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異世界料理道  作者: EDA
第三十一章 波乱の幕開け
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緑の月の二日②~ダグとイフィウス~

2017.11/9 更新分 1/1 ・2023.2/20 一部文章を修正

「……俺に何かご用事でしょうか?」


 内心の動揺を押し隠しつつ、俺はそんな風に答えてみせた。

 男は答えず、にやにやと笑っている。


 こうして見ると、それはまだずいぶんと若そうな男であった。

 偉そうにしているのでリーダー格と見なしたのであるが、年齢などはまだ20歳を少し過ぎたぐらいに見える。黒褐色の髪に、黒い瞳、そして象牙色の肌をした、精悍な顔立ちの若者だ。


 しかし身長は180センチ以上もあり、体格もきわめてがっしりとしている。ダルム=ルウよりも大柄で、ジザ=ルウよりは細身である、といったぐらいであろうか。宿場町ではなかなか見かけることもない、鍛えぬかれた身体つきをしている。


 その身に纏っているのは、ちょっと風変わりな装束である。キルティング素材、というべきか、中に綿でも詰まっていそうなごわごわとした素材で、腰には革のベルトをぎゅっと巻いている。それできっと、ジェノスの気候では暑苦しいのだろう。胸もとの紐はほどいてはだけており、長い袖も腕まくりしている。その場にいる全員がそういった格好で、そして腰にはいずれも立派な長剣を下げていた。


(こいつは……けっこうな迫力だな)


 迫力のある人間などというのは、森辺の狩人で見慣れている。

 しかしこの若者は、それとも雰囲気の異なる独特の迫力を有していた。


 西の民にしては彫りの深い顔立ちをしており、どちらかといえば男前の部類かもしれない。しかし、その黒い瞳は猛禽類のように鋭く光っており、ふてぶてしい笑みを浮かべたその顔には、何にも屈しない意思の力のようなものが感じられた。


「なるほどなあ。こいつは確かに、うろんな坊やだ」


 若者が、ようやく口を開いた。

 他の男たちは、無言でにやにやと笑っている。そんな姿からも、町の無法者とは一味異なる迫力が感じられた。


「あの、俺に何かご用事なのでしょうか? 今は商売の最中なのですが」


「そんな商売なんざよりも大事な話をしようってんだよ。見かけに寄らず、気丈な坊やだな」


 すると、俺のかたわらに控えていたバルシャが「ちょいと」と声をあげた。


「あんたたちは、王都からやってきたっていう兵士さんたちなんだろう? そんなお人らが、どうしてアスタの商売を邪魔しようってんだい?」


「うん? そういうお前は、何者だ?」


「あたしは、アスタの連れだよ。あたしも森辺の集落でお世話になってる身でね」


「なるほど。それじゃあ、お前が《赤髭党》の生き残り、マサラのバルシャってやつか」


 バルシャは、用心深そうに目を光らせた。


「……まあ、王都のお人らにもあたしと息子の話は伝わってるんだろうからね。何も驚きゃしないよ」


「だったら、お前は引っ込んでな。今のところ、お前に用事はないからよ」


 そうしてその若者は、また俺のほうに視線を差し向けてきた。


「いちおう名乗りをあげておくか。俺はアルグラッド第一遠征兵団、第四部隊所属の百獅子長、ダグってもんだ。それでこいつは――」


 と、言いかけて、ダグと名乗った若者はきょろきょろと視線をさまよわせた。


「あれ? イフィウスのやつはどこに行きやがった? さっきまで俺の後ろを歩いてたよな?」


「おおい、うちの大将がお呼びだよ」


 男のひとりが後方に呼びかけると、細長い人影がゆらりと屋台の前に姿を現した。

 その異様きわまりない風体に、俺は思わず息を呑んでしまう。


「おお、いたいた。こいつは同じく百獅子長のイフィウスだ。こんな見てくれだが、いちおうは貴族様の血筋なんで、下手に逆らうと痛い目を見るぜ?」


 それは確かに、ただ一点を除けば貴族らしい風貌かもしれなかった。

 淡い栗色の髪を長くのばしており、切れ長の目は鳶色だ。きっと西の民なのだろうが、もともと色素が薄いのだろう。肌の色も、ずいぶん白く感じられる。


 身長はダグよりも5センチほど小さく、その代わりにすらりとした体格をしている。印象としては、サトゥラス伯爵家のレイリスに似ているかもしれない。細身なれども弱々しさはまったく感じられず、いかにも貴族の剣士といった風格だ。


