緑の月の二日①~不運~
2017.11/8 更新分 1/1
翌日――緑の月の2日である。
護衛役には、やはりリャダ=ルウとバルシャが選出されることになった。
ルウとファに関わりのある人間で、ギバ狩りの仕事に参加せず、なおかつ腕が立つ人間というのは、その両名しか存在しなかったのだ。
しかしリャダ=ルウは、狩人の仕事から身を引いたとはいえ、かつてはルウ家でも屈指の実力を有していた人物である。足の筋を痛めてしまったために、飛んだり走ったりすることはできないものの、刀の扱いに関してはまったく腕も落ちていないという話であった。
いっぽうのバルシャは、森辺の狩人に比べると一段落ちてしまうが、やはりマサラの山でガージェの豹を相手にしていた屈強の狩人である。なおかつ、義賊《赤髭党》の一員としてさまざまな町を巡っていた彼女は非常に世慣れているために、こんな際の護衛役には適任なのではないかと思われた。
何にせよ、相手が200名の軍勢ではどれほどの護衛役をつけても安全とは言いきれないし、また、そんな連中に難癖をつけられる筋合いは本来どこにもない。王都の人々がどれほど傲岸であり高慢であったとしても、王国の法というやつをないがしろにしたりはしないはずだ、という思いのもとに、俺たちは商売を敢行することに相成ったのだった。
「……今のところ、町でおかしな騒ぎが起きた様子はないね」
宿場町に下りたのち、《キミュスの尻尾亭》を目指して歩いていると、バルシャがそんな風につぶやいた。
「ま、王都の兵士なんかが滞在していたら、無法者のほうが大人しくなっちまうもんだろうからさ。普段よりも平和になるほうが当たり前なんだけどね」
「心配なのは、それが気の荒い傭兵の集まりというところですね」
「うーん、だけどさ、傭兵っていっても王都の軍なんだろう? しかも、戦で捨て駒にされるような連中ならともかく、ここまで貴族たちを護衛してきた連中なら、ちっとは人間がましいやつらが集められてるはずだけどね。そうじゃなかったら、貴族たちだって安心して護衛を任せられないだろうからさ」
それは確かに、バルシャの言う通りなのかもしれなかった。
しかし俺たちは、商売を始める前からいきなり警戒心をかきたてられることになった。
《キミュスの尻尾亭》に到着して、受付台で人を呼ぶと、真っ青な顔をしたテリア=マスが飛び出してきたのである。
「お、おはようございます、みなさん。さ、早く表のほうに――」
「ど、どうしたんですか、テリア=マス? まるで病人のような顔色ですよ」
「お、お話は、外で……今なら、兵士様たちもまだ眠っておられますから……」
俺たちは半ば背中を押されるようにして、宿屋の外に連れ出された。
そうして裏手の倉庫に案内されながら、テリア=マスに事情を問い質す。
「実は……昨晩、兵士様たちと別のお客様たちとで、大変な騒ぎになってしまったのです……」
「大変な騒ぎ? いったいどうしたのです?」
「くわしくはわかりませんが、お客様のひとりが兵士様に文句の声を投げつけたようで……最後には、宿中の人間を巻き込む乱闘騒ぎになってしまいました」
そうしてテリア=マスは、血の気を失った頬に弱々しく手の平を当てた。
「それでその……お客様をしずめようとした父さんも、その騒ぎに巻き込まれてしまって……頭と肩に手傷を負ってしまったのです……」
「ええ? ミ、ミラノ=マスは大丈夫なのですか?」
「はい……頭のほうは大した怪我でもなかったのですが……左の肩は骨が外れてしまって、今も部屋で休んでいます」
俺は、言葉を失ってしまった。
テリア=マスは、「大丈夫です」と弱々しく微笑む。
「医術師が言うには、半月も安静にしていれば、すぐによくなるだろうということでしたので……何も心配はいりません」
「で、でも、その間はテリア=マスが宿を取り仕切らなければならないのでしょう? 騒ぎを起こした兵士たちは、別の宿に移されたのですか?」
「いえ。むしろ、他のお客様たちが宿を移してしまいました。……兵士様たちに非のある話でもありませんでしたので……」
「本当かい? 王都の人間だからってお目こぼしをされたんじゃないだろうね?」
