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異世界料理道  作者: EDA
第二十七章 朱の月は恋の季節
462/1703

遥かなる明日のために④~ガズラン=ルティム、かく語りき~

2017.5/15 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 モルン=ルティムは、やはりディック=ドムへの想いを断ち切ることはできない、という結論に至っていました。

 よって我々は晩餐を終えた後、ディック=ドムとレム=ドムをともなってザザの家に移動することになりました。


 我々の側は、ドンダ=ルウと父ダン、モルン、ディム=ルティム、私の5名です。

 ザザ家では、グラフ=ザザとゲオル=ザザ、それにスフィラ=ザザにも同席してもらうことにしました。


「色々と隠しだてをして申し訳なかった。こちらのやり口をうろんに思いながら、黙ってそれを受け入れてくれたザザとドムの温情に、まずは感謝の言葉を述べさせてもらいたい」


 ドンダ=ルウは、まずそのように言いました。

 父ダンはいつもの調子でにこにこと笑っており、モルンは言葉もなくうつむいています。


「夜も遅いので、余計な言葉を重ねるべきではないだろう。実はこのルティムの末妹が、ドムの家長たるディック=ドムに懸想してしまったのだ」


 グラフ=ザザとディック=ドムは、表情を動かすことなく、ドンダ=ルウの言葉を聞いていました。

 その代わりに、ゲオル=ザザやレム=ドムたちは、たいそう驚いているようでした。我々の行動をいぶかしみつつ、まさかそのような話であるとは予想できていなかった様子です。


「ル、ルティムの家人がディック=ドムに懸想だと? いったい何を考えているのだ!?」


「ま、まさかドム家に嫁入りするつもり!?」


 ドンダ=ルウは「いや」と首を振りました。


「ディック=ドムに嫁入りを願う前に、まずはそのようなことが許されるかどうかを話し合う必要があるだろう」


「そんなことが、許されてたまるか! ドムとルティムが血の縁を結んでしまったら、ザザやルウはどうなるのだ!? 我々は、おたがいに族長筋であるのだぞ?」


「まさか、ルウがザザの子になるつもりではないわよね?」


 そこでグラフ=ザザが「やかましいぞ」と言い捨てました。


「ドンダ=ルウが語っている最中だろうが。お前たちの考えつくようなことを、ドンダ=ルウやルティムの家長が考えぬわけはあるまい」


「うむ! 俺が家長であった頃はともかく、ガズランは誰よりも頭を使うことを得手にしておるからな!」


 父ダンが大きな声でそのように述べると、ドンダ=ルウが「貴様もやかましいぞ」と言い捨てました。


「貴様はいまや、ルティムの家人のひとりに過ぎんのだ。大人しくできないのならば、外で待っていやがれ」


「可愛い娘の行く末が決せられるというのに、そのような真似ができるものか! 俺にはかまわず話を進めるがいい!」


「だったら大人しくしていやがれ。……とにかく、今後のことを話し合いたい。俺は眷族の長ガズラン=ルティムの言葉を受け入れる気持ちになったので、まずはその言葉を貴様たちにも聞いていただこう」


 ようやく、私の番でした。

 私は数日前にドンダ=ルウへと打ち明けた考えを、そのままグラフ=ザザたちにも伝えることにしました。


「私は妹モルンの想いをかなえてあげたいと思っています。ただし、それをかなえるのが非常に困難であることもわきまえているつもりです。それでもなお、モルンの申し出を吟味することで、私は私なりの気持ちや考えをまとめることができました」


「ふん。あくまで、その娘をディック=ドムに嫁入りさせたい、と?」


「はい。もしもディック=ドムがモルンを伴侶と認められるようならば、ルティムの家長として嫁入りをお願いしたく思います」


 またゲオル=ザザが何かわめこうとしましたが、それはグラフ=ザザによって押し留められました。


「お前が頭の回る人間であるということは、これまでの行いで嫌というほど思い知らされている。そのお前がどのような考えを持つに至ったのか、あますことなく聞かせてもらおう」


