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異世界料理道  作者: EDA
第二十七章 朱の月は恋の季節
458/1705

見果てぬ想い④~告白~

2017.5/11 更新分 1/1 ・5/14 ・5/26 誤字を修正

 そうして日は過ぎ、朱の月の12日である。

 ゲオル=ザザがファの家を訪れた夜から5日後のその日に、闘技の力比べは決行されることになった。


 森辺の集落および城下町において協議が重ねられて、ついにゲオル=ザザの提案が受け入れられることになったのだ。

 それはすなわち、ゲオル=ザザが森辺の狩人としての力を示して、スフィラ=ザザの心を少しでも慰めたいという提案であった。


 そもそもゲオル=ザザがレイリスに敗北してしまったからこそ、スフィラ=ザザには恋心の萌芽が生まれてしまったのだ。その勝敗をくつがえすことができれば、まだしもスフィラ=ザザの気持ちをなだめることができるのではないか――というのが、ゲオル=ザザの言い分であった。


 はたから見れば、それほど意味のある行いには見えないのかもしれない。

 しかし、最終的にはドンダ=ルウもダリ=サウティも――そして、城下町の貴族たちも、ゲオル=ザザの言い分をはねのけようとはしなかった。


 それはおそらく、話がどのように転んでも、スフィラ=ザザとレイリスが伴侶となるようなことはありえない、と断じられていたためなのだろう。

 仮にゲオル=ザザが再び敗北することになっても、状況が変わることはない。スフィラ=ザザには森辺や同胞を捨てる気持ちなどなかったし、それはレイリスの側も同様であったのだ。

 だからこれは、あくまで気持ちにけじめをつけるための行いに過ぎなかったのだった。


「貴族たちには面倒をかけない形で始末できれば一番であったが、嫁入りや婿取りなどありえないという前提で事情を打ち明けることができるのならば、それも悪い話ではないだろう」


 族長会議の折に、ダリ=サウティなどはそのように言っていたらしい。


「そうして事情を打ち明ければ、自然にレイリスという貴族の心情を知ることもできるしな。……そうすれば、スフィラ=ザザも想いを断ち切る覚悟が固められるのではないか?」


 そう、「レイリスが現在の身分を捨てるはずがない」というのは、あくまでこちら側の推測であったのだ。それが真実であると確証を持てないまま想いを断ち切るというのは、スフィラ=ザザにとって非常な苦痛であったに違いない。その問題が解消されるだけでも、ゲオル=ザザの言い分を受け入れる甲斐はある、とダリ=サウティたちは考えたようだった。


 そうして翌日には、早々に城下町へとその提案が届けられることになり――俺たちは、俺たちの推測が真実であったことを知ることができた。


「確かにレイリスが森辺に婿入りすることなどはありえないし、許されることでもない」

「しかし、闘技の試合をすることで少しでも気持ちが慰められるのならば、その要求に応じることはやぶさかではない」


 城下町の人々からは、そのような返答をもらうことになったのだ。

 これで実質、スフィラ=ザザの想いが永久にかなわないということが決定されたようなものだった。

 その返答が届けられたとき、スフィラ=ザザはどのような思いで、どのように振る舞ったのか――それが余所の家の人間に告げられることは、もちろん決してなかった。


 そうして、決戦の当日である。

 その闘技の試合は、城下町ではなく森辺の集落で執り行われることになった。なるべく内密に話を進めたいというメルフリードの判断だ。聞くところによると、このたびの話は城下町でもごく内輪の人間にしか知らされていないのだという話であった。


 それで選ばれたのは、ルウ家の集落である。

 ザザ家の集落では、あまりに城下町から距離がありすぎたためであった。

 また、時間は朝の早い時間に定められた。上りの四の刻、感覚としては午前の9時頃である。これは、中天の前に勝負を終わらせれば、ギバ狩りの仕事をおろそかにせずに済むという配慮であった。


 その日ばかりは、俺も宿場町での仕事を臨時休業として、ルウ家に駆けつけることになった。外部の人間と正しい縁を紡ぐべき、と主張し続けてきた人間としての、せめてものけじめである。アイ=ファは異論をはさむことなく、俺に同行してくれた。


 ゆとりをもってルウの集落に到着すると、すでにそこには大勢の人々が集まっていた。

 ザザもサウティも、荷車で運べるだけの人数で駆けつけたらしい。特にザザ家は自前で新しいトトスを買っていたので、10名以上の人々が馳せ参じていた。


 俺が知っている相手としては、ゲオル=ザザ、スフィラ=ザザ、グラフ=ザザ、ディック=ドム、レム=ドム、ジーンの家長が顔をそろえていた。

 サウティのほうも、眷族の家長を中心に人選されているようだった。


 さらにはそこに、ルウの眷族の人々も集まっている。6つの眷族の家長たちに、ダン=ルティム、モルン=ルティム、ヤミル=レイ、ツヴァイ、オウラ、シュミラルと、俺にとって馴染みのある人々も数多く見受けられた。


