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異世界料理道  作者: EDA
第二十八章 始まりの月(上)
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月の初めの大仕事③~意想外~

2017.6/28 更新分 1/1 ・7/3,11/25 誤字を修正

 それからしばらく話し合いが続けられたのち、外では太陽が没することになった。

 食堂の燭台には火が灯されて、お客たちがどやどやと詰めかけてくる。寄り合いに参加しているメンバーは、できるだけその邪魔にならないように席を詰めていた。


 食堂の30席ばかりが予約で埋まっているという話は事前に告知していたらしいが、それでもかなりの混雑っぷりであった。ナウディスの伴侶と息子さんと、あとは雇われの男女が慌ただしく給仕をしている。ギバ料理のおかげで《南の大樹亭》はたいそう繁盛しているという評判であったが、俺は初めてそれを目の当たりにすることがかなったのだった。


 お客の大半は、南の民だ。

 しかし西の民もたくさんいるし、さらには東の民までちらほらとまじっている。南と東は敵対国であるのに、ギバの料理を扱っている食堂が少ないために、こういった現象が生まれているのである。


「そら、あちらの卓の方々は、うちの宿のお客様ですよ。ジャガルの人らに疎まれてでも、ギバの料理を食べたくなっちまうんでしょうねえ」


《ラムリアのとぐろ亭》の主人、ジーゼは楽しそうに微笑みながら、そのように述べていた。


 その間に、森辺のかまど番も給仕の仕事に励んでいる。こちらでも、晩餐が始められることになったのだ。

 俺とレイナ=ルウとリミ=ルウ、それにナウディスも手を貸してくれたので、何とかすみやかにすべての料理を運ぶことができた。卓の上の料理が増えていくにつれて、宿屋の主人たちのざわめきはどんどん高まっていった。


「これで全部ですな。お待たせいたしました、ご主人がた」


 ナウディスが自分の席に戻ると、商会長のタパスが「ふむう」と感心したようなうなり声をあげた。


「これがギバ肉の料理ですか。いや、見るからに美味そうですな」


「おや、タパスはギバ料理を口にしたことがなかったのでしょうかな?」


「ええ。わたしの宿でもダレイム伯爵家の料理長をお招きしているもので、なかなか余所の料理を食べようという気持ちにもなれなかったのですよ」


 そのように答えてから、タパスは食堂の人々を見回した。


「それでは、晩餐を始めましょう。森辺のみなさまがた、賜ります」


 他の主人たちもめいめいの流儀に従って、食前の挨拶をした。

 やっぱりそれが一番長いのは、俺たち森辺の民のようである。小声で食前の文言を唱えたルド=ルウは、「さて!」と嬉しそうに木皿を取った。


「思ったよりも、普通っぽい料理ばっかりみたいだな。でも、美味そうだ!」


「うん。あまり奇をてらってもしかたがないからね」


 しかしこれは、他の宿屋でもギバ肉を買いつけてもらえないかという期待をこめた、いわばプレゼンの場であった。献立に関しては、レイナ=ルウらと入念に打ち合わせをしたのである。


 主菜は2種類、シンプルな肉野菜炒めと、あんかけの肉団子であった。

 汁物料理は、タウ油仕立てのギバ・スープと、クリームシチューだ。

 焼きポイタンも、ささやかながらに細工をほどこしている。

 さらにデザートも用意していたが、それは食後まで取っておくことにした。


「あら、こちらは塩とピコの葉ぐらいしか使われていないようですけれど……それでも、ずいぶんと美味しいのですねえ」


 と、隣のテーブルからジーゼの声が聞こえてきた。

 その手にあるのは、肉野菜炒めの木皿だ。

 使っているのはバラ肉で、野菜はアリアとティノとネェノンとオンダ。ご指摘の通り、調味料には塩とピコの葉しか使っていない。


「脂がたっぷりとのっている胸の肉を使っているので、野菜も焦げついていないでしょう? ギバの肉はただ焼いただけでも美味しいということをお伝えしたくて、その料理も献立に加えさせていただきました」


