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異世界料理道  作者: EDA
第二十九章 始まりの月(下)
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黄の月の二十四日②~肉の市~

2017.9/2 更新分 1/1

 以前、テリア=マスに教えていただいた道のりを辿って、俺たちは肉の市が開かれる宿場町の広場を目指した。

 時間にはゆとりをもって出発したので、人通りはまだ少ない。が、広場に足を踏み入れてみると、そこにはすでにいくつかの荷車が到着して、商売の準備に取り組んでいた。


「ああ、本当に来たのだな」


 と、聞き覚えのある声に呼びかけられる。

 振り返ると、そこには衛兵の小隊長であるマルスが立ちはだかっていた。


「あ、マルス、ついに復帰されたのですね」


「ああ。まだ腕の力は完全には戻っていないが、いつまでも休んでいたら干上がってしまうのでな」


 そのように言いながら、マルスは右手の指先を開閉させた。

 森辺に道を切り開く工事の際、大きな手傷を負ってしまった彼も、ついに衛兵として復帰することがかなったのだ。

 そんなマルスの姿に気づいたルド=ルウも、「よー」と声をあげていた。


「折れた腕がようやくくっついたのか。元気そうでよかったな」


「ああ、ルウ家の狩人か。その節は、世話になった」


 しかつめらしい表情で、革の鎧に覆われた胸もとをそらしながら、マルスは毅然と謝辞を述べた。

 すると、ルド=ルウの後ろからリミ=ルウもひょっこりと顔を出す。


「きちんと腕がくっついてよかったね! きっとギバの料理をたくさん食べたからだよ!」


 休養の期間中、マルスは数日置きに俺たちの屋台に通ってくれていたのである。リミ=ルウやレイナ=ルウにとっても、彼はすでに顔なじみの常連客であった。

 レイナ=ルウにも笑顔で挨拶をされて、マルスは居心地悪そうに鼻の頭をかいている。


「ええい、顔見知りが増えると、やりにくくてかなわんな。……お前たち、肉を売りに来たのだろう? それなら、さっさと準備を始めるがいい」


「はい。マルスは、巡回ですか?」


「巡回というか、この場の警護だ。銅貨の集まるところには、無法者も集まりやすいからな」


 確かに前回見学した際も、衛兵の姿はちらほらと見かけた気がした。

 しかし言われてみると、今日はその人数がやや多いようにも感じられる。


「お前たちは屋台の商売を始めた際、さんざん町を騒がせていたろうが? またそれと同じことが起きるのではないかという声があがり、警護を強化することになったのだ」


「町で騒ぎというと、東と南のお客さんが喧嘩を始めそうになってしまったことでしょうか?」


「ああ。あれは、料理が品切れになってしまったための騒ぎであったのだろう? 今日だって、同じ騒ぎにならないとは限るまい」


 その点については、事前にポルアースからもアドバイスを受けていた。

 きっと宿場町でもギバ肉は取り合いになってしまうだろうから、抽選の用意をしておくべきだと言われていたのだ。


「それでは、とりあえず準備を始めさせていただきますね」


 俺たちは、荷車を壁際まで寄せていった。

 端から詰めていくのが作法であったので、3人がかりで木箱を下ろしている人々の隣に荷車を並べさせていただく。

 すると、その内のひとりがうろんげな顔で俺たちを振り返ってきた。


「ああ、あんたがたが森辺の肉売りか。話は、聞いてるよ」


 そのよそよそしい口調で、なんとなく相手の素性を察することができた。きっと彼らは、ダバッグから出向いてきたカロン屋の人々であるのだ。


「ついにギバ肉も、市場でお披露目か。たいそうな評判を呼ぶに違いないって話だけど、そうなのかね?」


「どうでしょうね。そうなることを期待してはいるのですが」


 フォウやダイの人々も木箱を下ろすのに忙しかったので、自然と俺が答えることになってしまった。

 ダバッグの商人は「ふうん」とうなりながら、額に浮かんだ汗をぬぐう。


「ま、お手並み拝見といこうかね。俺たちの今後の商いにも、大きく関わってくることだからな」


「はい。どうぞよろしくお願いします」


 彼らは牧場の人間ではなく、そこから肉を引き取って、余所の町へと運び届ける商人である。昨日は城下町、今朝は宿場町で商売をして、またダバッグへと帰っていく。城下町で宿泊することが許されているだけあって、身なりなどはなかなか整っているように感じられた。


