甘き集い、再び②~試食~
2017.4/18 更新分 1/1
およそ一刻と少しの後、俺たちは貴婦人がたの待つお茶会の会場へと舞い戻っていた。
3種類の菓子を届けられて、貴婦人がたの大半は期待に瞳を輝かせている。内心が読めないのはアリシュナとリフレイア、そして幼きオディフィア姫である。
「どれも見たことのない菓子ばかりですね。どのような味がするのか、とても楽しみです」
「それでは、またどれが誰の作であるかは伏せたまま、味比べをしてみましょう。そのほうが公平な結果を得られるでしょうからね」
そうして貴婦人がたが味比べに興じている間、我々は別室で待機である。
が、おたがいの作品を試食できるこの時間こそが、俺にとっては一番楽しみなひとときであった。
隣の別室に案内されると、そこには厨から直行していたロイがすでに待ち受けている。助手の立場である彼は、挨拶に出向く必要なしと見なされていたのだ。
「どうもお待たせしました。……俺だって助手の立場なのに、どうして扱いが変わってしまうのでしょうね」
「そりゃあお前は助手といっても、そいつらの師匠でもあるからだろ? 実際は助手でも弟子でも何でもない俺なんざとは立場が違うさ」
いまだにロイは、非正規の立場でシリィ=ロウたちの仕事を手伝っているようだった。ヴァルカスに弟子入りを拒まれた彼は、そういう形で調理の技術を学ぼうとしているのだ。
「それに、今日の菓子は一から十までシリィ=ロウの作だからな。俺は雑用を手伝っただけなんだから、いっそう貴族様に紹介されるいわれはねえさ」
そのように述べるロイは、べつだん卑屈になっている様子もなかった。
今は己を磨くことにしか関心がないのだろう。レイナ=ルウたちの腕前に驚嘆した末、森辺の集落を訪れたいなどと言いだした彼であるのだ。その調理に対する貪欲さは、賞賛に値するものであった。
「それでは、試食をさせていただきましょう」
シリィ=ロウがロイの隣に陣取ったので、俺たちもその向かいに着席させていただいた。ルド=ルウも席についており、アイ=ファは俺のななめ後ろでひっそりと立ちつくしている。
「それにしても、また揚げ物の菓子を出してくるとはな」
小皿に取り分けられた菓子を前に、ロイがそのようにつぶやいた。
リミ=ルウ作の、トライプのクリームコロッケである。
今回リミ=ルウは、それを完全なる菓子としてこしらえてみせたのだった。
衣は、普段と変わらない。タネにフワノ粉をまぶし、溶いた卵にくぐらせてから、干したフワノの削り粉をまぶして揚げている。カツやコロッケと同じ手順である。
そのタネには砂糖を加えて、さらに甘さを足している。
そしてその上から、俺の授けた新しいソースを掛けているのだ。
それはカカオに似たギギの葉と砂糖とカロン乳を駆使してこしらえた、チョコソースのごとき代物であった。
まあ、俺が授けたといっても、味を完成させたのは、やはりリミ=ルウとトゥール=ディンだ。俺は自分の抱くチョコソースの概念を伝えて、それに必要と思われる材料と手順を示したのみであった。
カロン乳はもちろん脂肪分を分離させて、乳脂やクリームとしても使っている。それらと砂糖の割合を決めて、現在の形に仕上げたのは、まぎれもなくリミ=ルウとトゥール=ディンであった。
クリームコロッケ本体は、リミ=ルウひとりで味を作った。勉強会で学んだレシピから、やはり食材の分量などを自分なりに練磨したのだ。お菓子としてのクリームコロッケにおいては、もはや俺がリミ=ルウ以上に美味しく仕上げることはできなかっただろう。
で、コロッケにチョコソースをまぶしているのだから、見た目的にはウスターソースをかけられているかのようで、俺はひそかに愉快な心地である。
ずっと昔、幼馴染の玲奈にそそのかされて、チョコ味のギョーザやたこ焼きなどといったものをこしらえたことがあったので、そのときに感じたイタズラ心と同質の愉快さであった。
