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異世界料理道  作者: EDA
第三十章 群像演舞~三ノ巻~
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第二話 旅芸人の回り道(上)

2017.9/20 更新分 1/1

 およそ3年ほど昔の話である。

 セルヴァ最北の城塞都市アブーフから、東の王国シムへと連なる街道の途上に、奇怪な一団の姿があった。


 四角い箱型をした荷車を、合計で7台も走らせている。その内の6台は2頭ずつのトトスに引かせているのだが、先頭を走る荷車を引くのは、ワースの砂蜥蜴と呼ばれる珍奇な獣であった。


 蛇のように長い身体に、図太い四肢が生えている。大きさは、並の人間よりも大きいぐらいだろう。その全身は砂色の鱗に覆われており、ところどころがささくれだって刃のように隆起している。まるで伝説の竜神のごとく、それは禍々しい姿であった。


 そんなワースの砂蜥蜴が2頭、まるでトトスのように手綱をつけられて、のそのそと街道を進んでいるのである。すれ違う旅人のひとりでもいれば、我が目を疑うような光景であったに違いない。


 その手綱を握っているのは、ぼろぎれのような長衣を纏った老人であった。

 髪も髭も真っ白で、黄褐色の肌は嫌というほど日に焼けている。物乞いのように見窄らしい風体をしているものの、その皺深い面にはとてもやわらかい微笑がたたえられており、それも何やら御伽噺から抜け出てきたような不可思議な姿であった。


 また、残りの荷車の手綱を握っている者たちも、それに劣らぬ異形の衆であった。

 頭をつるつるに剃りあげた大男、革の仮面をかぶった小男、浅黒い肌をした美貌の女に、ざんばら髪の痩せこけた男――それらはみんな旅用の粗末な外套を羽織っていたが、一様に異様な雰囲気をかもし出していた。


 その中で、ひときわ異彩を放っていたのは、しんがりの荷車を預かっている御者であった。

 ただひとり、赤地のきらびやかな外套を纏った、童女である。

 他の者と同じように、外套の頭巾を深々とかぶっていたが、そこから垣間見える風貌は異様の一言に尽きた。


 肌が、抜けるように白い。

 その中で、まなじりの切れ上がった目はくっきりと黒く、唇は血のように鮮烈な赤だ。

 ぬばたまの前髪は目の上で真っ直ぐ切りそろえられており、その下に妖しい黒瞳が瞬いている。それは、人形のように美しい童女であった。


 こんなに美しくて幼い童女が、巨大なトトスの手綱を握っているというだけで、すでに奇怪である。

 しかもその童女はただ美しいばかりでなく、この世のものとも思えないあやしげな空気を纏っていた。


 幼いはずのその面には、妙に大人びた微笑が浮かべられている。

 いや、大人びているというよりは、魔物か妖魅でも思わせる艶然とした微笑みである。

 こんな妖しい存在が、普通の人間のように食事をとり、汗をかき、夜には眠りに落ちるものなのか、そんなことまで疑いたくなってしまうほどの、それは人外めいた気配であった。


「ねえ、ピノ、そろそろ日が暮れてきましたよ。まだ夜明かしの準備をしないんですか?」


 トトスの歩調を落として童女の隣に荷車を並べた人物が、不安そうに声をかけた。

 この中では唯一人間がましい風体をした、ごく若い娘である。


 ひょろりとした身体に古びた外套を纏っており、なかなか愛嬌のある顔立ちをしている。が、外套の下には男ものの装束を纏っており、妙齢の娘らしさなどといったものは微塵もないので、まるで少年のように見えてしまう。いかにも気弱げで、おどおどとした娘であった。


