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異世界料理道  作者: EDA
第二十七章 朱の月は恋の季節
467/1706

収穫祭と生誕の祝宴②~狩人の誇り~

2017.6/5 更新分 1/1

 ルウの集落の広場は、やはり熱狂の坩堝と化していた。

 人垣ができて、そこから歓声があがっている。今まさに、闘技の力比べが行われている最中なのである。


「うわー、すごいね! ジェノスの闘技場にも負けない盛り上がりじゃん!」


 ユーミが、弾んだ声をあげた。

 ターラは俺の胴衣をぎゅっと握りしめつつ、きらきらと光る瞳で周囲を見回しており、テリア=マスはほんの少しだけ不安そうな面持ちでユーミの腕に取りすがっている。同じような場面に遭遇したポルアースなどはへたり込んでしまいそうなぐらいであったのだから、彼女たちが森辺の民の熱狂にいささか気圧されても不思議なことはなかった。


「あー、アスタだ! それにターラも! ようこそ、ルウの家に!」


 と、人垣の陰から、リミ=ルウが飛び出してきた。

 ターラは俺の服から手を離し、正面衝突のような勢いでリミ=ルウに飛びついた。


「来たよ! すごく盛り上がってるね!」


「うん! ちょうど今、アイ=ファとジィ=マァムが力比べしてるところなの! ジィ=マァムもすごく頑張ってるけど――」


 その声が、爆発的な歓声によってかき消された。

 どうやら、人垣の向こうで決着がつけられたらしい。


「あー、見逃しちゃった! アイ=ファは勝てたかな?」


 俺も大いに気になったが、荷車を放り出して人垣をかき分けるわけにもいかなかった。

 すると、モーゼの十戒のように人垣が割れて、そこから当のアイ=ファが姿を現した。


「ようやく来たか、アスタよ」


「うん。ジィ=マァムとの勝負はどうだった?」


「私の勝ちだ。しかしジィ=マァムも、たいそう腕を上げていたな」


 アイ=ファは最初の収穫祭でも、ジィ=マァムと対戦していたのである。幸か不幸か、このたびはその肝の冷えるような光景を見逃すことになってしまった。


「ちょ、ちょっと待って! ジィ=マァムって、すっごく馬鹿でかい狩人じゃなかった?」


 と、ユーミがいきなり声をあげたので、俺は驚かされた。


「うん。ジィ=マァムはルウの眷族でもとりわけ身体の大きな男衆だけど……どうしてユーミがその名前を知ってるのかな?」


「だって、前の宴でちょっとだけ喋ったもん。あの、旅芸人の大男にも力比べで勝ったお人でしょ? そんなお人に、どうしてアイ=ファが勝てるのさ?」


「どうしてと言われても、説明のしようがない。お前は相変わらず騒がしいのだな、ユーミよ」


 そのように述べてから、アイ=ファは客人たちの姿を見回していった。


「しかし、元気であるならば何よりだ。無事に到着したのならば、ドンダ=ルウに……いや、今はミーア・レイ=ルウに挨拶をするべきか」


「うん、そうだね! ドンダ父さんも力比べで忙しいだろうから!」


 力比べはさきほど始まったばかりで、まだ予選を終えた者もいないのだという話であった。

 眷族の多いルウ家では、まずこの予選を終えるのにも相当な時間が費やされるのだ。3回勝利すれば予選通過で、2回負ければ予選落ち。それで8名の通過者が出揃ったところでタイムアップとなり、トーナメント形式の本選が始められる、という手はずになっていた。