 そういった人々は、大きな広場を囲む格好でたたずんでいる。中央の辺りに陣取っているのは、三族長とゲオル=ザザ、およびスフィラ=ザザの5名だけだ。族長筋とは血の縁すら持たない俺とアイ=ファも、もちろん人垣の片隅でひっそりとレイリスたちの到着を待ち受けていた。


「ずいぶん待たせてくれるものだ。なんだか眠くなってきてしまったぞ」


 と、俺たちのそばにいたダン=ルティムがあくびを噛み殺している。

 よく考えると、ルティム本家の面々は長老のラー=ルティムを除く全員が勢ぞろいしてしまっていた。ルティム家にはトトスのミム・チャーがいるので、フットワークが軽いのである。が、そこで分家の家長たちではなくツヴァイやオウラを引き連れてくるところが、なんともルティム家らしかった。


 ガズラン=ルティムは普段通りの沈着な面持ちをしており、モルン=ルティムはたいそう心配そうに両手をもみ絞っている。最近の彼女は、明らかに情緒が不安定であるように思えた。


(以前も彼女は、ディック=ドムのからむ話で動揺してたんだよな)


 それはたしか、ドーラの親父さんたちをルウ家に招いた祝宴の際であっただろう。あのときはさっぱり意味がわからなかったが、2度までも続けば鈍感な俺でも色々と思うところがあった。


 そのディック=ドムは、広場をはさんで向かい側に陣取っているので、ギバの頭骨がちらちら見えているぐらいである。彼ぐらい長身でなければ、それを見分けることさえ難しかっただろう。


「ううむ、眠い! 貴族どもが到着するまで、俺はひと眠りさせてもらうかな。ツヴァイ、ちょっとそこを通してくれ」


「落ち着きのないヤツだネ! そんなに眠いなら、家で大人しくしていればよかったじゃないか」


「こんな面白い見世物を見逃せるものか! 森辺の狩人とまともにやりあえる人間など、町にはそうそういないはずなのだからな!」


「フン! ザザ家にとっては誇りをかけた大勝負でも、アンタにとっては見世物の力比べに過ぎないってこったネ!」


「それはそうであろう。ルティムとザザは眷族でも何でもないし、そもそも貴族に嫁入りなどという話もすでに潰えてしまっているのだからな。これでは見世物として楽しむぐらいしかなかろうよ」


 そのように述べてから、ダン=ルティムはにんまりと微笑んだ。


「しかしお前さんたちは、あの女衆とも縁があったのだったな。血の縁は絶たれても、友として大いに心配してやるがいい」


「スフィラ=ザザとそんな心の温まる関係を結んだ覚えはないヨ! 泣き顔のひとつでも見せてもらったほうが楽しいぐらいサ!」


 ツヴァイはそのように述べていたが、スフィラ=ザザはいつも通りの冷徹な面持ちでたたずんでいるばかりであった。

 彼女は広場の中央にいるので、その姿もよく見える。父親と弟の巨体にはさまれて、しっかりと頭をもたげたその姿は、決して弱みを見せることなく己の運命に立ち向かおうとしているように見えた。


 ちなみに向かいの人垣には、ディンやリッドの人々も控えている。親筋たるザザ家の大事とあって、彼らもファファの荷車で駆けつけたのだ。その中にはトゥール=ディンも含まれているはずなので、きっと懸命にスフィラ=ザザの姿を見守っていることだろう。レム=ドムと同様に、トゥール=ディンはスフィラ=ザザともそれなりに交流を結んでいたのだ。


 そして俺とアイ=ファのかたわらには、バードゥ=フォウとベイムの家長がそろっている。今日の顛末を小さき氏族に伝えるために、彼らも同行を願ってきたのだ。これほど数多くの氏族がルウの集落に集まるというのは、俺の知る限りでは初めてのことだった。


