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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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宿場町と守護人①ジェノスの宿場町

2014.9/6 更新分 1/2

2015.6/15 冒頭の文章を修正

 ジェノスとは、西の王国セルヴァの一領土である。

 広大なる版図を誇る王国の、最東端やや南寄りの位置、未開の山モルガの麓に広がる辺境の町だ。


 しかし、王国セルヴァの領土においては辺境という区分であっても、友好国である南の王国ジャガルや東の王国シムとはきわめて距離が近いため、貿易と流通に関しては要所であるとも言える。

 また、気候は温暖で水も豊かであり、その恩寵から非常に肥沃な農園地帯を有してもいる。


 おもに石の都と称されるのは、その領土の中心にある城下町だ。

 堅固な石の城壁に守られたその城下町には、通行証なくして立ち入ることは許されていないらしい。

 その北側には貴族の管理する果樹園が、南側には小作の農民たちの管理する農園が広々と広がっている。


 それらをひっくるめたジェノスの領土とモルガの山を左右に分断する形で、南から北へと石の街道が真っ直ぐに伸びており――その街道沿いでも、領民の営みが展開されていた。


 城下町と農園の狭間、数多くの旅人や商人らが自由に行き交う、粗にして野なる宿場の町。


 それが、ジェノスの宿場町だった。



              ◇



「うわ……」と、最初はまともな言葉にもならなかった。

 恐怖の吊り橋を生命がけで攻略し、それから30分ていど歩いただけで、いきなり世界が開けたのである。


 家からの道のりを考えても、およそ1時間ていどの距離しか歩いていない。

 体感としては、ルウ家への道のりとそんなに変わらないぐらいだ。


 そうであるにも関わらず――

 世界が、一変してしまっていた。


「こいつは……驚いたな……何だか、異世界にでも足を踏み込んだ気分だぜ……」


 ようやく言語能力が回復しても、そんな的外れの言葉しか出てこない。

 しかし、それぐらい、世界は変貌し果ててしまっていたのだ。


「何を驚く必要がある。森辺の民は、西の領土をギバから守るためにあの森辺を住処としているのだ。ならば、集落のすぐ西側には石の都の領土が広がっているのが道理だろう」


 と、まだ少なからず不機嫌そうなアイ=ファの声がそう応じたが、そんな一辺倒の道理で俺が驚愕の念をおさめられるはずもなかった。


 ギバの毛皮を身に纏い、森を駆けてギバを狩ることを生業とする森辺の民たち。

 その勇猛なる狩人たちの集落のすぐそばに、このような文明の領土が存在するなどと、どうしてそんな容易く承服することができるであろうか。


 建物は、やはり木造だ。

 しかし、平屋ばかりでなく、その多くは2階建てだった。

 規模も、集落のそれより遥かに大きいし、造りもいっそうしっかりしている。


 足もとには、白い石畳が敷かれている。

 これが、石の街道なのだ。

 道幅はおよそ10メートルぐらい。密集した建物にはさまれる格好で、どこまでも真っ直ぐに南北へと伸びている。


 そして、そこには――人間が満ちていた。


 実にさまざまな人間が、狩人ならぬ装いで、そこにはあふれかえっていたのである。


 筒状の小さな帽子を頭にちょんと乗せ、黄色の胴衣に乳白色のだぶだぶのズボン、背中に大きな籠を負って、せかせかと歩いている小太りの男がいる。


 胸あてだけを着けた上半身に、ゆったりとしたショールのようなものを肩にかけ、腰から下には足首まである長い布を巻きつけた、ヴィナ=ルウほどではないが色っぽい女性がしゃなりしゃなりと歩いている。


 ギバとは異なる駱駝色の毛皮を上衣に仕立て、足もとは腰巻きと革のサンダル、少し森辺の民と似た装いだが、その腰には手斧と革袋を下げた大男が、のっしのっしと歩いている。