が、その愉快さをこの場で共感してもらえる相手はいない。そもそもコロッケの存在しないこの地において、これは単なる「揚げ物の菓子」としか見なされないのだ。ロイやシリィ=ロウも、あくまでジェノスの常識と照らし合わせて珍しがっているだけのことであった。
「……あなたは以前にも油で揚げた菓子を出していましたが、それとはまったく異なる作りであるようですね」
と、シリィ=ロウが真剣きわまりない眼差しを俺に突きつけてくる。
「そうですね」と俺はうなずいてみせた。
俺が以前にお出ししたのは、アロウのジャム入りドーナツである。あのときは、シリィ=ロウも貴婦人の立場でその菓子を口にしていたのだ。
ちなみにロイがドーナツを目にしたのはさらに前、俺がリフレイアに拉致された際のことである。奇しくもふたりは別々の場所で俺のドーナツを食することになったのだった。
「恥ずかしながら、あのときの菓子よりもリミ=ルウの作ったこの菓子のほうが、格段に美味しいと思います。城下町の人たちのお口にもあえばいいのですが、どうでしょうね」
シリィ=ロウは無言で小皿を引き寄せる。
その隣でロイが切り分け用の小さな刀を手に取ると、リミ=ルウが「あっ」と声をあげた。さきほど貴婦人がたにも伝えた注釈を伝えたいのだろう。
「あのね、これは皿の上で切らないで、直接かじったほうがいいよ! 中身が、だらーってこぼれちゃうから!」
あまりこの両者が口をきいている姿は見たことがないが、それでもロイはルウ家の歓迎会に招かれた身であるし、城下町の厨でも何度か顔をあわせている。よって、ロイはうろんげな顔をすることもなく、「そうなのか?」と自然な感じで言葉を返した。
「うん! ちっちゃく作ったから、ひと口でも食べられるでしょ? もう冷めてるからヤケドすることもないし! 本当は、揚げたてのほうが美味しいと思うんだけどねー」
「ふーん」とロイはナイフからフォークへと食器を持ち替えた。
それでコロッケの真ん中をつらぬき、軽く香りを嗅いでから、口の中に入れる。
隣では、シリィ=ロウがすでに驚きの表情を浮かべていた。
「これは……あえてこのようなやわらかさで仕上げているのですか?」
「うん、美味しいでしょ? くりーむころっけっていう料理なんだってー!」
人見知りというものを知らないリミ=ルウはにこやかに応じながら、自分の分を口の中に投じ入れた。
そうして、いっそう愛くるしく目尻を下げる。
「どうかなどうかな? 美味しく仕上げられたと思うんだけど!」
「ええ、とても美味です。……そして、あなたがこのような細工をほどこすというのは、少し意外でしたね」
後半の言葉は俺に向けられたものだ。
「ええ、ミケルにも同じようなことを言われました。俺の故郷では、それほど珍しい料理ではなかったのですが」
そのように答えながら、俺もリミ=ルウの力作を味わわせていただくことにした。
できたての熱々をお届けできないのなら、と常温で冷ましてあるコロッケだ。しかし、衣はまださくさくであるし、トライプとカロン乳を使ったタネも、口の中でとろけていく。甘さの加減も、ギギソースとの比率も、俺としては申し分なかった。
元はクリームコロッケと同じタネであるので、アリアのみじん切りも使用している。しかし、トライプとカロン乳と砂糖の甘さが勝り、菓子そのものの味わいである。それでいて、味に奥ゆきがあるのは、やはりアリアの恩恵であろう。クリームコロッケという料理を知っていても知っていなくても、これならば美味なる菓子と思ってもらえるはずであった。
「なー、どうしてこいつにはギバの脂を使ってねーんだ?」
と、末席に控えたルド=ルウが述べると、リミ=ルウは「うーん?」と小首を傾げた。
「どうしてって言われるとわかんないけど、ギバの脂かレテンの油か、好きなほうを使えばいいってアスタに言われたんだよね。それで食べ比べてみて、レテンの油のほうが合うかなーって思ったの」
「そっか。ま、別にそれが悪いってわけじゃねーけどよ」