「なるほど……でも、ピコの葉は使っているのですね」


 それには、少し注釈が必要かもしれなかった。


「森辺では、けっこう好きなだけピコの葉を収穫できるのですよ。だから、肉を保存するのにも塩ではなくピコの葉を使っているのですよね。その料理なんかは、ほとんど肉に付着したピコの葉だけで仕上げているようなものなのです」


「それは羨ましい話ですねえ。べつだん値が張るわけではないですけれど、宿場町ではピコの葉も銅貨を出して買わなくてはなりませんので」


「はい。ですがピコの葉を使うと、料理の味を引き締めることができると思います。自分たちは、たいていの料理でピコの葉を使っていますよ」


 うなずきながら、ジーゼは別の木皿を取った。

 今度は、あんかけ肉団子である。

 そちらを食したジーゼは、「まあ」と目を見開いた。


「逆にこちらは、たいそう手が込んでいるようですねえ……この酸っぱさは、ママリアの酢でしょうか?」


「はい。砂糖を多めに使って、甘めに仕上げています。とろりとしているのは、チャッチの粉を使っているためですね」


「チャッチの粉……? ああ、それに、肉のほうも不思議ですねえ。びっくりするぐらいやわらかいようです」


「それは、刻んだ肉を丸めて焼いているのです。《キミュスの尻尾亭》では、キミュスの肉でも同じような料理をお出ししていますよ」


 そしてあんかけ肉団子のほうでは、肉野菜炒めでも使っている4種の野菜の他に、プラとチャムチャムも使っていた。チャムチャムは、タケノコに似た食材である。和風や中華風の料理を作る際には、出番の多いチャムチャムであった。


 レイナ=ルウが指揮を取っていたギバ・スープとクリームシチューは、宿屋と屋台で売られているものと同一の仕上がりである。

 俺たちのコンセプトは、シンプルな料理とひと手間かけた料理の対比であった。


 ギバ肉は、簡単な料理でも美味しく食べられるのと同時に、あれこれ手を加えても揺るがない存在感がある。俺たちは、その両方の特性をアピールすることに方針を定めたのだ。


 他の卓でも、宿屋の主人たちが歓声やうなり声をあげていた。この中で、初めてギバ料理を口にする人はどれぐらいいるのか、それは不明であったものの、とりあえず感嘆や驚きの念を与えることには成功できたようだった。


「ポイタンも、それぞれ味が違うようだな。こっちのこいつなんかは、色も違っているようだが」


 と、別の卓から名も知れぬ人物がそのように呼びかけてくる。


「はい。ポイタンは、乳脂とカロン乳を使ったもの、キミュスの卵を使ったもの、ギーゴを使ったもの、という3種類をご用意しました。黄色い色をしているのは、卵を使ったポイタンですね」


「ふむ。卵を入れるだけで、ここまで風味が違うものなのか」


「ええ。宿場町ではあまり卵が使われていないようですが、使い道は多いと思います。それほど値の張る食材でもありませんしね」


 最近では目新しい食材が一気に増えてしまったため、相変わらずキミュスの卵というのはなりをひそめてしまっているのだった。貧しい家では肉ではなく卵を食べる、という定説から、客商売の場では遠ざけられることになった気の毒な食材なのである。


「本当にどの料理も美味しいですねえ。ますますギバの肉を買わせていただきたくなってしまいました」


 ジーゼは、そのように言ってくれた。

 すると、そこにまた傲岸そうな女性の声がかぶさってきた。


「予想通りというか何というか、見事にギバ料理づくしだね! まったく、露骨なことをしてくれるもんだよ」


《アロウのつぼみ亭》のレマ=ゲイトである。

 笑顔でクリームシチューをすすっていたナウディスが、彼には珍しいじとっとした目でそちらを見やる。


「レマ=ゲイトは、ひと口も召し上がっておられぬようですな。カロンやキミュスの料理をお持ちしましょうか?」


「けっこうだよ。間違ってギバの肉でも食わされたら、たまったもんじゃないからね」


 すると、ミラノ=マスも苛立たしげな視線をそちらに向けた。


「お前さんの偏屈っぷりも見上げたもんだな。俺のように家族を殺されたわけでもないのに、そこまで森辺の民を忌み嫌う理由はあるのか?」


「はん! あたしは筋を通さない人間が大ッ嫌いなだけさ。さんざん町を騒がせておいて、あたしらに頭を下げようともしない、森辺の蛮族も城下町の貴族どもも、一生関わりたくないもんだね」