 広場の中央ではまた新たな力比べが開始されていたが、俺たちは人垣を迂回してルウの本家を目指すことになった。

 その途中で、ユーミが「わ」と声をあげる。


「何あれ? 前に来たときは、あんなのなかったよね?」


「あれは、やぐらだね。力比べで優勝した人が座る席だよ」


 木組みのやぐらは、いつも通り本家の前に建てられていた。

 なおかつ本日はその足もとに敷布が敷かれて、革張りの屋根が張られている。そこにちょこんと座しているのは、ジバ婆さんと何名かの老人たちだった。


「こんなに早くからジバ=ルウが姿を見せているのは珍しいね。やっぱり生誕の日だからなのかな?」


「うん! だけどジバ婆も昔より元気になったから、これからは普通の収穫祭でも明るい内から出てきてくれるかもね!」


 ターラと手をつないだリミ=ルウが、元気にそう答えてくれた。

 ジバ婆さんに花を贈るのは、力比べを終えてからだ。俺たちは途中にあるシン=ルウの家の前に荷車を停車させて、後は真っ直ぐ本家を目指した。


 広場を囲む8戸の家からは、すでにかまどの白い煙があがっている。

 それに、広場の片隅には簡易型のかまどが組まれて、そこでギバの丸焼きが焼かれたりもしていた。


 女衆はまだ普段通りのいでたちであるが、すでにお祭り騒ぎである。広場の中央を向いて歓声をあげている人々や、ちょろちょろと駆け回っている子供たちにぶつからないように気をつけながら、俺たちはようよう本家の前まで辿りつくことができた。


「いらっしゃい、お客人。ようこそ、ルウの家に」


「ミーア・レイ=ルウ、おひさしぶり! 今日は一日、お世話になります!」


 リミ=ルウに負けないぐらい元気いっぱいに、ユーミがそう応じていた。ターラとテリア=マスも、笑顔で頭を下げている。


「ミーア・レイ=ルウ、こちらはドーラの親父さんから贈り物だそうです」


 抱えていた布の包みを差し出すと、ミーア・レイ母さんは「おやまあ」と目を細めた。


「野菜売りが、大事な野菜をただでくれたっていうのかい? あたしらも、ギバの肉でもお返しするべきなのかねえ」


「どうでしょう? また親父さんの家にお世話になる機会があれば、そのときに考えればいいんじゃないでしょうか」


「そうだね。家長とも相談してみるよ。ターラ、親父さんにありがとうって伝えておいてもらえるかい?」


「うん、わかったー!」


 笑顔のターラにうなずき返してから、ミーア・レイ母さんはユーミとテリア=マスのほうにも目を向けた。


「あたしらはかまどの仕事があるんであんまりお相手をできないけど、好きなようにくつろいでおくれよ。家の中で休みたくなったら、近くの人間に声をかけておくれ」


「こんな日に家で休むなんてもったいないよ! 適当にやってるから、おかまいなく!」


「うん、それじゃあ、よろしくね」


 女衆は順番でかまどの仕事を進めつつ、その合間に力比べを観戦しているのである。なおかつ、力比べというのは男衆が狩人としての力をアピールする場であるので、なるべく未婚の女衆は観戦に時間が割けるように配慮されていた。


「じゃあ、俺も仕事に取りかかるんで、ユーミたちはごゆっくり。……リミ=ルウ、かまどはシン=ルウの家のを借りていいんだよね?」


「うん、アスタも頑張ってね!」


 リミ=ルウも今は自由時間のようであるので、客人たちをおまかせできそうであった。

 ということで、俺はアイ=ファとふたりでシン=ルウの家を目指すことにする。


「えーと、アイ=ファはそんな風にふらふらしてていいのかな?」


「うむ。血族ならぬ私が自分から勝負を挑むのは筋違いであるように思えるからな。誰かが勝負を挑んできたら、それに応ずることにする」


「ああ、それにそもそも、8名の勇者に選ばれた狩人は、自分から勝負を挑んじゃいけない習わしなんだっけ?」


 たしか前回の力比べで、ラウ=レイかルド=ルウあたりがそのように言っていた気がする。8名の勇者は、他者から挑まれるのをひたすら待たなくてはならない、という話であったのだ。

