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異世界料理道  作者: EDA
第二十八章 始まりの月(上)
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新たなる血の絆①~下準備~

2017.6/30 更新分 1/1 ・2018.4/29 一部表記を修正

 黄の月の5日。

 その日が、フォウとスドラの婚儀の日であった。

 花婿はチム=スドラ、花嫁はイーア=フォウ――フォウの分家の家長の長姉だ。


 フォウとスドラで血の縁を交わそうと決めて、最初に婚儀が成立したのがこの両名なのである。

 その他にも、ランからスドラに、スドラからフォウに、それぞれ嫁入りをしそうな話が持ち上がっていたが、それは休息の期間まで様子を見ようという話に落ち着いていた。


 何にせよ、この婚儀でフォウとスドラは血の縁を結ぶことになる。

 フォウを親筋として、スドラが眷族となるのだ。

 すべての分家や眷族と合併した上で、わずか9名の家人しかなかったスドラの家が、その氏を失うことなく、多くの血族を得るのである。これは、通常の婚儀よりも神聖で、なおかつおめでたい話であるはずだった。


「そんなおめでたい席に招いてもらえて、ありがたい限りだよね。今から楽しみでならないよ」


 屋台の仕事に励みながら、俺はトゥール=ディンにそう呼びかけてみた。

 隣の屋台で『ギバ・カレー』の販売にいそしんでいたトゥール=ディンは、笑顔で「はい」と応じてくる。


 本日の宴料理は、フォウとスドラとランの女衆のみで作製されるので、屋台の商売を休んでいるのはユン=スドラのみであるのだ。

 俺やトゥール=ディンにとっては、純粋に客人として祝宴に招かれるというのも、なかなか希少な体験なのだった。


「ユン=スドラはもちろん、フォウやランの人たちだってめきめき腕を上げているからね。どんな宴料理を食べさせてもらえるのか、楽しみなところだよ」


「はい。ディンの家人たちも、たいそう楽しみにしているようでした。もちろん、わたしも楽しみです」


「そういえば、ディン家からは誰が祝宴に参加するのかな?」


「ディン家からは、本家の家長と、わたしと、分家の家長の長兄ですね。眷族の祝いであれば未婚の男女を出すのが習わしなのですが、このたびはそういう顔ぶれになりました」


 そこに11歳という若年のトゥール=ディンまで加えられたのは、きっとスドラやフォウの女衆と一番ゆかりの深い立場であるからなのだろう。トゥール=ディンは、とても嬉しそうな顔をしていた。

 いっぽうファの家は、そもそも家人が2名しかいなかったので、人選で悩むこともなかった。アイ=ファは早めに仕事を切り上げて、ともにフォウの集落に向かう手はずになっている。


 あとはもちろんリッドの人々も招かれており、なおかつ、ザザ家からも数名やってくると聞いている。ザザは遠方の氏族であったが、眷族であるディンとリッドが招かれていると聞きつけて、また監査役の人間を差し向けたいと述べてきたようだった。


「俺はこれまで色んな祝宴や晩餐会に参加させてもらったけど、婚儀の祝宴ってのはまだ1回しか経験がなかったんだよね」


「あ、そうなのですか。わたしはディンの家人になってから、北の集落に3回ほど招かれています。いずれも、かまど番としてですけれども」


「ああ、それは俺も一緒だよ。あのときは、初めて100人前の料理に挑むことになって、宴を楽しむどころじゃなかったなあ。食材の種類も限られていたし、木皿の代わりにゴヌモキの葉を使っていた時代だしねえ」


 あのガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの婚儀の祝宴からも、すでに1年近い歳月が経っているのだ。