 それにきっと、端整な顔立ちでもあるのだろう。切れ長の目は睫毛が長く、下顎の線などはすっと引き締まっており、中性的な美貌と言いたくなるような造作だ。


 だけど俺には、はっきりとそう言い切ることができなかった。

 何故ならば、その人物は顔の一部を隠していたためである。

 その人物は、目の下から上唇までを、金属の仮面ですっぽりと隠しているのだ。


 両方の頬と鼻と上唇だけを覆う奇妙な仮面であり、鼻のあるべき場所にはトトスのくちばしのような突起がにゅっと突き出している。なまじ顔の造作が貴族めいて端麗であるだけに、その奇妙な仮面はたいそう不気味に感じられてしまった。


 そして、奇妙な呼吸音がする。

 あの、有名なSF映画の悪役キャラクターみたいに、シュコーシュコーと常に耳障りな呼吸音を撒き散らしているのだ。それはおそらく、鼻呼吸の音色が金属の仮面に反響しているのだと思われた。


「百獅子長ってのは、百の兵士の長ってことだ。この宿場町に陣取った百人は俺の部下で、残りの百人はこのイフィウスの部下ってことだな。俺たちの上官である第四部隊長閣下は城下町で歓待されているから、宿場町の兵士は俺たちが責任をもって取り仕切ることになる」


 そう言って、ダグは逞しい腕を胸の前で組んだ。


「自己紹介は、こんなもんで十分だろう。それじゃあ今度はお前の話を聞かせてもらおうか、ファの家のアスタ」


「……俺の話ですか?」


「ああ。お前はいったい何者なんだ? 渡来の民なんてのは、口からでまかせの嘘っぱちなんだろう?」


 不敵に笑いながら、ダグの双眸は炯々と光っている。

 何も見逃すまいという、猛禽のような眼光だ。


「渡来の民ってのは、マヒュドラの血族なんじゃないかと言われるぐらい図体のでかい一族だ。それでもって、赤毛で碧眼で白い肌ってのが定番だな。中には金色の髪や茶色い目をしているやつもいるらしいが、とにかく全員が天を突くような大男だ。お前みたいな可愛らしい坊やが、渡来の民なわけがねえ」


「いや、それは……」


「もっとも、そいつは北氷海から訪れる青き竜神の民ってやつでな。大陸の外からやってくるのはそいつらが一番多いから、渡来の民すなわち青き竜神の民っていうのが定説になっちまった。そいつら以外にも、外海からやってくる一族はいなくもない。シムの民みたいに真っ黒な肌をしたディロイアの女海賊どもだとか、得体の知れない品で商売をするボッドの民だとか、王都の西側にあるダームの港町では色々と愉快な連中を見ることができるもんさ」


 そう言って、ダグは片方の眉を吊り上げた。


「だけどお前は、そういう愉快な連中ともちっとも似ていない。だいたい、その若さの渡来の民にしては西の言葉が巧みすぎる。……だから俺は、こんな風に尋ねているんだよ。お前はいったい何者なんだ、ってな」


「……最初に言っておきますと、同じような問答はジェノスの貴族の方々ともすでに交わしています」


 俺はようよう、言い返してみせた。


「そのときと、同じ言葉しかお答えすることはできません。俺は確かにこの大陸の生まれではありませんが、気づいたらモルガの森で倒れていたんです。自分がどうやってこの地を訪れたのか、自分でもまったくわからないのです」


「ふん……確かに俺も、そんな風に聞いてるよ」


 まったく感銘を受けた様子もなく、ダグはせせら笑った。


「それじゃあお前は、そのふざけた言葉を取り消すつもりもないってんだな? 大陸の外で生まれたのに、気づいたら大陸のど真ん中で倒れていたなんて、そんな話を誰が信じられるってんだ?」


「そうですね。自分でも馬鹿げた話だと思います。でも、それ以外に説明のしようがないんです」


 そこで、俺の頭に《星無き民》という言葉がよぎった。

 だが、俺は《星無き民》が何なのかも正しくは理解できていない。そんな状態でその言葉を口にしても、あまり意味はないように思われた。


「俺は、日本という島国で生まれました。アムスホルンという大陸の名前は聞いたこともありません。それなのに、どうして自分がこの地にいるのか――それに、どうして苦労もなく言葉が通じているのか、俺にもさっぱり事情がわからないのです」