バルシャが言葉をはさむと、テリア=マスは「はい」とうなずいた。
「わたしも父さんも最初は厨にこもっていましたので、自分の目で確かめたわけではないのですが……おそらく、貴族や武官といったものを嫌うお客様が兵士様に難癖をつけたのだと思います。昨晩は、ちょっと気の荒そうなお客様も多かったので……」
「そうかい。それじゃあ、傭兵どものほうをしょっぴくわけにはいかないね」
そのように述べながら、バルシャはぽんとテリア=マスの肩を叩いた。
「親父さんは気の毒だったね。あんたは大丈夫なのかい?」
「はい。父さんの分まで、仕事をやりとげたいと思います」
「本当に大丈夫ですか? 何かお力になれることがあったら、遠慮なく言ってください」
俺の言葉に、テリア=マスは「いえ」と首を横に振った。
弱々しいながらも、その面には微笑みがたたえられている。
「宿のお客様が騒ぎを起こすのは、これが初めてのことではありません。父さんが動けない間は、わたしが《キミュスの尻尾亭》を守ってみせます」
テリア=マスは、俺と同じ18歳のはずだった。
普段はちょっと内向的で、おどおどとしたところを見せなくもない彼女であるが、その瞳に迷いや怯えの光はなかった。
◇
「まったく、王都の兵士などというものはロクでもないな! あんな連中は、甲冑を脱いでしまえば町の無法者と一緒だ!」
しばらくの後、屋台の商売が開始されてから、そのようにわめいていたのはバランのおやっさんであった。
「初めて訪れた町で、でかい顔をしおって! あんな連中は、道端に天幕でも張らせてその中に押し込めておけばいいのだ! あんな連中と一緒では、せっかくの料理もまずくなってしまうわ!」
「まあまあ、落ち着けよ、おやっさん。どこで誰が聞いてるかもわからないんだからさ」
苦笑を浮かべたアルダスが、おやっさんをたしなめる。こういう光景も、俺にはとても懐かしいものであった。
しかし今は、感慨にふけってもいられない。
「やっぱり《南の大樹亭》でも王都の兵士たちを宿泊させることになったのですね。何か騒ぎにはなりませんでしたか?」
「騒ぎというほどのものではないな。少なくとも、衛兵を呼ばれるようなことにはならなかったし」
《南の大樹亭》は、ジャガルの民の御用達である宿屋であるのだ。それで、ジャガルの民には直情的な方々が多いので、俺としても心配しないわけにはいかなかった。
「ただ、西の王都の連中というのは、南の民を嫌う人間が多いんでな。そういう意味では、いつ血を見る騒ぎになってもおかしくはなかったよ」
「え、そうなのですか? でも、セルヴァとジャガルは友好国なのでしょう?」
「ああ。だけど、そこにゼラド大公国ってやつがからんでくると、いささか事情が違ってきてな」
それは俺にとって、初めて聞く国の名前であった。
というか、この大陸は四大王国に支配されているという話であったので、それ以外に「国」が存在するとは思っていなかったのだ。
「ゼラドってのは、いわゆる独立国家ってやつなんだよ。西の王都を放逐された王家の人間が建立したとか何とかで、王都とジャガルの中間ぐらいの位置に都をかまえているんだ。で、西の王都よりも近い分、ジャガルはそのゼラド大公国とゆかりが深いってわけなのさ。ゼラドの人間だって、友好国たるセルヴァの民であることに違いはないしな」
そしてセルヴァの王都アルグラッドは、現在もゼラド大公国と交戦中であるらしい。その戦に関して、ジャガルは完全に不干渉の立場を取っているが、そもそもゼラドが独立できるほどの力を得ることができたのは、ジャガルとの交易あってのことなのだという話であった。
「だからまあ、西の王都の兵士連中なんかは、ジャガルに対して敵対心を持つことになっちまったわけだな。王都の兵士なんて初めて見たけど、そいつがただの風聞じゃないってことは実感できたよ」
「そうだったのですか……それでは、なおさら心配ですね……」
「なあに、そうは言っても、ジャガルを敵に回すことはできないんだからな。そんなことしたら、ジャガルがゼラド大公国と本格的に手を組んで、西の王都を滅ぼしちまうかもしれないだろ? だから、せいぜい嫌味ったらしい言葉を投げかけてくるぐらいだよ」
