないので、ルウ家に助力をお願いしている。シーラ=ルウと分家の女衆がその仕事に取り組み、ダルム=ルウやシン=ルウなどが護衛役を担ってくれるのだそうだ。


(ルウ家の人たちが全面的にバックアップしてくれてるから、普段の仕事のほうに問題はない。俺たちも、性根を据えてかからないとな)


 城門の前で荷車を乗り換えて、城下町の内部へと導かれながら、俺はこっそりトゥール=ディンの様子をうかがい見る。

 トゥール=ディンは、思いつめた面持ちで床の敷物を見つめていた。


 今回、名指しで呼びつけられたのは、俺だけではない。なんと、トゥール=ディンとリミ=ルウまでもが、菓子作りの腕前を示すべしと命じられてしまったのである。


 それはふたりが、かつて茶会で菓子作りの仕事を引き受けたためであった。

 なおかつ、ジェノス侯爵家がトゥール=ディンから菓子を買いつけているという話も、どこかから露見してしまったらしい。それで、本当に彼女たちはそれだけの腕を持っているのか、という疑いを向けられることになってしまったのだった。


「……大丈夫かい、トゥール=ディン?」


 俺がそのように呼びかけると、トゥール=ディンは「はい?」とびっくりまなこで振り返ってきた。


「いや、ずいぶん思いつめているように見えたからさ。もちろん、緊張するのが当たり前なんだけど」


「ああ、はい……いえ、大丈夫です。わたしはまだまだ未熟者ですが、もてる限りの力を見ていただこうと考えています」


 そう言って、トゥール=ディンは自分を力づけるように微笑んだ。


「もしもこれでオディフィアに菓子を届けることを禁じられたら、わたしは自分を許せなくなってしまいますから……何としてでも、王都の貴族という方々に納得してもらえるように、力を尽くします」


 どうもトゥール=ディンは日を増すごとに、オディフィアへの思い入れが強くなっている様子であった。

 しかしそれは、俺にはとても喜ばしいことであるように思える。というか、トゥール=ディンにお菓子をねだるオディフィアは、俺の目から見たって可愛らしく、いじらしかったのだ。あのオディフィアが涙を流す姿など、俺だって想像もしたくはなかった。


「そういえば、宿場町にいる連中は、城下町に呼び出されてねーんだよな?」


 と、リミ=ルウと楽しげに喋っていたルド=ルウが、ふいにそのようなことを言いだした。

 宿場町にいる連中というのは、きっとダグやイフィウスたちのことであろう。


「うん。屋台に料理を買いに来たとき、本人たちが言ってたよ。城下町で貴族を守る兵士っていうのは、彼らとは別に準備されてるんだってさ」


「ふーん。それじゃあ、あいつらよりも手練がいるかもしれねーってことだなー」


「どうなんだろうね。とりあえず、彼らの上官である部隊長っていう役職の人間はいるみたいだけど」


「あー、たぶんそいつは親父が言ってたやつだな。ガズラン=ルティムも、そいつとは顔をあわせてるんだろ?」


「はい。千獅子長のルイドという人物ですね。あれは確かに、傑物であるようでした」


 そのように述べてから、ガズラン=ルティムはがっしりとした下顎に手をやった。


「ですが……剣士としての力量というのは、どうでしょうね。父ダンから聞いた印象ですと、ダグやイフィウスといった兵士たちのほうが、腕は立つのではないかと思います」


「ふーん? でも、そのルイドとかいうやつのほうが、兵士の長なんだろ?」


「はい。剣士としてではなく、人の上に立つ指導者としての風格というものを強く感じました。何せ、千名の兵士を率いる長であるわけですからね」


「千名、か。でも、城下町に残りの800人がいるわけじゃねーんだろ?」


「はい。城下町に控えているのは、数十名といったところではないでしょうか。おそらく1000名の兵士の中から、よりすぐりの兵士を引き連れてきた、ということなのだと思います」