 ピノと呼ばれた童女は薄ら笑いをたたえたまま、その娘のほうを振り返る。


「なァにをビクついているのさァ、ロロ? 太陽神は、まだ腰ぐらいまでしか沈んじゃいないだろォ?」


「だ、だけど、暗くなり始めたら、あっという間ですよ。こんな人気のないところで夜を明かすなら、早々に火の準備をしないと……」


「団長にお願いすれば、指を鳴らす間に一面、火の海さァ。どうしてこう、アンタはいつまで経っても腰が据わらないんだろうねェ」


「だ、だって、ボクはピノたちとは違いますから……」


 このロロという娘は、この一団の中で一番の新参であったのだった。

 童女ピノは、頭巾の下でくすくすと笑い声をもらす。


「盗賊が出ようが魔物が出ようが、アンタは何も恐れる必要はないはずだろォ? アンタでかなわない化け物が出たら、アタシらはみんな仲良くセルヴァの御前さァ」


「そ、そんなことはないですよぅ。だいたい、ボクなんて――」


 と、ロロが気弱に言いかけたところで、前方を走る荷車が次々と急停止した。

 危うく追突しそうになったロロは、「うひゃあ」と叫んで手綱を絞る。


「おやおや。余計な口を叩くから、盗賊だか魔物だかを招き寄せちまったのかねェ」


 ピノは御者台の留め具に手綱を引っ掛けると、異様な身軽さでするすると荷台の屋根にのぼり始めた。

 木造りの平たい屋根の上に立ち、前の方を透かし見る。


 果たして、ピノの言葉通りであった。

 街道の行く先に、砂埃が舞い上がっている。

 荷車ではなく、トトスにまたがった複数の騎影が、ものすごい勢いでこちらに近づいてきていたのだ。


 しかし何やら、様子が普通ではなかった。

 盗賊や野伏せりの類いであれば、左右の雑木林や岩塊の陰にでも潜んで、矢を射かけてくるところであろう。こんな真正面から突っ込んできては、こちらも悠々と応戦の準備ができてしまう。


 かといって、無害な旅人とも思えない。ピノたちが通ってきた街道はまだしばらく無人の荒野であり、日が暮れるまでに辿り着ける町のひとつもないのだから、あのようにトトスに無茶をさせる甲斐もないはずであった。


「何だろうねェ。アタシはちょいと、様子を見てくるよォ」


「あ、ちょっと、ピノ!」


 ロロの惑乱した声を黙殺して、童女は前側の荷車の屋根に飛び移った。

 さらにそのまま、ひらりひらりと屋根の上を飛び移っていく。やがて童女は、先頭にたたずむ老人の荷車にまで到着した。


「シャントゥ爺、ありゃあいったい何の騒ぎだろうねェ?」


「おお、ピノか……そうだのう、どうやら女人が悪漢どもに追われているようだ」


 砂蜥蜴の手綱を握った老人シャントゥは、悠揚せまらずそのように答えていた。

 その間にも、黒い騎影と砂埃はぐんぐんこちらに迫ってきている。


 先頭を走っているのは、確かに女人であるようだった。

 外套を纏っているので人相はわからないが、おそらくは若い娘であろう。ときたま後ろを振り返りながら、必死にトトスの腹を蹴っている。


 それを追っているのは、4名ほどの男たちであった。

 やはり全員が外套を纏っている。わかるのは、その者たちがいずれもすらりとした長身であることと――そして、手綱を握る指先が、いずれも漆黒であったことだった。


「あれまァ、追っているのはシムの連中かい。こいつはちょいと、厄介かもしれないねェ」


 ピノがそのようにつぶやいたとき、女の悲鳴が響き渡った。

 男のひとりがトトスを走らせたまま、矢を射ったのである。


 その矢はあわれなトトスの尻に突き刺さり、女を鞍から跳ね飛ばしてしまった。

 女は悲鳴をあげながら地面に転落し、荷物を失ったトトスは雑木林の中へと逃げ込んでしまう。


「ふむ。あの矢に毒は塗られていなかったようだのう」


「そりゃあまァ、山の民なら草原の民ほど毒の扱いに長けちゃいないだろうからねェ」


 ふたりが呑気に語らっている間に、男たちが女に追いついた。

 地面にうずくまった女を取り囲み、トトスの上から半月刀を振り上げている。そうして何か怒鳴りつけている様子であったが、東の言葉なので意味はわからなかった。


「しかたない。おせっかいをしてみるかのう」


 シャントゥが手綱を操って、騒乱の場にゆるゆると荷車を近づけていった。

 その屋根に陣取ったピノは、後方の仲間たちを振り返る。


「アンタたちは、ここで待ってなァ。ちょいと事情を聞いてくるからさァ」


 一番そばにいた荷車の大男が、無言でうなずき返す。

 すでに刀まで抜かれているというのに、慌てているのはロロぐらいのものであった。


「おおい、待たれよ。いったいどうなさったのかのう?」


 シャントゥが穏やかに呼びかけると、がなり声をあげていた男たちが振り返った。

 やはり、東の民である。全員が、炭を塗ったように黒い肌をしていた。

 しかし、西の王国でよく見る草原の民ではない。彼らは西でも悪名高い、シムの山の民、ゲルドの一族であった。


 ゲルドの一族は北部の山岳地帯を領土としているために、北の王国マヒュドラと絆が深い。古来よりの血の交わりによって、彼らは草原の民よりも骨格が逞しく、金色や赤色の髪、紫色や青色の瞳をしている人間が多かった。