 そんな風に考えただけで、俺は感慨深くなってしまった。


「おやおや、こいつは素晴らしい香りですねえ」


 と、そこに新たなお客がやってくる。

『ギバ・カレー』の屋台の前に立ったその人物の姿を見て、俺は「あれ?」と声をあげてしまった。


「失礼ですが、ひょっとしたら、あなたはジーゼではありませんか?」


「おや、あたしなんぞの姿を見覚えてくださったんですねえ」


 そのように述べながら、ジーゼは深々とかぶっていたフードをはねのける。彼女はまるでシムの旅人みたいにフードつきのマントを纏っていたのだった。


「トゥール=ディン、こちらは《ラムリアのとぐろ亭》という宿屋のご主人で、ジーゼという御方だよ。この前の寄り合いで、色々とお世話をしてもらったんだ」


「お世話なんてとんでもない。あたしは自分の好きなように振る舞っただけですよお」


 灰色の髪と茶色の瞳、シムの民と見まごう浅黒い肌をした老女ジーゼは、柔和な顔で微笑んだ。

 もうけっこうな老齢であるようなのに、すらりと背が高くて、姿勢もしゃんとしているので、とても若々しく見える。身長は、俺と同じぐらいはありそうだ。


「それにつけても、素晴らしい香りですねえ。これが評判の『ギバ・カレー』という料理ですか」


 カレーという未知の言葉も、彼女ははっきりと発音していた。

 シュミラルもそうであったが、東の血をひく人々はのきなみ異国の言葉に強いのだろうか。


「よかったら、味見をいかがですか? そちらの料理は、特に東のお客様に評判がいいのです」


「ええ、聞いておりますよお。ギバ肉に関しても『ギバ・カレー』に関しても、前々から懇意にしているご主人がたいそう熱っぽく語っておられたのでねえ」


「はあ。懇意にしているご主人、ですか?」


「はい、あなたがたが肉や料理をお売りになっている、ネイルという御方ですよお」


 何となく、予想していた通りの返答であった。


「ネイルとお知り合いであったのですね。あちらも東のお客様とはおつきあいが深いという話でしたから、そのあたりのご関係なのでしょうか?」


「ええ、ええ。あの御方は生粋の西の民であるようですが、ずいぶんとまあシムに入れ込んでおられるようで、自然と縁を深めることができたんですよお」


 ネイルも生真面目かつ柔和な気性であるので、このジーゼとならばさぞかし気が合うのではないかと思われた。

 そういえば、シムの血をひいているジーゼであるが、感情を隠そうとする様子はいっさいない。同じ境遇であるサンジュラと同じように、そこのところは西の流儀に従っているのだろう。


「あの御方には、前々からギバ肉をお買いになってはいかがかと言われていたのですが、あたしも根が強情ッ張りなものでねえ。なんとかキミュスやカロンの肉でもギバ肉に負けない料理を作れないものかと、さんざん頭をひねっていたんですよお。ちょうどシムの香草も、以前より簡単に買えるようになってきたところでしたしねえ」


「そうなのですか。ジーゼが強情というのは、少々意外です」


「ええ。ですけども、やっぱりお客様が喜ぶのが一番だと考えなおして、白旗をあげることにしたんですよお」


 そうしてジーゼは、懐から銅貨の詰まった小袋を取り出した。


「では、評判の『ギバ・カレー』をいただきましょうかねえ。お代は、いかほどでしょう?」


「あ、はい。こちらのレードル一杯で赤銅貨1枚と半分になります。中には二杯分を注文されるお客もいらっしゃいますね」


「それじゃあ、あたしは一杯で。……年をくって、すっかり食が細くなってしまいましてねえ」


 補助役であるダゴラの女衆が銅貨を受け取り、トゥール=ディンが木皿に『ギバ・カレー』をすくった。

「ああいい香りですねえ」とジーゼは目を細めている。


「食べる前から、舌がはしゃいでいる感じですよお。……そういえば、ギバ肉についてはどうなりましたかねえ?」


「はい。とりえあず、いっぺん肉の市の様子を拝見してから、売りに出すことになると思います。あと、いちおう城下町の人々にも確認が必要なことですので、もう数日はかかるかもしれません」


「そうですか。ギバ肉を買える日を楽しみにしておりますよお」


 そうしてジーゼは木皿と添え物の焼きポイタンを大事そうに抱えながら、青空食堂のほうに引っ込んでいった。

 その背中を見送っていたトゥール=ディンが、「とても優しそうな方ですね」とつぶやく。


「うん。寄り合いのときも、最初から森辺の民に対しては好意的であるように思えたよ。ありがたい話だよね」


 なおかつ、親睦の酒宴にも参加させていただいた結果、俺はジーゼの他にもさまざまな人々と縁を結ぶことができた。

 印象としては、《アロウのつぼみ亭》のレマ=ゲイトほど森辺の民を毛嫌いしている御仁はいないように感じられた。それどころか、「あの頃は悪かった」などと言って謝罪してくる人までいたぐらいなのである。


 何に対しての謝罪かというと、それはザッツ=スンとテイ=スンによって宿場町が脅かされていた時代、森辺の民を悪し様に罵った件についてであるようだった。

 俺たちが町に下りようとしたとき、森辺の民を擁護する派と誹謗する派で真っ二つに分かれて、一触即発の雰囲気になったことがある。また、ミラノ=マスのもとを訪れて、森辺の民に屋台など貸し出すな、と直談判していた人々もいる。あの中に、宿屋のご主人がたも加わっていた、ということなのだろう。