「へーえ。王都ってところには、いったい何人の兵士がいるんだろうな」


 その質問には、ガズラン=ルティムではなくジザ=ルウが答えていた。


「王都には、およそ十万の兵士がいるという話だ。真実かどうかは知れんがな、と父ドンダは言っていた」


「十万かよ! そんなの、想像もつかねーや!」


 ルド=ルウは、呑気に笑っていた。

 いっぽうで、アイ=ファはいよいよ張り詰めた面持ちになってしまっている。

 それを少しでも緩和するべく、俺は聞きかじりの情報をもたらしてみせた。


「大丈夫だよ。王都の軍勢は、ひっきりなしにマヒュドラやゼラド大公国と戦をしているから、トトスでひと月以上もかかるジェノスにそんな大軍を割く余力はないって、ザッシュマが言っていたんだ。だから今回も、200名ていどの兵士しか連れてこられなかったらしいよ」


「ふん。その200名でも、十分に厄介だがな」


 アイ=ファがそのように答えたとき、荷車が停止した。

 後部の扉が、城下町の衛兵の手によって引き開けられる。


「到着いたしました。足もとに気をつけてお降りください」


 かまど番と狩人がペアとなって、外界へと降り立つ。

 そこで待ち受けていたのは、ずいぶんひさびさとなる貴賓館――元トゥラン伯爵家の邸宅である。


 黄色みがった屋根が印象的な、煉瓦造りの巨大な建物だ。

 本日、俺たちは、この場所で王都の貴族たちを迎え撃つのだった。


「お待ちしておりました、森辺の皆様方。本日は、わたくしがご案内させていただきます」


 そうして邸内に足を踏み入れると、ダレイム伯爵家の侍女シェイラがぺこりと頭を下げてきた。

 その目がアイ=ファをとらえると、こらえかねたような笑みが浮かべられる。


「……どうもおひさしぶりでございます、アイ=ファ様。その後、お変わりはないでしょうか?」


 気の張っているアイ=ファは、「うむ」としか答えなかった。

 しかしその毅然とした振る舞いだけで、シェイラは満足したようである。アイ=ファの凛々しい横顔をうっとりと見つめてから、シェイラはあらためて俺たちのほうに向きなおってきた。


「それではまず、浴堂にご案内いたします。こちらにどうぞ」


 その風習も、俺たちにはいささか懐かしいものであった。

 ガズラン=ルティムとこの場を訪れるのは、おそらく初めてではないだろうか。


「……今のところ、王都の人間は見当たらないようですね。屋敷を守っている兵士たちも、すべてジェノスの人間であるようです」


 ヨモギのような香りのする蒸気の中で、裸身となったガズラン=ルティムがそんな風に述べていた。

 当然というか何というか、立派すぎて羨む気にもなれないような、逞しい体格である。どっしりとしているのに、鈍重そうな感じはまったくしない、野生の獣のようにしなやかで研ぎ澄まされた肉体であった。


「今日は、ジェノス侯爵マルスタインも立ちあうそうだな。父ドンダもマルスタインの真情をはかりかねているようだが、ガズラン=ルティムはどのように考えているのだ?」


 同じく裸身のジザ=ルウが問いかけると、ガズラン=ルティムは「そうですね」ともの思わしげに目を伏せた。


「おそらく、ジェノス侯爵は……ジェノスの安寧こそを一番に考えていることでしょう。そのために最善の道を探しているさなかなのだろうと思います」


「ジェノスの領主であるならば、それは当然の話だな。問題は、ジェノスの安寧を守るために、我々の存在をどう扱うかだ」


 笑っているように見える目つきはそのままに、ジザ=ルウは厳しい表情をしている。


「ジェノスを守るために、マルスタインが森辺の民を裏切るのではないか……グラフ=ザザなどは、その一点を危惧しているらしい」


「ジェノス侯爵は波風を立てないように息をひそめているようにも見えますので、グラフ=ザザにとってはそれがもどかしく感じられてしまうのではないでしょうか。私はまだ、ジェノス侯爵自身も道を決めかねているのだろうと考えています」