「すげー人数だな。まるで宴みたいだぜ」


 と、こちらにひょこひょこと近づいてきたルド=ルウが、そのように声をかけてきた。


「いったいどっちが勝つんだろうな。アイ=ファはどう思う?」


「わからんな。本来の力量を考えればゲオル=ザザであろうが、どうもあやつは腕力に頼りすぎる節がある」


「ああ、ルウ家で言うと、ジィ=マァムぐらいの力量かな。あれじゃあ、ルウ家では勇者になれねーよ」


 そのように述べてから、ルド=ルウはきらりと瞳を光らせた。


「そういえば、ルウ家の収穫祭がもうじきなんだよな! 意外とギバの数が減らねーから、いっそのことジバ婆の生誕の日と一緒にしちまおうかって話になってんだよ」


「そうなのか。祝いの花だけでも届けることを許してもらえればありがたいのだが」


「そんなこと言わねーで、力比べにも参加してくれよ。みんなアイ=ファとは力を比べたいって思ってるんだからよ」


「……しかし、血族ならぬ人間があまり大きな顔をするべきではなかろう」


 アイ=ファがそのように答えると、ルド=ルウは「ふふん」と鼻を鳴らした。


「ひょっとしたら、アイ=ファは自分が一番の勇者になって、ルウ家の体面を潰すことになるんじゃねーかって心配してんのか? 言っておくけど、今回はそんな簡単にいかねーと思うぜ? 俺やジザ兄やダルム兄や、それにシン=ルウやラウ=レイやミダだって、みんな昔より力をつけてるんだからよ!」


「そのようなことは、わかりきっている。お前たちに勝つことが容易いなどとは、夢さら思ってはいない」


「そんならいいけどよ。……お、来たみたいだな」


 ルド=ルウが宣言してから数秒後に、俺の耳にも荷車の駆けてくる音色が聞こえてきた。ざわざわとざわめいていた人々が、ほんの少しだけ静かになる。


 2頭のトトスに引かれた箱形の車が、続々と広場に入ってきた。

 その数は、3台。1台に10人以上が乗車できることを考えれば、なかなかの台数だ。


 車は族長たちの立ちはだかった場所から数メートルほど距離を置いて停車した。

 その中から、まずは白い甲冑を纏った衛兵たちが降りてくる。

 全員が白革のマントをつけており、腰には立派な長剣を下げている。おそらくは、メルフリードの直属の部下である近衛兵団の一部隊だ。


 30名近い衛兵たちが整列をすると、ようやくその主人たちが姿を現す。

 メルフリードとポルアース、それにレイリスの3名である。

 森辺の民との調停役である両者が、今回の試合の立会人として参上したのだ。


「……トトスと車は邪魔になるな。広場の外に出して、2名ずつがその場で待機せよ」


 メルフリードに命じられて、6名の衛兵が車とともに退出していく。

 それをしばらく目で追ってから、メルフリードは族長たちの前に歩を進めた。

 本日は彼も、美々しい甲冑姿であった。その兜には、誰よりも立派な房飾りがなびいている。


「いささか準備に手間取って、刻限に遅れてしまったようだ。おわびの言葉を申し述べさせていただく」


「いや、無理な申し出をしたのはこちらなのだから、何も気にする必要はない。このような場所まで足をのばしていただき、感謝する」


 三族長を代表して、ダリ=サウティがそのように応じた。

 メルフリードや衛兵たちは堂々としたものであるが、ポルアースはひとりでおどおどとしている。


「そ、それにしても、これだけの森辺の民が集まるというのは壮観ですな。ざっと100名ぐらいは集まっておられるのかな?」


「数えてはいないが、それぐらいの数にはなっているかもしれない。決してあなたがたに害をなすことはないので、安心してもらいたい」


「も、もちろん僕は森辺の民との絆を信じておりますけれどね」


 ポルアースは、見た目よりも肚の据わった御仁である。だけどやっぱり、このような環境に置かれては気が休まらないのだろう。

 もともとルウの集落に住まっている人々と、族長筋の関係者、および小さき氏族からの数名を加えて、確かに100名近い人数になってしまっているに違いない。しかも、その半数以上は狩人であるのだから、驚嘆の度合いもひとしおであるはずだった。


「先日の会合の際にも申し述べたが、君主筋であるあなたがたをこちらの都合で呼びつけたことに関しても、非常に申し訳なく思っている。決してあなたがたの立場を軽んじているわけではないので、どうか信じてもらいたい」


「こちらも同じ答えを返したと思うが、そもそも森辺の民に闘技会への参加を呼びかけたのは、このわたしだ。それが火種となってこのような事態を招いたというのなら、こちらにも責任の一端があるのだろう」


 そうしてメルフリードは、低いがよく通る声でさらに言いつのった。


「また、サトゥラス伯爵家の第一子息や、かつての騎士団長ゲイマロスの乱心によって、森辺の民には多大な迷惑をかけたことがある。それを思えば、サトゥラス伯爵家がこのたびの申し出を断るわけにもいくまい」


