黄の月の二十二日④~食後の菓子~
2017.8/31 更新分 1/1 ・2018.9/22 一部文章を修正
「最後の菓子は、『筒焼き』となります」
シリィ=ロウと老女によって、最後の皿が並べられていく。
そこには、前菜とそっくりの見た目をした菓子が重ねられていた。
色合いも黒褐色で、外見上は何の変化もない。
ただ、織布に包んで持ち上げてみると、たちまち菓子らしい甘い香りが感じられた。
「ああ、ほっとする味だねえ。さんざん驚かされた舌や胃袋をなだめられているような心地だよ」
実に的確な感想を、ポルアースが述べていた。
前回も、ヴァルカスの出した菓子はこういう優しい味わいであったのだ。
それでも、緻密な計算によって組み立てられた味なのだろう。黒フワノのサクサクとした食感と、パナムの蜜の豊かな風味、それにシナモンを思わせる甘い香りが絶妙にマッチしている。そして、ラマンパの実か何かを混ぜているのか、ときたまナッツのような食感が感じられるのがとても心地好かった。
「あの、こちらに使われているのは、カロンではない獣の乳なのでしょうか?」
と、向こうの卓からマイムが発言した。
ヴァルカスは「はい」とうなずいている。
「先日、雌のギャマを一頭だけ手に入れることができましたので、その乳を使っています。ギャマには果実しか与えておりませんので、悪い風味などは出ていないかと思いますが」
「はい! とてもまろやかな風味ですね! わたしは大好きです!」
「……これをカロンの乳でないと見分けられる方は、そうそう存在しないことでしょう。さすがはミケル殿のご息女です」
ヴァルカスがそのように述べると、マイムは「いえ」と笑顔で首を振った。
「最初に気づいたのは、トゥール=ディンです。トゥール=ディンに言われなければ、わたしも気づかなかったかもしれません」
俺の位置からは、トゥール=ディンの小さな背中しか見えない。
ただ、その手はマイムの衣服をつかみ、とてもあわあわしているように感じられた。
「トゥール=ディン……あなたがオディフィア姫に菓子をお届けしている森辺の料理人であられたのですね」
ヴァルカスは、感情のこもらない目でトゥール=ディンのほうを見た。
「弟子のシリィ=ロウから話はうかがっています。かつての茶会の味比べでも、あなたはシリィ=ロウに勝利されたそうで。そのお若さで、実に大した腕前です」
「い、いえ、とんでもありません……」
椅子の背もたれで見えなくなってしまうぐらい、トゥール=ディンの身体が小さくなってしまった。
シリィ=ロウは、ヴァルカスの背後で無表情に目を伏せている。
そんなシリィ=ロウを一瞬だけちらりと見やってから、ヴァルカスはさらに言葉を重ねた。
「わたしは、食卓で主役を飾る菓子に関しては、なかなか腕を磨く時間を取れないようになってきています。今、あなたと味比べをしても、おそらくはひとつの星も奪えないことでしょう」
「ええ? まさか、そんなことは……」
「ですが、シリィ=ロウは菓子に関しても他の料理と同じぐらいに研鑽をしています。あなたがたが腕を競い合い、またとなく美味なる菓子を作りあげてくれることを、わたしは楽しみにしています」
シリィ=ロウがハッとしたように面を上げて、ヴァルカスの背中を見つめた。
そうしてすぐにそっぽを向くと、手の甲で目もとをこすり始める。その目が再びこちらを見る前に、俺は視線を外しておくことにした。
「しかし、6種の料理の締めくくりとしては、何の不満もない菓子だったよ! 姫君たちの食する菓子に関してはお弟子におまかせして、ヴァルカス殿にはこれからも美味なる料理を作り続けていただきたいものだね」
ポルアースが言葉をはさむと、ヴァルカスは「恐縮です」と頭を下げた。
「それではすべての料理をお食べいただきましたので、弟子たちとともにご挨拶をさせていただきたく思います」
「うん、よろしくお願いするよ!」
老女が一礼して、部屋を出ていく。
それからすぐにボズルとタートゥマイがやってきて、シリィ=ロウの横にずらりと立ち並んだ。非正規の助手であるロイは、やはり姿を現さないようだ。