 しかしアイ=ファは「いや」と首を振っていた。


「私が8名の勇者となったのは、前々回の収穫祭だ。だから、その習わしは関係がないのだと聞いている」


「ああ、そうだったのか。……そういえば、前回の勇者って誰だったっけ? ジザ=ルウが優勝で、ガズラン=ルティムが準優勝で、あとはシン=ルウとギラン=リリンと――」


「ルド=ルウとラウ=レイ、ミダとジーダであろう。さきほど、ルド=ルウがルティムの次兄を負かしていたな」


「そっか。こうしてみると、すごい顔ぶれだなあ。そこにアイ=ファとドンダ=ルウとダン=ルティムと、それにダルム=ルウも加わるんだもんな」


 たしか、ダルム=ルウもルウの血族では指折りの実力者であったはずだ。ラウ=レイが、どこかでそのように言っていたのを聞いた覚えがある。

 しかしそのダルム=ルウも、前々回はアイ=ファとの試合で力尽き、前回は負傷欠場となっていた。このたびは、どのような結果を残すのだろう。


「あ、そういえば、ギラン=リリンは毎回ドンダ=ルウとダン=ルティムに挑んでたから、これまで8名の勇者に選ばれる機会がなかったっていう話なんだよな。でも、前回勇者に選ばれたから、今回は予選でドンダ=ルウたちに挑むことができないわけか」


「うむ。ギラン=リリンならば、このたびも間違いなく勇者に選ばれることだろう」


 しかし、勇者同士がぶつかれないとなると、予選通過はかなり早い者勝ちの様相を呈することになりそうだった。

 なおかつ、実績のある狩人ほど大勢の人間に挑まれるものであるらしいので、前回初めて勇者となったギラン=リリンやシン=ルウなどは後回しにされてしまう可能性もありそうだ。


(なるほどね。それも含めて、みんなに強者と認められている人間が勇者になりやすいシステムになってるんだ。もちろん、結果的にそういう仕組みになっただけなんだろうけど、なかなかうまくできてるな)


 それで今回、ギラン=リリンやシン=ルウが時間切れで勇者になれなかったとする。すると次回では、彼らもまた好きな相手に挑戦できる身になるのだ。それでまた勇者の座を獲得することができれば、やがてそれが実績となっていき、挑んでくる人間もぞくぞく増えてくる、という塩梅である。


(つまり、連続で勇者になっている人間が、周りから認められている真の強者ってことだな)


 ドンダ=ルウ、ダン=ルティム、ジザ=ルウ、ガズラン=ルティム。この4名は、もはや押しも押されもせぬ、真なる勇者なのだろう。前々回の力比べでも、この4名は至極すみやかに予選を突破していたはずだった。


 ルド=ルウ、ラウ=レイ、ミダの3名も、2回連続で勇者になっているが、それはひょっとしたら、前回ドンダ=ルウたちが欠場したゆえの結果なのかもしれない。特にミダなどは新参であったので、本来ならば後回しにされて然りの立場であるはずだった。


(だけど、経緯はどうあれ、その3人も2回連続で勇者になったっていう実績を作ったんだ。きっと今回も、ルド=ルウたちに挑もうとする人間は多いだろう。そうすると、それだけで7名分の枠がうまっちゃうことになるな)


 むろんそれは、彼らがすみやかに3名の挑戦者を返り討ちにするという前提のもとの計算だ。

 しかしまた、シン=ルウやギラン=リリンやジーダといった実力者が挑戦できない立場となると、その牙城を脅かすことのできる狩人はどれぐらい残されているのか。俺などには、ちょっと見当をつけることができなかった。


(そうすると、勇者に相応しい実力を持ちながら自由に動くことのできるダルム=ルウあたりが台風の目になるのかもしれないな)


 もしもダルム=ルウがルド=ルウたちに土をつければ、その隙に他の人間が先んじて予選を突破するかもしれない。先抜けの早い者勝ちというシステムが、そういう妙を生み出すわけだ。


(……って、そんな風にあれこれ考えながら力比べに挑んでいる狩人なんて、きっとひとりもいないんだろうけどな)