そう言って、アルダスはにっと白い歯を見せた。
「だいたい、ネルウィア育ちの俺たちは、ゼラドも王都も関係ないんだ。そんなトトスでひと月以上もかかる場所でのもめごとなんて、知ったこっちゃないよ。宿屋でくだを巻いてる連中だって、それぐらいのことはすぐに理解できるだろうさ」
「ふん! あんな馬鹿どもと殴り合っても、一銭の得にもならんからな!」
「そうそう。何がどう転んだって、俺たちのほうから喧嘩をふっかけたりはしないよ。それでジェノスを追い出されたりしたら商売にならないし、アスタたちの料理も食べられなくなっちまうしな」
アルダスは笑顔のまま、おやっさんを見下ろした。
「おやっさんもさ、さっきは料理がまずくなるなんて言ってたけど、そんなこともなかったろう? 宿屋でのギバ料理も最高だったよな」
「うむ! 去年と同じ献立だったが、味は格段によくなっていた! それは、ほめておいてやろう!」
「ど、どうも、恐縮です」
「それに、ナウディスの料理もなかなかだったな。まさかナウディスまであんな立派なギバ料理を作れるようになっていたとは驚きだよ」
アルダスたちにとっては、王都の兵士たちなどよりそちらのほうが大きな関心ごとであるようだった。
それをありがたく思いながら、俺も殺伐とした話は打ち切らせていただくことにした。
「ちょうど昨日は休み明けだったので、『ギバの角煮』の日取りであったのですよね。あれは売り切れるのが早いという話でしたが、みなさん注文することはできましたか?」
「ああ、あれは格段に美味かった! 昨日は宿でずっと仕事の話をしていたから、食いっぱぐれることもなかったよ。そうか、今後は売り切れに気をつける必要があるんだな」
「ふん! あの料理は6日に1度という話だったな? だったら、その日だけとっとと仕事を切り上げればいいのだ!」
おやっさんの元気なわめき声で、俺もようやく「あはは」と笑うことができた。
たぶんこれが、本日宿場町に下りて初めての笑いであったと思う。
「それでは、ご注文を承ります。今日の日替わり料理は『ギバの揚げ焼き』といって、ジャガルのみなさんにもおすすめですよ」
「ああ、この香ばしい匂いがたまらないな! そいつは、人数分もらおう!」
おやっさん率いる建築屋の本隊は8名であったが、彼らは現地で作業員を増員するので、今日は20名以上にふくれあがっている。その全員分の『ギバの揚げ焼き』を仕上げるのは、なかなかの大仕事であった。
それを待っている間、ふたつ隣の屋台で働いていたレイナ=ルウがおやっさんたちに呼びかけてきた。
「この時間は、『ギバの香味焼き』ではなく『ぎばばーがー』を売りに出しています。たしか、『ぎばばーがー』をあまり好いていない方々もおられたはずですよね?」
「うん? 俺たちが好いていない料理って……ああ、そいつは刻んだ肉を丸めて焼いた料理か? 確かにおやっさんなんかは、さんざん文句をつけていたな」
そのように答えてから、アルダスは「ああ」と笑みくずれた。
「娘さん、あんたのことは覚えてるぞ。昨日は見かけなかったように思うが」
「はい。わたしは1日置きに屋台の仕事を受け持っています」
「そうかそうか。しかし、よく去年の話なんて覚えていたな?」
「はい。町の人々と交流するのはあれが初めてであったので、わたしも強く印象に残っています」
そう言って、レイナ=ルウは屈託のない微笑を浮かべる。
アルダスも笑顔でうなずいてから、俺のほうに顔を寄せてきた。
「おい、何だか他の娘たちも、のきなみ表情がやわらかくなった気がするな。ずいぶん可愛らしい顔で笑うもんだから、びっくりしちまったぞ」
「そうですね。1年近くも商売を続けてきて、町の人たちに対する見方がずいぶん変わってきたのだと思います」
俺がそのように答えると、アルダスはいっそう愉快そうに笑った。
「そういうアスタも、ずいぶん変わったように思うぞ。表情はやわらかいのに、なんていうか……以前よりも、肚の据わった顔をしているな。角が取れて丸くなったのに、そのぶん頑丈になった感じだ」