「本日の料理は、わたしども4名で作らせていただきました。右から、タートゥマイ、ボズル、シリィ=ロウです。タートゥマイはシャスカと野菜料理、ボズルは肉料理、シリィ=ロウは前菜と菓子に関して、主にその力をふるってもらいました」
「ボズル殿とシリィ=ロウ嬢には、僕の家の舞踏会でもぞんぶんに腕をふるっていただいたね。あれも実に見事な料理であったよ」
「はい。彼らの力なくして、1日に20名様分の料理を作ることはかないません。わたしにとっても、かけがえのない弟子たちです」
感情の見えないヴァルカスであるが、その言葉が上っ面のものでないということは感じ取ることができた。
タートゥマイは無表情に、ボズルは笑顔で、シリィ=ロウは決然とした面持ちで、ヴァルカスの言葉を聞いている。
「彼らはすでに、ひとりひとりが店を出せるほどの力量であることでしょう。今後も我ら4名をお引き立ていただければ幸いです」
「うんうん。こちらこそ、何かの折にはまたよろしくお願いするよ。……《黒の風切り羽》と森辺の方々にもご満足いただけたかな?」
「はい。わたしたちがシムやさまざまな土地から持ち帰った食材をこのように素晴らしい料理に仕立てていただけて、非常に誇らしく思っています。次の来訪は半年以上も先のことになるかと思いますが、またご満足のいただける商品をお届けいたしましょう」
ククルエルが如才なく答えると、ヴァルカスはまた礼儀正しく一礼した。
「《黒の風切り羽》の方々には、生きたギャマを始めとするさまざまな食材を届けていただいているので、心より感謝しております。またのちほど、食材の取り引きについてご相談させていただきたく思います」
そして今度は、森辺の民の番であった。
代表者として、ヴィナ=ルウがヴァルカスに向きなおる。
「あなたがたの料理は、ルウ家でもたいそうな評判になっていましたわぁ……わたしは妹たちのように立派なかまど番ではないけれど……外の世界には、こんなにも不思議な料理が存在するのだということを、心から思い知らされた気分です……」
「光栄です。……アスタ殿からもお言葉をいただくことはかなうでしょうか?」
「はい。自分も心から感服いたしました。異国生まれの自分や、シムの方々や、森辺で生まれ育った方々の全員が美味と思える料理を作れるなんて、本当にすごいことだと思います」
「……それは、アスタ殿にもそのまま当てはまるお言葉ですね」
ヴァルカスが、ちょっぴりだけ首を傾けながら、そのように述べてきた。
「わたしもまた、アスタ殿の料理を口にしたいと願っています。また城下町で料理をお作りになるご予定などはないのでしょうか?」
「ええ、今のところは」
それを決めるのは、俺自身でなく城下町の方々である。
そう思ってポルアースのほうに目をやると、彼はいくぶん困り気味に眉を下げていた。
「僕たちも、アスタ殿を城下町に招きたくてうずうずしているのだけれどね。今はちょっと、時期を見ているのだよ」
「時期ですか?」と、ヴァルカスがいぶかしげに眉をひそめる。
「うん。雨季が明けたら、すぐにでも王都の視察団がやってくるものと考えていたのだけれども、いまだに音沙汰がなくてねえ。できれば、視察団の方々をやりすごしてから、心置きなくアスタ殿を招きたかったのだよ」
「……王都の方々が来訪されていると、何かご都合が悪いのでしょうか?」
ククルエルも、不思議そうに口をはさんできた。
ポルアースは、眉を下げたまま笑っている。
「うん、まあ、アスタ殿に限らず、森辺の民というのは特別な経緯でジェノスの民となっているので、あまり王都の方々の目には触れさせたくないのですよ。なおかつ、森辺の民を料理人として城下町に招いている、などと知れてしまったら、余計に注目を集めてしまいそうですしね」
「ああ、なるほど……確かに王都の方々には、森辺の民の在りようというのは理解し難いのかもしれませんね」
ククルエルは、それで納得できたようだった。
むしろ、ヴァルカスを始めとする料理人の面々のほうが、うろんげな面持ちになっている。
