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異世界料理道  作者: EDA
第二十七章 朱の月は恋の季節
464/1700

ユン=スドラの憂鬱②~心得違い~

2017.6/2 更新分 1/1

 その夜である。

 その夜も、アイ=ファはきわめてご機嫌であった。

 ご機嫌な理由は言うまでもない。本日もブレイブと、満足のいく仕事を果たすことがかなったためである。


 ルウ家からの手ほどきは、2日前に終わっていた。昨日から、アイ=ファはブレイブのみを相棒として森に入っているのだ。

 ルド=ルウやフォウやスドラの人々と狩人の仕事に取り組んでいた期間も、ラヴィッツ家のときのようなストレスは生じていないようだったが、やっぱりアイ=ファは身軽に動けることが一番であるらしい。そして、ブレイブがそこに加わっても、決してアイ=ファの身軽さが損なわれることはないようだった。


「今日もブレイブのおかげで、2頭のギバを仕留めることができた。1頭は血抜きに失敗してしまったが、まずは十分な収穫であろう」


 アイ=ファはそのように述べながら、俺の準備した晩餐をもりもり食べていた。

 ブレイブは土間で、ギバの巨大なすねの骨をかじっている。大皿に盛ってやった肉はすでに喰らい尽くしてしまったのだ。その肉は血抜きに失敗した肉であったが、ブレイブが食するには何の不都合もないようだった。


「これではますます、腐肉をあてにしているムントどもが飢えることになりそうだな。森に捨てられるギバの肉というのは、この1年足らずで格段に減ってしまったはずだ」


「うん。生態系に影響を与えてしまったら心配だよな」


「……せーたいけー?」


「アイ=ファが言った通りのことだよ。飢えたムントが人を襲ったりしたら大変だろう?」


「飢えたムントは、人里ではなく森の奥へと移動するのではないのかな。我々とて、半日で戻れる場所までしか足をのばすことはできないのだから、森の奥深くではいくらでもギバの亡骸が転がっているはずだ」


 腐肉喰らいのムントには、自らギバを狩る力もないのだ。そう考えると、80年前に森辺の民が移り住んでくるまでは、自然死したギバや他の獣の亡骸をあさることしかできなかったのだろう。ならば、むしろこの80年は森辺の民が不要な肉を大量に打ち捨てて、ムントたちに過剰な食料を提供していた、ということになるのかもしれなかった。


「それじゃあ、現在のほうがあるべき正しい姿とも考えられるのか……ううん、こういう話は難しいな。森の思し召すままに、というのが一番正しいのかもしれない」


「その通りだ。森辺の民もギバもムントも、同じ森の子なのだからな」


 そうしてギバ・スープをすすったアイ=ファは、いくぶんうろんげな顔で俺を見つめてきた。


「それにしても、浮かぬ顔だな。まだユン=スドラらの一件が気にかかっているのか?」


「うん、そりゃまあね。今回ばかりは、俺たちも他人事じゃないだろう?」


「そうであろうか? 私はジョウ=ランからの嫁入りの話などすでに断っているし、お前はそもそもユン=スドラから嫁入りの話を持ちかけられたわけでもあるまい。ユン=スドラの心情を思えば、もちろん忸怩たる気持ちであろうが……それでもやっぱり、これはランとスドラの問題であると思うぞ」


 森辺の価値観や倫理観に照らし合わせると、やっぱりそういうことになるのだろうか。

 しかしそれでも、俺はそこまで他人事と割り切ることはできそうになかった。


「まあ、事情がわからないから、余計にもやもやしちゃうんだよな。どうしてユン=スドラはジョウ=ランのことをひっぱたいたりしちゃったんだろう?」


「知らん。……ジョウ=ランのほうが、何かろくでもないことをしでかしたのではないか?」


「そうなのかなあ。そんなことをする人間には見えなかったんだけど」


「わからぬぞ。何せ、私などを嫁に迎えたいなどと言い出す変わり種なのだからな」


 これには、いささか異論をさしはさむ余地が生じるはずだった。


「まあ、俺のことは置いておくとしても、ダルム=ルウとかラウ=レイとか、それにガズやラッツの男衆とかもアイ=ファを嫁にしたいって口にしていたんだからさ。それだけで変わり種扱いすることはできないんじゃないかな?」