 そのようにひとりずつ解説していては埒が明かないぐらい――そこには、さまざまな人が満ちていた。


 頭にターバンのようなものを巻き、暗灰色の長衣を着た痩せぎすの老人。

 粗末な布の服を着て走り回る子どもたち。

 半裸で荷を負った屈強そうな男たち。

 明らかに旅装束と思われる、フードつきマントで面相を隠した男たち。


 肌の色はその大半が、日本人のような象牙色か、あるいはもっとよく陽に灼けた黄褐色をしている。

 が、髪の色は黒とは限らず、黒褐色から栗色までの茶系統が主流であり、顔立ちはみんな彫りが深くて、俺の知る東洋人とは趣きが異なる。

 それに、中には赤みをおびた白い肌の人間や、森辺の民よりもなお黒い肌の人間も少なからず混じっていた。


 その石の街道は、そんな多種多様な人々であふれかえっていたのである。


 建物は横並びにぴったりと密集し、人々も、おたがいの肩がぶつからないように器用にすいすいと道を急いでいる。


 その人種の多様さもさることながら、とにかく俺はその人間と建物の密集具合にこそ、驚愕してしまっていた。


「うわ――何だありゃ!」


 それらの人間の群れの間から、にゅうっと1メートルぐらい突き出した細長い物体が、ひょこひょこと上下に揺れながら俺たちのほうに近づいてきた。


「トトスの恐鳥だな」と、アイ=ファは何でもないように言い捨てる。


 それは、全長3メートルはあろうかという、ダチョウをさらに巨大化させたような鳥の化け物だった。


 ダチョウにそっくりの長い首と、丸っこい身体に、太い足――ただし、その全身は濃い褐色の羽毛に包まれている。


 鋭いクチバシには革の帯、首の付け根に手綱を巻かれて、それを引くのは、布の巻き帽子と腰あてだけを身につけた、黄褐色の肌の大男。


 その恐鳥とやらの胴体の左右には、布で巻かれた大きな荷が下げられていた。


「この一画には宿屋しかない。露天はもっと北側だ」


「ちょっと――ちょっと待ってくれ、アイ=ファ」


 俺は、その人混みに踏み入ろうとしたアイ=ファの手を、反射的にひっつかんでしまっていた。


 怒った顔でそれを振り払おうとしたアイ=ファが、ぎょっとしたように顔を寄せてくる。


「どうした、アスタ? 顔色が真っ青だ。気分でも悪いのか?」


「大丈夫。大丈夫だ……だけど、ちょっとだけ時間をくれ」


 アイ=ファの体温を指先に感じながら、俺はぎゅっと目をつぶった。


 頭が揺れて、呼吸が苦しい。気づけば心臓は激しく鼓動を鳴らし、それと同じリズムでこめかみの血管がびくびくと脈打っていた。


 俺の理性が――正気が、この情景を拒んでいる。

 ここはあまりに、あまりに異世界すぎるのだ。


 森辺だって、十分に俺の世界とはかけ離れていた。獲物の毛皮を身に纏い、森の中で獣を狩る一族なんて、俺の中ではフィクションでしかありえない。


 だけど、何だろう――鋼の武器を扱い、木の家を建て、炎をあやつる森辺の民も、れっきとした文明の徒ではあったのだが。その生活は自然とともにあり、何となく、異世界というよりは密林の奥地の大秘境にでもまぎれこんでしまったような感覚のほうが強かったのかもしれない。


