黄の月の二十二日①~銀星堂~
2017.8/28 更新分 1/1 ・7/27 文章を一部修正
・今回の更新は全8話です。
黄の月の22日。
俺たちは宿場町の仕事を終えた後、大急ぎで森辺の集落へと帰還して、明日のための下ごしらえを済ませてから、今度は城下町を目指すことになった。
目的は、ヴァルカスの経営する料理店《銀星堂》での食事会に参加するためである。
夕暮れ時に町に下りるというのは、ちょっとひさびさのことだ。日没には1時間以上も残していたため、まだまだ暗くなることはなかったものの、空はうっすらと紫がかり、日差しはずいぶんとやわらかくなりかけていた。
人通りの減ってきた宿場町を通過して、またトトスを元気に走らせると、城門はもうすぐだ。巨大な跳ね橋の手前には、ダレイム伯爵家の紋章を掲げた2頭引きのトトスが静かに待ちかまえてくれていた。
「お待ちしておりました、森辺の皆さまがた。トトスと荷車をお預かりいたします。どうぞこちらにお乗り換えください」
温厚そうな面立ちをした初老の武官が、うやうやしい仕草で車にまで案内をしてくれる。
10名から成る森辺の客人たちは、粛々と箱型のトトス車に乗りかえることになった。2頭引きのトトス車には、10名全員が一緒に乗り込むことが可能であるのだ。
本日の参加メンバーは、以前にユン=スドラが推測した通りの顔ぶれとなった。
すなわち、ルウ家からはヴィナ=ルウ、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、ダルム=ルウ、シーラ=ルウ、眷族および客分からシュミラルとマイム、そしてそれ以外から、俺、アイ=ファ、トゥール=ディンというメンバーである。
この中で、初めて城下町に足を踏み入れるのは、ヴィナ=ルウただひとりであるはずだった。
ただし、シュミラルが森辺の民として城下町に入るのも、これが初めてであるはずだ。
そのシュミラルは、トトス車が跳ね橋を通過して、守衛に内部の人数を確認されてから、またゴロゴロと石畳を走り始めると、不思議そうに小首を傾げていた。
「通行証、ひとりひとり、配られないのですね?」
「ああ、はい。御者の方が全員分の通行証を預かってくれているので、いつも人数を確認されるだけですね」
「なるほど」と、シュミラルは形のいい下顎に手をやった。
「あくまで、食事会、客人として、迎えられているのですね。城下町、自由に動き回る、不可能なのですか」
「はい。いつも車で指定された場所まで出向き、また帰りも城門まで送っていただく格好です」
やはり、こうした制限つきの通行証が発行されるというのは、そんなに普通の話ではないのだろう。だけどそれ以上に、俺たちのような身分の人間が城下町に招かれるというほうが普通でない事態なのであろうから、文句のつけようなどあろうはずもなかった。
「シュミラルが所有しているのは、いつでも好きな日に出入りできるけれど、城下町内で宿泊することは許されない、という通行証だというお話でしたよね?」
「はい。宿屋、通行証、見せる、必要あるので、ごまかすこと、できません。どこか、物陰に潜み、夜を明かすこと、可能でしょうが、露見すれば、罪、問われるでしょう」
いっぽう、ククルエルは城下町で宿泊することのできる、最上級の通行証を所有している。シュミラルもククルエルも通行証を授かったもともとの相手はサイクレウスであるはずだが、やはり商団の規模で扱いが変わってしまったのだろうか。
「でも、通行証の保持を許されただけ、すごいですよ! 伯爵領の住民でも、よほど大きな商いをしている商人でもない限り、通行証を授かることなどできないのですから」
笑顔でそのように述べたのは、マイムであった。
ルウ家の5名が当然のように同じ側の席に陣取ったので、それ以外の俺たちはそれと向かい合う格好で横並びになっている。
普段であればアイ=ファのかたわらを確保するリミ=ルウも、今日ばかりはダルム=ルウの腕にからみついていた。ただ、「帰りは一緒に座ろうね!」とアイ=ファに呼びかけていたので、リミ=ルウとしてもあれこれ考えた末の決断であったのだろう。
「森辺の民、貴族以外、城下町の民、交流、ないわけですね?」