「ありがとうございます。いささか長い話になるかと思いますが、どうか最後までお聞きください」


 ご存じの通り、城下町でメルフリードらと会談する際には私も毎回同行していますので、グラフ=ザザからは多少なりとも信頼を得られている様子でした。

 さかのぼれば、サイクレウスが健在であった頃から私は同行していましたので、ともに難敵を退けたという気持ちも残されていたことでしょう。少なくとも、私の側にはグラフ=ザザをかけがえのない同胞だと思う気持ちが芽生えています。そんな思いも込めながら、私は語ることにしました。


「ドムとルティムが血族となることは難しいです。それはおたがいに族長筋たるザザとルウを親筋にしているためです。言うまでもなく、ディック=ドムとモルンが婚儀をあげれば、ザザとルウまでもが血族であるということになってしまいます。……それが、森辺の習わしというものでありますからね」


「うむ。血の縁というのは何よりも重んじられるべきなのだから、それは当然であろう。その習わしを破ることは、決して許されまい」


「はい。ですが私は、あえてその習わしを破ってみたいと考えています」


 ずっと落ち着いていたグラフ=ザザの目が、このときばかりは黒い火のように燃えあがりました。

 それでも声を荒らげようとはせずに、「どういう意味だ?」と問うてきます。


「習わしを破るというのは言葉が悪かったでしょうか。私は森辺の習わしを――森辺の掟を変化させたいと考えています」


「言葉を言い換えても意味はあるまい。その内容を話すがいい」


「はい。一番の問題は、ドムとルティムで婚儀をあげると、ザザとルウまでもが血族になってしまうことでしょう。それを丸く収めるには、モルンにルティムの氏を捨てさせるしかない、という結論に至ってしまいます」


「ああ。確かにその娘がルティムの氏を捨てて、ドムの家人となった上で嫁入りをしたいと願うのならば、それは森辺の掟を破ることにもならん。……そのような娘をディック=ドムが伴侶と認めるかは、はなはだあやしいところだがな」


「うむ! 俺もモルンがルティムの氏を捨てることは許さんぞ! だからこそ、頼もしき家長に頭をひねってもらったのだ!」


「はい。私もモルンと血の縁を絶つ気持ちにはなれませんでしたし、それで嫁入りがかなうとも思えませんでした。それならばディック=ドムも、眷族の中から伴侶を選んで、血族の絆を深めたいと考えることでしょう」


 ディック=ドムはずっと無表情であり、頑なに言葉を発しようともしません。

 また、モルンにしてもそれは同様です。


「ですが、お考えください。今の掟を守ることに、どれほどの意味があるのでしょうか?」


「どれほどの意味? まさか、血の縁の重さそのものを否定する気か?」


「いえ。血の縁というのは、何よりも重んずるべきものです。森辺の民にとって、それは大いなる力です。我々は、家族や血族を想う気持ちを力としているのですから、それを否定することなどは決してできません」


「では、どうして掟を破ったり変えたりしなくてはならないのだ?」


「それは、この80年で氏族の有り様がずいぶん変わってきてしまったゆえです」


 それが、私の考えでした。

 これはモルンに心情を打ち明けられる前から、ずっと私の胸にわだかまっていた考えでもあるのです。


「この80年で、1000名もいた森辺の民は500から600にまで減ずることになりました。それでいくつの氏が消えることになったのか――それを知るすべはありませんが、おそらく人数と同じように、半分ぐらいの氏が消えてしまったのではないかと思われます」


「それが、いったい何だというのだ?」


「はい。現在の森辺には、わずか37の氏族しかありません。その中で、眷族を統べる親筋の氏族はわずか12です。……しかもその中には、2名の家人しかないファの家と、9名の家人しかないスドラも含まれます。なおかつ、スドラはもうじきフォウと血の縁を結ぶ予定にあるらしいので、そうなると親筋の数はわずか11となってしまいます」


