⑥金髪の守護人
2014.9/8 更新分 2/2
2014.9/9 誤字修正 2015.4/5 誤字修正
「いやあ、穏便に済んで何よりだったねえ?」
衛兵たちとドッド=スンが消え去った後も、何故かカミュア=ヨシュと名乗る奇妙な人物は、消え去らなかった。
消え去らずに、何故か俺たちと膝を突きあわせている。
場所は、もともと俺たちが腰を据えていた、屋台と屋台の間の空き地である。
仏頂面のアイ=ファと困惑顔の俺にはさまれながら、そいつはやっぱりのんびりと笑っていた。
「……窮地を救っていただいた件については、礼を述べさせていただく」
と、アイ=ファはとても気の進まぬ様子で、気持ちばかり頭を下げた。
「固いなあ」と男は笑う。
「別に何も助けちゃいないよ。俺は見たまんまの出来事を語って聞かせただけのことさあ。西の神セルヴァの民として、当然のことをしただけだろう?」
俺たちは、衛兵の詰め所とやらには連行されずに済んだ。
連行されたのはドッド=スンだけだが、やつにも処罰が下されるわけではない。
『まあ、いいんじゃないの? 森辺の民が不埒な真似に及んで、同じ森辺の民がそれを掣肘してくれた。刀を抜いてしまったのはちょっとあれだけど、何も話を大きくする必要はないんじゃないかな?』
カミュア=ヨシュの言葉に従う格好で、さっきの荒事は幕を閉ざされてしまったのである。
ドッド=スンが連れていかれたのは、酔いを覚ますという口実で、一時的に身柄を預かられたに過ぎない。
「だからお前らはとっとと森辺に帰れ」と衛兵たちの目は強く訴えかけていた。
なのにこうして帰りもせずに、初対面のあやしげな男と膝を突き合わせてしまっている。
「あの……あなたも何か大事な用事があったんじゃないんですか?」
「うん? ああ、ジェノス侯のこと? 嘘だよ、嘘。約束があるのは本当だけど、晩餐に顔を出せって言われてるだけだから、全然時間に余裕はあるんだ」
やっぱり、食えない男である。
やたらと細長い顔に食えない笑みを浮かべながら、男はひょいっとかたわらに目を動かした。
「それにしても、大変な騒ぎだったねえ。お嬢ちゃん、どこにも怪我はなかったかい?」
「うん! このおにいちゃんが助けてくれたから!」
もちろんそのおにいちゃんとは俺のことであり、発言しているのは、さっきのターラとか名乗っていた小さな女の子である。
ターラも、消え去っていなかったのだ。
消え去らずに、もぎゅもぎゅと肉饅頭を頬張っている。
ドッド=スンたちに踏み潰されてしまった肉饅頭の代わりに、カミュア=ヨシュが買い与えたものだ。
「ああ、そうそう、それからこいつも――」と、長マントの内側に手を突っ込む。
そこから魔法のように取り出されたのは、果実酒の土瓶だった。
骨ばった指先でそいつの栓をぬき、一口ぐびりと飲んでから、また栓をしめてアイ=ファのほうに差し出してくる。
「ご覧の通り、毒は入っていない。よかったら、もらってもらえないかな?」
「……あなたに施しを受けるいわれはない」
「固いなあ! 我が身もかえりみず宿場町の秩序と森辺の掟を守ったその姿に感動して!っていうのは、理由にならない?」
アイ=ファは、ものすごく嫌そうな顔をした。
男はにこやかに笑いながら、隣りの女の子の小さな頭をポンポンと叩く。
「このターラだって同じことさ。この子が勇気を振り絞って自分の恩人を助けようとする姿に感銘を受けたからこそ、キミュスの肉饅頭をご馳走する気になったんだ。……美味いかい、ターラ?」
「うん! ありがとう、おじちゃん!」
「おじちゃんか……そりゃまあ確かに、もうすぐ30だけどねえ」
まだ30前なのか。ちょっと驚きだ。
しかし確かに、その伸び放題の無精髭を何とかすれば、けっこう若い顔立ちに……いや、ならないか。飄々としたその表情やふるまいは、おっさんくさいというよりもちょっと老人めいている。
「で? どう? 受け取ってはもらえないかい? ……それとも、あの荒くれ者の罪を問えなくしちゃったのは不本意だったかな? あれがスン家の人間だったら、事を大きくしないほうがいいのかなとか思ったんだけど」
その言葉にまた驚いた。
この男は、森辺の情報にまで通じているのか?
