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異世界料理道  作者: EDA
第二十七章 朱の月は恋の季節
463/1701

ユン=スドラの憂鬱①~憂慮~

2017.6/1 更新分 1/1 ・6/21 文章を修正

・今回は全9回の更新となります。

 朱の月の21日。

 ガズラン=ルティムから北の集落における会談の顛末を聞いた日の、翌日である。


 その朝も、俺たちはファの家のかまどの間で下ごしらえの仕事に励んでいた。

 だが、その日は何となく雰囲気がおかしいな、とも感じていた。


 何というか、普段よりもみんなの口数が少ないように感じられるのである。

 そこまで極端に静かなわけではないが、どことなく、ごく限られた人しか口をきいていないように思えてしまうのだった。


 だけどべつだん、仕事のほうに手抜かりがあるわけでもない。みんな真面目に一生懸命、仕事に取り組んでくれているのはよくわかる。だから俺も、あんまり気にしないようにして自分の仕事に取り組んでいたのだが――やがて、俺と同じ懸念にとらわれた女衆に、こっそり囁きかけられることになった。


「アスタ、今日は何だかいつもと様子が違うようですね。この近在で、何かあったのでしょうか?」


 それは、ガズの眷族であるマトゥアの女衆だった。ふた月半ほど前から屋台の商売にも参加するようになった、13歳の少女である。


「いや、特に変わったことは起きていないはずだけどね。一昨日の夜には北の集落で重大な話し合いがあったけど、その影響ってわけでもないんだろうし」


「ああ、ドムとルティムにまつわる一件ですか。あれは確かに驚くべき話でしたね。……でも、その話ならすべての氏族に伝えられていますから、この近在の女衆ばかりが静かになってしまう理由にはなりませんよね」


「この近在の女衆?」


「はい。妙に口数が少ないのは、この近在の女衆だけでしょう?」


 そのように指摘されて、俺ももう少し注意深く観察してみた。

 それで判明したのは、彼女の指摘が完全に正しかったということだった。


 朝の下ごしらえには、さまざまな氏族の女衆が手伝いに駆けつけてくれている。だけどやっぱり朝方はせわしないので、徒歩で通える近在の女衆を中心に構成されているのだった。


 このまま屋台の商売にも参加するマトゥア、ベイム、ラヴィッツからも1名ずつ参加してくれている。それ以外は、みんな近在の女衆だ。

 フォウ、ラン、ディンから2名ずつ、スドラとリッドから1名ずつ、というのがその内訳である。見たところ、その中で普通におしゃべりを楽しんでいるように見えるのは、ディンとリッドから来てくれた年配の女衆たちのみだった。


「フェイ=ベイムとリリ=ラヴィッツも静かといえば静かですが、彼女たちはもともと口数の多いほうではないですよね。だから、この近在の女衆が静かであるために、ちょっと空気が重苦しくなっているように感じられるのです」


