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異世界料理道  作者: EDA
第三十章 群像演舞~三ノ巻~
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    去りし日の恋物語(下)

2017.9/29 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

・なお、本日より異世界料理道のコミック版が『コミックファイア』様で、本編の特別番外編が『読める!HJ文庫』様において公開されます。どちらも閲覧は無料ですので、ご興味のある皆さまは是非ご一読くださいませ。詳細につきましては、9/27付けの活動報告に記載しております。

 7日後の夜である。

 その夜、ルウの集落の広場において、ギラン=リリンとウル=レイの婚儀の祝宴が華々しく開かれることになった。


 リリンの家が加わったことによって、100名の数を数えようかというルウ家の血族が、そこにすべて集結している。小さな祝宴では招かれない老人や幼子まで集められて、それこそ火のついたような騒ぎであった。


 その騒乱の場を、ラウ=レイはひとりで歩いている。

 ギラン=リリンとウル=レイの草冠が交換されて、血族の絆が完全に結ばれた後のことである。せめてその神聖なる儀式が済むまではと、ラウ=レイもずっと大人しくしていたのだ。


 そうして人垣をかき分けて目当ての人物を捜していたラウ=レイは、顔見知りの眷族たちに呼び止められることになった。


「おお、レイ家の長兄ではないか。そんな難しい顔をしてどうしたのだ?」


 ルティムの家長ダン=ルティムと、その長兄ガズラン=ルティムである。

 家長のほうは果実酒の土瓶を振り上げており、長兄のほうは静かに微笑んでいる。実に似ていない親子であるが、どちらも狩人としてはきわめて優秀な部類であるはずであった。


「俺は、人を捜している。ルウの本家の長兄はどこにいるのだろうか?」


「ジザ=ルウか。さて、俺はしばらく見ておらんな。ガズランは、どこかで言葉を交わしていなかったか?」


「はい。ですが、それは婚姻の儀式が始まる前のことなので、今はあちらも場所を移していると思います」


 ガズラン=ルティムは誰が相手でも丁寧な言葉を崩さない、奇妙な男衆であった。

 しかし身の丈はラウ=レイよりも頭半分以上は大きく、父親ほどではないが体格もがっしりとしている。それはちょうど、ジザ=ルウと同じぐらいの背格好であるように思えた。


「……ガズラン=ルティムは、ジザ=ルウと同じぐらいの年だったか?」


「私のほうが、ひとつ年長です。ジザ=ルウは18歳で、私は19歳ですね」


「そうか。狩人の力比べで、ジザ=ルウとやりあったことはあるか?」


「ええ、何度かは。勝ったり負けたりの繰り返しで、あまり力量に差はないように感じられます」


 すると、ダン=ルティムがガハハと笑い声をあげた。


「その年齢にしては、どちらも大した力量だとは思うがな! 俺やドンダ=ルウと張り合うには、まだまだだ! 俺たちが老いる前に力をつけてくれると期待しているぞ、ガズランよ!」


「……しかしそれでも、大した力量であるのだろう? ジザ=ルウはこの前の収穫祭で、勇者のひとりを倒していたはずだ」


「うむ! ガズランもジザ=ルウも、いつ勇者に選ばれてもおかしくはない力量であろう! まったく頼もしいことだ!」


 そのように述べてから、ダン=ルティムはぎょろりとした目でラウ=レイを見やってきた。


「お前さんは、まだ森に入れる年ではなかったはずだな。しかし、レイとルティムはもっとも古きよりルウの家を支えてきたのだ! お前にも強き父親の血が流れているのだから、いずれはガズランたちに負けぬ力を身につけてほしいものだ!」


「……ああ、言われずとも、そのつもりだ」


 そこでラウ=レイは、早々に別れの挨拶を告げることにした。

 なぜジザ=ルウの行方を捜しているのか、と問われてしまうと、ややこしいことになってしまうのだ。虚言を吐くのは罪であるし、誰に止められてもラウ=レイは自分の行いを改める気持ちもなかったのだった。