(さすがにちょっと、ピリピリしてるかな。俺たちがギバ肉を売れば売るほど、この人たちの損になるんだもんな)


 しかし、そうであるからこそ、こういう人々とも正しい縁を紡げるように気を配るべきなのだろう。

 そんな風に考えていると、広場にどよめきがわきおこった。

 いかにも立派な造りをした箱型の荷車が、しずしずと進入してきたのである。


 荷車の左右には、トトスを引いた衛兵たちの姿も見える。

 マルスたちよりも立派な甲冑を纏った、城下町の衛兵たちである。その数は4名で、ひとりが1頭ずつ鞍つきのトトスを引いていた。俺たちも城下町に出向いた際はしょっちゅうお世話になっている、トトスの騎兵部隊であるのだ。


「ギバ肉を引き取りに参りました。責任者の方はおられますか?」


 やがて、俺たちの前で車がとめられると、荷台から降りてきた上品そうな男性がそのように呼びかけてきた。

 フォウの家の荷下ろしを手伝っていたダイ家の女衆が、「はい」と進み出る。


「ギバの肉は、こちらの荷車に積んでおります。足の肉が5箱、肩の肉が4箱、胸と背中の肉がそれぞれ3箱ずつで、15箱となります」


「ありがとうございます。商品は、こちらの者たちに運ばせますので」


 あちらの車から、体格のいい男性が3名、姿を現した。

 その男たちが、ダイ家の荷車から自分たちの荷車へと、木箱を移し替えていく。城下町に受け渡す肉はダイ家が担当する、という段取りになっていたのだ。


「15箱、確かに。それでは、こちらをお確かめください」


 男が、布の小さな袋を差し出してきた。

 小さいが、ずしりと重そうな袋だ。

 ダイの女衆がその中から1枚ずつ貨幣を取り出し、レェンの女衆に受け渡していくと、ツヴァイ=ルティムがさりげなくそちらに忍び寄っていった。


 代金は、赤銅貨でいうと1710枚にも及ぶはずである。

 1000枚分は銀貨1枚でまかなえるとしても、残りの白銅貨は71枚。赤銅貨100枚に相当する貨幣が存在しないのが、ちょっと面倒なところではあった。


「はい、間違いありません。確かにお受け取りいたしました」


「では、こちらもお渡しいたしましょう。こちらは、割符と申します」


「わりふ……ですか?」


「はい。今後、ギバの肉を引き取りに来る人間は、割符のこちら側を携えて参ります。こうした商いを続ける内に、身分を偽って商品を受け取ろうとする人間が現れないとも限りませんので」


 ポルアースによると、この人物は貴族ではなく問屋の商人であるはずだった。そこに衛兵の護衛がつけられているのは、これが貴族の関わる商売であると示すためであるらしい。


「それでは、失礼いたします」


 必要以上の口はきかずに、その者たちはまたしずしずと立ち去っていった。

 その姿を見送りながら、ダイの女衆は銅貨を詰めなおした布袋をディール=ダイに受け渡した。これだけの大金は、確かに男衆が所持するべきであろう。


 広場の中は、まだちょっとざわついている。城下町の人間が石塀の外まで商品を受け取りに来ることなど、そうそうありえない話であるのだ。

 しかし、俺たちの隣で準備をしているダバッグの肉売りたちは、さして興味もなさげな様子をしていた。彼らも城下町においては、ああいった問屋の商人を相手に商売をしているのだった。


「いささか緊張してしまいました。あとは、この場で個別に売る分ですね」


 ダイとレェンの女衆が、こちらに合流する。市場における販売に関しては、氏族の区別なく全員で取り組むのだ。

 城下町の客人の相手をしている間に、他の肉売りもぞくぞくと集まってきていた。客と思しき人々も、あちらこちらに現れている。市の開始の四の刻も、もう目の前に迫っている頃合いであった。


