見果てぬ想い③~弟の決意~
2017.5/10 更新分 1/1
さらに翌日の、朱の月の7日である。
その日にファの家を訪れたのは、ディンとリッドの家長たちであった。
時刻は夕暮れ時。ファの家の晩餐を見本として、近在の女衆に調理の手ほどきをしていた頃合いだ。狩人の仕事を終えてファの家を訪れてきた両名は、開口一番、レイリスについてを問うてきた。
「その貴族は、本当にゲオル=ザザをも上回る勇者であったのか? ゲオル=ザザが油断していただけなのではないのか?」
「それに、人柄はどうなのだ? 貴族など、高慢で鼻持ちならない人間ばかりではないのか?」
「ちょ、ちょっとお待ちください。おふたりは、どうしてそんなにレイリスのことを気にかけておられるのですか?」
俺が反問してみせると、リッドの家長たるラッド=リッドは「それは気にかかって当然であろう」と腕を組んだ。
「ザザ家というのは族長筋であり、しかも俺たちにとっては親筋の氏族だ。そのザザの本家の人間が貴族などに懸想したと聞いて、黙っていられるものか。そのレイリスとかいう貴族がよほど立派な人間でない限りは納得がいかん」
「でも、たとレイリスが立派であろうとなかろうと、スフィラ=ザザの嫁入りが認められることはありませんよね?」
「当たり前だ! そのように馬鹿げた真似は、グラフ=ザザが決して許さぬだろう! ……しかし、ザザ家の人間が貴族などに懸想したという事実が消えることはないのだから、やはり放ってはおけぬではないか」
どうやらラッド=リッドたちも、ただひたすらに困惑したり動揺したりしているだけであるようだった。直情的なラッド=リッドはまだしも、厳格で沈着なタイプであるように見受けられるディンの家長にしてみても、それは同様であるらしい。
とにかく俺は、自分の知る限りのことを伝えてみせるしかなかった。
しかし俺だって、そこまでレイリスのことを知りつくしているわけではない。くどいようだが、顔をあわせたのは2回きりであったし、ごくわずかな言葉を交わした間柄であるに過ぎないのである。
「そういえば、見た目はどのような男なのだ? 年齢は? 身体の大きさは?」
「年齢は俺と同じぐらいで、背は俺より少し高いぐらいでしょうかね。そんなにがっしりとした体格ではなく、見た目はまあ、いかにも貴族らしい風貌ですよ」
「貴族らしいなどと言われても、俺たちは貴族など目にしたこともないぞ」
「しかし、ゲオル=ザザよりも小柄な体格であるのなら、それはなおさら大した話だな」
どうも彼らは、レイリスがなるべく立派な人間であってほしいと願っているように見受けられた。森辺の女衆が余所の男に懸想するなら、それは格段に魅力的な相手でなければ納得がいかない、という思いからくるものなのであろうか。
俺がそんな風に考えていると、難しい顔をしていたラッド=リッドがぎょろりとした目を向けてきた。
「なあ、アスタよ。そのレイリスという貴族が森辺に婿入りしてくるということはありえぬのかな?」
「ええ? それはさすがにありえないと思います。貴族は貴族で、自分たちの家というものを非常に重んじているでしょうから」
「ふむ。しかし、リリン家の家人となったシュミラルという男衆は、家どころか神を捨ててまで婿入りを願ったのであろう?」
「それはその、シュミラルの側が強く懸想する立場でありましたからね。今回は、森辺の民の側が懸想をしているわけですから……」
「だが、そのレイリスという貴族とて、スフィラ=ザザの気持ちを知れば、心を動かされるやもしれぬではないか?」
執拗に食い下がるラッド=リッドに、俺は首を傾げることになった。
「あの、ラッド=リッドはレイリスがスフィラ=ザザに婿入りすることを望んでおられるのですか?」
「そんな面倒なことを、誰が望むものか! ……しかし、そこまでスフィラ=ザザが思い詰めているというのなら、あまりに不憫ではないか」
心情としては、俺も同感である。
だけどやっぱり、レイリスが貴族としての身分を打ち捨てるというのは考えにくい。ましてや彼は、サトゥラス伯爵家の当主の甥という、それなりの身分にある人間であるのだ。父親はサトゥラス騎士団の団長であったという話であるし、ジェノス内の序列はかなり上位であるはずだった。
(族長たちの間でも最終的な決断を下せずにいるから、みんなも不安になってきているのかな)