「よくわかりませんが、王都の方々がジェノスにやってきて、また帰っていくまでは、アスタ殿を城下町に招くこともない、ということですか」
「うん。僕とメルフリード殿はそのように考えているよ」
「そうよね。オディフィアだってトゥール=ディンを茶会に招きたがっているのに、しばらくは我慢しなさいとたしなめられてしまっているのよ。……あと、ディアル嬢も同じことを言っていたわね」
エウリフィアが、笑いを含んだ声でそう発言した。
「アスタはディアル嬢にも、晩餐をふるまうと約束したのでしょう? それをわたしの伴侶たちにたしなめられてしまったものだから、オディフィアと同じぐらいふくれてしまっていたわよ」
「あ、そうだったのですか。それは知りませんでした」
ここ最近は、ディアルも屋台に姿を現していなかったのだ。俺と顔をあわせていれば、きっと遠慮なくぼやいていたことだろう。
「まあ、王都の視察団がやってくるのは年に2回ほどだからね。1回やりすごしてしまえば、しばらくは静かになるので、そのときはまたよろしくお願いするよ、アスタ殿。それに、ルウ家の方々やトゥール=ディン嬢も」
「はい。了解いたしました」
「では、それまではわたしも自分の研鑽に励むことにしましょう」
ヴァルカスが、ふっと息をつく。
表情は変わっていないが、とても残念がってくれている様子である。
「それじゃあ、あの……ヴァルカスを森辺にお招きする、というのも、今は差し控えたほうがいいのでしょうか?」
俺が問いかけると、ポルアースはきょとんと目を丸くした。
「いや、それはべつだん気にする必要もないと思うけれど……でも、ヴァルカス殿が城下町を離れることなどあるのかな?」
「ありません」と、ヴァルカスはあっさり言った。
「わたしは極力、城下町を出ないように心がけておりますし、今後も出ることはないでしょう。アスタ殿が城下町に招かれる日を待たせていただきたく思います」
すると、ボズルが笑い声をあげた。
「確かに、ヴァルカス殿が城下町を出るなどと言いだしたら、我々も気が気ではないでしょうな。ヴァルカス殿は繊細にできておられるので、城下町の市場にさえ、なかなか足を運べないほどであるのです」
そのように述べてから、ボズルがシリィ=ロウのほうを見た。
「シリィ=ロウは、森辺の集落に出向いたこともあったのだよな。ヴァルカス殿をそこにお連れすることなど、可能であると思えるかな?」
「と、とんでもありません。ヴァルカスがあの地に出向いたら……きっと、料理を口にする前に目を回してしまいます」
そのように述べてから、シリィ=ロウは慌てた様子で俺たちのほうを振り返ってきた。
「あ、別に、あなたがたの生活を蛮なるものと貶めているわけではないのですよ? そうじゃなくって、ヴァルカスは……人混みの中にまぎれるだけで気分を悪くされてしまうような気質であるのです」
それでは確かに、森辺の宴の熱気にあてられるだけで、卒倒してしまうかもしれない。
残念ながら、ヴァルカスを森辺に招待するというプランは断念せざるを得ないようだった。
「では、俺も城下町に招いていただける日を待たせていただきたく思います。……あ、シリィ=ロウは、いかがですか?」
「はい? 何がでしょう?」
「またいずれ、町の方々を森辺にお招きしたいと考えているのです。そのときに、シリィ=ロウをお招きしてもご迷惑ではないでしょうか?」
シリィ=ロウは身をのけぞらしつつ、ものすごい勢いで目を白黒とさせた。
「ど、どうしてわたしを? 誘う相手を間違えているのではないですか? ロイをお誘いしたいのでしたら、後でお伝えしておきます」
「ロイもですが、シリィ=ロウもお招きしたいと考えています。せっかくご縁を持てた間柄ですので」
シリィ=ロウは、困惑しきった様子で身体をよじっていた。
その姿を見て、ボズルがまた大らかに笑う。
「シリィ=ロウだって、森辺の集落にまた出向きたいと考えていたのだろう? せっかくだから、お招きにあずかればいいではないか」
「わ、わたしは別に……きっと彼らには、疎まれていますし……」
