④肉饅頭と少女
2014.9/7 更新分 2/2
「では、行くか。時間が惜しいから、何を買うかは道すがら選べ」
「ああ。一番美味そうな匂いのやつを買ってみるよ」
もと来た道を辿りつつ、途中で岩塩と果実酒を購入。
岩塩は俺のほうの袋に入れられ、果実酒はアイ=ファが紐でくくり、ぶら下げて歩くことになった。
さらに歩くと野菜を売っている露店があったので、吟味。
完全に未知なる食材に手を出すのは危険なので、ここはやっぱりティノかプラだろう。
完全に目の泳いでいる娘さんに値段を尋ねてみると、銅貨1枚でティノなら2個、プラなら3個購入できるという。
ちなみにアリアやポイタンなら、その倍の数を購入できるらしい。なるほどこれは贅沢品だ。
ここにはアリアも売っているけれど、本当に他の野菜を購入していいのかしらとアイ=ファを見上げると、何も言っていないのに「好きにしろ」と言われた。
ならばと俺はティノを選択した。
ティノはキャベツや白菜に似た食感の野菜だ。
対して、プラはピーマンのような苦味を持つ野菜である。
どちらも魅力的ではあったが、やはりティノのほうが汎用性は高いだろう。
そうして2球のティノを詰め込むと、けっきょく俺の袋もアイ=ファに負けないぐらいパンパンになってしまった。
「行くぞ」とアイ=ファはきびすを返し、俺はよたよたそれに追いすがる。
袋の張り具合は同等でも、中身の密度は全然違う。およそ24キロもの大荷物を担ぎつつ、アイ=ファの歩調がいっさい乱れないのは、さすがとしか言い様がなかった。
体幹の強さがまず尋常でないのだろうな。足もとの悪い森の中で自在に動き回れる狩人ならではの強靭さなのだろう。
さて、最後は待望のおやつだが――
「あ。あれにしようかな」
燻製肉を売っていた屋台の隣りで、俺は足を止めることになった。
行き道でもちょっと嗅覚を刺激された店なのである。
今も小さな女の子が商品の出来上がりを待っており、そこそこ繁盛している様子でもある。
アイ=ファはうなずき、よどみのない足取りでその屋台に近づいていった。
「その食べ物は、銅貨何枚だ?」
店番をつとめていたのは、黒髪でよく肥えた中年女性だった。
そのふくよかな顔が、アイ=ファを見るなり、ぴくりと引きつる。
「……小さいのなら赤1枚、大きいのなら赤2枚だよ」
「では、小さいのをひとつ」
女は返事もしないまま、自分の手もとに目線を戻す。
俺は先客の女の子の頭ごしに、屋台の内側を覗きこんだ。
そこそこ大きな鉄鍋の中で、茶色い物体がぐつぐつと煮えている。
どろりとした半液状で、一口サイズの肉片や野菜がそこかしこから顔を覗かせている。
リーロとよく似た清涼な香りと、森辺では嗅いだことのないニンニクっぽい香辛料の香りが強く、そこに肉と脂の匂いが溶けている。
そして、鍋の横には、焼きポイタンのような食材が積み重ねられていた。
ポイタンよりも色合いは白く、質感もかなりもっちりしている。
大きさは直径20センチぐらいのと30センチぐらいの2種類で、厚みは5ミリぐらい。その生地で鉄鍋の中身の具材を包みこみ、てっぺんをぎゅっと絞ると、やや不格好なきんちゃく袋のような形状になる。
呼称を授けるなら、まあ肉饅頭といったところだろう。
「ほい。熱いから気をつけな」
「ありがとう!」
リミ=ルウぐらいの小さな女の子が嬉しそうな声をあげて、両手を伸ばす。
俺はその子が通りやすいように道を空けてやった。
