旅芸人の回り道(中)
2017.9/21 更新分 1/1
翌朝である。
無人の荒野で夜を明かした《ギャムレイの一座》は、けっきょく山賊どもに襲われることもなく、無事に朝を迎えることができた。
街道から少し外れた場所で、7台の荷車を円の形で配置して、真ん中の空間に12頭のトトスを押し込めている。真っ先に荷台を出たピノが確認したところ、あたりの様子にもおかしなところは感じられなかった。
(山賊だったら夜の内に仕掛けてくるかと思っていたのに、あてが外れちまったねェ。これじゃあしばらくは、アブーフに向かって荷車を走らせるしかないかァ)
そのようなことを内心でつぶやきながら、ピノは荷台の屋根によじのぼった。
赤い外套は脱ぎ捨ててきたので、朱色の奇妙な装束姿である。
手首まである袖は腰が通りそうなぐらいに太く、それがひらひらとたなびいている。上衣の裾は尻を隠すぐらいの長さで、脚衣は纏っておらず、ぬめるように白い2本の足がそこから惜しげもなくさらされていた。
腰にはきらびやかなシムの絹でできた帯が巻かれており、余った先端が膝のあたりにまで垂れている。そして、飾り紐を編み込んだ黒髪の先端は、それよりも下まで垂れていた。
どう見積もっても10歳ていどの童女にしか見えないのに、やはり妖魅じみた美しさである。
屋根の上に立ちはだかったピノは、朝もやで煙った荒野の様相を見回しながら、ふっと小さく息をついた。
(それにしても、ゲルドの山賊とはねェ。それが20人も攻め込んできたら、さすがに血を見る騒ぎになりそうだよォ)
そのとき、隣の荷車から仲間のひとりが姿を現した。
吟遊詩人の、ニーヤである。
ニーヤはあくびを噛み殺しつつ、「うーん!」と大きくのびをした。
それから首を左右に振って、肩のあたりをもみほぐす。
「あーあ、すっかり肩が凝っちまった。銅貨にゆとりがあるんだったら、もうちっとまともな寝具を準備してもらいたいもんだなあ」
そのようにぼやきながら、妙に浮かれているような声音でもあった。
ピノは屋根の端にまで寄って、頭上から呼びかける。
「どうしてアンタの女遊びのために、寝具なんざを準備しなくちゃならないのさァ。文句があるなら、自分の稼ぎで買いつけてきなァ」
「うわ、何だよ! いるならいるって声をかけやがれ!」
「だから今、親切に声をかけてやっただろォ?」
ニーヤは顔をしかめながら、頭上のピノを振り仰いだ。
痩せた身体に上衣を羽織った、しどけない姿である。その姿を見下ろしながら、ピノはひょいっと肩をすくめる。
「まったく、アンタの色ボケは病気の域だねェ。アブーフでもさんざん食い散らかしてきたのに、まだ遊び足りないってのかァい?」
「人聞きの悪いことを言うもんじゃないよ。俺はただ、失意の底にいるお嬢さんがぐっすり眠れるように添い寝をしてあげただけさ」
「若い娘と一緒に眠って、アンタが大人しくしていられるもんかねェ。そんなのは、飢えたムントに腐肉をかじるなと言いつけるようなもんだろォ?」
「ふふん。お前はなんにもわかってないんだな。最初の夜はあえて手を出さないことで、相手からの信頼を勝ち取るんだよ。そうしたら、今後も安心して俺の横で眠ってくれるだろう?」
「それじゃあやっぱり、いずれは手を出すつもりってことじゃないかさァ」
「明日も明後日も一緒にいられるってことがわかってるなら、それぐらいの手順を惜しむものではないさ。どうせ楽しむなら、とことん楽しんでやらなくっちゃな」
ニーヤはにまっと、だらしない笑みを浮かべる。
「そうしたら、あのお嬢さんも俺に惚れ込んで、イラカを訪ねるたんびに手厚くもてなしてくれるだろう? それでまたひとつ旅の楽しさが増えるってもんだ」
「そう上手くいきゃあいいけどねェ。まァ、せいぜい尻を噛まれないように気をつけるこったァ」
そんな会話をしている間に、他の仲間もぞろぞろと姿を現し始めた。
獣使いのシャントゥ、笛吹きのナチャラ、壺男のディロ、刀子投げの小男ザン――そして、新入りのロロまで姿を現したところで、ピノはひらりと地面に降り立った。