「……いちいちそのように古い話まで蒸し返すな」


「でも、本当のことだろう?」


 アイ=ファは床に手をつき、わざわざ身を乗り出してまで、俺の頭をぺしんと叩いてきた。ほんのちょっぴりだけ、頬が赤くなってしまっている。


「とにかくあのジョウ=ランというやつは、どこかとぼけたところのある男衆だった。あやつであれば、何か森辺の習わしにそぐわぬことを言いだして、ユン=スドラを怒らせることもありえよう。……そもそも、あやつは自分が悪かったと認めておるのであろうが?」


「うん、そうらしいよ」


「ならばやっぱり、あやつが悪かったのだ。フォウやランの家人たちも、その言葉を信じてわだかまりを捨てる他あるまい」


 しかし、余所の氏族の男衆を叩いてしまったユン=スドラがその事情を話そうとしないのも、やっぱり森辺の習わしにはそぐわない行いであろう。もしかしたら、ジョウ=ランはユン=スドラをかばっているだけなのかもしれない……とでも思ってしまえば、わだかまりが生じるのも否めないように思えた。


(そういえば、ジョウ=ランって収穫祭のときもたくさんの声援を受けてたもんな。狩人としての力量は申し分ないし、顔立ちだって整ってるほうだし、おまけに若くて未婚だし……きっとフォウやランでは人気者だったんだろうな)


 そうすると、ユン=スドラには余計に厳しい眼差しが向けられてしまうのかもしれない。

 そのように考えて、俺が溜息をつきかけたとき――玄関の戸板がノックされた。


「ランの家のジョウ=ランです。家長のアイ=ファはいらっしゃいますか?」


 俺は思わず、木皿を落としそうになってしまった。

 アイ=ファは一気に不機嫌そうな顔になり、がしがしと頭をかきむしる。


「晩餐の最中に何だというのだ。礼儀を知らぬやつだな」


 アイ=ファは大股で戸板のほうに近づいていった。

 不思議そうに顔をあげるブレイブやギルルの頭を撫でてから、閂を引き抜く。


「夜分に申し訳ありません。話したいことがあるのですが、よろしいですか?」


「……こちらは、晩餐の最中であったのだがな」


「え、まだ晩餐の最中であったのですか。それは失礼しました」


 俺にとってはけっこうひさびさの、ジョウ=ランの声であった。たとえ家が近在であっても、俺が余所の男衆と顔をあわせる機会はそんなに多くないのだ。


「では、晩餐が終わるのを待たせていただいてもいいでしょうか? いったん家に戻ってしまうと、なおさら皆がけげんに思いそうなので」


「……待つのはそちらの勝手だが、どこで待つ気だ?」


「どこでもかまいません。お邪魔であれば、外で待ちます」


 アイ=ファはもう一度頭をかきむしってから、「入れ」と身を引いた。

 ジョウ=ランは「ありがとうございます」と頭を下げてから、土間に上がりこんでくる。


「あ、猟犬も晩餐の最中ですか。これはまた見事なギバの骨ですね」


 サンダルの革帯をほどきながら、ジョウ=ランはブレイブに笑いかけたようだった。

 ブレイブはギバのすねをかじりながら、ぱたぱたと尻尾を振っている。


「それでは、お邪魔します。……あ、アスタ、おひさしぶりです」


「うん、ひさしぶりだね、ジョウ=ラン」


 アイ=ファに刀を預けたジョウ=ランが、広間にまで歩を進めてくる。

 それなりに長身で、くせのない髪を肩まで垂らした、若い男衆である。年齢はたしか16歳で、なかなか整った眉目をしている。森辺ではちょっと珍しい、実に涼やかな雰囲気を持つ人物であった。