 俺は、結果的に出来上がったシステムの外枠をなぞっているに過ぎなかった。

 狩人たちは、ただ純然に、強き相手と力を比べたい――という気持ちで力比べに臨んでいるのだろう。それで誰が勇者に選ばれるかは、まさしく森の思し召しであるのだった。


「私は勝負を終えたばかりなので、しばらくは声もかからぬはずだ。お前はシン=ルウの家で仕事をするのか?」


「うん。だけど、あちこちの家の石窯を使わせてもらう予定なんで、行ったり来たりになると思うよ」


「ならば、しばらくはその仕事っぷりを拝見させてもらうか」


 不特定多数の人間と交流を結ぶのが苦手なアイ=ファは、そのように述べながら俺についてきた。

 荷車から解放しておいたギルルは、シン=ルウの家の横でもそもそと木の葉を食している。その首をちょいと撫でてから、俺たちは裏手のかまど小屋に回り込んだ。


「そういえば、ブレイブはどこに預けているんだ?」


「ブレイブは、幼子の集められた家に預けておいた。ルウ家の猟犬たちもそこに集められていたのでな」


「あ、眷族の家も空っぽになっちゃうから、そっちの猟犬も集められてるのか」


「うむ。ブレイブを含めて、9頭だ。騒ぎはしないが、ブレイブもとても嬉しそうな顔をしていた」


 ブレイブにとっては、森辺を訪れてこれが初めての休暇となるのだ。その場にたくさんの仲間たちが集まっているというのは、なかなか微笑ましいことだった。


 そうしてかまど小屋に到着すると、そちらからは予想通りの熱気が伝わってきた。この場でももちろん、宴料理の作製が進められているのだ。


「失礼します。俺もお邪魔して大丈夫でしょうか?」


 戸板は開け放しであったので、俺は入り口から声をかけてみる。

 すると、鍋を煮込んでいた小柄な女衆が「おや」とやわらかく微笑みかけてきた。


「もうアスタが到着する時間かね。ようこそ、ルウの家に。どうぞ入っておくれ」


 それはこの家の家人、シン=ルウの母たるタリ=ルウであった。

 奥のほうで野菜を刻んでいたシーラ=ルウも、笑顔で「お疲れさまです、アスタ」と声をかけてくれる。


「お疲れさまです。シーラ=ルウも、こちらで働いていたのですね」


「はい。本家のかまどはレイナ=ルウが取りしきっているので、わたしはこちらを受け持つことになりました」


 言うまでもなく、ルウ家のかまど番で中核となるのは、シーラ=ルウとレイナ=ルウである。そのふたりが別々の場所でリーダー役を担うというのは、とても効率的であるように思えた。


 その場には、5、6名ていどの女衆の姿が見える。やはり大半は、すでに婚儀を済ませている年配の女衆のようだ。

 その中で、未婚の装束を纏った人物が、しゃなりしゃなりと近づいてくる。


「いらっしゃい、アスタ……ミーア・レイ母さんに、あなたを手伝うように言われているわぁ……」


「あ、今日の手伝いはヴィナ=ルウでしたか。どうぞよろしくお願いします」


 俺はそれなりの品数を出す予定であったので、あらかじめルウ家に人手を貸してもらえないかと打診していたのだ。


「ふたりで手が足りないときは、あたしらにも声をかけておくれ。何も遠慮はいらないからね」


 タリ=ルウがそのように言ってくれたので、俺は「ありがとうございます」と頭を下げてみせた。

 その間に近づいてきていたヴィナ=ルウが、やや小さめの声で告げてくる。


「でも、つきっきりで手伝うのが、わたしなんかでよかったのかしらぁ……? レイナやシーラ=ルウたちは忙しいんだろうけど、もっと腕の立つかまど番はいくらでもいるでしょう……?」


「いえいえ、ヴィナ=ルウだって、今では立派なかまど番じゃないですか。何の不都合もありませんよ」


「そう……」とヴィナ=ルウはけだるげに息をついた。

 何かちょっと、元気がないように見えてしまう。


「それじゃあ、準備を始めましょうか。えーと、食材は昨日の内にお預けしておいたのですが……」


「ああ、アスタの分はそっちに置いておいたよ。その台を好きに使っておくれ」


「ありがとうございます」


 タリ=ルウの言う通り、見覚えのある食材が台の上に置かれていた。俺とアイ=ファは血族ならぬ身で参加させてもらうのだからと、こちらで必要な食材は自前で準備させてもらったのだ。言ってみれば、ご祝儀のような感覚である。


