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異世界料理道  作者: EDA
第三十一章 波乱の幕開け
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緑の月の三日①~さらなる不運~

2017.11/10 更新分 1/1

 ライエルファム=スドラの申し出は、無事に受け入れられることになった。

 本日からは、スドラ家の4名と、リャダ=ルウとバルシャ、合計6名が護衛役として同行することになったのだ。


 もともと屋台で働く人間だけで14名もいたので、そこに6名が加わると、3台の荷車でも定員オーバーである。組立屋のご主人には1台に7名ぐらいまでは許容範囲と言われていたが、人員の他にも大量の料理や調理器具を積載していたので、大事なトトスたちに無理をさせるわけにもいかなかった。


 ということで、荷車は毎日4台を使用することになった。

 ファの家は金の月に3台の荷車を新たに購入していたし、ルウ家のほうでもレイとルティムがもともと所有していたトトスに引かせるための荷車を購入していたので、さしあたって問題はない。俺たちは、その日も気持ちを引き締めて宿場町に下りることになった。


 そうして待ち受けていたのは、昨日以上に憔悴したテリア=マスである。

 テリア=マスは昨日以上に青ざめた顔をしており、しかもその目を赤く泣きはらしていたのだった。


「ど、どうしたのですか、テリア=マス? また王都の兵士たちが騒ぎでも起こしたのですか?」


「いえ、大したことではありません。アスタたちはお気になさらないでください」


 テリア=マスは、それでも気丈に微笑んでいた。

 しかし、そのような姿で微笑まれても、痛々しさがいや増すばかりであった。


「とうてい何もなかったとは思えません。テリア=マス、わたしたちでよければ何でも遠慮なく相談してください」


 そのように声をあげたのは、俺と一緒に裏手の倉庫へと案内されていたシーラ=ルウであった。


「わたしたちは、友ではないですか? テリア=マスのそのように打ちひしがれた姿を見せられて、捨て置くことなどはできません」


「でも……」と、テリア=マスはうつむいてしまう。

 すると、横合いから小さな人影がひょこりと現れた。


「昨晩も、王都の兵士たちが騒ぎを起こすことになったのですよ。ただ、彼らに責任のある話だとは言いきれないのが、非常に残念なところです」


 それは、昨日の昼から姿を隠していたレイトであった。

 護衛役として追従していたライエルファム=スドラが、「おい」と鋭く声をあげる。


「気配を殺して俺たちに近づくな。危うく刀を抜きかけてしまったではないか」


「それは失礼いたしました。あなたがたこそ見事に気配を殺されていたので、僕も姿を現すまで狩人の方々がご一緒とは思っていませんでした」


 レイトは、今日もにこにこと笑っていた。

 ただ、その瞳には普段といささか異なる光がちらついているように感じられなくもなかった。


「昨晩はですね、王都の兵士たちにうっかり生焼けの肉を出してしまったのですよ。ね、テリア=マス?」


「レ、レイト、そのような話を森辺のみなさんにお聞かせしても、しかたがないでしょう……?」


「そんなことはありませんよ。王都の兵士たちがどういった存在であるかを知るためには、どのような話でも無駄にはならないはずです」


 そう言って、レイトは俺とシーラ=ルウの姿を見比べてきた。


「ミラノ=マスが動けなくなってしまったために、普段は給仕の仕事を手伝っている娘さんが、厨の仕事を手伝うことになったのですね。だけどその娘さんはあまり厨の仕事を得意にしていなかったので、うっかりギバ肉の料理を生焼けで出してしまったのです」


「なるほど。それで、王都の兵士たちが怒ってしまった、というわけかい?」


「ええ。兵士たちは、それなりにお酒も入っていましたしね。……お前たちは、王都の兵士に生焼けの肉を食わせて病魔を呼び寄せるつもりか、それは王国に対する叛逆行為だ、などといって、それはもうたいそうな剣幕でありましたよ」