「おやおや、あたしが一番乗りでしたか」


 と、台車を引いた背の高い人影が近づいてくる。

 それは、《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼであった。

 ルウ家の面々はジザ=ルウ以外、全員見知った相手であるので、それぞれが挨拶を交わす。フォウやダイの人々にも、彼女を紹介しておくことにした。


「きっとこれから、ちょいちょい顔をあわせることになるでしょうからねえ。よろしくお願いいたしますよお、森辺のみなさんがた」


 物腰がやわらかくて、丁寧で、ちょっとした仕草にも温かみの感じられるジーゼという人物は、きっと森辺の民にも受け入れやすいタイプであることだろう。

 その場にいる全員と挨拶を交わした後、最後のひとりの姿を目にして、ジーゼは「おや」と目を細めた。


「あなたは、おひさしぶりですねえ。わたしのことを見覚えておいででしょうか?」


「……そりゃまあ、顔ぐらいはネ」


 言わずと知れた、ツヴァイ=ルティムである。

 彼女もまた、月の始めの寄り合いでジーゼとは顔をあわせた間柄であるのだった。


「寄り合いではお世話になりましたねえ。ミダ=ルウという御方は元気にされておりますか?」


「知らないヨ。ルウとルティムは眷族だけど、別々の場所で暮らしてるんだからサ」


「そうなのですか……それはお寂しいことですねえ」


 ツヴァイ=ルティムは、自分の過去の素性を明かしてはいない。だからジーゼは、彼女とミダ=ルウがかつて兄妹であったことも知らないはずであった。


 それでも、ツヴァイ=ルティムが眉を吊りあげてミダ=ルウを弁護し、しまいには森辺の集落から呼びつけてしまったことが、印象に強かったのだろう。ジーゼはにこにこと微笑んでおり、ツヴァイ=ルティムは仏頂面でそっぽを向いていた。


「……まもなく、四の刻となるな」


 と、周辺を見回っていたマルスが、4名の部下を引き連れて舞い戻ってきた。


「ふむ。市が開かれる前から大勢の客が詰めかけるのではないかと危ぶんでいたのだが、それは杞憂であったか」


「はい。早いもの勝ちにすると大変な騒ぎになってしまうかもしれないというご忠告を受けたので、四の刻ちょうどに抽選のくじ引きをするという話を事前にお伝えしておいたのです」


「なるほど、それは準備のいいことだ。しかし、それにしても、ずいぶんと人が少ないような――」


 マルスがそのように言いかけたとき、台車を引いた人々がぞろぞろと近づいてきた。

 見知った顔がちらほらと見受けられる。宿屋のご主人がたである。


「うん? 衛兵さんが、何の用事だい? まさか、俺たちの商売を邪魔しようってんじゃないだろうな?」


 その先頭に立っていた大柄なご主人が、恐れげもなくマルスをにらみつける。

 マルスはこっそり溜息をついてから、そちらをにらみ返した。


「お前たちが騒ぎを起こさなければ、我々の出番はない。ジェノスの法を守りながら、商いに励むことだ」


 マルスともう1名の衛兵を残して、3名の衛兵はご主人がたの後方にまで引きさがっていった。

「ふん」と鼻息をふきながら、大柄なご主人が俺たちのほうに目を向けてくる。


「ギバの肉を買わせてもらいに来たぞ。ここで待っていればいいのだな?」


「はい。四の刻になるまで、少々お待ちくださいね」


 俺はあくまで見届け役だが、顔見知りの人々を黙殺するわけにはいかない。次回以降はこういった応対も、フォウやダイの人々に受け持ってもらわなくてはならなかった。


 そのように思って売り場のほうに視線を転じると、女衆はみんな真剣な眼差しで俺とご主人のやりとりを見守っていた。

 屋台の商売にも参加したことのない彼女たちは、町の人々と交流を重ねる機会も少なかったのである。今後はどのような態度で町の人々と接していくべきか、それを懸命に学ぼうとしているように感じられた。