「では、まずはフワノとポイタンから――」


 と、俺がヴィナ=ルウに告げようとしたとき、アイ=ファが機敏な動作で入り口のほうを振り返った。

 それと同時に、タリ=ルウが「おや」と声をあげる。


「どうしたんだい、ダルム=ルウ? 腹でも空いちまったのかね?」


「いや。アイ=ファに用事があって来た」


 入り口に、長身の人影が立ちはだかっている。

 タリ=ルウが言った通り、それはダルム=ルウであった。

 シーラ=ルウはびっくりしたようにそちらを振り返り、アイ=ファはけげんそうに眉をひそめる。


「私に用事とは、何であろうか? 勝負を挑まれるには、まだ早いように思うのだが」


「ああ。他の連中がひと通り勝負を終えるのを待たねばならんだろうな。……それまで、お前を見張らせてもらいたい」


「私を見張る? どういうことだ?」


「知れたこと。他の連中よりも先んじてお前に挑むためだ」


 アイ=ファはいっそういぶかしげな顔をした。


「ダルム=ルウよ、いちおう聞いておきたいのだが……何か私に含むところでもあるのか?」


「含むところ?」と今度はダルム=ルウのほうが眉をひそめる。

 しかしすぐに「ああ」と言って、ダルム=ルウは首を横に振った。


「そうか。俺とお前の間柄では、そのように思われるのが当然か。……何も含むところなどはない。俺はただ、俺を負かした狩人と力を比べたいだけだ」


 アイ=ファはしばらく無言でダルム=ルウの顔を見つめていた。

 ダルム=ルウは、ごく自然体であるように思える。眼光が鋭いのはいつものことであるし、とりたてて激情にとらわれているようには見えない。むしろ彼は、普段以上に落ち着き払っているように見えた。


「……ダルム=ルウよ、もうひとつ問うておきたいことがあるのだが」


「うむ?」


「お前はさきほど、ドンダ=ルウに挑んでいたな」


「ああ。やはりまだ親父を倒すことはできなかった」


「それで今度は、私に挑もうというのか」


「ああ、そうだ」


「……ルウ家の力比べでは、2度負けたら勇者にはなれぬ習わしであったはずだな」


 ダルム=ルウは、「ふん」と鼻を鳴らした。


「もう俺に勝ったつもりでいるのか。たいそうな自信だな、アイ=ファよ」


「いや、そういうつもりではないのだが……」


「勇者の称号など、後から勝手についてくるものだ。強い相手から逃げる人間に、そのような称号は相応しくあるまい」


 アイ=ファは息をつき、穏やかさを取り戻した眼差しでダルム=ルウを見返した。


「……お前は立派な狩人だな、ダルム=ルウよ」


 ダルム=ルウは、意表をつかれた様子で目を見開いた。

 が、すぐに眉間にしわを寄せて、「何だそれは」とそっぽを向いてしまう。


「俺はここから誰かが近づかぬように見張っているからな。窓から声をかけられても、他の連中の勝負は受けるなよ」


「うむ? 勝負を挑まれてしまったら、それを断ることはできぬのだろう?」


「やかましい! 今のは、もののたとえだ」


 そうして、ダルム=ルウは姿を消した。

 ティノを刻んでいたタリ=ルウが、笑顔でアイ=ファを振り返る。


「ダルム=ルウはね、いつもそうやって負けた相手に挑もうとするんだよ。そのせいか、あれほどの力を持っているのに、まだ8名の勇者に選ばれたことがないんだよねえ」


「そうなのか。ダルム=ルウであれば、勇者の名には決して恥じないであろうにな」


「うん、本当にねえ。ちょっと気難しいところはあるけど、本当に立派な狩人だと思うよ。……そういうところは、若い頃のドンダ=ルウにそっくりさ」


 タリ=ルウはもともとルウ家の人間であり、そして、ドンダ=ルウの弟であるリャダ=ルウと婚儀をあげた身であるのだ。ちょっと想像はしにくいが、幼い頃からドンダ=ルウやリャダ=ルウたちと親交があったのだろう。


「シン=ルウはルド=ルウに、ギラン=リリンはドンダ=ルウとダン=ルティムに、毎回挑んでるって話だったもんな。そういう志の高さが、ルウの血族の強さなんじゃないかな」