「親筋の数が11であろうと12であろうと、民の数が減ずるわけではないのだから、どうでもよかろうが」


「そうでしょうか? その内の3つが族長筋であることを考えると、私には由々しきことと思えてしまいます」


 まだその場にいる誰にも、私の中の焦燥や懸念が伝わっている様子はありませんでした。

 父ダンに至っては、そもそもそのような事柄には関心がない様子です。


「それではお尋ねしますが、この先、族長筋はどうなっていくのでしょう?」


「……どうなっていくとは、どういう意味だ?」


「今後も血族を増やすべく、小さき氏族と血の縁を結んでいくのでしょうか? それとも、今ある眷族とだけ絆を深めていくのでしょうか? そのどちらの道を辿っても、私にはあまり明るい行く末が見えないのです」


 この数日間でさんざん考えた話です。それが上手く伝わるように、私はせいいっぱい頭を働かせました。


「37の氏族があって、その内の19氏族は族長筋の血族であるのです。人数で言えば、250名以上が族長筋の血族であると思われます。これは、いささかならず歪つな数字であると思えないでしょうか?」


「だが、ザザとルウとサウティを族長筋にすると提案したのはドンダ=ルウであるし、俺たちもその言葉を正しいと思ったから賛同した。今さらそれを曲げることはできまい」


「はい。ですが、民の半数ていどが族長筋の血族であるというのは、やはり真っ当な有り様ではないように思えます。これではいつの日か、民のすべてが族長筋の血族である、という状態に陥ってしまうのではないでしょうか?」


「それは心配の度が過ぎていよう。すでに我々も、近在の氏族とはあらかた血の縁を結んでいるのだ。今後はそうそう小さき氏族を眷族として迎えるような事態にもなるまい」


「ザザの家長たるグラフ=ザザであるならば、確かにそう考えるのが当然でありましょう。しかもザザ家は、ディンやリッドといった家の遠い氏族とこれから絆を深めていこうとしているさなかです。まだしばらくは、眷族の扱いで困ることにもならないのでしょうね」


「……ルウやサウティは、何か困っているというのか?」


「現在ただちに、困っているわけではありません。しかし、ザザよりは早く困ることになるでしょう。最初に手詰まりとなるのは、やはり5つの氏族で60名ていどの人間しかいないサウティでありましょうか。このままでいくと、彼らの血族は近親者ばかりになり、婚儀をあげるにも不自由が生じてくるはずです」


 グラフ=ザザは口もとに手をやって、「ふむ?」とうなりました。


「そういった際に、我々は余所の氏族と新たな血の縁を結ぶことによって、道を切り開いてきました。数年後か、数十年後はわかりませんが、サウティもいつかは余所の氏族と新たな血の縁を結ぶことになるはずです。候補としては、ルウとサウティの間に存在する小さき氏族――ダイを親筋とする氏族でしょうか」


「ふむ……」


「その次は、ルウ家の番です。ルウ家は20年前にムファを、数年前にリリンを新たな眷族として迎えましたが、それはどちらも小さな氏族でありました。残りの5つの氏族はそれより古くから婚儀を繰り返し、きわめて絆を深めるのと同時に、いささか血が濃くなりすぎている面もあります。やはり遠からず、新たな血を入れる必要に駆られることでしょう。候補としては、ガズかラッツかベイムあたりでしょうか」


「うむ。まあ、近在の家から選ぶとすれば、そういうことになるのだろうな」


「はい。しかし、どの氏族であれ、親筋であることに強い誇りを有しているはずです。家人の数も多いガズやラッツが、そうやすやすと親筋の座を捨てるとは思えません。……しかしまた、彼らのほうこそ、我々よりも早く近親者だらけとなり、婚儀の相手に困ることになるのでしょう。家人や眷族が多いと言っても、族長筋ほどの人数ではないのですから、それが当然です。そうなると、ルウ家が余所の氏族に血の縁を求めるときには、ガズとラッツとベイムがひとつの血族にまとめあげられているかもしれませんね」