「西の言葉はおわかりなさるか? このようにかよわげな女人を取り囲んで、いったいどういった騒ぎなのでありましょう?」


「……お前たち、関係ない」


 やがて、男のひとりが感情のない声で言い捨てた。

 東の民は、感情を表に出すことを恥と考えているのである。

 また、ワースの砂蜥蜴はシムに生息する獣であるので、その姿を見ても眉ひとつ動かそうとはしなかった。


「この女、我ら、獲物だ。お前たち、始末、後だ」


「はて。わたくしどもの始末というのは?」


「知れたこと。金品、トトス、我々、いただく。魂、脆弱なる西方神、返してやろう」


 そのように言い継ぐ男の青い瞳には、野獣のように物騒な光が宿っていた。それでいて、表情をいっさい動かさないのが、なお不気味である。


「ど、どうか助けてください! この者たちは、山賊なのです! わたしの家族も皆殺しにされてしまいました!」


 地面に這いつくばった娘が、悲鳴まじりの声で言った。

 なかなか美しい、西の民の娘である。セルヴァでも北部の生まれらしく、色白で、髪も瞳も淡い褐色をしていた。


「ふむ。こいつは困りましたな。儂たちは、しがない旅芸人にすぎんのです。できれば刀を収めてはいただけませんかのう?」


「……お前たち、始末、後だ」


 同じ台詞を繰り返して、男はトトスごと娘のほうに向きなおった。

 女は、「ひいっ」と頭を抱え込む。


「やむをえませんなあ。どうかお恨みになりませんように」


 シャントゥが口もとに手をやって、ヒューッと口笛を吹き鳴らした。

 その瞬間、荷台からふたつの巨大な影が飛び出した。

 灰色の毛皮を持つアルグラの銀獅子と、2本の凶悪な牙を持つガージェの豹である。


 さしもの東の山賊たちも驚きのうめき声をあげて、刀を振り上げた。

 しかし、そのようなものに臆する獅子と豹ではない。人間よりも巨大な体躯を持つ2頭の猛獣は、刀の届かぬ場所で立ち止まると、雷鳴のごとき咆哮をほとばしらせた。


 とたんに、男たちの乗っていたトトスが長大な首をのけぞらせる。

 男たちは、振り落とされてしまわないように、それぞれトトスの首にしがみつくことになった。


「トトスをお降りになりますかな? そうすると、あなたがたは逃げることすら困難になってしまうでしょうけれども」


 そのように述べてから、シャントゥは再びヒュッと口笛を吹いた。

 それに呼ばれて、新たな獣が御者台のかたわらから顔を覗かせる。

 それは全身を漆黒の毛皮に覆われた、ヴァムダの黒猿であった。

 男たちの何人かが、シムの言葉でわめき声をあげる。


 銀獅子とガージェの豹は大陸の西部、ヴァムダの黒猿は大陸の南部に棲息する獣であるので、ゲルドの一族には完全に未知なる存在であるはずだった。


「弓や刀をお持ちでも、その人数ではこの獣たちにかないますまい。できうれば、このまま穏便に終わらせてはいただけませぬか?」


 にこにこと微笑みながら、シャントゥが言いつのる。

 その間にも、銀獅子と豹は咆哮をあげていた。

 トトスはぶんぶんと首を振り、右に左にと狂乱の舞を踊っている。シムの民とともにあれば、ムフルの大熊にも立ち向かうことのできるトトスであるが、未知なる獣を前にしては平静でいられないようだ。


 しかしそれでも鞍の上の乗り手たちが平静であれば、トトスたちも臆することなく戦えたことだろう。このトトスたちが怯えているのは、乗り手の恐怖と混乱が伝染しているからに他ならなかった。