「またそれか。大罪人どもはすべて処断されたと言ってるだろうが? たいていの人間は、貴族どももたまには公正な裁きをするものだと見直したはずだぞ」


「あたしはそのお裁きとやらをこの目で見たわけでもないからね。10年前には《赤髭党》の連中が身代わりで首を刎ねられたってのに、森辺や貴族の大罪人どもは、みんなのうのうと生き残ってるんだろう? そいつのどこが公正な裁きだってのさ?」


「また、古めかしい話を持ち出しおって……その《赤髭党》の残党とやらも、森辺の民や貴族どもを許したという話だろうが?」


「それだって、貴族どもが綺麗事を並べてるだけだろ? せっかく生き残った残党たちが、陰でこっそり処刑されていたとしても、あたしはちっとも驚かないね!」


 ミラノ=マスは、仏頂面で俺たちのほうを向いてきた。

 ジーダやバルシャは、混乱を避けるために、町では素性を隠しているのである。彼らが赤髭ゴラムの伴侶と遺児であるということは、森辺の民とごく近しいミラノ=マスのような人々にしか明かされていなかったのだった。


「……ひとつ、よろしいでしょうか?」


 と、今度はレイナ=ルウが声をあげた。

 レマ=ゲイトは、面倒くさそうにそちらを振り返る。


「何だい、森辺の別嬪さん。あたしはこう見えても女だから、色仕掛けなんかは通用しやしないよ」


「先の一件で大罪人とされた森辺の元族長ズーロ=スンは、死よりも苦しい苦役の刑という罰を与えられたと聞いています。また、貴族の大罪人2名も、それぞれ苦役の刑と、あとは一生を牢獄で過ごすという重い罰を与えられたはずです。それでもあなたは、公正な裁きではなかったと仰るのですか?」


「だから、そんなのは貴族が勝手に言ってることだろ? 本当にそいつらが罰を与えられたのか、誰にも証しだてることはできないだろうさ。特に貴族の罪人なんてのは、城の中でこっそり美味いもんでも食べてるんじゃないのかねえ」


「……あなたは、そこまでを疑っているのですか」


 レイナ=ルウは、悔しげに唇を噛みしめた。

 あまり目立ったことをしたくなかった俺も、それで発言する覚悟を固めることができた。


「レマ=ゲイト、俺からも言わせていただきます。トゥラン伯爵家の大罪人サイクレウスとシルエルの両名は、こともあろうにジェノス領主マルスタインのご子息であるメルフリードに、文字通り弓を引いたのですよ。そんな大罪人たちを、伯爵家よりも高い身分にあるジェノス侯爵家の人々が許すとお思いですか?」


「領主の息子に弓を引いたってのは何の話だい。そんな話は初耳だね」


「彼らはあまりに多くの罪を犯していたために、そういった話は埋もれることになってしまったんでしょう。彼らは森辺の族長たちとの会談の場で旧悪を暴かれたために、逆上して、立会人のメルフリードもろとも関係者を皆殺しにしようとしたんです。そこまでの罪を犯した人間が、ジェノス領主マルスタインに許されることは決してありえないと思います」


「はん。まるで見てきたみたいに語るもんだね」


「はい。俺もその場に立ちあっていましたよ。森辺に住みついた異国人の処遇を決めるということで、俺もその会談の場に呼び出されていたのです」


 レマ=ゲイトはうろんげに目を細めて、俺の姿をじろじろと見回してきた。


「……なるほどね。そういえば、あんたはしょっちゅう城下町に呼び出されてるらしいね。貴族どもとは、べったりの間柄ってわけか」


「そんな人間は、信用できませんか? まあ、初対面なのですから、それも当然かもしれませんが」


 俺は精一杯の誠意を込めて、そのように答えてみせた。


「ご覧の通り、俺は森辺の生まれではありません。でも、もう一年近くも森辺の集落で暮らして、森辺の民がどれほど心正しい人々であるかを知ることができました。そして、宿場町の人たちや、城下町で顔をあわせる何人かの人たちにも、それと同じぐらいの信頼や友愛を感じることができています。だからこそ、俺は森辺と宿場町と城下町とで正しい縁を結べるように、なけなしの力を振り絞っているのですよ」