「……実際に生焼けの肉を出してしまったのはこちらなのですから、返す言葉もありません。すべては、わたしの責任です」


 そのように述べてから、テリア=マスはレイトに向かって力なく微笑みかけた。


「でも、レイトが騒ぎを収めてくれたので、椅子や卓を壊されることなどはありませんでした。本当にありがとうね、レイト」


「え? レイトもその場に居合わせたのかい?」


「はい。居合わせたというよりは、僕も給仕の仕事を手伝っていたのですよ」


 俺は、きょとんと目を丸くしてしまった。

 レイトは笑顔のまま、小首を傾げている。


「何かおかしいですか? 僕はカミュアの弟子になるまで、《キミュスの尻尾亭》でお世話になっていたのです。少しぐらいは、給仕の仕事を手伝った経験もあるのですよ」


「いや、ちょっと意外に思っただけだよ。レイトはレイトで忙しそうだったからさ」


「ええ。昼間はカミュアのお使いであちこち飛び回っていますからね。でも、日が暮れてからはやることもないので、《キミュスの尻尾亭》の仕事を手伝おうと思いたったのです」


 そう言って、レイトは長めの前髪を神経質な仕草でかきあげた。


「王都の兵士たちも、酒さえ入っていなければ、それなりの規律を保っているようなのですけどね。酒が入ると、本性があらわになってしまうようです。……あんな浅ましい姿を見せつけられてしまうと、酒なんて一生口にはしたくないと思わされてしまいますね」


「えーと、レイト……ひょっとしたら、君は怒っているのかな?」


 俺がそのように問いかけると、レイトはいっそうにこやかに微笑んだ。


「くどいようですが、僕は《キミュスの尻尾亭》で育ててもらったのです。そこで王都の兵士たちに好き勝手な真似をされて、楽しいと思えるわけがありますか?」


「おい、おかしな気配を撒き散らすな。そんな若さで恐ろしいやつだな、お前は」


 ライエルファム=スドラが、再び仏頂面で口をはさんだ。

「申し訳ありません」と、レイトは一礼する。


「彼らは昨日、アスタたちの屋台を訪れたそうですね。どうやら彼らは、宿場町を徘徊してさまざまな情報を集めているようです。おそらくは、ジェノスの貴族や森辺の民に対して、宿場町の民がどのような思いを抱いているのか、それを調べあげようとしているのでしょう。きっと近日中には、トゥランやダレイムにまで足を向けるつもりなのでしょうね」


「なるほど。兵士たちもただ待機しているわけじゃないってことか」


「ええ。先日もお伝えした通り、くれぐれも短慮だけはおつつしみください。それから、アスタ――」


 そのように言いかけて、レイトはいささか不自然な感じで口をつぐんだ。


「何かな? 何か忠告をいただけるなら、ありがたいけど」


「いえ。僕から言えるのはそれだけです。ただ、あとで屋台の料理を買わせていただきますね」


「屋台の料理を? それはもちろん、大歓迎だけど」


「ありがとうございます。ミラノ=マスは誰よりもやきもきしているでしょうから、アスタたちの料理を届けて、少しでも元気づけてあげたいのです。……もちろん、テリア=マスの分も買ってきますからね」


「ありがとう。嬉しいわ、レイト」


 テリア=マスは何も気づかなかったようであるが、おそらくレイトは別の話をしようとしていたはずだ。

 それはのちほど、屋台を訪れたときに話そう、と心を変えたのだろうか。何にせよ、ここでそれを問い詰めても、レイトが素直に心情を打ち明けるとは思えなかった。


「それで、テリア=マス、さきほどのお話なのですが――」


 俺がそのように言いかけると、テリア=マスは「いいえ」と首を横に振った。


「どうかアスタたちは何もお気になさらないでください。これぐらいのことでへこたれていたら、宿屋の仕事などつとまりません。……シーラ=ルウも、本当にありがとうございます」


「テリア=マスは、本当に大丈夫なのですか?」


 心配げに眉をひそめるシーラ=ルウに、テリア=マスは「はい」と気丈な微笑みを返す。

 俺とシーラ=ルウは目を見交わしたが、けっきょくそれ以上は言葉を重ねることができず、借りた屋台とともに露店区域に向かうことになった。


(レイトがいるなら、テリア=マス自身に危ないことはないかもしれないけど……でも、やっぱり心配だな)


 内心の煩悶を押し殺しながら、俺たちは屋台の準備に取り組んだ。

 客足のほうに、大きな変わりはない。ただ、ほんの少しだけ、往来から人が少なくなったように感じられる。


「そりゃあ、あれだけ大勢の兵士が押し寄せてきたら、たとえ後ろ暗いところはなくても逃げていっちまうやつはいるさ。何か厄介事にでも巻き込まれたら、自分の損になるだけだからな」