「ええ? 以前の俺って、そんなに角がありましたか?」
「いや、礼儀なんかはわきまえていたが、けっこう挑むような目つきをしていたと思うぞ。別に、悪い意味ではないけどな」
言われてみれば、開店当初と現在では、俺の心持ちもずいぶん変化しているはずだった。
あの頃はスン家やサイクレウスの存在に気を張りつつ、なんとしてでもこの商売を成功させようという意欲に燃えていた。町の人々との関係性も不安定なものであったし、俺自身、手探りで生きているような部分があったのだ。
「ま、17、8歳なら成長するのが当たり前だ。お前さんはもういっぱしの商売人だよ、アスタ」
そのような言葉を残して、アルダスは青空食堂に向かっていった。
『ギバの揚げ焼き』の木皿を受け取りながら、おやっさんは「おい」と顔を近づけてくる。
「確かにお前さんは大した商売人だ。だから、もう稼ぎの足しにならないような厄介事には首を突っ込むんじゃないぞ?」
「……それは、王都の兵士たちのことですね?」
「ああ。あいつらはギバの料理にも興味はなさそうだったから、この屋台に近づいてくることもないかもしれんが、あんな連中には関わるもんじゃない」
そうしておやっさんや他のメンバーも、各自の料理を手に立ち去っていった。
さまざまな感慨に胸を揺さぶられつつ、俺は新たな肉を鉄鍋に投じる。
それからしばらくして、太陽が中天に近くなった頃、通りの南側から見慣れた人物が姿を現した。
城下町に向かう森辺の族長の一行である。
グラフ=ザザたちは北側の道で城下町に向かったのだろう。荷車は一台のみであり、手綱を引いているのはガズラン=ルティムであった。
時ならぬ森辺の狩人の登場に、町の人々はちょっとざわめく。
しかし、ガズラン=ルティムは俺たちのほうに穏やかな微笑を投げかけつつ、そのまま通りを抜けていった。
「あの荷台の中には、ドンダ=ルウもいるんだよね?」
と、護衛役のバルシャが後ろから呼びかけてくる。
「ええ。それにダリ=サウティと、フォウとベイムの家長たちもいるはずですよ。貴族との会合では、三族長とそのふたりの家長、それにガズラン=ルティムが同行することになっていますので」
「ふん。ザザ家ってのも合わせれば、6名もの家長がこんな時間に森辺を離れることになっちまったわけだね。あたしなんかは、もっと頻繁に休んでもいいんじゃないかって思ってるぐらいだけど、本人たちにしてみれば癪だろうねえ」
俺の心情も、バルシャと似たようなものであった。
家長たちが1日ぐらい休んでも、ギバ狩りの仕事にそこまで大きな支障が生じるわけではないのだろうと思う。しかし、王都の貴族たちが、まるで嫌がらせのようにギバ狩りの仕事を邪魔しようとすることには、腹が立って当然だと思えた。
(いったい今日は、どんな話し合いになるのかな。やっぱりその場には、マルスタインなんかも同席するんだろうか。メルフリードとポルアースには、なんとか同席してほしいところだけど……ううん、心配だなあ)
そうして俺が溜息をつきかけたとき、「アスタ様」と呼びかけられた。
俺を様づけで呼ぶ相手など、そうそういない。それはダレイム伯爵家の侍女にしてヤンの調理助手たるシェイラでった。
「ああ、シェイラ。今日はいったいどうされたのですか?」
「はい。アスタ様とトゥール=ディン様にお話があって参りました」
「え? わ、わたしですか?」
隣の屋台で『ケル焼き』の販売を受け持っていたトゥール=ディンが、びっくりまなこで振り返る。
「はい。お時間は取らせませんので、少々よろしいでしょうか?」
シェイラもなんだか、元気のない顔をしていた。
俺とトゥール=ディンはそれぞれの相方に屋台を任せて、シェイラと相対する。
「実はですね、トゥール=ディン様がオディフィア姫にお届けしている菓子についてなのですが……」
「あ、はい。約束の日は、明日のはずでしたよね」
「はい。そちらの菓子は、しばらく《タントの恵み亭》まで届けていただきたいのですが……それで問題はありませんでしょうか?」
トゥール=ディンは、不安げな面持ちで「はい」とうなずいた。
「こちらはまったく問題ありませんが……城下町で、何かあったのですか?」