「うん? 何かおかしいかな? モルガの森辺ってのは俺にとって未踏の領域だけれども、それを掌握している族長筋の名前ぐらいは聞いているよ。俺はけっこうこの宿場町が好きだから、森辺の民を見かけることも少なくないしね。……ただ、こうして口をきいたのはこれが初めてだ」
と、細長い鼻の下で、大きな口がにんまりと笑う。
「それがこんなに美しい女狩人であったというのは二重の喜びだ。その美しさに敬意を示すためにも、この果実酒はぜひ受け取ってほしいんだけれども」
俺はおそるおそるアイ=ファの表情をうかがった。
ああ、憮然を通りこして、鼻の頭にしわが寄りかけている。
「あれ? 何か気分を害することを言ってしまったかな? 別にその外見だけを褒めたたえているのではなく、その気高い行動もふくめて美しいと賞賛しているのだけれどもねえ」
「…………」
「駄目か。……それじゃあ、君はどうだろう?」
「は、はい?」
「この『北の旋風』ことカミュア=ヨシュより先んじてターラの危機を救った君に敬意と賞賛を評したい。受け取ってもらえるかなあ?」
とても受け取れる雰囲気ではない。
ところできたのせんぷうって何ですかね。
「ああ、仲間内での呼び名だよ。西でこの髪の色は珍しいんだろうねえ。……俺は、北の生まれだからさ」
その言葉で、アイ=ファの表情が少し変わった。
まだいくぶん険しさを残した山猫のような目が、真正面から男をねめつける。
「あなたは……北の王国マヒュドラの生まれなのか、カミュア=ヨシュ」
「カミュアでいいよ。……というか、俺はまだ君たちの名前を聞いていないんだよねえ。嘘でもいいから、教えてくれないかい?」
だから、そういう物言いがアイ=ファの神経を逆なでしてしまうのだろう。アイ=ファは眉を吊りあげながら、「ファの家のアイ=ファだ」と言い捨てた。
「あー、俺はファの家の家人アスタです」
「アイ=ファとアスタか。いい名前だ。……そう、俺は北の生まれだよ。母親がマヒュドラの生まれで、父親はセルヴァの生まれ。もう100年の昔からいがみあって関係を修復できずにいる北と西の混血児ってわけさ。幼い頃は北で過ごして、母を亡くしてからは西で過ごした。まあ、こんな生まれでまともな仕事にはつけないから、腕ひとつで生きていける『守護人』の仕事を生業にしたわけだ」
男のかたわらには、少し細身だがずいぶん刀身の長い刀が、無造作に置かれている。
「そういえば、君の髪は俺とよく似た色をしているね、アイ=ファ」
と、紫がかった瞳が、ちょっとまぶしそうに細められながら、アイ=ファを見る。
「森辺の民っていうのは、南から西に逃れてきた民の末裔だと聞いている。遠く離れた北と南で血が混ざる道理はないと思うんだけど、その髪に何か由来はあるのかな?」
「……特別な由来など、何もない。森辺ではときどきこういう髪の色の人間が生まれる。私の母も、同じ髪の色だった」
「そうなのか。俺の母も俺と同じ髪の色をしていたよ」
カミュアはにこりと無邪気に微笑み、アイ=ファはうるさそうにそっぽを向いた。
何となく――いつもと様子が違うな、と思った。
「だから俺は、以前から森辺の民に興味があったんだ。生の途中で魂を捧げる神を乗り換える、そんな境遇にある人間はなかなかいないからさ。こちらが一方的に仲間意識を抱いてしまっていたわけだ。だから、最初に口をきいた森辺の民が、君のような人間であったことを喜んでいるんだよ、俺は」
「…………」
「それで、俺たちに何か用事でもあるんですか、あなたは?」
調子の出なそうなアイ=ファに代わって、俺が口をはさむことにする。
「危ないところを助けていただいたのは非常に感謝しているんですが、俺たちも森辺で仕事が待っているんです。できれば、そろそろ帰らせていただきたいんですが……」
「そうなのかい? 残念だなあ。それじゃあ、先に用件を済ませてしまおうか。……実は今度、ジェノスの商団を東の王国まで守護する仕事が入っているんだけど。その際に、森辺の集落を通過させてほしいんだ」
俺はたいそう驚いたが、アイ=ファの反応は冷ややかなものだった。
「……そのような仕事は、すべて族長筋のスン家が仕切っている」
「うん。もちろんそいつは承知しているさ。だけど今日、そのスン家のご子息と不幸な出会い方をしてしまったから、彼らに頼む気が失せてしまった。やっぱりあの連中は、信用ならない」
虫も殺さぬ顔をして、実にあっさりとカミュアはそう言った。
「いやあ、実は以前からジェノス侯には忠言していたんだよ。宿場町で騒動が起きるときは、いつもスン家がからんでいるじゃないかってね。頑なで、規律を重んじ、そして閉鎖的な森辺の民において、スン家ばかりがこんなにも無頼で開放的なのは、何か侯の側にも問題があるのではないか、と……」
「スンの家を堕落させたのは、石の都の住人だ」
アイ=ファの声が、カミュアの声を断ち切った。
その瞳に、青い火がわずかに燃えている。