 しかし、ジザ=ルウの姿はなかなか見つけられない。

 100名にも及ぼうかという人間が、思い思いに広場を動き回っているのである。それに、その半数ぐらいは、ラウ=レイよりも体格のいい男衆だ。年齢の割には大きく育ったラウ=レイでも、大人の狩人とは比べるべくもない。この見通しの悪さでは、なかなか目的を達成させることもできなかった。


「よー、ラウ=レイじゃん。ひとりで何やってんだ?」


 と、また別の顔見知りに声をかけられる。

 ルウの本家の末弟ルド=ルウと、三姉のララ=ルウ――そして、名前は知らないが、たしかルウの分家の少年である。鉄鍋からすくった煮汁を食していたその3名が、にこにこと笑いながらラウ=レイに語りかけてきたのだった。


「ポイタン汁、食うか? こっちの鍋のやつは、チャッチとティノとネェノンが入ってるぞ」


「いや、今はいい」


 その3名は、いずれもラウ=レイより少し年少であった。

 なおかつ、本家の2名はラウ=レイの姉たちにも負けないぐらい賑やかな気性である。彼らにジザ=ルウを捜していると告げようものなら、即座に理由を問われてしまいそうであった。


「レイの家族を捜してんのか? 母親だったら、うちのミーア・レイ母さんとあっちで話してたぞ」


「そうか。……姉や家人たちは見かけなかったか?」


 サティ=レイを見つければ、その近くにジザ=ルウもいるかもしれない。

 そのように考えて問うたのだが、ルド=ルウは「家人?」と首を傾げていた。


「姉貴の他に家人がいるのか? 俺、知らねーけど」


「馬鹿ルド、レイの本家の家人って言ったら、アレじゃん。ジザ兄が婚儀をあげるかもしれない女衆だよ」


 ララ=ルウの何気ない言葉が、ラウ=レイの胸をずきりと疼かせる。

 ルド=ルウは「誰が馬鹿だよ」と妹の頭を小突いていた。


「そういえば、ジザ兄の姿が見えねーな。どっかでその女衆と話してんのかな」


「きっとそうだよ。邪魔しちゃ駄目だからね!」


「うるせーなー。そんなおっかねーことするわけねーだろ」


 妹に向かって舌を出してから、ルド=ルウがラウ=レイに向きなおってきた。


「でも、その女衆がジザ兄と婚儀をあげたら、俺たちも同じ家で住む家族になるんだよな。そいつ、どんな女衆なんだ?」


「……ルウの本家に嫁入りさせても恥ずかしくない女衆だ」


 内心の激情をおさえつけながら、ラウ=レイはそのように答えてみせた。


「逆に問わせてもらうが、ジザ=ルウというのはどういう男衆なのだ?」


「ジザ兄か。そうだなー。ちょっとおっかねーところもあるけど、立派な男衆だよ。この前なんて、勇者のリャダ=ルウに勝てたぐらいだもんなー」


「ああ。父リャダも、ジザ=ルウは立派な狩人だと言っていた」


 分家の少年が、しかつめらしい表情でそう応じた。

 年齢のわりには、ずいぶん落ち着いた雰囲気の少年である。ラウ=レイよりもずいぶん小柄で体格もほっそりしていたが、やんちゃな兄妹に比べれば格段に大人びて見える。


「この前、ジザ=ルウに負かされていた勇者は、お前の父親だったのか。しかし、ジザ=ルウに負けたとはいえ、勇者であったのだから立派な狩人であるのだな」


「当然だ。次の力比べでは必ずジザ=ルウに勝ってみせると言っていた」


 切れ長の目に真剣な光をたたえつつ、少年はそう言った。

 自分の父親が若い狩人に敗北したら、きっとラウ=レイもこういう目つきをすることになるのだろう。


「お前はたしか、ルウの分家の人間であったはずだな。お前の父親は、どういう血筋の人間であるのだ?」


