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異世界料理道  作者: EDA
第二十七章 朱の月は恋の季節
471/1704

収穫祭と生誕の祝宴⑥~想い~

2017.6/9 更新分 1/2

 それからしばらくの後、俺たちは再び石窯の料理を供してみせた。

 最初と変わらぬ勢いで、料理は次から次へと減っていく。さきほど食べそこなった人々が、評判を聞きつけて押し寄せることになったのである。


「ほんとに凄い騒ぎだなあ。アスタ、この料理の作り方も、いつかあたしたちに教えてよ?」


 そのように呼びかけてくるララ=ルウに、俺は「もちろん」と応じてみせた。

 そうして10分ていどで仕事を終えてしまった俺たちは、かまど巡りを再開させる。その途中で、やいやい言い争いをしている一団と出くわすことになった。


「あれ? いったいどうしたんですか?」


 言い争っているのは、ヴィナ=ルウとユーミであった。そして、その狭間に立たされていたシュミラルが、安堵の面持ちで俺を振り返ってくる。


「アスタ、いいところ、来てくれました。私、とても困っています」


「ええ、そのようですね。ユーミ、いったいどうしたんだい?」


「んー、別に大したことじゃないんだけどさ。ヴィナ=ルウがムキになって、あたしの話を聞いてくれないんだよ」


「誰もムキになんてなってないわよぉ……あなたが勝手に騒いでいるだけでしょう……?」


 この両名はもうずいぶん長いつきあいであり、なおかつなかなかの仲良しであったはずなのだ。そんな彼女たちが言い争いをしてしまっているのは、少しばかり不穏であった。


「あたし、このシュミラルってお人と語らってただけなんだよね。そしたらヴィナ=ルウが誤解しちゃったみたいだから、何も心配する必要はないって説明してただけなの」


「だから、誤解も心配もしてないわよぉ……憶測で、勝手なことを言わないでもらえるぅ……?」


「だって、恨みがましい目つきでじとーっと見てたじゃん。あたしがヴィナ=ルウのいい人にちょっかい出すわけないのにさー」


「だから、わたしとこの人はそんなんじゃないって言ってるでしょう……?」


 気の毒なヴィナ=ルウは、顔から首もとまで赤くしてしまっていた。

 何となく状況のつかめてきた俺は、ユーミだけを招き寄せる。


「えーとね、ユーミ。森辺の人たちってのは色恋沙汰に対してとても奥ゆかしい向き合い方をしているから、あまり明け透けに語ってしまうと波風が立ってしまうんだよ」


「えー? あたし、何もおかしいことは言ってないつもりだけどなあ」


「うん、だけど、ふたりはまだ婚儀の約束をしたわけでもないから、『いい人』呼ばわりするだけでも照れくさくなっちゃうんだと思うよ」


「何それ! 初心な小娘でもあるまいし!」


 ユーミが大声をあげてしまったので、またヴィナ=ルウがじとーっとにらみつけてきた。

 シュミラルは、すがるような目つきで俺を見つめている。


「とにかくさ、ふたりのことはそっとしておきなよ。そもそも、シュミラルと何を話していたんだい?」


「そりゃあもちろん、あのお人の心意気ってやつを聞かせてもらってたのさ。神を捨ててまで森辺に婿入りしたいだなんて、今のあたしにとっては一番興味のひかれる相手だからね。……でもまあ、ここはアスタに従っておくよ」


 そのように述べてから、ユーミはヴィナ=ルウたちのほうをくるりと振り返った。


「お邪魔しちゃって悪かったね! 悪気はなかったから許しておくれよ! ふたりは、とってもお似合いだと思ってるからさ!」


 本当に俺の言葉を理解していたのかどうか、ユーミはそんな言葉を残して足早に立ち去っていった。

 気の毒なヴィナ=ルウは赤い顔でわなわなと震えており、シュミラルはまだ俺のことを見つめている。こんなふたりを残していくのは、ちょっと心配なところであった。


「ユーミは、町の人間ですからね。まだあんまり森辺の流儀がわかっていないんですよ。あまり気にしないほうがいいです」


「…………」


「シュミラルも、宴を楽しんでいますか? こんなに大きな宴は初めてでしょう?」


「はい。ミンとムファ、婚儀の祝宴、同行、許してもらえましたが、これほど大きな宴、初めてです」


 朱の月に入ってすぐに、ミンとムファで婚儀があげられた。そのときはミンの集落で祝宴が行われて、眷族からは数名ずつ招かれたそうなのだ。ルウの広場で大々的な祝宴が催されるのは、ガズラン=ルティムぐらい立場のある人物のときのみなのである。