 そうすれば、眷族も含めて氏族の数は7つとなり、ルウやザザにも負けない人数になることでしょう。ならば、親筋となった氏族の家長にはルウやザザにも負けない誇りや責任といったものが生じて、なおさらそれを捨てがたくなる――というのが、私の考えです。

 たとえとしては極端でしたが、グラフ=ザザにはきちんとその奥にある私の懸念が伝わった様子でした。


「なるほどな……つまり、小さい順から親筋の氏族は消えていき、最後にはひとつの氏族に収束されてしまいかねない、ということか」


「はい。それはそれで、正しい道なのかもしれません。ひとつの親筋がすべての氏族を子として従えて、民は眷族のすべてを家族と同じ重さで愛し敬う……ある意味では、理想的とすら呼べるかもしれませんね」


「……500から600も存在する民のすべてを家族のように愛し敬う、か」


「はい。それができれば苦労はない、とも思えますが。……最終的にどの氏族がたったひとつの親筋となるのか、という問題もきっと浮上するでしょうしね」


 私は少し息をついて、頭の中を整理しました。

 グラフ=ザザたちにも、そうする時間が必要だと思ったのです。

 そうして頃合いを見計らって、また私は発言しました。


「もちろん、これまでに語ったのはすべて私の推測です。そこまで事態が差し迫るのは長きの歳月の後のことですし、実際にどうなるのかもわかりません。しかし、可能性のひとつとしては大いにありえますし、歯止めをかけるとしたら、氏族の数が急速に減りつつある今だと考えました」


「し、しかし、氏族というのは減るばかりではないだろうが? ジーンとて、数十年前にザザから分かれた新しい氏族なのだぞ?」


 と、ゲオル=ザザがひさびさに声をあげました。

 確かに森辺において、大きくなりすぎた氏族は新たな氏を作って家を分ける習わしがあるのです。


「しかしこの数十年で、ジーンの他に新しく生まれた氏族がいくつあるのでしょう? そしてまた、氏が分かれても血族であることに変わりはありません。たとえばルウ家などは40名近い家人がいるので、そろそろ家を分けてもいいぐらいの時期にさしかかっていますが、そうしたところで血族内の婚儀の相手が増えるわけではないでしょう?」


「ああ、そうか……だったら、どうせよと言うのだ!?」


「ですから、森辺の習わしを変える必要があるのではないか、と提案しているのです」


 ようやく話が、佳境に入りました。


「家人がひとりでも血の縁を持ったら、すべての家人が氏族ぐるみで血族とならなくてはならない、というのが現在の森辺の掟です。その掟に、少しばかりの特例をもうけることはかなわないでしょうか? そうした特例をもうければ、これまでよりは自由に新しい血を家にもたらすことがかないます」


「……特例とは、どのような?」


「はい。このたびの話を例にあげるなら、モルンがディック=ドムと婚儀をあげても血族となるのはルティムとドムのみであり、親筋や眷族には関わりをもたせない、という方法です」


 グラフ=ザザは身じろぎをしながら、「むう?」とうなり声をあげました。


「よくわからんな。まさか、ドムとルティムが親筋や眷族を捨てて、おたがいだけを血族とする……という意味ではあるまいな?」


「はい。ドムはザザを、ルティムはルウを親筋としたまま、独立した血の絆を他に結ぶのです。レイ、ミン、マァム、ムファ、リリン……それに、ジーン、ハヴィラ、ダナ、リッド、ディンといった眷族たちも、その婚儀や血の縁には関わりません。あくまで、ドムとルティムの間でのみ新たな絆が生まれるのです」