「リャダ=ルウは、ドンダ父さんの弟だよ。このシン=ルウは、リャダ=ルウの家の長兄ね」


 ララ=ルウが、何故か挑むような目つきでそのように応じてきた。

 ラウ=レイは、小さからぬ驚きにとらわれてしまう。


「ドンダ=ルウの弟――そうか、あの狩人はそれほどの男であったのだな」


 ドンダ=ルウがどれほど怪物じみた力を持っているかは、ラウ=レイにだって痛いほどわかっている。ここ数年、血族の力比べでは必ずドンダ=ルウとダン=ルティムのどちらかが最後まで勝ち抜いていたのだった。


 そのドンダ=ルウの弟であるリャダ=ルウに、ジザ=ルウは勝利した。

 ジザ=ルウとは、それほどの狩人であったのだ。

 ラウ=レイは、身の内が熱くなる思いであった。


「あ、女衆の舞だよ!」


 と、ララ=ルウが一転してはしゃいだ声をあげる。

 広場の中心で焚かれている儀式の火を囲むようにして、若い女衆が進み出ていた。

 15歳より年を重ねており、なおかつ未婚である娘たちによる、求婚の舞である。


 その中に、サティ=レイの姿もあった。

 ラウ=レイは、焼けるような思いでその姿を見つめることになった。


 サティ=レイも他の女衆と同じように、きらびやかな宴衣装を纏っている。

 レイは豊かな氏族であるので、その豪奢さはルウやルティムの女衆にも負けていなかった。


 いや、たとえサティ=レイがどのような格好をしていたとしても、ラウ=レイには一番美しく思えたに違いない。

 人に恋をするというのは、そういうことであるのだ。


 サティ=レイは、誰よりも美しかった。

 普段はつつましくて、なかなか人の前に出ることもしないサティ=レイが、全身で、燃えあがるような舞を見せている。


 ラウ=レイは、涙がこぼれそうになるぐらい、心を揺さぶられていた。

 同時にまた、これまでで一番激しい痛みを抱え込むことにもなった。


 あの舞は、自分に向けられたものではないのだ。

 サティ=レイも、自分と同じぐらい強い気持ちで、他の人間を愛しいと思っているのだ。

 だからこそ、サティ=レイはあのように美しく、激しく舞うことができるのである。


 ラウ=レイは、自分の胸に刀を突き刺すような心地で、最後までその舞を見届けた。

 そして、草笛やギバの骨を打ち鳴らす音色がやむと同時に、ラウ=レイは駆け出していた。


 サティ=レイは、きっとジザ=ルウのもとに向かうはずだ。

 もしかしたら、そのままふたりは婚儀の約束を交わしてしまうかもしれない。

 その前に、ラウ=レイは自分の思いを果たさなくてはならなかった。


「ジザ=ルウ!」


 果たして、想像通りの光景がそこに待ち受けていた。

 儀式の火からも遠ざかった場所で、サティ=レイがジザ=ルウに微笑みかけている。しめしあわせたように、その周囲には他の人影もなかった。


「まあ、ラウ、いったいどうしたの?」


 サティ=レイが、びっくりしたようにこちらを振り返る。

 それを無視して、ラウ=レイはジザ=ルウの眼前に立ちはだかった。


「ジザ=ルウ……俺は、レイ本家の長兄、ラウ=レイだ」


「もちろん、その姿を見忘れたりはしない。ずいぶん急いでいたようだが、いったいどうしたのだ?」


 落ち着き払った声音で、ジザ=ルウが問うてきた。

 記憶にある通りの、雄々しい姿である。


 さきほど見たガズラン=ルティムと、やはり似通っている。ラウ=レイよりも頭半分以上は長身で、体格などはひとまわりも大きい。肩幅は広く、胸板は厚く、それでいて、手足はすらりと長かった。