「みな、幸せそうです。私、新参者ですが、やはり、幸せです。ルウの血族、家人、なれたこと、幸福、思います」


「ええ、本当に。収穫祭というのは、婚儀と並んで一番のお祝いですからね。しかも最長老の生誕の祝いまで兼ねているのですから、誰もがこれ以上もなく幸福な気持ちでいることでしょう」


 シュミラルは、「はい」とうなずいた。

 革の長マントは纏っていない、身軽な格好である。他の男衆と異なるのは、腕や胸もとにたくさんの飾り物を下げていることと、角と牙の首飾りをしていないことだった。


 角と牙の首飾りは、自分の手でギバを仕留めた狩人に贈られるものであるらしい。そして、2頭の猟犬を使って大いに貢献しているシュミラルであるが、まだその手の刀でギバを斬り伏せた経験はないのだ。狩りの際に纏うギバの毛皮のマントも、家人の予備分を借りているという話であったのだった。


 かがり火の明かりに照らされて、白銀の長い髪がきらきらと輝いている。そのきらめきの向こう側から俺のことを見返しつつ、シュミラルはさらに言いつのった。


「それに、ミダ=ルウ、オウラ=ルティム、ツヴァイ=ルティム、氏を授かる日、立ちあえて、嬉しかったです。私、氏をもらえるよう、いっそう励みたいと思います」


「きっとシュミラルなら、すぐに認めてもらえますよ。なんといっても、猟犬を森辺にもたらした功労者なんですから」


 シュミラルとは、話が尽きることもない。

 が、あんまりつらつらと言葉を重ねてしまうと俺まで反感をくらってしまいそうなので、ヴィナ=ルウのほうにも水を向けることにした。


「ヴィナ=ルウも、最長老の付き添い、お疲れさまでした。もう料理は口にしましたか?」


「ううん……ついさっき、ようやく動けるようになったところだから……」


「それなら、一緒にかまどを巡りましょうよ。俺もまだ、半分ぐらいしか回っていないんです。シュミラルも、よかったら一緒にどうです?」


「ありがとうございます。是非、お願い、したいです」


 そうして俺たちは、4人で広場を巡ることになった。

 シュミラルとヴィナ=ルウは、未婚の男女として適切な距離を取りつつ、並んで歩いている。長身で知られるシム生まれのシュミラルであるので、身長差は20センチにも及ぶだろう。玉虫色のヴェールで彩られたヴィナ=ルウの頭は、シュミラルの肩ぐらいにしか届いていない。


(こうしてあらためて見ると、ずいぶんお似合いのふたりじゃないか)


 俺は内心でこっそりそうひとりごちることになった。

 ヴィナ=ルウが容姿に恵まれているというのは万人の認めるところであるし、すらりとしたシュミラルも見栄えはかなりいいほうだと思う。切れ長の目に高い鼻、薄い唇に引き締まった頬というのも、俺の美的感覚に照らしあわせると、まあ男前の部類であった。


 それにシュミラルは沈着で、周囲の人までをも落ち着かせてくれる独特の空気を有している。なおかつ、若い身で商団を率いてきたという経験からか、風格もたっぷりであるのだ。凄まじいまでの生命力を発散させる森辺の狩人に囲まれても、見劣りしない確かな存在感があった。


(ミダたちが氏をもらえるようになるまで、だいたい11ヶ月かかったのか。罪人だったミダたちと、異郷生まれのシュミラルだと、どっちが時間のかかるものなんだろう)


 しかし、それを決めるのはリリンの家長ギラン=リリンだ。なおかつ、ヴィナ=ルウとの婚儀をあげるのには、ドンダ=ルウの了承も必要となる。シュミラルが森辺の家人となって、3ヶ月と少し――まだまだ焦るような時期ではないはずだった。