「ごたいそうなことを言うもんだ。ま、あんたの人生なんだから、あんたの好きにすりゃいいさ」


 何の感銘を受けた様子もなく、レマ=ゲイトは肉厚の肩をすくめた。

 その様子を見て、俺は思わず笑ってしまう。


「もちろん好きにさせていただきますよ。さしあたっては、あなたと正しい縁を結べるように努力させていただきます」


「あん? あたしことなんざ、放っておきな。どうせ他の連中は、ギバ肉欲しさに尻尾を振ってすり寄っていくだろうからさ」


「それでも、あなたのことを放っておくわけにはいきません。嫌うなら、森辺の民のことをきちんと知った上で嫌ってください。そうしたら、俺も打つ手はなくなるでしょうから」


 俺がそのように述べたとき、入り口のほうから「うひゃあ!」というわめき声が聞こえてきた。

 何気なく振り返った俺も、思わず木匙を取り落としてしまう。が、他の人々の驚きは、それとも比較にならぬほどであった。


「晩餐の最中に邪魔をする。宿屋の寄り合いというものは、この場で開かれているのだな?」


 地鳴りのように重々しい声が、食堂に響きわたる。

 いったい誰が、このような事態を想定できたであろうか。

 何とそれは、森辺の族長ドンダ=ルウであったのだった。


 さらにその背後から、ドンダ=ルウよりも巨大な影が押し寄せてくる。

 その姿を見た瞬間、食堂のあちこちから悲鳴まじりの声があがった。


 ミダ=ルウである。

 ミダ=ルウまでもが、やってきたのだ。

 並の人間の3倍ぐらいの質量を持つミダ=ルウが、のしのしと食堂の中に踏み入ってくる。燭台だけが目の頼りである薄明かりの中で、その巨体はとてつもない威圧感を放ってしまっていた。


「い、いったい何事ですか!? これ以上、森辺の民が寄り合いにやってくるとは聞いていないのですが……」


 震える声で、タパスがそう言った。

 俺たちの卓の近くで足を止めたドンダ=ルウは、底光りする青い目でそちらをじろりとにらみつける。


「……会議の邪魔をして悪いと思っている。しかし、こちらにも事情があるのでな」


 すると、ミダ=ルウの陰からふたつの小さな人影が進み出た。

 シン=ルウとツヴァイ=ルティムである。

 その姿を見て、ポイタンをかじっていたルド=ルウがきょとんと目を丸くした。


「おい、お前ら、何やってんだよ?」


「うむ。ツヴァイ=ルティムがどうしてもミダ=ルウを連れてくると言ってきかなかったのだ。しかたないので、宿屋の人間に荷車を返してもらい、ルウの集落まで走らせることになってしまった」