 黒褐色の髪を短く切りそろえており、顔はいくぶん角張っている。その目は糸のように細く、いつも笑っているように見える。いまだ18歳であるというのに、それは歴戦の狩人にも劣らない、泰然としていて力強い姿であった。


「……ジザ=ルウ、お前に願いたいことがある」


「うむ。いったい何であろうか」


「俺と、力比べをしてほしい」


 ジザ=ルウは穏やかに見える面持ちのまま、逞しい首をわずかに傾げた。


「力比べとは、狩人の力の試し合いのことか? 婚儀の祝宴で力比べをすることはないし、そもそもラウ=レイはいまだ狩人ではないはずだが」


「俺は、お前がどれほどの狩人であるのかを知りたいのだ。だったら、力比べをするしかあるまい」


「ラウ、いったいどうしたの?」


 心配そうに言いながら、サティ=レイがラウ=レイの肩に手をかけようとした。

 それをじゃけんに振り払いつつ、ラウ=レイはジザ=ルウの顔をねめつける。


「お前は、サティを嫁に迎えようと考えているのだろう? しかし俺は、力の足りない狩人にサティを渡すつもりはない。サティを伴侶にしたいのだったら、その力を俺に示してみせろ」


「……婚儀の是非を決めるのは、本人たちとおたがいの家の家長であるはずだが」


「知ったことか! 俺は、俺の気持ちに従っているまでだ!」


 ついにラウ=レイは、大きな声をあげてしまった。

 しかしこれでも、可能な限りは自制した結果であった。

 ジザ=ルウは悠揚せまらず、「ふむ」と下顎を撫でている。


「了承した。いまだ狩人ならずとも、レイ本家の長兄である貴方の言うことだ。ルウ本家の長兄として、その望みをかなえてみせよう」


「ジザ=ルウ、よろしいのですか?」


 サティ=レイが、心配げな声をあげている。

 ジザ=ルウは穏やかに、「ああ」と答えていた。


「ただし、狩人の力比べで手加減することは許されない。いまだ狩人ならぬ貴方が相手であっても、その習わしを破るべきではないだろう」


「手加減など、されてたまるか!」


 ラウ=レイは、激情のままにつかみかかった。

 次の瞬間、世界が一回転をする。

 気づくとラウ=レイは、背中から地面に叩きつけられていた。


 重い衝撃に、呼吸が止まる。

 目の奥に、白い星が瞬いた。

 いったい何がどうなって、このような痛撃を受けることになったのか、ラウ=レイにはまったく理解することができなかった。


「どうであろうか? 俺は力を示すことがかなったか?」


 ジザ=ルウの声を頭上に聞きながら、ラウ=レイはよろよろと立ち上がった。


「まだだ……このていどで、お前を認めることはできん」


「そうか」と応じつつ、ジザ=ルウは何事もなかったかのようにたたずんでいた。

 その笑っているように見える顔に激情を衝き動かされて、ラウ=レイはまた頭から突進する。


 今度は、ジザ=ルウの胸にぶつかることができた。

 しかしジザ=ルウは、大樹のようにビクともしなかった。

 そしてラウ=レイの両肩をつかみ、横合いへと振り払ってくる。

 ラウ=レイは何とかこらえようとあがいたが、なすすべもなく転がされることになった。


「まだだ!」と叫び、三たびつかみかかる。

 今度はぶつかる前に腕を取られて、そのまま地面に放り捨てられた。

 ラウ=レイは身をよじり、顔面から落ちるのを回避することしかできなかった。


 さらに立ち上がり、突進する。

 今度はひょいっとかわされて、足を掛けられてしまった。

 ラウ=レイはぶざまに転倒し、胸を地面で打ってしまう。


 それでも、ラウ=レイは立ち上がった。

 身体のあちこちがズキズキと痛み、すでに呼吸も乱れている。

 それでもラウ=レイは、無謀な勝負を挑み続けた。


 それから、どれぐらいの時間が過ぎたのか――朦朧とした頭でジザ=ルウにつかみかかると、転ばされも投げられもしないまま、落ち着いた声で呼びかけられてきた。


「そろそろ貴方も限界だろう、ラウ=レイ。狩人の力比べでは、相手に手傷を負わせることも禁忌であるのだ」


「ふん……だったら……サティを、あきらめるのか……?」


 息も切れ切れに、ラウ=レイは答えてみせる。

 すると、物凄い力で胸もとを突き飛ばされた。

 地面に背中を強打されて、ラウ=レイは苦痛のうめき声をあげてしまう。


「そうは言っていない。お望みであれば、貴方に手傷を負わせぬまま、夜が明けるまでお相手しよう」


 ジザ=ルウは、その面に汗ひとつ浮かべてはいなかった。

