②角と牙
2014.9/6 更新分 2/2
俺が想像していたよりも、その町並みは長く続いてはいなかった。
10分ほども歩くと木造の建物群はぷっつりと姿を消し、それに代わって現れたのは、ある意味ではそれまでよりもいっそう雑然とした、蚤の市が如き様相だった。
どこまでも北へと伸びていく街道の左右がけっこう広々と伐採されており、そこで、木の台に屋根をつけた屋台や、あるいは地面に布を広げてその上に商品を並べた物売りたちが、街道を歩く人々に向けて店を出していたのである。
「へえ。すごいな、こりゃ」
売られているものの大半は、野菜を主とする食糧品である。
あの、ルウの家の食糧庫で見た、数々の野菜たち――昨晩お世話になったレタスみたいなティノや、ぶあついイチョウのようなプラ、カボチャとトマトのかけ合わせみたいな真っ赤な果実、俺の身長よりも大きそうな巨大ゴボウ、蛇がとぐろを巻いているかのような不気味な果実なども、軒並みそこには取りそろえられていた。
それにやっぱり、街道ぞいの宿場町なのだから、その客層は旅人がメインなのだろう。何の肉かはわからないが巨大な燻製肉や、毛皮のマント、木製や鉄製の器、鍋、それに短剣や弓矢なども売りに出されている。
さきほど遭遇した恐島トトスとやらも、この地においては何ら珍しいものではないようで、さっきから頻繁に姿を見かける。俺の世界における馬や牛の扱いなのかもしれない。
まだちょっと頭はクラクラしていたが、それでも俺は恐怖や畏怖ではなく、好奇や探求の目でそれらを観察できるようになっていた。
そして――その末に、ひとつ気づいたことがある。
この宿場町においては、俺よりもアイ=ファのほうに注目が集まっているようなのである。
ここには実に色んな人種、色んな装束の人々が行き交っていたから、その中に俺の存在が埋もれてしまうというのは、まあわかる。
だけどそれならアイ=ファだって、まあちょっと野性味のあふれる装いではあるが、その場所の調和を乱すほどではない、と思う。
毛皮の装束など珍しいものではないし、刀剣をぶら下げている人間などなお珍しくはない。アイ=ファよりもきわどい装束で肌をさらしている女も少なくはないし、ギバとは異なる猫科の肉食獣の頭部つき毛皮をかぶっているやつ、なんてのもいた。
しかし、それでも、アイ=ファに集まる視線は多く、そして、それらのほとんどは非友好的なものだった。
顔をしかめて目をそらす親父がいる。
恐ろしげな表情を浮かべて屋台の奥に隠れてしまう女がいる。
にやにやと笑いながら隣りの仲間に耳打ちする男もいる。
前のほうから歩いてきて、ぎくりとした様子で俺たちを迂回する者もいる。
この地においては、俺よりもアイ=ファこそが異端者であるようなのだった。
当然のこと、そのアイ=ファとぴったり寄り添っている俺にも好奇の目線は向けられたが、そんなものはアイ=ファのおこぼれであるようにしか感じられない。
(そりゃあまあ、羊の群れに一匹の狼って例えがぴったりの感じではあるけどさ)
しかし、アイ=ファはただ黙然と足を進めているばかりである。
むやみに不機嫌そうな顔をしているわけでもなく、ことさら周囲を威嚇しているわけでもない。自然体で、野生の豹のようにしなやかに歩いているだけなのである。
これだけ大勢の人間がいれば、中にはお行儀の悪い連中もいる。
昼から酒を飲んで大笑いしている無頼漢や、傷だらけの革の鎧を着て徒党を組んだ人相の悪い男たち、屋台の商品に大声で文句をつけている者なども、ごくたまにだが見受けられる。
しかし、そんな彼らでさえ、アイ=ファほど冷たい視線を集めているようには感じられなかった。
(まさか……これが、『ギバ喰い』に対する蔑みの目ってやつなのか?)
そうだとしたら、腹立たしい限りである。
というか、かなり深刻な怒りが腹の底からたちのぼってきてしまう。
森辺の民は南の王国から流れてきた異国の血筋である、とも聞いているが。ここの連中は全員、西の王国の民なのか? たとえそうだとしても、森辺の民はもう80年も前に西の神とやらに魂を捧げたというのだから、すでに立派な同胞なのではないのか?