「あ、アスタ! ようやくお会いできましたね!」


 と、手近なかまどに寄っていくと、そこにはマイムが待ち受けていた。

 そのそばの敷物には、ミケルとバルシャとジーダが顔をそろえている。その他にも、たくさんの人々がマイムの料理に舌鼓を打っていた。


「石窯の料理、わたしも口にすることができました! 何というかもう、言葉にならないぐらい美味しかったです!」


「マイムにそう言ってもらえたら光栄だよ。3つの料理で、どれがお気に召したかな?」


「えー! どれかひとつなんて選べません! ……それでも無理に選ぶとしたら、やっぱり帽子焼きでしょうか」


「帽子焼き? ……ああ、グラタンのことか。そういえば、ジェノスにもああいう料理が存在するんだったね」


「はい! 乾酪は高いので、わたしは口にしたことがありませんけれど」


 俺が口にしたのは、城下町においてだ。作製したのは、ティマロである。たしかポルアースあたりが好物であると言っていたような覚えがあった。


「しかし、あの料理には香草が使われていなかったな。城下町における帽子焼きというのは、カロンの乳に香草で強い香りをつけ、フワノの団子を投じて、乾酪で蓋をする、という料理であるはずだ」


 敷物に座したミケルが、むっつりとした顔でそのように述べてきた。


「確かに俺が口にした帽子焼きもそういう料理でした。でもさっきのは、俺の故郷のグラタンという料理なのですよ」


「ふん。まあ、そんなことだろうと思っていた。あれは城下町でもたいそうな評判を呼ぶだろうな」


 機会があれば、ポルアースに食べていただきたいところであった。

 しかし今は、それよりもマイムの料理である。


「マイム、俺たちにもそいつをいただけるかな?」


「はい! アスタに感想をいただけたら、嬉しいです!」


 マイムは鉄鍋で煮込まれていた料理を木皿で一杯すつ、俺たちに取り分けてくれた。


 昼下がりからずっと煮込み続けていた、汁物料理である。

 透き通った黄金色で、表面にはうっすらと油膜が張っている。とても芳しい、テールスープのような香りであった。


 そのスープの底には、さまざまな野菜とギバ肉が沈められている。マイムは高価な食材になかなか手を出そうとしないので、チャッチやネェノンやプラといった、誰にとっても馴染みの深い野菜ばかりが使われているようだった。


 それをひと口すすったシュミラルが、静かに「美味です」と感想を述べる。

 木匙で具材を食したヴィナ=ルウは、「本当だわぁ……」と感じ入ったように声をあげた。


 俺も意を決してスープからいただいてみると、とたんに芳醇な味が口の中に広がっていった。

 おそらく、カロンの足の骨で出汁をとっているのだろう。香りも風味も豊かであり、それでいて後味はすっきりとしている。とても上品な味わいである。


 調味料は、最低限におさえられているようだ。塩と砂糖とタウ油ぐらいは使っているのかもしれないが、まさしく味を調えるぐらいにしか使われていないに違いない。その代わりに、ミャームーの香りがほのかに漂っていた。


 具材は入念に煮込まれており、とてもやわらかい。

 初見では気づかなかったが、ヤマイモのようなギーゴやダイコンのようなシィマも使われているようだ。俺としては、この芳醇なスープをふんだんに吸い込んだシィマがとてつもなく美味に感じられてしまった。


 そして肉は、ギバのバラ肉である。

 ギバ肉もまた煮込めば煮込むほどやわらかくなる性質であるので、野菜と同じぐらい容易く噛むことができた。脂の部分などは、ほとんどゼラチン質に変化してぷるぷるの食感だ。


 やはり食材の旨みを引き出すという手練に関して、マイムの腕前はずば抜けている。調味料も、肉も、野菜も、カロンの骨の出汁の中で見事に調和して、おたがいの旨みを引き立てあっているかのようだった。