 そのように説明してくれたのは、やはりアルダスであった。

 ジェノスに来訪して3日目となり、早くも常連客の貫禄である。


「ま、そういう連中はお隣のダバッグやベヘットにでも逃げ込んでるんじゃないのかね。で、ほとぼりが冷めたら、また舞い戻ってくるだろうさ。ジェノスで仕事のある俺たちはそういうわけにもいかないし、最初からそんな真似をする気もないがね!」


 どうやら《南の大樹亭》では大きな騒ぎも起きていない様子であったので、俺は心から安堵した。

 ちなみに、俺が懇意にしている宿屋の中で、王都の兵士たちを押しつけられたのは《キミュスの尻尾亭》と《南の大樹亭》のみだった。《西風亭》は宿屋の品格が原因で、《玄翁亭》は規模の小ささが原因で、それぞれ難を逃れたらしい。


 ただし、それ以外の名前を知る宿屋――《タントの恵み亭》、《アロウのつぼみ亭》、《ラムリアのとぐろ亭》は、それぞれ兵士たちを受け入れることになってしまった。特に《タントの恵み亭》と《アロウのつぼみ亭》は宿場町でも一、二を争う大きな宿屋であるため、《キミュスの尻尾亭》と同じく20名ずつの兵士を押しつけられてしまったのだそうだ。


 だが、そちらでも何か騒ぎが起きたという様子はない。日中でも夜間でも、兵士にちょっかいをかける無法者と多少の騒ぎが起きるていどで、それほど宿場町の平穏がかき乱されているわけではないようだった。


「でもな、あいつらはナウディスに森辺の民のことを根掘り葉掘り聞いていたぞ。もちろん、ナウディスがアスタたちのことを悪く言うようなことはありえないけどな」


「はい。どうやら彼らは、宿場町で情報を収集するのが仕事であるようですね。きちんと公正な目で判断してもらえるなら、俺たちもいっこうにかまわないのですが」


「ああ、何も心配はいらないだろうさ。ジェノスの連中も、以前に比べればずいぶん森辺の民と打ち解けているようだしな」


 そう言って、アルダスは陽気に笑っていた。

 そのかたわらで、おやっさんはぶすっとした顔をしている。


「しかしあいつらは、宿屋でもいっこうにギバ料理に手を出そうとせんな。王都の兵士を気取っているならば、銅貨が惜しいわけでもあるまいに」


「何だよ、あんな連中のせいでギバ料理が売り切れたら承知せんぞとか騒いでいたのに、買わなきゃ買わないで文句があるってのか?」


「ふん! 何だかギバ料理を見下されているような心地がして、不愉快なのだ!」


 小さな子供のように、ぷりぷりと怒るおやっさんである。

 そんなおやっさんの姿は、俺をとても温かい気持ちにしてくれた。

 そして、建築屋の面々が姿を消した後は、ドーラの親父さんがターラと一緒に姿を現した。


「こっちもこれといっておかしな騒ぎにはなってないけど、町中に刀を下げた兵士がうろついてるってのは、どうにも落ち着かないもんだな」


「そうですね。親父さんのところに兵士が来たりはしませんでしたか?」


「ああ。兵士さんが野菜を買う理由はないからな。それに、俺がアスタたちと縁を結んでるってことも知らんのだろう。……あちこちの連中に話を聞いて回っているようだから、いずれは俺のところにもやってくるかもしれんが」


「そのときは、どうぞ穏便に対応してください。たとえ彼らが森辺の民をけなすようなことを口にしたとしても、どうかお気になさらず」


「どうだかなあ。そいつはちょいと自信がないや」


 親父さんは、不服そうに下唇を突き出した。

 それから、かたわらのターラの頭にぽんと手を置く。


「だけど、あれだよな。さすがにしばらくは、ターラたちも森辺には近づかないほうがいいんだろう?」


 俺たちは、また森辺の集落に町の人々をお招きしようという計画を立てていたのだ。


「そうですね。今回は城下町の方々も何名か声をかけようと思っていたので……やっぱり王都の視察団がジェノスを離れるまでは、時期を見たほうがいいと思います」


「うん、俺もそう思うよ。残念だけど、ターラも我慢するんだぞ」


 ターラは、「うん」と小さくうなずいた。


「ターラ、我慢するよ。でも、兵士さんたちがいなくなったら、絶対に遊びに行かせてね?」


「うん、その日が待ち遠しいね」


 俺が笑いかけてみせると、ターラもにこりと微笑んだ。

 ターラが無理をしている様子はない。ちょっと我慢すれば、必ずその日がやってくると信じているのだろう。その信頼を決して裏切ってはならないと、俺はあらためて思い知らされることになった。