「空気、重苦しいかな?」


「あ、いえ、別に気詰まりなほどではないですが……ただちょっと心配になってしまいます。何か諍いでもあったのかと思ってしまったので」


 こうしてよくよく吟味してみると、静かになっているのはフォウ、ラン、スドラの女衆ということになる。その組み合わせに、俺はちょっと引っかかるものを感じた。


 スドラの女衆というのは、すなわちユン=スドラのことだ。彼女はお見合いを兼ねた交流の晩餐会を重ねるにつれて、いくぶん元気を失ってきているように思える。

 で、その交流を重ねている相手というのが、他ならぬフォウとランであるのだ。その3氏族がそろって静かになっているというのは、いささかならず気になるところであった。


「……ねえ、トゥール=ディン。他のみんなが少し元気がないように思えるんだけど、君は何か知っているかな?」


 ディン家のもうひとりの参加者たるトゥール=ディンにそう呼びかけてみると、彼女はちょっと切なげな面持ちで「いえ」と首を横に振った。


「やっぱり、普通の様子ではないですよね。わたしもちょっと心配していました」


「うん。まさかスドラとフォウで諍いがあったとは思えないけど……後で確認してみようか」


「はい。そうしてもらえたら嬉しいです」


 ということで、その場ではあえて事を荒立てずに仕事を片付けることにした。

 2時間ばかりをかけて下ごしらえを終えたら、いざルウの集落に出発だ。


「ユン=スドラ、たまにはトトスの運転を他の人に任せて、こちらの荷車で一緒に行かないか?」


 今日は、ファの家が2台の荷車を出す日取りであった。

 なおかつ、最近はユン=スドラが率先して手綱を握ることが多かったので、俺はそのように呼びかけてみた。


 ユン=スドラは、ちょっと困惑したようにもじもじとしている。

 すると、察しのいいマトゥアの少女が元気に声をあげてくれた。


「それじゃあ、ファファの手綱はわたしがお預かりしますね! 最近、運転する機会がなかったのでちょうどよかったです!」


 そうして彼女は、フェイ=ベイムとリリ=ラヴィッツに同乗するように声をかけていた。

 これでギルルの荷車は、俺とユン=スドラとトゥール=ディンという組み合わせになる。近在の人間とそうでない人間で綺麗に分かれた格好だ。


「それじゃあ、ルウの集落で。運転、気をつけてね」


 マトゥアの少女に別れを告げて、俺はギルルを走らせた。

 これでルウ家に到着したら、何名かのメンバーを同乗させることになる。よって、こみいった話ができるのは15分ていどであった。


「ユン=スドラ、今日はとりわけ元気がないようだけど、大丈夫かい?」


「……はい。仕事は過不足なくつとめられたと思います」


「それはわかっているけれど、フォウやランの人たちとあんまり口をきいていないように見えたのが気になっちゃったんだよね。……氏族同士の問題に立ち入るのはあまりよくないことかもしれないけれど、もしよかったら、何があったのかを聞かせてもらえないかな?」


「……そうですね。やっぱりアスタには話しておくべきなのでしょう。わたしはアスタから代価をいただいて働かせてもらっている身なのですから」


 そうしてユン=スドラは、深々と溜息をついたようだった。

 きっとトゥール=ディンは、心配げな面持ちでそのかたわらに寄り添っているに違いない。


「実は……フォウとランとスドラの間で、嫁入りの話がついにまとまったのです」


「あ、そうだったんだ? ……うん、もうけっこう長いこと、交流の晩餐会を続けていたもんね」


 俺が病魔を患ってしまったばかりに開始が遅れてしまった交流会であったが、それでもふた月ぐらいはすでに経過していることだろう。おたがいの家のことを知り尽くすために、彼女たちはそれだけの時間をかけたのだ。


「さしあたっては、チム=スドラがフォウから嫁を取ることになりました。それ以外でももうひとり、ランから嫁に入りそうな女衆がいて……スドラからも、フォウとランに1名ずつ嫁入りをさせる話になっているのですが……」


「……うん。その中には、ユン=スドラも含まれてるって話だったよね」


「はい。そもそもスドラには、伴侶のない女衆がふたりしかいませんので」


 そこでユン=スドラは、もう1回溜息をついた。


「それでわたしは、ランの男衆に嫁入りすることになりそうなのですが……実はその……」


「うん。そのお相手と、何かあったのかな?」


「はい……わたしは昨晩、その男衆を……平手で、おもいきり叩いてしまったのです……」


「えっ!」と声をあげたのはトゥール=ディンであった。


「お、男衆を叩いてしまったのですか? それも、伴侶になるかもしれない、余所の氏族の男衆を?」


「……はい」


 もはやユン=スドラの声は消え入りそうなぐらいであった。


「い、いったい何があったのかな? 余所の氏族の男衆を叩いてしまうなんて、よっぽどのことだよね?」


「理由は、どうか聞かないでください。……それに、いちおう和解はできているのです。その男衆が、全面的に自分の非を認めてくれたので……」


「聞くなと言うなら聞かないけれど、フォウやランの人たちにはきちんと事情を打ち明けたのかな?」


 森辺の民というのは、礼儀を重んじる一族である。余所の氏族の人間に暴力をふるうなど、よほどのことがない限りは許されないはずだった。俺が知る中でも、そんな乱暴な真似を平気でできるのは――まあ、せいぜいラウ=レイぐらいのものであろう。