「ああ、これは美味しいね……森辺の民の作るギバのスープとはまた違う美味しさだと思うよ」


「はい。カロンの骨の出汁とギバ肉の風味が調和するように、なんべんも試作を繰り返したんです」


 笑顔でそのように応じてから、マイムはちょっと心配げにジーダのほうを振り返った。


「あの、お味のほうはいかがですか?」


「美味い。……というか、俺は家でも何回か食べさせられているが」


「でも、その頃とは煮込む時間や味付けも少し変えているのです」


「俺にそんな小さな変化はわからない。前からこの汁物料理は格別に美味いと感じていた」


「そうですか」とマイムは顔を輝かせた。

 その頬にうっすらと赤みがさしているのに気づいて、俺はあれれと首を傾げる。


(そういえば、マイムとジーダが会話してるところってそんなに見たことがなかったけど……もうけっこう長いこと、同じ家で暮らしてるんだよな)


 で、ジーダは15歳であり、マイムは11歳である。マイムのほうはまだ婚儀がどうのという年齢ではなかったが、何というか、彼女がこんな風に異性を意識するような仕草を見せるのは初めてであるように感じられた。


(でも、マイムって精神年齢が高そうだもんな。無邪気は無邪気だけど、ララ=ルウより大人っぽく感じられるときがあるぐらいだし)


 まあ何にせよ、森辺の客分という特殊な立場にあるふたりが順当に親交を深められているのならば幸いであった。

 黙々と食事を続けるジーダのかたわらでは、陽気に笑うバルシャと仏頂面のミケルが静かに言葉を交わしている。こちらはこちらで一回りほどの年齢差があったが、おたがいに伴侶をなくした者同士であるのだった。


(出自は狩人で盗賊団に身を投じたバルシャと、城下町で高名な料理人だったミケルか。普通に暮らしていたら、絶対に顔をあわせる機会もなかったんだろうな)


 それが、森辺の集落でひそやかに交流を重ねている。思えばこれも、不可思議な縁であった。


「おお、シュミラル。このようなところにいたのか。捜したぞ」


 と、朗らかな男性の声で呼びかけられる。

 振り返ると、そこに立っているのはリリン家の家長夫妻であった。


「美味そうなものを食べているな。俺たちにももらえるか?」


「はい、どうぞ! お熱いのでお気をつけください」


 にこにこと笑うギラン=リリンのかたわらで、ウル・レイ=リリンもひっそりと微笑んでいた。

 相変わらず、妖精のように不思議な雰囲気を纏った女性である。ものすごく細くて、美人で、森辺には珍しい金褐色の髪をしている。未婚ではないので、飾り物は申し訳ていどだ。


