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異世界料理道  作者: EDA
第二十六章 モルガの御山洗(下)
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甘き集い、再び③~味比べ~

2017.4/19 更新分 1/1

「本当に今日は、どの菓子も素晴らしかったわ。あらためて、素敵なひとときを与えてくれたことに感謝しています」


 まずはエウリフィアが、そのように宣言した。

 貴婦人がたも、そのほとんどが幸福そうな面持ちでうなずいている。くどいようだが、内心が読めないのはアリシュナとリフレイアとオディフィアだ。


「もう一度だけ念を押しておくけれど、味比べの結果はあまり気にかけないようにね。どの菓子に対しても、不満を持っている人間などはひとりもいないの。殿方の剣闘と同じように、勝利することが栄誉になっても、負けることが恥になったりはしないわ。シリィ=ロウもトゥール=ディンもリミ=ルウも、全員がジェノスの誇る料理人よ。こと菓子作りに関して、あなたがたの横に並べる料理人など何人もいないに違いないわ」


 なんとなく、以前の茶会よりも前置きが長いように感じられた。

 ひょっとしたらエウリフィアには、味比べの結果について予測ができているのだろうか。そんな風に思わせる口ぶりであった。


「それではシェイラ、発表してちょうだい。今日の素晴らしい味比べに勝利したのは誰なのかしら?」


「かしこまりました。……7名の貴婦人がたが、それぞれ3つの星を持っており、好きな菓子に好きな数の星をお与えになります。その星を獲得した数の一番多かった料理人が、味比べの勝者となります」


 味比べというものに馴染みのない俺たちのために、わざわざおさらいをしてくれたのだろう。

 この場に集った貴婦人がたは7名。星の数はひとり3つで21個。それを3名の料理人で奪い合うわけである。


「それでは発表いたします。本日の味比べの第一位は……13の星を獲得したトゥール=ディン様となります」


 ほうっと誰かが嘆息をもらした。

 トゥール=ディンは、俺の後ろに隠れたい気持ちをこらえるように、もじもじとしている。


 そして、トゥール=ディンとは反対側に立っていたシリィ=ロウが、こつんと俺の肩にぶつかってきた。

 俺が驚いて振り返ると、シリィ=ロウは「失礼しました……」とつぶやきながら姿勢を正す。その面は無表情で、なおかつ血の気が引いていた。


「内容は、オディフィア姫が星3つ、エウリフィア様、リフレイア様、メリム様、アリシュナ様が星2つ、リッティア様、ディアル様が星1つとなっております」


 予想以上の、圧倒的勝利であった。

 21の内の13であるのだから、半数以上の星がトゥール=ディンに集まってしまったわけである。しかも、7名の全員が星を入れてもいた。


「やっぱりあれがトゥール=ディンの作であったのね。オディフィアが目の色を変えていたから、そうなのかもとは思っていたけれど……なんていう言い方は、誤解を招いてしまうかしら? オディフィアだって、あれがトゥール=ディンの作った菓子だと知らされていたわけではないのにね」


 リフレイアと同じくフランス人形のごとき容姿をしたオディフィアは、やはり感情の読めない灰色の瞳でトゥール=ディンを見つめるばかりである。

 初参加であるリッティアとメリムは、賞賛の眼差しでトゥール=ディンを見つめていた。


「オディフィア姫が心酔される気持ちも理解できてしまいましたわ。本当に素晴らしい出来栄えでしたもの」


「ええ。ヤンが聞いたら、この日に招かれなかったことをいっそう悔やむことでしょうね」


 トゥール=ディンは真っ赤になりながら、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 その姿を見届けてから、シェイラは羊皮紙のような帳面に視線を戻す。


「第二位は、それぞれ4つずつの星を獲得したシリィ=ロウ様とリミ=ルウ様となります」


「あら、そうだったのね。いったいどういう内容だったのかしら?」


「はい。シリィ=ロウ様には、リッティア様が2つ、エウリフィア様とメリム様が1つずつ。リミ=ルウ様には、ディアル様が2つ、リフレイア様とアリシュナ様が1つずつ、という内容になっております」