「うむ。そのように言ってもらえれば、こちらもありがたい」


 それでどうやら、儀礼に則った挨拶は終了したようだった。


「では、さっそく準備を始めさせていただこう。甲冑と剣をこちらに」


 衛兵が2名、大きな木箱をメルフリードのもとまで運んでいった。


「前回の闘技会と同じものを準備した。何も細工などないことを事前にあらためていただきたい」


 これもまた、レイリスの父親であるゲイマロスがかつて細工などをしてしまったために、必要とされるようになった措置なのだろう。

 ダリ=サウティとグラフ=ザザが木箱の中身をあらためている間に、俺はレイリスの様子をうかがってみた。


 レイリスはすでに、甲冑を纏っている。

 周囲の近衛兵たちとはいくぶんデザインの異なる、白銀の甲冑だ。革の上から金属板を張りつけた、競技用の甲冑である。

 まだ面頬は上げられているが、この距離からでは表情をうかがうことはできない。ただ、ゲオル=ザザやスフィラ=ザザのほうに顔を向けつつ、その目は伏せられているように感じられた。


「問題はないようだ。グラフ=ザザも、異存はないな?」


 グラフ=ザザは、無言でうなずいた。

 自分の娘や息子たちによってこのような騒ぎが引き起こされて、いったいどのような心情であるのか。俺にはそれを知るすべもない。


「では、ゲオル=ザザに甲冑の装着を。……その間に、こちらは試合の場を作らせていただく」


 メルフリードの指示で、2名の衛兵が奇怪な動きを見せた。5メートルばかりの長さの荒縄を取り出すと、コンパスの要領で広場に巨大な円を描き始めたのだ。


 衛兵のひとりは広場の中心あたりで荒縄の端を握りしめ、逆側の端を握りしめた衛兵がぐるりと一周して、地面に円を描いていく。木の棒で、地面に浅く溝を作ったのだ。そうして直径10メートルていどの円が完成すると、15名ばかりの衛兵たちがそれに沿って等間隔に整列した。


「試合は、この円の中で行ってもらう。円の外に一歩でも足を踏み出したら、その場で敗北となる。それ以外は、闘技会と同じ取り決めで問題はないだろうか?」


 衛兵の手によって甲冑を装着されているゲオル=ザザは「ああ」と低い声で応じた。


「ずいぶん時間が経っているので、闘技の取り決めについても確認させていただこう。勝負の判定は、審判に生命の危険があると判断されたときと、あとは自ら敗北を認めたときのみに下される。剣が折れても交換は認められず、徒手による攻撃も有効とする。それでよろしいか?」


