雨の恵み①~ルウ家の勉強会~
2017.3/9 更新分 1/1 3/11 一部文章を修正
俺が屋台の商売に復帰してから、至極平穏に日々は流れていた。
それでももちろん、何の変化も生じなかったわけではない。どんなに平穏な日常であっても、同じ日というのは二度と訪れないのだ。
俺の耳に入ってくる限りでも、森辺に道を切り開く作業などは着実に進められていた。
噂によると、森辺の外にはとんでもない数の樹木が搬出されて、今度はそれでダレイム領を守る塀を設置する作業まで開始されたらしい。森辺の集落で働いているのとはまた別に北の民の一団が駆り出されて、その仕事に従事させられているのだそうだ。
むろん、ダレイムというのはトゥラン以上に広大な領地であるので、そのすべてを塀で守るのは、きわめて難しい。よって、まずは森とダレイム領の接地する部分にのみ、試験的に塀を作製するとのことであった。
そもそも、ダレイム領におけるギバの被害というのは、ここ数ヶ月でかなり減じられているのだ。スン家の人々がギバ狩りの仕事を再開させただけで、それだけの変化が感じられたのだから、ずいぶん先行きは明るく感じられた。これはあくまで俺個人の私見というか願望であるが、小さき氏族が美味なる食事と肉を売った銅貨でこれまで以上に力をつけて、なおかつ猟犬を使った効果的な狩猟方法が確立されれば、今よりもさらに田畑の被害を減らすことはできるのではないかと思えてならなかった。
まあ何にせよ、塀の作製に関しては長期的なスパンで進められている計画である。このたびの雨季の間に、北の民だけでどれほど作業を進められるか、まずはその進捗状況も鑑みながら、じっくりと推し進めていくつもりであるらしい。
で、本題の開拓作業のほうである。
そちらはもう、定期的に様子を見にいっているダリ=サウティが驚くほどの作業スピードで、日に日に進められているらしい。少なくとも、すでに徒歩で三刻ぐらいかかる距離を切り開くことができているそうだ。
モルガの麓の森というのは、徒歩で横断するには数日もかかる巨大なものである。が、今回の開拓工事は、サウティの集落があるあたりから東に丸一日分の距離を切り開く計画だ。そこまで進めば、森の中の岩山地帯に至り、あとはそれに沿って北東に進むだけで、モルガの領域を突破できるとの話であった。
ちなみに丸一日分というのは、「日の出から日の入りまで」という意味である。俺の感覚では、十三、四時間ぐらいのものだ。
この地では日の出から日の入りまでを十三の刻に分けているので、徒歩で三刻の距離まで進められたというのなら、それは全工程の四分の一弱が完了したということであった。
もっとも、すでに茶の月が半月ばかりも過ぎていることを考えると、進行は若干滞っているぐらいなのかもしれない。工事が進めば進むほど、切り出した材木を運び出すのには労力がかかるわけであるし、雨季が二ヶ月しかないことをあわせて考えれば、期間内に作業を終わらせるのは難しいように思えてしまった。
「まあ、そのときはさらに人手を増やすしかないだろうね。森の外で塀を築く作業に当てられている人員をそちらに回すしかないだろう」
ポルアースは、そのように言っていたらしい。
まあ、作業の進捗について思い悩むのは彼らの仕事だ。俺たちは、作業員がギバに襲われないことを祈りながら、黙って見守るしかなかった。
黙って見守るといえば、北の民の扱いについても、城下町ではひそかに協議が進められているらしい。
原則として、ジェノスに集められた北の民というのはトゥラン伯爵家の管理下にある存在だ。よって、トゥラン伯爵家と、その上位の存在たるジェノス侯爵家で、今後の扱いについて協議が重ねられているとのことであった。
また、それにあわせて貴族と森辺の族長との会談も、正式に執り行われることになった。
三族長が城下町まで出向いて、調停役たるメルフリードおよび補佐官のポルアースと、数刻に渡って言葉を交わしたのである。
その場にはフォウとベイムの家長も同行したので、翌日には俺たちにもその内容が正しく伝えられていた。
これといって、目新しい話が追加されたわけではない。俺たちがサウティの集落で聞かされた言葉を、領主からの言葉として正式に届けられたようなものであった。