「そんなことはありません。あなたがたをお招きすることができたら、とても嬉しく思います」
と、ずいぶんひさびさにレイナ=ルウが発言した。
もちろんあちらの卓では色々と会話を繰り広げていたのであろうが、俺がその声を聞くのはひさびさであったのだ。
「ミケルとマイムもいまだルウ家の集落に留まっておりますし、あなたがたにとっても得られるものはあるのではないでしょうか? ぜひ、前向きにお考えください」
「だ、だけど……」
「わたしもシリィ=ロウが来てくださったら、とても嬉しいです。料理の話を抜きにしても、あなたとは縁を深めたいと願っています」
シーラ=ルウも、穏やかな声でそのように述べたてた。
そういえば、以前の歓迎の祝宴において、シーラ=ルウは何かとシリィ=ロウの面倒を見ていたような記憶がある。
シリィ=ロウがもじもじしながらうつむいてしまうと、ボズルが笑顔で「ふむ」と腕を組んだ。
「できることなら、わたしもお招きにあずかりたいところですな。森辺の集落でギバがさばかれているのなら、それをこの目で見てみたいと願っていたところであるのです」
「ボズルは、ギバ肉の加工に興味がおありなのですか?」
「ええ。城下町でも、ついにギバの生鮮肉の取り引きが開始されるのでしょう? だったら、ギバがどのような手順で肉とされていくのか、それを知っておくべきだと思うのです」
ボズルは肉の仕入れに関して、ヴァルカスから一任されている立場なのである。
俺たちがダバッグでカロンの牧場を見学したいと願ったような、そういう心境であるのかもしれない。
「……あなたがたも、いずれギバの肉を扱うようになるのですね?」
真剣そうな響きをおびたレイナ=ルウの言葉に、ヴァルカスは「はい」とうなずいた。
「城下町ではすでにギバの燻製肉や腸詰肉といったものが流通しておりましたが、いずれ生鮮肉を扱えるのであれば、むやみに手を出すべきではないと考えておりました。生鮮肉の定期的な流通が認められたのなら、それはわたしにとっても大きな喜びです」
「そうですか……あなたがたがギバを使ってどのような料理をこしらえるのか、わたしも心待ちにしています」
席が遠いので表情までは確認できなかったが、レイナ=ルウの声には非常な緊張感がふくまれているように感じられた。
俺もなんだか、背筋がむずむずするような心地を味わわされてしまっている。
ヴァルカスがギバ肉を扱ったら、どのような料理ができあがるのか。
森辺のかまど番であれば、そこに注目しないわけにはいかなかった。
「料理人同士でも交流が深まっているようで何よりだね。今後も素晴らしい料理をお披露目してくれることを楽しみにしているよ」
ポルアースが、笑顔で酒杯を取り上げる。
「それでは、食後の酒を楽しみながら、我々も交流を深めさせていただこうか。城門の守衛には話をつけてあるので、一刻ばかりはお相手をお願いするよ、森辺の皆様方」
◇
ポルアースの宣言通り、それから一刻ていどは歓談を楽しむことになった。
ポルアースやメリムの話術が巧みであるために、こちらの卓も大いに盛り上がったように思う。先日の舞踏会において、アイ=ファがいかに美しかったか、リミ=ルウたちの作る料理や菓子がどれだけ美味であったか、アリシュナの占いがどれだけ姫君たちに評判であったか、などなど話題が尽きることもなかった。
それに、シュミラルとククルエルである。
彼らは大陸中を駆け巡っている身であるので、それこそ語りきれないほどの話題を有していた。
シムにおける不思議な風習や、氷雪に閉ざされたマヒュドラの様相、西の王都アルグラッドの絢爛さなど、リミ=ルウやメリムは目を輝かせて聞き入っていた。
また、そうして会話を重ねることによって、ヴィナ=ルウのククルエルに対する不審の念も完全に払拭できたようだった。
ククルエルは、むしろシュミラルに似たところがたくさんある人間だということを、ようやく実感することができたのだろう。途中からはヴィナ=ルウも笑顔を見せながら、シムにおける草原の暮らしなどについて尋ねていた。
