来し方と行く末(下)
2017.10/23 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
「今日の収穫は12頭か。まずまずといったところだな」
夕暮れ時、スンの集落に戻ったジーンの狩人がそのように述べたてると、ダナの狩人が呆れた様子で目を丸くした。
「12頭で、まずまずか? 1日でこれほどのギバを収穫することなど、俺たちの家ではありえないことだ」
「しかし今日はお前たちも加わって人数が多かった。それを考えれば、相応の収穫だろう」
「俺たちやスンの狩人などは、見習いの若衆ていどの働きしか果たしてはいないではないか。猟犬の力もさることながら、ジーンとスドラの力は大したものだ」
そのように述べてから、ダナの狩人は考え深げな顔をした。
「いや……それでもやっぱり、スンの狩人を含めた皆が猟犬を扱うのに長けているからこその結果であるのかな。ジーンとスドラの手並みが見事すぎてかすんでしまったが、これだけの数のギバを相手にしてまったく危ういことがなかったのは、やはり猟犬の力なのかもしれん」
「その通りだ。狩人の力があってこその猟犬であるし、猟犬の力があってこその収穫なのであろう」
ジーンの狩人は巨体を折り曲げて、猟犬の平たい頭を撫でさすった。
「ファの家の行いに関しては、いまだにさまざまな意見がある。しかしそれでもこの猟犬に関しては、使うことをためらう狩人はおるまい。何としてでも、もっとたくさんの猟犬を手に入れたいものだな」
「ああ。今日の狩りでも狩人の手が余ってしまったからな。5人の狩人に1頭の猟犬がいれば、これまで以上に安全に、かつ多くの収穫をあげることがかなうだろう」
ダナやハヴィラの狩人たちも、大きくうなずいていた。
そして、ライエルファム=スドラのほうを見やってくる。
「それではな、スドラの狩人たちよ。次の狩りでは別の男衆が加わるはずだから、しばらくは顔をあわせる機会もないだろうが……いずれどこかで、酒杯でも交わしたいものだ」
「ああ。そのような日がやってくることを、俺たちも楽しみにしている」
このダナやハヴィラやジーンの狩人たちも、少し前まではスン家の眷族であり、スドラの家を蔑んでいたのだ。
しかしそれも、家長会議でしか顔をあわせていなかった時代の話だ。ともに森に入った今日の言葉のほうが、正しい心情であるのだろう。ライエルファム=スドラは、そのように信じることができた。
「俺たちが次にスン家を訪れるのは、5日後だ。それまで息災にな」
ぶっきらぼうなジーンの狩人までもが、そのように声をかけてくる。
それに挨拶を返してから、ライエルファム=スドラは荷車に乗り込んだ。
帰りはチム=スドラの運転で、自分たちの家を目指す。
荷台には、持参してきた木箱が山積みにされていた。
自分たちには肉のほうがありがたいので、牙や角や毛皮をまるごと受け渡す代わりに、肉を多めに分配してもらったのである。この内の半分は血抜きも上手くいっているので、商売用に使えるはずであった。
「スンの家は、けっきょくファの家に肉を売ることが許されなかったのですよね。ファの家の行いに反対していたのは先代家長のズーロ=スンであったのに、気の毒な話です」
若いほうの男衆が、そのように述べたてた。
ライエルファム=スドラは、そちらに肩をすくめてみせる。
「それでもズーロ=スンを家長と認めていたのはあやつらなのだから、しかたあるまい。それに、新しい刀や薬が必要であれば城下町からの報償金をつかうこともできるし、自分たちだけでも収穫をあげられるようになっているのだから、生活に不自由はないはずだ」
「ああ。去年までの俺たちに比べれば、何倍も裕福であるだろうさ」
年を食ったほうの男衆が、そのように述べた。
42歳となったライエルファム=スドラと、ほとんど年齢は変わらない。ライエルファム=スドラと同じ時代を生きて、同じ光景を見てきた男衆だ。そして、この男衆と若いほうの男衆は親子であり、かつてはミーマの血筋であった。