森辺の民は、北の民に対して口出しをするべきではない。
ただし、ジェノス侯爵家もトゥラン伯爵家も、北の民の扱いに関しては最善の道を模索しているさなかである。
貴族の側から森辺の民に助言を乞う機会もあるかもしれないので、それまでは黙って見守っていてほしい。
要約すると、それだけの話であった。
そこで強調されたのは、王都から訪れる視察団というものの危険性についてであった。
王都の人間は、遠方の地にあるジェノスが叛乱や独立を企てることを恐れている。よって、セルヴァの王家に叛意がないかを確認するために、定期的に視察団をよこしているのだそうだ。そういった連中につけいる隙を与えないために、森辺の民には大人しくしていてほしい、とのことであった。
「たとえば、ルウ家にも招かれたことがあるという、シリィ=ロウという料理人がいますよね? 彼女はもともと王国の民ならぬ自由開拓民の血筋であるわけですが、そういった家の人間に氏を持ったまま王国の民になることを許したのは、当時のジェノスの領主です。本来、開拓民を王国の民として迎える際には氏を捨てさせるのが通例であったにも拘わらず、当時の領主はそれを自分の判断で許してしまったのですね。そういった措置なども、王都の人間にしてみれば気にさわる話であるようなのですよ」
会談の場で、ポルアースはそのように言っていたらしい。
当時のジェノスの領主――ジェノス侯爵ならぬジェノス辺境伯は、もともとこの地に住まっていた自由開拓民となるべく穏便に共存するために、そういった措置を取ったのだそうだ。シリィ=ロウやミラノ=マスなど、氏を持つ西の民というのは、みんなそういう自由開拓民の末裔であったのだった。
「そういった大昔の話まであげつらって、視察団の人々は我々のことを『奔放なる辺境の民』などと言い連ねるわけですよ。だから、北の民をおかしな形で厚く遇している、などと思われてしまうと、また大変な面倒ごとになってしまうわけですね」
それで俺が思い知らされたのは、この西の王国においてジェノスの貴族たちは「田舎貴族」に分類されるのだという事実であった。
町の人々には雲の上の存在と思われているジェノス侯爵マルスタインやメルフリードなども、王都の人間にしてみれば「粗野なる辺境の野蛮人」に過ぎないのかもしれない。
では、そのジェノスのさらに片隅に住まっている森辺の民などは、いったいどのように思われているのだろう。願わくば、お高くとまった王都の人間などというものには関わりたくないものであった。
ともあれ、族長たちはメルフリードらの言葉を受け入れていた。
もとより、族長たちが気にかけていたのは、ポイタンの品切れについてであったのだ。それをトゥラン伯爵家が肩代わりすると決めた以上、こちらの側から口をはさむ案件は存在しないのだった。
「ただし、ポイタンの代金を支払いたいと願い出たことが間違っていたとは考えていない。俺たちにも俺たちの流儀があるのだということは覚えておいてもらおう」
ドンダ=ルウは、そんなような言葉で会議をしめくくったようだった。
そういった水面下での出来事を経て、茶の月の21日――俺が商売に復帰して5日目のことである。
その日は屋台の商売も休業日であった。
そして、その前日には雨季の野菜が売りに出されていた。
ということで、俺たちは中天からルウの家に集まって、ひと月半ぶりに勉強会を再開させることに相成ったのだった。
◇
「どうもみなさん、お疲れさまです。……いやあ、あまりにひさびさすぎて、ちょっと緊張しちゃいますね」
ルウの本家のかまどの間において、俺はそのように口火を切ってみせた。
その場に集まった人々は、約1名を除いて全員が期待に瞳を輝かせている。
勉強会の参加メンバーは、合計で9名である。
ルウ家からは、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウ、ミーア・レイ母さんの4名。
小さき氏族からは、俺、トゥール=ディン、ユン=スドラの3名。
そしてルウ家の客人からは、マイムとミケルの2名だ。
期待に瞳を輝かせていない約1名というのは、もちろんミケルのことであった。
そのミケルに対して、俺は笑いかけてみせる。