「****! ******!」


 東の言葉で何かを叫び、男のひとりがトトスの腹を蹴った。

 トトスはぐるりと背を向けて、もと来た道をあたふたと走り始める。

 残り3組の男たちも、必死にトトスの手綱をたぐって、その後を追いかけた。やはり、トトスを降りて3頭の未知なる獣たちを相手取る気持ちにはなれなかったようだった。


「やれやれ。大事な子供たちを危険な目にあわさずにすんだのう」


 シャントゥは、三たび口笛を吹き鳴らした。

 黒猿は音もなく荷台の内へと姿を隠し、銀獅子と豹もしなやかな足取りで荷車に戻ってくる。シャントゥに頭をひと撫でされてから、彼らもまた自分たちのねぐらへと帰還した。


「おや! こいつはたいそうな美人だ! いったいどうなさったのですか、可憐なお嬢さん」


 と、若い男の弾んだ声が響きわたる。

 屋根の上からシャントゥの手並みを見物していたピノは、そちらを見下ろして肩をすくめた。


「山賊どもが姿を隠したとたんに、コレかい。まったく、色ボケにつける薬はないねェ」


「うるさいよ。野蛮人を相手にするのはお前さんたちの仕事だろ。俺の仕事は、美しいご婦人に救いの手を差し伸べることなのさ」


 吟遊詩人の証である平たい帽子をかぶった、それはごく若い男であった。褐色の髪を長めにのばして、茶色の瞳を明るくきらめかせている。華奢な身体つきで、見目の整った、いかにも優男といった風体である。


「さ、我が姫君、お手をどうぞ。俺は、吟遊詩人のニーヤと申します」


 吟遊詩人のニーヤが、優雅な仕草で手を差し伸べる。

 しかし娘は地面にへたり込んだまま、ピノやシャントゥの姿を見回していた。


「あ……あなたがたは、いったい何者なのですか……?」


「ですから俺は、吟遊詩人です。この連中は、俺が行動をともにしている旅芸人の集まりで、その名も《ギャムレイの一座》でありますよ!」


                  ◇


 それから四半刻もしない内に、とっぷりと日は暮れていた。

 朝の内に集めておいた枯れ枝に火を灯し、食材をぶちこんだ鉄鍋を設置する。その鍋が煮える間に、一座の座員たちは娘から事情を聞くことになった。


「わたしは、エリサと申します。アブーフの南にあるイラカの町の生まれで、家は織物を扱う店でした」


 このあたりはセルヴァでもだいぶ北寄りであるので、日が沈むと冷え込みも厳しい。エリサと名乗る娘は外套の前を震える指でかきあわせつつ、そのように語っていた。


「それでこのたびは、シムでの商いを済ませてイラカに帰る途中であったのですが……そこをあの山賊どもに襲われてしまい……」


「その末に、家族を皆殺しにされてしまった、と? ああ、それは何たる悲運だろう。聞いているだけで、胸が潰れてしまいそうだ」


 吟遊詩人のニーヤが大仰に言いたてて、娘は「はい……」と鼻をすする。

 この火を囲んでいるのは、4名ばかりの座員たちであった。ニーヤ、ピノ、シャントゥ、そして座長のギャムレイである。隻眼にして隻腕のギャムレイは、果実酒の土瓶を傾けつつ、興味深そうに娘の話を聞いていた。


「ふむ。イラカは織物で有名な町だが、それにしてもシムまでおもむいて商いに励むとは、なかなかの豪商であるようだな。しかも、女だてらにそんな長旅に加わるとは、大したものだ」


「はい……弟はまだ幼いので、わたしが父の跡を継ぐべく、商いを学んでいたのです。それがまさか、こんな目にあうなんて……」


 悲哀の極みといった表情を浮かべつつ、エリサはギャムレイの姿をちらちらと恐ろしげに見やっていた。

 何せこの奇怪な一団の総元締たる、ギャムレイである。その風体の異様さといったら、ピノにも負けないほどであった。


 頭にぐるぐると巻いた布も、痩せた身体に纏った上衣も、果てには左目を隠す眼帯まで、赤地に金や銀の糸でけばけばしく刺繍がほどこされている。なおかつ、この寒空の下で外套を羽織ろうともしないので、欠損した左腕の袖がひらひらと妖しくゆらめいていた。


 また、その面立ちも、異相である。

 右目は深く落ちくぼみ、頬はげっそりとこけており、鼻はトトスのくちばしのようににゅっと突き出している。焚き火に下から照らされると、そこには陰影が濃くなりまさり、その痩せこけた顔をいっそう化け物じみたものに見せるのだった。


 果実酒の土瓶を地面に置いたギャムレイは、ギャマのように長々とした下顎の髭をまさぐりながら、にやりと笑った。


「まあ、このあたりは山賊やら盗賊やらが虫のようにわいて出るからな。シムで商いを済ませた豪商の荷車などといったら、そいつらにとっては銅貨に足が生えて歩いているようなものなのだろうさ」