と、またシュミラルがアイ=ファの向こう側から呼びかけてくる。
「そうですね。あとは、貴族の方々を通じて知り合った従者や料理人の方々ぐらいです。今日、俺たちを招いてくれたヴァルカスという方は、もともとサイクレウスの館の料理長であった人物なのですよ」
「なるほど。不思議な縁です」
「シュミラルは、サイクレウスの館で商談をしたりしていたのですよね。ヴァルカスという方と顔をあわせる機会はありませんでしたか?」
「はい。私、話をする、シムの血を引く、ご老人でした。ジェノス、運ぶ香草、注文、受けていました」
「あ、それはもしかして、タートゥマイという方ではないでしょうか?」
「はい。そのような名前、だったと思います」
あの不思議な雰囲気を有する寡黙なご老人は、シュミラルと前々から面識があったわけだ。
やはり、人の縁というのは面白いものである。
「……大丈夫、ヴィナ姉? 貴族たちと挨拶をするのはヴィナ姉の役目になるんだから、しっかりね」
そんな囁き声が、シュミラルとの会話の隙間から聞こえてきた。
目をやると、レイナ=ルウがかたわらのヴィナ=ルウに寄り添っている。そわそわと身を揺すっていたヴィナ=ルウは、心ここにあらずといった感じでレイナ=ルウの顔を見返していた。
「うん、大丈夫よぉ……それで、わたしが何の役目を果たすのかしらぁ……?」
「だから、貴族に挨拶をする役目だってば。ダルム兄は分家の立場になっちゃったんだから、女衆でも本家の年長者であるヴィナ姉がこの10人の代表ということになるんでしょう?」
「ああ、うん、そうねぇ……大丈夫、それぐらいの役目はきちんと果たしてみせるわよぉ……」
そのように答えながら、やっぱりヴィナ=ルウは何とも落ち着きのない様子であった。
レイナ=ルウは、溜息をこらえているような面持ちで眉尻を下げてしまっている。
噂によると、ヴィナ=ルウはいまだにククルエルに対して警戒心を解いていないのだという話であった。シムを捨てたシュミラルに対して、ククルエルが何かよからぬ思いを抱いたりはしていないか、その懸念が消えないのだそうだ。
(まあ、ヴィナ=ルウはいまだにククルエルと顔をあわせていないし、シュミラルは自分のためにシムを捨てたわけだから、心配になるのも当然……なのかなあ)
思うにヴィナ=ルウは、強靭さと脆弱さのパロメーターがわやくちゃなのである。おそらく荒事に関してはどんな女衆よりも勇敢にふるまえるのに、こういった際は幼子みたいに心を乱してしまうのだ。
同じやりとりを耳にしたらしいシュミラルも、いささかならず心配げな視線をヴィナ=ルウに向けていた。
で、シュミラルの視線に気づくと、ヴィナ=ルウは頬を染めてそっぽを向いてしまう。自分とシュミラルの気持ちに正面から向き合うと決めたヴィナ=ルウであるが、やはり当人を前にするとなかなか平常心ではいられないようだった。
そんな中、トトス車が停止する。
扉を開けてくれたのは、さきほどの初老の武官であった。
「お待たせいたしました。《銀星堂》に到着いたしましたので、足もとに気をつけてお降りください」
まずはダルム=ルウが立ち上がり、アイ=ファに目を向けてから車を降りていった。
しんがりはまかせたぞ、という合図であったのだろう。アイ=ファが腰をあげようとしないので、俺もそれにつきあって、他の8名が出口に向かってから、ようよう動くことになった。
そうして外に降り立つと、そこには大勢の武官たちがずらりと立ち並んでいた。
車の出口から、建物の入り口まで、まるで道を作るように整然と立ちはだかっている。
ずいぶん仰々しいお出迎えだなと思ったが、その理由はすぐに知れた。
その建物は、石塀に囲まれることもなく、街路の並びに店をかまえていたのである。武官たちの向こう側では、城下町の民が普通に行き来していたのだった。
(そうか。ここはただの料理店なんだから、建物の周囲を石塀で囲まれたりもしていないのか)
貴族の邸宅か小宮にしか足を踏み入れたことのなかった俺たちにとって、それはなかなか新鮮な体験であった。
「何をしている。置いていかれるぞ」
アイ=ファにせっつかれて、俺も建物の入り口を目指す。
それは、3階建ての石造りの建物であった。