 トータルの獲得数ばかりでなく、各人の配分までもが同じ内容であるようだった。

 リミ=ルウは「ありがとうございます!」と元気に声をあげ、シリィ=ロウは無言で頭を垂れる。


「それでは褒賞の銅貨も等分にしなくてはね。第一位のトゥール=ディンは約束通りに白銅貨50枚、シリィ=ロウとリミ=ルウには白銅貨35枚ずつということにしましょう」


 今回も、多忙な森辺の民を呼びつけたということで、破格の褒賞金が準備されていた。トゥール=ディンは、2回連続で白銅貨50枚を獲得したことになる。


 トゥール=ディンは、まぶたを閉ざしてその喜びにひたっていた。

 褒賞金は、その半分を眷族に分け与えて、残りの半分をディン家で手にすべし、とグラフ=ザザに命じられている。何にせよ、トゥール=ディンが家族と眷族のすべてに恩恵をもたらしたことに変わりはなかった。


「すべての菓子、美味でした。毎日、口にしたいほどです」


 と、アリシュナが感情の読めない声でそのように発言した。

 その言葉に、オディフィアがぴくりと肩を震わせる。


「オディフィアも、まいにちトゥール=ディンのおかしをたべたい。……おかあさま、どうしてもトゥール=ディンをおしろのりょうりにんにすることはできないの?」


「それは駄目なのよ、オディフィア。森辺の民は城下町に住むことはできないの」


「じょうかまちにすまなくてもいいから、おしろのりょうりにんになってほしい。オディフィアは、まいにちトゥール=ディンのおかしをたべたいの」


 父親に似て、なかなか表情を動かさないオディフィアである。

 しかしその灰色の瞳には、これまで以上に強い意思の力が感じられた。


「城下町に住まないまま、ジェノス城の料理人になることはできないのよ。それは何度も言って聞かせたでしょう、オディフィア?」


「でも、トゥール=ディンのおかしをまいにちたべたいの」


 同じ言葉を繰り返しながら、オディフィアはまたトゥール=ディンのほうに視線を転じた。


「トゥール=ディンは、どうしておしろのりょうりにんになってくれないの? オディフィアのことがきらいなの?」


「い、いえ、決してそういうわけでは……」


「オディフィアは、おいしいおかしをつくってくれるトゥール=ディンがだいすき。トゥール=ディンといっしょにおしろでくらしたい」


 フランス人形のように無表情のまま、オディフィアは椅子から浮いている小さな足をぱたぱたと動かした。そのせわしない動きが、幼き少女の真情を何よりあらわにしていた。


「どうか気にしないでね、トゥール=ディン。森辺の民に理不尽な命令をしてはならじというのは領主であるジェノス侯のお言葉なのだから、決してあなたに無茶なお願いを強要したりはしないわ」


 困ったように微笑みながら、エウリフィアは娘の頭に手を置いた。

 オディフィアは、同じ調子でぱたぱたと足を動かしている。


 トゥール=ディンは、ちろりと俺のほうに目を向けてきた。

 俺はそちらにうなずき返してから、エウリフィアのほうに向きなおる。


「エウリフィア、ひとつご提案があるのですが」


「あら、何かしら?」


「これはすでに、森辺の族長たちから許しをいただいている事柄となります。……トゥール=ディン、きみの口から伝えたほうがいいんじゃないのかな?」


「あ、は、はい……あの、わたしが城下町に移り住んだり、お城の料理人になったりすることは、どうしてもできないのですが……その代わりに、わたしの作った菓子をどなたかに届けていただく、というのはいかがでしょう……?」


 オディフィアの足が、ぴたりと止まる。

 エウリフィアは、「まあ」と目を丸くした。


「それじゃあオディフィアのために、森辺で菓子を作ってきてくれるというの?」


「は、はい。アスタは毎日、そちらのアリシュナという方のために料理をお届けしているので……それと同じように、菓子をお届けすればいいのではないかと……も、もちろん、そのためには銅貨をいただかなくてはならないのですが……」


