新たな血の絆③~祝宴~
2017.7/2 更新分 1/1
日が沈む寸前の、黄昏刻。
紫色に染まった空の下で、いよいよフォウとスドラの婚儀が挙げられようとしていた。
広場には、大勢の人々が詰めかけている。
フォウとスドラとラン、それに余所から招かれた氏族の人間も含めて、総勢は50名ていどだ。
6氏族合同で行われた収穫祭に比べれば、まだささやかな人数であったものの、熱気と活気の度合いに遜色はないように感じられた。
人々は、広場の中心に据えられた儀式の火を取り囲むように立ち並んでいる。
その西側には新たな伴侶となるふたりのための座席が設えられており、その手前にはバードゥ=フォウとライエルファム=スドラが立ちはだかっていた。
「それでは、フォウ家とスドラ家の婚儀を開始する! 伴侶となるふたりを、ここへ!」
長身痩躯のバードゥ=フォウが大きな声でそのように述べると、本家の前に待機していた女衆が戸板を引き開けた。
その向こうから、ふたつの人影が進み出てくる。
人々は、それを迎えるために喝采をあげた。
チム=スドラとイーア=フォウである。
チム=スドラは、足首に届きそうなぐらい巨大なギバのマントを纏っていた。
その胸もとには、ギバの顔も残されている。ガズラン=ルティムもそうであったが、婚儀の際には顔つきの狩人の衣を纏う習わしであるらしい。腰にさしている刀も、普段のものよりは豪奢な鞘に収められているようだった。
イーア=フォウのほうは、全身に玉虫色のヴェールを纏いつけている。
これも、かつてアマ・ミン=ルティムが身につけていたのと似た感じの装束であった。その下にもさまざまな飾り物をつけているようであるが、半透明のヴェールが織り成す輝きこそが、一番に花嫁を美しく彩っている。
そして両者は、頭に緑色の草冠をのせていた。
さらに左右には、小さな幼子を従えている。
どちらも、10歳ぐらいだろう。男の子は狩人の衣と装飾用と思しき短剣を身につけており、女の子は周囲の女衆に負けないぐらい立派な宴衣装を纏っている。
ルウ家に比べれば、小さき氏族の人々の飾り物というのは、素朴なつくりをしている。貴金属よりも、花や木の実でこしらえたものが多い。以前よりは豊かな生活を送れるようになっても、まだ装飾品などに銅貨をはたく気持ちにはなれないのだろう。
しかしそれで、花婿の勇壮さと花嫁の美麗さが損なわれることは、いっさいなかった。
また、人々の感じる喜びや幸福感にしても、同じことであった。
4つの人影が、ゆっくりと儀式の火のほうに近づいてくる。その一歩ごとに、人々のあげる歓声も熱をおびた。
人垣の一部が割れて、4名が家長たちの前に並ぶ。
すかさず、幼子たちが手に下げていた草籠を差し出した。
やはり花や木の実で飾られた、大きな草籠だ。
バードゥ=フォウとライエルファム=スドラは、そこにギバの角や牙を1本ずつ投じ入れた。
花嫁と花婿が頭を下げて、右手側に歩を進める。
彼らは人垣にそってゆっくりと歩き、待ちかまえていた人々は祝福の声をあげながら次々と角や牙を投じていった。
ルウ家と同じように、フォウ家においてもすべての家人から牙や角を受け取る習わしがあったのだ。
狩人ならぬ女衆や幼子たちは、首にかけている3本の内から1本を受け渡す。そうして翌朝には、また男衆から欠けた1本を受け取るのだろう。
そんな中、俺はあらかじめアイ=ファから1本の牙を受け取っていた。
俺の首にかかっているのは、ルウの本家の人々から賜った、思い出の品であるのだ。これを差し出すわけにはいかなかったので、事前に準備をしておく必要があったのだった。
じっと待ち受ける俺たちのもとに、やがてチム=スドラたちが近づいてくる。
チム=スドラは、緊張のあまり怒っているような顔になってしまっていた。
イーア=フォウは、玉虫色のヴェールの向こうで、静かに微笑んでいるようだった。
チム=スドラが小柄であるために、身長はイーア=フォウのほうがまさっているぐらいかもしれない。しかし、チム=スドラの姿はとても雄々しく、これから生涯、伴侶を守っていくのだという気概にあふれているように感じられた。
そんなふたりに、俺は祝福の牙を授ける。
同時に、アイ=ファも立派な1本の角を投じていた。
チム=スドラとイーア=フォウが俺たちのほうを見て、小さく頭を下げる。
イーア=フォウとは目があったが、チム=スドラのほうは気負いのあまり、俺たちが何者であるのかも認識できていないように感じられてしまった。