「これで7人だねェ。薪も今夜分ぐらいは足りそうだから、早々に出発しちまおうかァ」
「あん? 朝から俺に手綱を握らせるつもりかよ? ドガのやつを起こそうぜ」
ニーヤが不平の声をあげると、ピノが横目でそれをねめつけた。
「寝てる人間を起こしてまで、アンタに楽をさせる筋合いはないんだよォ。ただでさえアンタは楽ばかりしてるんだから、たまにはきっちり働きなァ」
「ちぇっ。11人の大所帯だってのに、手綱をさばけるのが8人きりってのがおかしいんだよ。手頃な人間を2、3人増やしてくれないもんかなあ」
「いちいち文句を言うんじゃないよォ。ロロが入ってくれたおかげで、ひとりは休めるようになったんだからさァ」
新入りのロロが、恐縮しきった様子で頭を下げている。
ロロが一座に加わるまでは、この場にいる6名と大男のドガにしか、荷車を動かすことはかなわなかったのだ。
残りの座員は3名で、座長のギャムレイは腕が片方しかなく、占星師のライラノスは盲目の老人である。そして最後のひとり、人獣の子ゼッタは、あまりの異形のために日中は姿をさらすこともままならなかったのだった。
「だいたい、生半可な人間が、アタシらに仲間入りしたいなんて考えるもんかい。わかったら、とっとと働きなァ」
ピノの号令で、各自がトトスを荷車に繋ぎ始める。シャントゥだけは、砂蜥蜴だ。
そうして今日も、彼らの旅は始まった。
荷台にひとりの客人を加えていることと、悪い縁を結んでしまった山賊の襲撃を警戒する他は、これといって代わり映えのしない一日の始まりであった。
◇
中天を過ぎて、夕暮れ時を迎えても、変事が訪れることはなかった。
今のところは、すれ違う者もいない。セルヴァとシムを行き来しようなどと考える人間は、それほど数も多くはないのだ。特にこのあたりは治安が悪く、盗賊や山賊の巣窟となっているので、西の人間ではそうそう踏み越えようという気持ちにもなれないはずだった。
「西の民がシムに向かうとしたら、南方のジェノスの側から出向いたほうが、まだしも安全なんだろうねェ。余分に日数はかかっちまうし、危険な獣も出たりはするけれど、東や北の山賊に怯える必要はないはずだからさァ」
今日もしんがりをつとめていたピノがそのように述べたてると、隣で手綱を握っていたロロが「へえ」と感心したような声をあげた。
「でも、東の草原の民ってやつは、この街道も平気な顔で行き来してるんですよね? やはり同じ東の民だから、ゲルドの山賊ってのも草原の民を襲ったりはしないものなんですか?」
「いいや、ゲルドの連中は、相手が誰でもおかまいなしさァ。ただ、草原の民ってのは山の民よりも毒を扱うのに長けているから、同じ人数でも五分の勝負ができるって話だよォ」
「へえ。西で見かけるシムの商人なんて、みんな大人しくて優しそうなのに、そんなおっかないことができるんですかあ」
「ああ。だから絶対に、シムの商人に喧嘩をふっかけるんじゃないよォ? ……なんて、アンタには言う必要もないこったねェ」
ロロは「てへへ」と笑っていた。
ロロはこう見えて人間離れした身体能力を有しているのだが、臆病と気後れが人間の皮を纏っているかのような気性でもあるのだ。
「ま、それでもアンタのことは重宝してるよォ? あのぼんくら吟遊詩人に一日手綱を握らせると、すぐに咽喉が渇いただの腰が痛いだの泣き言ばっかり抜かすから、ちぃとも先に進めなくなっちまうのさァ」
「あはは。だけどニーヤは、ボクなんかとは比べ物にならないほどの芸を持っていますからねぇ」
そうしてロロがうっとりと目を細めたので、ピノは小首を傾げることになった。
「ロロ、いちおう確認しておくけどさァ、あのぼんくら吟遊詩人に妙な気持ちを抱いたりはしていないだろうねェ?」
「ええ? ど、どうしてそんなことを言い出すんですか?」
「そりゃあまァ、アンタもいちおう年頃の娘っ子なわけだからさァ」
「と、とんでもないですよ! ニーヤだって、こんなキミュスの骨ガラみたいな娘に興味はないでしょうし……」