「しかし、この十数年に限っていえば、あやつらのほうが俺たちよりも苦しい生活を強いられていたのだろうな。俺たちはどの氏族よりも貧しく、数々の悲劇に見舞われてきたが、それでも家人を思いやり、誇り高く生きることができていた。誇りを捨てて森の恵みをむさぼっていたあやつらよりも、数段は幸福であったはずだ」
そう言って、その男衆は昔を懐かしむように目を細めた。
「俺たちの家長がズーロ=スンではなくライエルファム=スドラであったことを、俺は何よりも誇りに思っている。森に魂を返した血族たちも、ようやく胸を撫でおろすことができたことだろう」
「……しかしそれも、すべてはファの家と出会うことができたおかげだ」
「そのファの家と正しい縁を紡いだのも、家長ライエルファムであるのだ。お前の存在なくして、スドラの家が今の幸福をつかむことはできなかっただろう」
そんなことはない、とライエルファム=スドラは胸の内でつぶやいた。
ライエルファム=スドラは、わずか8名の家人にしか幸福をもたらすことができなかったのだ。この20年以上の間で魂を返していった血族のことを思うと、ライエルファム=スドラは胸が痛んでやまなかった。
(そうだからこそ、こいつらにだけは正しい道を示してみせる。そうでなくては、俺のように不出来な人間が家長になった甲斐もない)
その後は若い男衆や御者台のチム=スドラも加わって、たわいもない話に興じることになった。
話題となるのは、やはり目前に迫った収穫祭と、ランの家との婚儀についてだ。他にもスドラの女衆がフォウに嫁入りする話もあったので、話題が尽きることはなかった。
そうして辺りがいよいよ薄暗くなり、スドラの家が近づいてきたとき――チム=スドラが「おや」と声をあげた。
「俺たちの家の周囲が騒がしいですね。あれは……フォウの女衆かな」
「うむ? 町で売る肉でも引き取りに来たのかな」
「いや、何かただ事ならぬ気配です」
ライエルファム=スドラは、得体の知れない不安感にとらわれることになった。
心臓が、どくどくと高鳴っていく。まったくわけもわからないまま、その脳裏には朝方の悪夢の幻影が走り抜けていった。
ライエルファム=スドラは、御者台の脇から身を乗り出した。
確かに、スドラの家へと通じる脇道に、女衆が慌ただしく出入りをしている。明らかに、変事が生じているのだった。
「おい、いったい何があったのだ!?」
脇道から飛び出してきた女衆に、チム=スドラが声を投げかける。
フォウの女衆は、青ざめた顔でこちらを振り返ってきた。
「ああ、スン家からお帰りになったのですね。すぐに家までお戻りください」
「無論そうするが、いったい何があったというのだ?」
「実は……リィ=スドラが、産気づいてしまったのです」
「なに!?」と、ライエルファム=スドラは打ちのめされることになった。
「馬鹿な……子が生まれるのは、半月か20日の後と言われていたはずだ。それがどうして……」
「わかりません。今はフォウとランの女衆が集まって、リィ=スドラの面倒を見ています」
ライエルファム=スドラは荷台を飛び降りて、駆け足で家に向かうことになった。
家の前には、人だかりができている。そのほとんどは女衆であったが、バードゥ=フォウとランの家長の姿もあった。
「バードゥ=フォウ、いったいどういうことなのだ!?」
ライエルファム=スドラは、つかみかからんばかりの勢いでバードゥ=フォウの長身に取りすがった。
バードゥ=フォウは、緊迫しきった顔でライエルファム=スドラを見下ろしてくる。
「お前たちがスン家に向かってしばらくしてから、リィ=スドラが産気づいたらしい。俺の妻や、お産を知る女衆が、総出でリィ=スドラに力を貸している」
そのとき、家の中から苦悶の喘ぎ声が響いてきた。
それはライエルファム=スドラですら聞いたことのなかった、リィ=スドラの悲鳴じみた声であった。
玄関口に向かおうとしたライエルファム=スドラの肩を、バードゥ=フォウがしっかりとつかんでくる。
「子が生まれるまで、男衆は近づかぬのが習わしだ。お前の子が無事に生まれることを、この場で森に祈るがいい」
「しかし! リィがお産でここまで苦しむことはなかった! 朝まではあのように元気であったのに、いったい何故なのだ!?」