「ああ」


「では、族長たちも円の外に。審判は、わたしがつとめさせていただく」


 三族長とスフィラ=ザザ、それに護衛の衛兵にはさまれたポルアースが円の外へと下がっていく。

 後に残されたのは、甲冑を装着したゲオル=ザザとレイリス、それに審判役のメルフリードのみであった。


「両名、西方神に宣誓を」


「サトゥラス伯爵家の血族たるレイリスの名にかけて、正々堂々と戦うことを大いなるセルヴァに誓う」


「森辺の族長グラフ=ザザの子ゲオル=ザザは、森辺の狩人として恥じぬ戦いを見せることを、西方神と母なる森に誓おう」


 ふたりは鞘から長剣を引き抜いた。

 やや細身に作られており、刃は研がれていない、競技用の長剣だ。

 メルフリードは右腕を上げ、「始め!」と鋭い声をあげた。


 それを見守る人々は、声をあげようともしない。

 ただ、100名近い人間の息づかいだけが広場を満たしていた。


 そんな中、両者はすり足で間合いを測っている。

 レイリスは両手で柄を持ち、剣の切っ先を相手に向けていた。

 ゲオル=ザザは片手に剣を下げ、無造作にも見える姿で相手をにらみすえている。


 猪突猛進のゲオル=ザザも、いきなり斬りかかろうとはしなかった。

 きっとレイリスの敏捷さを警戒しているのだろう。

 なおかつ、レイリスは突き技を主体とする戦術であるはずだった。剣道よりはフェンシングに近いスタイルで、素早く剣を繰り出してくるのだ。


 むろん、剣の切っ先も刃は落とされているので、甲冑をつらぬくことなどはできない。

 しかしそれでも、長大な鉄の塊である。

 また、甲冑のほうも革に薄い鉄板を張っているだけの作りであるので、当たり場所が悪ければ一撃で悶絶させられるはずであった。


「あのときは、ふたりともクタクタに疲れてたんだよな」


 重苦しい静寂の中、ルド=ルウが囁くような声音でつぶやいた。


「今日はふたりとも元気だけど、そいつはどっちに有利に働くんだろうな」


 しばらくはどちらも手を出さず、ゆっくりと円を描くように間合いを測りあっていた。

 見ているだけで胃袋の縮むような、神経戦である。


 ふいに、その静寂が破られた。

 レイリスが、刀を繰り出したのだ。


 ゲオル=ザザは野獣のような俊敏さで後方に跳びすさり、その過程で右手にぶら下げていた刀を跳ね上げた。

 おそらくは、レイリスの刀をそれで弾こうとしたのだろう。

 だが、レイリスは素早く刀を引いていたので、おたがいの斬撃がぶつかることはなかった。


 ゲオル=ザザが遠ざかった分、レイリスがじりじりと前身する。

 すると今度は、ゲオル=ザザが大きく刀を振り払った。

 左から右へ、真横に刀を一閃する形だ。


 レイリスは身を引いてから、素早く踏み込もうという素振りを見せた。

 しかしその頃には、ゲオル=ザザの腕がもとの位置に戻っていた。

 たたらを踏んだレイリスは、追撃を警戒してさらに後ずさる。


 どちらも、慎重そのものだった。

 きっと、おたがいの力量を知りつくしているゆえの慎重さであるのだろう。


 太陽は、そんな両者の身体を容赦なく照りつけている。

 初夏の気温であのような甲冑を纏っていれば、それだけで体力を消耗させられるに違いない。


(あんな兜をかぶっていたら、汗をぬぐうこともできないもんな。勝負が長引いたら、不利になるのはゲオル=ザザのほうなんじゃないだろうか)


 俺はそのように考えていた。

 すると、その思いに呼応するかのように、再びゲオル=ザザが動いた。


 今度は長剣を振り上げて、袈裟斬りの格好でレイリスを襲う。

 それを回避したレイリスは、片手に持ち替えた刀を鋭く突き出した。

 ゲオル=ザザは巨体をひねり、その攻撃をかわしてから、また刀を振り払う。今度は下側からすくいあげるような格好だ。


 フォームは滅茶苦茶だが、森辺の狩人の膂力である。一撃でも攻撃をくらわすことができれば、それで勝負を終わらせられるはずであった。

 しかしレイリスは巧みな足さばきでそれをかわし、反撃に転じる。その切っ先は、ゲオル=ザザの纏った鎧の脇腹をかすめたようだった。


 腕力や反射神経というものに関しては、ゲオル=ザザが圧倒しているはずである。森辺の狩人というのは、ほとんど規格外の身体能力を有しているものであるのだ。


 しかしこの戦いでは、互角の勝負になってしまっている。その要因の一番は、やっぱり両者の剣技の違いにあったのだろう。


 かつてアイ=ファやライエルファム=スドラも言っていたが、狩人の剣技とはギバを狩るために練りあげられた技術であるのだ。

 いっぽうのレイリスは、人間を斬るための剣術というものを身につけている。


 有り体に言って、ゲオル=ザザの動作はいちいちアクションが大きかった。それは、怪力自慢であるゆえに力まかせになってしまっている面もあるのであろうが、それと同時に、自分よりも巨大であったり怪力であったりするギバを倒すのに必要な動きであるように思えた。


 ギバを倒すには、渾身の力で刀をふるう必要がある。だから、勢いをつけて、大ぶりで刀を振り回すのが常であるのだ。実際にギバが狩られるところなどはまともに見たこともない俺ですら、そのように見当をつけることはたやすかった。


 それに対して、レイリスはスピードに特化しており、なおかつ突き技を主体にしている。そんな剣技はギバを相手に通用しそうにないので、ゲオル=ザザにはまったく馴染みがないものであるはずだった。


 大きく動くのが習性になっているゲオル=ザザと、最小の動きで相手の隙を狙うレイリス、という構図であるのだ。その戦法の相性が、レイリスにとっては有利に働いて、互角の勝負とされてしまっているように見える。


 さらにゲオル=ザザには、着慣れない甲冑を纏っているというハンデもある。あのようなものを纏えば全身の可動範囲が制限されるし、面頬のおかげで視界も悪くなる。怪力であるゲオル=ザザにとっては、甲冑の重量よりもそちらが足枷となるはずだった。


 それに森辺の狩人は、雨が降っていてもフードをかぶろうとはせず、目や耳を剥き出しにしていた。さらには嗅覚や皮膚感覚をも頼りにして、ギバ狩りの仕事に励んでいるのだろう。そういう面でも、あの兜はゲオル=ザザの力を大きく削いでいるのだと思われた。