「ふーん。で、親父は何のためにひっついてきたんだ?」


「族長として、知らぬ顔を決め込むことなど許されまい。ましてや、ミダ=ルウもツヴァイ=ルティムもルウの血族であるのだからな」


 そうしてドンダ=ルウは、野獣のように光る眼光でその場を見回していった。


「俺は森辺の三族長のひとり、ルウ家の家長ドンダ=ルウというものだ。このミダ=ルウのかつての行いに腹を立てている者がいると聞いて、この場を訪れることになった」


「……いったい、何だってのさ? こんな人目のある場所で、あたしをくびり殺そうってのかい?」


 レマ=ゲイトが、ひび割れた声でそう述べた。

 顔色は真っ青であるが、その表情には怒りに近い感情が満ちみちている。恐らくは、ドンダ=ルウとミダ=ルウに対する恐怖心を、全力でねじふせているのだろう。

 ドンダ=ルウは、そんなレマ=ゲイトのほうにゆらりと向きなおった。


「かつてミダ=ルウに屋台というものを壊されたのは、貴様か?」


「ああ! だったら、どうしたっていうんだい!」


 ドンダ=ルウは、壁のほうに身を引いた。

 すると、その空いたスペースに、ミダ=ルウがずしんとひざまずいた。

 その行動からもたらされた地響きに、また何名かが悲鳴のような声をあげる。


「ごめんなさい……あの頃のミダは、とても悪い人間だったんだよ……?」


 ミダ=ルウの子豚のように小さな目が、食い入るようにレマ=ゲイトを見つめる。

 レマ=ゲイトは、ぎゅっと口もとを引きしめながら、その巨体をにらみ返していた。


「ミダは……悪いとか、正しいとか、そういうことがわからなくて……ただ、美味しいものを食べたくて……美味しいものを食べてるときだけ、悲しい気持ちにならなかったから……だから、美味しいものを買ったはずなのに、それが美味しくなかったら、とってもとっても悲しい気持ちになって……全部、壊したくなっちゃったんだよ……?」


「……何を言っているのか、さっぱりわからないよ。まずい料理を出す屋台なんて、ぶっ壊されるのが当然ってことかい?」


 振り絞るような声で、レマ=ゲイトはそう言った。

 それでもこのような場で気丈に振る舞えるこの女性の胆力は、生半可なものではなかっただろう。

 ミダ=ルウは、とても悲しげに頬の肉をぷるぷると震わせている。


「悪かったのは、ミダなんだよ……? ミダは、スン家のみんなが仲良くないのが、とても悲しくて……悲しい気持ちをどうすればいいのか、全然わかんなくて……だから、ええと……自分の苦しさを周りの人間にぶつけてたんじゃないかって、ミーア・レイ=ルウはそんな風に言ってたんだよ……?」


「だから、何を言ってるのかわからないって言ってるんだよ!」


 たまらずレマ=ゲイトがわめき声をあげると、ドンダ=ルウがしかたなさそうに口を開いた。


「このミダ=ルウは、この世に生を受けてから、森辺の掟もジェノスの法も教わることがなかったので、善悪の区別がつかない人間に育ってしまったのだ。それで、町でも何度となく無法な真似を繰り返すことになってしまったが……しかし今では、それが重い罪であるということを知っている」


「うん……ミダはもう、絶対に悪いことはしないんだよ……?」


 ミダ=ルウの小さな目から、ふいに大粒の涙がこぼれた。


「ミダはルウ家の氏をもらって、ミダ=ルウになったんだよ……? だからもう絶対に、悪いことはしないんだよ……? ミダのことを許せないなら、いくらでも叩いていいから……これからも、森辺の民として生きていくことを許してほしいんだよ……?」


「おい、ミダ=ルウ! 頼むから、こんなところで泣き声をあげるんじゃねーぞ?」


 と、ルド=ルウが耳もとを押さえながら、椅子ごと後ずさった。

 去りし日に、他者の鼓膜を叩き破りそうな泣き声をあげていたミダ=ルウの姿を思い出したのだろう。

 ミダ=ルウはぐしぐしと鼻をすすりながら、「うん……」と弱々しく答えていた。


「ミダ=ルウは、善と悪の区別を知った。よって俺は、ミダ=ルウを血族と認めて、ルウの氏を授けることになった。300と30日、こいつと同じ場所で暮らし、ともにギバ狩りの仕事を果たして、そのように判断したのだ。今後、ミダ=ルウが罪を犯したときは、ルウの家長として俺も罰を受ける覚悟だ」


 ドンダ=ルウが、重く響く声でそう言った。


「しかしまた、かつては貴族たちがスン家の罪を不当にかばっていたと聞く。その頃の恨みが晴らされていないというのならば、俺も血族の長として、ともに話を聞かせてもらおう」


「い、いえ、今さらそのように昔の話を蒸し返しても……」


 と、タパスが震える声で口をはさんできた。

 レマ=ゲイトは、口もとを引き結んだまま、ミダ=ルウとドンダ=ルウの姿を見比べている。


「……それじゃあ、俺からも聞かせてもらおうか」


 と、別の声が余所からあがった。

 振り返ると、それは《西風亭》のサムスであった。


「森辺の民がひどい騒ぎを起こしていたのは、もう10年も前の話だろうさ。しかし、ここ数年でも騒ぎを起こす人間がいなかったわけじゃない。そのでかい図体をした森辺の民のことも、俺は噂で聞いていたが、それ以外にも若い荒くれ者は何人かいたはずだろう?」