「ぼんくらのほうはどうでもいいんだよォ。アタシが聞いてるのは、アンタの気持ちさァ」
ロロは困り果てた表情で、「うーん……」と考え込んでしまった。
「えーとですね……あの、他のみんなには絶対に言わないでもらえますか?」
「ああ、アタシはこう見えて、アロウのつぼみみたいに口が固いんだよォ」
「そうですか。それじゃあ、打ち明けさせていただきますけど……ボク、ニーヤの歌が大好きなんです」
それからロロは、とても切なげに眉尻を下げた。
「……でも、ニーヤみたいにくにゃくにゃした男の人は、すっごく苦手なんです。向こうもあんまりボクには近づいてこないので、とっても助かっているんです」
ピノは一瞬きょとんとしてから、「あははァ」と高らかに笑い声をあげた。
「こいつは愉快な話を聞いちまったもんだァ。あのぼんくらに聞かせてやりたいもんだねェ」
「だ、駄目ですってば! それに、声が大きいですよ!」
「こんだけ騒がしく荷車を走らせてりゃあ、誰にも聞こえるもんじゃあないよォ。あァ、愉快だ愉快だァ」
そうしてしばらくする内に、先頭のシャントゥが荷車をとめた。
あたりはずいぶんと薄暗くなりかけている。夜明かしの準備をするには、頃合いであった。
「けっきょく一日が終わってしまったな。まあ、もっとも用心するべきは、この夜か」
ピノたちが晩餐の準備をしていると、早くも果実酒の土瓶を持ち出したギャムレイがそう述べた。
「明日の昼には、自由開拓民の集落に行き当たる。そのあたりから、アブーフの辺境警備隊の目も光り始めるからな。山賊どもも、その前には決着をつけたいと念じているだろうよ」
同じ焚き火を囲んだエリサが、恐ろしげに身をすくめている。
その肩にまたそっと手を乗せつつ、ニーヤが座長をにらみつけた。
「そんな風にエリサを怖がらせないでくださいよ、座長。ひょっとしたらあの山賊どもも、あきらめて山に帰ったのかもしれないじゃないですか?」
「しかし、その娘は稼ぎの半分を身につけているのだろう? 山賊どもが、それをみすみす見逃すとは思えんな」
ギャムレイは、口もとをねじ曲げて笑っている。
「ゲルドの連中は、執念深いんだ。自分の獲物を横取りされたら、どんな手を使ってでも取り戻そうとするだろうよ」
「横取りってのは、どういう言い草ですか。俺たちは、エリサの窮地を救っただけでしょう?」
そのように言い返してから、ニーヤは娘の耳もとに口を寄せた。
「怖がらなくても大丈夫だからね。君のことは、必ず故郷に連れて帰ってあげるよ。なんにも心配しないで、俺たちにまかせておけばいい」
「ありがとうございます」と、エリサは潤んだ瞳でニーヤを見つめ返す。
放っておいたら、そのまま接吻でも交わしそうな気配である。
「なるほど、こいつはくにゃくにゃしてるねェ」
小馬鹿にしきった調子でつぶやきつつ、ピノが火の中に薪を投じる。
すると、エリサが「ひっ」とニーヤの胸に取りすがった。
荷台に引っ込んでいたシャントゥが、銀獅子のヒューイを引き連れてこちらに近づいてきたのだ。
「座長、ヒューイが危険の香りを嗅ぎ取ったようですな」
「き、危険の香りって何のことだよ?」
取り乱した声で応じたのは、ニーヤであった。
それと同時に、ヒューイが咆哮を轟かせる。
ピノは、その手の薪を頭上に振りかざした。
それに弾かれた矢が、焚き火のかたわらに落ちる。
続けざまに、何本もの矢が飛来してきた。
「荷車の陰に身を隠せ!」
どこか楽しげな響きを含んだ声でがなりながら、ギャムレイは真っ先に立ち上がった。
ピノは薪を振り回しつつ、背後で固まっている若い男女をねめつける。
「座長の声が聞こえなかったのかねェ? 死にたくなかったら、とっとと引っ込みなァ」
ニーヤとエリサは、あたふたとギャムレイを追いかけていった。
シャントゥとヒューイも、すでに荷車のかたわらまで引き下がっている。
「ピノ!」という地鳴りめいた声が響くと同時に、背後から長い棒が飛んできた。