すると、その女の子は元気いっぱいにこちらを振り返り――アイ=ファの姿を見て、ぎくっと立ちすくんだ。
その拍子に、買ったばかりの肉饅頭がその手から落ちてしまう。
「うわっと」
反射的にそれをキャッチできたのは、かなり幸運だったと思う。荷物を足もとに下ろしていなかったら、まず無理だっただろう。
「はい。気をつけてね?」
少女はかなり怯えた目つきをしていたが、それでもぺこりと頭を下げてから、肉饅頭をかっさらって駆け去っていった。
「……小をひとつだね?」
愛想の欠落した声で言い、おばさんは手早く俺の分をこしらえてくれた。
そのお手並みは見事なものだが、やっぱり客商売としては感じが悪い。
俺たちは代価を支払って、また空きスペースに腰を落ち着けた。
「とっとと食べろ。食べたら帰るぞ」
「はい。それでは、いただきます」
俺にとっては、20日ぶりぐらいに食べる、他者の手による料理である。
まあ、どんなに香りがよくってもギバ鍋の例もあるので、俺はそこそこの覚悟を固めつつ、その肉饅頭にかぶりついた。
その、お味は――
うーん……
「美味いか?」と興味なさげにアイ=ファが問うてくる。
俺としては、「普通」としか答えようがなかった。
何だろう……ものすごく無難なのである。
美味しくもなければ不味くもない。無茶苦茶に普通。ザ・無難。
その匂いから察せられた通り、かなり香辛料がきいていた。
風味は、ニンニクとパクチーのブレンドみたいな感じだ。クセは強いが、嫌いではない。
肉はけっこう白っぽくて、脂身は完全に溶けてしまっている。ササミのように淡泊な味わいだ。
赤や緑の野菜の欠片は、しんなりとした食感で、煮立てたアリアと大差ない。というか、アリアも入っているのかもしれない。
それらを統治する茶色のペーストは、たぶん野菜を少なめの水で煮詰めたものなのだろう。ちょっと甘味があるぐらいで、主張が少なくない分、どの食材の邪魔もしていない。
焼きポイタンを思わせる白い生地は、やはり見た目通りにポイタンよりももっちりしていて、饅頭の皮というよりはインド料理のナンみたいな歯触りだった。
それらの食材が調和して、手を取り合い、ものすごくお行儀のいい味わいを作りあげている。
ものすごく、普通。
「うん、まあ、全然普通に食べられるし、俺の好奇心は十分に満たされたよ」
完食することに苦痛を感じる分量ではないし、そもそも苦痛を与えられるほどの主張がない食べ物である。
あえて言うなら、これで果実酒1本分、ティノ2球分、ポイタン4球分のお値段は高すぎるだろ、というぐらいだ。
「アイ=ファも一口食べてみるか?」と問うてみたが。
「いらん」と、あっさり断られた。
「ふーむ。こんな面白みのない食べ物で満足している人たちに、森辺の民が『ギバ喰い』として差別されるのは、何だか納得がいかんなあ。これならギバのほうが100倍美味いじゃん」
「……お前は最初の夜に食べた鍋の味を覚えているのか、アスタよ?」
あ、忘れてた。
だけどそれは、森辺の民が肉の食べ方を知らなかった一族で、血抜きなどの適切な処理をしなかったからだろう。
この石の都の住人たちは、ギバを食肉として活用しよう、という発想に至らなかったのだろうか?
「……森辺の民が80年ほど前に移り住んでくるまでは、ギバは森からあふれかえるぐらいの数ではびこり、人や田畑を襲っていたという。当時のジェノスの人間にとっては、何よりも恐ろしい災厄の象徴であったという話だ」
災厄の象徴であるから、食べるに値しない、と?