ただ、それとは別に、ヴィナ=ルウが穏やかならざる様子を垣間見せる瞬間があった。
シュミラルとアリシュナが言葉を交わす際に、ヴィナ=ルウが過敏に反応していたように見受けられたのである。
何も両者が必要以上に親しげであったわけではない。ただ、もとは同じ『ジ』の一族であったという出自から、どこかに通ずるものがあったのだろう。なおかつ、シムの女性というのはこのジェノスにおいても非常に珍しい存在であったため、それだけでもヴィナ=ルウにとっては胸の騒ぐ存在になってしまうのかもしれなかった。
「……シムの女衆というのは、みんなあなたのようにほっそりとしているものなのかしらぁ……?」
と、ついにはそのようなことをアリシュナに問うていたヴィナ=ルウである。
アリシュナは、夜の湖を思わせる瞳でヴィナ=ルウを見返しつつ、小首を傾げていた。
「申し訳ありません。私、セルヴァで生まれ育ったため、シムの普通、わかりかねます」
「ああ、そう……でも、幼い頃には家族も一緒だったのでしょう……?」
「はい。母や叔母、痩せていました。でも、私たち、貧しく、食事の量、少なかったため、太ること、難しかったと思います」
すると、リミ=ルウを相手にトトスの話で盛り上がっていたククルエルが、ふっとヴィナ=ルウのほうを振り返った。
「草原の民は、余計な肉を身につけることを醜いと考えています。それは、肥え太ることが自堕落の象徴とされているためです」
「ああ、やっぱりそうなのねぇ……」
「はい。ですがそれは、あくまで草原の習わしです。草原では娘たちもトトスに乗って仕事を果たすために、自然に肉体が研ぎ澄まされるという面もあるのでしょう。また、軽ければ軽いほどトトスに与える負担が少なく、肥え太った人間よりも多くの仕事をこなせる、という意味合いも生じます」
そのように述べてから、ククルエルは優しげに目を細めた。
「しかしそれは、あくまで草原の習わしです。トトスに乗らぬ人間が痩せていても得になることはありませんし、セルヴァにおいてはあなたのような女性こそが美しいと見なされるのではないでしょうか?」
「ええ、本当に。森辺の女性はみんな見目が麗しいですけれど、ヴィナ=ルウのようにお美しいお方を目にしたのは初めてかもしれませんわ」
と、メリムまでもが笑顔でそのように言いたてた。
「もしよろしければ、ヴィナ=ルウもぜひ舞踏会などにお招きさせてください。あなたが城下町の宴衣装を纏ったらどのような姿になるのか、想像するだけで胸が躍ってしまいますわ」
「いやあ、そのときはやっぱり殿方に同伴していただく必要があるだろうね。そうじゃないと、若い貴公子たちがこぞって彼女の周りに集まってしまいそうだ」
ポルアースが楽しそうに笑い声をあげる。
ヴィナ=ルウが不明瞭な面持ちで黙り込んでいると、ククルエルが静かな声で言った。
「何にせよ、重んずるべきは外見ではなく内面です。どれほど美しい外見をしていても、内面が澱んでいれば忌避されることでしょう。東の民にとってもっとも重要なのは、その人間の星の輝き――魂の在りようであるのです」
「……魂の在りよう……」
それだけつぶやいて、ヴィナ=ルウは酒杯の果実酒に口をつけた。
その憂いげな横顔を見つめつつ、シュミラルは無言である。
そして、そんな両者の姿を、ククルエルはいつまでも穏やかな眼差しで見つめていた。
◇
そうして一刻ばかりの時間はあっという間に過ぎ去って、俺たちは《銀星堂》を辞去することになった。
「ご来店ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
いったん厨に戻っていたヴァルカスたちにも見送られて、荷車に乗る。
そこからは、さらに賑やかなひとときが待ちかまえていた。
食堂では遠慮をしていた森辺のかまど番一同が、口々にヴァルカスの料理について論評し合うことになったのである。
「本当にもう、驚きのあまり声も出ませんでした! いったいどうしたら、あのようにさまざまな味を組み立てることがかなうのでしょう?」