「……やはり、それなりの人数になるようだな」


 売り場の横に控えたマルスが、小声でつぶやく。

 確かに、その場にはぞくぞくと人が増えていた。見知った顔もあれば、見知らぬ顔もある。ご主人みずからが市場に出向いてくるとは限らないし、それに、宿屋の関係者ならぬ一般の人々も少なからず集まってくれているように感じられた。


 一般の人々には、大々的な告知をおこなったわけではない。しかしまた、隠しだてをしていたわけでもないので、クチコミで噂が広がっていったのだろう。ギバ肉の販売に関しては月の頭から企画されていたので、噂が広まるには十分な時間であったのであろうと思われた。


「ふーん。これなら、肉が売れ残ることもなさそうだな」


 ルド=ルウがそのようにつぶやいたとき、広場の中心から鋭い笛の音のようなものが鳴り響いてきた。

 広場の中心には大きな台座があり、そこに日時計が設置されている。それが四の刻を指し示したため、当番の衛兵が市場の開始を告げたのである。


 売り場の前に待機していた人々が、ぐぐっと押し寄せてきた。

 フォウの年配の女衆が、小さく呼吸を整えてから、声を張り上げる。


「それでは、商売を始めさせていただきます。まず、ギバの肉を買いたいと願う方々は、手を上げていただけますか?」


 けっこう後ろのほうまで詰めかけていた人々が、けげんそうな顔で手を上げていく。

 女衆が背後に目をやると、いつの間にか荷車の御者台にのぼっていたフォウの男衆が人々の姿を見回しながら「31人だ」とつぶやいた。


「では、こちらの箱に31枚の木札をお入れしますので、おひとりずつそれを引いていただけますか? その数の小さい方から、順番にギバの肉を買っていただきたく思います」


 それが俺の考案した、抽選の方法であった。

 かつて俺は屋台でも数量限定の『ギバ・カツサンド』を売り出すために抽選を行っていた。今回は、その応用であった。


 まあ、べつだん難しい話ではない。数字の書かれた木札を箱の中に入れて、それを引いてもらうだけのことだ。それで数字の若い順にギバ肉を購入していただき、売り切れたらそこで終了というシステムである。


 ただ難儀であったのは、森辺の民が文字の読み書きを習得していなかったことであった。

 だから今回は、木札に記号が記されている。1から9までは小さな点、10の位は大きな点という、とても原始的な記号である。「31」なら、「大きな点が3つに小さな点が1つ」ということだ。


 木札は念のために「50」まで準備していたので、その内の「31」までを木箱に投じる。木箱の上側には大人の手が入るぐらいの丸い穴が空けられているばかりであるので、引く際に内側を盗み見ることもできないはずだった。