「実はな、シュミラルを連れて眷族のもとを巡ろうと思っていたのだ。何せルウの血族は100人ばかりもいるのだから、こういう機会に絆を深めねばなるまい」


「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 そのように述べてから、シュミラルが俺のほうを見た。


「どうぞ俺のことはお気になさらず。シュミラルを独り占めするわけにはいきませんからね」


「はい。申し訳ありません、アスタ」


 そうしてシュミラルは、ヴィナ=ルウのほうを見た。

 ヴィナ=ルウは、空っぽになった木皿で顔の下半分を隠している。


「わたしのことだって、気にする必要はないでしょう……? 今のあなたには、眷族と絆を深めることが一番大事なんでしょうからぁ……」


 すると、ウル・レイ=リリンが「あら」と声をあげた。


「よかったら、ヴィナ=ルウもご一緒しましょう。せっかくお会いできたのですから」


「ええ……? リリンの話に、わたしは関係ないでしょう……?」


「家のことは関係ありません。わたし自身が、ヴィナ=ルウとご一緒したいのです」


 ウル・レイ=リリンは伴侶のもとを離れると、ヴィナ=ルウの腕をふわりと空気のように包み込んだ。

 淡い水色の瞳が、一種幻想的な光をたたえて、ヴィナ=ルウを見つめる。


「ねえ、いいでしょう? わたしはもっと、あなたとも縁を深めたいのです、ヴィナ=ルウ」


 ひょっとしたらウル・レイ=リリンは、ヴィナ=ルウとシュミラルを引き離さないようにと、そんな風にふるまっているのだろうか。

 その真意ははかれなかったが、ヴィナ=ルウとしても頑なに固辞することはできないようだった。


「では、かまどを巡りながら挨拶を済ませるか。アイ=ファにアスタ、後でまたゆっくりとな」


「はい。またのちほど」


 ということで、俺たちは早々にシュミラルたちと行動を別にすることになった。

 木皿を台に戻しながら、俺はアイ=ファを振り返る。


「それじゃあ、俺たちもかまど巡りを再開させようか」


「うむ」


 何だか今日は、他の人々も慌ただしく広場の内部を行き来しているように感じられた。

 収穫祭と、最長老のお祝いと、それに氏の授与というおめでたい話が重なったのだ。それで、普段以上の盛り上がりを見せることになったのかもしれない。


 途中で、ミダたちが――いや、ミダ=ルウたちがさまざまな人々に囲まれている場面を目撃した。ジィ=マァムや名も知れぬ狩人たちは果実酒の土瓶を振り上げて、女衆や幼子たちは楽しげな笑い声をあげている。人垣に埋もれてしまっているが、ツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティムはどのような面持ちをしているのだろう。


 また、少し離れたところではヤミル=レイが若い娘たちと語らっていた。珍しく、ラウ=レイとは別行動のようだ。めったに笑顔を見せないヤミル=レイであるが、遠目にも、彼女が心からくつろいでいるのが感じられた。


(他のみんなも氏を授かることができて、さぞかしほっとしてるんだろうな。ディガやドッドも、早くドムの氏を授かることができればいいけれど)


 そういえば、彼らがドムの家人であると正式に認められ、なおかつ家長会議でガズラン=ルティムの提案が受け入れられれば、ツヴァイ=ルティムやオウラ=ルティムとはまた血族になることができるかもしれないのだ。それも何だか、不思議な巡りあわせであった。


(北の一族とルウの血族が血の縁を結ぶだなんて、当時は考えられなかったもんな)


 その後は、ジザ=ルウやルド=ルウたちともすれ違った。

 ジザ=ルウのかたわらには伴侶であるサティ・レイ=ルウが控えており、ルド=ルウのかたわらにはリミ=ルウとターラの姿があった。サティ・レイ=ルウとターラが笑顔で語り合っているのが、俺にはたいそう新鮮に感じられた。


 シン=ルウとララ=ルウは、あまり騒がしくない場所で肩を寄せ合いながら、何か料理を食べていた。宴の場では、これもよく見る光景である。

 ララ=ルウの婚儀が許されるまで、あと1年と3ヶ月ほどだ。婚儀の遅さで知られるルウの本家であるが、きっとララ=ルウはそんな定説をくつがえしてくれることだろう。


 100名以上にも及ぶ人々が、幸福そうな面持ちで、それぞれの絆を深め合っている。時にはその輪に加わって、時には外から眺めながら、俺も同じぐらい幸福な気持ちを得ることができた。


