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異世界料理道  作者: EDA
第二十六章 モルガの御山洗(下)
442/1703

雨の恵み③~夜~

2017.3/11 更新分 1/1 3/17 誤字を修正

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 ファの家に戻ってからは、明日のための下ごしらえに励むとともに、雨季の野菜の取り扱いを近在の女衆に手ほどきすることになった。


 スドラよりはわずかに豊かであったフォウやランの人々も、雨季の野菜はせいぜいオンダぐらいしか扱っていなかった、という話であった。カボチャのごときトライプは大きいぶん値が張るし、ゴボウのごときレギィにはそれほど魅力を感じなかったので、もう長らく口にしていないとのことだった。


 しかし、そんな彼らも現在では生活にゆとりができている。少なくとも、ティノやタラパぐらいならばためらいなく購入できるぐらいには、生活も潤っていたのだ。ならば、レギィやトライプにティノとタラパぐらいの魅力を見いだせれば、購入したいと思うようになるはずだった。


 なおかつ彼らは、今のところ城下町から流通され始めた食材にまでは手を出していない。料理を劇的に変化させる砂糖やタウ油などはまだしも、野菜やキノコや乾物といった食材のために銅貨を支払うまでには至っていなかったのだ。


 ならばなおさら、ティノとタラパとプラを扱えない物足りなさを、雨季の野菜で補ってほしい。

 そんな思いを込めながら、俺は彼女たちに手ほどきすることになった。


「なるほど。レギィってのもなかなか美味しく食べられるもんなんだねえ。これだったら、試しに使ってみようかと思えるよ」


「若い人間はレギィの味なんて知らないだろうね。うちじゃあもう何年も使っちゃいなかったからさ」


 フォウ、ガズ、ラッツに連なる氏族の人々は、そのような感想を述べていた。

 それよりもわずかに裕福であったリッドの女衆も、感想としてはそれほどの差はないようである。


「うちじゃあ、たまにはトライプを買ったりもしていたんだけどね。これほど美味しく仕上げられるとは驚きさ! こいつはさっそくカロンの乳ってやつと一緒に買ってみなくっちゃね!」


「それならまず、クリームシチューの美味しい作り方からじっくり手ほどきしないといけませんね。よかったら、明日はもっと早い時間から始めましょう」


「ルウ家での集まりは、1日置きってことでまとまったのかい?」


「はい。できれば、ダイやラヴィッツやスンからもかまど番を招きたいところですね。うかうかしていると、雨季も終わってしまいそうですから」


「病魔を退けたとたんに、せっかちだねえ。雨季はまだまだ半分以上も残ってるんだよ?」


 そのように述べながら、フォウの女衆は優しげに目を細めてくれていた。


「何にせよ、アスタにはまたお世話になっちまうね。そのぶん、ファの家の仕事も一生懸命頑張るから、どうぞよろしくお願いするよ」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 そうして日が落ちるとともに、彼女たちは各自の家に戻っていった。