「そうか。願わくは、我々の君主として相応しい器量を見せてもらいたいものだ」


 なんとも深刻げな両名を横目に、俺とルド=ルウは大人しく垢擦りに励んでいた。


「なー、王都の貴族って、どんな連中なんだろうな?」


「どうなんだろうね。俺には想像もつかないよ」


「ひとりは酔っ払いで、もうひとりは兵士の長だろ。あともうひとり、腹の読めないおっさんがいるって話なんだよな」


 正確には、視察団の責任者というのは2名であるらしい。そこに、部隊長であるという人物もふくめての3名が、族長たちとの会談に臨んでいた、という話であったのだ。

 そして本日は、その3名に加えて、マルスタイン、メルフリード、ポルアースのために料理を作るべし、と俺たちは命じられていた。


(メルフリードとポルアースは気心も知れているけど、マルスタインっていうのはつかみどころがないんだよな。カミュアの言う通り、大したお人ではあるんだろうけど……実際、この騒ぎをどうやって切り抜けるつもりなんだろう)


 そうして身を清めたのちに、女衆と合流して、俺たちは浴堂を後にした。

 煉瓦造りの回廊を歩かされて、次に向かうのは、いよいよ厨だ。

 大きなほうの厨に案内されて、そこの扉をくぐると、そこにはまたちょっと懐かしい人物が待ち受けていた。


「おや、ご到着ですか。本日はどうぞよろしくお願いいたします、アスタ殿」


「はい。どうぞよろしくお願いいたします、ティマロ」


 かつてのトゥラン伯爵家の副料理長にして、現在は《セルヴァの矛槍亭》の料理長たる、ティマロである。

 痩せているのに、ぽこんとお腹だけが膨らんだ、のっぺりとした面立ちの人物だ。彼と顔をあわせるのは、たしか黒フワノや珍しい食材の勉強会以来であった。


「このたびは、なかなか厄介なお話になってしまったようで、まったくお気の毒なことですな」


「ええ、そうですね。……やっぱりティマロも、王都の方々に呼びつけられたりしたのでしょうか?」


「それはまあ、わたしはアスタ殿がこの屋敷に留められていた間、トゥラン伯爵家でお世話になっていた身ですからな。その頃は、アスタ殿とお顔をあわせる機会もありませんでしたが」


 非常に柔和な表情を保ちつつ、目のあたりはあまり笑っていないティマロである。


「そのときも、のちの晩餐会においても、わたしはアスタ殿の前に膝を屈する結果となっておりました。それは正当な評価であったのかと、王都の方々にさんざん問い詰められることになったのですが……評価を下したのは貴族の方々なのですから、わたし自身にそれを問われましてもね。なんというか、ふさがった傷口に針でもねじ込まれたような心地でありましたよ」


「ああ、ええと、それはその……まことに申し訳ない限りです」


「かまいませんよ。リフレイア姫を筆頭とする貴族の方々が、アスタ殿の料理のほうが優れているとお認めになられたのは事実なのですから」


 そうしてティマロの目が、また異なる光をたたえて、レイナ=ルウたちのほうに向けられる。


「それで……トゥール=ディンというのは、あなたのことでありますかな?」


「え? いえ、トゥール=ディンは、こちらです」


 レイナ=ルウの指し示す方向を見て、ティマロはぎょっとしたように目を丸くする。


「あなたが、トゥール=ディン……? そうでしたか。まさか、トゥール=ディンという御方がこれほど若年であるとは思いもしませんでした。一度は顔をあわせているはずであるのに、大変失礼いたしましたな」


「あ、いえ……あの、どうもおひさしぶりです……」


 この場にいる3名は、かつて城下町の勉強会でティマロとは顔をあわせていたのだ。

 レイナ=ルウとリミ=ルウもあらためて名乗りをあげると、ティマロはうやうやしく一礼した。


「あらためまして、《セルヴァの矛槍亭》にて料理長をつとめる、ティマロと申します。……そうですか、あなたがトゥール=ディン殿でありましたか」


「は、はい……あの、わたしが何か……?」


「いえ、ジェノス侯爵家の姫君があなたの菓子に夢中になられていると聞き及び、わたしは感服していたのです。また、あなたとリミ=ルウ殿は茶会の味比べでもアスタ殿に勝利されていたというお話でしたからな」


 口調や物腰の丁寧さはそのままに、ティマロはくいいるような眼差しでトゥール=ディンを見つめていた。

 トゥール=ディンは俺の背中に隠れたいのを必死に我慢しているように、もじもじと身をよじっている。


「いや、それは感服に値することであるのですよ。ジェノス侯爵家ともなれば、ジェノスで最高の料理人を召抱えておられるのですからな。そうであるにも拘わらず、わざわざあなたの菓子を買い求めるというのは、生半可なお話ではありません」