「それはもちろん、相応の銅貨を払わせていただくけれど……でも、本当にいいのかしら?」


「は、はい。毎日は難しいので、3日に1度ぐらいにしていただけるのでしたら、きっと大丈夫です」


 オディフィアは、再びぱたぱたと足を動かし始めた。

 今度は子犬が尻尾を振っているような素振りに見える。さらにはそのちんまりとした指先が、母親のドレスをくいくいとせわしなく引っ張っていた。


「それは本当にありがたい申し出だわ。……こうして城下町に招かれるよりは、そのように菓子を届けさせたほうが苦労も少ない、ということなのかしら?」


「あ、い、いえ、わたしはその……」


 と、トゥール=ディンはすがるように俺を見つめてくる。

 俺はうなずき、後の説明を引き継いであげることにした。


「城下町に招かれるというのは光栄なことですが、ひと月に1度という頻度だと、多少の苦労がつのってしまうのです。それに、期間が空けば空くほど、オディフィア姫のご不満もふくれあがってしまうでしょうし。それならば、3日に1度でもお菓子をお届けすることができれば、おたがいに苦労や不満が減るのではないのかな、と考えた次第です」


「そう。だったら、数ヶ月に1度ぐらいなら、あまり迷惑にもならないかしら? オディフィアの他にもトゥール=ディンの菓子を食べたいと願う人間はいるし……それにやっぱり、出来立ての菓子を食べたいという気持ちも出てきてしまうと思うのよね」


 エウリフィアは、にっこりと笑ってそのように述べてきた。

 まあ、これぐらいの反応は想定済みである。


「はい。数ヶ月に1度であれば、トゥール=ディンの負担になることもないと思います。きっと族長たちにも、異論はないでしょう」


「本当にありがたい話だわ。どうもありがとうね、トゥール=ディン」


 トゥール=ディンは前掛けをもじもじといじくりながら、おじぎをした。

 その姿を見届けてから、エウリフィアはかたわらの娘に「オディフィア」と呼びかける。


「トゥール=ディンや森辺の民たちは、あなたに情をかけてくれたのよ。これを当たり前のことと思っては駄目。あなたが感謝の気持ちを忘れてしまったら、きっとお父様やお祖父様はすぐにでもこの申し出をお断りすることになるでしょうね」


 わずか6歳の幼き姫に、そんな難しい話が理解できるのだろうか。

 などと思っていると、オディフィアは誰の手も借りずに椅子から飛び降りて、トゥール=ディンのもとにしずしずと近づいてきた。


 小柄なトゥール=ディンのお腹の辺りにまでしか届かない、小さき姫君である。その灰色の瞳で至近距離から顔を見上げると、オディフィアはおもむろにトゥール=ディンの手を握りしめた。


「トゥール=ディン、ありがとう」


「は、はい。喜んでいただけたら、わたしも嬉しいです」


 トゥール=ディンは、ぎこちなく微笑んだ。


「それで、あの……さきほどの菓子は余分に作っておきましたので、よかったら持ち帰って、晩餐の後にでもお食べください」


 オディフィアは無表情のまま、小さな身体をのけぞらした。

 そして、その反動を利用したかのように、もふっとトゥール=ディンのお腹に顔を押しつける。その小さな手はトゥール=ディンの手を解放し、スカートの生地をぎゅっと握りしめていた。


「あ、あの、前掛けは少し汚れているかもしれませんので……」


「トゥール=ディン、だいすき」


 トゥール=ディンの言葉を黙殺し、オディフィアはその前掛けにぐりぐりと顔を押しつけた。

 そうしてしばらく経った後、トゥール=ディンのもとから身を離すと、その面はやっぱり無表情である。東の民の真似でもしているのかというぐらいの徹底ぶりであった。


「この一件で森辺の民に迷惑がかからないよう、わたくしも尽力させていただくわね」


 と、エウリフィアが何事もなかったかのように声をあげる。


「これはあくまで聞き分けのない幼子に根負けしただけなのだ、と話を広めておくことにしましょう。そうじゃないと、また別の貴族が森辺の民に料理を届けさせようとしてしまうかもしれないものね」


「それはありがたいお話ですが、オディフィア姫の評判が悪くなったりはしてしまいませんか?」


 俺が心配になって尋ねると、エウリフィアはころころと笑った。


「でも、本当の話なのだから、しかたがないわ。このような幼子でもない限り、そんな我が儘を通すことはできないのだと知らしめておかないと」


 すると、静かに一連のやりとりを見守っていたディアルが、揶揄するようにアリシュナを見た。


「そんな我が儘を許されているのは、オディフィア姫とあなただけなのですものね。そうすると、あなたは6歳の幼き姫と同じぐらい聞き分けがない、ということになるのでしょうか?」