「では、こちらで待たせてもらいますね。俺にはかまわず、晩餐をお続けください」


「そのようなところに居座られて、かまわずにおけるものか。いいから、とっとと用事を済ませるがいい。その間に、我々は食事を進めさせてもらう」


 露骨に不機嫌そうな顔をしながら、アイ=ファはもとの位置でどかりとあぐらをかいた。そして、宣言通りに中断されていた食事を再開させる。


 ジョウ=ランは俺のななめ後ろに陣取っていたので、俺は彼の姿が見えるように席を移動した。客人に背を向けながら食事を続けるわけにもいかないだろう。


 ジョウ=ランもあぐらをかいていたが、背筋はぴしりとのびている。そうして彼は、微笑みを浮かべる寸前のような穏やかな面持ちで語り始めた。


「それでは申し訳ありませんが、話を始めさせていただきます。……ユン=スドラと俺にまつわる話は、すでに聞いていますか?」


「うむ。お前が何か悪さをして、ユン=スドラに叩かれたそうだな」


「はい。それで今日の朝は、ファの家で仕事をしている際にも、フォウやランの女衆がユン=スドラと口をきけないような状態になっていたと聞きました。……それは事実なのですか、アスタ?」


「うん。とりあえず、みんな気まずそうにしているようだったね」


「やはりそうですか。悪いのは俺なのに、事情を話さないものだから、皆もユン=スドラとどのように接するべきか決めかねているのでしょう。……本当にユン=スドラには、申し訳ないことをしてしまいました」


 そうしてジョウ=ランは床に拳をつき、少しだけ身を乗り出してきた。


「アイ=ファ。俺はその事情を集落の皆に打ち明けたいと考えています。それを許してもらうことはできますか?」


「そのような話に、どうして私が許しを与えねばならんのだ?」


「それは、俺とアイ=ファにまつわる話であるからです」


 いよいよ剣呑な話になってきた。

 冷しゃぶサラダの肉を噛んでいたアイ=ファは、それを呑みくだしてから、ジョウ=ランの顔をじろりとねめつけた。


「おかしなことを聞くものだ。お前と私にまつわる話など、そう多くはないように思えるのだが」


「はい。本当に馬鹿な真似をしてしまいました。あれほどユン=スドラを怒らせることになり、俺は心から自分の行いを悔いています。だから、彼女には何の罪もないのだということを、皆に知らしめたいのです」


「能書きはもう十分であろう。お前はいったい、ユン=スドラにどのような無礼を働いたのだ?」


「はい。……俺はかつてアイ=ファを懸想しており、いまだにその気持ちを完全には捨てきれていない、ということをユン=スドラに語ってみせたのです」


 それは、十分に予想できる範囲内の話ではあった。

 だけどやっぱり、それで驚かずにいられるわけはない。特に、いまだに気持ちを捨てきれていないというのは……俺たちにとっても、笑い飛ばせる話ではなかった。


「……ユン=スドラは、それでお前を殴りつけるほどに気持ちを乱してしまったということか?」


 ものすごく嫌そうな顔をしながら、アイ=ファはそう問うた。

 ジョウ=ランは「いえ」と首を横に振る。


「俺が道を踏み外したのは、その後です。俺は……おたがいの気持ちを成就させるために手をたずさえないか、とユン=スドラに持ちかけてしまったのです」


「おたがいの気持ち?」


「はい。ユン=スドラは、アスタに懸想していたのでしょう?」


 今度こそ、俺は木皿をひっくり返してしまいそうになった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! それはどこから出てきた話なんだ? まさか、ユン=スドラがそんな話をしたわけではないだろう?」


「はい。以前に家人の女衆がそのように噂していたのを聞いたことがあったのです。きっとユン=スドラは、アスタの迷惑にならないように自分の気持ちを押し殺しているのだろう、と」