高さがあるぶん、幅がせまいように見えてしまう。また実際、それほど大きな建物ではないのだろう。土地の面積としては、宿場町で見る木造りの家屋と変わらないぐらいのものであった。
で、左右に隙間なく立ち並ぶのも、同じぐらいの大きさをした建物だ。
どうやらこれが、この区域の一般的な建物のサイズであるらしかった。
「お待ちしておりました。ご予約の10名様ですね? ここからは、わたくしがご案内いたします」
俺とアイ=ファが玄関口に足を踏み入れると、そんな声が聞こえてきた。
がらんとした空間に、年老いた女性が立ちつくしている。エプロンドレスのような装束を纏った、品のよい老女である。
「お連れ様は、すでに到着されております。こちらにどうぞ」
俺たちは、老女の案内で通路を進んだ。
といっても、正面にはすでに大きな扉が見えていた。玄関ホールに面積を取れるほど大きな建物ではないのだ。
で、表にいた武官たちは、全員が俺たちに続いて玄関ホールに入室していた。そこで護衛の役目を果たすらしく、今度は二列横隊を作っている。
それを尻目に、俺たちは客席へと踏み込んだ。
すでに燭台が灯されており、屋内は昼間のように明るい。
装飾の少ない、簡素な部屋であった。
煉瓦造りの壁には、白を貴重としたシンプルな壁掛けが掛けられているばかりで、入り口の向かいには両開きの大きな扉が設置されている。そちらが厨房に通じているのだろう。
調度と呼べるのは、長方形の巨大な卓と、20名分の座席ぐらいのものであった。
卓は左右に一脚ずつ準備されており、それぞれに10名ずつが座れるように椅子が配置されている。卓には真っ白なテーブルクロスが敷かれて、そこにさまざまな食器や小皿やティーポットなどが準備されていた。
豪奢ではないが、粗末でもない。実用的で、かつ品のよい雰囲気だ。
先入観もあるのかもしれないが、俺にはいかにもヴァルカスらしい店である、と思えてならなかった。
「やあやあ、お待ちしていたよ。よければそちらも、ふた組に分かれて座ってくれたまえ」
と、右手側の座席に収まっていたポルアースが、笑顔でそのように述べたてた。
城下町からの客人たちは5名ずつに分かれて、左右の座席に腰を落ち着けていたのだ。
「特に格式を気にする必要はないからね。ただ、リリンの家のシュミラル殿は、こちらの卓に来ていただこうかな?」
ポルアースの席からひとつはさんだ場所に、ククルエルが座している。きっと彼がシュミラルとの同席を望んでいるのだろう。
すると、ヴィナ=ルウがしゃなりしゃなりとポルアースの正面まで進み出て、たおやかに一礼し始めた。
「きちんとご挨拶をさせていただくのは、これが初めてのことよねぇ……? わたしはルウ本家の長姉ヴィナ=ルウと申しますわ……格式は関係ないというお話であったけれど、今日はわたしがみなの代表という形になるので……こちらの席に座らせていただいてよろしいかしらぁ……?」
「これはこれはご丁寧に。僕はダレイム伯爵家の第二子息でポルアースと申します。お父君のドンダ=ルウ殿にはいつもお世話になっておりますよ」
ポルアースも立ち上がり、悠揚せまらず一礼をする。
どちらも俺にとっては親しい間柄であるだけに、何やら非常に新鮮な組み合わせであった。
「たしか、妹君のララ=ルウ嬢は、闘技会の祝宴に参加しておられましたね。これでようやく、ドンダ=ルウ殿のご子息全員とご挨拶をさせていただくことがかなったようです」
「ええ、わたしも家長ドンダから、あなたのことはかねがねうかがっていたわぁ……メルフリードというお方と同様に、とても公正で見識のあるお方である、と……」
さきほどまでの惑乱っぷりが嘘のように、ヴィナ=ルウは堂々としていた。
そうして堂々としていれば、城下町の貴婦人にも負けないほど、優美でたおやかなヴィナ=ルウであるのだ。ポルアースも、感じ入ったように微笑んでいた。
「それは光栄なことでありますね。是非そちらの席にどうぞ。……あ、こちらは僕の伴侶のメリムと申します」
「初めまして、メリム……それでは、失礼いたしますわぁ……」
椅子などまったく座り慣れていなかろうに、ヴィナ=ルウは艶然とそこに腰を落ち着けた。