「ジェ、ジェノスで最高の料理人、ですか……?」


「ええ。ジェノス城の料理長、ダイア殿ですな。このジェノスにおいては、ヴァルカス殿やミケル殿と並べられて、三大料理人と評されていた御方です」


 三大料理人という名称は、俺もどこかで聞いたような覚えがあった。


「ミケル殿が身を引かれた現在は、ダイア殿とヴァルカス殿がジェノスの料理人の双璧とされています。そんなダイア殿の作られる菓子を差し置いて、オディフィア姫はあなたの菓子を求めておられるということなのですよ」


「そ、そのお人は、ヴァルカスにも負けない料理人なのですか……?」


「そうですな。ダイア殿はジェノス城の料理長であり、ヴァルカス殿はかつてのトゥラン伯爵家の料理長であったのです。それを考えれば、ダイア殿のほうが一歩抜きん出ている、とすら言えることでしょう。まあ、伯爵家の副料理長に甘んじていたわたしがそのようなことを述べても、滑稽なだけでありますけれどもね」


 なんとなくその口ぶりからして、ティマロはヴァルカスよりもダイアという人物のことを高く評価しているように感じられた。

 そんな風に考えていると、ティマロがぐりんと俺のほうに向きなおってくる。


「そしてまた、王都の視察団の方々は、今日までジェノス城で歓待されていたのです。それはつまり、毎日ダイア殿の作られる料理をお食べになられていた、ということになりますな」


「は、はい。そうなのですね」


「アスタ殿は、その意味を正しく理解されておられるのですか? わたしたちは今日、ダイア殿と腕を比べられるようなものなのです。これはよほど気を引きしめてかからないと、物笑いの種にもなりかねないところでありましょう」


 何か今日のティマロはいつもと様子が違うなと思っていたが、それは彼が気合をみなぎらせていたゆえなのかもしれなかった。


 今日のティマロは、俺の料理と腕前を比較されるために呼びつけられてしまったのである。俺の料理は、ジェノスの城下町の料理人と比べても、本当に互角以上の出来栄えであるのか、それを確かめるための、いわば当て馬に任命されてしまったのだった。


「あなたがたの境遇には同情の念を禁じませんが、わたしもわたしで料理人としての矜持を保たねばならないのです。全身全霊をもって、本日の仕事に取り組ませていただきます」


「はい。俺もそのつもりです。おたがいに、最善を尽くしましょう」


 ティマロは、大きくうなずいた。


「……そして、アスタ殿にご提案があるのですが、聞き届けていただけるでしょうかな?」


「はい? どういったお話でしょう?」


「以前のように、おたがいの料理を試食し合いたいのです。アスタ殿はこの数ヵ月で、たいそう腕を上げられたという評判でありましたからな」


「ええ、ギバ肉は余分に持ってきましたので、ティマロおひとりの分でしたら、問題はないと思います」


「それでは、よろしくお願いいたします。……トゥール=ディン殿の菓子も、是非」


 と、ティマロが勢いよく振り返ったので、油断をしていたトゥール=ディンは「ひゃうう」とあわれげな声をあげてしまった。

 そして、我慢の限界を超えた様子で、俺の衣服の裾をつまむと、「しょ、承知いたしました……」と、蚊の鳴くような声で応じる。


「ありがとうございます。では、またのちほど」


 ティマロは一礼して、自分の仕事場に戻っていった。

「けったいなおっさんだなー」と、ルド=ルウは頭の後ろで手を組んでいる。


「悪い人ではないんだけどね。どうも競争心が旺盛みたいで……トゥール=ディンも、心配はいらないからね?」


「は、はい、すみません……何だかあの、目つきが怖くって……」


「きっとそれだけトゥール=ディンの腕前に関心があるっていうことだよ。あのお人もジェノスでは指折りの料理人なんだから、光栄なことさ」


 何にせよ、俺たちが気にするべきはティマロではなく、王都の貴族たちであるのだ。

 俺は小動物のように怯えるトゥール=ディンを励ましながら、自分の仕事を果たすことにした。

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