レテンの油は、オリーブオイルに似た食材だ。ギバのラードも意外にさっぱりとした食べ口をもたらしてくれるのであるが、いっそう軽やかな風味であるレテンの油のほうが菓子としてのクリームコロッケには適していると判断されたらしい。もちろん俺も、その判断に異存はなかった。
「ねえねえ、アイ=ファも食べてみてー」
と、リミ=ルウが小皿をアイ=ファのほうに突きつける。
アイ=ファは立ったまま、それを食した。
「……これはまた、とびきり甘いな」
「えー、そうかなあ? そんなに砂糖とかは使ってないんだけど!」
「私にはあまり菓子というものの善し悪しはわからんのだ。しかしこれは、十分に美味だと思える」
アイ=ファはその瞳にやわらかい光をたたえて、リミ=ルウの頭に手を置いた。
リミ=ルウは「えへへ」と嬉しそうに笑う。
「こいつはひどく貴族様のお気に召すかもしれねえな。さすがに今回はシリィ=ロウの一人勝ちかと思ってたのに、自信がなくなってきちまったぜ」
薄く笑いながらロイがそのように述べると、シリィ=ロウはキッとそちらをにらみつけた。
「ロイ、わたしはヴァルカスの弟子として厨を預かったのです。その仕事を茶化すような言葉はひかえていただけませんか?」
「いちいちつっかかるなよ。お前の菓子がとびきり上等だってことに変わりはねえさ」
そのシリィ=ロウの菓子というのは、なかなか不可思議な見栄えをしていた。
形状は、丸くて小さな団子である。それが赤、黄、緑の3つでワンセットになっており、上から金色の蜜が細く網の目状に掛けられている。さらに、団子の下には乳白色のソースが薄く敷かれていたのだった。
「とても綺麗な色合いですね。食べるのがもったいないぐらいです」
俺がそのように発言すると、ロイをにらみつけていた目がこちらに転じられてくる。
「食べていただかないことには話が始まりません。それとも、食べる気も失せてしまうという意味なのでしょうか?」
「そんなわけないじゃないですか。とても美味しそうですよ」
やはり仕事のさなかにあっては、シリィ=ロウも普段以上に気が立ってしまうらしい。
そんなシリィ=ロウをなだめつつ、俺はフォークを手に取った。
他のみんなも、示しあわせたようにシリィ=ロウの菓子を引き寄せる。
そうしてフォークを刺してみると、その蜜が外見に反して固体であることが知れた。
調理の際には液体であったに違いない。団子の上に細く重ねられた黄金色の蜜が、冷めて固形化しているのだ。ということは、パナムの蜜などをそのまま使ったわけではない、ということだった。
フォークを刺すと、音もなく割れて、破片が皿にこぼれていく。それを乳白色のソースごと、あらためて団子にまぶしてから、俺は口へと運んでいった。
俺が最初に選んだのは、黄色の団子だ。
それをひと口で食してみると、卵の風味が口の中に広がった。
どうやらこの色合いは、キミュスの卵の黄色であったらしい。
とてももちもちとした、心地好い食感であった。
普通の餅ほど粘性があるわけではないが、ジェノスではあまり感じたことのない食感である。
土台はフワノであるとしても、それ以外の食材も加えなければ、このような食感は得られないはずだ。この食感の心地好さだけで、俺は賞賛したいぐらいだった。
なおかつ、味付けも素晴らしい。団子そのものは卵の風味が主体で、固形化した蜜と乳白色のソースが甘さを補っている。なおかつ、鼻の奥をわずかにくすぐるこの風味は――ショウガに似たケルの根であるように思えた。
蜜はきっと、パナムの蜜に砂糖を加えて煮込んだものなのだろう。砂糖の比重が高く、それが固まっているのだ。
乳白色のソースのほうは、カロン乳がベースだ。脂分が強く、とろりとした質感をしている。ひょっとしたら、レテンの油なども加えられているのかもしれない。単体ではどのような味がするのだろう、という好奇心をそそられる深みがある。
で、蜜かソースのどちらかに、ほんのわずかだけケルの根も加えられているようなのだ。