とりあえず、ラッド=リッドたちは半刻ばかりも粘ってから、ようよう自分たちの家に戻っていった。
では、晩餐の仕上げを――と思ったところで、今度はフォウやランの女衆がおずおずと声をかけてくる。
「あの、スフィラ=ザザは貴族たちの舞踏会というものに参加していたのですよね?」
「そのときは、城下町の宴衣装というものを身に纏っていたのでしょう?」
「それは見事な宴衣装であったと、トゥール=ディンからも聞いています。それならば、レイリスという貴族がスフィラ=ザザを見初めることもありうるのではないでしょうか?」
俺がびっくりして視線を巡らせると、その場に居残っていた女衆はみんな好奇心をむきだしにして俺のことを見つめていた。普段通りの様子を見せているのは、トゥール=ディンとユン=スドラぐらいのものであった。
「ど、どうしたのですか? 昨日や一昨日は、そんなに関心もなさそうだったではないですか?」
「それはだって……仕事の最中にそんな浮ついた話をするわけにもいきませんでしたし……」
「それに、このような騒ぎはすぐに族長たちの力で鎮められるのだろうと思っていたのですよね」
どうやら彼女たちは、ごく女性らしい心情で今回の一件に好奇心を刺激されたようだった。清廉なる森辺の女衆であっても、やはり色恋の話というのは興味深いものであるらしい。
「それはそうですよ。アスタのいない場所では、けっこうそのような話が取り沙汰されることは多いですよ」
帰り際、そのようにこっそりと教えてくれたのはユン=スドラであった。
「アスタはかまど番であっても男衆ですから、普段はなるべくひかえるようにしているのでしょう。女衆というのは、色恋の話に関心をひかれるものであるのです」
「うん、今日はそいつを実感させられたよ。……でも、ユン=スドラはあんまりそういう話に興味がなさそうだね」
「わたしは……他者の色恋沙汰ではしゃげるような立場ではありませんし」
そうしてユン=スドラは切なげな微笑を残して立ち去っていった。
フォウやランとのお見合いはどうなったのか、彼女の口から語られることはない。しかし、おたがいの家で交流の晩餐会を繰り返し行って、そろそろ嫁入りの話が具体的になってきている頃合いであるはずだった。
(やっぱり色恋の話っていうのは、楽しいだけじゃ済まないことも多いよな)
ともあれ、ファの家においては一応の平和が保たれていた。
今日もアイ=ファは無事に帰り、小ぶりの若いギバを収穫していた。雨季が明けて、なお絶好調といった様子である。
そんな家長に、俺は丹精込めた晩餐を供してみせる。本日の献立は、ケルの根を使って改良を重ねた『ミャームー焼き』を主菜として、まもなく市場から消えてしまう雨季の野菜をふんだんに盛り込んでいた。
「アイ=ファはさ、オンダのことをどう思う?」
もりもりと食事を進めるアイ=ファに問うてみると、「どうとは?」と首を傾げられてしまった。
「いや、トライプとレギィは雨季の間じゃないと育てるのが難しいようだけど、オンダだったら準備自体はできるらしいんだよ。こいつは小屋の中で育てる特別な野菜だからさ」
「ふむ。しかし私は、雨季の間しかこの野菜を見た記憶はないな」
「それはまあ、雨季の間に売り出すっていうのがダレイムの習わしだったからね。でも、あるていどの注文を見込めるなら作り続けてもかまわないって、ドーラの親父さんに言ってもらえたんだよ」
オンダというのは、モヤシに似た野菜だ。炒め物でも汁物でも使い勝手がすぐれているので、俺は時節に関わりなくこのオンダを使いたいものだと願っていた。
「俺たちの屋台と宿屋に卸している料理で使い続ければ、それだけでも発注の量は安定するからさ。宿屋のご主人たちやルウ家の人たちとも相談して、異論がないようだったら定期的な注文をお願いしようかと考えているんだ」
「お前がそのように考えたのなら、そうすればよい。私などの意見が必要か?」
「うん、まあ、個人的な興味として、アイ=ファにとってのオンダは好物と呼べるものなのかどうかを確認しておきたかったんだ」
「……私にとっての好物は、お前の作る料理だ、アスタよ」
そう言って、アイ=ファはふっと口もとをほころばせた。
不意打ちの笑顔に、俺はついついどぎまぎしてしまう。