普段は沈着なチム=スドラでも、やはりこのような場では我を失ってしまうものなのだろう。
俺にはそれが、とても好ましく思えてならなかった。
そうしてふたりは広場を一周して、家長たちのもとに戻った。
バードゥ=フォウとライエルファム=スドラは、左右に引き退く。
そこに現れた主賓の台座に、ふたりはゆっくりと近づいていった。
あの、収穫祭の夜に力比べの勇者たちが座していた席である。
ルウ家のようなやぐらではない。高さは1メートルていどの、丸太と板で組まれた台座だ。
毛皮が敷かれて、花や木の実で飾られたその席に、ふたりはそっと着席した。
そのかたわらに、祝福の牙と角が積まれた草籠が、幼子たちの手によって捧げられる。
「……今宵、チム=スドラとイーア=フォウはおたがいを伴侶として結び合わされる。フォウの家長として、心から祝福の言葉を述べさせてもらいたい」
バードゥ=フォウが言葉を発すると、たちまち人々は静まりかえった。
「またこれは、フォウがスドラという新たな眷族を迎える儀でもある。金の月の収穫祭を終えてから、スドラとはたびたび交流を深めていた間柄であるので、今さらくどくどと述べたてる必要はないと思うが――ランを除くすべての眷族を失い、先行きの見えなくなっていたフォウにとって、これは何よりも寿ぐべき出来事だろうと思う」
そうしてバードゥ=フォウは、ライエルファム=スドラのほうに目を向けた。
「スドラの家長ライエルファム=スドラからも、一言お願いする」
「……このような場で何を語ればいいのかもわからんが、俺はスドラの家長として、フォウおよびランと血の縁を結べることを誇らしく思っている。今後は血族として、ともに同じ道を歩ませてもらいたい」
小猿のような風貌をしたライエルファム=スドラは、いつも通りのぶっきらぼうな口調でそれだけ言った。
バードゥ=フォウはうなずき、またみんなのほうに向きなおる。
「今この場には、フォウとスドラとランの人間が全員集まっている。チム=スドラとイーア=フォウが婚儀をあげることに対して――また、フォウとスドラが血の縁を交わすことに対して、異議がある者は遠慮なく述べるがいい」
広場は、静まりかえったままであった。
たっぷり5秒ほども反応を待ってから、バードゥ=フォウは大きくうなずいた。
「それでは、婚儀の誓約を交わす。チム=スドラとイーア=フォウは、火の前に」
台座の上で、ふたりが立ち上がった。
今度はチム=スドラがぎこちなく手をさしのべて、イーア=フォウをエスコートする。
再び地面におりたふたりは、燃えさかる儀式の火の前で膝を折った。
バードゥ=フォウの伴侶が進み出て、儀式の火に香草を投じる。
甘さと酸味のまじりあった不思議な香りが、俺たちのほうまでふわりと漂ってきた。
さらにバードゥ=フォウの伴侶はうやうやしい手つきでふたりの草冠を外すと、それを香草の薫煙に軽く通してから、チム=スドラの草冠をイーア=フォウに、イーア=フォウの草冠をチム=スドラにかぶせなおした。
ふたりは立ち上がり、儀式の火に背を向ける。
その眼前に、バードゥ=フォウが立ちはだかった。
「今宵、フォウ家のイーア=フォウはチム=スドラの嫁となり、イーア・フォウ=スドラの名を授かった。スドラとフォウは絆を深め、いっそうの力と繁栄を森辺にもたらすべし」
「チム=スドラは、森にイーア・フォウ=スドラを授かりました」
「イーア・フォウ=スドラは、森にチム=スドラを授かりました」
その瞬間、静まりかえっていた広場に歓声が爆発した。
チム=スドラは伴侶となった女性の手を取り、また台座をのぼっていく。
ふたりが着席するのを待ってから、バードゥ=フォウは伴侶の差し出す果実酒の土瓶を受け取った。
「母なる森の前で、婚儀の誓約は交わされた! 両者の行く末を祝い、大いに宴を楽しむがいい!」
おおッ、という怒号のような歓声がそれに答える。
それと同時に、いきなり横合いから首根っこをひっつかまれた。
「いやあ、めでたいな! 血族ならぬ俺たちだが、フォウとスドラの友として、大いに楽しんでやらねばな!」
それはリッド本家の家長、ラッド=リッドであった。
ダン=ルティムをやや細くして髪を生やしたような、豪快な御仁である。そのたくましい腕でヘッドロックされただけで、俺は首の骨がきしんだような気がした。