ケルの根は、甘い味付けとも相性がいいのである。俺はそれを『ミャームー焼き』や煮込み料理などで活用していたが、シリィ=ロウは菓子で活用していたのだった。
そのケルの根の風味が、重大なアクセントになっている。
ただ甘いだけの菓子ではないぞ、と念を押されているかのような心地である。
団子の楽しい食感と相まって、俺には素晴らしく美味であると感じられた。
「美味しー! それに、ぜーんぶ味が違うんだね!」
リミ=ルウもすっかりはしゃいでいる。
というか、すでに三色すべてを食べ終えてしまったらしい。
「リミは赤いやつが好きだったかなー。ルドとかトゥール=ディンはどう?」
「俺は黄色かなー」
「わたしは……すべて美味だったと思いますが、緑色のものが一番心をひかれました」
みんなの言葉を聞きながら、俺も残りの二色を食させていただいた。
そうして、それらの味がすべて見事に異なっていることに驚かされる。
赤い団子には、さまざまな果実のソースが練り込まれているようだった。ベリー系の酸味と、柑橘系の風味が共存しており、さらにまろやかな甘さが加えられている。イチゴとレモンとモモを複合させたかのような、不可思議な味わいである。ひょっとしたら、アロウとシールとミンミがすべて使われているのかもしれない。
その中で、この赤い色合いはベリー系の果実であるアロウの実からもたらされたものなのだろう。団子だけで食したら、ずいぶん酸味が際立ってしまいそうであるが、蜜やソースの甘さと調和して、素晴らしい仕上がりになっている。
で、緑色のほうは、何やら茶葉のような風味があった。
あの浴堂で使われているヨモギに似た香りに近く、わずかながらに苦さがある。苦すぎることはないが、なかなか独特な味わいだ。
なおかつ、その強めの風味も、蜜やソースと調和していた。
黄、赤、緑と、団子の味はまったく異なっているのに、この蜜とソースはそれらのすべてと完璧に調和していたのだった。
酸味や苦みが甘さをひきたてると同時に、甘さにひきたてられている。味を掛け合わせることに長けたヴァルカスの弟子らしい仕上がりであった。
「とても美味でした。舞踏会でのお手並みも見事でしたが、これはそれ以上だと思います」
俺は心からそのように述べてみせた。
シリィ=ロウは無表情に、ただ目礼だけを返してくる。
「この団子の食感は独特ですね。フワノの他には何を使っているのですか?」
「……フワノの他というよりは、ギーゴを土台にしてフワノを加えた生地となります」
「ギーゴですか。自分もポイタンの生地にギーゴをまぜたりはしますが、このような食感に仕上げることもできるのですね」
ギーゴというのはヤマイモのごとき食材である。粘性が強いのは周知の事実であるが、それをこんな餅みたいな食感に仕上げるには、何か独特の調理法があるのだろうと思われた。
「ヴァルカスは、料理のしめくくりとしての菓子を作るだけで、あんまり単品の菓子を作ろうとはしないからな。こういう菓子ならシリィ=ロウのほうが得意なんだろうと思うぜ」
肩をすくめながら、ロイがそんな風に述べたてた。
シリィ=ロウは「とんでもないことです」と静かに応じる。
「ですが、ヴァルカスの弟子という立場に恥じないものをお出ししたという自負はあります」
シリィ=ロウの目は、なぜかトゥール=ディンに向けられていた。
前回のお茶会における味比べで第一位の座を獲得したトゥール=ディンを意識しているのだろうか。トゥール=ディンは、その視線から逃げるように小さくなっている。
「そっちの娘も、トライプを使ってるんだったな」
と、こちらは気安い感じで言いながら、ロイは最後の皿を手に取った。
「雨季だからトライプを使おうってのはわかるけど、ふたりそろってトライプの菓子じゃあ、面白みが半減しちまうかもな」
「そうなのでしょうかね。でも、系統としてはまったく別物の菓子ですよ」
「そりゃあそうだろ。さっきのはずいぶん物珍しい出来栄えだったからな。別物だってことは一目瞭然だ」