異世界人の俺には、わからない。
わからないが、とにかく腹が立って腹が立って仕方がなかった。
「……ここだ」とアイ=ファが、ひとつの屋台の前で足を止める。
雨除けの幕が張られた、木造の小さな屋台。
中に座っているのは、男かも女かもわからないぐらい枯れ果てた老人だった。
本日も良い陽気なのに頭からフードつきのマントをかぶり、指やら手首やらにはじゃらじゃらと呪術的な飾り物を大量に巻きつけた、いささかならず奇怪な老人だ。
そのフードから覗く顔は、横に平たく潰れており、奇怪なガマガエルのような笑みが口もとにへばりついている。
片目は白く、どうやら光を失っているようであり、もう片方の淡い緑色の瞳だけが、じっと俺たちを見返してきた。
「ギバの角と牙かい? 何頭分だえ?」
声を聞いても、性別はわからない。
それに、ここでは物を売りには出していないのだろうか。老人の背後の柱にギバやギバではない動物の毛皮が3枚ほどだらりと吊るされているだけで、何も商品らしいものは見当たらない。
「4頭分だ」
答えながら、じゃらりと首飾りのひとつを外す。
ギバ4頭分というと、1頭につき牙と角が2本ずつだから、合計16本にもなる。
だけど、アイ=ファはこの半月ほどですでに5頭ものギバを仕留め、なおかつルウ家からも9本の祝福を授かっていたので、その胸もとにはまだ俺と初めて出会ったときよりも多くの角と牙が残されていた。
アイ=ファからその首飾りを受け取った老人は、ひとつしかない緑色の目で1本1本を吟味していき、そのカサカサにひび割れた指先で白い表面をなですさると、やがて、にたーっと不気味に笑った。
「なかなかの大物が混じってるねえ。これは全部、あんたが仕留めたのかい?」
「そうだ」
ということは、祝福で授かった9本分は、まだその胸もとに残っているということか。
単に古い順に売りに出しただけだとは思うが、ちょっと嬉しくなってしまう。
「たいしたもんだ。腕のいい狩人は、あたしらにとっちゃあ生活の礎みたいなもんだからねえ」などと言いながら、老人は屈みこんで木の台の下に姿を隠してしまった。
ジャラッ、ジャラッと金属的な音色が響き、やがて老人が身体を起こすと、その手には小さな布の袋と、3本ばかりの小さな金属の棒が握られていた。
だいぶん酸化して黒ずんでいるが、たぶん素材は銅だろう。長さは10センチほど、幅は2センチほど、平べったく潰れており、その厚みは5ミリほど。何か真ん中に刻印が打たれているようにも見えるが、老人の指が邪魔になってよく見えない。
「こいつはあたしからの心づけだぁ。まずは白が4本、赤が8本、確認しておくれ」
布袋を受け取ったアイ=ファは、台の上に中身をぶちまける。
老人が手にしているのと同じような金属棒――いや、棒というよりは小さな板か。小さな金属板がジャララとそこに散らばった。
それでようやく刻印がはっきりと見てとれたが、俺にとっては意味をなさない渦巻き状の紋様だった。
アイ=ファのしなやかな指先がその金属板を勘定していく。
くすんだ銀色のやつが、4本。
黒ずんだ銅色のやつが、8本。
「……確かに」
「それじゃ、こいつもね」
老人の手に握られていた3本の銅色の金属板が、その上に重ねられる。
「いたみいる」と低くつぶやき、アイ=ファはそれらを袋の中に戻した。
「最近このあたりも物騒になってきたみたいだから、ぶん取られないように気をつけな。まったく城の連中はあたしらから搾り取ることばっかり考えて、死んだキミュスはタマゴを産めないっていう有り難い格言を知らないのかねえ」
申し訳ないが、俺も知らない。
「では」と言い捨てて、アイ=ファは身をひるがえす。
それに続こうとした俺の背中に、老人のしわがれた声がねっとりとへばりついてきた。
「あんた、町の人間なのに『ギバ喰い』の格好なんてしてるんだねえ。そんな人間を見たのは初めてだよ。……あの綺麗な顔をした女狩人に手篭めにでもされちまったのかい?」
おや、森辺の民を相手に商いをしているこの老人まで、差別主義者であったのだろうか。
けっこうカチンときてしまったが、そこは持ち前の社交性を発揮して、俺はサムズアップしてみせた。
「ギバって無茶苦茶に美味いんですよ。……では失礼」
そうしてようやく屋台に背を向けると、アイ=ファは2メートルも離れぬ場所で待っていてくれた。
「何をしている。私から離れるな。お前は首からこの銅貨をぶら下げているようなものなのだぞ。森辺には他者の牙と角を奪うような痴れ者はいないが、ここは石の都の領土なのだ」
「ああ。確かに足もとは石みたいだな」
ガッ、ガッ、とそいつをかかとで蹴ってみる。
そういえば、このシューズもずいぶん擦り切れてきてしまったな。
「……次は、アリアとポイタンだ」
アイ=ファは、さらに足を進めていく。
何だかだんだん人通りが少なくなってきたようだ。
屋台もまばらになってきて、視界が少し開けてくる。
「あ……」
すると、またとんでもないものが見えてきた。
俺たちの進行方向の左側、露店エリアの奥側に生えた灌木の列の向こう側に――灰色の石の壁が見えてきたのである。
まだ相当に距離はあるはずなのに、灌木の隙間はすべてその灰色で埋めつくされてしまっている。
「……ジェノスの城の、石壁だ」とアイ=ファも一瞬だけそちらを見やり、感情のない声で言い捨てる。
「西方神セルヴァの名のもとに森辺の民を統治する、ジェノス侯の城だ」
「ふーん……」
何の予感があったわけでもない。
ただ、森辺の民に今の身分を押し付けた連中があそこにいるのか、と少しばかり負にかたよった感情を抱いただけだ。
神ならぬ身の俺に、わかるはずがなかったのだ――このような異世界に飛ばされつつ、森辺の集落にささやかな居場所を見出すことのできた俺が、そんなに遠くもない将来、あの石の壁の中でふんぞりかえっているジェノス領の最高権力者と相対する日がやって来ようなどということは。