 俺は、目眩を起こしてしまいそうだった。

 その間に、アイ=ファが「おい」と怒気をはらんだ声をあげる。


「それでお前は、おたがいの気持ちを成就させるために手をたずさえたい、などとユン=スドラに告げたというのか?」


「はい」


「お前はユン=スドラを嫁に迎えるべきかどうかを見定める立場にあったのだろうが? そのお前が、そのような話をユン=スドラに持ちかけたのか?」


「はい。本当に馬鹿な真似をしてしまいました」


「馬鹿な真似で済むか! お前は何を考えているのだ!?」


 アイ=ファは、拳でおもいきり床を打ち据えた。

 木皿のスープが、たぷんと揺れる。


「そのような真似が、森辺で許されるか! お前など、何度叩かれても当然だ! 許されるなら、私だってその顔を殴りつけたくなるわ!」


「反省しています。俺だって、あのときの自分を殴りつけてやりたいぐらいです」


 さっきまで背筋をのばしていたジョウ=ランが、しょんぼりと肩を落としてしまっていた。


「ユン=スドラが伴侶に相応しい女衆か見定めるべし、と家長に言い渡されたとき、俺は間違った道に足を踏み出してしまったのです。アイ=ファに懸想する自分とアスタに懸想するユン=スドラが見合わされたというのは、ひょっとして森の導きだったのではないか、と……そんな馬鹿な考えに取り憑かれてしまったわけですね」


「何が森の導きだ! お前は母なる森をも汚すつもりか!?」


「すみません。ユン=スドラに頬を叩かれて、俺は自分がどれほど愚かしい考えにとらわれていたかを知りました。今となっては、どうしてそのような考えを正しいと思えたのか、自分でもわけがわからぬほどです」


 俺よりも長身で立派な若衆の姿をしたジョウ=ランが、まるで雨に打たれる子犬のように悄然としてしまっていた。

 しかし、アイ=ファの怒りは収まらない。


「お前のような人間が森辺の同胞であるということすら、私には信じられなくなってきた! ランの者たちには申し訳ないが、森辺の民にこれほどまでの怒りをかきたてられたのは、ディガやドッドらが悪党であったとき以来のことだ!」


「……はい。心から悔いています」


「私にそのような言葉を吐いても意味はあるまい! お前がわびるべきは、ユン=スドラとスドラやランの家長たちだ!」


「ア、アイ=ファ、気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着こう」


 アイ=ファは全身の毛を逆立てた猫のごとく、怒りの激情をあらわにしていた。青い瞳が爛々と光って、今にもジョウ=ランを殴りつけそうな迫力である。


「それでジョウ=ランは、みんなに事情を打ち明けたいって考えたわけだね。そうすると、自分がアイ=ファを懸想していたことまで知れ渡ってしまうから、アイ=ファの許しが欲しかったっていうことなのかな?」


「はい。それに、ユン=スドラがアスタに懸想していたということも打ち明けないと、話は正しく伝わらないように思えます」


 それは確かに、その通りなのかもしれない。

 だが、俺はともかく、ユン=スドラにとってそれはどうなのだろうか? 彼女はフォウやランの人々と気まずくなってでも、頑なに口をつぐんでいたのである。


「でも、ランの女衆もユン=スドラの心情については気づいていたわけですから、それに関しては問題ないかとも思えます。それよりもやっぱり、アイ=ファとアスタには許しをいただくべきだと思い――」


「ちょっと待った! そこでユン=スドラの気持ちを二の次にするのはまずいよ!」


 アイ=ファがまた何か怒鳴りつけそうな気配であったので、俺が先に声をあげることにした。


「というか、俺たちに関しては許すも許さないもないだろう。俺たちはただ、懸想されてもその気持ちには応えられなかったっていうだけの立場なんだから、誰に何を知られたって、ちょっと気恥ずかしいぐらいのことさ。でも、ユン=スドラはそうじゃないだろう?」