「どうでしょう。アスタ、自分から、料理を届ける、言ってくれましたので」


 と、アリシュナは優雅な黒猫のように小首を傾げる。


「それに、聞き分けない、思われても、かまいません。アスタ、料理、毎日食べられるなら、本望です」


「ふうん」と微笑みながら、ディアルの頬がぴくぴくと引きつっている。貴婦人がたの前でなければ、きっと癇癪を爆発させていたことだろう。


 ともあれ、俺たちの出番も終わりが近づいているようであった。

 オディフィアも自分の席に戻り、エウリフィアは「さて」と声をあげる。


「本当に素晴らしいお茶会であったわ。褒賞の銅貨は控えの間に運ばせるので、着替えをしながらお待ちいただけるかしら?」


「はい、ありがとうございます」


「それでは、料理人を控えの間に――」


 と、エウリフィアが俺たちの退出を告げようとした瞬間、そこにけたたましい音色が重なった。

 リフレイアの手にしていたティーカップが卓の上に落ちて、粉々に砕け散ってしまったのだ。


 陶磁器の破片が四散して、まだ半分がた残っていたお茶が、彼女の纏っていたドレスの胸もとを濡らしてしまう。

 そのお茶は濃い黄色をしており、白いドレスを無残に汚してしまった。


「あら、大変。大丈夫かしら、リフレイア?」


「ええ。うっかり手をすべらせてしまったわ。お茶は冷めていたので、大丈夫よ」


 リフレイアがすました顔をしていたので、俺はほっと息をつくことができた。

 他の貴婦人がたも、驚きの表情を消して安堵の表情を浮かべている。


「せっかくの衣装が台無しね。破片で怪我をしないようにお気をつけて」


「そうね。侍女に片付けてもらうことにするわ。……シフォン=チェル、そこにいるの?」


 俺は思わず、ハッとしてしまった。

 大勢の兵士が潜んでいる、とルド=ルウが述べていた帳の向こうから、しなやかな長身が現れる。

 それは、蜂蜜色の巻き毛と紫色の瞳を持つ、俺よりも背の高いマヒュドラの女衆――シフォン=チェルに他ならなかった。


「悪いけれど、この始末をしてくれる? あと、濡れてしまったので何かふくものも必要だわ」


「はい……」とシフォン=チェルが静かに歩み寄ってくる。

 さらにシェイラも、どこからか布巾を取り出して駆けつけてくれた。


「こんなに立派な食器を壊してしまって、おわびの言葉もないわ。どうもごめんなさい、エウリフィア」


「いいのよ、気にする必要などないわ。それより、くれぐれも怪我をしないようにね」


 他の侍女が抱えてきた壺の中に、カップの破片が片付けられていく。

 シフォン=チェルはシェイラから受け取った布巾で、リフレイアのドレスを清めていた。


 彼女と顔をあわせるのは、数ヶ月ぶりのことである。

 彼女がリフレイアとともに住む場所を移して以来、俺は顔をあわせる機会を失ってしまっていたのだ。


 しかし彼女は、数ヶ月前と何も変わっていなかった。

 穏やかで、優しげで、とても優雅だ。あえて俺のほうを見ようとはしていないのか、こちらに横顔を向けた状態で、一心にリフレイアの衣装を清めている。


「どうもお騒がせしてしまったわね。あなたがたは、どうぞ控えの間に戻っていただけるかしら?」


 エウリフィアが、こちらに笑いかけてくる。

 俺は意を決して、「あの」と声をあげることにした。


「彼女は、シフォン=チェルですよね。実は俺は、以前から彼女と顔見知りであったのです」


「え? 彼女はずっと昔から、トゥラン伯爵家の侍女であったはずよね?」


「はい。ですから、その……俺が伯爵家の屋敷に逗留している間、ずっと面倒を見てもらっていたのです」


 それはすなわち、リフレイアに拉致されたとき、という意味であった。それ以外に森辺の民が城下町に逗留したことはなかったので、エウリフィアも「まあ」と目を丸くする。


「それはわたしも知らされていなかったわ。それじゃあ、ずいぶんひさびさの再会ということね」


「はい。その後も、あの貴賓の館がまだトゥラン伯爵家の所有であった頃は、何度か邸内に案内をしていただきましたが」


 シフォン=チェルは、それでようやく俺のほうに向きなおってきた。