皿の上には、そのまま小さな容器が載せられていた。
陶磁の、酒杯である。以前、茶碗蒸し風のプリンをこしらえたときに使用したものだ。その丸く開かれた口には、トライプの鮮やかなオレンジ色が艶々と輝いている。
「……いちおう貴族に出す料理は、見栄えまで考えたほうがいいと思うんだけどな。こんな安っちそうな器に詰めるぐらいなら、皿に出しちまったほうがよかったんじゃねえのか?」
「うーん。だけど、器にしっかりとへばりついてしまっているもので、綺麗に取り出すのが難しいのですよね」
「だったら、丸い匙でくり抜いて皿に盛りつけるとか、いくらでも方法はあるだろうがよ?」
そこまでは、俺やトゥール=ディンも考えつくことができなかった。
しかしまた、考えついたとしても実行したかはわからない。これもプリンに似た菓子ではあるので、自分ですくって食べたほうが趣があるのではないかとも思えてしまった。
「まあ、お味のほうは保証いたしますよ。トゥール=ディンの渾身の作ですから」
「ふーん」と気のない声をあげながら、ロイはその菓子を銀色の匙ですくい取った。
それを口に入れた瞬間に、ぎょっとした様子で目を見開く。
それを横目で観察していたシリィ=ロウも、意を決したように匙を取った。
そして、ロイと同じように目を見開く。
トゥール=ディンは、上目づかいでその様子を見守っていた。
「お、お味のほうはいかがですか……?」
ふたりは答えず、ふた口目を口にした。さらに無言のまま、次々と器の中身を平らげていく。それは小ぶりな酒杯であったので、彼らが食べ終えるのに10秒もかかりはしなかった。
「ふーん、なるほどな」
空になった器を皿に戻し、ロイは椅子の背にもたれかかる。
シリィ=ロウは反対に、前かがみの姿勢で空になった器の底を見つめていた。
「あ、あの……?」
「うん? ああ、美味かったよ。トライプの甘さや風味をうまく活かしてるな。このやわらかさも、味に合ってると思う」
そのように答えてから、ロイはばりばりと頭を掻いた。
「まいったな。森辺の民の腕前ってのは十分に理解してたつもりなのに、また棍棒で頭を殴られたような気分だ」
「そ、それはどういう……?」
「美味かったんだよ。正直に言って、これまで食べてきた菓子の中で一番美味かったな」
シリィ=ロウが、目だけでロイをにらみつける。
ロイはぐったりと背もたれにもたれたまま、力のない笑みを浮かべた。
「しかたねえだろ。俺にはそう思えちまったんだよ。貴族様がどんな風に星をつけるかはわからねえけどな」
「うん、トゥール=ディンのお菓子はすっごく美味しいよねー!」
と、緊張感の張り詰めそうであった室内に、リミ=ルウの無邪気な声が響く。リミ=ルウは、至福の表情で大事そうにトゥール=ディンの菓子を食していた。
「リミも作り方を教えてもらったのに、やっぱりトゥール=ディンにはかなわないなー。ぷりんみたいにぷるぷるしてて、すっごく美味しー!」
「まあ実際、プリンみたいなものだしね」
そのように答えながら、俺もトゥール=ディンの菓子を味わわさせていただくことにした。
俺には今ひとつプリンの定義というものがわかっていなかったので、この菓子もプリンと呼んでいいものかどうか、判別がつかなかったのだ。
しかしまあ、作製方法は茶碗蒸し風のプリンと大差はない。異なるのは、多量のトライプと少量のフワノ粉を使っている点ぐらいであった。
煮込んでやわらかくしたトライプを乳脂と練りあわせて、砂糖と卵とカロン乳を加える。それを濾してからフワノ粉を投入し、ダマにならないように気をつけながら、さらにカロン乳を加えて、容器ごと蒸し焼きにする。手順といえば、それだけのことであった。
しかし、そこに至るまでには紆余曲折があった。
俺はそもそも、トライプを使ったフワノの焼き菓子をトゥール=ディンに提案していたのだった。
トゥール=ディンは焼き菓子を得意にしていたし、カボチャに似たトライプはそれにも非常に相性がいいように思われた。だから、トライプ風味の焼き菓子をこしらえて、そこにパナムの蜜や生クリームなどを添えてみてはどうかと提案してみたのである。