 俺がそのように言葉をはさむと、アイ=ファは「そうだな」と静かに応じた。

 そこに、ヴィナ=ルウの嘆息がかぶさってくる。


「本当にみんな立派よねぇ……それに、楽しそうで何よりだわぁ……」


 その声はごく小さかったので、隣に立っている俺ぐらいにしか聞こえなかったようだった。

 ということで、俺も声をひそめてヴィナ=ルウに問うてみる。


「あの、何だか元気がないみたいですね。シュミラルと何かあったんですか?」


「……何でもかんでも、あの人と結びつけるのはやめてくれるぅ……?」


「あ、すみません。何にせよ、元気がないので心配です」


 ヴィナ=ルウは色っぽく身をよじってから、やがて俺の耳もとに口を寄せてきた。


「……眷族の未熟な狩人っていうのはねぇ、ルウの集落にやってくる前に、力比べに参加する資格があるか、事前に力を試されるものなのよぉ……だからあの人も、リリンの家で力を試されることになったのぉ……」


「あ、そういう習わしもあるのですか。……それで、シュミラルはどうだったのでしょう?」


「そんなの、無理に決まってるじゃなぁい……あの人は、数ヶ月前までただの商人だったのよぉ……? トトスに乗って戦ったり、毒の武器を使ったりすることは得意みたいだけど、素手の勝負で森辺の狩人にかなうわけがないのよぉ……」


 そうしてヴィナ=ルウは、またけだるげに溜息をついた。

 耳におもいきり息を吹きかけられた格好になり、俺は背中がぞくぞくしてしまう。


「だから、リリンの一番若い狩人と勝負をして、手も足も出なかったから、力比べには参加できなくなっちゃったのぉ……まあ、そんなの最初からわかりきってたことだけどさぁ……」


「なるほど。それは確かに、残念な話ですね」


 ヴィナ=ルウは身を引くと、肉感的な唇をとがらせながら目を伏せて、作業台の上にのの字を描き始めた。


「なんだか、つまんなぁい……もともとわたしは、男衆の力比べなんて興味はなかったんだけどぉ……今回は、いつも以上につまんないわぁ……」


「そ、そうですか。でもほら、猟犬を扱わせたら、シュミラルの右に出る人はいないんですから。たとえ力比べで結果は残せなくても、立派な狩人だということは証明できるはずですよ」


「それはわかってるけどさぁ……」


 ヴィナ=ルウは、たいそう不満げな様子であった。

 しかしヴィナ=ルウには悪かったが、俺としては嬉しい気持ちであった。


 ヴィナ=ルウがそんな風にシュミラルのことを思いやっていることも、子供っぽくすねてしまっていることも――そして、そういう姿を包み隠さず俺に見せてくれていることも、俺には喜ばしく感じられてしまったのだ。


 雨の中、森辺の民として正しく生きていきたい、と語っていたヴィナ=ルウの姿は、今でもしっかりと目に焼きついている。ヴィナ=ルウは真剣に、自分やシュミラルの気持ちに向き合おうとしているのだろう。


 このたびの収穫祭は、そんなヴィナ=ルウとシュミラルが同胞としての絆を深め合う場でもあるのだ。そこに立ちあえることもまた、俺にとっては大きな喜びであった。


「……シーラ、そっちの準備はどんな感じだい?」


 と、後ろのほうからタリ=ルウの声が聞こえてきた。

 シーラ=ルウは、「こっちのネェノンを片付けたら一段落だよ」と穏やかな声で応じている。


「そうかい。それじゃあその後は、しばらく力比べを見物しておいで」


「え? だけど、わたしはさっき戻ってきたばかりだし……」


「いいんだよ。それがルウ家の習わしだろう?」


 この中では、シーラ=ルウとヴィナ=ルウだけが未婚の若い娘であるのだ。

 タリ=ルウはにこにこと微笑みながら、ヴィナ=ルウのほうに視線を転じる。


「ヴィナ=ルウも、もしも力比べを見物したいんなら、アスタの手伝いはこっちで代わろうか?」


「ううん、わたしは大丈夫よぉ……お気持ちだけいただいておくわぁ……」


 俺はこっそり、シーラ=ルウの様子を探ってみた。

 シーラ=ルウは、変わらぬ表情で丁寧にネェノンを刻んでいる。

 ダルム=ルウとアイ=ファが再び手合わせをすると聞いて、いったいどのような感情を覚えたのか、外見からそれを推し量ることはかなわなかった。

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