 しかし、ユン=スドラの返答は「いえ」であった。


「わたしもその相手も、理由に関しては話していません。だから、フォウやランの女衆も、いまひとつ得心がいかないのでしょう。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」


「こっちは迷惑なんてかけられてないけれど、ユン=スドラ自身は大丈夫なのかい? だって、嫁入りを予定してたお相手なんだろう?」


「はい。わたしもスドラのためにと、覚悟を固めてはいました。でも、こんなことになってしまったら、嫁入りどころではないかもしれませんね。……というか、そもそも相手の男衆にも、わたしを嫁に迎えようという気持ちはなかったのでしょう」


「その男衆とは、いったい誰のことなのですか?」


 トゥール=ディンが、そのように問うた。

 ユン=スドラは、また溜息まじりに答えていた。


「ランの分家の家長の長兄である、ジョウ=ランです。収穫祭で、棒引きの勇者になっていた男衆ですね」


                 ◇


 その後はすぐにルウ家の人々と合流したため、それ以上の話を聞くことはできなかった。

 が、俺の頭からその一件がなかなか離れなかったことは言うまでもない。


 ジョウ=ランというのは、俺にとっても関わりがなくもない相手であったのだ。

 彼は収穫祭の夜、アイ=ファをいずれ嫁に迎えたいと告白していたのである。もちろんその話はきっぱりと断られていたが、俺にとっても見過ごせる話ではなかった。


 しかもユン=スドラは、俺に――よりにもよってこの俺などに懸想してしまい、自らその想いを封殺した立場なのである。

 そんなユン=スドラがジョウ=ランに嫁入りする話が持ち上がり、しかも彼女は何かしらの理由で彼をひっぱたいてしまった。このような話を聞かされて、俺に知らんぷりできるはずがなかった。


(いったい何があったんだろう? ジョウ=ランってのは、ちょっとつかみどころのない部分はあったけど、とても気さくで礼儀正しい印象だったのに……でも、そのジョウ=ランが、悪いのは自分だと全面的に認めているのか……いったい彼が、ユン=スドラにどれほど失礼なことをしたって言うんだ?)


 そもそも、森辺の男衆が女衆に失礼なことをする、ということからしてわからない。何度でも言うが、森辺の民というのは礼儀を重んずる人々であるのだ。特に男女関係においては、むやみに相手の容姿をほめてはいけない、という奥ゆかしい習わしが存在するぐらいなのである。


 そういう面でも、そういえばラウ=レイは規格に当てはまらない人柄であった。彼は遠慮なくアイ=ファやヤミル=レイの容姿やたたずまいをほめちぎって、両人から煙たがられていたのである。


 だが、規格外はあくまで規格外であるし、ジョウ=ランがラウ=レイのように礼儀を軽んじる人間とも思えない。そして、ユン=スドラだってそれは同様であるのだから、そんなふたりの間で、どうしてそんな不幸な事件が起きてしまったのか、俺にはさっぱり理解できなかったのだった。


(しかも、それでフォウやランの人たちとギクシャクしてしまっているなら、なおさら大ごとだ。フォウとスドラはこれから血の縁を交わそうとしているところなのに……本当に大丈夫なのかなあ)


 そのように思い悩みながら、俺はひたすら仕事に取り組んでいた。

 すると、ドーラの親父さんとターラが連れ立ってやってきてくれた。


「やあ、アスタ。今日はいったいどういう料理なのかな?」


「あ、いらっしゃいませ。今日は、タラパとティノとプラをふんだんに使った煮込み料理ですよ」


 昨日から、ついにそれらの野菜がまた取り引きされるようになったのである。トマトのごときタラパ、キャベツのごときティノ、ピーマンのごときプラを使って、俺はイタリア風の煮込み料理を売りに出していた。


 ルウ家のほうでもタラパソースの『ギバ・バーガー』を復活させていたので、それとの差をつけるために、ミャームーとチットの実を多めに使って、ピリ辛に仕上げている。さらに、ズッキーニのごときチャンや、ジャガイモのごときチャッチも使い、肉は肩肉とバラ肉だ。