「しかし、それでは……ドム家に嫁入りするその娘は、ふたつの親筋を持つことになってしまうではないか? その場合、ルウとザザのどちらを長と仰ぐのだ?」


「それはもちろん嫁入りする身なのですから、ザザを親筋と仰ぐべきでしょう。それは通常の婚儀と何ら変わりません」


 たとえば私の伴侶アマ・ミンで言いますと、もっとも尊ぶべきは親筋の長たるルウの家長となるわけですね。その次に、嫁入り先のルティムの家長、最後にかつて自分の家であったミンの家長、という順番になるわけです。

 モルンの場合は、それがザザ、ドム、ルウ、ルティムの順番になります。


「むろん、これはあくまで特例です。氏族ぐるみで血族となるか、婚儀をあげる人間の家同士だけが血族となるか、それは親筋の家長もまじえて話し合うべきでしょう。そうして決定された話はトトスを使ってすべての氏族に伝えれば、混乱を招くことにもならないと思います」


 グラフ=ザザは、口を閉ざしました。

 他の者たちも、おのおの考え込んでいる様子です。


「そうして氏を捨てずに伴侶となることができるのならば、氏族の間に立ちはだかる壁を一枚だけ薄くすることができるはずです。そうすれば、おたがいに新しい血を入れることができるのですから、親筋の氏族の減少というものに歯止めをかけることができるようになると思います」


「うむ……」


「たとえ氏族は違えども、森辺の民はすべて同胞です。同胞として正しい交流を続けていけば、眷族ならぬ相手に懸想する機会も生まれるでしょう。ですが、今のままですと、眷族ならぬ相手と婚儀をあげることは非常に大ごとであるため、自ら気持ちを殺すことになってしまうのです。その結果、親筋の氏族が減っていってしまうというのは、誰にとっても望ましくないことでしょう」


「…………」


「我々はかつて、1000名を超える一族でした。さらにジャガルの黒き森に住まっていた頃は、その倍の人数であったと聞いています。きっとその頃は、今の掟がうまく機能していたのでしょう。ですが、民と氏族の数がここまで減ってしまったために、その掟が我々を生きづらくさせてしまっているのだと思われます」


「…………」


「森辺の掟とは、一族そのものと民のひとりひとりに幸いをもたらすべきものであるはずです。それならば、時には掟を正しい形に変えていく覚悟も必要なのではないでしょうか」

 

 それが、私の得た結論です。

 やがてグラフ=ザザは、私ではなくドンダ=ルウに向かって言いました。


「ドンダ=ルウは、ガズラン=ルティムの言葉を正しいと認めたのだな?」


「ああ。認めなければ、それをこのような場で語らせはしなかった」


「なるほどな。……しかし、森辺の掟を我々だけの判断でねじ曲げるわけにはいくまい」


「もちろんです。私は今の話を、次の家長会議で議題にあげたいと考えています」


 私の言葉に、グラフ=ザザは「なに?」と眉をひそめました。


「私は森辺の行く末を思って、これらの考えに至りました。それが正しきことなのかどうなのか、すべての家長に意見を聞きたいと考えています。家長会議の青の月までは、残り3ヶ月ていど――それだけの時間があれば、家長たちも家族や血族と話し合い、考えや気持ちをまとめることもできるでしょう」


「すでにそこまで考えが及んでいたのか。つくづく、食えない男だ」


 グラフ=ザザは、ギバの毛皮に包まれた頭をゆっくりと振りました。


「ならば、この場でこれ以上の言葉を重ねる必要もあるまい。俺も家族や眷族たちと言葉を交わし、正しき道を探すことにしよう」


「うむ! それでは最後に、願いたき話があるのだが!」


 父ダンがそのように声をあげると、グラフ=ザザは嫌そうに顔をしかめました。


「何だ? これ以上、厄介事を持ちかけてはくれるなよ」


「厄介かどうかは知らん。その家長会議がやってくる日まで、モルンを北の集落に預けたいのだ」


「何だと?」とグラフ=ザザは身をのけぞらしました。


「3ヶ月もの間、娘を我らに預けようというのか? いまだに嫁入りが許されたわけではないのだぞ?」


「しかしおぬしらも、モルンがディック=ドムの伴侶に相応しい娘かどうか、そいつを見極めねばならんだろう? 俺にとっては自慢の娘だが、余所の家でどう思われるかまでは請け負えんからな!」