「それでは、おひとりずつどうぞ」


 ランの女衆が、木箱を差し出す。

 すると、さきほどマルスとやりあっていたご主人がかたわらのジーゼを振り返った。


「あんたは一番に並んでたよな。だったら、あんたから引くといいさ」


「おや、そいつはありがたい話ですねえ」


 ジーゼがにこやかに微笑みながら、木箱の穴に細い手を通した。

 まぶたを閉ざして、しばらくガラガラと木箱の中身をかき回してから、木札を取り上げる。

 そこには、小さな点がひとつだけぽつんと記されていた。


「あ……これは、一番の札です」


 さすがにランの女衆も驚いた様子で声をあげると、あちこちから悲嘆のうめき声が合唱された。

 ジーゼに一番を譲ったご主人などは、周囲の人々から肩などを小突かれて、「俺のせいじゃねえや」と唇をとがらせている。


「では、この場でギバの肉を買っていただけますか? それ次第で、今後の人数も変わってきますので」


「あらあら、ありがたい話ですねえ。……ここで15箱すべてを買ってしまったら、この場のみなさんがたにはたいそう恨まれてしまいそうです」


 ジーゼの言葉に、周囲の人々がぎょっと身をのけぞらせる。


「おいおい、ジーゼ婆さん、勘弁してくれよ?」


「うふふ……さすがにあたしひとりで、15箱も持って帰れませんですよお。欲をかいて売れ残りを出したら大変ですしねえ」


 ということで、ジーゼはロースとバラと肩をひと箱ずつ所望することになった。

 一番数の多いモモに手をつけなかったあたり、なかなか心憎いチョイスである。


「これで、お代はいかほどですかねえ?」


「はい。少々お待ちください。ええと……」


 ダイの女衆が、口もとに手をやって考え込み始める。

 その姿を、ツヴァイ=ルティムは横からじっと観察していた。


「胸と背中が赤銅貨で150枚ずつ、肩が90枚ですので……赤銅貨390枚となりますね」


「では、白銅貨で39枚ですねえ」


 ジーゼは要求された銅貨を支払い、3つの木箱を台車に載せていった。細身かつ老齢であるのに、15キロもの重量を持つ木箱を持ち上げるのに不便はなさそうな様子である。


「どうもお世話さまですねえ。また次にお会いできる日を楽しみにしておりますよお」


 俺たちのほうにも頭を下げてから、ジーゼはすみやかに立ち去っていった。

 仏頂面のご主人が、「次は俺の番だ」と進み出る。

 しかし、そのご主人が引き当てたのは「22」であった。

 残り12箱でこの数字は、なかなか絶望的である。ご主人は肉厚の肩を落として、すごすごと引き下がっていった。


 その後も順々にくじが引かれていき、悲喜こもごもの様相を呈し始める。

「3」のくじを引き当てた若者などは小躍りをせんばかりであったし、「7」を引き当てた男性などはひどく複雑そうな顔をしていた。全員が3箱ずつ購入していったら、5番手までで商品は尽きてしまうのだ。


 そうしてちょうど折り返しぐらいの順番で、「2」の木札を引き当てた人物がいた。

 見覚えのない若めの女性であったが、どうやら宿屋の関係者であったらしい。彼女が「やったー!」と歓喜の声をあげると、まだくじを引いていなかった人々は羨望と落胆の視線を向けていた。


「では、足肉を2箱と、背中の肉を1箱、お願いします!」


「はい。それでは……ええと……90枚が2箱で、150枚が1箱だから……300……300と20枚……?」


「330枚」と、ツヴァイ=ルティムが鋭く言い捨てる。

 ダイの女衆はそちらに頭を下げてから、娘さんから銅貨を受け取った。


「あのサ、箱で売る場合は赤銅貨じゃなくて白銅貨で勘定すりゃいいって教えたでショ? 数は小さいほうが数えやすいんだからサ」


 娘さんが木箱を積んでいる間に、さらにツヴァイ=ルティムが小声で言いたてると、ダイの女衆は恐縮しきった様子で「申し訳ありません……」とうなだれた。


「それじゃあ、俺も買わせてもらっていいのかな?」


 と、さきほど「3」の木札を引き当てた若者が笑顔で進み出てくる。


「あ、はい、どうぞ。どの肉をお買いになりますか?」


「えーっとね、足の肉を20人分お願いするよ」


 宿場町の相場で言うと、肉のひとり分は250グラム、20人分なら5キログラムである。

 周囲に詰めかけた内の半数ぐらいの人々が、たちまち非難の声をあげた。きっと、宿屋の関係者たちなのだろう。小分けで買いつける人間が現れると、値引きの対象となる分が減じてしまうのだ。


「しかたないだろ。うちは5人家族なんだからさ。これでも精一杯の銅貨を準備してきたんだよ」


 そのように述べつつも、若者はご満悦の表情であった。

 そして、非難の声をかきわけるようにして、誰かが「そうだそうだ!」と声をあげている。きっと彼と同じように、小分けでギバ肉を買いつけようとしている誰かなのだろう。もしも先着の5名が全員宿屋の関係者で、値引きとなる3箱ずつを買いつけていたら、一般の人々には購入の機会が失われていたところなのである。


「足の肉を20人分ですと……代金は、赤銅貨60枚となります」


 そのように述べてから、ダイの女衆が不安そうにツヴァイ=ルティムを振り返った。

 ツヴァイ=ルティムは、無言のまま腕を組んでいる。小分けで売る場合、モモは1キロで赤銅貨12枚、ひとり分なら赤銅貨3枚に設定したので、不備はないはずだった。


(この日に備えて計算の勉強会を開いたりもしたけど、練習と本番じゃ感覚も違うからな。ちょっとぐらい手間取るのが当然だ)