「……護衛役の人間は十分な数を雇っていたつもりなのですが、それでも足りていなかったようです……」


 鍋の中身をかき回していたピノが、そこで妖艶な流し目をエリサに向ける。


「ってことは、シムの山賊もアイツらだけじゃなかったってことだねェ? まさか、たった4人の山賊に大がかりな商団が全滅させられたわけじゃないんだろォ?」


「はい、全部で15名……いえ、20名はいたでしょうか……いずれも凶悪な、山の民であったようです……」


「ふふん。このあたりでも、一番用心が必要な連中だな」


 ギャムレイは肉の薄い肩をひとつすくめてから、少し離れたところで火を焚いている仲間たちのほうを振り返った。


「ナチャラ、ディロ、こっちに来い。お前たちに、ちょっと聞きたいことがある」


 ふたつの人影が、こちらに近づいてくる。

 片方は、浅黒い肌をした美しい女、もう片方は、東の民のようにひょろ長い体躯をしたざんばら髪の男である。


「こいつは笛吹きのナチャラ、こいつは壺男のディロだ。……おい、このあたりをねぐらにしている山の民の山賊ってのは、どんな連中がいたっけな?」


「そんなの、いくらでもいるでしょうねえ。ゲルドの一族が西の民を襲うとしたら、このあたりが一番の狩り場でしょうから」


 ギャムレイのかたわらに屈み込んだナチャラが、笑いを含んだ声でそう述べた。

 泰然と立ちつくしたディロは、感情の読めない目つきでエリサを見下ろしている。


「山賊の人数は、いかほどでしょう? それに、毒の武器などはもちいていましたか?」


「に、人数は20名ていどで……そういえば、吹き矢のようなものを使っていた者もおりました。ほとんどは、刀や弓を使っていましたが……」


「何か、仲間の目印のようなものは帯びていましたか?」


「目印……? ああ、たしか、みんな首のあたりに白い布切れを巻いていたような……」


 ディロはうなずき、ギャムレイに視線を転じた。


「おそらく、《ターレスの月》を名乗る一党ですね。毒を使う『ド』の一族も、何名かは加わっているはずです」


「ふふん。山賊にしては、小洒落た名前だな。俺たちもあやかりたいものだ」


 ターレスというのは、大陸を北と南に分ける連山の名であった。その東の端に、シムの『ゲル』と『ド』の一族は棲息しているのである。


「だが、この娘御を追ってきた4人に毒を扱う素振りはなかったようだな。『ド』の一族であれば、刀を抜く前に吹き矢をかまえるものだろう」


「そうですね。《ターレスの月》であれば首魁は『ゲル』の民なので、やはり『ド』の民は少数であるのでしょう」


「そいつは何よりだ。毒ってのは、刀より厄介だからな」


「しかし、『ゲル』の民は刀と弓だけで『ド』の民に負けない力を持つと聞きます。決して油断はならないでしょう」


「ああ。やつらがヒューイやサラに臆していなければ、そのお手並みを拝見できたのだろうな」


 愉快そうに言いながら、ギャムレイは再び果実酒をあおった。

 切迫した目つきでそのやりとりを見守っていたエリサが、「あの!」と上ずった声をあげる。


「生命を救ってくださった皆さまに、このようなことを願い出るのは非常に心苦しいのですが……わたしを、故郷まで連れ帰ってはくださいませんか?」


「故郷? イラカの町に、俺たちが?」


「はい! 御礼は十分にいたします! イラカの町が遠ければ、せめてアブーフまででも……」


「俺たちは、そのアブーフを出て、シムに向かうところであったのだ。ここからアブーフまでは5日もかかるし、イラカに向かうにはさらに数日もかかろう。すこぶる気乗りのせん話だな」


 すると、エリサのそばにはべっていたニーヤが「ちょっと!」と大きな声をあげた。


「いくら何でも、そいつは薄情すぎやしませんか? このエリサは、乗っていたトトスも失っちまったんですよ? 家族を皆殺しにされたっていうこの気の毒なお人を、こんな危なっかしい場所にひとりで置いていくつもりですか?」