 そういった人々とも、俺たちは和解することができた。

 謝罪をした上で、ギバ肉を買ってみたいとか、甘い菓子について詳しく聞かせてほしいとか、そんな風に頼み込んでくる人もいた。

 やっぱり俺たちは、もっと早くから宿屋の寄り合いに参加するべきだったのだと痛感させられたものである。


「あ、ジーゼ、お味のほうはいかがでしたか?」


 やがて、フードをかぶりなおしたジーゼが食堂のほうから戻ってきたので、俺はそんな風に聞いてみた。

 フードの陰で、ジーゼは満足そうに微笑んでいる。


「とても美味でしたよお。あんなにたくさんの香草を使って、きちんとひとつの味にまとめあげられるなんて、あなたは本当に素晴らしい腕前をお持ちなのですねえ、アスタ」


「いえ、森辺のみんなの協力あってこそです」


「香草にはこんな使い方もあったのかと、わたしは目を覚まされた心地ですよお。あたしもさっそく宿に戻って、あれこれ香草をいじくりたくなってしまいましたねえ」


 そんな言葉を残して、ジーゼは立ち去っていった。

 俺はもう一度、トゥール=ディンのほうを振り返る。


「あのジーゼの宿は、城下町にも負けないシム料理を出すっていう評判らしいんだよ。いつか機会があったら、俺たちもお邪魔したいところだね」


「そうですね」とトゥール=ディンも目を輝かせていた。

 レイナ=ルウあたりも、きっとジーゼの腕前というものには着目していることだろう。今後、ジーゼがギバ肉を扱うようになったら、その興味も倍増するに違いなかった。


 そうして時間は過ぎ行きて、本日も無事に終業時間を迎えることになった。

 黄の月を迎えて800食に戻した料理も完売だ。宿場町の賑わいも、完全に常態を取り戻したようだった。


 俺たちはいつも通りに片付けを終えて、屋台を返却し、一路、森辺の集落を目指した。

 森辺に帰還したら、お次は下ごしらえの仕事だ。

 ただし明日は休業日であるので、カレーの素と乾燥パスタの作り置きぐらいしか為すべき仕事はない。これもフォウやスドラの人々を頼ることはできなかったので、商売に参加したメンバーだけでのんびり片付けることになった。


 作業を終えたのは、四の刻を半分ほど越えた辺りである。

 ちょうどみんなが解散しようとしたタイミングで、ギバを担いだアイ=ファとブレイブが帰還してきた。


「おかえり、アイ=ファ。今日のギバも大物だな」


「うむ。そちらの仕事も片付いたようだな」


「うん。ちょうど今、みんな帰るところだったんだよ」


 俺がそのように述べると、マトゥアの女衆が「あの」と進み出てきた。

 トゥール=ディンに次いで年若い、13歳の少女である。


「アイ=ファは町で宴衣装を買ったのですよね? よかったら、着替えを手伝いましょうか?」


「……べつだん、余人の手を借りるほどのことではない」


 アイ=ファはぶすっとした顔でそう応じていた。

 俺の説得に応じて宴衣装を購入してくれたアイ=ファであるが、やっぱり身を飾るという行為には強い意義を見いだせていないのである。


「でも、アイ=ファも髪が長いのですから、それを整えるだけでもひと苦労ではないですか?」


「……こんなものは、ほどけばしまいだ」


「駄目ですよ! せっかくの祝宴ですし、身を整えないとフォウやスドラに対しても失礼にあたります」


 アイ=ファは巨大なギバを担いだまま、深々と溜息をついた。


「何でもかまわんが、お前はどうしてそのように瞳を輝かせているのだ?」


「え? わたしはただ、アイ=ファの宴衣装を目にしてから帰りたいなと思っただけです。わたしは祝宴に参加することもできませんので」


 マトゥアの女衆は、にこりと無邪気に微笑んだ。

 その笑顔を、アイ=ファは仏頂面で見返している。


「それより先に、私はこのギバを始末せねばならん。お前とて、家では仕事が待っているのではないか?」


「普段はアスタが晩餐を作りあげるのを見届けてから帰っているのですから、今日などはゆとりがあるぐらいです。ギバが片付くまで、こちらでお待ちしていますね」


「いや、だから――」


「あ、他のみんなは大丈夫でしょうか? わたしひとりの都合で帰りを遅らせるわけにはいきませんよね」


 本日はユン=スドラが休みを取っているので、日替わり当番も3名から4名に増やしていた。顔ぶれとしては、ダゴラとガズとラッツの女衆である。

 どの家も、徒歩で帰るにはそれなりの距離であるから、いつもファファの荷車を使っているのだ。それを気にしてマトゥアの少女は意見をうかがったわけであるが、彼女に反対しようとする者はいなかった。それどころか、誰もがマトゥアの少女に負けないぐらい瞳を輝かせてしまっていた。