「俺はこれらの野菜を初めて扱うので、みなさんの知識や経験が頼りです。特に、料理人としてこれらを扱っていたミケルには、どうかご指導をお願いしたくあります」
「……俺はこの集落で世話になっている恩義を返すだけだ。こんな老いぼれに期待したところで馬鹿を見るだけだぞ」
「もう! いちいち憎まれ口を叩かなくてもいいじゃん」
マイムが笑顔で父親の分厚い胸を叩く。
ミケルの力が必要とされて、実に嬉しそうな笑顔である。
いまだ右足の骨折が完治していないミケルは、ひとり木箱に腰かけていた。杖をつけば歩くことも可能であるが、やはりまだ長時間立っていることは難しいのだ。しかし、すねの辺りに包帯を巻かれている他は、以前に見た通りの元気な姿である。
ちょうど俺が病魔に臥せた頃ぐらいから、ルウ家の人々はミケルに干し肉作りの手ほどきを乞うていた。俺から間接的に学んでいた技術を、今度はミケル本人から学ぶことになったのだ。もう少し怪我がよくなったら眷族の家を回ってそちらにも手ほどきをしてほしいと願われて、マイムなどはたいそう喜んでいたという話であった。
「前にもちょいと話したけど、雨季の野菜ってのは扱いが厄介なんだよね。味が悪いとかそういう話じゃなく、鍋で煮込む以外の使い道が思いつかないのさ。こいつらにもタラパやティノやプラみたいに色々な食べ方があるっていうんなら、ぜひとも教えていただきたいもんだねえ」
ルウ家の側の取り仕切り役であるミーア・レイ母さんがそのように発言した。
そのかたわらで、リミ=ルウはうんうんとうなずいている。
「トライプは何をしたってトライプの味だし、オンダはあんまり味がないよね。……あと、リミはあんまりレギィが好きじゃないんだよねー」
「そうですね。わたしの家でもレギィはほとんど使っていませんでした」
「うん、トライプは好きな人間も多いけど、レギィを好きだっていう人間は見たことがないかも」
リミ=ルウの言葉に、シーラ=ルウとレイナ=ルウも同意を示す。
トゥール=ディンとユン=スドラは、興味深そうにその言葉を聞いている。トゥール=ディンは森の恵みしか口にしていなかったため、ユン=スドラは貧しさのため、それぞれ雨季の野菜を食したことがなかったのだ。
「レギィか。こいつを料理するには、下ごしらえが必要だからな」
木箱に座したミケルが、左手の指でその野菜を指し示す。
雨季に収穫される野菜は、トライプ、オンダ、レギィの3種である。その中で、俺が既視感を覚えるのはオンダという野菜のみだった。
だけどまずは、話題にあがったレギィから取り組むべきであろうか。
それは、真っ赤な色合いをした木の棒のごとき野菜であった。
形状はほぼ真っ直ぐで、ところどころに毛が生えている。太さは3センチほど、長さは50センチほどだ。片方の端は鋭く尖っており、逆側の端は黒みがかった断面を覗かせている。
「これは、根菜なのでしょうかね。ずいぶん鮮やかな色合いですが」
「ああ。水気の多い地面に植えると、あっという間に育つんだ。逆に、水気が多すぎるとティノなんかは腐ってしまうから、雨季の間はこいつを代わりに育てる人間が多いようだな」
仏頂面で、ミケルがそう言った。
「一番簡単な下ごしらえは、皮を削ってママリアの酢を溶かした水にひたしておくことだ。四半刻もひたしておけば、土の臭みや苦みは消える」
「ママリアの酢が必要なのですか。それでは、森辺の集落や宿場町などでは、最初から正しい下ごしらえをするすべがなかったのですね」
レイナ=ルウが感じ入ったように応じる。ママリアの酢は、数ヶ月前までは城下町にしか出回っていなかったのである。
が、俺はミケルの言葉に大いに記憶を刺激されていた。
「ちょっとお待ちください。皮というのは、必ず剥かなくてはいけないのですか? 森辺の民は、たぶんこれを皮ごと食していたと思うのですが」
「皮を剥くのは、臭みや苦みを取るためだ。おそらくは、皮のほうにも滋養はあるのだろうがな」
「ああ、やっぱり……ならば、酢を入れるのは何故なんでしょう? そうしないと、臭みが取れないのでしょうか?」
「酢を入れるのは、実が黒く濁るのを抑えるためだ。土臭い上に色が黒くては、いっそう食欲も落ちてしまうだろうからな。……それに、水にひたす手間を惜しめば、煮汁そのものにも黒い色が広がってしまう」