 ドンダ=ルウもそちらに目を向けて、「うむ」とうなずいた。


「町で騒ぎを起こしていた森辺の民は、もうひとりいる。かつてこのミダ=ルウの兄であった、ドッドという男だな。そちらのシン=ルウぐらいの背丈で、もう少し肉のついた身体つきをしており、いつも果実酒を持ち歩いていた男だ」


「悪さをしていたのは、そのふたりきりだけだったってのか?」


「ああ。あるいは他にもいたのかもしれんが、他の悪党どもはこの10年の間で全員死に絶えている。町で悪さをしたという罪に問われたのは、このミダ=ルウとドッドのみだ」


 サムスは古傷のある首もとをさすりながら、「ふむ」と鼻を鳴らした。


「ちなみに、そのドッドとかいう悪党も、同じような罰を受けたのか?」


「無論だ。ドッドもスン家とは血の縁を絶たれて、ドム家という氏族に引き取られることになった」


「それで、いまだに氏がないということは、正しき心を取り戻していないということなのでしょうかねえ?」


 そのように発言したのは、老女ジーゼであった。

 ドンダ=ルウたちを恐れている様子もなく、やわらかい表情だ。

 ドンダ=ルウは、けげんそうにそちらを見る。


「ドッドに足りないのは、正しさではなく強さであると聞いている。酒さえ飲まなければ悪さをできるような人間でもないが、身も心も森辺の民にあるまじき弱さであるということで、いまだに氏は与えられていないそうだ」


「なるほどねえ……森辺の狩人というのは、みんなあなたがたのようにお強そうな人ばかりなのかと思っていましたよお」


「スン家の人間は狩人としての仕事を果たしていなかったのだから、強き力を育まれることもなかったのだろう。先日などはギバの牙に足を刺されて、危うく魂を返すところであったようだしな」


「あれまあ、お気の毒に……それで今は、どうなさったのです?」


「……どうなさったとは?」


「生命を失いかねない傷を負ったのに、そのドッドという御方はまだ狩人として働かされているのでしょうか?」


 ドンダ=ルウは、ますますけげんそうに眉をひそめた。


「それ以外に、生きる道はないからな。力が及ばず魂を返すことになれば、それが森の裁きというものだ」


「へえ……あたしなんかには、それこそ死よりも恐ろしい罰であるように思えてしまいますねえ。狩人としての力も持たないのに、ギバがうじゃうじゃいる森の中に放り込まれるなんて、想像しただけで背筋が寒くなっちまいますよお」


 そのように述べてから、ジーゼはドンダ=ルウの足もとにひざまずいたミダ=ルウに微笑みかけた。


「それじゃあ、あなたは正しい心と強い力の両方を認められて、この方々に血族と認められたってわけですねえ、ミダ=ルウ?」


「うん……? ミダはルウ家の人間として、正しく生きていかなきゃいけないんだよ……?」


 ミダ=ルウは、涙に濡れた目できょとんとジーゼを見返していた。

 それを満足そうに見やってから、ジーゼはレマ=ゲイトを振り返った。


「どうでしょうねえ、レマ=ゲイト? あなたは屋台を壊されながら、おわびの言葉もなかったことに憤っておられたのでしょう? こうしてこの子は頭を下げているのだから、今度こそ手打ちにしてもいいのではないでしょうかねえ?」


「…………」


「古き血の一族であるあなたなら、氏というものの大切さは誰よりもわかっているのでしょう? ゲイトの氏を奪われて、余所の家に引き取られるなんて想像してみたら、それがどれほど重い罰であるかもわかるんじゃないですかねえ?」


「はん! 無関係のあんたに偉そうな口を叩かれる覚えはないね! こんなもん、謝罪されてるんだか脅されてるんだかわかりゃしないよ!」


 その言葉に、ドンダ=ルウは針金のような髭に覆われた下顎を撫でさする。


「脅す気なんざはさらさらないんだがな。俺とミダ=ルウの見てくれでそんな風に思わしちまったんなら、いちおうそいつも詫びておこう」


「そりゃー親父たちは森辺の狩人としてもとびきり図体がでけーからな。町の人間にしてみりゃあ、ギバと向かい合ってるような心地なんじゃねーの?」


 ひとりで食事を再開させていたルド=ルウが、場違いなぐらい陽気な声でそう言った。

 ドンダ=ルウは「うるせえぞ」と言い捨て、ジーゼは楽しそうに微笑む。


「あたしは母親がシムの生まれですし、宿でもたくさんの東の方々をお相手してるんで、人のお気持ちというものを察するのには、ちょいと自信があるんですよお。あなたがたがどれほど真剣なお気持ちでレマ=ゲイトにおわびしようと考えているか、あたしには痛いほど伝わってきますねえ」