「わたしもアイ=ファの宴衣装を見てみたいです! アイ=ファであれば、さぞかし美しい姿になることでしょうね」


「以前はラッツとガズの間でアイ=ファに嫁入りを願うような騒ぎにもなったのですよね。こうしてファの家に出入りするようになって、わたしも男衆が騒いでいた理由をようやく理解することができたのです」


「わたしたちも、ぜひアイ=ファのお手伝いをさせてください」


 アイ=ファは反論する気力も失った様子で、すごすごと解体部屋に引っ込んでいった。

 いくぶん気の毒に感じなくもなかったが、アイ=ファの着付けを手伝ってもらえるというのはありがたい話である。ぞんざいな着こなしのせいで礼を失してしまったら大ごとであるし――俺としても、せっかくの宴衣装なのだから最大限にアイ=ファの魅力を引き出してほしいところであった。


「それでは、わたしも準備がありますので、お先に失礼いたしますね」


 と、トゥール=ディンが身をひるがえそうとしたので、俺は「ちょっと待って」と引き止めてみせた。


「だったら、俺がギルルで送ってあげるよ。アイ=ファの準備が済むまで、やることもないし」


「あ、いえ、でも別に、わたしは歩くのが苦になる距離でもありませんし……」


「遠慮する必要はないよ。むしろ、退屈しのぎになるからありがたいぐらいさ」


 というわけで、俺はアイ=ファに一声かけてから、再びギルルの手綱を握ることになった。

 トゥール=ディンのみを乗せて、荷車を走らせる。ディンの家ならば、数分で往復できる距離であるのだ。


「何だか、他の氏族のみんなもウキウキしてるみたいに感じられるね。こういうのって、伝染するのかな」


「そうかもしれませんね。特にガズやラッツやマトゥアの女衆は、ファと家が遠いことをとても残念がっていましたし。本当は、収穫祭にも婚儀の祝宴にも参加したいぐらいの気持ちなのでしょう」


 マトゥアにはガズ、ラッツにはアウロとミームしか眷族がない。彼らは今でもその人数だけでひっそりと祝宴を行っているのだろう。族長筋を除けば、2つ以上の眷族を持っている氏族も稀なのだった。


「何だったら、ガズとラッツを親筋にする5つの氏族で収穫祭を行えばいいのにね。それにベイムとダゴラなんかも加えたら、ルウ家に負けないぐらいの規模になりそうだ」


「そうですね。だけど、休息の期間を同じくするほどは近在でないのかもしれません。……それにやっぱり、この近在の氏族が団結できたのは、ファの家があってこそなのではないでしょうか」


「そうなのかなあ。今だったら、それほど関係なさそうだけど」


「いえ。少なくとも、ザザの眷族であるディンやリッドがフォウやスドラとここまで強い絆を結ぶことができたのは、ファの家のおかげであるはずです」


 荷車の中で、トゥール=ディンはしみじみとそう言った。


「北の集落で婚儀が行われるたびに招かれていることを、わたしはとても嬉しく、そして誇らしく思っています。でも、それと同じかそれ以上に、近在の氏族で祝宴を行えることを幸福に思っています」