 しかし、この宿場町は、違った。

 建物は木造だが地面は石敷きで、きっちりと整備されている。人々は獣のように瞳を燃やすこともなく、平穏な生活を楽しむ風情で、それでも急ぎ足に道を行き交っている。


 こんな光景を、俺は知っていた。

 ここは、俺のいた世界とよく似通っていた。

 きっと電気などは通っていないし、鉄鋼の技術もそんなには進んでいない。文明のレベルは、森辺と同じく中世のそれなのだろう。


 それでもそこは、俺の世界と似通っていた。

 似通っているがゆえに、あまりに異世界めいていた。


 ここは石壁の内にあらず、粗野で雑多な街道ぞいの宿場町であるに過ぎないのだろうが――それでもやっぱり、「町」なのだ。


 狩猟ではなく商業で糧を得る、彼らは「町の人間」であるのだ。


 そういった、俺の世界との相似こそが、俺を混乱させ、困惑させていた。


(ここはやっぱり、俺のいた世界じゃない。俺は、わけのわからない異世界に飛ばされちまったんだ。俺はもう――自分の世界に帰ることはできないんだ――)


「アスタ」と、首の後ろに強い力をかけられた。

 ぐいっと身体を引き寄せられて、耳もとに口を寄せられる気配がする。


「大丈夫か? 気分が悪いなら、少し横になれ。お前は――お前は今にも死んでしまいそうな顔色をしている」


「だ……大丈夫だ。ちょっと目眩がしただけだから……」


 半ば無意識に答えながら、俺はそろそろとまぶたを開ける。

 びっくりするぐらいの至近距離に、アイ=ファの青い瞳があった。

 あまりの人いきれに麻痺しかかっていた俺の鼻腔に、アイ=ファの香りが流れこんでいる。


 かまどの番から解放されたせいか、少し肉の匂いが薄れた、アイ=ファの香り――甘い果実と、清涼な香草の香りが強くなった、それでもやっぱり俺には一番心地好く感じられるアイ=ファの香りが、少しずつ俺の痺れた頭を癒してくれる。


(そういえば……俺はいまだにこの甘い香りの正体がわからないんだよなあ……)


 リーロの香草や、ピコの刺激臭、それに肉や脂の匂いなら、森辺のあらゆる人々や家から感じ取ることができる。

 だけど、この甘い匂いだけは、誰からも何処からも感じ取ったことがない。


(何なんだろう。不思議な匂いだな。たぶん果実だとは思うんだけど、どうしてアイ=ファだけがこんな匂いを……)


 ぎゅっと指先を握り返され、そんな想念が頭の中で散っていく。


「本当に大丈夫か? 無理はするな。……私の姿が、見えているか?」


「見えてる――本当に大丈夫だよ。もう大丈夫だ」


 急速に視界が明瞭になってきた。

 瞳の他はぼんやりとしていたアイ=ファの顔が、きっちりと輪郭を整えていく。細くてすっきりとした鼻筋や、なめらかな褐色の頬、ピンク色の小さな唇、額にかかった金褐色の髪などが、確かな存在感をもって俺の網膜にやきつけられ、アイ=ファに触れられた右手の指先と首裏が熱を帯び始める。


 ふわふわと頼りなかった足もとにも固い石畳の感触が蘇ってきて、俺はようやく現実へと回帰することができた。


「ようやく目に光が戻ってきたな。一体どうしたというのだ、アスタ」


 俺の首裏から手を放し、身体を引く。

 それでも指先を握っていてくれたため、俺はもうしばし消耗しきった心を安らがせることができた。


「ちょっと説明が難しいんだけどな。この宿場町は、俺が知っている世界と雰囲気が似ていて……雰囲気は似ているのに町並みや人の姿が全然違うから、何か、頭が混乱しちまったんだよ」


 難解な方程式を提示された小学生のように、アイ=ファは眉をひそめやる。


「よくわからんが、お前はひどい様子だった。あまり私を心配させるな」


 その率直な物言いに、俺は思わず目を白黒させてしまった。

 アイ=ファは「ふん」と目をそらし、俺の指先からそっと手を放す。


「気分がよくなったのなら、露店に向かうぞ。決して私から離れるな」


「わかった。いざとなったらまた後ろから抱きすくめる」


 ようやく軽口が叩けるくらいに回復してきた俺の足を、アイ=ファは容赦のない力で蹴り飛ばしてきた。

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