「……何をやっているのだ、ゲオル=ザザ!」


 と、そこでいきなり何者かの怒号が響きわたった。

 それは、死闘を繰り広げる両者が一瞬びくりと身体を震わせて、思わず相手から距離を取るほどの、凄まじい声音であった。


「そのようなことで、家族の心に安らぎをもたらせるのか? 次代の族長として、森辺の狩人として、恥ずかしくない姿を見せてみろ!」


 ドンダ=ルウの他にもこんな咆哮じみた声をあげることのできる人間がいるのか、というぐらいの迫力であった。

 つまりそれは、ドンダ=ルウ以外の何者かがあげた声であった。


 その声が余韻を引いて消失するや、今度は喚声が爆発する。

 息を詰めて見守っていた森辺の民たちが、ゲオル=ザザを応援する声をあげ始めたのだ。


 歴戦の勇士と思しき近衛兵団の衛兵たちも、これには首をすくめたり視線をさまよわせたりしていた。気の毒なポルアースなどは、頭を抱えてその場にへたり込んでしまいそうな様子を見せていた。


 森辺の民の生命力というのは、凄まじいものなのである。一瞬にして、ルウ家の広場は熱気の坩堝と化した。早起きのギバがその辺りをうろついていても、慌てて逃げだしていきそうな喚声であった。


「ひょっとして、さっきの声はディック=ドムだったのかな。あんまり大声を出すようなやつとは思えなかったけど」


 かろうじて、ルド=ルウがそんな風につぶやく声が聞こえた。

 真相は、わからない。

 ただ、その喚声に背中を押されるようにして、再び試合場の両者は刀をふるい始めていた。


 ゲオル=ザザは、嵐のような猛攻である。レイリスはぎりぎりのところでそれを回避して、相手の胸もとや足もとに刀を繰り出している。

 レイリスの剣技も大したものであるが、きっと反撃の手を休めていたら、一瞬でゲオル=ザザの猛攻に呑み込まれていたことだろう。レイリスが反撃をして、それを回避するためにゲオル=ザザが体勢を乱しているからこそ、何とか持ちこたえることができたのだ。


 しかし、それほど長い時間をかけることなく、両者の動きに変化が生じた。

 ゲオル=ザザがいよいよ勢いを増していくのに対して、レイリスの足がもつれ始めたのだ。

 レイリスとて、重い甲冑を着込んでいるのである。いかに着慣れたものであっても、体力の消耗は避けられないようだった。


 だんだんと、レイリスの動きも大きく、荒くなっていく。もういつその刀が弾かれて、強烈な斬撃をくらってもおかしくはないように思えた。


 そうして、俺がほとんどゲオル=ザザの勝利を確信したとき――レイリスが、ひときわ大きな動きで後方に跳びすさった。

 攻撃をかわされたゲオル=ザザは、たたらを踏んで、体勢を整える。

 そのひと呼吸で、レイリスはぎゅっと剣の柄を握りなおし、凄まじい勢いで地面を蹴った。


 これまでで最高の鋭さを持つ動きであった。

 途中まで両手で握っていた柄から左手が離れて、身体はほとんど真横を向き、刀はそのまま真っ直ぐに突き出されていく。間合いは遠かったが、それならば十分に相手へと届く攻撃であった。