何とも勿体ない話である。
「私とて詳しい事情はわからないが、肉には不足していなかったのだろう。あのトトスの恐鳥など、いかにも食いでがありそうではないか」
「げー。あれを食うのか? ……まあ、不味そうなわけではないけれど」
「何にせよ、都の連中はギバを恐れた。そしてギバを殺しギバを喰らう森辺の民を恐れた。今ではギバの恐ろしさは半分がた忘れ去られ、森辺の民こそが恐れの象徴に成り果ててしまったのだ……と、ジバ婆などはそのように言っていたな」
「何だよ。やっぱり、いわれなき差別じゃん。どうして森辺の民はこの状況を打破しようとしないんだ?」
「……恐れられて不都合なことなど、何ひとつないからな」
そうなのだろうか。
誤解を解く手間を惜しむというのは、やっぱり褒められたことではないと思う。
森辺の民が理不尽に白い目で見られているのは、自業自得――というのは、俺にとって愉快ならざる結論だ。
そんなわけで、俺は「だけどさあ」と言いかけたのだが。
視界の隅に奇妙なものを発見して、口をつぐむことになった。
さっきの、女の子だ。
さっきの小さな女の子が、石の街道をはさんだ向かい側にちょこんと座りこみ、俺と同じように肉饅頭をかじっていた。
それだけならまあ何てことはなかったのだが。俺が顔を向けると、その子はリスみたいな敏捷さでさっと顔をそむけてしまった。
で、またそろそろと顔を向けてくる。
石の街道は10メートルもの幅があったのでこまかい表情は見てとれなかったが、何だか興味津々のご様子に見受けられる。
「……お前のように生白い肌をしている人間が森辺の装束に身を包んでいるのが不思議なのだろう」
と、とっくにそんな少女の存在には気づいていたらしいアイ=ファが、これといった感情も見せずにそう言い捨てた。
「なるほど」と応じつつ、俺は横目でその姿を観察してみる。
やはり年の頃はリミ=ルウぐらい、せいぜい7、8歳といったところか。
肩まで伸ばした髪は焦げ茶色で、肌の色は黄褐色。巻きつけ型ではなく筒型の、オレンジ色のワンピースみたいな服を着ており、足もとは革のサンダルだ。
その手足や胴体はリミ=ルウよりも細っこくて、地べたに座りこみ、まぐまぐと肉饅頭を頬張ってる姿が、実に愛くるしい。
俺は、ぐるりとそちらに顔を向けてみせた。
不意を突かれた女の子は、目をそらすこともできずに硬直する。
それに、にぱっと笑いかけると、女の子は肉饅頭を咽喉に詰まらせたような表情を浮かべてから、弱々しく口もとをほころばせた気がした。
遠いので、あんまりよくは見えないのだけれども。
「……何をしているのだ、お前は?」
「いやあ、可愛い女の子だなと思ってさ」
「…………」
「え? いや違うだろ! 何だよその目は? お前は俺をどういう人間だと思っているんだ?」
「やかましい。取り乱すな。……お前は、子どもが好きなのか?」
と、いきなり普通の物腰で問われてしまい、俺は激情をショルダースルーされてしまう。
「好きか嫌いかなら、好きなほうだね。親父の店には、ちっちゃい子どももいっぱい来てたからさ。家族連れとか、多かったんだよ」
「……そうか」
あれ。話の方向性を間違えてしまっただろうか。
昨晩のアイ=ファとの会話を思い出し、俺はちょっと慌ててしまう。
俺のいた世界の話なんてのは、しばらく避けたほうが無難か。
「それにしても、これからこの大荷物を抱えて帰るのかと思うと気が滅入ってくるなあ。やっぱり20食ってのは多すぎじゃないか?」
「私はいつもこの量を買っていた。それとも――」と、アイ=ファがふいに目をそらす。
「お前には、20食もの食糧は必要ないのか?」
「あのなあ、アイ=ファ――」
俺にだって、自分のこの先の運命なんて見当もつかないんだよ!
……なんて怒鳴らずに済んだのは、本当に良かったと思う。
しかし、その代わりに、言葉が見つからない。
アイ=ファは、まるでその内の感情を見られるのを嫌がるかのように、静かに目を伏せてしまっていた。
「アイ=ファ、俺は……」
とにかく何か言わなければならない。
頭の整理もつかぬまま、俺は口を開きかけて――
そして、時ならぬ怒号と騒音でその言葉をかき消されてしまった。
「文句があるなら、はっきり言ってみろッ! 貴様たちは誇り高き石の都の住人なんだろうがッ!?」
抑制を失った、若い男の声。
物の壊れる、激しい音色。
人々のあげる、悲鳴。
その悲鳴には、さきほどの女の子の声も混ざっていた。
「な、何だ? どうしたんだ?」
状況が、よくわからない。
ただ、街道には壊れた木箱の残骸と、黄色い謎の果実が撒き散らされており。その中心で、ふたりの男が取っ組みあっていた。
さっきの女の子の、目と鼻の先だ。
他の人々は巻き添えを避けて遠ざかり、距離を取って輪を作っているが、その女の子だけは怯えきった様子で地面にへたりこんでしまっていた。
「お、おい、あれって……?」
俺に注意を喚起されるまでもなく、アイ=ファはゆらりと立ち上がっていた。
その目は、いくぶん物騒な光を浮かべて、男たちをにらみすえている。
白昼から路上で取っ組み合う、男たち。
そのうちの片方は、毛皮のマントを着て浅黒い肌をした――まぎれもなく森辺の集落の若者だったのである。