「いいねいいね。トライプやレギィの料理も美味かったけど、このタラパの香りをひさびさに嗅がされると、思わずにんまりさせられちまうよ」


「美味しそうだね! ターラはこれにするー!」


「あ、でも、他の屋台の料理もだいぶ様変わりしているので、よーくお考えくださいね」


 3種の野菜と同じように、ポイタンも予約なしで好きに買えるようになったので、トゥール=ディンの屋台ではひさびさの『カルボナーラのパスタ』を再開させていた。


 そしてヤミル=レイの屋台では、ついに『ミャームー焼き』の改良版が販売されている。こちらも、つけあわせのティノの千切りが使える日を待ちかまえていたのだ。

 なおかつ、これを機会に、俺はその料理の名称を『ケル焼き』に改めていた。ニンニクっぽい風味の強いミャームーよりも、ショウガっぽい風味のケルの根を多く使い、生姜焼きさながらの味を再現してみせたのである。もはやこれは、『ミャームー焼き』とも異なる料理であるはずだった。


 いっぽう、ルウ家ではネェノンソースからタラパソースに戻した『ギバ・バーガー』だ。今後は2種のソースを日替わりで出していく方針であるらしい。

 で、『ギバ・バーガー』が売り切れると、雨季の間に開発された『ギバの香味焼き』が売りに出されることになる。作製に手間のかかる『ギバ・バーガー』は個数もやや控えめであるので、中天を過ぎる前には売り切れるのが常であった。


 そしてもういっぽうの汁物料理は、トライプが使えなくなったために、正規版の『クリームシチュー』である。今後はこれを『ギバのモツ鍋』と『照り焼き肉のシチュー』と3交代で売りに出していくそうだ。


 こうして見ると、いっさい変化がないのはマイムの屋台ばかりであった。

 が、マイムの屋台も相変わらず絶好調である。メニューが変わらなければ変わらないで、それを喜ぶお客さんも多いのだ。彼女の屋台にも、かなり根強いファンが定着しているように見受けられた。


「うーん、こいつは迷っちまうなあ! アスタたちのおかげで、くりーむしちゅーは家でも食べられるようになったけど……でも、ギバとキミュスだとまた違う美味さがあるからなあ」


「ターラは食べたことのない料理がいい! アスタの料理と、けるやきってやつにしよーっと!」


「それじゃあ俺は、くりーむしちゅーとぎばばーがーにするか……ああでも、ひさびさにぱすたを食べたい気もするなあ!」


「もー! 何でもいいから、早く決めてよー! ターラ、おなかがぺこぺこだよー!」


 そんな風に悩んでもらえるのも、俺にとってはまたとない喜びであった。

 今日は朝から懸念の種を抱え込むことになったので、それを癒されている気分である。


「よし! それじゃあやっぱり、くりーむしちゅーとぎばばーがーにしよう! アスタ、ターラの分だけそいつをお願いするよ」


「毎度ありがとうございます。少々お待ちくださいね」


『ケル焼き』のほうがちょうど新しい分を焼くところであったので、俺はその作業を待つことになった。

 その間に、親父さんが笑顔で語りかけてくる。


「そういえば、オンダの件もありがとうな。あちこちの宿屋の話をまとめるのは大変だっただろう?」


「いえいえ、どうせ毎日のように通っていますから。宿屋のご主人たちも、オンダが使えて喜んでいましたよ」


「こっちも叔父貴が大喜びだよ。ま、見た目はむっつりしたままだけどさ。オンダを育てるのは叔父貴の仕事だから、これでしばらくは退屈せずに済むだろう」


 どうやら親父さんの叔父上にあたるご老人は、長年の農作業で腰や膝を痛めてしまい、長い時間は畑に出られないのだそうだ。

 しかし、モヤシのごときオンダを育てたり収穫したりするのにはそれほど力作業をともなわないので、フルに働くことができるらしい。もう70近いご老齢なのであろうが、家のために働けるというのは、ダレイムの人々にとっても大きな喜びであるようだった。


「月の頭には、宿屋の寄り合いというやつがあるのですよ。黄の月からは俺もその集まりに参加させてもらう予定ですので、そのときにオンダを使いたい宿屋が他にもあるかどうか確かめようかと考えているのですが、大丈夫ですか?」