「はい。皆さまもご存じの通り、現在は王都からの視察団の方々が城下町に留まっておりまして……それで、ずいぶんとジェノスの内情に厳しい目を向けておられるようなのです」
シェイラもまた溜息でもつきそうな面持ちでそう述べた。
「ですから、ジェノス侯爵家の人間がわざわざ宿場町まで出向いて、森辺の民から菓子を買いつけている、という話もあまり公にしないほうがいいのではないかと……そういう話に落ち着いたわけなのです」
「そ、そうなのですか……はい、了解いたしました。わたしはオディフィアに菓子をお渡しすることさえできれば、あとは何でもかまいません」
「ありがとうございます。……本当は、視察団の方々がジェノスを去るまで、トゥール=ディン様の菓子を買いつけることも控えるべきではないか、という話になったぐらいなのです」
そう言って、シェイラはついに溜息をついた。
「ただ……それを聞いたオディフィア姫は、不平の言葉を述べることもできず、ただぽろぽろと涙を流されていたそうで……それでメルフリード様も、このような形で菓子を買いつけることに決めてくださったのです」
「そうですか……」と答えながら、トゥール=ディンはうつむいてしまった。
「アスタ様がアリシュナ様にお届けになられている料理に関しても、これまで通りにわたくしどもが責任をもってお受け渡しさせていただきます。また何か問題が生じるようでしたら、わたくしがお言葉をお伝えに参りますので……今後もどうぞよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
シェイラは一礼して、俺たちの前から立ち去っていった。
手の甲で目もとをぬぐっているトゥール=ディンに、俺は「大丈夫かい?」と呼びかける。
「は、はい。すみません。オディフィアが泣いている姿を想像したら、わたしまで涙があふれてきてしまって……」
そうしてトゥール=ディンは面をあげると、けなげという言葉がぴったりの表情で微笑んだ。
「でも、菓子を届けることが禁じられなくてよかったです。明日もせいいっぱい、オディフィアに喜んでもらえそうな菓子を作りたいと思います」
「うん、そうだね」と、俺も微笑み返してみせた。
そのとき――通りのほうから、不穏なざわめきが伝わってきた。
とたんに、背後から「アスタ!」と呼びかけられる。
「話が終わったんなら、こっちに戻ってきてもらえるかい? あんまり散らばってると、あたしらの仕事が面倒なんでね」
それは、バルシャの声であった。
わけもわからぬまま、俺はトゥール=ディンとともに屋台へと帰還する。
その間にも、不穏ななざわめきはゆっくりこちらに近づいてきているようだった。
「眠りこけてた傭兵どもが目を覚ましたみたいだね。こんな時間まで寝ていられるなんて、優雅なご身分じゃないか」
屋台の背後に控えていたバルシャは、ふてぶてしい笑みを浮かべながら、通りの南側に目をやっていた。
往来を歩いていた人々は、慌てた様子で道の端に寄っている。そうして生まれた隙間から、10名ばかりの男たちがこちらに近づいてくるのが見えた。
甲冑などは、纏っていない。ただし全員が同じ様式のお仕着せを纏っており、腰には立派な長剣を下げている。それが、甲冑を脱いだ王都の兵士たちなのだということを想像するのは難しくなかった。
男たちは、下卑た笑い声を響かせながら、横に広がって歩いている。
そして――その一団は、迷うそぶりもなく、俺たちの屋台の前に立った。
「ふん、こいつがギバ料理の屋台だったのか。昨日も見かけたが、ずいぶん大々的に店を広げているもんだな」
どうやらリーダー格であるらしい男が、大声でそのように述べたてた。
屋台の前に並んでいたお客さんたちは、蜘蛛の子のように四散してしまう。
そんなことは気にかけた様子もなく、その男はさらに驚くべき言葉を口にした。
「それで、お前が森辺の集落とやらに住みついたという渡来の民、ファの家のアスタか。こいつはまた、ずいぶん可愛らしいお顔をした坊やだな」
その男は、真っ直ぐに俺のことをねめつけながら、そのように言い放ったのだった。