 そのように言って、父ダンは大声で笑いました。


「なに、ドムの家長の伴侶には相応しからず、という結論が出たときは、家長会議を待たずに返してくれればよい。ガズランの小難しい話が他の家長たちに認められようと認められまいと、気持ちが通じ合わねば婚儀をあげることもかなわんのだからな!」


「……あらためて問うが、大事な娘を、たったひとりで、この北の集落に置いていこうというのか?」


「うむ! モルンがそれを望んでおるからな!」


 モルンは、静かに頭を垂れました。

 この数日で、モルンはとても大人びた表情を見せるようになったと思います。


「わたしがそのような覚悟を固めることができるようになったのは、あなたのおかげなのです、スフィラ=ザザ」


 モルンがそう言うと、スフィラ=ザザは「え?」と不思議そうに首を傾げました。


「あなたはわたしよりも苦しい立場であったと思います。それでもあなたは自らの心情を打ち明けて……その上で、自分の想いを打ち捨てる覚悟をお固めになりました。あなたの苦しさや悲しさに比べれば、わたしの抱えた苦悶などは何ほどのことでもない……そう思って、わたしも気持ちを打ち明けることにしたのです」


 スフィラ=ザザは、目もとだけでかすかに笑いました。


「わたしなど、大事な同胞に迷惑をかけた大馬鹿者にすぎません。でも……それがあなたに勇気を与えたというのなら、少しは迷惑をかけた甲斐もあったかもしれませんね」


「いえ、あなたは決して大馬鹿者などでは――」


「大馬鹿者ですよ。でも、おたがいの心情を確かめ合うことができたのですから、後悔はしていません。あなたもそれは、同じ気持ちなのでしょうね」


 そうしてスフィラ=ザザは、ディック=ドムのほうに視線を転じました。

 ディック=ドムは、やはり岩でできた彫像のように内心が見えません。


「ディック=ドム。わたしたちは、べつだん婚儀をあげる約束をした間柄でもありません。わたしはもうしばらく誰とも婚儀をあげる気持ちにはなれないでしょうから……あなたも自分の伴侶にふさわしい人間が誰であるのか、ゆっくりお考えください」


「…………」


「ややこしい話を抜きにすれば、あなたとモルン=ルティムはとてもお似合いだと思いますけれどね。あなたは彼女のように穏やかで心優しい女衆がお好みなのでしょうから」


 モルンはうつむいて、顔を少し赤くしました。

 ディック=ドムは無表情のまま、鼻の古傷をかいています。


「さて、どうであろうかな? モルンの逗留は許してもらえるのだろうか?」


 父ダンが述べたてると、グラフ=ザザがしかめ面で嘆息しました。


「そこまで言い張るのなら拒みはしないが、ドムの本家で寝泊りというのは避けてもらおう」


「うむ! 婚儀の前に間違いがあってはならんからな! ただ、晩餐ぐらいはともにすることを許してもらいたい! ちょうどドムの本家はレム=ドムが狩人になってしまって、かまど番の手が足りないようだから、うってつけだ!」


 それから、父ダンは笑顔でつけ加えました。


「あと、ルウの一族はもうまもなく収穫祭と最長老の生誕の祝いを迎えるのでな! その日ばかりは、家に帰らせてもらうつもりだぞ! 今後、モルンの嫁入りが許されたとしても、そういった一族や家族の祝いには顔を出してもらおうと思っているのだ!」