「ふん。シムに向かうって話なら、いくらでも乗せていってやるけどな。来た道をのこのこ戻ったって、俺たちは面白くも何ともないじゃねえか」


「だから! 面白いとか面白くないとかの話じゃないでしょうよ! 救える生命を救わないなんて、それじゃあ山賊どもと変わらないですよ!」


「はァん、人様どころか自分の身も守れない軟弱者が、ずいぶん調子のいいことをほざいてるねェ。アンタはその娘っ子の前でいい格好をしたいだけなんだろォ?」


 小馬鹿にしきった様子でピノが口をはさむと、ニーヤは「はん」と対抗するように鼻を鳴らした。


「それでも、俺の言ってることに間違いはないだろうよ? こんなかよわいお嬢さんをこんな荒野にほっぽりだすなんて、とうてい人間の所業じゃねえよ!」


「ほう、ずいぶん立派な口を叩けるようになったもんだな、ニーヤ」


 にんまりと笑いながら、ギャムレイが土瓶を傾ける。


「それじゃあ、お前が騎士様としてその姫君をお守りしてやったらどうだ? ザンに頼めば、刀子の一本や二本は分けてくれるだろうさ」


「そんなもん、俺にはラマムの皮を剥く役にしか立ちませんよ。……ねえ座長、あんまり意地悪を言わないでくださいよぉ」


「甘えた声を出すんじゃねえよ、気色わりい。……さてさて、こいつはどうしたもんかなあ」


 ギャムレイが面倒くさげに下顎の髭をまさぐると、エリサは差し迫った顔つきで身を乗り出した。


「お、御礼は十分にいたします。手付として、まずはこちらをお収めください」


 そうしてエリサが懐から取り出したのは、銀細工の飾り物であった。

 とたんにニーヤが、「へえ!」と瞳を輝かせる。


「こいつは、本物の銀じゃないか! ってことは、同じ重さの銀貨よりも価値があるだろうから――うわあ、すげえお宝だよ!」


「はい。商いの稼ぎはなるべくかさばらないように、シムで銀細工や宝石に換えてきたのです。この身には、今回の稼ぎの半分ぐらいを隠しております」


「おいおい、あんまり滅多なことを言うもんじゃないよ! 俺たちだって、聖人の集まりじゃないんだぜ?」


 慌てふためいた様子でニーヤが言いたてると、エリサは「いえ」ときっぱり言った。


「わたしはあなたがたを信頼すると決めたのです。そうである以上、何も隠しだてをする気持ちにはなれません」


「いやあ、そうは言ってもさあ……」


「それにこれは、ただひとたびの商いの稼ぎにすぎません。故郷に戻れば、それ以上の御礼を差し上げることもかないます。ですから、どうかわたしの願いを聞き届けてはいただけないでしょうか?」


 エリサは地面に手をついて、必死の面持ちでギャムレイを見つめた。


「わたしは幼い弟に、家族の死を伝えなければならないのです。わたしまで魂を返してしまったら、弟はこの世でひとりきりになってしまうのですから……このような場で朽ちるわけにはいかないのです」


 形のよい眉をひそめて、その目に涙をためながら、エリサはそのように言いつのった。

 ニーヤがその肩にそっと手を置きつつ、ギャムレイをにらみつける。


「これでもこのお人を見捨てるってんですか? だったら、俺もここで縁切りだ! 今までお世話になりましたね! 人の信頼を踏みにじって、好きに馬鹿騒ぎしてればいいですよ!」


「うるせえなあ。お前の声は頭に響くんだから、あんまりぎゃあぎゃあとわめきたてるなよ」


 ギャムレイは、右手の指先で左目の眼帯を掻いていた。


「とりあえず、その飾り物はしまっておきな。俺たちは、芸の代価でしか褒美は受け取らないと決めてるんだ」


「いえ、ですが――!」


「そうだなあ。ピノ、お前はどう思う?」


 片方しかないギャムレイの目が、ピノを見つめる。

 焚き火の炎を映したその隻眼を見返しながら、ピノは唇を吊り上げた。


「そうだねェ。たぶん、考えてることは、座長と一緒だよォ」


「そうかい。だったら、最後まで見届けてみるか」


 ギャムレイも、にやりと底意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「それじゃあ、アブーフまで逆戻りだな。何も急ぐ旅じゃあないし、もう少しセルヴァの空気を吸っておこう」


「さすが座長ですね! 俺は最初から信じてましたよ!」


 調子のいいことを言いながら、ニーヤはさりげなくエリサの肩を引き寄せた。

 緊張の糸が切れたのか、エリサは力なくニーヤの胸もとにしなだれかかる。それを横目で眺めながら、ピノは木皿を取り上げた。


「そんじゃあ、食事にしようかねェ。いい加減に鍋も煮詰まっちまったからさァ。いつゲルドの蛮族どもに襲われるかもわからないんだから、腹ごしらえをしておかなくっちゃねェ」

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