「それで注文が増えるようなら、叔父貴もいっそう大喜びしちまうよ。こっちは雨季と同じ量でも準備することはできるから、注文が増えるならありがたい限りさ」


 ならば俺も、寄り合いで料理を準備する際は、めいっぱいオンダを使わせていただこう。このように有能な野菜を雨季の間しか使わないというのは、実にもったいない話であるはずだった。


「そういえば、ユーミがまた森辺の集落に行きたがってるらしいね」


「あ、はい。親父さんのところにも話が行きましたか」


「うん。でも、大人連中はちょいと忙しいんでね。もしもお許しが出るようだったら、ターラだけでも参加させてもらおうと思ってるよ。森辺の狩人が一緒だったら、何も危ないことはないだろうしな」


「父さんたちも、一緒に行けたらよかったのにねー?」


「ああ、本当にな。まあ俺たちは、また年が明けるのを楽しみに待つことにするさ」


 そうして仲良し親子は両手に料理を抱えて青空食堂のほうに向かっていった。

 それと入れ替わりでやってきたのは、このひと月ばかりで常連客と化したマルスである。


「何だ、今日はまたずいぶんと様変わりしたようだな」


「はい。どの料理もおすすめですよ」


 護民兵団の小隊長であるマルスは、右腕を骨折したために休養中なのである。衛兵というのは荒事まで受け持つ仕事であるので、きちんと完治するまで復職できないのだ。その点は気の毒に思いつつ、こうして毎日のように料理を買いに来てくれるのはありがたい話であった。


「……そっちの料理は、ずいぶん奇っ怪な見た目をしているな。本当に食って大丈夫なものなのか?」


「はい。それはパスタといって、フワノとポイタンを混ぜ合わせた料理なのですよ。この、先の割れた匙を使って、くるくるっと巻き取って食べるのです」


「ふむ……見た目はともかく、香りはまずまずだな。カロンの乳を使っているのか」


「はい。あちらの『クリームシチュー』という料理もカロンの乳を使っています。あと、俺の料理と向こうの『ギバ・バーガー』という料理はタラパが主体ですので、よかったら組み合わせの参考にしてください」


 甲冑を纏っていなければ普通の西の民であるし、そもそもマルスは誠実かつ善良な人柄でもあった。いささか居丈高な面を見せることもなくはないが、それも宿場町を取り仕切る衛兵には必要な資質であるのだろう。


 そんなマルスが「うーん」と悩んでいる間にも、ぞくぞくと他のお客が押し寄せてきて、注文をしてくれる。雨季が明けて、はや半月。宿場町は、もう8割ぐらいは元の活気を取り戻していた。


 よって料理の数も、以前の8割ぐらいの分量に戻している。マイムの分まであわせれば、700食を超える数だ。それが定時できっちり売り切れるぐらい、すでに客足は戻っているのだった。


 通りにも、人があふれかえっている。シムやジャガルやセルヴァの人々が、またこのジェノスに集まりつつあるのだ。広大なる西の王国でも王都に次ぐ豊かさを持つと言われる、ジェノスの賑わいである。雨季ではなりをひそめていた熱気と活力が、また宿場町のすみずみにまで満ちあふれているかのようだった。