後ろも見ずにそれをつかんだピノは、用済みとなった薪を放り捨てる。
それは、曲芸や舞踏で使うグリギの棒であった。
ピノの背丈よりも長くて、真っ黒な色合いをした、頑丈な棒だ。
ピノは真紅の唇を吊り上げると、その棒を片手で旋回させた。
襲撃者どもの放った矢が、すべてその勢いに弾かれていく。
そしていつしか、ピノのかたわらに大男のドガが進み出ていた。
頭をつるつるに剃りあげて、岩のような筋肉を纏った、異様なまでの大男である。その左右の腕にはグリギの棒が1本ずつ握られており、ピノと同じようにぐるぐると旋回させていた。
「ほうら、もうおしまいかァい? 矢筒が空っぽになるまで、撃ち込んでみなァ!」
ピノが挑発すると、倍する勢いで矢が飛んできた。
しかし、すべてはふたりの振り回すグリギの棒によって弾かれてしまう。
「ピノ、ドガ、お気をつけて。この矢には、シムの毒が塗られているようです」
荷台の陰から、ディロの声が届けられてきた。
「そいつは剣呑だァ」と、ピノは嘲笑う。
そのとき、闇の向こうから何者かの絶叫が聞こえてきた。
さらに、東の言葉で誰かが叫んでいる。それと同時に、矢による襲撃がぴたりと止んだ。
「夜闇にまぎれて、ゼッタが反撃を始めたようですね。山賊たちが、黄色い目の化け物め、と叫んでいます」
感情のない声で、ディロがそう言っていた。
ディロは西で生まれた西の民であるが、東の言葉をあるていど操ることができるのだ。
「それじゃあ、そろそろこっちに燻り出されてくるだろうねェ。ロロのやつは、どうしたんだい?」
「荷台の中で震えていたので、いちおうこちらに連れてきました」
「か、勘弁してくださいよぅ! ボクなんて、みんなの足手まといになるだけです!」
荷台の陰から響いてくる悲鳴まじりの声に、ピノはくすくすと笑い声をあげる。
「いいことを思いついたよォ。ロロに、兜をかぶせてやりなァ」
「兜? 曲芸用の、あの兜ですか?」
「ああ、そうさァ。鎧まで着込んでる時間はないけど、兜だけでもかぶりゃあ気分が出るだろうさァ」
ピノの言葉が終わらぬ内に、前方の暗がりから黒い影が飛び出してきた。
焚き火の炎に、半月刀がぎらりときらめく。背の高い、ゲルドの山賊である。
その刀が振り下ろされる前に、ピノはグリギの棒を繰り出した。
棒の先端が、真正面から男の咽喉を突く。
男は獣のようにうめき、その場にぐしゃりと崩れ落ちた。
さらに暗がりから、3つの黒影が躍り出る。
その手には、いずれも刀が握られていた。
グリギの棒をかまえつつ、ピノはちらりとドガを見る。
「ドガ、お疲れさァん。あとはあっちで隠れておきなァ」
ドガは、その青い瞳に深い悲しみをたたえてピノを見下ろした。
ピノは、目を細めて微笑んでいる。
「何があっても人様を傷つけないって誓いを立てたんだろォ? こんな連中、アンタが誓いを破るほどの相手じゃないさァ。いつも通り、ライ爺をよろしく頼むよォ」
「……申し訳ありません、ピノ」
ドガが、巨体をひるがえした。
それを追うように、山賊どもが近づいてくる。
ピノはぶうんと棒を振り回し、その足を止めさせた。
「さァ、アタシの芸をお目にかけようかァ。お代は見てのお帰りだよォ」
山賊どもは、用心深くピノから距離を取っていた。
足もとでうめいている彼らの仲間の姿に、警戒心をかきたてられることになったのだろう。悪名高いゲルドの一族に、雑魚と呼べる存在はいないはずであった。
ならばと、ピノは自分から突きかかった。
真っ直ぐにのばしたグリギの棒で、山賊のひとりの胴体を狙う。
その山賊は後方に飛びすさり、別の山賊が横合いからピノに斬りかかった。
ピノは即座に、グリギの棒をそちらに跳ねあげる。
半月刀が、硬い音色とともに弾かれた。
さらにピノはその勢いのまま、ぐるりと身体ごと旋回した。
逆側から踏み込んできていた山賊が、それで斬撃を弾かれる。
「****!」
最初に身を引いた山賊が、ピノの攻撃を真似るように、刀を真っ直ぐ突きだしてきた。