「それじゃあ、アスタもくれぐれも気をつけてな。何かあったら、いつでも声をかけてくれ」


「はい、ありがとうございます」


 親父さんとターラも、料理を手に青空食堂へと消えていく。

 すると、それと入れ替わりで現れたのは、ユーミであった。


「ちょっとアスタ! 《キミュスの尻尾亭》の話は聞いた!? あいつら、やっぱりロクなもんじゃないね!」


「やあ、ユーミ。それは昨晩の騒ぎのことかい? それなら、屋台を借りるときに聞いたけれど」


「それだよそれ! ったく、ほんとに頭きちゃうよねー! 生焼けの肉が何だってのさ! そんなもん、腹を壊してから文句を言えってんだよ!」


 ユーミは、猛烈に怒っていた。

 かと思うと、今度は悲しげに眉を下げてしまう。


「テリア=マスのあんな顔を見せられたら、あたしまで泣きたくなっちゃうよ。あんな娘に大の男どもがよってたかって難癖つけるなんて、恥ずかしくないのかね? あたしだったら、生焼けの肉を口に突っ込んでやるところさ!」


「うん、まあ、ギバは生焼けだと危ないから、それもまずいと思うけど……ユーミのほうは、特に何も起きていないのかな?」


「そりゃあ、あたしらは兵士どもなんざひとりも預かってないからね。むしろ、他の宿屋を追い出された連中がわんさか押し寄せてきて、親父なんかは鼻歌まじりさ」


 兵士を押しつけられた宿屋がキャパオーバーを起こせば、他の宿屋に一般のお客が流れるのは道理である。なおかつ、無法者と呼ばれる立場の人々などは、兵士たちと騒ぎを起こしたり、同じ宿になることを避けたりして、《西風亭》にこぞって向かいそうなところであった。