「うん! ドンダ父さんもミダ=ルウもすっごく優しいから、何も怖がる必要はないよ!」


 と、リミ=ルウまで元気いっぱいに援護射撃をした。

 ジーゼの優しげな眼差しが、そちらを見る。


「同じ氏だとは思っていたけれど、こちらの御方はあなたのお父様だったのですねえ、リミ=ルウ?」


「うん! リミとレイナ姉とルドはドンダ父さんの子だよ! シン=ルウは分家の家長で、ミダ=ルウはもうすぐその家の家人になるんだよね!」


 さきほどから、張り詰めていた空気がじわじわと緩んでいっているのを、俺は感じ取っていた。ドンダ=ルウたちに害意がないと知れてきたところに、リミ=ルウたちの元気な声が響いて、ようやく緊張が解けてきたのだろう。


「……それで、ミダ=ルウが町の人間から許しを得るには、どういった措置が必要だろうか?」


 ドンダ=ルウがあらためてそのように述べると、レマ=ゲイトは「ああもう!」とわめき声をあげた。


「とりあえず、うちの屋台が壊された話は、これで手打ちにしてやるよ! それ以外の連中のことは、あたしの知ったことじゃないからね!」


 すると、遠い席に陣取っていた初老の人物もおずおずと発言した。


「じ、実は俺も、そいつに屋台を壊されたことがあったんだが……城の人らにどっさり銅貨をもらってたから、べつだん気にしちゃいないよ」


「お、俺もだ!」と別の席からも声があがる。

 ドンダ=ルウは眉をひそめて、ミダ=ルウをねめつけた。


「貴様はいったい、いくつの屋台をぶち壊したのだ? これでは、恨みを買うのが当然だ」


「……ごめんなさいだよ……?」


「俺に謝っても始まらん。いい機会だから、貴様が迷惑をかけた全員の人間に謝っておけ」


「うん……」とうなずくや、ミダ=ルウはのそのそと立ち上がり、声をあげた主人たちの卓を回り始めた。

 軽食の屋台を出すのはほぼ宿屋の関係者であるので、この場にはミダ=ルウが謝罪するべき相手が勢ぞろいしていたわけである。

 思わぬ事態になってしまったが、これはミダ=ルウにとって必要なことなのだろうとも思えてしまった。


 ツヴァイ=ルティムは終始無言で、そんなミダ=ルウの巨体をじっと見守っている。

 口をへの字にした仏頂面であるが、これこそ彼女の望んでいた結末であるに違いない。レマ=ゲイトを納得させるには、ミダ=ルウ本人と言葉を交わさせるしかない、と考えたのだろう。


「……ツヴァイ=ルティムが何を騒ごうと、シン=ルウだったらそれを止められたはずだよな」


 と、ルド=ルウがこっそりシン=ルウに呼びかけている声が聞こえた。


「それでも止めなかったってことは、けっきょくシン=ルウもミダ=ルウを連れてきたかったってことなんだろ?」


「ああ。ミダ=ルウは、俺にとっても大事な血族だからな。とうてい放ってはおけなかったのだ」


 シン=ルウは、すました顔でそのように述べていた。

 ミダ=ルウの家はシン=ルウの家のすぐそばにあったし、晩餐などは、今でも一緒に食べている。そして、シーラ=ルウとダルム=ルウが新たな家に住むのと時期を同じくして、ミダ=ルウはシン=ルウ家の家人になることが決定されていたのだった。


 ともあれ、これでミダ=ルウも、今後は気軽に宿場町へと下りられるようになるだろうか。

 スン家のもたらした悪縁がまたひとつ解きほぐされたような心地がして、俺はひとりで感慨にふけることになってしまった。

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