「ふん。そうだとすると、お前は根っからの大嘘つきか――あるいは、頭の中身がぶっ壊れちまってるかの、どっちかだろうな」


 ダグは、頑丈そうな下顎を指先で撫でさすった。


「まあいい。そいつを問い詰めるのは俺の仕事じゃねえや。今頃は、城下町でも森辺の族長とやらが同じ質問を受けているだろうしな」


「……王都の方々に納得していただけるように祈っています」


「ふん。どこの神に祈るんだかな」


 そうしてダグは、ようやく俺以外の森辺の民へと視線を巡らせていった。


「それにしても、森辺にはずいぶん上等な女がそろってるんだな。ひと月もかけて行軍してきた俺たちには、目の毒だぜ」


 森辺の女衆がそんな風に揶揄されるのも、ずいぶんひさびさであるように思えた。

 心配になって、俺もみんなのほうに視線を差し向けると――レイナ=ルウを筆頭に、森辺の女衆はとても沈着に、かつ冷ややかに王都の兵士たちを見据えていた。


「それじゃあ、邪魔したな。今の内にせいぜい稼いでおくがいいさ。お前たちに、後ろ暗いところがねえならな」


「……森辺の民に後ろ暗いところなど何もありませんよ」


 俺がそのように答えてみせると、ダグは「そりゃ幸いだ」と口もとをねじ曲げた。

 そうしてダグがきびすを返すと、仲間の兵士たちも無言でつき従っていく。百獅子長のイフィウスとやらも、シュコーシュコーと不気味な呼吸音を響かせながら、それに追従していった。


「あれはずいぶんと厄介な連中ね。町の無法者などとは比べ物にならないわ」


 と、兵士たちが十分に遠ざかったところで、ヤミル=レイがそんな風に言った。

 バルシャも「そうだねえ」と難しい顔をしている。


「やっぱりあれは、無法者じゃなくって軍人だね。町の衛兵なんざより、よっぽど厳しく鍛えられてるよ。……おや、リャダ=ルウ、おつかれさん」


 もうひとりの護衛役たるリャダ=ルウは、青空食堂のほうに陣取っていたのだ。

 右足を引きずりながらこちらに近づいてきたリャダ=ルウは、ひどく深刻な面持ちをしていた。


「アスタよ、お前と言葉を交わしていたあの男は、いったい何者だ?」


「はい。あれはダグという名前で、兵士たちを束ねる百獅子長という立場にあるそうです。宿場町に滞在している中では、彼ともうひとりのイフィウスという人物が指揮官であるようですね」


「なるほど、あれが兵士たちの長か」


 リャダ=ルウは、厳しい眼差しで俺とバルシャの顔を見比べた。


「バルシャよ。俺とお前のふたりでは、用事が足らんようだ」


「うん? そいつは、どういう意味だい?」


「……もしもあやつらが刀を向けてきた場合、俺たちだけでは同胞を守ることができん。あのダグという男と、それに奇妙な面をつけていた男――あれは、森辺の狩人にも劣らぬ手練だ」


「そうかい。あたしもそんな感じがしてたんだよね。こいつとまともにやりあったら生命がないってさ」


「うむ。明日からは、もっと多数の狩人を護衛につけるべきであろう。俺のように手傷を負った男衆ではなく、まともな力を持った狩人をな」


 俺は、心から驚くことになった。

 確かに異様な迫力を持つ男たちではあったが、リャダ=ルウにそこまで言わしめるほどとは思っていなかったのだ。


(想像よりも好戦的ではなかったようだけど……そのぶん、得体が知れないな)