「今日の料理も、どれも美味だ。ティノやタラパが使えるようになっても、オンダが邪魔になることはあるまい。……ただし、はんばーぐの中にオンダが入っていたら、いささか驚かされるかもしれんが」
「うん、そういう使い方は考えていなかったよ」
「ならば、問題はない」
アイ=ファは満足そうに言い、そのオンダがたっぷり使われたタウ油仕立てのギバ・スープをすすった。
なんとも平穏な夜である。
俺たちにとってはとても大事な、心安らぐひとときであった。
が――それは時ならぬ喧騒に打ち破られることになった。
食事を終えて、食器を片付けているさなかに、いきなり荒っぽく戸板を叩かれたのである。
玄関口で丸くなっていたギルルはきょとんとした面持ちで顔を上げ、アイ=ファはうろんげに眉をひそめる。
アイ=ファは念のために刀を取り、それを引っさげて戸板の前に立った。
「このような夜更けに何事だ? 名前を名乗るがいい」
「……ザザ家の、ゲオル=ザザだ」
アイ=ファは無言で戸板を引き開けた。
夜の闇を背景に、ゲオル=ザザの巨体がぬうっと現れる。
「いきなり来訪して悪かったな。お前たちに話があってやってきた。家に入れてもらえればありがたい」
まずは尋常な挨拶である。2日前のように激昂している様子もない。
アイ=ファはその姿を上から下までねめつけてから、しかたなさそうに身を引いた。
ゲオル=ザザは、自分の乗ってきたトトスとともに玄関口の土間に踏み込んでくる。昨日はレム=ドムが乗っていた、ザザ家で新たに購入したトトスだ。そのトトスはギルルの姿を発見すると、自分もその隣に膝を折った。
「ちょうど晩餐を終えたところか。それなら、幸いだ」
アイ=ファに腰の刀を預けると、ゲオル=ザザは広間の下座にどかりと腰を下ろした。アイ=ファはその正面にあぐらをかき、俺はその横に控えてみせる。
「用件を問う前に、ひとつ聞いておこう。この夜も、族長たちはルウ家で会議をしているのではなかったか?」
「ああ。今でも会議のさなかであるだろうさ」
「そうであるにも拘らず、お前はファの家を訪れてきたのか? 家長が家を空ける際は、その跡継ぎたる人間が家を守るものであろう?」
「そのような習わしよりも、重んずるべきものはある」
ゲオル=ザザはあくまで落ち着いていたが、その黒い瞳はやはり毛皮のかぶりものの陰で爛々と燃えていた。
「なおかつ俺は、この足でルウの集落に向かうつもりでいる。族長たちの会議が終わる前に到着したいので、なるべく手短に話させてもらおう」
「うむ。そうしてもらえれば、我々も助かる」
「ファの家のアイ=ファよ。お前は――あのレイリスという貴族の力量を、どう見る?」
アイ=ファは、いぶかしげに眉をひそめる。
「そのようなことは、実際に手をあわせたお前こそが、一番わきまえているのではないか?」
「俺には、『弱者の眼力』というものが備わっていない。他者の力量を見抜くことが、苦手であるのだ。だから、お前に問うている」
そうしてゲオル=ザザはぎらぎらと両目を燃やしながら、ぐっと首をのばしてきた。
「言葉を飾る必要はない。お前の目から見て、俺とあの貴族は……どちらが強者に見えるのだ?」
アイ=ファは立てた片膝に腕を乗せ、ゲオル=ザザの黒い瞳を真っ直ぐに見返した。
しかし、その唇が閉ざされたままであるので、ゲオル=ザザは焦れたように肩をゆする。
「なぜ、答えない? 言葉を飾る必要はないと言っているだろうが?」
「言葉を飾ろうとしているわけではない。正しい言葉を探していたのだ。……そしてやっぱり、その言葉を見つけることは難しいようだ」
「なぜだ? お前は『弱者の眼力』を持っているのだろうが?」
「それはあくまで、自分と相手の力量差を量る目だ。本来、他者と他者を比べるようなものではない」
「しかし、あの収穫祭の夜には、好きなように俺の力を量っていたではないか?」
「それを判じたのは、私ではなくチム=スドラだがな。……何にせよ、お前とレイリスという貴族の力量を量るのは難しい」
「なぜだ? わけを言え!」
「それは、私が感じるのとは異なる結果が、すでに出ているからだ」
じわじわと猛っていくゲオル=ザザとは対照的に、アイ=ファは落ち着き払っていた。
「私には、お前のほうが強者に感じられる。しかし、勝利を収めたのはレイリスという貴族のほうだった。だからやはり、他者と他者の力量を正確に量ることなど、なかなかできないということなのだろう」