「はい。でも、ランの女衆が気づいていたのですから、スドラやフォウの女衆だって気づいているのではないでしょうか?」


「確証もなしに想像するのと、それが真実であったんだと知らされるのとじゃあ、意味合いがまったく変わってくるだろう? そもそも、どうして昨晩の内に事情を打ち明けなかったのさ?」


「それは……ユン=スドラが、話すべきではない、と言い張っていたためです」


「ほら、だったらその気持ちを尊重しないと! 君はユン=スドラとしっかり話し合って、それでみんなに話すべきかどうかを決めるべきなんだよ」


「はあ……確かにその通りなのかもしれませんね」


 何とも頼りない返答であった。

 アイ=ファはもはや、怒りの形相で中腰の体勢になっている。


「やはりこやつは、もう何発か殴りつけてやらないと目が覚めぬのではないか? たとえ私が殴りつけても、事情を話せばランとの縁がこじれることはあるまい」


「ちょ、ちょっとは冷静になれってば。殴る必要があれば、ランの家長が殴ってくれるよ」


 ジョウ=ランは、とても悲しそうな目でアイ=ファを見た。


「……俺は、そこまでアイ=ファを怒らせてしまったのですね」


「だから! そういう態度が一番気に食わんのだ! お前がまず案ずるべきはユン=スドラの心情であって、私ではない! 私の顔色をうかがっているひまがあれば、ユン=スドラに何度でも謝罪するべきだろうが!」


「……そうですね。つくづく自分の未熟さに嫌気がさします」


 ジョウ=ランは固く目をつぶってから、意を決したようにアイ=ファを見つめ返した。


「アイ=ファ、ひとつだけあなたにお願いがあるのですが」


「やかましいわ! お前の願いなど聞き届ける気はない!」


「それでも、どうかお願いします。俺はあなたへの想いを断ち切らねばなりませんが……そのために、ひとつだけ教えてほしいんです」


 アイ=ファの怒気に耐えながら、ジョウ=ランは決然と言った。


「アイ=ファ、あなたの想い人というのは、いったい何者なのですか?」


「……何だと?」


「俺がいつかアイ=ファを嫁に迎えたいと言ったとき、あなたはすでに想い人があると答えていたではないですか? 仮にこの先、狩人としての力を失って、女衆として生きていくことになっても、伴侶とするべき相手はすでに決まっている、と……それが何者であるかを教えてもらいたいのです」


 俺は、座ったままぶっ倒れそうになってしまった。

 アイ=ファとジョウ=ランがそこまで立ち入った話をしたということは、もちろん俺もその日の内に聞いている。が、それでも彼は、アイ=ファの想い人というものの正体には見当をつけられなかったようだった。


「それはきっと、俺などとは比較にもならぬほどの狩人であるのでしょう。アイ=ファに認められるほどの男衆なのですから、それは当然です。それが誰であるかを知り、自分との差を思い知れば、俺もこの愚かな執着を完全に捨て去ることができると思うのです」


「…………」


「やはりそれは、ルウ家の狩人なのでしょうか? あるいは、北の一族の狩人なのでしょうか? アイ=ファであれば、さまざまな氏族と縁を結んでいるのですから――」


「やかましい!」とアイ=ファはジョウ=ランの言葉を断ち切った。

 その肩が、怒りでぷるぷると震えている。


「どうして私が、お前などの気持ちを安らがせるために尽力せねばならんのだ! 私に言えるのは、お前のような大うつけを伴侶に迎えることなど、決して、絶対に、未来永劫ありえないということだけだ! お前はお前の力で妄執を断ち切れ! それができぬのなら、お前に森辺の民を名乗る資格はない!」