「都の連中は、スンの家に富を与えた。それでスン家の人間は森辺の民の誇りを捨てて、まともにギバを狩らなくなった。酒に溺れ、怠惰に過ごし、色事にうつつを抜かしているのだ。すべては……都の人間の責任だ」
「富というのは、3月に1度の褒賞金のことかな? そんなものは、微々たる額であったはずだけど……」
「だからスン家は、その富を独占した。その富でもって遊び惚けて暮らしているのだ」
その場で一番驚いているのは、たぶん俺だっただろう。
肉饅頭を食べ終えたターラはきょとんとしていたし、カミュアはさもありなんといった面持ちでうなずいている。
「まあ、そのようなことだろうとは思っていたよ。ギバの脅威からジェノスの領土を守っている森辺の民への褒賞だというのに、勤勉に働いている民たちには還元されず、遊び惚けている族長筋の人間だけが甘い汁を吸っているというわけか。……それでよく動乱などが起きないものだね?」
「石の都の施しなど必要ない。私たちは、私たちが生きるためにギバを狩っているのだ」
「清廉で潔白だ! ……だけどやっぱり、固いよなあ」
今度はちょっと苦笑気味に笑い、カミュアは金褐色の蓬髪をぼりぼりとかきむしった。
「もしも君たちが森辺に規律を回復させたいと願っているなら、もしかしたらこの俺が力になってあげられるかもしれないよ?」
「…………」
「もちろん、やみくもにスン家を弾劾すればいいというだけの話ではない。何だかんだ言って、森辺を統率しているのはスン家なのだからね。族長筋を失った森辺の民たちが、ギバを狩る力を失ってしまったら一大事だ。またモルガの森にはギバがあふれかえり、多くの田畑が喰い潰されてしまうだろう。……だからジェノス侯もスン家の堕落には薄々カンづきながらも、思いきった方策が取れずにいるのだよ」
「…………」
「そこで質問だ。……仮にスン家の力が失墜したとして、そのあと森辺を統治できるような力を持つ氏族などは存在するのかな?」
もちろん俺の頭の中には、唯一スン家に対抗しうるというルウ家の存在が浮かびあがっていた。
しかしアイ=ファは、口を開こうとしない。
むしろその瞳は、どんどん険悪な光を浮かべ始めている。
「何せ都と森辺はスン家を通じてしか交流をもっていないから、スン家に都合の悪い情報はすべて遮断されてしまっているんだよ。なおかつお城の連中は、なかなかあの石の壁から顔を見せようともしないからねえ。……こうなってくると、市井の人間でありながらジェノス侯の知己を得ている俺と、スン家と親しからぬ君たちとの出会いは、森辺と都をつなぐ新たな架け橋の礎にもなりうるのではないかなあ?」
「そんなことをして、あなたに何の得があるっていうんですか?」
俺の問いかけに、カミュアはまた笑う。
「損得というか、俺も、君たちも、同じ西方神セルヴァの民だろう? 言ってみれば、同胞だ。困ったときには助け合うのが当たり前じゃないか」
「…………」
「とまあそいつは建前で。さっきも言った通り、俺は森辺の民に一方的な仲間意識を抱いていたわけだが。それは君たちのように清廉な人間に抱いていた意識であり、昼間から飲んだくれてギバを狩ろうともしない怠け者に敬意なんて払う気はしない――ってところかな」
わからない。
心にもないことを言っている――とは思えないのだが。俺にはこんなすっとぼけた男の内心を読み解くことなどはできそうになかった。
そして、アイ=ファは――
今やはっきりと、その瞳に拒絶の激情を燃やしてしまっていた。
「カミュア=ヨシュ。あなたは、石の都の人間だ。都の人間が、スンの家に弓を引こうというのなら――あなたは、森辺の民の敵だ」
「それが、堕落した裏切りのスン家であっても?」
「スン家に罰が必要ならば、それを与えるのは森辺の民だ。森辺の恥は、森辺で粛清する。そして――スン家の人間を堕落させたのは、都の人間だ」
叩きつけるように、アイ=ファは言った。
「石の都の住人は……信用できない」
あの、燃えるような狩人の眼光だ。
しかし、それでもカミュア=ヨシュは――まだゆったりと笑っていた。
「清廉で、潔白だ。……やっぱり君は美しいね、アイ=ファ」
「……私を愚弄するのか、あなたは?」
「美しいという言葉がなぜ愚弄になってしまうのだろう? ――ああほら、ターラが怯えてしまっているじゃないか」
ハッとしてそちらを振り返ると、確かにターラはカミュアの腕に取りすがって、ガタガタと震えてしまっていた。
「しかたがない。今日のところは、ここまでにしておこう。うかうかしていると、スン家のご子息がひょっこり姿を現しかねないからね」
「……今日を限りに、明日も明後日もない」
「それはどうだろう。機会は待つものではなく作るものだ」
そう言って、カミュア=ヨシュは右手に長剣、左手に少女の手を取りながら立ち上がった。
「アイ=ファにアスタ。今日は君たちに出会えて良かった。この出会いを祝してその果実酒は置いていくから、用がなかったら大地に返してやってくれ。……では、また」