最初はトゥール=ディンもその方向で作業を進めていたのだが、さらなる美味しさを求めていく内に、食材の分量がどんどんと変じていった。特に、フワノ粉の量が減らされていくのと、カロン乳の量が増やされていくのが顕著であった。
で、気づくと非常に水気がゆたかで、鉄板で焼きあげるには不相応なタネに仕上がってしまったのだ。
それでけっきょく、茶碗蒸しと同じ要領で蒸し焼きにすることになった。その出来上がりを口にして、俺はトゥール=ディンの味覚とセンスをあらためて思い知らされることになったのだった。
トライプとフワノ粉を使っているので、通常のプリンほどなめらかな舌触りではない。が、もちろん焼き菓子と比べれば、プリンのようになめらかである。いっそプリンケーキとでも命名してしまうのが一番妥当であるのかもしれなかった。
しっとりとした舌触りでありながら、もともとトライプの有しているまろやかで重い食感も残されている。俺の記憶にある中で一番近いのは、おそらくスイートポテトであった。
それぞれの食材からもたされる風味や甘さが、とてもゆるやかに咽喉を通っていく。食感が重ためである分、なかなかの食べごたえであるのだ。さぞかしこれはお茶も進むことだろう。そういった点も、プリンとは大きく異なっていた。
「ずいぶん満足げな顔つきでその菓子を食しているな」
と、ななめ後ろからアイ=ファが声をかけてくる。
ななめ後ろに立っているのに、アイ=ファは身体を屈めて俺の横顔を覗き込んでいた。
「うん、これは本当に美味しいよ。だからアイ=ファも味見をさせてもらえばいいって言ったのに」
「しかし、無駄に食材を使わせるのも気が引けたからな」
リミ=ルウは問答無用でアイ=ファの分までこしらえていたが、トゥール=ディンはアイ=ファの言葉に素直に従ってしまっていたのだ。
俺たちのやりとりに気づいたリミ=ルウが、「アイ=ファも食べたいの?」と顔を向けてくる。
「それなら、リミのをひと口あげるよ! はい、あーん」
「いや、リミ=ルウはその菓子を楽しみにしていたのだろうから、たとえひと口でもそれを奪ってしまうのは忍びない」
などと言いながら、アイ=ファはますます強い視線を俺の頬に突きつけてくる。
この場で食べかけの菓子をアイ=ファに分け与えられるのは、幼子のリミ=ルウと家人の俺しか存在しなかったのだった。
「……俺の食べかけでよろしいのでしょうか、家長?」
アイ=ファは答える手間をはぶくように、薄く口を開けた。
どうやら新しい匙を準備する手間さえ不要と考えているらしい。
俺はなるべく余人の注意を集めていないことを祈りながら、匙にすくったプリンケーキを家長の口へと運んでさしあげた。
アイ=ファはもにゅもにゅと口を動かしながら、身を起こす。
「なるほど。これまた強烈に甘いが……確かに、驚くほど美味であるな」
「う、うん。俺もそう思うよ」
そのように答えながら、俺はこっそり視線を巡らせる。
リミ=ルウは何も気にしている様子もなくプリンケーキを食べ続けており、トゥール=ディンは心配そうにシリィ=ロウたちのほうをうかがっている。シリィ=ロウとロイは、真剣な目つきをしながら、何やら小声で囁きあっていた。
よって、にやにやと笑いながらこちらを眺めていたのは、ルド=ルウただひとりであった。
そっとしておいてくれたまえという思いを視線に込めつつ、俺はプリンケーキの残りを口に運ぶ。間接なんちゃらという行為を重んじるつもりはなかったが、どくどくと心臓が高鳴るのを止めることはできなかった。
そこで、部屋の扉が外からノックされる。
姿を現したのは、シェイラであった。
「味比べが終了いたしました。料理人の皆さまはお集まりください」
今回は、いったいどのような結果に落ち着いたのだろうか。
ロイを除く6名は、あらためて貴婦人がたのもとに向かうことになった。