「ああ、レギィを使った煮汁はみんな真っ黒になってしまいますよね。確かにあれは、泥水をすすっているような心地にさせられます」
そのように述べてから、シーラ=ルウが俺を振り返った。
「だけどアスタは、この野菜について何かご存じであるような口ぶりですね。ひょっとして、これも故郷に似た野菜があったのでしょうか?」
「はい、実はそうなんです。下ごしらえの手順に聞き覚えがあったので、ピンときました」
皮を剥いて酢水につけるというのは、ゴボウの下ごしらえと同一の手段であった。
で、この真っ赤な色合いにだまされていたが、よく考えたらこの形状はゴボウとよく似ている。巨大ゴボウたるギーゴよりも、サイズ的にはゴボウに近いのだ。
「皮にも滋養があるというのなら、それは剥かずにおいたほうが森辺の民の気風にも合うのではないでしょうか? それに、ルウ家ではさまざまな調味料が使えるようになっています。それらを使ってもごまかしがきかないほど、レギィの臭みや苦みというのは強いものなのでしょうか?」
「……皮を剥いて酢水にひたせば、誰でも簡単にこいつをいっぱしの食材として扱うことができる、というだけの話だ。ちょいと気のきいた料理人なら、滋養を逃がさずに味や見た目を整えることを考えるだろうな」
「そのような方法があるならば、わたしたちはそちらを学びたく思います」
真剣な光をその瞳にたたえつつ、レイナ=ルウが身を乗り出す。
その顔をしばらく無言で見返してから、ミケルは小さく肩をすくめた。
「中身が黒ずむのを避けたいなら、黒ずむ前に調理をすればいい。土臭さが気になるならば、それをやわらげる味付けをすればいい。黒い煮汁が気に食わないなら、別の色をつけてしまえばいい。言ってみれば、それだけのことだ」
「中身が黒ずむ前に調理ですか……そもそもレギィは、どうして黒くなってしまうのでしょう。このレギィも、上の切り口は黒くなっていますものね」
「でも、煮込んだレギィをかじっても、この切り口ほど黒くはないように思います。だから、わたしの家でもレギィを使うときは、あまりこまかく切らないで鍋に入れていたのですよね」
「ああ、それはうちでもそうだったかも。でも、こまかく切らないと余計に土臭さや苦みが強まってしまうから、けっこう切り方を考えたりしていたんだよね」
レイナ=ルウとシーラ=ルウが、熱心にディスカッションをしている。
色が黒ずむのは酸化のためではないか、とか、レギィにはこのような味付けが合うのではないか、など、俺は口出しをしたくてむずむずしてしまったが、ミケルの目つきに気づいて、それを我慢していた。ミケルは何やら探るような目つきで両者の様子をうかがっていたのである。
「それに、レギィの臭みや苦みをやわらげる味付けっていうのも……もっと強い香りをもつ香草と一緒に煮込めばいいのかなあ?」
「でも、それではレギィそのものの味を壊してしまいそうですよね。たとえばプラなんかも苦いですが、あの苦みこそがプラの美味しさだと思えてしまいます」
「うーん、そっかあ。それに、レギィもプラと同じぐらい固いから、あんまり辛くすると食べにくそうだよね」
シーラ=ルウに対しては、家族のように親しげに話すレイナ=ルウである。そうしたほうが年少っぽく見えるというのも、よく考えると不思議な作用であった。
俺の思考がそんな風に脇道にそれかけたとき、リミ=ルウが「そうだ!」と元気な声をあげた。
「レギィって形がギーゴに似てるよね! それなら、ギーゴと同じように使えばいいんじゃないかなー?」
「ギーゴと同じように? こまかくすりつぶしたりとか?」
「ううん。レギィは固いからすりおろしても美味しくなさそー。それに、すりつぶしてる間にみーんな真っ黒になっちゃいそうだし!」
「それじゃあ、リミ=ルウはどのように考えているのですか?」
「リミねー、タウ油のすーぷのギーゴが好きなの! タウ油だったら色も茶色いし、煮汁が黒くなっちゃうのもごまかせるんじゃないかなー?」
「タウ油か……でも、タウ油の味だけでレギィの土臭さと苦みをやわらげようとしたら、ものすごく塩からくなっちゃいそうだね」
そのように述べてから、レイナ=ルウはふっと面をあげた。