「だいたい、生焼けの肉を出したのは、他の娘っ子なんでしょ? それでどうして、テリア=マスが泣かなきゃならないのさ!」


「うん……ミラノ=マスが動けない分、テリア=マスに責任がかかってきちゃうんだろうね。俺も心配だよ」


「あーあ! あたしの手が空いてりゃあ、毎日だって手伝いに行ってやるのになあ。でも、そんなの親父たちが許してくれるはずもないし――」


 と、そこでユーミが、まじまじと俺の顔を見つめてきた。


「そうだ! アスタたちがテリア=マスを手伝ってあげることはできないの?」


「ええ? 俺たちが? それは、手伝ってあげたいのは山々だけど……でも、俺の一存では何とも言えないんだよ」


「どうしてさ? アスタだったら厨の仕事で失敗するわけないし、頼もしい狩人さんたちもいるんだから、何の心配もないじゃん」


 俺は、返答に窮してしまった。

 すると、ユーミの横にひょこりと小さな人影が出現した。


「アスタ、僕からもお聞きします。それはやっぱり、難しい話なのでしょうか?」


「おい」と、俺の背後に控えていたライエルファム=スドラが苦々しげな声をあげる。


「またお前か。気配を殺して近づくなと言っているだろうが?」


「申し訳ありません。しかし、これだけ大勢の人間が行き来しているのに、そのひとりひとりの気配を探っているのですか?」


「……そうでなくては、護衛役などつとまるまい」


「すごいですね。さすがは森辺の狩人です。僕にはとうてい真似できません」


 そのように述べてから、レイトが俺のほうに視線を戻してくる。


「それで、いかがなのでしょうか、アスタ?」


「いかがなのでしょうかって……俺が《キミュスの尻尾亭》を手伝うっていう話かい?」


「はい。それが可能であるならば、是非ともお願いしたく思っています」


 これは、屋台の仕事と並行して続けられるような話ではないようだった。

 かきいれどきである中天が訪れるにはまだいくぶん余裕があったので、俺はレイトを屋台のこちら側に招き入れる。すると、ユーミも当然のような顔をして、それについてきた。


「レイト、もしかしたら、さっきもその話をしようとしていたのかな?」


「はい。ですが、テリア=マスがその場にいると、きっと彼女が遠慮するだろうと思って、取りやめたのです」


「なるほどね。もちろん俺だって、手伝えるものなら手伝ってあげたいよ。本当だったら、こっちから申し出たかったぐらいさ」


 テリア=マスと言葉を交わしているときから、俺の頭にはその考えが渦巻いていた。きっとシーラ=ルウだって、同じ気持ちだったことだろう。

 しかし俺たちは、勝手にそのような発言のできる立場ではないのだ。


「でもさ、王都の兵士たちを宿泊させている宿屋に、森辺の民である俺なんかが手伝いに行っちゃって、余計に話がこじれたりはしないのかな?」


 俺としては、それが第一の懸念事項であった。

 レイトは、「問題ないと思います」とうなずく。


「どのみち、《キミュスの尻尾亭》が森辺の民と懇意にしているという話は、最初から彼らにも伝わっているのです。だからこそ、《キミュスの尻尾亭》には20名もの兵士が送りつけられることになったのですよ」


「ああ、そうなのか……まあ、去年の騒ぎに関しては、細部にわたって王都の方々に説明されているのだろうしね」


「はい。カミュアの弟子である僕があの場所で育ったということも、彼らには知られています。だから、何食わぬ顔で仕事を手伝っているのですけどね」


 そう言って、レイトはわずかに身を乗り出してきた。


「アスタもご存じかと思いますが、テリア=マスは生真面目な気性なので、ミラノ=マスの分まで自分が頑張らなければならないのだと思い詰めてしまっています。それが僕には、危うげに見えてしかたがないのです」


「そうそう。もうちょい気楽にかまえてもいいのに、テリア=マスは生真面目すぎるんだよ! ……まあ、それがテリア=マスのいいところなんだけどさ」


 ユーミが、うんうんとうなずいている。


「そんでもってさ、厨の仕事はずっとテリア=マスと親父さんのふたりで受け持ってたらしいんだよね。何人か手伝いの人間もいるらしいけど、そっちの連中はみんな厨の仕事が苦手なんだってさ」


「はい。以前はテリア=マスたちだって、厨の仕事を苦手にしていたのですよ。ただ、アスタたちが手ほどきをしてくれたおかげで、ずいぶん腕を上げることがかなったようですが」


 確かに《キミュスの尻尾亭》は、昔から料理の評判がいまひとつの宿屋であったのだ。

 それは、ミラノ=マスの伴侶が若くして他界してしまったためなのだ、と俺はカミュア=ヨシュから聞いていた。


「だけど今は、ミラノ=マスが動けません。それでもテリア=マスひとりで厨を切り盛りすることはできませんから、不慣れな人間に手伝いを頼んでいたのですね。結果的に、その娘が生焼けの肉を出してしまい、昨晩の騒ぎになってしまったのです」


「うん、そうか……俺個人としては、手伝ってあげたい気持ちでいっぱいなんだけど……」


 しかし、宿屋の食堂を手伝うとなると、帰りは夜遅くになってしまう。ただでさえ身をつつしまなければならないこの時期に、アイ=ファやドンダ=ルウがそれを許してくれるだろうか。それが、第二の懸念事項であった。


「だったら、あたしがアイ=ファに聞いてきてあげるよ!」


 と、いきなり俺の背後から大きな声があがったので、俺は「うひゃあ」と飛び上がることになった。


「な、何だ、ララ=ルウか。あんまり驚かさないでくれよ」


「気づいてなかったのは、アスタだけだよ。アスタって、夢中になると周りが見えなくなるよね」


 確かにライエルファム=スドラも、ララ=ルウを叱りつけようとはしていなかった。


「ドンダ父さんは、どうせもうじきこの道を通って城下町に向かうんだから、そのときに話をつければいいでしょ? あとはアイ=ファと話をつければ、アスタも心おきなく返事ができるじゃん。トトスに荷車を引かせないで走らせれば、きっとアイ=ファが森に入る前に話をすることができると思うよ」