「それは、俺にもわからぬが……」
「このたびは、飢えで苦しむこともなかった! リィの腹もかつてないほど大きくなっていたし、腹の子も呆れるほど元気に動いていた! それなのに、何故……」
ライエルファム=スドラはバードゥ=フォウの胸ぐらをひっつかみ、激情のままに蛮声を張り上げた。
「他の女衆も、元気な子が生まれるに違いないと言っていた! 何故なのだ!? 母なる森は、3度までも俺の子を奪おうというのか!?」
「落ち着け、ライエルファム=スドラ。森は決して、子たる我々を見捨てることはない」
「しかし俺たちは、これまでに何度となく森に見捨てられてきたのだ!」
膝が、がくがくと震えていた。
たとえようもない不安と恐怖が、ライエルファム=スドラの矮躯を包み込んでいる。今にも死者たちがライエルファム=スドラを取り囲み、無念の眼差しを向けてきそうな気配であった。
「ライエルファム=スドラ!」と、そのとき若い男衆の声がした。
バードゥ=フォウの胸ぐらをつかんだまま、ライエルファム=スドラはのろのろとそちらを振り返る。
黄色い肌をした若衆と、刀を下げた女狩人が、荷車を飛び降りてこちらに駆けてくるところであった。
「今、フォウの女衆から話を聞きました。リィ=スドラが、予定よりも早く産気づいたそうですね」
それは、ファの家のアスタとアイ=ファであった。
アスタは心配でたまらぬように眉をひそめており、アイ=ファは厳しく青い瞳を光らせていた。
「リィ=スドラは、きっと大丈夫です。おつらいでしょうが、ライエルファム=スドラも頑張ってください」
アスタの手が、バードゥ=フォウの胸もとにからんだライエルファム=スドラの手に重ねられてくる。
女衆のようにほっそりとしていて、温かい指先だ。
ライエルファム=スドラはバードゥ=フォウの胸もとから手を離し、今度はその指先をつかむことになった。
「アスタのおかげで、リィも腹の子もとても健やかであったのだ。今度こそ、万全な状態で我が子を迎えられると思ったのに、どうしてこんな……」
「俺もお産のことはよくわかりませんが……予定より半月も早く産まれるというのは、珍しい話なのでしょうか?」
アスタの言葉は、別の誰かに向けられたものであった。
周りに集まっていた女衆のひとりが、それに答える。
「珍しいとは言えますが、ありえない話ではありません。わたしなども、見込みよりも10日ぐらいは早く産まれたのだと親に聞いています」
「そうですか。それなら、リィ=スドラも大丈夫ですよ。これだけ多くの人間がその無事を祈っているのですから、母なる森だってそんな無慈悲な真似をするわけがありません」
ライエルファム=スドラは、半ば無意識に周囲を見回した。
バードゥ=フォウとランの家長、フォウとランの女衆、アイ=ファ、トゥール=ディン、ユン=スドラ――そして、荷車を降りたチム=スドラたちも、それぞれ真剣な面持ちでライエルファム=スドラとアスタを取り囲んでいた。
「すみません、家長。今日はルウの家で新しい食材の吟味をしていたので、家に戻るのが遅くなってしまいました」
どうやらアスタと同じ荷車に乗ってきたらしいユン=スドラが、涙目で進み出てきた。
「リィも腹の子も絶対に大丈夫です。今度こそ、スドラの家に元気な赤ん坊が産まれるのです。それを信じましょう」
「ああ……ああ、わかっている……」
ライエルファム=スドラはアスタの指先から手を離して、バードゥ=フォウに向きなおった。
「取り乱して済まなかった……フォウとランの力添えには、感謝している……」
「俺たちは血族であり、森辺の同胞であるのだ。ともにリィ=スドラとその子の無事を祈ろう」
ライエルファム=スドラは力なくうなずいてから、玄関のすぐ脇に腰を落とした。
戸板の向こうからは、ひっきりなしにリィ=スドラの悲痛な声が聞こえてくる。たとえお産どいえども、リィ=スドラがこれほどの苦痛に見舞われたことはかつてなかった。
(どうしてだ……このたびは、これまで以上に大きな子に育ったから、リィの苦しみも増してしまったということなのか……?)