 ゲオル=ザザは、ようやく体勢を整えたところだ。

 そのみぞおちの辺りに、レイリスの剣の切っ先がするすると吸い込まれていく。


 ゲオル=ザザが、何か叫んだ気がした。

 それと同時に、ゲオル=ザザは身体をひねっていた。

 身体をひねりながら、足もとに垂らしていた剣先を下から跳ね上げる。


 硬質の音色が響き渡り、白銀のきらめきが宙に舞った。

 一本の長剣が弧を描きながら虚空をかき乱し、場外線を守っていた衛兵の足もとに突き刺さる。


 レイリスの手から、刀が失われていた。

 そして、その胸もとにゲオル=ザザが刀を突きつけていた。


 レイリスが、ゆっくりと両手をあげる。

「参った」と宣言したのかもしれないが、それは森辺の民の歓声にかき消されてしまっていた。


「勝負あり! 森辺の狩人、ゲオル=ザザの勝利!」


 メルフリードの声は、かろうじて聞き取ることができた。

 ゲオル=ザザは、大きく肩を上下させながら、刀を下ろす。


 まるで収穫祭の力比べのときのように、人々は歓声をあげていた。

 そんな大歓声の中、ゲオル=ザザは刀を放り捨て、地面に座り込んだ。

 レイリスも、それにつられたように片膝をついている。

 時間にすれば2、3分であったのだろうが、両者ともに精魂尽き果てているようだった。


 メルフリードが合図をすると、衛兵たちがゲオル=ザザに駆け寄って、彼の甲冑を外し始めた。

 そのタイミングで、三族長とスフィラ=ザザも広場の中央に進み出ていく。


「見事な勝負だった。ゲオル=ザザもレイリスも、まごうことなき勇者だろう」


 ダリ=サウティが、大きめの声でそのように評した。

 それとともに、森辺の人々もようやく静まっていく。


「そして、一滴の血も流されることなく勝負がついたことも、嬉しく思っている。立派な立ち居振る舞いだったぞ、ゲオル=ザザよ」


 衛兵たちに甲冑をひっぺがされながら、ゲオル=ザザは「ふん」と鼻を鳴らした。


「それでもけっきょく、このように勝負が長引いてしまった。これではけっきょく、俺の未熟さとそやつの力量を知らしめることにしかならなかったかもしれん」


「……そのようなことは、決してありません」


 と――スフィラ=ザザが、この場で初めて口を開いた。

 まだ多少の歓声をあげていた人々も、それでいよいよ静まっていく。


「この前の収穫祭のときよりも、あなたは力にあふれているように感じられました。あなたはザザ家の誇る勇者です。父グラフもそのように思っているはずです」


 グラフ=ザザは、無言で子供たちを見下ろしている。

 ギバの毛皮をかぶっているために、その表情までは見て取れない。


「そしてあなたは、わたしの不始末をおさめるために、そうして死力を尽くしてくれました。本当に、心から感謝しています」


「よせ。お前にそんな殊勝なことを言われると、背中がかゆくなってくる」


 ゲオル=ザザは、篭手から解放された指先で、がりがりと頭をかきむしる。彼のほうは狩人の衣も脱いでいたので、意外に若々しいその面もむきだしにされていた。


 そんな弟に穏やかな面持ちでうなずきかけてから、スフィラ=ザザはレイリスに向きなおった。

 レイリスは兜だけを外されて、まだぜいぜいと息をついている。


 いかにも貴族らしい風貌をした、16歳の若者だ。

 レイリスは立ち上がり、正面からスフィラ=ザザと向かい合った。


「サトゥラス伯爵家のレイリス。……このたびは、わたしが心を乱してしまったばかりに、あなたにも多大な迷惑をかけてしまいました。族長筋たるザザ家の人間として、非常に恥ずかしく思っています。願わくは……この先も、森辺の民と正しく縁を紡いでいっていただきたいと思います」


 スフィラ=ザザは、深々と頭を下げた。

 レイリスは天を仰ぎ、大きく息をついてから、あらためてスフィラ=ザザを見つめる。


「頭を上げてください、スフィラ=ザザ。わたしの父は、かつて森辺の民に許されざる大罪を働いてしまいました。それを思えば、このていどの労苦など何ほどのものではありません」


 スフィラ=ザザは面を上げて、静かにレイリスを見つめ返す。

 褐色の髪を汗で額にはりつかせたレイリスは、その面にやわらかい微笑を浮かべた。


「それに……このような人々の面前で口にするのは、はばかられることですが……あなたのような方に想いをかけられて、それを苦にする人間などいようはずもありません」


「……それもこの日限りです。わたしがこの先、城下町に足を踏み入れることはないでしょう。どうかわたしの存在を永久に忘れていただけたら、幸いです」


 表情をいっさい動かさないまま、スフィラ=ザザはそう言い放った。

 レイリスは、ふっと切なげに目を伏せる。


「それは、いささか難しいかもしれません。でも、そうする他ないのでしょうね。わたしもあなたも、おたがいに自分の家や身分を捨て去ることなどはできないのですから」


「はい、その通りです」


「……わたしはサトゥラス伯爵家に生まれたこの身を誇りに思っています。父はその名に相応しからぬ大罪を犯してしまいましたが……その罪を償うためにも、わたしは心正しく生きていこうと思います」


「はい。あなたなら、きっとそうすることができるでしょう」


「そうでしょうか。そのように決断するのにも、わたしは相当な覚悟を固める必要があったのですが」


 スフィラ=ザザは、いくぶんけげんそうに小首を傾げた。

 レイリスは微笑をたたえたまま、伏せていた目を上げる。


「わたしはどうして、もっと自由に生きていくことができないのか……この2ヶ月ばかりは、ずっとそのように思い悩むことになってしまいました」


「は……それはどういう……?」


「わたしもあなたと同じように、この身の不自由さを嘆くことになってしまったのです。……あなたという存在に出会ってしまったために」


 スフィラ=ザザは、ぐらりとよろめいた。

 それを支えようと手をのばしかけたレイリスは、途中でぐっと拳を固める。


「だけどわたしは、家を守るという運命を選びました。父があのようなことになった以上、わたしが当主として、残された家族を守っていかなければならないのです。森辺に婿入りすることはもちろん、貴族ならぬ相手を伴侶として迎えることも許されません。……たとえ、どれほど心をひかれる女性と出会っていてもです」