シュミラルは迷うように視線をさまよわせていたので、俺はその耳もとに口を寄せてみせる。
「よかったら、俺もご一緒させていただけませんか? ククルエルというお人には興味がありますので」
「……ありがとうございます。よろしくお願いします」
ということで、俺はアイ=ファやシュミラルとともに、そちらの卓に向かおうとした。
そこにトゥール=ディンもくっついてこようとすると、逆の卓から「あら」という声があがった。
「トゥール=ディンもそちらに座られてしまうの? オディフィアが、あなたと話したがっているのだけれど」
そちらの卓には、エウリフィアとオディフィアが座していたのだった。
トゥール=ディンが困惑顔で左右の卓を見比べていると、マイムが笑顔でその手を取った。
「それでは、わたしと一緒にあちらの卓に行きませんか? わたしは、トゥール=ディンと一緒がいいです」
この中ではもっとも年齢の近い両者である。また、彼女たちはおたがいの調理の腕前に感服し合っている仲であるはずであった。
「それじゃあ、リミはアイ=ファの隣にしよーっと! ダルム兄、また後でね!」
これでようやく席順が決まったようだった。
右の卓が、ヴィナ=ルウ、シュミラル、俺、アイ=ファ、リミ=ルウ。
左の卓が、レイナ=ルウ、ダルム=ルウ、シーラ=ルウ、トゥール=ディン、マイムという並びだ。
それに対する城下町陣営は、ジェノスの貴族と東の民が入り乱れていた。
そしてその中には、予想外の人物もひとりまぎれこんでいた。
「アスタ、おひさしぶりです」
俺が席につくなり、ななめ前から声をかけられる。
とてもたくさんの飾り物を下げて、ゆったりとしたシム風の装束を纏った、それは占星師のアリシュナであった。
「おひさしぶりです。アリシュナもお招きされていたのですね」
「はい。ポルアース、招いてくれました」
彼女は、ポルアースとも懇意にしているのだ。
また、かつてククルエルが俺の屋台にやってきたとき、それを案内していたのもこのアリシュナであった。そこは異郷に身を置く東の民同士、通ずるものがあるのであろう。
そして、彼女の隣で小さくなっていたのは、トゥラン伯爵家の後見人トルストであった。こちらの御仁とも、雨季以来の再会だ。
そんなわけで、こちらの卓に居並んでいるのは、すべて見知った顔であった。ポルアース、メリム、ククルエル、アリシュナ、トルストといった顔ぶれである。
左の卓は、エウリフィアとオディフィア以外に見知った顔はない。ふたりの東の民は《黒の風切り羽》のメンバーで、末席の西の民はジェノスの外務官であるとのことであった。
きっとポルアースかエウリフィアのどちらかが、城下町の民、東の民、森辺の民で固まってしまわないように席を分けたのであろう。さまざまな人々と交流したいと願う俺には、ありがたいはからいであった。
「下りの五の刻には、まだいくらか時間が残されているようだね。それまでは、お茶でも飲んでくつろいでくれたまえ。今日は何も格式張った会合ではないので、ジェノスで屈指の料理人たるヴァルカス殿の腕前を思うぞんぶん堪能させていただこう」
にこにこと微笑みながら、ポルアースがそのように宣言した。
すると、入り口のところに控えていた老女が、遅れてきた俺たちのために茶を注いで回ってくれた。ジーゼの宿で出されたのと同じ、ナフアの茶であるようだ。
「……あなたがククルエルというお方なのねぇ……兄弟たちから、お話はうかがっているわぁ……」
と、ヴィナ=ルウがゆったりとした口調でそのように呼びかけた。
ククルエルは無表情に「はい」とうなずく。
「ご兄弟にはお世話になりました。お目にかかれて光栄です、ヴィナ=ルウ」
ここでシュミラルの婿入り話を持ち出されてしまったら、ヴィナ=ルウもたちまち平常心を失ってしまいそうであったが、ククルエルはそれ以上の言葉を発しようとはしなかった。
その代わりに、無言でシュミラルとヴィナ=ルウの姿を見比べている。ククルエルの目に、この両者の姿はどのように映っているのだろう。
「そういえば、アスタ殿。町で売るギバ肉の準備は整ったという話であったよね」
ポルアースに問われて、俺は「はい」と応じてみせる。