 かまどの間でこしらえた晩餐を濡らしてしまわないように気をつけながら家へと持ち帰り、俺はひとりでアイ=ファの帰りを待ちわびる。

 アイ=ファが帰還したのは、それから10分ほどが経過したのちのことだった。


「おかえり、アイ=ファ。……うわ、今日もまたずいぶんな大物だな」


 俺が玄関口で迎えると、アイ=ファは「うむ」とうなずきながら地面にギバを下ろした。

 ほとんど100キロぐらいもありそうなギバである。このようなものを担いで雨の中を戻ってきたアイ=ファは、ぜいぜいと荒い息をついていた。


 しかもアイ=ファは、ずぶ濡れなだけではなく泥まみれになってしまっていた。狩人の衣も長袖の上着もむき出しの顔や足も、くまなく泥まみれである。


「毛皮を剥いで内臓を抜いたのち、身を清めさせてもらう。悪いが、晩餐はその後だな」


「何も悪いことなんてありゃしないよ。ギバの始末は俺が受け持つから、アイ=ファは先に身を清めてくればいいさ」


「……しかし、皮剥ぎや内臓抜きは狩人の仕事であろう」


「それはそのほうが効率がいいからっていう話だろう? 今日に限っては、俺が手伝ったほうが効率はいいはずだぞ」


「……そうか」とアイ=ファはうなずいた。


「では、お前の言葉に従おう。なるべく手早く片付けるので、よろしく頼む」


「いえいえ。どうぞごゆっくり」


 俺は雨具を着込み、アイ=ファの親父さんの形見たる小刀を手にかまどの間へと向かった。

 ルウ家のかまどの間と同じように、そこには食料庫と解体部屋も設置されているのだ。俺が準備を整えている間に、アイ=ファはもう巨大なギバを吊るし終えてしまっていた。


「それでは、よろしく頼むぞ」


「ああ、まかせてくれ」


 仕事を終えたアイ=ファは、また屋外に消えていく。

 かまどの間の隣に、アイ=ファは即席のシャワールームをこしらえていた。とはいっても、柱になるグリギの棒を地面に刺して、そこにギバの毛皮のとばりを張っただけのことである。そうして余人から裸体を隠し、天から降り注ぐ天然のシャワーと、足もとに置いた水瓶の水を使って、身を清めるのだ。


 普段であれば、身体の汚れは室内でぬぐい、髪だけはラントの川で洗っていた。が、水浴びの好きなアイ=ファは、数日に一度の割合でこのシャワールームを使用していた。スン家と悪縁があった頃はディガなどの来訪を警戒して、このような真似も差し控えていたのだという話であった。


 そうして俺が内臓抜きの仕事を完了し、水瓶の水でそれを洗浄し終えた頃、ようやくアイ=ファは戻ってきた。


「手ひどく汚れていたので、思っていたよりも時間がかかってしまった。皮を剥ぐのは私にまかせるがいい」


「うん。そちらはアイ=ファのほうが倍以上も早いからな」


 しかし、身を清めたことによって、アイ=ファは見違えるほどすっきりとした表情をしていた。かくも綺麗好きな家長なのである。

 衣服は胸あてと腰あてだけの軽装にあらためて、ギバの毛皮をざくざくと剥いでいく。長袖の衣服も予備はあったはずであるが、ギバの血や脂で汚してしまうのを厭うたのだろう。とっぷりと日は暮れてずいぶん気温も下がってきていたのに、寒そうな様子はまったく見せない。


 そんなアイ=ファを尻目に、俺は家のほうに舞い戻り、晩餐を仕上げてしまうことにした。肉料理などは出来立てを食べてほしかったので、まだ火は通さずにいたのだ。

 やがてアイ=ファが戻ってきて、わずかに汚れた身体を布でぬぐってから、洗い替えの上着と腰巻きを纏う。洗ったばかりの狩人の衣や着衣などは、かまどのそばの壁に掛けられて干されることになった。


 そうしてアイ=ファがようやく腰を下ろしたところで、俺も晩餐を仕上げることができた。

 料理を盛り付けた小皿や小鉢を、アイ=ファの前に並べていく。今日のところも、ラダジッドからいただいた硝子の大皿の出番はなかった。

 それらの料理を見回しながら、アイ=ファは「ふむ」と小首を傾げている。


「今日はずいぶんと品数が多いようだな。……ああ、さっそく雨季の野菜を使ったのか」


「うん。近在の女衆に色々と手本を見せてあげたかったからさ」


 リミ=ルウにも伝授したトライプのシチュー。甘辛く煮付けたレギィのそぼろ煮。トライプのそぼろ煮。オンダと各種の野菜を使った肉野菜炒め。さらに、シチューとは別にオンダとレギィを使ったタウ油仕立てのスープも準備して、メインディッシュは和風ソースのハンバーグであった。


 ハンバーグ自体はタウ油をベースにしたソースを使い、上にダイコンのごときシィマのすりおろしをトッピングしただけであるが、つけあわせにオンダとレギィとブナシメジモドキのソテー、それにトライプの素揚げを添えていた。