「俺のほうが強者だというのなら、どうして俺はあいつに敗れたのだ!?」
「だから、それを問われても私には答えられん。私にとっては、お前のほうが強者に感じられるというだけのことだ」
ゲオル=ザザは怒声をあげかけて、それをこらえるように唇を噛みしめた。
その火のような眼差しが、アイ=ファの本心を探るように鋭さを増していく。
「ファの家のアイ=ファよ、お前は俺に勝つ自信があるのだという話だったな」
「うむ」
「それでもなお、あの貴族よりは俺のほうが強者であると感じるか」
「うむ」
「それでは、つまり――お前であれば、あのレイリスという貴族を容易く打ち負かすことができるということか」
「うむ。……ただし、どのような取り決めの勝負であるか、というのが肝要になってくるのであろうな」
そのように答えながら、アイ=ファは金褐色の前髪をかきあげた。
「たとえば森辺の力比べであれば、片腕を封じられても負けることはないだろう。刀を使った勝負でも、それは同様かもしれん。……しかし、お前の挑んだあの闘技会というものの取り決めでは、私が敗北することもありうる」
「それはなぜだ?」
「知れたこと。あのように重くて窮屈な甲冑などというものを纏っては、私が十全に力をふるうこともかなわなくなる。お前やシン=ルウでさえ、あれほどまでに動きを鈍らされていたのだからな」
ゲオル=ザザは拳を床につき、いっそう身を乗り出してきた。
「ああ、俺が聞きたかったのは、まさしくそういう話であったのだ。……あのようなものを纏っていては、お前でも危ういか?」
「危ういであろうな」
「俺よりも強い力を持つと言い張る、お前でもか?」
「私は女衆で、身体も決して大きなほうではないからな。甲冑などというものを纏えば、お前やシン=ルウよりもいっそう力は損なわれることになる。しかもあちらは甲冑というものを纏って戦うことに手馴れているのだから、なおさらであろう」
ゲオル=ザザは、ぎりっと奥歯を噛み鳴らした。
「では……やはり俺があの姿でレイリスという貴族に打ち勝つことは難しいのだろうか?」
「それはわからん。しかしお前は、そのように立派な体躯を有している。私やシン=ルウよりは、力を損なわれることもないだろう」
「ふん! そうであるにも拘らず、あのシン=ルウめは俺の勝てなかったふたりの貴族に打ち勝ったわけか」
口惜しそうに言いながら、ゲオル=ザザは肩を震わせた。
「俺には他者の力量など、よくわからん。しかし、あのシン=ルウめが俺よりも手練であるということは認めざるをえまい」
「何も嘆くような話ではあるまい。お前とシン=ルウならば、おそらくシン=ルウのほうが年長なのだろうからな」
「そしてお前は、そのシン=ルウよりも手練であると自負しているのだろうな。ルティムの家長と互角に近い力量を持つというなら、それも当然だ」
そうしてゲオル=ザザは、こらえかねたように自分の膝を拳で叩いた。
「俺など、まだまだ未熟者だ。それは、痛いほど思い知らされた。……しかし、俺のせいでこれ以上、大事な家族や同胞に迷惑をかけるわけにはいかん」
「ザザの末弟よ、お前はさきほどからいったい何を――」
「俺はもう一度、あの貴族と勝負をする。それで、スフィラの目を覚まさせてやるのだ」
アイ=ファの言葉をさえぎるようにして、ゲオル=ザザはそのように言い放った。
アイ=ファは目を細め、「ふむ」と身じろぎをする。
「念のために聞いておくが、法や掟を踏みにじって、城下町に乗り込むわけではあるまいな?」
「次代の族長たる身で、そのような真似ができるか。親父たちに話を通して、勝負の場をもうけてもらうつもりだ」
「そうか。ならば、何も言うまい」
アイ=ファが、ふっと眼光をやわらげる。
「以前にも同じようなことを言ったやもしれんが、シン=ルウは数々の試練を経て、あそこまでの力量を身につけたのだ。お前が自ら試練に立ち向かうのならば、きっとこれまで以上の力を森から授かることができるだろう」
「ふん! 年長者面をするな、小憎たらしい女狩人め!」
荒っぽく言いながら、ゲオル=ザザは立ち上がった。
その厳つい顔はほんの少しだけ、清々しげな表情を取り戻したように見えなくもなかった。