男衆のライエルファム=スドラには、考えても答えの見つけようはなかった。
ただ、不安の念がぎゅうぎゅうと心臓を押し潰してくる。気を抜けば、そのまま地面に這いつくばってしまいそうだった。
(母なる森よ……どうか、俺の妻と子に慈悲を! 俺の生命はここまででもいい! これで妻と子を失ってしまったら、俺は……俺はもはや、生きる道しるべを失ってしまうのだ!)
まぶたを閉ざすと、おぞましい幻影が浮かびあがった。
悪夢で見た、死者の群れだ。
この中にリィ=スドラや新しい幼子が加わることなど、ライエルファム=スドラに耐えられるわけもなかった。
父や兄が、無念そうに立ちつくしている。
母や妹は、悲しそうに眉を下げている。
2度までも失った幼子たちや、兄の伴侶や、分家の家人たちや、ミーマの家人たちや――この二十数年間で失ってきた人々が、青白くゆらめきながらライエルファム=スドラを取り囲んでいる。
その中でひとりだけ、血族ならぬ人間の姿があった。
ライエルファム=スドラがこの手で討ち取った、大罪人の姿だ。
灰色の髪をして、うつろな眼差しをした、スン家の壮年の狩人である。
その姿が、妙にまざまざとライエルファム=スドラの頭に食い入ってきた。
(まさか……まさかこれは、お前の呪いなのか……? 大罪人とはいえ森辺の同胞を手にかけた俺にも、裁きが下されるということなのか……?)
ライエルファム=スドラは、ぎりぎりと奥歯を噛み鳴らした。
(しかし! お前を殺さなければ、アスタが殺されていた! アスタを見殺しにすることなど、俺にはできん! 俺に罪があるというのなら、妻や子ではなく俺を殺せ!)
死者たる狩人の瞳に、光が灯った。
それは、彼が死の淵で見せた、穏やかな眼差しであった。
アスタとアイ=ファに看取られながら、彼はそのような眼差しで息を引き取ったのだ。
ライエルファム=スドラは、それをアスタの肩ごしに見ていた。
狂った獣のように吠えていた彼が、最期の瞬間は人間らしい穏やかな表情を浮かべていた。それを目にしたばかりに、ライエルファム=スドラはたとえようもない罪悪感を抱え込むことになったのだ。
(俺は……俺は、殺すべきでない人間を殺してしまったのか? 俺のように罪深い人間には、妻と子の幸福を願うことさえ許されないのか?)