しかし、彼らの刀よりも、ピノの棒のほうが長い。ピノは下からすくいあげるようにして、男の手首を棒で打った。
男がうめき、刀を取り落とす。
そうと見るや、ピノは踏み込み、棒の先端で男の下顎を横なぎにした。
倒れかかる男の腹を蹴りぬき、その反動で、ピノは後方に跳躍する。
横合いから斬撃を繰り出していた別の山賊の刀は、それで空を斬ることになった。
地面に着地したピノは、あらためて棒を振りかぶる。
狙いは、ピノから遠ざかろうとしていた3人目の男である。
男は、さらに引き下がった。
真上から振り下ろしたピノの棒は、地面を叩いていた。
男が足を止め、ピノに斬りかかろうという気配を見せる。
しかしその前に、ピノは飛んでいた。
地面を叩いた棒の先端を支点にして、逆立ちをするように跳躍したのだ。
男には、いきなり目の前からピノの姿が消えたように見えたことだろう。
そのがら空きになった男の頭頂部に、空中で一回転をしたピノが、右のかかとを叩きつけた。
そのまま男の頭を踏み台にして、ピノはさらなる高みへと舞い上がる。
舞い上がりながら、下を見ると、踏み台にされた男は鼻血を噴き出しながら崩れ落ち、最後の男は呆然とピノを見上げていた。
空中で身体をねじって、最後の獲物のほうに向きなおったピノは、両手で棒を振りかぶった。
男は、あたふたと刀をかまえる。
それを避ける格好で、ピノは男の肩口へと棒を振り下ろした。
骨の砕ける鈍い音色が響きわたる。
男はうめき、地面に片膝をついた。
そのすぐそばに着地したピノは、男のこめかみに棒の先端を叩きつけた。
それでようやく、その者も昏倒することになった。
「やァれやれ、ようやく4人かい」
グリギの棒を肩に担いで、ピノはふっと息をつく。
すると、新たな人影がピノの前にまろび出てきた。
今度は、5名である。おそらくゼッタの襲撃から逃げてきたのだろう。背後の闇を気にしつつ、ピノの姿に気づくとたちまち刀をかまえてくる。
「しつっこいねェ。おおい、ロロのやつは、まだ準備ができないのかァい?」
その声に答えるようにして、ロロが姿を現した。
首から下は普段通りの粗末な装束であるが、頭には革の兜をかぶり、手には木剣を引っさげている。騎士の甲冑を模したその兜は立派な面頬までつけられており、ロロの気弱げな顔はそれですっかり隠されていた。
「ピ、ピ、ピノ、ボ、ボクは……」
「待ってたよォ、ロロ。アタシはちょいと疲れちまったんで、今度はアンタが芸を見せてやりなァ」
ピノはその手の棒をロロの背にあて、とんと突いてやった。
「ふわあ!」と悲鳴をあげながら、ロロが山賊どものほうにふらふらと倒れかかる。
山賊のひとりが、刀を振り上げた。
すると、ロロのほうも無茶苦茶な体勢で、木剣を繰り出した。
木剣が半月刀を弾き、男のみぞおちに、さくりと突き刺さる。
もちろん木剣であるので斬ることはできないが、正確にみぞおちを突かれた男は咳き込むような声をあげながらうずくまることになった。
「****!」
別の男が、ロロに斬りかかる。
「ひょええ」とわめきながら、ロロはその斬撃を木剣で受け流した。
体勢を崩した男の軸足に、ロロが足を引っ掛けると、男はあっけなく地に伏した。
男は、猛然と身を起こす。
その下顎のあたりを狙って、ピノはグリギの棒を叩きつけた。
もんどりうって、男は再び地面に崩れる。
「転ばすだけじゃあ終わらないからねェ。きっちりとどめを刺してやりなァ」
「そ、そんなこと言ったって!」
悲嘆の声をあげるロロに、残りの3名がいっせいに襲いかかる。
しかし、その刀がロロの身体に触れることはなかった。
「ふわあ!」「あいやあ!」と奇声を発しながら、ロロはうねうねと身をよじり、すべてをかわしてしまうのである。それはまるで、無骨な男たちが空中を漂う花びらを懸命につかまえようとしているような光景であった。
「ほらほら、逃げるばかりじゃ疲れるだけだろォ? 『騎士王』の名にかけて、格好いいところを見せておくれよォ」
「そ、そんなの、無茶ですってば!」
そのようにわめきつつ、ロロは斬撃の嵐から逃げまどっている。