「レイリス……それは……」


「だけど、あなたが同じ苦悩を抱くことになったと知ることができて……まだしも、わたしの心は救われました。この喜びと悲しみを胸に、わたしはこの先を生きていこうと思います」


 スフィラ=ザザの瞳から、こらえかねたように涙がこぼれ始めた。


「そんな……そんなことは……レイリス、虚言は罪なのですよ……?」


「はい。わたしは真実のみを口にしています」


「だけど……貴族が森辺の民を見初めるなんて、そんな馬鹿げた話は……」


「わたしの言葉を、信じていただけないのですか?」


 レイリスは、とても悲しそうな顔で微笑んだ。


「スフィラ=ザザ、この先の運命を曲げることはできないとしても、どうかわたしの言葉が虚言であるとは思わないでください。従兄弟たるリーハイムのように、軽はずみな気持ちで述べているのではありません。わたしは本当に……本当に、運命さえ許せばあなたを伴侶に迎えたいと思うぐらい、心をひかれてしまっていたのです」


 スフィラ=ザザは、無言のまま涙を流し続けている。

 するとレイリスは、何かを払いのけるように頭を振ると、また地面に片方の膝をついた。

 そうしてしっかりと頭をもたげて、下からスフィラ=ザザの顔を見つめる。


「それでは、ひとたびだけ……ひとたびだけ、すべての道理や制約から外れた言葉を口にすることをお許しください」


「レイリス、あなたは……」


「スフィラ=ザザ、どうか森辺の民としての身分を捨てて、わたしの伴侶になっていただけないでしょうか?」


 レイリスが、篭手を外した手をスフィラ=ザザのほうに差しだした。

 その広げた手の平に、スフィラ=ザザの涙が落ちる。


「いえ……それだけは、どうしてもかなわないのです……わたしには、家族や故郷や同胞を捨てることはできません……」


「……そうですか」


 レイリスは、スフィラ=ザザの涙ごと拳を握りしめた。

 そうして立ち上がったレイリスに、今度はスフィラ=ザザが語りかける。


「レイリス、わたしからもお聞かせください……どうか今の身分を捨てて、森辺の家人となり、わたしの伴侶になってもらえないでしょうか……?」


「……いえ、それだけは、どうしてもかなわないのです」


 レイリスは、透き通った表情で微笑んだ。

 その面を見つめ返しながら、スフィラ=ザザも初めて微笑んだ。


「それでは……これまでですね」


「はい。これまでです」


 レイリスは、何かをこらえるように拳を握りしめながら、ただその顔には透明な微笑をたたえていた。


「この生が終わったとき、わたしの魂はセルヴァに召されます。その後は、天界の住人として招かれるか、再び下界に生を受けるか――願わくは、どちらの運命を賜るとしても、次の生ではあなたのかたわらにありたいと願います、スフィラ=ザザ」


 スフィラ=ザザは無言のまま、涙のあふれる瞳でレイリスを見つめ続けた。

 そのかたわらに、怒った顔をしたゲオル=ザザがずいっと進み出る。

 レイリスは、同じ眼差しでゲオル=ザザを見た。


「ゲオル=ザザ、あなたのおかげで、わたしは自分の選んだ道が正しいのだと確信することができました。わたしは、スフィラ=ザザに相応しい人間ではない。……どうかこの先も、スフィラ=ザザが幸福な生を送れるように、お見守りください」


「そのようなことは、お前に言われるまでもない」


 ゲオル=ザザは、姉の頭を荒っぽく胸もとに抱え込んだ。

 スフィラ=ザザは弟の分厚い胸に取りすがり、声もなく泣いている。


「だが、お前にはとても感謝している。……俺もお前が幸福な生を送れるように祈らせてもらおう」


「ありがとうございます。それでは、これにて」


 レイリスは優雅に一礼して、ザザ家の姉弟に背を向けた。

 森辺の人々も、ずっと無言でその姿を見守っていた。


 森辺と城下町で、ひとつの恋が実る前に終わった。

 これは、そういう話であったのだ。


 そして森辺の人々は、この出来事を呼び水として、また新たな騒動や変転を迎えることになったのだった。

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