 トライプというのは表皮がカボチャ以上に頑丈であるのだが、狩人も携帯している厚刃の小刀を使えば生の状態でも断ち割ることができた。それで皮の部分は取り分けて、実の部分だけを薄切りにして素揚げに仕上げたのだ。


「さあ、冷めない内に召し上がれ。……アイ=ファも雨季の野菜にはあまり馴染みがなかったんだよな?」


「うむ。オンダぐらいは口にしたことはあるが、父を失ってからはアリアとポイタンぐらいしか買ってはいなかったからな」


 ならば、フォウやランの人々と大して変わらないぐらいの感じであろうか。

 とにかく俺たちは食前の文言を唱えて、ちょっと遅めの晩餐に取りかかることにした。


 当然のこと、アイ=ファはハンバーグから手をつける。

 食事中には表情を崩さないアイ=ファであるが、やはりハンバーグを食しているときが一番幸福そうに見えてしまう。そして、幸福そうなアイ=ファを見るのが、俺にとっても一番幸福なひとときであった。


「ふむ。トライプというのは、甘みのあるチャッチのようなものか」


「ああ、一番食感が近いのは、やっぱりチャッチなのかな。ほくほくしていて美味しいだろう?」


「うむ。このはんばーぐの味付けにも合っているようだ」


 表情はほとんど変えていないのに、どうしてアイ=ファはこのように幸福そうに見えるのだろう。その瞳に浮かんだ満足そうな光だけで、俺はこの1日の疲れをすべて溶かされる心地であった。


「レギィというのは変わった野菜だな。ずいぶん筋張っているし、いくぶん土の香りがするようだ」


「そうだな。あまり好みじゃないか?」


「私にそこまでこまかい善し悪しはわからない。少なくも、不出来な料理だとは思わん」


 それほど親切なレビュアーではないアイ=ファは、粛々と食事を進めていく。

 が、トライプのシチューをすすったときには、ほんの少しだけ表情を変えた。


「これは美味だな。さきほどのトライプよりいっそう甘く感じられるが」


「ああ、トライプはじっくり煮込むと甘みが増すんだ。それはお気に召したのかな?」


「うむ。以前にお前も言っていた通り、しちゅーという料理は森辺の民の気風に合うのだろう。とても美味に感じられる」


 森辺の民は、一番手っ取り早いということで、肉も野菜もポイタンもすべて同じ鍋に放り込んで、それを食するのが主流であった。

 なので、肉と野菜の美味しさを凝縮させたシチューの味が好みに合うらしく、また、このとろりとした質感が、ポイタン汁を連想させつつ、なおかつ比較にならぬほど美味である、と感じられるらしい。


 それ以外では、ギバのラードを使用した『ギバ・カツ』が喜ばれることが多い。そちらはそちらでギバの美味しさが凝縮された料理、ということで心を動かされるのだろうか。


 で、アイ=ファはそういった森辺の民の気風とは関係のない部分で、ハンバーグを一番の好みとしている。ドンダ=ルウなどはその食感などを嫌って「狩人の口にするものではない」などと言い張っていたぐらいなのだから、焼いた肉はしっかりとした噛み心地こそが肝要である、という価値観があるのだろう。


 森辺の民には森辺の民の好みがある。そしてその中で、個人の好みというものも存在する。だから俺は、その両面から大事なアイ=ファを喜ばせていきたいと常々考えていた。


「まだまだ初日だから、至らない点も多いと思うよ。何か意見があったら遠慮なく言ってくれよな」


「……何も不満など持ちようもない。目新しい食材が使われるというのは楽しい気分にさせられるものだしな」


 そのように述べながら、アイ=ファはほんの少しだけ口もとをほころばせた。


「特にこのたびは奇抜な料理もないようだし、私には口の出しようもない。すべて美味に感じられるぞ、アスタよ」


「そっか。それなら、よかったよ」


「うむ」


 時間はとてもなだらかに過ぎ去っていった。

『アムスホルンの息吹』を発症した俺が意識を取り戻してから、いまだに10日と少ししか過ぎてはいないのだ。こうして平和に過ごせる時間がどれほど得難いものであるか、俺はまだそのありがたみを強烈に感じさせられている時期だった。