「でも、アスタの作るかくにや肉チャッチみたいに、汁物じゃなくて煮物にするならいいかも……それに、タウ油だけじゃなく果実酒や砂糖の甘さも使えば、いっそう苦みをやわらげられそうだね」
「ああ、辛みよりは甘みでやわらけたほうが、レギィのもともとの味を活かせるかもしれませんね」
ルウ家の3名は目を見交わしてから、いっせいにミケルのほうを振り返った。
ミケルは相変わらずの仏頂面でそれを見返す。
「タウ油の風味や砂糖の甘みはレギィのもともとの味とあうだろう。辛さを加えるとしたら、その上でだろうな」
「そうですか! では、皮は剥かずにタウ油や果実酒で煮込んでみたいと思います!」
レイナ=ルウもシーラ=ルウもリミ=ルウも、みんな楽しそうに微笑んでいた。
そして、父親のかたわらにひっそりと控えたマイムは、そんな彼女たちの様子を少しくすぐったそうな面持ちで見守っていた。
ひょっとしたら、マイムもかつてはこのような形でミケルにレギィの使い方を習っていたのだろうか。
それはあくまで俺の想像に過ぎなかったが、何にせよ、一から十まで答えを教わるだけでは、レイナ=ルウたちもこのような楽しさを覚えることはなかっただろう。トゥール=ディンとユン=スドラは、ちょっと羨ましそうな面持ちでレイナ=ルウたちの笑顔を見守っていた。
「それじゃあ、他の食材についてもひと通り検証してみようか。えーと、このオンダに関しては、ルウ家でも問題なく使えていたんだよね?」
「はい。オンダは強い味もないので、普通に鍋に入れていました。ちょっと食感は独特ですが、好む人間も嫌う人間もあまりいない、という印象ですね」
このオンダは、俺が知る野菜と非常によく似た形状をしている。
色は白くてひょろひょろと細長くて、ひとつひとつはとても小さい。それは薄黄色をした小さな豆から発芽した新芽であり――ようするに、モヤシとそっくりの見た目をしていた。
「オンダというのは、大昔にジャガルから伝わってきたものらしいな。べつだん雨季でなくとも育てることはできるはずだが、タラパやティノを扱えない物足りなさを埋めるために、雨季の間だけ使われるようになったんだろう」
「なるほど。ひょっとしたら、畑ではなく小屋の中などで育てられる野菜なのでしょうか?」
「ああ。こいつを育てるのにはたっぷりと水を使うから、雨季のほうが都合がいい、という面もあるのだろうな」
もし味のほうもモヤシと似ているなら、雨季のみと言わずいつでも購入させてほしいものである。モヤシならば、さまざまな料理で活用できるはずだ。
「ルウ家では、これを汁物でしか使っていなかったんだよね? 俺の故郷では、これによく似た野菜を炒め物でも使っていたよ」
「え? でも、焼こうとするとすぐに焦げついてしまいませんか?」
「それは今まで鉄鍋に脂をひくという習慣がなかったからじゃないかな。オンダに限らずどの野菜でも、脂をひいたほうが綺麗に炒められるだろう?」
ということで、これは実践も容易であったので、ギバの脂をひいた鉄鍋でオンダが炒められることになった。
味付けは、塩とピコの葉のみだ。が、オンダはモヤシに劣らず瑞々しくて、それだけで十分に美味だった。豆の風味はごくわずかで、とてもシャキシャキとした心地好い食感である。
「ああ、炒め物だと、何か目新しい美味しさがありますね!」
「汁物だと、オンダの水気が目立たなくなるためなのでしょうか。炒めてあるのにこれほど水気が多いというのは、ちょっと面白い気がします」
「はい。他の野菜と一緒に炒めたら、また美味しそうです」
トゥール=ディンやユン=スドラも一緒になって、満足そうに微笑んでいた。これは汁物としても炒め物としても、すぐにどの家でも活用することができるだろう。
そうして最後の食材は、トライプなる奇妙な野菜である。
こればかりは、俺もどのような食材であるのか見当もつかなかった。
表皮は固くて、真っ黒である。マスクメロンのようにびっしりと筋が走っており、形はまん丸だ。直径は20センチほどで、手に持つとずっしりと重い。ちょっと小ぶりなボーリングの玉みたいな印象であった。
「こいつは切るだけでしんどいからさ、うちじゃあ丸ごと鍋に突っ込むだけだったよ」
ミーア・レイ母さんの言葉に、俺は「へえ」と感心してしまう。