「ほ、本当に森辺まで戻るつもりかい、ララ=ルウ? ひとりで行動するのは危ないと思うけど……」


「だったら、レイトが行ってくりゃいいじゃないか。あんただって、ファの家の場所ぐらいは知ってるんだろう?」


 と、バルシャが笑顔で進み出てくる。

 その目が、ちらりとレイトを見た。


「ただ、その前に確認させてもらうけど……あんたはアスタたちにそんな仕事を頼んでも危険はないって考えてるんだよね? まさか、家族を心配するあまりに判断を間違ったりはしないだろうね?」


「テリア=マスは、家族ではありません。あくまで、かつての家族ですよ」


 そう言って、レイトはにこりと微笑んだ。


「それに、この一件でアスタたちに危険が及ぶことには、決してならないはずです。彼らは荒くれ者ですが、無法者ではありませんので」


「荒くれ者と無法者で、何が違うっていうんだい?」


「無法者とは、法に従わない人間という意味でしょう? 彼らはどんなに気性が荒くとも、王国の兵士なのです。傭兵は傭兵でも、王国の敵を討ち滅ぼすために鍛えあげられた、精鋭部隊であるのですよ」


 そうしてレイトは、優雅な仕草でライエルファム=スドラのほうに手を差しのべた。


「だから本当は、護衛役など必要ないぐらいなのです。彼らは警戒すべき存在ではありますが、必要なのはもっと違う形での警戒なのですよ」


「ふうん。それじゃあ、何をどんな風に警戒すればいいのかねえ?」


「それはもちろん、『王国の敵』と見なされないように警戒するべきなのです」


 だいぶいつもの調子を取り戻した様子で、レイトは無邪気な笑みをたたえる。


「ですから、たとえ森辺の民が夜道をひとりで歩いていても、彼らが襲いかかってくることなどはありえません。宿屋の仕事を手伝う上で、気をつけることがあるとしたら……酔っ払いに料理が不味いと難癖をつけられても、笑って受け流すことぐらいでしょうね」


「それはまあ、怒るとしたらアイ=ファぐらいかな。アスタの料理にケチをつけられたら、アイ=ファなんかは牙を剥いて怒りそうだ」


 そう言って、バルシャは豪快な笑い声をあげた。

 その隣で、ライエルファム=スドラは「ふん」と鼻を鳴らしている。


「そうは言っても、アスタたちを護衛もなしに夜の町に向かわせることなどできるわけもない。ドンダ=ルウやアイ=ファとて、同じように考えることだろう」


「ええ、宿場町には本物の無法者もひそんでいますからね。それは当然のお話です」


 そのように応じてから、レイトは俺のほうに向きなおってきた。


「いかがでしょうか? もしもファの家長アイ=ファと族長ドンダ=ルウに了承をいただけたら、アスタに《キミュスの尻尾亭》の仕事を手伝ってもらうことがかなうのでしょうか?」


「それはもちろん。そうしたら、俺の側には断る理由なんてひとつもなくなるよ」


 レイトは神妙な面持ちで、「ありがとうございます」と頭を下げてきた。


「無理なお願いをして申し訳ありません、アスタ。宿には僕もいますので、決して危険な目にはあわせないとお約束いたします」


「いや、いいんだよ。俺だって、テリア=マスの力にはなりたかったからさ」


 俺にとっての懸念とは、テリア=マスの立場と、アイ=ファたち同胞の心情であったのだ。

 それらがクリアされるのであれば、むしろ喜んで協力したいぐらいの話であった。


(料理を不味いと難癖をつけられても、笑って受け流せるように、か……笑えるかどうかはともかくとして、そんなことでムキになるもんか)


 ひょっとしたら、森辺の民を挑発しようという意図で、王都の兵士たちは料理をけなしてくるかもしれない。レイトもそのように考えたからこそ、忠告してくれたのだろう。

 しかし、《キミュスの尻尾亭》の看板をお預かりするのであれば、どのような扱いを受けても自制できる自信はあった。


(アイ=ファやドンダ=ルウは、どう考えるだろう。《キミュスの尻尾亭》を手伝うことを許してくれるかな)


 そんな風に考えながら、俺は仕事を再開することにした。

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