「リッドの家長よ。アスタは狩人ならぬ身であるのだから、あまり手荒に扱わないでもらいたく思うのだが」
と、アイ=ファが瞬時に非難の声をぶつけてくる。
ラッド=リッドは笑いながら、そちらに向きなおった。
「女衆や幼子であっても、これしきのことで参ったりはせぬだろうよ! さ、宴料理で腹を満たそうではないか!」
「腹を満たす前に、まずアスタを放していただきたい」
アイ=ファの青い瞳に、じわりと気迫がこめられる。
が、6氏族の勇者のひとりでもあるラッド=リッドは、わははと笑うばかりであった。
「そのように美しいなりをしていても、やはりアイ=ファのほうが男衆であるかのようだな! フォウやスドラに負けず、そちらもとっとと婚儀をあげてしまえばよかろうに!」
「……リッドの家長よ、このようにめでたい場で騒ぎを起こしたくはないのだが」
物騒な言葉を述べながら、アイ=ファの顔がわずかに赤らんでいた。
ユン=スドラとジョウ=ランにまつわる一件は、リッドとディンにも周知が為されていたのである。ということは、アイ=ファがどのような言葉でジョウ=ランからの嫁入り話を断ったかも、みんなに知れ渡ったということであった。
「ともかく、料理だ! ファやディンの力を借りずにどれほどの料理を作れるものなのか、俺としてはそこのところが気になっていたのだ!」
ラッド=リッドはようやく俺の首から腕を離してくれたが、その場から動こうとはしなかった。
つまり、一緒にかまどを巡ろうということなのだろう。
俺としては異存もなかったが、アイ=ファはまだ不機嫌そうに両目を燃やしていた。
「……リッドも何名かの家人を引き連れてきたのであろう? その者たちは、どこに行ったのだ?」
「知らん。他の氏族の者たちと絆を深めているのではないのかな。どうせなら、アイ=ファとアスタも別々に行動してみてはどうだ?」
「我々には我々のやり方がある。差し出口はひかえていただこう」
いかにも剣呑な雰囲気であったが、豪放なるラッド=リッドは気に止めている様子もなかった。
「では、かまどを巡るとするか! あちらの鍋からは実に美味そうな香りが漂っているようだぞ!」
ラッド=リッドは、意気揚々と歩き始める。その腕によって俺の背中が押されていたため、アイ=ファも追従せざるを得なかった。
「……アスタよ、お前はどうして唯々諾々と従っているのだ?」
と、アイ=ファが素早く耳打ちしてきたので、俺は思わずきょとんとしてしまう。
「いや別に、断る理由はないかと思って。……アイ=ファの目にどう映るかわからないけど、こんな風に慕ってくれるのは嬉しいしさ」
「……あんな乱暴な仕打ちを受けてもか?」
「うーん、そういうのはダン=ルティムやラウ=レイで慣れっこだからなあ」
アイ=ファはラッド=リッドには見えない角度で、盛大に唇をとがらせてしまった。
「そんなにすねるなよ。せっかくの宴なんだし、楽しくやろうじゃないか」
「……このていどのことで気分を害する私の側に非があるということか?」
「そんなことは言ってないよ。ただ、アイ=ファと一緒に祝宴を楽しみたいだけさ」
そんな風に囁き合っている内に、最初のかまどに到着した。
周囲には、なかなかの人だかりができている。それをかきわけて簡易型かまどに近づいていくと、鉄鍋で白いスープが煮込まれていた。
「ああ、アスタにアイ=ファ。ようやくお会いできましたね」
その配膳を受け持っているのは、ユン=スドラであった。
本日は彼女もサイドテールをほどいて、宴衣装を身に纏っている。
続けて何か語ろうとした彼女は、その途中で「あっ」と目を見開いた。
「それがアイ=ファの宴衣装ですか! うわあ、アイ=ファはもともと綺麗ですけど、また見違えましたね!」
今宵は誰と会っても、まずはそのような挨拶で始まるのがお決まりになってしまっていた。
アイ=ファは溜息をこらえているような面持ちでユン=スドラを見返す。
「どうして誰もが、そのように騒ぎたてるのだ? 宴衣装など、ユン=スドラとて身に纏っているではないか」
「だって、アイ=ファほど美しい女衆はなかなかいませんし、それに、何というか……男衆のように凛々しいものだから、他の女衆とは異なる驚きが生まれてしまうのですよね」
ユン=スドラは、邪気のない面持ちでにこりと微笑む。
「そういえば、普段からアイ=ファのことをうっとりと見つめる女衆も少なくはないのですよね。狩人であるアイ=ファには、アイ=ファならではの魅力というものが備わっているのでしょう」