「そうですよね! わたしもあれぐらい人の心を揺さぶれる料理を作りたいです!」
特に熱のこもっているのは、レイナ=ルウとマイムであるようだった。
もちろん、俺や他のメンバーが平静であったわけではない。惑乱した気持ちがどれだけ表に出てしまったかの差にすぎないのだろう。
「わたしはヴァルカスのようになりたいと願っているわけではありません。……でも、あれだけ巧みに食材を扱えるようになったら、もっともっと家族や同胞を喜ばせることができるようになるのでしょうね」
普段は静かなトゥール=ディンも、何かを祈るような感じでまぶたを閉ざしながら、そのように述べていた。
レイナ=ルウはうんうんとうなずきながら、かたわらのシーラ=ルウを振り返る。
「シーラ=ルウも、同じ気持ちでしょう? 明日からまた頑張ろうね!」
「ええ、もちろん。……でも、何をどう頑張ればいいのか、少し迷ってしまいますね」
「それは確かにそうだよね……ねえ、マイム、ミケルはヴァルカスほど香草を使う料理人ではなかったのですか?」
「使わないことはありませんが、宿場町に出回っている香草の半分ぐらいは見覚えのないものだと言っていました。父が料理人であった時代は、トゥラン伯爵に縁のある料理人しか手に入れることのできない香草であったのでしょう」
「ああ、そうか……アスタは、どのようにお考えですか?」
「そうだね。確かにヴァルカスの料理はすごいけど、それをそのまま真似る必要はないはずだから、俺たちは俺たちに扱える食材で勝負するしかないと思うよ」
そのように答えつつ、俺にも思うところはあった。
「ただ、香草ひとつで料理は格段に美味しくなったりもするからね。そういう意味では、もっと香草の取り扱いを学びたいなと考えてるよ。……だから俺は、ジーゼに教えを乞おうかな、と考えてたんだ」
「ジーゼというのは、あの東の血をひく宿屋のご主人ですね?」
「うん。彼女は以前から個人的に色々な香草を買いつけていたみたいだから、そういう意味では城下町育ちのヤンやミケルよりも香草の扱いに長けているんじゃないかって思うんだよね」
「なるほど! そのときは、是非わたしたちもご一緒させてください!」
レイナ=ルウは、まるで恋する乙女のように瞳をきらめかせていた。
やっぱり、調理への向上心がもっとも表に出やすいのは、レイナ=ルウであるのかもしれない。
すると、黙って話を聞いていたアイ=ファが、いくぶん難しげな面持ちで声をあげた。
「お前たちが美味なる料理のために熱情を燃やすのはけっこうなことだが、あまり無茶な真似はするのではないぞ? 私たちにとっては、ヴァルカスの作る料理よりもお前たちの作る料理のほうが、よっぽど美味であるのだからな」
「でも、ヴァルカスもギバの肉を買いつけるつもりだと述べていたではないですか? わたしは……自分よりも美味なギバの料理をヴァルカスに作られたら、きっと心の底から悔しいと感じてしまいます」
レイナ=ルウが、ムキになった様子で言い返す。
彼女は意外と直情的な気性であるのだが、それがアイ=ファに向けられるのは珍しいことであった。
すると、アイ=ファのほうもいっそう難しげな面持ちになってしまう。
「その点についても、私はべつだん心配はしていない。私にとってもっとも美味に感じられるのは、やはり森辺のかまど番が同胞のためにこしらえた料理であるのだ」
「でも――!」とレイナ=ルウが身を乗り出そうとすると、シーラ=ルウがその肩にそっと手を置いた。
「それはわたしも、同じように考えています。きっと森辺の民であれば、同胞のこしらえた料理こそがもっとも美味であると思ってくれることでしょう。……だからこれは、わたしたちの側の問題であるのだと思います」
「……かまど番の側の問題、か?」
「はい。わたしたちは、宿場町の民や城下町の貴族にも料理を作っている立場ですので……たとえばそれらの者たちが、アスタの作るギバ料理よりもヴァルカスの作るギバ料理のほうが美味である、と評したら、アイ=ファも多少は悔しく感じるのではないでしょうか?」
それはきっと、多少どころの話ではないだろう。