ライエルファム=スドラは、絶望の深淵に引き込まれていくような心地であった。
すると、死者たる狩人がふっと微笑んだ。
その口が、何か言葉を紡ごうとした瞬間――闇の向こうから、弾ける火花のように赤児の泣き声が響きわたってきた。
「ライエルファム=スドラ、産まれたぞ!」
強い力に肩を揺さぶられる。
放心状態で顔をあげると、バードゥ=フォウが歓喜の表情でライエルファム=スドラの顔を覗き込んでいた。
赤児の泣き声が、頭の中で反響していた。
これは本当に現実のものであるのか。そんな風に思えてしまうほど、それは不自然にびりびりと反響していた。
アスタとアイ=ファも、ライエルファム=スドラのかたわらに屈み込んでいる。
ふたりの面には、期待と不安の表情がごちゃまぜになっていた。
そんな中、家の戸板が内側から引き開けられた。
「ライエルファム=スドラ、どうぞ。まずは父たるあなただけがお入りください」
それは、バードゥ=フォウの伴侶である女衆であった。
バードゥ=フォウの手に支えられて、ライエルファム=スドラはよろよろと立ち上がる。
戸板が開かれると、赤児の泣き声はいっそう奇妙な風に響きわたった。
何かがおかしい、何かが普通でないと感じながら、ライエルファム=スドラは夢うつつの心地で玄関をくぐった。
広間の真ん中に、大きな敷物が広げられている。この日のために準備しておいた敷物だ。
その敷物の上で、リィ=スドラが座していた。
腰から下は大きな布で隠されており、背中はランの女衆に支えられている。
そしてその手に、我が子が抱かれていた。
その姿を見た瞬間、ライエルファム=スドラの胸にわだかまっていた疑念は氷解した。
リィ=スドラの手には、小さな赤児がふたりも抱きかかえられていたのである。
「珍しい双子のお産でしたが、無事に取り上げることができました。だからリィ=スドラの腹はあれほどまでに大きくなっていたのですね」
バードゥ=フォウの伴侶が、そのように述べていた。
室内には他にも何人かの女衆がいるようだったが、ライエルファム=スドラには上手く見て取ることができなかった。
「さあ、抱いてあげてください。赤児たちが、父に抱かれるのを待っています」
冷たい感触が、手もとを伝っていく。
どうやら誰かが、ライエルファム=スドラの手を水で清めてくれたようだった。
ライエルファム=スドラはふわふわと空中を漂っているような心地で歩を進めて、愛する伴侶のかたわらで膝をついた。
リィ=スドラは消耗しきっていたが、しかしこれまでで一番幸福そうに微笑んでいた。
「お待たせいたしました。家長、わたしたちの子です」
白い初着にくるまれて、ふたりの赤児がけたたましく泣いている。
ふたりの泣き声が重なっていたので、ライエルファム=スドラには不自然に聞こえたのだ。
ライエルファム=スドラは、震える指先を赤児のほうに差し出した。
バードゥ=フォウの伴侶が手伝って、まずは片方の子を抱かせてくれた。
それは、小さな小さな赤ん坊であった。
これまでに産まれた赤児たちよりも小さいぐらいであったかもしれない。
しかし、しわくちゃのその顔は、かつての赤児たちよりも血の色が目覚ましく、丸々と肥えているように感じられた。
「これほど元気な声で泣く赤児は初めてです。身体はいささか小さいですが、すぐに大きく育つことでしょう」
そんな風につぶやくリィ=スドラの手から、さらにもうひと方の赤児も手渡された。
やっぱりしわくちゃで、丸々としていて、元気な声で泣く赤児であった。
「右の子が姉で、左の子が弟です。たしか、ザザの本家の姉弟も双子であったはずですね……彼らに負けないぐらい、立派な子に育てましょう」
ライエルファム=スドラの手で、ふたりの赤児が泣いていた。
こんなに小さいのに、何よりも重く感じられる。
その愛おしくてたまらない姿が、ふいにぼやけた。
ライエルファム=スドラの瞳からは、いつしか滂沱たる涙があふれていた。
(母なる森よ……あなたの慈愛に、心よりの感謝を捧げます)
ライエルファム=スドラは、涙に濡れた顔を玄関のほうに向けた。
「アスタにアイ=ファ、見てくれ。これが……これが、俺の子だ」