 ジョウ=ランはアイ=ファの気迫に気圧されたかのように身をのけぞらした。

 そしてその反動を利用したかのように、やがて深々と頭を下げる。


「わかりました。自分の不明さを恥ずかしく思います。今後は森辺の民に相応しい人間としてふるまえるように、力を絞ります」


「知ったことか! 気が済んだのなら、とっとと出ていけ!」


「はい。帰ります。ユン=スドラとは、明日の朝一番に話したいと思います」


 ジョウ=ランは立ち上がり、もう一度頭を下げた。


「それでは、失礼します。……刀を返していただけますか?」


 アイ=ファはわしづかみにしたジョウ=ランの刀を力まかせに投げつけた。

 ジョウ=ランは、慌てる様子もなくそれを軽々とキャッチする。


「……最後にひとつだけ。大馬鹿なのは俺ひとりなので、どうかランの人間とは今後も変わらぬつきあいをお願いします」


 そうしてジョウ=ランは自ら閂を外して、ファの家を出ていった。

 アイ=ファはずかずかと広間を横断し、閂を掛けなおすと、しばらくはその場で肩を上下させていた。ブレイブとギルルは、やっぱりきょとんとした面持ちで、そんなアイ=ファを見上げている。


「まったく、とんでもない話だったなあ。予想以上に、ジョウ=ランというのは変わり種だったよ」


「そんな生易しい言葉で済むか! あいつは本当に森辺で生まれた人間なのかと疑わしくなるほどだ!」


 戸板の前に立ちはだかったまま、アイ=ファは荒っぽい声をあげた。

 こちらに背中を向けているので、どのような表情をしているかはわからない。


「とにかく後は、ユン=スドラと話し合ってもらうしかないだろう。それで決着がつかないようなら、俺もユン=スドラと話をして、彼女にとって一番望ましい方向に話が進むように力を貸そうと思うよ」


「うむ。一番に重んずるべきは、ユン=スドラの心情であるからな」


「うん。それと、スドラとランの関係をこじらせないことだよな」


 俺は疲弊しきった頭を軽く小突いてから、アイ=ファの背中に声をかけてみせた。


「さあ、それじゃあ晩餐を片付けよう。すっかり冷めちゃったけど、残すわけにはいかないからな」


「うむ……」と低い声で応じながら、アイ=ファはようやく広間に戻ってきた。

 そうして自分の席についたアイ=ファの姿を見て、俺は「あれ?」と声をあげてしまう。


「どうしたんだ、アイ=ファ。顔が真っ赤だぞ。さっきまでよりひどいぐらいじゃないか」


「…………」


「怒る気持ちはわかるけどさ。当人も姿を消したんだから、少しは落ち着けよ。血圧を上げるのは身体にもよくないぞ」


「……べつだん、怒っているわけではない」


 そのように述べながら、アイ=ファは木皿に残っていた肉野菜炒めを勢いよくかきこみ始めた。

 そうして木皿で半分顔を隠しつつ、俺のことをじっと見つめてくる。


「ただ……あのような心情を他者の口から語られてしまうと……妙に心を乱されてしまうのだ」


 それはもしかして、いつか伴侶を迎えるとしても、その相手はすでに決めている――という言葉のことであるのだろうか。

 俺は、自分の血液もぐんぐん首の上にあがっていくことを止めることができなかった。


「で、でも、そんなの今さらの話じゃないか。そんな話は、前から打ち明けあっていたんだしさ」


「……などと言いながら、お前も顔を赤くしているではないか」


「そ、それはアイ=ファにつられただけだよ」


「私に責任を負わせようというのか。なんと心ないやつだ」


 木皿をおろそうとはしないまま、アイ=ファは恨めしげに俺をねめつけてくる。


「……それで、お前はどうなのだ?」


「え? 何がだよ?」


「最近は、そのような話をする機会もなかったが……お前も変わらぬ気持ちでいるのか?」


「あ、当たり前じゃないか。俺が心変わりしたようにでも見えるってのか?」


「……ならばよい」


 俺も木皿で顔を隠すべきなのだろうか。

 まさか、このような形でファの家に火の粉が飛んでくるとは予想できていなかった。


 だけどそれよりも、今はユン=スドラとジョウ=ランの一件だ。俺の予想よりも遥かにお騒がせな人間であったジョウ=ランが、明朝にきちんとユン=スドラと和解できるかどうか、まずはそれを祈るしかなかった。

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