「ダバッグの商人は、明日か明後日には訪れるはずだよ。そうしたら、ギバ肉が売られるのは明後日か3日後か。取り決め通り、こちらからは上りの四の刻の少し前に使いを出せばいいのだよね?」
「はい。お手数をかけて恐縮です」
「いいさいいさ。宿場町の民の目があるところで引き取ったほうが、おかしな疑いをもたれることもないだろうからね。15箱はきっちり買い手がついたから、どうぞよろしくね」
すると、お行儀よく微笑んでいたメリムも俺のほうに目を向けてきた。
「残念ながら、わたくしたちは今回、抽選にもれてしまいましたの。また次の機会を楽しみにさせていただきますね」
「あ、はい。抽選になるほどギバ肉を求めてくださる方々がいて、とてもありがたく思っています」
「あはは。15箱では、まったくお話にもならない状況だよ。その倍の量でも売れ残ることはないだろうから、この商いが軌道にのる日を心待ちにしているよ」
それもまた、ありがたい話であった。
そして、ダレイム伯爵家が抽選にもれたということで、その公正さがしっかりと感じ取れる。身分や立場に左右されることなく、きちんと抽選が行われたのだろう。
「たしか、この《銀星堂》も抽選には加わっていたはずだけれど、やっぱりギバ肉を手にする幸運は手にできなかったようだね。ルイドロス殿などは見事に抽選のくじを引きあてて、小躍りして喜んでいたと噂で伝え聞いたけれども」
「サトゥラス伯爵家は燻製肉や腸詰肉も定期的に購入してくださっているので、非常に感謝しています」
「うん、ルイドロス殿もなかなか名うての美食家だからねえ。月に1度はこの《銀星堂》を訪れているという話だよ」
「こちらの《銀星堂》は、日に20人しかお客を取らないのでしょう? これだけ評判の料理店なのに、本当に欲がないのですね」
メリムの相槌に、ポルアースは「そうだねえ」とうなずく。
「まあ、それだけ腕を安売りしていないからこそ、これだけの評判を得ることがかなったのではないのかな。そもそも店を開く日よりも、新しい料理の研鑽に取り組んでいる日のほうが多いぐらいだとも聞くしね」
「まるで、絵画や彫刻に打ち込む芸術家のようですね。ヴァルカスご本人の料理を口にするのは初めてですので、とても楽しみです」
若いながらもおしどり夫婦と呼ぶに相応しい、ポルアースとメリムのやりとりであった。
そこに、ノックの音が響く。
部屋の奥の扉が開かれて、そこから当のヴァルカスが姿を現した。
「お待たせいたしました。下りの五の刻となりましたので、料理をお出しいたします」
俺にとっては数ヶ月ぶりの再会となる、ヴァルカスである。
淡い褐色の髪をやや長めにのばしており、西の民としてはかなり背が高い。緑色の瞳に白い肌というのは南の民めいているが、体格はすらりとしており、むしろ東の民めいている。純白の調理着を纏ったその姿は、最後に見たときから何も変わりはないようだった。
年齢不詳の面長の顔には、表情らしい表情も浮かべられておらず、ぼんやり物思いにでもふけっているかのように見えてしまう。が、それがこのヴァルカスの常態であるのだ。
その、いくぶん焦点の定まっていないように感じられる瞳が、ふっと何かを思い出したように俺を見た。
「ああ、アスタ殿……いつだったか、体調を崩されて寝込むことになったと聞き、とても心配しておりました。もうすっかり元気を取り戻されたご様子ですね」
「はい。ご心配をかけてしまって申し訳ありません。今日は初めてヴァルカスの店にやってくることができて、とても嬉しく思っています」
「わたしこそ、アスタ殿に料理をお出しできるのは非常な喜びです。どうか忌憚なきご感想をお願いいたします」
言葉の内容におかしなところはないが、ちっとも感情が込められているようには思えない。台本でも読まされているような棒読みの口調だ。
しかし、これもまたヴァルカスの常態なのである。
「では、料理をお持ちいたします。まずは、前菜からとなります」
本日は城下町の正式な作法にのっとって、6種の料理がひと品ずつ提供されるようだった。
ヴァルカスの声が合図となったのか、扉の向こうから台車を押したシリィ=ロウが入室してくる。
こうして《黒の風切り羽》を歓待する食事会は、ごく静かに開始されることになったのだった。