「はい。おめでとうございます、ライエルファム=スドラ、リィ=スドラ」
玄関口に、アスタとアイ=ファが立っていた。
きっとバードゥ=フォウが、そのように取りはからってくれたのだろう。その心づかいにも、ライエルファム=スドラは感謝の念を捧げた。
「アスタにアイ=ファ、お前たちにも、この子らを抱いてほしい」
「ええ? だけど俺たちは……その、赤ん坊の取り扱い方もよくわからないので……」
「頼む。お前たちの力なくして、この子らは生まれることもなかったのだ」
「そ、そんなことは決してないと思いますが……」
アスタとアイ=ファはふたりとも尻込みしていたが、周囲の女衆が手を引いてこちらにまで導いてくれた。
その手が清められるのを待ってから、ライエルファム=スドラは赤児たちを差し出してみせる。
アスタの手に男児が、アイ=ファの手に女児が受け渡された。
アイ=ファは途方に暮れた様子で眉尻を下げている。
「なんという大きな泣き声だ。これなら確かに、元気に育つことは間違いないな」
「ああ。それもすべて、お前たちのおかげだ。ファの家と絆を結べたからこそ、俺たちはこのような希望と幸福を授かることができたのだ」
「……では、もう返してもいいだろうか? もしも落としてしまったらと考えると、私は背筋が震えてしまいそうだ」
そのように述べてからアスタのほうを振り返ったアイ=ファは、たちまち憤慨の表情になった。
「またお前は、何を泣いているのだ。心が弱いにもほどがあるぞ」
「そんなこと言ったって、これは無理だよ」
アスタは困ったように微笑みながら、ライエルファム=スドラに負けぬほどの涙をこぼしていた。
「ライエルファム=スドラ、リィ=スドラ、本当におめでとうございます。おふたりとこの子供たちに、心からの祝福を捧げさせていただきます」
「ええ、ありがとうございます。アスタ、それにアイ=ファも。家長の言う通り、この日の幸福はすべてあなたがたのおかげです」
「そんなことはないですよ。スドラのみなさんが苦境にもめげずに正しい道を歩いてきた結果です」
とめどもなく涙を流しながら、アスタはそのように答えていた。
その姿を見ているだけで、ライエルファム=スドラも新たな涙をこぼしてしまった。
「この先もスドラの家は、ファの家とともに正しい道を進んでいきたいと願っている。俺などはいつ森に朽ちるかもわからぬ身であるが、どうかこの子らの行く末をアスタたちにも見守ってもらいたい」
「何を言っているのですか。この子らが立派に育つまでは死ねないと言っていたじゃないですか。どうか長生きして、ライエルファム=スドラ自身がこの子たちの行く末を見守ってください」
その手に小さな赤児を抱き、とても温かい微笑を浮かべながら、アスタはそう言った。
「そうして今度は、この子たちが婚儀をあげて、孫を生むところまで見届けるのです。そうしたらきっと、今日にも負けない幸せな気持ちを得られるはずですよ」
「うむ。ルウ家の最長老などは86の齢を重ねても元気であるのだ。スドラの家を懸命に導いてきたお前には、それぐらいの幸福を願う資格もあるはずだぞ」
アイ=ファも優しげな表情で、そのように述べてくれていた。
ライエルファム=スドラはリィ=スドラに寄り添いながら、「ああ」とうなずいてみせる。
「すべては森の思し召しだが……俺は1日でも長く生きて、この子らと、大事な家人たちと、そして友たるお前たちと、正しい道を歩いていきたいと願う」
「はい。これからもどうぞ末永くよろしくお願いいたします」
アスタとアイ=ファの手から、赤児たちが返された。
リィ=スドラの手に女児が、ライエルファム=スドラの手に男児が抱かれる。
ライエルファム=スドラはこの上もない幸福感に包まれながら、かつての死者たちにも祈りの言葉を捧げた。
(お前たちのことは、森に魂を返す瞬間まで忘れない。その上で、俺はこの子らと生きていく。どうか、見守っていてくれ)
もちろん、答える者はいなかった。
それでももはや、ライエルファム=スドラが恐怖と不安に見舞われることはなかった。
ふたりの小さな子供たちは、同胞の情愛に満ちみちた眼差しに囲まれながら、いつまでも元気な泣き声を響かせていた。