 そうして一通りの料理を食べ終わり、そろそろどこかに腰を落ち着けようかなという頃合いで、「おーい」と声をかけられた。

 やぐらとは反対側、集落の出口に近い辺りの薄暗がりで、並んで腰をおろした人影の片方が大きく手を振っている。その声とシルエットから、それはユーミであることが知れた。


「やあ。ずいぶん静かなところに引っ込んでいたんだね」


 俺はアイ=ファとともにそちらに近づいていく。

 が、途中でいささか驚くことになった。ユーミの隣に座していたのは、テリア=マスではなくダルム=ルウであったのである。


「ダ、ダルム=ルウ、こんなところで何をしているんですか?」


「……そのようなことは、そっちの娘に聞け」


 俺が視線を差し向けると、ユーミは手に握っていた果実酒の土瓶を振り上げた。


「このお人がひとりで退屈そうにしてたから、話し相手になってあげてたんだよ。いっぺんぐらい笑わせてやろうと思ったんだけど、なかなか難しいねー」


「ふ、ふーん。そうなのか」


 ダルム=ルウはとても面倒くさそうな面持ちで、「ふん」とそっぽを向いてしまった。


「少し静かな場所で休もうと思ったら、このざまだ。広場の真ん中にいるのと同じぐらいやかましいわ」


「そいつは失礼しちゃったね! ま、宴なんだから、楽しくやろうよ!」


 俺はいささか心配になってきてしまったので、ユーミの隣に腰をおろすことにした。


「あのさあ、ユーミ、前にも言ったと思うけど――」


 俺がそのように囁きかけようとすると、ユーミが笑いながら顔を寄せてきた。


「わかってるって。ダルム=ルウも誰かのお手つきなんでしょ? 森辺の女衆ともめる気はないから、心配はいらないって」


 しかし、ふたりきりで人の輪から外れて親密に語り合っていれば、余計な誤解を生むこともありえるだろう。とりあえず、俺もこの場からは動くことができなくなってしまった。


 事情を察したのか、アイ=ファも反対の側に腰をおろしてくる。ダルム=ルウ、ユーミ、俺、アイ=ファの順番で横並びになった格好である。なかなか普段ではありえないようなカルテットであった。


「アイ=ファも飲んでる? 乾杯しようか?」


「いや。礼を失してしまわないよう、ルウ家の祝宴では酒を口にしないようにしている」


「何だ、そうなのー? 森辺の狩人って、みんながぶがぶ飲むもんだと思ってたよ! ドンダ=ルウとかダン=ルティムはすごい飲みっぷりだったのに!」


 そういえば、ダルム=ルウの手もとには果実酒の土瓶が見当たらなかった。

 などと考えていたら、狼のような眼光でじろりとにらまれてしまう。


「俺が酒を飲もうが飲むまいが、お前には関係なかろうが?」


「あ、いえ、別に、そのようなことを詮索したわけでは――」


 もしかしたら、酒で記憶をなくしたという一件を気にしているのだろうか。ダレイム伯爵家の舞踏会で、ダルム=ルウがその一件をムキになって否定していたことは記憶に残っていた。


(あれはユーミたちを招いた歓迎会だったよな。あのときはシーラ=ルウと一緒に行動してたのに、今日は違うのか)


 シーラ=ルウは、どこで誰と語らっているのだろうか。

 俺がそのように考えて広場のほうに目をやったとき、草笛の旋律が高らかに響きわたった。

 そこに、カンコンと軽妙な打楽器の音色も重なってくる。儀式の火を取り囲んだ人々が、木の棒やギバの骨などを持ち出して、リズミカルに叩き始めたのだ。


 その音色に誘われるようにして、女衆が広場の中央に進み出た。

 いずれもきらびやかな宴衣装に身を包んだ、未婚の女衆だ。やはり今宵も、彼女たちの舞が披露されるらしい。


「わー、すごいね! これが求婚の舞ってやつ?」


「うん。ユーミも踊りは好きだったよね」


「まあね」と応じつつ、ユーミは動こうとしなかった。

 すると、ダルム=ルウがうろんげな視線を差し向ける。


「ユーミとかいったな。お前は森辺に嫁入りしたいと願っているのではなかったか?」


「うん。だけど、これは血族のお祭りでしょ? そこであたしがでしゃばるのは、なんか違うと思うんだよね」


 広場で踊り始めた女衆の姿を見やりながら、ユーミは穏やかに微笑んだ。


「ましてやこれは、森辺の女衆が男衆に見初めてもらうための舞なんでしょ? それなら、なおさら邪魔はできないよ」


「……思ったよりも、道理はわきまえているようだな」


「当たり前じゃん。あたしは森辺のみんなと仲良くなりたいんだもん。引くべきときには引かなくっちゃね!」


 ダルム=ルウは小さく肩をすくめてから、広場のほうに向きなおった。

 キャンプファイヤーのように焚かれた儀式の火の周囲を、たくさんの女衆が取り囲んでいる。ギバの骨を打ち鳴らす音と、草笛のノスタルジックな旋律にあわせて、彼女たちはゆるやかに、かつ懸命に踊っていた。


 玉虫色のヴェールや金属の飾り物がオレンジ色の炎を反射させて、幻想的なきらめきを生み出している。

 生命力にあふれているのは、狩人ばかりではない。彼女たちもまた、森の恵みによって輝かんばかりの生命力を授かっているのだ。じょじょに打楽器のリズムがテンポをあげていくと、そこには乱舞する炎のごとき舞が現出した。