「それだけで中に火が通るんですか? ずいぶん頑丈そうな表皮をしていますけど」
「ああ。煮込んでいく内に、ぱっくりと皮が割れるんでね。そうしたら、ほぐして中身を溶かしちまうのさ。最後には皮もへろへろになって、一緒に食べられるようになるよ」
「リミはトライプのお鍋、大好きだよ! でも、ドンダ父さんとかはそんなに好きじゃないんだよねー」
「こいつを使うと、なんもかんも同じ味になっちまうからね。ギバ肉の味にあうかっていうと、ちょっと首をひねりたくなるような味だしさ。……ま、今までは血抜きをしていない肉を使っていたから、余計そんな風に感じたのかもしれないけどさ」
ますます興味が尽きないところである。
ミケルのほうをうかがってみると、気のない表情で不精髭のういた頬を撫でさすっていた。
「トライプは味が強いからな。城下町でも、トライプを使うならそれを中心に味を組み立てるのが普通だ。だから、主菜よりも副菜で使われることのほうが多いだろう」
「副菜ですか。それではやっぱり、肉と一緒に使うのにはあまり適していない食材なのでしょうか?」
「ああ。もちろん肉とあわせて主菜にするやつもいなくはないが、それよりは、菓子で使うやつのほうが多いだろうな」
その言葉に、トゥール=ディンとリミ=ルウが鋭く反応した。
子猫がピンと耳をあげるような仕草で、とても愛くるしい。
「そういえば、トライプは野菜の中で一番甘いもんね! そっかー、トライプでお菓子かー。なんか、すっごく美味しそう!」
「甘い野菜などというものも存在するのですね。とても興味をひかれます」
「……まずは、そのままトライプだけで煮込んでみるがいい。下手に切ろうとすれば刀を痛めるし、煮込んだ後で味を作るほうが最初は容易だろう」
ミケルの助言に従って、俺たちはトライプを単品で丸ごと煮込んでみた。
水の状態からトライプを投じ、沸騰したら蓋をする。四半刻――15分から20分ていども煮込めば十分だという話であったので、城下町で買い求めた砂時計で時間を測り、料理談義をしながら待つ。
そうして蓋を開けてみると、トライプの実がぱっくりと割れていた。
そこから覗くのは、黄色みの強い鮮やかなオレンジ色である。
その色彩と香りから、俺はようやくその野菜の正体を知ることができた。
それはどうやら、カボチャとよく似た野菜であるようだった。
「汁物にしたいならそのまま煮込み続ければいいし、煮物として扱いたいなら鍋から引き上げればいい」
ミーア・レイ母さんは一考したのち、割れた半分を鍋に残し、もう半分だけを皿の上に引き上げた。
「トライプをこんな状態で食べたことはなかったね。今までは、みんな煮汁に溶かしちまってたからさ」
俺たちは、木匙を使ってそのトライプを味見してみた。
確かにこれは、カボチャに近い味わいである。ほくほくとしており、甘い風味が口に広がっていく。これぐらいの煮込み加減だとまだ表皮は固く、実にも若干の繊維が残っていた。
「低温でじっくり煮込めば、もっと甘みを引き出すことができる。それに、煮物として扱いたいなら、最初に切ってから調味料と一緒に煮込むべきだろうな」
「なるほど……確かにこれは、ギバ肉と一緒に食べるよりは、そのまま食べるほうが美味なのかもしれませんね」
そのように発言したのは、ユン=スドラであった。
晩餐で使うにも商品として使うにも、やはりギバ肉との相性は考慮されなければならないのだろう。
「でも、ギバ肉とまったく合わないってことはないんじゃないかな。挽き肉と一緒に甘辛く煮付ければ、主菜にすることもできると思うよ」
俺の脳裏には、カボチャのそぼろ煮という献立が思い浮かんでいた。今ぐらい調味料が充実していれば、美味しく仕上げることは難しくないだろう。
何にせよ、トライプとオンダとレギィがカボチャとモヤシとゴボウに類似する食材であるならば、いくらでも活用法をひねり出せそうなところであった。
しかもこの場には、ミケルを筆頭にこれほど優れたかまど番がそろっているのだ。俺が故郷でつちかった知識を披露するばかりでなく、もっと有意義におたがいを高め合うことができるだろう。
ミケルとマイムを初めて招いたルウ家の勉強会は、こうして幸先のよいスタートを切ったのだった。