 ディアルにも負けないぐらい白いその面が、妖精のような微笑をたたえる。


「わたくしなどのことを見覚えていただき、光栄ですわ、アスタ様……どうもおひさしぶりでございます」


「はい。お元気そうで何よりです」


 俺の心臓が、どくどくと高鳴っている。

 頭の中には、「北の民に関わるべからず」というメルフリードの言葉が鳴り響いている。


 だけど俺は、ややこしい政治の話など抜きで、どうしても彼女に伝えておきたいことがあったのだ。

 これを伝えたところで、北の民や森辺の民の立場が悪くなることはないはずだ。それを信じて、俺は告げることにした。


「先月、衛兵や北の民がギバに襲われる事件がありましたよね。実はあのとき、俺も負傷した人々の看護をする仕事を手伝っていたのです」


「まあ、そうだったの?」


 エウリフィアが興味深そうに口をはさんでくる。

 そちらに「はい」と返してから、俺はさらに言いつのった。


「そのときに、たまたまシフォン=チェルの兄君と出くわすことになったのです。彼は衛兵をかばって、頭と肩を負傷してしまったそうです」


 シフォン=チェルは、まぶたを閉ざした。

 それから、「そうですか……」と静かにつぶやく。


「北の民は数名ていどしか負傷しなかった、というお話でしたが……その中に、わたくしの兄も含まれていたのですね……」


「はい。でも、とても元気そうにしていましたよ。衛兵の小隊長からも、その働きを賞賛されていました」


 ここで話すのは、これで十分だった。

 こまかい内容は、またディアルを通してこっそり伝えてもらえばいい。

 シフォン=チェルは、同じ口調で「ありがとうございます……」とつぶやいた。


「でも……それ以上のお気遣いは不要ですわ、アスタ様……」


「はい。北の民には関わるべからずと念を押されていますからね」


 これはエウリフィアに向けた言葉であった。

 優美なだけでなく頭も切れるエウリフィアは、にっこりと微笑んでいる。


「頭の固いわたくしの伴侶でも、北の民の兄妹がおたがいを思いやる気持ちまでを責めることはないでしょう。……あなたはお優しいのね、アスタ」


「は、いえ、恐縮です」


「そこまでかしこまることはないわ。このように言っては何だけれど、用心すべき相手は王都からの使節団だけなのだから」


 そうしてエウリフィアは、いっそう楽しげに微笑んだ。


「まあ、ややこしいお話はお立場のある殿方にまかせておきましょう。それでは、トゥール=ディン、リミ=ルウ、シリィ=ロウ、どうもご苦労様。またお会いできる日を楽しみにしているわ」


 今度こそ、退出の合図であった。

 俺たちは、それぞれ貴婦人がたに一礼する。

 シフォン=チェルも、こちらに向かって頭を下げてきていた。


「……お前が何を言いだすのかと、いくぶんひやひやさせられたぞ、アスタよ」


 と、回廊に出るなり、アイ=ファが囁きかけてくる。


「ごめんごめん。でも、あれぐらいなら誰の迷惑にもならないだろ?」


「あれで迷惑に感じるなら、感じる側に問題があるのだろうな」


 アイ=ファがそのように言ってくれたので、俺も胸を撫でおろすことができた。

 ルド=ルウも、頭の後ろで手を組んで呑気そうに歩いている。


「確かにあの女衆は見覚えがあるな。ヴィナ姉みたいに色っぽいから覚えてたぜ」


「うん、護衛役をしてくれていた狩人は、みんな何度か顔をあわせているだろうね」


「森辺に来てた女衆も、あんな力仕事をさせられてなかったら、あんな風に色っぽくなってたのかな。なんだか、もったいねー話だよな」


 道案内をしてくれている侍女や衛兵たちは、みんな素知らぬ顔をしてくれていた。誰しも、北の民の話には関わりたくないと思っているのだろう。


 俺にしても、今後はそうそう北の民と顔をあわせる機会はないはずだった。

 森辺の工事もあと半月ほどで完了するはずであるし、シフォン=チェルともこのような際でもないと言葉をかわす機会は訪れない。ここ数ヶ月でリフレイアと顔をあわせる機会は何度かあったが、その際にもシフォン=チェルと対面する機会はなかったのだ。