「どうでもいいが、私は自分のことで騒がれるのが苦手であるのだ」
アイ=ファにしてはちょっと珍しく、素直に弱音を述べている様子であった。
きっと、それだけユン=スドラには心を開きつつある、ということなのだろう。
「みんな婚儀で浮かれているのですから、何も気にする必要はありません。それより、こちらの料理はいかがですか?」
「おう! それはあの、収穫祭でも出していたギバの骨のすーぷだな!」
俺たちのかたわらで待ちかまえていたラッド=リッドが大きな声をあげる。
ラッド=リッドの言う通り、それはギバ骨スープであった。ギバの骨ガラを半日かけてじっくり煮込んだ、白濁したスープである。
「これは手間がかかるので、普段はなかなか作る機会がないのですよね。よかったら召しあがってください」
ユン=スドラが手際よく木皿にスープを注いでくれた。
具材もたっぷりで、ネェノンの朱色やナナールの緑色が透けている。それに、ティノとオンダも使われている様子だった。
さらには前回と同じように、厚切りのチャーシューも添えられている。
「ううむ、美味いな! 収穫祭のときにも思ったが、どうしてここまで俺の家で作るものと味が変わってしまうのだろう? 使う野菜は、俺たちも真似るようになったはずなのだが」
「それはやっぱり、海草という食材を使っているためだと思います。あれは値が張るので、わたしたちも祝宴のときぐらいしか買っていないのですよ」
海草の干物の出汁とあわせることによって、ギバ骨の出汁にさらなる深みが加わえられているのだ。それにやっぱり調味料のほうも、岩塩、砂糖、ピコの葉、タウ油、ミャームー、ニャッタの蒸留酒、と種類が多いので、作る人間によって大きく味が変わるのだろう。
「……アスタは、いかがですか?」
「うん、美味しいよ。収穫祭のときに出したスープと比べても、まったくまさり劣りはないと思う」
ユン=スドラは、ほっとしたように微笑んだ。
ただ、俺は一点だけ物足りなさを感じてもいた。
「でも、スープパスタにはしなかったんだね。そこだけが、ちょっと残念だったかな」
「あ、はい。ぱすたはあまり量を準備できなかったので、こちらでは使えなかったのです。……でも、別のぱすたは使っていますよ」
「別のパスタ?」
「はい。アスタがぐらたんという料理で使っていたぱすたです」
それは、チャッチを使った団子状のニョッキタイプのパスタのことだった。
それを木皿の底に確認した俺は、スープごと口の中に運び、「へえ」と声をあげることになった。
「こっちのパスタも、なかなかギバ骨スープに合うみたいだね。こいつは新発見だ」
もともと俺はとんこつラーメンのアレンジとしてつけ麺風のギバ骨スープパスタを思いついた身であるので、麺状でないパスタをここで使うという発想がなかったのだった。
ややもちもちとしたニョッキパスタはそれだけでも美味であるし、たっぷりのスープとともに食せば、美味しさも倍増である。こってりとした白湯風のギバ骨スープに、ニョッキパスタは非常にマッチしているようだった。
「ちょっとした思いつきであったのですが、悪くはないでしょう? 普通の焼いたポイタンを入れてもぐずぐずに溶けてしまうので、フワノと一緒にこねたぱすたのほうが汁物には合うと思ったのです」
「うん、これはいいと思うよ。さすがユン=スドラだね」
トゥール=ディンの陰に隠れてしまいがちであるが、ユン=スドラも順当に成長しているのである。特に、自分で料理をアレンジできるというのは、かなりの成長であるように感じられた。
「うむ、本当に美味い! ここに留まっていると鍋が空くまで食べ続けたくなってしまうので、早々に移動することにするか!」
木皿を台に戻しながら、ラッド=リッドが笑顔でそう言った。
まだいくぶん渋い顔をしているアイ=ファとともに、俺はその後を追いかける。
他の人々もせわしなく動いて、各種の料理を楽しんでいるようだった。
そこで何気なく新郎新婦の台座のほうを振り返った俺は、「あれ?」と声をあげてしまう。
「チム=スドラたちにも、料理が届けられているのですね」
「うむ? それはそうであろう。しばらくはあの場所を動けぬのだから、周りの人間が届けてやる他あるまい」
「いえ、ルウ家で行われた祝宴では、ひとしきりみんなが料理を楽しむのを見届けてから、特別に準備された料理を口にしていたのですよね」