 見慣れた顔は、それほど多くない。この舞に参加できるのは、15歳以上の未婚の女衆のみであり、なおかつ、条件を満たしていても加わらない娘たちも存在したのだ。


 俺が見る限り、レイナ=ルウとヤミル=レイはその舞に加わっていなかった。

 それに、モルン=ルティムの姿も見えない。彼女たちはそれぞれの理由から、求婚の舞を踊る必要はない、と考えているのだろう。


 そんな中で、俺はひとりの見知った顔を見いだした。

 シーラ=ルウである。

 シーラ=ルウが、踊っていた。


 他の女衆よりも動きがなめらかで、ゆったりとしている。それでいて、その腕は誰よりも大きく弧を描いており、指の先端にまで力が満ちているように感じられた。


 ひっそりとした月の下の花のようなシーラ=ルウでも、このように踊ることができるのだ。

 俺は何だか、胸の詰まるような思いであった。


 ともすれば、今にも力尽きて倒れてしまいそうな危うさがある。

 しかしシーラ=ルウは、懸命に踊っていた。

 わたしを見てほしい、わたしを愛してほしい、と――まるで、全身でうったえかけているかのようだった。


「すごいね……」と、ユーミがうっとりしたような声でつぶやく。

 もしかして、ユーミもシーラ=ルウの姿に目を奪われているのだろうか。

 ダルム=ルウやアイ=ファは、どうなのだろう?

 特にダルム=ルウの様子は気になったが、俺はシーラ=ルウから目を離すことができなかった。


 やがて、打楽器のテンポは落とされていく。

 それにつれて、草笛の旋律もより哀愁の響きをおびた。


 それらの音色にあわせて、シーラ=ルウたちの動きも静かに、たおやかなものに変化していく。

 そうして最後に、ピイイィッ――と余韻を引きながら草笛が吹き鳴らされると、すべての女衆が地面に片膝をついた。


 静寂が訪れて、それがすぐ人々の歓声によって粉砕される。

 女衆は立ち上がり、儀式の火に向かって一礼した。


 女衆がしずしずと引き下がると、今度は弾むようなリズムでギバの骨が打ち鳴らされる。すると、小さな幼子や年配の女衆、それに老若の男衆までもが好きなように踊り始めた。


「お、これは誰でも騒いでいいのかな?」


「うん。どうやら、そうみたいだね。以前は未婚の女衆しか踊ってなかったように思うけど……ひょっとしたら、ユーミたちを招いた歓迎の祝宴が楽しかったから、こういう時間を作るようになったのかな」


「それじゃあ、あたしも行ってこよーっと! テリア=マスも引っ張り出さないと!」


 ユーミは駆け足でその場から立ち去っていった。

 それと入れ替わりで、ほっそりとした人影が音もなく近づいてくる。


 それはもちろん、シーラ=ルウだった。

 シーラ=ルウは、小さく肩を上下させながら、俺たちの前に――いや、ダルム=ルウの前に立った。


 顔や首もとに、汗が伝っている。

 シーラ=ルウは胸もとで両手を組み合わせながら、ダルム=ルウの前にひざまずいた。


 やわらかい――とてもやわらかい光をたたえた瞳が、真っ直ぐにダルム=ルウを見つめている。

 その顔は、穏やかに微笑んでいるようにも見えたし、また、泣くのを必死にこらえているようにも見えた。


「ダルム=ルウ、わたしは――」


 囁くような声で、シーラ=ルウはそう言った。

 ダルム=ルウは、無言でシーラ=ルウを見つめ返している。


 シーラ=ルウは、いったんまぶたを閉ざした。

 それから目を開き、もう少し大きな声で、また言った。


「ダルム=ルウ、わたしは、あなたのためだけに踊りました」


 ダルム=ルウは、愕然とした様子で肩を震わせた。

 その青い瞳が、食い入るようにシーラ=ルウを見据える。


「シーラ=ルウ、お前は――家長ドンダやミーア・レイの話を知っていたのか?」


「……え?」


 シーラ=ルウは、いくぶん困惑したように小首を傾げる。

 ダルム=ルウは額に手をあてて、固く口を引き結んだ。

 右の頬の古傷が、いつしかはっきりと血の色を浮きあがらせている。


 そうして、数秒の沈黙の後――ダルム=ルウは、ほんの少しだけ震える声で答えた。


「……俺も、お前だけを見ていた」

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