「はい。ルティムがルウの血族のままドムに嫁入りするというのは、いったいどういう形の生活になるのか、その見本にもなると思います」


 私がそのように言葉を添えると、モルンは面を上げて、ゆったりと微笑みました。


「どうぞよろしくお願いいたします。決してご迷惑をおかけしないように励みますので」


                 ◇


「……そのような形で、昨晩の会見は終わりました」


 俺は、深々と息をつくことになった。


「相変わらずガズラン=ルティムの記憶力と再現力はすさまじいですね。その場の状況がまるで目に見えるかのようでした」


「はい、恐縮です」


「それで、その話がどうファの家と関わってくるのだ?」


 アイ=ファが問うと、ガズラン=ルティムはやわらかく微笑んだ。


「直接の関わりはありません。ただ、家長会議においては、ファの行いとともにルティムの行いも審議されることになったというだけのことです」


「ああ、そういうことか。……確かにそれは、我々と同じぐらい、森辺の習わしをくつがえす申し出であるのかもしれんな」


「はい。ですがどちらも、森辺の民の幸福を願ってのことです」


 そうしてガズラン=ルティムは、優しげな眼差しを俺のほうに向けてきた。


「きっとアスタと出会っていなければ、私もここまで考えを巡らせることはできなかったでしょう。アスタとの出会いには、あらためて深く感謝しています」


「そんなことはありませんよ。俺のほうこそ、ガズラン=ルティムがいなかったら、ここまでの結果は出せなかったと思います」


 屋台の商売を始めようという第一歩目から、俺はガズラン=ルティムの力と見識を頼っていたのである。

 しかしまた、俺が色々と森辺の常識をくつがえしていなければ、ガズラン=ルティムも今回のような提案を持ちかけることはできなかったに違いない。

 俺たちは、ともに手をたずさえあって、正しき道を模索しているさなかなのである。


「これで家長会議でも婚儀の特例というものが認められて、モルン=ルティムの嫁入りが許されれば、もう言うことなしですね」


「はい。その前に、モルンが伴侶に相応しいとディック=ドムに認められるかどうか、という問題も残っていますが」


「きっと大丈夫ですよ。モルン=ルティムは可愛いし、とっても魅力的な女の子ですから」


 いわゆる美人というタイプではないものの、モルン=ルティムが魅力的な女の子であるという事実に疑いはない。おひさまのように明るくて、朗らかで、一緒にいるだけで元気な心地になれる、モルン=ルティムというのはそういう女の子であるのだ。怒ったときだけダン=ルティムさながらの迫力が生じるというのも、愛すべきギャップといえよう。

 などとそんな風に考えていたら、アイ=ファにじろりとにらまれてしまった。


「……未婚の女衆を可愛らしいなどと軽々しく評するのは感心せんな、アスタよ」


「ああ、ごめん。森辺の習わしにそぐわない行いだったな。反省してます」


「…………」


「反省してますってば! そんなに怒らないでくれよ」


 ガズラン=ルティムがいなかったら、確実に足を蹴られていたところであろう。

 そんな俺たちを見比べながら、ガズラン=ルティムは同じ表情で微笑んでいた。


「モルンの嫁入りはまだ先の話となってしまいますが、ルウ家ではまもなく収穫祭です。雨季も明けたところですし、きっとまた新たな婚儀の話が持ち上がるのではないでしょうか。……アスタとアイ=ファも、収穫祭には参加されるのでしょう?」


「ああ、はい。どちらかというと、ジバ=ルウの生誕のお祝いに招いてもらえた形ですけれども」


「とても楽しみです。スフィラ=ザザにモルンと、難しい話が続いてしまったので……他の同胞には、幸福な関係を結んでもらいたいものです」


 そのように述べながら、ガズラン=ルティムは何かに思いを馳せるように目を細めた。

 朱の月も下旬にさしかかり、ジバ婆さんの誕生日はもはや目前に迫っていたのだった。

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サウティ家の眷属は ヴェラ ドーン フェイ ダダ タムルなので ルウ7氏族 ザザ7氏族と合わせて 族長筋の合計は20氏族でしょうか
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