 それはきっと、アイ=ファのほうも同様なのだろう。家長らしく凛然と振る舞いながら、どこか優しい空気をかもし出している。俺たちは幸福であるのだと、口には出さないまま確かめ合っているような、そんなくすぐったい感覚さえ覚えるほどであった。


「そういえば、アイ=ファの誕生日は赤の月の10日なんだってな。今日、リミ=ルウから聞いてきたよ」


「うむ」


「いちおう確認しておくけど、ファの家でもその日には祝福の花を送るってことでいいのかな? 他に何か習わしがあるなら、教えておいてくれ」


「特にない。無事に1年を過ごせたことを、森に感謝すればいいのだ」


 そうしてトライプのそぼろ煮をついばんでから、アイ=ファはまたふっと微笑んだ。


「……そういえば、昨年は生誕の日もひとりで過ごすことになったのだ」


「ああ、15歳になってすぐに親父さんを亡くしてしまったんだもんな」


「うむ。……そうして夕刻にはリミ=ルウが訪れてくれたのだが、私は家の戸も開けないまま、追い返してしまったのだ。そうしたら、リミ=ルウは窓から花を投げ入れて、また明日も来るからと言って帰っていった」


 淡い微笑みをたたえたまま、アイ=ファはそっと目を伏せる。


「そこまでの仕打ちをされながら、リミ=ルウは私を友だと言い続けてくれたのだ。2年もの間……私はリミ=ルウを冷たく突き放していたのにな」


「だってそれは、スン家との争いにリミ=ルウたちを巻き込みたくなかったからなんだろう? アイ=ファのそういう気持ちが伝わったからこそ、リミ=ルウだってあきらめる気持ちにはなれなかったんだよ」


 言いながら、俺は昼間のリミ=ルウの姿を思い出していた。

 無邪気に微笑みながら、「きちんとアイ=ファを祝ってあげてね!」と言っていたあの言葉に、いったいどれほどの思いが込められていたのか。想像するだけで、俺は胸が詰まってしまいそうだった。


「……アスタがいなかったら、私はリミ=ルウと縁を結びなおすこともできず、孤独に森で朽ちていたのだろうな」


「そんな仮定に意味はないよ。そもそも、俺を家に連れ帰ろうと決めたのはアイ=ファ自身なんだからな。アイ=ファの運命はアイ=ファ自身が勝ち取ったものなんだ。……それでもって、アイ=ファがそういう人間に育ったのは、ご両親や、リミ=ルウや、ジバ=ルウや、サリス・ラン=フォウとかのおかげだろう? 人間っていうのは、そうやっておたがいに支え合いながら生きているものなんだよ、きっと」


 アイ=ファは「うむ」としか言わなかった。

 ただその瞳が、とてもやわらかい光をたたえて、俺のほうに向けられてくる。

 それは、ジバ婆さんのように済みわたっていて、透き通った眼差しであった。


「……お前は私と出会った日を生誕の日にするつもりだと言っていたな、アスタよ」


「うん。故郷の暦を持ち出せないなら、それが一番妥当だろう?」


「そうであろうな。……しかし、それでようやく1年が過ぎるのか思うと……何やら奇妙な心地になる」


 そうしてアイ=ファは、こらえかねたように幸福そうな笑みを広げた。


「あっという間であったような気もするし、まだ1年も経っていないのかという気もするし……何にせよ、私にとってかけがえのない日々であったということに変わりはない」


「うん」


「この先も、森に魂を返す日まで、お前とともに過ごしたいと願う。その日が1日でも長く続くよう、私は森にこの身の力を示してみせよう」


「うん、俺も同じ気持ちだよ」


 あの日、アイ=ファが宣言して以来、俺たちは指一本としておたがいの身に触れていない。

 それがどこまで続くかはともかくとして――少なくとも、この一瞬はおたがいに触れることなく、俺たちは幸福な時間を確かに共有し合うことができていた。


 そんな中、表ではまだかぼそく雨が降り続けているようだった。

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