 それをにらみつけながら、ラウ=レイはのろのろと身を起こす。

 そうして半身を起こしたところで、サティ=レイが取りすがってきた。


「もうおやめください、ラウ。これ以上は、あなたが危険です」


 温かい指先が、ラウ=レイの肩に触れている。

 ぜいぜいと息をつきながら、ラウ=レイはこらえきれずにそちらを見た。


 サティ=レイは、いつも通りの面持ちで微笑んでいた。

 ただその目は、ほんの少しだけ悲しそうに細められていた。


 気づけば、大勢の人間がラウ=レイたちを取り囲んでいる。

 祝宴のさなかにこのような騒ぎを起こせば、それが当然であろう。

 ラウ=レイは、がくがくと震える足に力を込めて、何とかその場に立ち上がってみせた。


「ジザ=ルウ……サティを幸福にすると、この場で約束しろ……」


 ジザ=ルウは、最初に見たときとまったく変わらぬ姿で、そこに立ちはだかっている。

 その糸のように細い目が、真っ直ぐラウ=レイを見つめていた。


「ラウ=レイよ、俺とサティ=レイは、いまだ正式に婚儀の約定を交わしたわけでもないのだが」


「うるせえ! どうせお前たちは、婚儀をあげるのだ! それぐらいのことが、俺にわからないと思うのか!?」


 サティ=レイの指先は、まだラウ=レイの肩に触れている。

 その温かさに胸の中をかき回されながら、ラウ=レイは激情のままに怒声を撒き散らした。


「だからこの場で、サティを幸福にすると約束しろ! その約束を違えたら、俺が必ずお前を討つ! ルウとレイの絆も、それまでだ!」


「……大事な眷族であるレイの家を失うわけにはいかんな」


 いつも笑っているように見えるジザ=ルウの顔が、そこで初めてはっきりと微笑みをたたえた。


「サティ=レイを幸福にすると、ここで約束しよう。……そして順番が違ってしまったが、ルウ本家の長兄ジザ=ルウは、レイ本家の家人サティ=レイに、嫁入りを願う」


 驚きや喜びの声が、彼らの周囲であふれかえった。

 その声を聞きながら、ラウ=レイはその場にへたり込んだ。

 再びのばされてきた指先を、ラウ=レイはそっと押し返す。


「俺などにかまっている場合か。ジザ=ルウに恥をかかせるな」


 サティ=レイは、泣いているような顔で微笑んだ。

 そして、ジザ=ルウのほうに向き直った。


「はい……レイ本家の家人サティ=レイは、ルウ本家の長兄ジザ=ルウのお言葉をお受けしたく思います」


 人々の声が、温かい歓声へと変じていく。

 ラウ=レイは、放埒な気分で大の字になった。


 その胸は、いまだに熱く疼いている。

 まだしばらく、この痛みはラウ=レイのもとに留まるのかもしれない。

 しかし、今のラウ=レイにできることはすべてやり尽くした。

 あとは、サティ=レイが幸福な生を送ることを森に祈るしかなかった。


                  ◇


「とまあ、そんな感じで、ジザ=ルウとサティ・レイ=ルウは婚儀をあげることになったわけよ」


 そのような言葉で、レイの本家の長姉は長い物語を締めくくった。

 ルウの本家のかまど小屋においてのことである。鉄鍋の中身を攪拌していたヤミル=レイは「ふうん」と適当に応じてみせた。


「ずいぶんとまあ騒がしい一夜であったようね。周りの人間たちも、さぞかし気がもめたことでしょう」


 すると、長姉の逆側にいた末妹が顔を寄せてくる。


「周りの人間なんてどうでもいいんだよ。これだけの話を聞かされて、あんたはそんな感想しか出てこないの?」


「他に何を言えばいいのかしら? ……というか、どうしてそんな古い話を、わたしが聞かされなければならなかったの?」


「それはもちろん、ラウのことを知ってほしかったんだよお。スン家で暮らしていたあなたは、そんな話も聞かされてなかっただろうからねえ」


 と、次姉も笑顔で言葉をはさんでくる。


 現在は、ルウの本家で料理の手ほどきをされているさなかであった。そうしてひと通りの手ほどきが済んで、味見をするための試食品をこしらえている間、彼女たちは延々と語り続けていたのである。


 この中で、ヤミル=レイと馴染みが深いのは、長姉のみであった。彼女はルウの分家から婿を取り、レイの本家でともに暮らし続けていたのだ。

 次姉はルティムに、末妹はミンに嫁入りしていたため、彼女たちが長姉と顔をあわせるのもひさびさであるはずだった。それでしばらくは思い出話に興じていたが、途中からはヤミル=レイを取り囲んで、6年前の騒動の顛末を語り始めたと、つまりはそういう状況であったのだった。