 と、そこに時ならぬざわめきが起きる。

 北の方角から、巨大なトトス車が近づいてきたのだ。

 そのトトス車は町の入り口で停車して、荷台からはわらわらと身なりのいい人々が降りてくる。2名の年配の男性と、それを警護するジェノス侯爵家の武官たちである。


 それらの人々が真っ直ぐ俺たちのほうに近づいてくるのを見て、マルスは目を丸くしていた。

 しかし俺たちにとっては、もうこのひと月ばかりですっかり見慣れた光景であった。


「失礼いたします。トゥール=ディン様、本日の品物をお受け取りに参りました」


「は、はい。いつもお疲れさまです」


 トゥール=ディンはフェイ=ベイムに屋台を任せると、ギルルの荷車のほうへと駆け寄っていった。

 その荷台から、綺麗な布に包まれた箱を携えて戻ってくる。そこに、オディフィア姫に届けられる本日の菓子がしまわれているのだ。


「ありがとうございます。こちらが次回分の包みと、それに本日分の代価となります」


「は、はい。こちらこそ、ありがとうございます」


「それと……姫君から、こちらをお渡しするように仰せつかっております」


 年配の男性の片方が、その手の小さな包みを差し出した。

 これまた瀟洒な刺繍のされた上等の絹である。それを開くと、中から現れたのは銀色の髪飾りであった。


「あ、あの、このような贈り物を毎回届けられるのは……前回も花の束を受け取ってしまいましたし……」


「はい。ですが、姫君からどうしてもと仰せつかっておりますので」


「だ、代価はきちんと受け取っていますので、わたしにはそれで十分です。オディフィア姫に、くれぐれもお気遣いないようにとお伝え願えませんか?」


「かしこまりました」と応じつつ、その人物は髪飾りを差し出したままだった。

 何にせよ、今日のところは受け取ってもらわないと困る、ということなのだろう。トゥール=ディンはたいそう恐縮しながら、その髪飾りを包みごと受け取った。


「ありがとうございます。それでは、また3日後に」


「あ、3日後は屋台の商売が休みになりますので、4日後にお願いいたします」


「かしこまりました。朱の月の25日でございますね。……それでは、4日後に」


 武官に前後と左右を守られつつ、男性たちはトトス車に戻っていった。

 呆気に取られていたマルスが、「おい」と俺に顔を寄せてくる。


「あ、あれはジェノス侯爵家の家臣と騎士団ではないか。いったいお前らは、侯爵家を相手に何をしているのだ?」


「はあ。いちおうご内密にお願いしますね。こちらのトゥール=ディンは3日に1度、侯爵家のオディフィア姫に菓子を届けているのです」


「……オディフィア姫と言えば、侯爵家の第一子息の息女ではなかったか?」


「ええ、そのようですね」


 マルスは額に手をやって、深々と嘆息した。


「まったくお前たちは、やることがいちいちとてつもないな。侯爵家の姫君が、それを受け取るためにわざわざ家臣を出向かせているというのか?」


「はい。こちらから城下町に出向くのは、色々と手間なもので」


「手間の一言で、侯爵家の人間をこのような場所にまで呼びつけているのか。まったく呆れたものだ」


 そうは言われても、このような受け取りの形式を提示してきたのは、あちらの側なのである。トゥール=ディンに面倒をかけまいという配慮と、あとはやっぱり、森辺の民が頻繁に城下町を訪れるのは体面が悪い、という裏事情も存在するのではないだろうか。


 それに、メルフリードたちは、いまだ森辺の民に通行証というものを発行しようとしていなかった。族長などが急な用事でメルフリードらに会見を申し込むときも、まずは城門で取り次いでもらい、車で迎えに来てくれるのを待たなければならないのだ。城下町を自由に行き来できるのは、《銀の壺》の団員というもうひとつの顔を持つシュミラルただひとりであるのだった。


(そのシュミラルだって、城下町で夜を明かすことは許されていないって話だもんな。ディアルみたいに長期の滞在が許されるには、かなりの信用や格式ってものが必要になるんだろう)


 少なくとも、俺の知る貴族の人々に、森辺の民を蔑んでいたりする気配は感じられない。そうでなければ、いちいち呼び出して料理の作製を申しつけたりもしないだろう。それでもやっぱり、彼らには守るべき格式や規律というものが存在するのだろうと思われた。


「まあ、今さらお前たちのやることに文句をつけても始まらん。せいぜい貴き人々を怒らせないように気をつけることだな」


 そうしてマルスは俺の料理とクリームシチューを購入して、青空食堂に引っ込んでいった。


 商売のほうは、至極順調である。

 しかし、青空食堂で働いているユン=スドラのほうはどうであろうか。


 スドラもフォウもランも等しく大事な友であると考えている俺には、なかなか心の重くなる話であった。そしてそれは、スフィラ=ザザやモルン=ルティムの一件よりも、大きくファの家に関わってくるような気がしてならなかった。

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