(もしかしたら……リフレイアはわざとお茶をこぼして、シフォン=チェルを呼びつけたのかな)


 その真意はわからないし、今後も尋ねる機会はないだろう。

 だが、リフレイアはシフォン=チェルに強い思い入れを抱いているようだ、というポルアースの言葉だけで、俺は満足であった。


 そんなことを考えている間に、控えの間に到着する。

 俺たちとシリィ=ロウたちは、隣り合わせの別室だ。俺は最後に、そちらにも挨拶をしておくことにした。


「それでは、シリィ=ロウもお疲れさまでした。ヴァルカスや他のお弟子さんたちにもよろしくお伝えください」


「…………」


「え、何ですか?」


「……あなたがたには、絶対に負けません」


 何だかずいぶんひさしぶりにシリィ=ロウの声を聞いたような気がした。

 扉の前で足を止めたシリィ=ロウは、底光りのする目で俺たちをにらみつけている。


 その茶色の瞳が、ふいにぼやけた。

 俺たちをにらみつけるその目から、大粒の涙がこぼれ始めたのだ。

 彼女はぷるぷると細い肩を震わせながら、調理着の袖でその涙をぬぐった。


「絶対に、絶対に負けませんから!」


 そうして最後に大きな声でわめき散らすと、シリィ=ロウは扉の向こうに消えてしまった。

 呆然とたたずむ俺のかたわらで、トゥール=ディンが慌てふためいている。


「ど、どうしましょう? シリィ=ロウを怒らせてしまったでしょうか……?」


「いや、怒らせたというよりは……うん、悔しかっただけなんじゃないのかな」


「シリィ=ロウのお菓子だってすっごく美味しかったのにねー」


 いっぽうのリミ=ルウは、普段通りの無邪気さで微笑んでいる。


「でも、レイナ姉とかだったら、やっぱり泣いちゃってたのかな。レイナ姉とシリィ=ロウって、ちょっぴり似てるよね!」


「え? うーん、どうなんだろう……まあ、レイナ=ルウも意外に感情の起伏は激しいほうだけど……」


「ギバの料理で城下町の料理人に負けたら、レイナ姉も悔しくて泣いちゃうんじゃないかなー。リミは勝ち負けとか、よくわかんないけど!」


 それは俺にとって、どちらも否定できない感情であるように思えた。

 シリィ=ロウたちはそれぐらい調理に対して真剣に取り組んでいるし、リミ=ルウは食べた相手が喜んでくれればそれで十分、と考えているのだろう。それはどちらも、俺の中には等しく備わっている気持ちであるのだった。


(俺だって根っこは負けず嫌いだからな。料理で採点されて負けちゃったら、それは悔しいに決まってるさ)


 だからたぶん、味比べという余興は、俺には向いていない。門外漢と自認している菓子の勝負ならば自尊心を傷つけられることもないが、それ以外の料理で他者と腕前を比べられたりはしたくなかった。


(俺にとって一番嬉しいのは、アイ=ファに美味しいと思ってもらうことだしな)


 そのように考えながら振り返ると、すぐ横に立っていたアイ=ファがぎょっとしたように身を引いた。

 それから、怖い顔をして耳もとに口を寄せてくる。


「アスタよ。気持ちを隠す必要はないと言ったが、家の外でまでそのように無防備な顔をさらすものではない」


「え? どんな顔をしていたかな?」


 アイ=ファは無言で、俺の頭を小突いてきた。

 アイ=ファが俺の身に触れたのは、ずいぶんひさかたぶりのことであった。


 ともあれ、城下町における2度目のお茶会は、そうして終わりを告げたのだった。

 雨季の終わりまでは、残り半月ていどである。

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