 そして彼らは、俺の存在を取り沙汰していた。というか、俺の顔を拝むために、わざわざ屋台まで出向いてきたのだろう。それもまた、新たな不安材料と言わざるを得なかった。


                  ◇


 そうして、また夜である。

 その夜、アイ=ファは昨晩以上に怒りの念をあらわにすることになった。


「どうして今さら、アスタのことまで取り沙汰されなければならんのだ! アスタがどこの生まれであろうと、誰の迷惑になる話でもないだろうが!」


 本日に起きた出来事は、すべて伝え終えていた。

 さらに俺たちは、バードゥ=フォウから会見の顛末も聞かされていた。

 城下町における会見の場においても、やはり俺の素性は厳しく問い質されたのだという話であった。


「しかも話は、それだけでは終わらなかった。王都の貴族たちは、ジェノス侯爵と森辺の民が結託してトゥラン伯爵家を陥れたのではないか、とまで言っていたのだ」


 夕暮れ時、バードゥ=フォウは自らファの家まで出向いてきて、そのように述べてくれたのだった。


「というか、トゥラン伯爵家を邪魔に思ったジェノス侯爵が、森辺の民を使って失脚に追い込んだ……とでも言うべきなのであろうか。とにかく、そういう話であったのだ」


「馬鹿げている! サイクレウスらとスン家が過去に大罪を犯していたという話には、証も示されていたではないか!」


 狩りの仕事から帰ったばかりであったアイ=ファは、そのときも憤慨しまくっていた。

 いっぽうのバードゥ=フォウは、数時間にも及んだ会見のせいで、ぐったりとしていたように思う。


「実際のところ、あやつらがどこまで本気でそのように述べていたのかはわからなかった。ただジェノス侯爵に難癖をつけたいだけのようにも見えたし……そもそも貴族の片割れは、ずっと果実酒を口にしていたしな」


「何だそれは! 大事な話し合いの場で、しかも日の高い内から酔っ払っていたというのか!?」


「うむ。だから余計に、真情がわからなかった。あれほど不毛な話し合いもなかろう」


 しかも王都の貴族たちは、明日もまた中天から族長たちを呼びつけたのだという話であった。

 族長らもギバ狩りの仕事の重要性を説き、せめて時間を朝方にしてはもらえないかと提案したが、それも一蹴されたらしい。


「どうして俺が、お前たちなどのために早起きせねばならんのだ?」


 酔っ払っていたほうの貴族は、そのように言い放っていたそうだ。

 夕暮れ時に聞かされたその話をまた思い出したのか、アイ=ファは怒りの形相で回鍋肉風の炒め物をかき込んでいた。

 そして、それを呑み下してから、ぎろりと俺をねめつけてくる。


「……それで、屋台の護衛役に関しては、どうなったのだ?」


「ああ、ドンダ=ルウは夜まで待てと言っていたそうだよ。他の狩人たちが森から帰ったら、どうすべきか話し合ってくれるそうだ」


 そこで俺は、深々と嘆息することになった。


「でも、今回ばかりはちょっと厳しいかもしれないな。ただでさえ、ドンダ=ルウとガズラン=ルティムは城下町に向かわなきゃいけないし、これ以上は狩人を休ませたくない、と考えるかもしれない」


「……そうしたら、お前はどうするのだ?」


「うーん、宿場町の兵士たちが理由もなく刀を向けてくることはないと思うんだけどさ。でも、以前のサンジュラの例もあるし……200名の相手に対抗するってのは最初から難しいとしても、相手方に森辺の狩人にも匹敵する人間がふたりもいるって聞かされちゃうと……しっかりとした護衛役もなしに商売を続けるのは……差し控えるべきなのかな……?」