3人がかりの猛攻を苦もなく回避しているというだけで、それは人間離れした行いであった。
そこに、遠くのほうからあわれげな絶叫が響いてくる。
その声で、山賊どもの動きが鈍った。
「お仲間も苦戦してるみたいだねェ。まァ、あちらさんは銀獅子と豹と黒猿を相手にしてるんだろうから、そりゃァ大変さァ」
ロロを取り囲んだまま、山賊たちが動きを止める。
わずかに肩を上下させながら、その内のひとりがピノを振り返った。
「……お前たち、何者なのだ?」
「アタシらは、しがない旅芸人さァ。町から町へと渡り歩くのが商売だから、アンタたちみたいな連中を相手取るのもしょっちゅうなんだよォ」
ピノは、にいっと唇を吊り上げた。
「そろそろ降参したらどうかねェ? アタシたちは降りかかる火の粉を払ってるだけなんだから、目の前から消えてくれりゃあ、わざわざ追いかけたりはしないよォ?」
暗がりの中で、山賊たちは青や紫の目を燃やしていた。
そこに頭上から、新たな声が響いてくる。
「何だ、また手こずってたのか? 俺はそろそろ、晩餐にしたいんだがな」
荷車の上に、ギャムレイが立ちはだかっていた。
その右側には小男のザンが、左側にはヴァムダの黒猿が控えている。
黒猿は赤い目を爛々と燃やしながら、肩に担いでいたものを山賊たちの足もとに放り捨てた。
それは、ぐにゃりと力を失った彼らの同胞であった。
「こっちは、9人を片付けたぞ。ゼッタは、3人を片付けたと言っていたな。それで、そこに倒れているのが6人で、立っているのが3人だから――合計で、21人か。《ターレスの月》ってのは20人ていどと聞いていたんだが、他にお仲間は残っているのかな?」
「馬鹿な……」と、山賊のひとりがうめき声をあげる。
どうやら、この3名が山賊の最後の生き残りであるようだった。
山賊のひとりがわめき声をあげて、ロロに向かって刀を振り上げる。
すると、小男のザンが投じた刀子が、その山賊の右耳をつらぬいた。
ほとんど同時に、ピノの棒が首筋を打つと、山賊は前のめりに倒れ伏す。
「残りはふたりだ。さあ、どうするね?」
一瞬、重苦しい静寂がたちこめた。
それからすぐに、ふたりの山賊は背を向けて逃げ始めた。
「それは、悪手です」
と、ふいに男の声が響きわたった。
山賊たちが足を止め、前方の闇をにらみすえる。
ギャムレイは、けげんそうに眉をひそめた。
「禍根は根から絶つべきですよ。こんな連中を逃がすのは、手負いの獣を野に放つようなものです」
山賊たちにも負けない長身の人影が、ゆらりと現れる。
その手には、半月刀ではなく真っ直ぐの長剣が下げられていた。
「*****!」
山賊たちが、左右からその人影に斬りかかる。
が、地に伏したのは山賊たちのほうだった。
ピノの棒さばきよりも見事な早業で、その謎の人物が山賊を撃退してのけたのである。
しかも山賊たちは、どこからも血を流していなかった。
謎の人物は、剣の柄と腹を使って、男たちのこめかみやみぞおちを殴打せしめたのである。
「素晴らしい手並みだな。山賊を狩る賞金稼ぎか何かか?」
顎髭をしごきながらギャムレイが尋ねると、その人物は「いえいえ」と首を振りながら進み出てきた。
「確かに俺は《ターレスの月》を追っていましたが、賞金稼ぎではなく《守護人》です」
やがてその姿が焚き火の明かりに照らし出されると、ギャムレイは「おや」と目を見開いた。
「その姿……まさか、マヒュドラの民なのか?」
「いえ、俺は西の民ですよ。かつてはマヒュドラで暮らしていましたが、セルヴァに神を乗り換えさせていただきました。なんなら、宣誓をしましょうか?」
その男はやたらと刀身の長い長剣を鞘に収めると、右手で心臓をつかむような体勢を取り、左の腕を横にのばした。
「我、カミュア=ヨシュは、西方神の子であることをここに誓います。……俺は、北と西の間に生まれた人間であるのですよ」
どこからともなく現れた、謎の男――カミュア=ヨシュは、とぼけた笑みをたたえながらそう言った。