アイ=ファは、唇がとがってしまうのを懸命にこらえている様子であった。
「ですからわたしたちは、かなう限りの腕前を身につけたいと願っています。決して無茶な真似はしませんので、どうかアイ=ファもお見守りください」
「うむ……」
それでもアイ=ファが仏頂面でいると、トゥール=ディンが何やら意を決したように発言した。
「わ、わたしはヴァルカスの料理を食べると、いつも心から驚かされてしまいます。だけど、決してアスタがヴァルカスに劣っているとは思いません。それはただ、食材のことを知りつくしているかどうかという差にすぎないのではないでしょうか?」
「……うむ? それはどういう意味であろうか?」
「ヴァ、ヴァルカスはもう何十年も、このジェノスで料理人として働いているのです。だけどアスタは、まだ森辺にやってきて1年ていどしか経っていません。しかも、アスタにとってはすべての食材が初めて目にするものであったのですよね? その中から、自分の知っているものと似ている食材だけを使って、あれほどまでの料理を作ることができているのです。それは、ものすごいことなのではないでしょうか?」
みんなの視線を一身に集めてしまい、トゥール=ディンの感じやすい顔は真っ赤になってしまっていた。
それでもトゥール=ディンは、懸命に言葉をつむごうとしていた。
「そんなアスタがヴァルカスと同じぐらい、この地における食材について知りつくしたら、きっとヴァルカスよりも美味なる料理を作ることができるようになるはずです。い、今でもアスタがヴァルカスに劣っているとは思いませんし、そもそも料理の腕前は他者と競うものではないと思いますが……それでもわたしは、アスタがどれほど素晴らしい料理を作りあげてくれるのか、それを見届けたいと心から願っています」
「……そうか」と、アイ=ファは肩の力を抜いたようだった。
「最初に言った通り、お前たちの熱情を間違ったものだと述べたつもりはないのだ。ただ、あまりに熱っぽく語っているので、何か無茶をしてしまうのではないかと心配になってしまってな」
「あ、いえ……わ、わたしこそ、差し出がましい口をきいてしまって申し訳ありませんでした……」
「何も謝る必要はない。お前の言葉は嬉しく思っているぞ、トゥール=ディンよ」
トゥール=ディンはいっそう真っ赤になって、うつむいてしまう。
アイ=ファの腕にからみついていたリミ=ルウは、それを見届けてからダルム=ルウのほうを振り返った。
「ダルム兄は? やっぱりリミとかレイナ姉のこと、心配だった?」
「……俺が心配するような話ではあるまい。レイナが暴走すれば、ミーア・レイがきちんと叱りつけてくれるだろうしな」
今度はレイナ=ルウが顔を赤くして、「もう!」と兄を叩くふりをした。
ダルム=ルウは、知らん顔で腕を組んでいる。
「まあ、俺もかまど番ではないからな。アイ=ファと、おおむね同じ気持ちだ。確かにあのヴァルカスという男の作るものには驚かされたし、美味なのだろうとも思ったが、俺たちが欲するのは森辺のかまど番の作る料理であるのだ」
そのように述べてから、ダルム=ルウは隣に座るシーラ=ルウをちらりと見た。
「だいたい、あのていどの量では胃袋が満たされん。まさか、こんな空きっ腹のまま眠れなどとは言うまいな?」
「まあ。ダルムはまだ食べ足りないのですか? もうずいぶん遅いですし、簡単なものしか作れませんよ?」
「それでも、あの男の作る料理に負けたりはせん」
ルド=ルウかララ=ルウあたりがいたら、たちまち冷やかしの言葉が飛びかいそうなところであった。
リミ=ルウは、ただ「あはは」と楽しそうに笑うばかりである。
何にせよ、ヴァルカスの料理によって、かまど番たちはのきなみ奮起しているはずであった。
もちろん俺だって、これ以上ないぐらい奮起させられてしまっている。ヴァルカスという料理人は、俺たちにとってそれほどの存在であるのだ。
もっともっと、美味なる料理を作りあげたい。そんなシンプルな熱情をぞんぶんにかきたてられる、今宵はそんな一夜であった。