「聞いているのは、私のほうだぞ」


「わかってるよ。俺だって、苦しいところなんだ」


「ふん。このようなことで商売の手を止めるのは、無念でたまらないのだろうな」


 そのように述べてから、アイ=ファはぐぐっと顔を近づけてきた。

 その青い瞳は、敵を目前に迎えているかのように、爛々と燃えている。


「案ずるな。私とて、同じぐらい無念に思っている。かえすがえすも、休息の時期でなかったのが無念だ」


「ああ、あと半月ぐらいで休息の時期だと考えたら、なおさらにな。まあ、逆に考えると、あと半月ていどでアイ=ファたちに護衛役をお願いすることができるわけだけど――」


 と、俺が言いかけたところで、玄関の戸板が叩かれた。

「何者だ!」と、アイ=ファが刀をひっつかむ。


「スドラの家長ライエルファム=スドラと、分家の家長チム=スドラだ。アイ=ファとアスタに話がある」


 アイ=ファはふっと息をつき、玄関口に向かっていった。

 俺も食べかけの木皿を置いて、そちらに向きなおる。


「晩餐の最中にすまなかったな。急いで話したいことがあったのだ」


 土間にまで入室したライエルファム=スドラが、頭を下げてくる。

 同じ場所で身体を休めていたギルルとブレイブは、時ならぬ客人たちをきょとんと見やっていた。


「このような時間に、いったいどうしたのだ? 城下町での話なら、すでにバードゥ=フォウに聞いているぞ」


「ああ。それとは別の話だ。申し訳ないが、トトスと荷車を貸してもらえないだろうか?」


「ギルルと荷車を? 何故だ?」


「ルウの集落に向かおうと思っている。明日からの、宿場町での仕事について告げたいことがあるのだ」


 小猿めいた顔に真剣な表情をたたえたまま、ライエルファム=スドラはそう言った。


「もしもルウ家から護衛役を出すのが難しければ、俺たちスドラの4名がその仕事を果たしたいと考えている。その了承を、族長ドンダ=ルウにもらおうと思ってな」


「なに? しかしお前たちにも、ギバ狩りの仕事が――」


「スドラの狩り場は、ついに森の恵みも食い尽くされてしまった。だから明日から収穫祭までは、フォウかスンの狩り場で働こうかと考えていたところであったのだ」


 チム=スドラも、ライエルファム=スドラの隣でうなずいている。


「しかし、フォウの家でも手が足りていないわけではないし、スンの家に通っていたのは、もともと習わしにもそぐわない話だ。ならば、俺たちこそが宿場町での仕事を果たすべきなのではないかと、さきほどまでバードゥ=フォウらと話し合っていた」


「いや、しかし……本当にそれでいいのだろうか?」


「何も問題はあるまいよ。俺たちはもはやフォウの眷族であるのだから、狩り場の実りが尽きたからといって、自分たちだけで収穫祭を行うこともできん。それに……俺たちがフォウの狩り場で仕事を手伝うと、いっそう収穫祭の時期が後ろにずれこんでしまいそうであったのだ」


 そうしてライエルファム=スドラは、くしゃっと猿のように笑った。


「そうすると、今度はファやリッドやディンなどと収穫祭の日が合わなくなってしまう。だったら、なおさら俺たちはギバ狩りの仕事から外れるべきであろう。ただ仕事を休むのではなく、同胞を守るために休むという話であれば、母なる森も許してくれるはずだ」


「そうか……」と、アイ=ファは息をついた。


「その申し出は、ありがたく思う。私もこのようなことで商売の手を止めるのは無念であったからな」


「ああ。森辺の民は何も悪いことなどしていないのだから、すごすごと引き下がる筋合いはないはずだ。ドンダ=ルウも、きっと俺たちの言い分を認めてくれるであろう」


「しかし、決して無茶をするのではないぞ、ライエルファム=スドラよ。お前には、大事な幼子が生まれたばかりであるのだからな」


「うむ。それは俺自身が一番よくわかっている」


 そうしてライエルファム=スドラは、ギルルのほうに目をやった。


「では、トトスと荷車を借り受ける。悪いがもうひと働きしてもらうぞ、ギルルよ」


「あ、ライエルファム=スドラ、本当にありがとうございます」


 俺も慌てて声をあげると、ライエルファム=スドラはまた小猿のような笑みを浮かべた。


「気にするな。仕事とはいえ、アスタと長き時間を過ごせるのは、俺たちにとっても嬉しいことだ」


 ギルルの手綱を引いて、ライエルファム=スドラとチム=スドラは玄関を出ていった。

 戸板に閂を掛けてから、アイ=ファがぐるりと俺を振り返る。


「……かえすがえすも、休息の時期でなかったのが口惜しいところだ」


「え?」


 よく見ると、アイ=ファの唇はおもいきりとがりまくっていた。

 俺は思わず、「ああ」と笑ってしまう。


「そうだな。俺もアイ=ファと一緒に町に下りたかったよ」


「ふん! ライエルファム=スドラらと絆を深める機会を得て、お前の側に不満はなかろう!」


「もちろん、それはそれで嬉しいけどさ。……困ったな。そんなにすねるなよ」


「すねてなどおらん!」と、アイ=ファは足を踏み鳴らした。


「何にせよ、森辺の狩人と同等の力量を持つ者たちというのは、捨てておけん。私も狩り場のギバを狩り尽くしたら、護衛役に加わるぞ! 明日からは、これまで以上にギバどもを狩りまくってくれるわ!」


「え? だけど、森に恵みが実っている限り、ギバはあちこちから寄ってくるものなんだろう? それじゃあ、アイ=ファが頑張れば頑張るほど、休息の時期が遅くなるのでは……?」


「やかましい! 今のは――もののたとえだ!」


 もともと気が立っていたアイ=ファであるので、いちいちエキサイトしてしまうらしい。しかしそれも俺の身を案じるあまりの挙動と思えば、胸が熱くなってしまった。


 ともあれ、そんな具合に緑の月の2日目は過ぎていった。

 しかし、大変な騒動づくしであった緑の月は、むしろこれからが本番であったのだった。

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