「いやあ、あたしたちもあの騒ぎが起こるまでは、ラウの気持ちなんてこれっぽっちもわかってなかったんだけどねえ」


「うんうん、まさかラウがサティ・レイ=ルウに懸想してたなんて、あたしは夢にも思ってなかったよお」


「そりゃーそうでしょ! ラウなんて、12歳の餓鬼だったんだからさ! 色気づくには早すぎたんだっての!」


 それぞれ伴侶も娶って子も生しているはずであるのに、その三姉妹のけたたましさといったら、呆れかえるほどであった。

 6年前には、彼女たちが同じ家で暮らしていたのだ。その状況を想像しただけで、ヤミル=レイは溜息をつきそうになってしまった。


「だけどまあ、12歳の恋なんて、熱病みたいなもんでしょ」


「うんうん。ましてや相手が、4つも年上じゃねえ。最初からかなうはずもない恋だったんだよお」


「あ、だけど、おたがい15歳を超えてたら、4歳差ぐらいは何でもないよ! 女衆が年長の夫婦だって、別に珍しいわけでもないし!」


 ヤミル=レイは、溜息をこらえながら姉妹たちの姿を見回していった。


「……それで、あなたたちは何が言いたいのかしら?」


「だからさ、ラウがどれだけ一途な人間かってことを知ってほしかったんだよ」


「うんうん、ラウはいい子だよお。口が悪くて、すぐに手が出るけど、すっごく情が深いからねえ」


「それにやっぱり、年上にひかれる性分なのかな? これだけ魅力的な年上の女衆に囲まれて育ってるからね!」


「…………」


「サティ・レイ=ルウとあなたはまったく似ていないけど、でも、芯が強くて頭が良さそうなところは似てるよね」


「うんうん、ラウはきっと、しっかりした気性の女衆が好きなんだよお」


「いや、別にサティ・レイ=ルウとヤミル=レイが似てなくてもいいんだよ! 今のラウがあんたを好いてるってことに間違いはないんだからさ!」


 ヤミル=レイは、ついに溜息をついてしまった。


「ラウ=レイの心情がどうあれ、レイ家の人間たちがわたしとの婚儀に反対していることは知っているのでしょう?」


「関係ないって! うるさく言ってるのは年を食った連中ばかりなんだから!」


「うんうん、母さんたちは、別に反対もしてないからねえ」


「それに、誰が反対しようとも、あたしたちが応援してあげるから!」


「……あなたとあなたは、もうルティムとミンの人間でしょう?」


「だけど、ラウの姉であることに変わりはないもおん」


「そーだよ! 姉としては、弟の幸福が一番大事だからね!」


 そのとき、かまど小屋の扉が外から叩かれた。


「レイの家のラウ=レイだ! ここを開けてもかまわんか?」


 ヤミル=レイは、がっくりと崩れ落ちそうになってしまった。

 三姉妹は、それぞれ瞳を輝かせている。


 レイナ=ルウが「どうぞ」と声をあげると、扉の向こうからラウ=レイが姿を現した。