 それでも、俺たちはこれを機会に、肉の値段を設定しなおしていた。これまでは4種バラバラの値段であったのだが、価格の近かったロースとバラ、モモと肩を、中間を取る形で同じ価格に設定しなおしたのだ。これで、値段を暗記する手間と計算をする手間は半分ぐらいに緩和されているはずであった。


(俺やツヴァイ=ルティムは規格外なんだから、他のみんなはじっくり時間をかけて慣れてもらうしかない。何も焦ることはないさ)


 俺がそんなことを考えている間に、着々とくじ引きは進んでいった。

 最後のくじが引かれる前に、「4」と「5」の木札が引き当てられて、それはどちらも宿屋の関係者であった。なおかつ、その内の片方が4箱も買いつけていったので、残る肉はバラがひと箱にモモが10キロ分ということになった。


 その段階で、宿屋の関係者はみんな立ち去っていった。やはり、わざわざ割高の値段で買う気持ちにはなれなかったのだろう。

 後に残ったのは、10名ばかりの人々だ。

 どうやら31名中の、20名ぐらいは宿屋の関係者であったらしい。木札を返して立ち去る際に、それらの人々は「なるべく早めにまた売り出してくれよな」と言ってくれていた。


 そうして残された人々から番号の若い順に買っていってもらうと、5人目で肉が尽きた。ひとりで30人分も買いつけるような人もいたので、25キロ分の肉もあっという間に尽きてしまったのだ。


「いやあ、何とか買いつけることができました。これで家族も大喜びですよ」


 最後に残ったバラとモモを10人分ずつ買ってくれた若い男性は、笑顔でそのように述べていた。

 その明るく輝く茶色の瞳が、売り場にいる全員をぐるりと見回して、最後に俺のところで止まる。


「ファの家のアスタって、あなたですよね。いつも祖母がお世話になっています」


「え? 祖母ですか?」


「はい。俺は野菜売りのミシルの孫です」


 俺は、心から驚くことになった。

 若者は、にこにこと笑っている。


「俺は買い出しの仕事で町に出ることも多いんで、ときどき屋台の料理を食べさせてもらっていたんですけどね。他の家族はなかなかそんな機会もないから、なんとしてでもギバ肉を買いつけてこいってうるさかったんですよ」


「そうだったのですか。それはどうも、ありがとうございます」


「お礼を言うのはこっちですよ。うちの嫁さんなんかはドーラの家に通って、美味い料理の作り方ってやつを手ほどきしてもらっていたんです。おかげさまで、最近は晩餐の時間が楽しみでしかたないんですよ」


 あのミシル婆さんのお孫さんとは思えない、実に快活な笑顔であった。


「そういえば、ドーラの家の人間は見あたりませんでしたね。もちろん今日のことは知らせていたんでしょう?」


「はい。でも、ギバ肉を食べたことのない人間に機会を譲りたいから、しばらくは遠慮すると言ってくれていました」


「ああ、なるほど。つまりは、俺の家の家族たちみたいな人間のためにってことですね。そいつはありがたい気づかいです」


 肉を詰めた革袋を手に、若者はぺこりとおじぎをする。


「せっかくのギバ肉ですから、お袋や嫁に腕をふるってもらいますよ。それじゃあ、また屋台のほうにも顔を出しますんで、そのときはよろしく」


「はい、こちらこそ。お買い上げありがとうございました」


 そうしてその若者も立ち去っていくと、本日の仕事も終了であった。

 4軒の宿屋と6軒の家に、200キロ強のギバ肉を売ることができた。そして、同じ量の肉を城下町にも売ることができた。それが、本日の成果である。


 総売り上げは、赤銅貨で換算すると、3660枚。ふた箱分は小分けで売られたので、その分の代金が割増しされた格好だ。

 初日としては、上々の成果であろう。

 森辺に豊かな生活をもたらしたいという願いから始まった商売の、それは新たなる一歩であったのだった。

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