「こちらこそ、だよ。すべては森のお導きだね」


「はい」と応じた後、トゥール=ディンはかすかに鼻をすすっていた。

 情感ゆたかなトゥール=ディンであるので、また涙ぐんでしまっているのだろう。


 そうしてほどなくディンの家に到着し、俺はトゥール=ディンと別れを告げることになった。

 フォウの集落への行きがけにまた寄っていこうかと提案してみたが、男衆がいつ戻るかもわからないので、とそれは辞退された。


 俺はひとり、ファの家に引き返す。

 まだ夕暮れというほどの時間ではないが、日差しはいくぶんやわらかくなっており、頬をなぶる風も心地好い。なんとも清々しい婚儀日和だ。


 ファの家に到着すると、玄関の前ではブレイブがぐっすりと眠りこけていた。

 荷車を下りて、戸板を叩いてみると、「アスタですか?」というマトゥアの少女の声が聞こえてくる。


「少々お待ちくださいね。ちょうど今から取りかかるところですので」


「うん。まだ時間にゆとりはあるから、ごゆっくりどうぞ」


 俺はブレイブの隣に腰を下ろして、ぼけっと過ごすことにした。

 なかなか普段ではありえないような、贅沢な時間の使い方である。

 しかしそんな時間も、15分とはかからずに終結することになった。


「お待たせしました。もう大丈夫ですよ」


 閂の外される音色とともに、またマトゥアの少女の声が響く。

 俺が立ち上がるのと同時に、家の戸が引き開けられた。そこから、少女の小さな顔がひょっこり覗く。


「これは素晴らしい宴衣装ですね! アイ=ファにとてもよく似合っています」


「うん。俺やアイ=ファには服や飾り物のよしあしがわからないんで、ルウ家の人たちにみつくろってもらったんだよね」


 ちなみに協力してくれたのは、レイナ=ルウとララ=ルウであった。

 そんな会話をしている間に、家の中からぞろぞろと他の女衆が姿を現してくる。


 その最後に、アイ=ファが現れた。

 金褐色の髪をほどいて、宴衣装に身を包んでいる。

 ルティム家の婚儀以来の、森辺の宴衣装だ。


 あのときの宴衣装は、ジバ婆さんが貸してくれたものであった。

 本日身につけているものも、あのときの装束と大きな違いはない。胸あてや腰あては普段よりもいっそうカラフルな色合いで、髪や首や手足には飾り物をつけて、玉虫色のヴェールやショールをふわりと纏っている。


 もちろんその首には、普段からつけている青い石のペンダントが下げられていた。

 そして髪には、虹色に輝く石の花飾りがつけられている。

 それはどちらも、俺が選んでアイ=ファに贈ったプレゼントであった。


「いかがですか? よく似合っているでしょう?」


 マトゥアの少女が、にこにこと微笑みながらそのように述べてきた。

 言葉もなく見入ってしまっていた俺は、慌てて「うん」とうなずいてみせる。


「ひさびさだから、ちょっと驚いてしまったよ。やっぱり森辺の民には森辺の宴衣装だな、アイ=ファ」


「……まあ確かに、城下町の宴衣装ほど窮屈なことはないが、それでもやっぱり動きにくいことに変わりはない」


 と、口を開けばいつものアイ=ファである。

 その腰にも、宴衣装には不似合いな蛮刀が下げられている。


「行きがけや帰りがけに、ギバやムントなどに襲われれば、いささか手こずることになるやもしれんな」


「まあ。明かりを灯していれば、そんな危険に見舞われることもないでしょう? ましてやアイ=ファたちは荷車で移動するのでしょうから」


 マトゥアの少女は、くすくすと笑った。


「それではわたしたちも満足できましたので、家に戻らせていただきます。どうぞ宴をお楽しみください、アイ=ファにアスタ」


「うん、どうもありがとう。他のみなさんも、お疲れさまでした」


 めいめいに挨拶をしてから、みんなはファファの荷車に乗り込んでいった。

 アイ=ファとふたりで残された俺は、あらためて笑いかけてみせる。


「本当によく似合ってるよ。フォウの集落で待ってるみんなも驚くだろうな」


「……私に人を驚かせて楽しむ趣味はないぞ」


 アイ=ファはぷいっと顔をそむけてから、横目で俺をねめつけてきた。


「……本当に滑稽ではないのか?」


「まだ疑ってるのか。森辺において、虚言は罪だろ。俺も他のみんなも、心から似合うと思っているんだよ」


 アイ=ファは頭をかこうとしたが、きらきらと輝くヴェールが邪魔であったために、そうすることもかなわなかった。


「その髪飾りも、本当によく似合ってるよ。髪をほどくと、いっそう映えるみたいだな」


「わかった。もうよい。そのように無邪気な笑顔をさらしながら、くどくどと述べたてるな」


「だって、心情を隠さないのがファの家の家訓だからな」


 足を蹴られるだろうかと思い、俺は用心した。

 しかし本日は、足ではなく鼻を指先で弾かれることになった。


「いいから、出発するぞ。衣装がからまりそうなので、お前が手綱を取れ」


「了解いたしました、家長」


 アイ=ファは口笛を吹いてブレイブを起こすと、荷車に乗るように指示を出した。

 その凛然とした横顔は、ほんの少しだけ血の気がさしているように見えなくもなかった。

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