「ふむ。まあ、血の縁がなければおたがいの家を行き来することもないので、氏族ごとに習わしも異なってくるのであろうさ」
そういえば、結婚指輪を連想させる草冠の交換に関しても、ルウ家では料理を楽しんだ後に行われていたような覚えがある。俺とアイ=ファは、その光景を人垣の外からそっと見守っていたのだった。
台座に座したチム=スドラとイーア・フォウ=スドラは、次々に届けられる料理を食しながら、血族たちと言葉を交わしている様子である。
好ましく思う相手と無事に婚儀をあげることができて、ふたりはどれほどの幸福感を抱くことになったのだろうか。
俺にとってはそこまで親密な間柄ではない両者であるが、それでも俺は心からそれを祝福することができた。
「お?」
と、そこでラッド=リッドが奇妙な声をあげた。
進行方向に視線を戻した俺も、思わず声をあげそうになる。
そちらから、見覚えのある人物がすたすたと歩み寄ってくるところであったのだ。
俺たちとは逆の進路で、かまどからかまどへと移動するさなかであったのだろう。
チム=スドラたちのほうに視線を向けて歩いていたその人物も、やがて俺たちの姿に気づき、ぴたりと足を止めることになった。
「ああ、アイ=ファにアスタ……それに、リッドの家長ですか」
その人物は、眉尻を下げながら弱々しく微笑んだ。
それは、ジョウ=ランであった。
「うむ、あちらでギバの骨のすーぷをいただいてきたところだ! ファとディンの力なくしてあそこまで美味い料理を作れるというのは、大したものだぞ!」
ひとり陽気な顔をしたラッド=リッドが、また豪快な笑い声をあげる。
それを聞きながら、俺はこっそりアイ=ファの表情を盗み見た。
アイ=ファは――完全無欠の無表情であった。
「このように素晴らしい宴に招いてもらえて、嬉しく思っているぞ! では、またのちほどな!」
「はい……」とジョウ=ランは応じたが、その目はアイ=ファをとらえたままだった。
が、やがて頭を大きく振ると、俺たちの脇をすりぬけて通り過ぎていく。
その背中を見送りながら、ラッド=リッドは「ふむ」と下顎をなでた。
「狩人としてはたいそうな力を持っているようだが、性根のほうはあまり据わっておらぬようだな! まあ、アイ=ファたちが気にする必要はあるまい!」
「……私は特に、何も気にしてはいない」
「うむ。言っては何だが、あの若衆では器量が足らん! いずれはその身に相応しい伴侶と巡りあえるであろうさ!」
そうしてラッド=リッドは、次なるかまどを目指して歩き始めた。
その後に続きながら、俺は小声でアイ=ファに呼びかける。
「おい、本当に大丈夫か、アイ=ファ?」
「何がだ? すでに家長らの間でやつの罪は許されているのだから、私がこれ以上文句を述べたてる理由はあるまい」
「うん。だけど、必死に感情を殺しているように見えちゃったからさ」
「だとしたら、私もまだまだ未熟だな」
そのように述べながら、アイ=ファは自分の頬に手の平をあてがった。
いつだったかと同じように、それで強ばった顔をもにゅもにゅともみほぐしていく。
「ラン家とて、私にとっては古くから縁のある氏族だ。このようなことで、ラン家と諍いを起こすつもりはない」
「うん。何といっても、大事な友であるサリス・ラン=フォウの生まれた家だしな」
「その通りだ」と述べてから、アイ=ファは顔のマッサージを終了させた。
そして、いきなりにこりと微笑んでくる。
「どうだ? ほぐれたか?」
「う、うん。びっくりするぐらい、楽しそうな笑顔だよ」
「そうか。ようやく私もこの騒がしい空気に慣れてきたようだ」
思えば、宴衣装を纏った夕刻から、アイ=ファがここまではっきりとした笑顔を浮かべたのは初めてなのかもしれなかった。
かがり火に照らされて、玉虫色のヴェールや金褐色の髪や虹色の髪飾りがきらきらと輝いている。それは、一撃で俺の心臓を脅かすぐらい、魅力的な姿であった。
「騒がしい場は苦手だが、我々にとってフォウとスドラはひとかたならぬ縁のある相手であるし――そんな両家が血の縁を結ぶという喜びが、ようやく胸にせまってきたのかもしれん」
「うん。本当におめでたいことだよな」
どくどくと高鳴る胸をなだめながら、俺も笑い返してみせた。
次のかまどに到着して、余人の視線がこちらに向けられるまでの間、アイ=ファはずっと同じ表情で微笑み続けていた。