 その肩に小さな幼子が乗せられていることに気づき、レイナ=ルウが「まあ」と驚きの声をあげる。


「ラウ=レイが幼子をあやすなんて珍しいですね。いったいどうしたのですか?」


「うむ? べつだんどうもしていないぞ。ひさびさに顔をあわせたので、ちょっと遊んでやろうと思っただけだ」


 それは、ジザ=ルウとサティ・レイ=ルウの子であるコタ=ルウであった。

 ラウ=レイに肩車をされながら、コタ=ルウは嬉しそうににこにこと微笑んでいる。


「ほらね、もう昔のことなんて気にしてないから、ああやってジザ=ルウたちの子にかまうこともできるんだよ」


「うんうん。サティ・レイ=ルウが幸せになったことを一番喜んでるのは、ラウだろうからねえ」


「だから次は、ラウが幸せになる番なんだよ」


 三姉妹が、小声でヤミル=レイに囁きかけてくる。

 その間に、ラウ=レイが女衆の間をぬってこちらに近づいてきていた。


「何だ、お前たちも来ていたのか。ヤミルを取り囲んで、何をやっているのだ?」


「ちょっと思い出話をしてただけよ。今日はずいぶん早かったのね」


 長姉が言うと、ラウ=レイは「まあな」とうなずいた。


「猟犬のおかげで、今日もぞんぶんにギバを狩れたぞ。さっさと家に戻って、美味い晩餐を作るがいい」


「この料理を作りあげて味見をしたら、今日の手ほどきはおしまいよ。そうしたら、家長のために美味しい晩餐を作ってあげなくちゃね、ヤミル?」


 ヤミル=レイはげんなりしながら、ラウ=レイを振り返った。


「あなた、いったい何をしに来たのよ? わざわざ歩いてルウ家まで来たの?」


「ああ。お前たちがトトスと荷車を使っていたのだから、自分の足で来るしかあるまい。歩いたのではなく、走ってだがな」


「……だから、そうまでして何をしに来たのよ? 幼子と遊びに来たのかしら?」


「コタ=ルウとはたまたま顔をあわせただけだ。ヤミルがいなくては、家にいてもつまらんからな」


 そんな風に言いながら、ラウ=レイは真っ白な歯をこぼした。


「どうせこいつらに、サティ・レイ=ルウの話でも聞かされていたのだろう? 確かにあの頃の俺にとっては、あいつがかけがえのない存在だった。だけど今では、それよりも強い気持ちでお前のことを想っているのだから、そうじゃけんにするな。分家のわからず屋どもは、いずれ何としてでも説得してみせるからな」


「…………」


「それじゃあ、俺は表でコタ=ルウと遊んでいるぞ。しっかり学んで、美味い晩餐を作ってくれ」


 ヤミル=レイの返事も待たずに、ラウ=レイはかまど小屋を出ていってしまった。

 三姉妹は、にやにやと笑いながらヤミル=レイを見やっている。

 ヤミル=レイは溜息をこらえながら、鉄鍋をかき回すしかなかった。

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